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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7−20

身体の悲しみをこえて

   
題「身体の悲しみをこえて」  


一、ある合い言葉  
 私たちが合い言葉のようにしている言葉に「いのちより大切なものはない」というのがあります。この言葉にだれも納得しているようです。しかし、いまこの言葉を少し吟味してみたいと思います。
 この場合「いのち」という言葉が何を意味しているのでしょうか。多くは肉体的な生命のことと理解するでしょうし、またそう受け取るのが自然のようです。この「いのち」という言葉にもっと深い意味を読み込むこともできるでしょうが、さしあたっては「身体的な生命」の意味と読まざるを得ません。
 

二、いのちの意味するもの  
 「いのちより大事なものはない」ということであれば、まずは生命の維持のためいわゆる「食わんがため」に働き、さらに、病気にならないようにし、交通事故に遭わないよう気を付けたりしてこのいのちを安全に守っていくこと。一般にはそれらが「いのちより大事なものがないから、このいのちを大切にする」ということになりましょう。
   なんとか経済的に生活していける上は、私たちは健康保持に注意して、なるべく病気にかからないようにしています。  


三、いのちを大事にするとは  
 ただ問題は、この肉体的ないのちを安全に維持する、いわば悪い病気にならないように、元気で長生き出来るように、ということのみを最も大事なこと、心を寄せなくてはいけない最も価値あることととするなら、そこに果たして心の安定があるでしょうか。この点を吟味してみたいのです。  


四、星野さんの言葉  
 それについて極めて大きな示唆を与えてくれる星野富弘 さんの言葉があります。    星野さんは運動中に転落事故を起こして首から下が全く不自由になった方です。そんな逆境の中で真実にふれ、まことの生き甲斐を見出された星野さんの作られた詩に  
  いのちが一番大切だと思っていたころ   生きるのが苦しかった   いのちより大切なものがあると知った日   生きるのが嬉しかった   とあります。
   「いのちが一番大切だと思っていたころ」とは、私たち一般にそう思っているのですが、その時は「生きるのが苦しかった」という。身体の健康や長生きをすることを最も大事と思っていた頃は、安らかな日々であったかというと実際は「苦しかった」と。     
  体のいのちこそ最も大事だと思えば、この体が病気になったらどうしようとか、悪い病気になったらどうしようとか、食えなくなったらどうしようとか、死んだらこまるとか、常に思い煩い、不安を感じて生きざるを得ません。とくに老年にはその不安がいっぱいあります。  
 しかし、いかに心配しても、この身体は確実に老化していきますし、老いた体は病気にもかかりやすい。やがて朽ちていく。だからこの肉体を宝物のように大事に思う(執着する)と、その宝が色あせて破壊の危機にさらされ、やがて壊れゆく不安と心配がつきまといます。
   このような人生は「生きるのが苦しい」のは自然です。
 それはちょうど船底から浸水してだんだん沈みつつある船があって、その船に乗っている乗客のような心細さです。だんだん衰え朽ち果てていく身体。その身体にしがみついて、この身体を第一の頼みにしているものは、ちょうどこの船を頼みにして「沈まないように」としがみついているようなものです。そういう生き方は「生きるのが苦しい」としかいいようはなく、大いなる怖れがつきまといます。  

 しかも、死ぬことも死後も、私にはそれが何であり、どうなるのか全く分からない。不可解の霧におおわれています。そういう死へと向けられている人生。その死へできるだけ引き込まれないようにと肉体のいのちにしがみついている私たち。なんと心細くうっとうしいことでしょうか。  


五、いのちより大事なもの  
 しかるに星野さんは、「いのちより大事なものがあると知った日、生きるのが嬉しかった」という。星野さんはいのちより大事なものにであった。そして初めてその日から「生きるのが嬉しい」と言える人生が始まった。こういえる程の「大事なもの」が見つかった。星野さんは現在キリスト者です。いのちより大事なものという、それはキリストの愛(神の愛)でありましょう。神の愛は星野さんをそういわしめるほどの愛だといわれるのでしょう。  
 私たちの真宗もその点で同じものを「知っています」。佛の「大慈大悲」であります。    法然聖人にこんな話しがあります。聖人在世の頃、比叡山や興福寺の旧仏教側の勢力が、法然聖人の説く念仏の教えを邪説と激しく非難し、あげくに朝廷に取り締まることを訴え、ついにある事件が起こったのをきっかけに厳しい弾圧が法然聖人とその門弟の上に行われました。念仏申すことは禁止され、四人の弟子が処刑され、法然聖人は四国に、親鸞聖人は越後に流されることになりました。そうした念仏禁止の折り、法然聖人が、なお人に念仏を勧めていたのを見て、一人の弟子が聖人に  「このような危険な時に念仏を勧められてはなりません」と申し出たら、聖人は厳しい形相で 「われたとい死刑に行わるとも、このこといわずばあるべからず」 とその申し出をはねかえされました。
   聖人にとって念仏は、たとえ念仏して首をはねられてもかまわないというほどの最高価値であり、そのためにいのちを奪われても悔いないほどの大事なものだったのです。これによって自分の人生の全体が立ち、これによって崩れるほどの重大なものだったのです。それはお弟子の親鸞聖人においても同じでした。  


六、この身が大事とは 
   お念仏は阿弥陀仏の絶対の慈悲そのものです。大慈大悲に出会って、初めて肉体のいのちに勝る尊いものを知るのです。肉体のいのちはむしろこの大慈大悲の真実につかえるものであり、それでこそ大事な体なのです。「仏道の人身」という言葉がありますが、この身は仏道を歩むための身と教えられています。すなわち大慈大悲の真実を頂くための身体として、はじめて身体のいのちも尊いといえるのでしょう。もし、この真実がないなら、なんのために生きているのか、生きている意味は不透明になり、流転するいのちといわざるを得ません。  


七、如来大悲の仰せ
   老いさらばえていくこの身、やがて亡んでいくこの身、不安と思い煩いだらけのこの身、このような身を大悲し、私の永遠の行く末を心配なさって、いまこの身の上に、「汝、念仏申せ」と如来法蔵の仰せが降りかかっています。それは私をおさめとって涅槃の浄土に生まれさせようとて、私どもに念仏を与えてくださるのです。うつろいゆくこの身に念仏の声は、「汝を浄土に生まれさせずばおかない」と寄り添い担いたもう阿弥陀仏のましますことを知らせて下さいます。この佛の大悲に包まれてこそ、私は死んでいけるのです、いな佛のみ国に生まれゆくのであります。この念仏の大慈ありて初めて、老いを受容し、病気に耐えてゆけるのです。  


八、法然聖人の言葉 
   法然聖人は  
 
生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へまいりなん。  とてもかくてもこの身には、思いわづらう事ぞなきと思いぬれば死生ともにわづらいなし   (生きるのは念仏のお徳がますますあらわれることであり、死ぬば浄土に参るのであってみれば、もはや私の身には思いわづらわねばならないことは何もないといただいていますので、死ぬことにも生きることにも、ともに思いわづらうことはありません)

といわれています。  生きると言うことは、念仏の日々を送るということで、念仏のお徳をますます我が身の上にいただくことであり、死ぬということは御浄土に参らせていただけることである、ともに有り難いことであると仰せられています。  


九、大悲のかかっている身  
 お念仏の徳が働く場所がこの身であります。この身は如来様のおん憐れみのかけられている身であり、お念仏の働く場所だからこそ尊いものとして大事にしなければなりません。仏道の為の身であればこそ大事な身なのです。  
 すべての人は、如来の働く場所としての身を頂いているのです。仏教を信じている人だけの身が尊いのではけっしてありません。一切の人の身の上に、如来の大悲真実は働きかけておられます。如来の光明のかかっていない人のいのちはないのです。だから、仏教徒であるとないとにかかわらず、人のいのちは尊いのです。
  正信偈に

「一切群生蒙光照」 (一切の群生は光照を蒙る) 「すべてのいきとしいけるものは阿弥陀仏の光明にてらされている」  

 佛の光に気づいて欲しいと働きづめ、喚びづめであります。佛の光明は、お念仏を我等に与え、浄土に往生せしめようと働きかけてくださっています。この法こそ現在ただ今の我が心を照らす光であります。  
 賢い人には愚かに見えるこの道。その愚かなるものに開かれた光明の道。
 あの良寛様も  
 
愚かなる身こそなかなか嬉しけれ    
弥陀のみ国に生まるとおもえば

  と歌っておられます。
  阿弥陀の大悲のまことにて浄土に生まれる人生と頂く人に  老いと死と 病の果てしみ国より   

 喚ばれ喚ばれて 
  往く旅路かな    
                  (拙歌)

という、肉体の悲しみを超えてゆく道が与えられるのでありましょう。                                               (了)
 

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