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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7-20

愛あるがゆえに憂苦あり

題「愛あるがゆえに憂苦あり」


一,愛ゆえに憂う  
 仏教では「愛」という言葉がしばしば用いられます。一般には「愛」という言葉は、良いイメージで使われています。けれども仏教では、愛という言葉は煩悩としての「執着」を表す場合が多いのです。煩悩としての愛は、欲愛、愛欲、愛執、愛着、のことです。
 『仏説四十二章経』には
「佛いわく、人は愛欲より憂いを生じ、憂いより怖れを生ず」
 と説かれています。この場合の愛欲が「愛」のことで、男女のいわゆる愛欲にとどまらなくて、もっと広い意味での強い愛着をいいます。 さて、愛について次のような話が残されています。 ーーー  

 インドのサーヴァッティ市に釈尊がおられたときのことです。ある男がいました。その男のひとり子が亡くなり、彼は悲しみに打ちひしがれて、仕事も手につかず、食事もノドを通らないほどでした。毎日墓場に行っては「我が子よ、お前はどこにいったのか」とたずねるばかりでした。  
 ある時、ふらふらと釈尊がおられたジェータ林に行き、釈尊の前に座りました。釈尊はその男の悲しみのわけを聞いて、言われました。 「実に愛ゆえに憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、もだえが生まれる」 と。その男はこの釈尊の言葉を喜びませんでした。そしてバクチ仲間のところに行って、彼らに釈尊との会話の内容を語り、釈尊の言われることは理に合わないとなじりました。 
 それに対してバクチの仲間は「お前さんのいうとおりだ。愛ゆえに喜びと楽しみが湧くのであって、悲しみや悩みの生まれるわけがない」と相づちを打ちました。  

 この話しが次第にサーヴァッティ市の王宮の奥まで伝わり、ハシノク王の耳に入りました。王は釈尊のこの言葉を夫人のマーリーに語りました。マーリー夫人は深く仏に帰依していました。夫人は「王よ、もしそれが釈尊の仰せられたことならば、まことにその通りであります」と申しました。王は何となしに納得ができず、うかぬ顔色でした。  
 そこでマーリー夫人は、ナーリーシャンガ・バラモンをつかわして、「実に愛ゆえに憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、もだえが生まれる」の意味を釈尊に問わせました。  
 釈尊はその問いに答えて、 「バラモンよ、かつてこのサーヴァッティ市に、母を亡くして気が狂い、街から街へさまようて、母よ母よとたずねまわった娘がいた。夫よ夫よとたずねまわった夫人もいた。子を亡くして、子をたずねまわった母もいた。仲をさかれようして心中した夫婦もいた。愛ゆえに憂い、悲しみ、苦しみ、もだえがあるのではないか」。  
 バラモンはこの旨を夫人に伝えました。夫人は王のところに行き、
  夫人「王よ、われらの間の一人娘の金剛女を愛しますか」
 王「それはいうまでもない」
 夫人「王よ、その娘に何か変わったことが起こるならば、王は憂いと悲しみがないでありましょうか」
 王「愛する姫に変わったことが起これば、どうして憂いと悲しみに沈まないでおられよう」
 夫人「王よ、王はこの私を愛したもうか」
 王「マーリーよ。それはいうまでもない」
 夫人「王よ、この私に何か変わったことが起こったとすればどういたされますか」
 王「マーリーよ。愛する汝に変事があれば、私は憂いと悲しみに沈むであろう」
 夫人「王よ、これが智者賢者でまします釈尊の申される、『実に愛ゆえに憂い、悲しみ、苦しみ、悩み、もだえが生まれる』の意味であります」
 王「ああ勝れた教えであることよ、マーリーよ。かの釈尊は智慧をもって、ものを貫くように見たもう」  
 王は座を立って、一つの肩に衣をかけ、釈尊のおられる方にむかって、手を合わせ、喜びの声をあげました。「世尊、みほとけに帰命したてまつる」。これを三度くりかえしました。 ーーー

  以上のような物語が残っていますが、「サンユッタ・ニカーヤ」という経典には 「私はこのように聞いた。あるとき釈尊は、サーヴァッティー市で、ジェータ林の園にとどまっておられた。そのとき悪魔が近づいた。近づいてから、釈尊のもとで、この詩句をとなえた。 「子ある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の喜びは、執着するところによって起こる。執着するところのない人は、実に、喜ぶことがない」。 釈尊いわく 「子ある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。人間の憂いは執着するよりどころによって起こる。実に、執着するところのない人は、憂うることがない」。  そこで悪魔は「釈尊はわたしのことを知っておられるのだ。幸せな方はわたしのことを知っておられるのだ」と気づいて、打ちしおれ、憂いに沈み、その場で消え失せた。 とありますが、先ほどの物語と趣旨は同じです。
   このバクチ打ちや悪魔のいう「愛(執)ゆえに喜びや楽しみがある」という考えは現代でも世間一般の考えであり、私たちもこういう考えの中で生きているのではないでしょうか。さまざまな愛するものーーー財産・妻(夫)子、名誉、娯楽などがあればこそ人生は楽しみであり喜びであると思っています。  


二、愛するものも無常なり  
 しかし、そうした物や人は、すべて「無常」なものであります。移り変わります。その移り変わりはかならずしも自分の都合の良いようには変わってくれません。可愛い子であれば、病気になったり、先だって死んだり、反抗して家を出たり、することがあります。    そういう時、愛すれば愛するほど悲しみや嘆きは大きいのです。
 親が我が子を愛する愛には愛執の煩悩が根を張っています。それが親の「憂苦」のもとになると釈尊は仰せられるのだと思います。もし、この子供がまったくのアカの他人であれば、嘆きや悲しみは当然極く少なくなります。何故でしょうか。それは、他人の子を、私がそう愛着していないからです。
 我が子は可愛いけれども他人の子はそう可愛いとも思わないという、そういう愛は純粋な愛(慈悲)とは違い、そこには煩悩が根にあります。  


三、愛の諸相  
 たとえば、真剣に結婚したいほど愛している異性が、他の人と婚約すれば、そのもだえは大きいにちがいありません。その嘆きは相手が他の人との婚約によって起こったのでしょうが、しかし嘆きの元は「彼(彼女)愛した」からです。財産が減ると悲しいのは何故でしょうか。財産に愛着しているからです。
 人から悪くいわれたり、見下げられたりするとなぜ気分が悪いのでしょうか。それは自分が可愛いからではないでしょうか。 大事にしている盆栽が枯れると嘆きが起こります。それは盆栽を「愛好している」からです。   

 大小さまざまなものの中で一番愛しているものは、何でしょうか。それは私自身です。他人が老化していくのは淋しくはありませんが、この私が老化していくのは悲しみです。それは我が身に執着しているからです。私の死ぬことを嫌に思うのは我が身を愛しているからです。  


四、愛と憎しみは裏表  
 このように、愛するもの、愛好するもの、執着するものをもつことは、喜びであり楽しみであると思うけれども、反面その愛するものが自分の都合の悪い方に変化すると一転して悲しみや苦しみになります。しかも、自分の愛するもの、愛好するもの、愛着するものを壊したり、奪ったりするものに対しては、それを怒ったり、憎んだり、うらんだりします。不況を嫌い、病気を憎み、商売敵を恨み、死を嫌悪します。  
 憎しみや怒りは、欲愛の裏返しです。正信偈に、私どもの煩悩を「貪愛瞋憎之雲霧」(貪愛瞋憎の雲霧)といわれて、凡夫の心を雲や霧のように、むさぼりや愛やいかりや憎しみの心が覆っていると述べられています。  


五、我が身の姿を知る  
 このような仏語に照らしてみると、自分の嘆きや悲しみの源は自分の「愛執の深さ」から来ていることに驚きます。
 しかも困ったことにその愛執を離れることができないのが、我が身の現実です。  
 仏の言葉によって、貪愛の煩悩を深く抱えている身であることを痛感させられます。 真宗の教えは、まずは、自分が如何に「愛」の心の深いものであるかを知れといわれるのです。本願といわれ、浄土といわれ、お念仏といわれるものも、このような貪愛の離れ得ない苦悩の我が身を悲痛したもう阿弥陀仏の慈悲から起されたのでありましょう。

 なお付言しますと、純粋な愛情のことを仏教では「慈悲」と申します。それは親が自分の子だけを特に可愛がるような愛ではなくて、人をわけへだてせず、平等に慈愛するものです。阿弥陀仏の慈悲は万人を平等に慈愛する徳であります。                                  
                     (了)        



  「真宗聖典講座」
  『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(源空)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり』                (歎異鈔第二章)   〈 第一講 〉  


一、第二章の背景   
 関東のお弟子たちが命がけで、京都におられた親鸞聖人のもとを訪ね、「往生極楽の道」を尋ねられました。そのときの聖人のお答えがここに集約されています。聖人八十五才ごろといわれています。命がけの問いであり、もう二度と会うことのできない人たちへの聖人の言葉は、非常なる緊迫した状況の中で語られました。聞く人の運命を、聖人の言葉によって浄土に導くか、それとも闇に落ちてゆくかがここで決まるほどの、瀬戸際での聖人のお答えが歎異鈔第二章であり、その中でこのお言葉は核となるものです。  
 それゆえ私たちが「真宗の信心とはなにか」を問題にした時、それがここに極めて明確に表わされています。かって、佐々木蓮麿師が「親鸞聖人が現代にお出ましになったらどうおっしゃるか。それははっきりしている。歎異鈔の第二章に、親鸞におきてはと語られ、別の子細なきなりといわれる。このほかに私の言いたいことはないと明言されている。だから現代にお出ましになっても、このお言葉を仰せられるに違いない」と申されたのを何度かお聞きしました。  
 では、真宗の信心というのはどういうものでしょうか。聖人のこのお言葉を手がかりに学びたいと思います。  まず、真宗の信心は「善き人の仰せを信じる」信心であります。  


二、信心の諸相  
 世の中の信心には、
一、聖職者から神のことを聞いて、超越的な神をイメージし「神が私を創造し、私を愛し、私を護り、私を導いて下さる」と、そのようにイメージした神を信じる。
二、「題目には無量の功徳があり、この題目を毎日唱えて行くと、題目にこもる功徳が生活の上に現れ、大きな御利益が与えられ、ついには悟りにも至る。」という言葉を信じて、それを実行して功徳を得て救われようとする。
三、素朴に、あそこの観音様は霊験あらたかだから、お参りして功徳をもらいたいというように、佛・菩薩の神秘的な力を信じて、おまいりする。この場合、観音様がお稲荷さんでもお不動さんでもお宮さんでも地蔵さんでも、そう問題ではないというような信心。 四、宗教的な道理や論理を信じる信心。  

 一については、カトリックなどでは聖書の中に描かれたイエスの愛の行為を心にイメージして、それを静かに憶念し、神の愛を信じ受け入れるようにするそうです。イメージした愛の神をそのとおりに受け入れていくという信心のようであります。  
 二は、日蓮系の仏教の場合に顕著です。「題目を唱えれば功徳あり」と先達からの教えを信じて、そのように題目を唱える行に励むというのです。この場合の信心は先達の言葉を信じることによるのですが、信心は行をおこなう前提であり、信じた時に即座に救われるのではありません。功徳は行の実践から現れるというのです。  
 三の信心は一般によくみられるものです。神や仏の神秘的な超能力を信じ、その力にすがって「おかげをいただこう」という素朴な信心です。  
 四、仏教でいう因縁の道理や縁起の道理などを信じる信心です。てみじかにいえば「私は空気や水や食べ物や周りの人の恵みによって生きている。これらによって私は生かされていることは間違いがない」という道理を信じる信心などです。  

 まだほかに信心の形態はあると思いますが、主なものをあげてみました。  


三、真宗の信心と他の信心  
 これに対し、真宗の信心は、善き人の仰せ(本願のみ言葉)を信じる信心で、しかも信じたその時に救いが成立するのです。それを「信心ひとつで助かる」と、古来言われてきました。  
 心の中に受け取った神仏のイメージを堅く信じるのでもなければ、先達の言葉を信じてから行を持続的に行ずることによって初めて救われるというのでもありません。いわんや、漠然と神仏の霊験を信じるというのでもありません。  
 「空気や水や植物などのいろいろな条件によって生かされている私」などということは、道理として分かりやすく、信じやすいのですが、真宗の信心そのものとはいえません。こうした自覚や信心は、浄土三部経にも説かれず、法然・親鸞両聖人のお言葉の中にもありません。  
 それは道理としては正しくても、私の知性を根拠した自覚や信心になりやすいのです。私の知性が「その通りだ」と納得した上でのものです。だから、私の知性が基になり、真偽の基準になっています。道理や論理に依存している信心は、それを否定したり、ゆるがす論理があらわれるとゆるぎます。たとえば「仏に生かされているのではない、大自然の物質的な力に生かされているだけである」という反論もあり得るからです。  


四、善き人  
 そのように善き人の仰せを信じる一念(一瞬)に、救いが成就するという真宗の信心ですが、「善き人の仰せ」とは何でしょうか。  この聖人のお言葉の「善き人」とは直接的には法然聖人です。親鸞聖人にとって、なぜ法然聖人が善き人なのでしょうか。法然聖人が親鸞聖人に仏教学を教えて下さったからでしょうか。あるいは、戒律を授けて下さったからでしょうか。あるいは生活の面倒を見て下さったからでしょうか。そうではありません。  
 そうではなく、阿弥陀仏の絶対の救済のみ言葉を自らも信じて救われ、また親鸞聖人にそれを語られたからです。その言葉を信じるばかりで永遠に救われるような、そういう仏の言葉をハッキリと語られた、それが法然聖人でした。  
 それは単に「この道を歩んで行きなさい。そうすれば救われるでしょう」というような、ただ方向を指し示すだけというものではありません。そういう救われる方向を指示する人としての「善き人」は、まだ十全な意味での善き人ではありません。  
 善き人の善き人たるゆえんは、今ここでの絶対の救済を告げ知らせる人だからです。要するに阿弥陀仏の救いの言葉を取り次がれた人であるから、善き人なのです。  

 私たちにとっても同じです。私の人生において、善き人とは、私が真に救われる言葉を語ってくださる人です。それは必ずしも僧侶や思想家や学者とはかぎりません。名もなき在家の一念仏者であることも十分あります。逆に肩書きは仏教専門の「大学教授」であっても、その人が仏の救いの言葉を取り次いで下さるとは限りません。  


五、知りそうもなき者が知る
 蓮如上人御一代記聞書(一六六)には  
 「蓮如上人、折おり仰せられ候う。仏法の義をばよくよく人に問え、物をば人によく問いもうせのよし仰せられ候う。だれに問いもうすべきよしうかがひもうしければ、仏法だにもあらば、上下をいわず問うべし、仏法はしりそうもなきものが知るぞと仰せられ候う、と云云。」 (蓮如上人がおりおり仰せられた。「仏法のわけがらについては、くわしく人に問うがよい。何事でも、わからないことは、くわしく人に問いたずねるがよいものぞ」と仰せられた。
 そこで、「誰に問えばよろしゅうございましょうか」とうかごうたところ、「仏法を心得たものでさえあれば、身分の上下にかかわりなく問うがよい。とかく仏法というものは、知りそうもないものがかえって知っているものであるぞ」 と仰せられたということである。)

と出ていますが、現代もこのことは変わらないように思います。  
 さて、親鸞聖人にとってまさに善き人は法然聖人でした。法然聖人はご自分の編み出した思想や特殊な宗教体験を語られたのではありません。  法然聖人は、佛の救いの言葉すなわち「仏語」を述べられたのです。何度ももうしますがそれゆえに法然聖人は「善き人」なのです。   


六、善導の本願理解  
 そして法然聖人にとって善き人は、中国の唐の時代に活躍された善導大師でした。善導大師が仏説無量寿経から聞かれた「佛の言葉」、その言葉を善導大師は、「観経疏」とか「往生礼讃」などの著作に阿弥陀仏の救済の言葉として、伝えてくださいました。  
 その阿弥陀仏の救済の言葉を端的に表されたのが、古来「若我の本願」といわれたり、あるいは「本願加減の文」といわれる御文です。その御文は 「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称して、下十声にいたるまで、もし生まれずは正覚を取らじ。」(往生礼讃) というものです。 (もし私が仏になるときに、あらゆる方角の生きとし生けるものが、私の名南無阿弥陀仏を、たった十辺でも称えるものを、もし浄土に生まれさせることができないようなら、私は仏の悟りを完成しない。)
   この言葉は、仏説無量寿経の第十八願の思し召しを善導大師が明示されたものです。阿弥陀仏の万人を救う道は、言葉は、真実は、「ここにあり」と、ハッキリと私どもの前に示されたのです。そして、この阿弥陀仏の本願が、すでに私どもの上に成就して、この本願の内容のごとく働いていることをあらわされました。それはこの「若我の本願」の文に続けて、 「かの仏いま現にましまして成仏したまえり。まさに知るべし。本誓重願むなしからず、衆生称念すればかならず往生することを得」(往生礼讃) (上のように誓った法蔵菩薩は、永劫の修行をすでに完成して阿弥陀仏と成っておられる。法蔵菩薩の時の誓いは空しくなったのではない。誓いの通りに今や働いておられる。されば信ずべし、我等念仏申せば仏の誓いにて必ず浄土に生まれることができることを) と述べられています。  


七、絶対の救済  
 この善導大師の一連の言葉は、まさに人間最後の救いを告げる驚くべき言葉ではありませんか。この言葉の前にはすべての言葉が色あせるように感じられます。  
 若我の本願はまさに「我が名を称えよ、汝の浄土往生は弥陀がすべて受け持つ」との阿弥陀仏の大悲の誓いであります。この若我の本願に法然聖人は「身の毛いよだつ」ほどに感動したのでした。いずれの修行も「できず」、いかに思案工夫すれども「分からず」、進むことも、引き返すこともならず、暗黒の死が刻々と身に迫りつつある身。八方ふさがった法然や親鸞。自分の側の思いや考えや信心や自覚などはチリほども救いの役には立たない。  
 そういう身に、今「汝の力ではどうすることもできない。ただ我が名を称えよ、汝のすべてを引き受ける」との阿弥陀の仰せ。その仰せの前に、もはやかれこれ理屈を言う余地はありません。あまりの有難さにただ念仏するほかに何もないのでありました。ただ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、それだけで全く満たされたのであります。

   親鸞聖人は、法然聖人から、善導大師の若我の本願のいわれを直接に聞きました。それを今、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと善き人(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」と関東のお弟子に告白されたのでした。 
   若き日、法然聖人のお膝元で聞き、聞こえたこの一語が聖人の生涯を貫いて、今関東のお弟子えの最後の言葉、決定的な一語として語られたのでした。そのすさまじいばかりの迫力を聖人の上に感じ、またこの言葉に自らの信心を決定したのが他ならぬ歎異鈔の著者の唯円だったと思います。でなければ、この第二章のような文はとても書けるものではないと思います。                                                                       (了)  
 

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