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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7-20

ある姉妹

題「ある姉妹」


一、涅槃経の話  
 親鸞聖人がずいぶん尊ばれた「涅槃経」という経典のなかに、面白いお話があります。以下、山口益編「仏教聖典(現代語訳)」からその話を引用します。(一〇四二頁)
ーーー仏陀は弟子の迦葉(かしょう)に告げた。 「容姿端麗で美しくきかざった一人の女性がある家を訪れた。その家の主が、 『汝の名は何というか』 と尋ねると、 『私は功徳大天という者です』 と答えた。 『ではどこへ行ってなにをしようとするのか』 と尋ねると、 『私は行くさきざきどのような処にも財宝を与えてまわるのです』 という。主人はこれを聞いて大いに喜び焼香・散華して歓迎した。  
 しばらくして今度は、一人の姿形がいかにも醜陋(しゅうろう)で、衣服はやぶれてアカにそまり、皮膚にはシワがよった青白い女性が、門の外にやってきた。名を聞けば、 『黒闇という者です』 という。 『なぜに黒闇という名がついているか』 と尋ねると、 『私は行くさきざきどこでも、その家の財宝のすべてを衰滅させるからです』 と答えた。主人はこれを聞いてただちに刀をふりあげ、 『汝、ただちに去れ、去らなければ汝のいのちを断つぞ』 と命じたが、その女性は答えて言った。 『あなたははなはだ愚かで智恵がないと言わねばなりません。あなたの家の中に今いるのは私の姉でありまして、私は常に姉と行動を共にしております。あなたが私を追い出されるならば、姉も追い出されることになりましょう。』    

 主人は驚いて引き返し、家へ入って功徳天に対して 『外に一人の女がいて汝の妹だと言っているがどうか』 と尋ねると、功徳天は答えて言った。 『たしかに私の妹です。私はこの妹と行動を共にしており、かって離れたことはありません。どこにいっても、私は常に好いことをし、妹は常に悪いことをします。私は常にそこのために利益となることをし、妹はそこを衰損させます。もし私を愛されるならば、妹も愛していただかねばなりません。もし私を尊敬して下さるならば、妹も尊敬していただかねばなりません。』  
 主人はこれを聞き、 『そのような者ならばどちらにも用はない。勝手に去るがよい』 と言って追い出した。」 涅槃経のこの話は、人生における禍福の真相と、真の人生の処し方を巧みなたとえで語られていると思います。  


二、徐厄招福の姿  
 功徳天とは、福の神であり、黒闇女は貧乏神でありましょう。いわば福と禍といえましょう。愚かな主人とは、迷える凡夫のことで私たちのことです。この主人が福の神は歓迎するが、貧乏神は追い払おうとしています。これは古代インドの話ではなく、今でも私たちは相も変わらずやっています。いわゆる「除厄招福」で、厄はこれを追い払おうとし、福は喜んで招き入れようとします。「鬼は外、福は内」の姿です。世間で盛んに行われている神仏への祈願の姿は、「福の神よ我が家え来たれ、貧乏神はよそえ行け」と祈っている場合が多いのではないでしょうか。その貧乏神がどこの家に入るかは無関心、ただ我が家さえこなければよいかのように。こうした私たちの願望のなかに利己心、功利心、自分勝手な心が内在しているといえましょう。よく玄関に「厄よけ」のお札を貼ってありますが、これがこの物語の愚かな主人の姿ではないでしょうか。ここに人間の迷妄が端的に表れているように思います。  


三、福と禍いは切り離せない  
 さて、この物語では、愚かな男によって追い払われようとした醜い女性(貧乏神)が「福の神は私の姉であって、私はいつも一緒にいて行動しています」と答えるところが意味深長であります。これは、福と禍とは切り離せないものであり、木の葉の裏表のごとく一体なものであることをあらわしているのだと思います。福が来ているところには禍がすでに裏に必ずくっついているのです。ですから木の葉の表(福)だけを握って、裏(災厄)を切り捨てるわけにはいかないのです。  
 有名な良寛和尚の辞世の句といわれる「裏をみせ 表をみせて 散るもみじ」というのがあります。  
 この句は人生のありのままの姿を読まれたものと理解したいと思います。生まれて死んでいく、つかの間の人生の姿は、まさに木の葉が木の枝から離れて地上に達するまでのつかの間のこと。その間、裏を見せ表を見せるように、私たちの人生は禍福が始終入れ替わります。晴れる日もあれば曇る日もあります。人生はまさに、木の葉がある時は裏を見せ、ある時は表を見せて、散ってゆくようなものです。表(福)だけ見せておりたいと願っても、変化してやまない無常の世のことです、無常の風は「おもいのままに吹く」のです。決して私の願望どうりには吹いてくれません。裏(禍)になることも少なくありません。
  様々な縁によって、木の葉は裏を見せたり、表を見せたりしながら、散ってゆきます。 生まれると「めでたい」といい、死ぬ時は「ご不幸で」という、これ裏表。「健康で幸せだ」は、「病気で不幸だ」と裏表。「景気がよくて結構だ」は「景気悪くて困る」と裏表。「勝って嬉しい」は「負けて悔しい」と裏表。「ほめられて嬉しい」は「けなされて悔しい」と裏表。「得して嬉しい」は「損して悲しい」と裏表。  

 功徳天(表)を愛し喜び、黒闇女(裏)を嫌い憎む愚かな主人の生き様は、悲喜苦楽を繰り返す不安な流転の人生でしかありません。たとえ、表がつづいているといっても、それはたまたまであって、いつでも裏にひっくり返す風は吹くのです。だから表であっても不安です。おびえをまぬがれません。  
 福と禍とは一体ですから、世間の幸福を追っかける人は同時に不幸に追っかけられる人です。福だけをつかもうとする人は、同時に災禍につかまれる人です。愚かな主人のように功徳天だけをつかもうとしても、黒闇女を同時につかまざるを得ないのです。  


四、禍福ともに受容する  
 さて、功徳天は最後に「もし私を愛されるならば、妹も愛していただかねばなりません。もし私を尊敬して下さるならば、妹も尊敬していただかねばなりません」と言います。これはどういう意味なのでしょうか。
 私たちは愚かな主人のように、功徳天(福)を愛し、黒闇女(禍い)を憎んでいます。そしてもっぱら功徳天だけを求める生き方は人生の道理に暗い生き方であって、いつまでも苦楽流転をまぬがれません。ではどうしたらいいのでしょうか。そこに仏の道が説かれているのです。仏教は「生死をこえる道」といわれてきました。生死とは禍福といってもいいわけです。生を愛し死を憎む、福を愛し禍を嫌うというような、どちらか一方を貪愛し、一方を瞋憎するのではなく、両方を共に超えていくのが仏道であります。自分にとって都合の良いものを貪りもせず、都合の悪いものを嫌悪もしないという道です。このことを功徳天は「私を愛するなら、妹も愛していただかねばなりません。私を尊敬するなら妹も尊敬していただかねばなりません」と言ったのでしょう。  
 「晴れてよし曇りてもよし富士の山」という歌があります。この歌は晴れた日の富士(福)も結構、曇った日の富士(禍)も結構という心境を歌ったものどと思います。禅宗では「日々これ好日」という言葉でよくあらわされます。思い通りにいった日も「よき日」、思い通りに行かなかった日も「よき日」と受け取れる生き方をいうのでしょう。また「生きてよし死してよし」という言葉もあります。私たちは、生きているのは幸せでよい、死ぬのは不幸と受け取ってしか生きておりません。しかし、本当の平安は「生きていることも結構、死んでいくことも結構」と受け取れる世界にのみあると思います。そういうように生死を超える道に入ることが仏道であります。さきほどの良寛さまの句も、木の葉が裏を見せ表を見せる人生を超越し達観した境涯から読んだ句なのではないでしょうか。  


五、転悪成善の益  
 けれどもこれらの禅的な言葉によって表される境界はまさに人生の達人の境地であって、凡夫が容易に近づけるものではないように感じられます。良寛様のような厳しい修行の暁に味わえる境地だと思います。  
 けれども真宗の教えが仏法である限り、「禍福ともによし」と受け取れる智慧に連なるものがどこかになければ仏法とはいえません。お念仏が開く人生もやはりこの一点を、愚かな凡夫に与えようとするものです。特別な修行もなしえず、愛と憎しみの煩悩に振りまわされてしか生きられない愚かな凡夫の生活の上に「日々これ好日」と言える領域がほのかなりともいただけるお徳を与えて下さるのがお念仏でありましょう。親鸞聖人が「教行信証」の行の巻に 「しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず」 といわれたのは、この風光であります。このご文は「阿弥陀仏の大悲の本願のお力に乗せられて、光明に照らされての人生は、お念仏の徳によって、我が身に次々と降りかかってくる災禍を功徳と転じてくださる」の意味でしょう。またお念仏をいただく人のうえには「転悪成善の益」が与えられると申されております。お念仏は悪を転じて善となしてくださる。悪は広い意味で難儀なことといっていいでしょうし、善は「よき事」と理解していいでしょう。不幸としか言えないような出来事を、にもかかわらず「善きこと」と受け取り直せる利益を転悪成善の益といってもいいのでしょう。
 転じるとは、意味が変わるということです。お念仏をいただいたら病気が直るということではありません。病気が如来大悲をますます感じる尊い佛縁となってくださるという意味に変わるということです。ですから病気をいたずらに不幸と嘆いたり落胆したりするのではなくて、病気を念仏助縁として受容していける智慧をお念仏にたまわるのです。死ぬということも、念仏したら延命させてもらえるということではありません。お念仏をいただくと、死ぬということが「浄土往生」というめでたい意味としていただける智慧をたまわるのです。  ですから、禅の達人のように「生きてよし死んでよし」と胸張っていう必要はありませんが、しかしこの境地を煩悩具足の凡夫にもかかわらず、うなずかしていただける徳をお念仏は与えてくださるのであります。                                    (了)    
「真宗聖典講座」
『親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(源空)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり』          (歎異鈔第二章)    


(第三講)  
一、親鸞聖人の信仰告白  
 先月号の第二講では、アミダ仏が本願を起こされたいわれ(理由)を、四十八願の根本である第十八願についてたずねました。そして中国唐代の善導大師はこの第十八願のお心を「若我の本願」として、凡夫救済の思し召しを明瞭に表されました。若我の本願とは 「若し我れ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」 (訳ーーもしこの法蔵菩薩が仏となる暁に、十方の衆生が、たった十声なりとも私の名である南無阿弥陀仏を称えて、浄土に生まれることができないようならこの法蔵自身も仏の座にはつかない) であります。これを法然聖人は「念仏往生の願」と申され、一生涯、この願が万人を救うアミダ仏の救いであることをお説きになりました。親鸞聖人に対して「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と申されたのは、この念仏往生の誓願の思し召しであります。  
 聖人は八十歳を過ぎた頃、このお心を明確に関東のご門弟に表白されたのが歎異鈔のこのお言葉です。私たちは、この聖人のハッキリとしたご教示をおろそかにしてはならないと思います。  
 幼き日母と死別し、九歳で比叡山に登り、二十年間仏教の学問と修行に励まれ、比叡山の仏教にては光を見いだせない自分をかかえて二十九歳の時、法然聖人の下に入られて、念仏往生の救済にあずかられました。その後越後に流罪となり、関東に行かれて教化され、六十歳頃京都に戻られ、さらに二十年ほども立って、ここで「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と語られていますが、ここに、聖人の尊くも苦難の生涯の結論がこもっていると思います。それほど重い一言なのです。今日、真宗の教えの根本が不透明になりつつあることを感じますが、それは聖人が全存在をかけたこうしたお言葉を軽んじるところから起こるのではないでしょうか。  


二、名号選択の理由  
 さて今回は、「称我名号」の一句に迫ってみたいと思います。アミダ仏は私どもに「我が名号を称えよ」と願い、「もし生まれず正覚を取らじ」と誓われました。すなわち「我が名を称えよ」と仰せられ、称名念仏をもって浄土に生まれさせると誓われました。すなわち称名念仏ーーー南無阿弥陀仏の名号を称える念仏ーーーを浄土往生の行と定められました。    なぜでしょうか。この問題を深く考えられたのが法然聖人です。それは法然様の「選択集」の中の「本願章」に詳しく述べられています。 それによりますと、 「なんがゆえぞ、第十八の願に、一切の諸行を選捨して、ただひとえに念仏一行を選取して往生の本願となしたもうや」 という問いが立てられています。この問いの意味は「第十八願には、念仏一行以外の一切のほかの行を捨てて、ただ称名念仏の一行だけを選び取って、念仏申す者を浄土に往生させようという誓いを立てられたのはどういう理由があるのか」ということです。  

 この問いに対して法然聖人は、仏様のお心を推測することは、凡夫の私にはとうてい測りがたい。けれども試みに思い測ってみようといわれ、それは二つの理由が考えられると。  
 一つは、南無阿弥陀仏の名号は仏の徳がすべてこもっている、それに対して念仏以外の行は一部の徳しか含んでいない、と。この点について親鸞聖人はさらに深く展開されますが、後日稿を改めたいと思います。    
 二つ目の理由は、念仏は修し易く、ほかの行は修し難い。修し易いゆえ、念仏の行をもって浄土に正しく生まれることの定まる行(正定業)と法蔵菩薩は決められたのであると。お念仏は、ナムアミダブツと発音するだけの行いですから、いつでもどこでもだれでもおこなえる行(ぎょう)です。  
 
それに比べて、座禅の行などは、病人や幼児はできません。また歩いているときや食事の時にはできません。戒律をたもつ行を行うことは容易ではありません。殺生をしてはいけない。午後から食事をしてはいけない。歌舞を見てはいけない。このような戒律を保つことは難しいことです。寺を建てることは功徳ある行であっても、貧しい人はできません。智慧を持つことを往生の行にするなら愚かな者は往生できません、などなど。一般に宗教における修行はどれ取ってみても、それを行いまた持続することは容易ではありません。少数の限られた人しかできません。  
 それに対して、称名念仏はどんな人でも、善悪・賢愚・老少・男女を問わず、いつでもどこでも行うことができ、また持続しやすいのです。  


三、一切衆生平等往生を実現するために  
 ですから法蔵菩薩は、一切の衆生を平等にもれなく救うためには、何を浄土に生まれる行にしたらよいかを長々と考え巡らされて、称名念仏の一行を選び定められたのでした。それは、一切衆生平等往生の願いを実現するためでした。最低最悪の人までが救われる行を選ぶことによって万人を救おうとされたのです。ちょうど、何段もの重箱を持つためには、一番下を持たなければ重箱全体を持ちあげることができない。そのように衆生の全体を救うためには、最悪最下の人までも救う法でなくては、一切衆生を救えないのです。    いま念仏は「極悪最下の人のために極善最上の法」(選択集)といわれます。アミダ仏は、一切衆生を平等に浄土に往生せしめる行として、だれでもなしえる称名念仏を選び取り、しかも十声なり一声なりともといわれて、念仏の数を定められないのです。もし念仏を千回称える者を救うという誓いなら、臨終さし迫った者は称えられずに死んでしまう事になりかねません。  
 このような趣旨を法然聖人は詳しく選択集にお述べになっておられます。  


四、悪業の身を知らされて  
 以上のように「ただ念仏するばかりでタスケル」と仰せられるアミダ仏のお心は、万人を見捨てないという広大きわまりない慈悲を表しているのです。そこまでも哀れみ深いアミダの大悲なればこそ、「地獄は一定すみかの悪人親鸞もアミダのお助けにあずからせていただけるのである。かたじけない」というのが宗祖聖人のお気持ちではないでしょうか。極悪最下の人のための南無阿弥陀仏、その極悪最下とはこの親鸞であると受け取っておられるのです。歎異鈔の後序に聖人が「それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」とご述懐なされていますが、それほどの業とは「〈汝、親鸞よ、我が名を称えよ。助けるぞ〉と、下の下にくだってこの親鸞を救おうとされる、そう仰せられないほどの悪業の深重な親鸞である」と感知されているのではないでしょうか。  


五、自力念仏の行者とは  
 法然聖人は、本願念仏のアミダ佛の慈悲をお説きになりましたが、しかしながらそこに表されているアミダの全き大悲に気ずかず、形だけを受け取る人が多く出ました。これは無理からぬことでもありました。念仏往生の本願を聴いて、「座禅や、戒律や学問などは難しいが念仏称えることは易しい。念仏を称えさえすればアミダ仏は浄土に生まれさせて下さるナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と、このように了解して念仏に励んで行こうとした人々がたくさん出ました。「難しい行をしなくても、易しい念仏を称えるだけで浄土に生まれれる、これはありがたい」ということで念仏に励んで行った人が多いのです。いわば、如来の広大な大悲に気づかず、「念仏称えますからお助け下さい」となったのです。これを自力念仏の行者と親鸞聖人は申されます。  
 法然聖人や親鸞聖人のような精神的窮地に陥っていない者が「我が名を称えよ」という本願を聴くと、とかく、「称えさえすれば」という風に受け取ってしまいます。この点は今の時代も同じです。
   歎異鈔でも親鸞聖人は「念仏しなさい助けられるから」とは仰せられていません。「念仏して弥陀に助けられよ」と仰せ下さっています。「弥陀に助けられよ」が重大なことなのです。私が助かるのは、私が称える念仏によってではありません。私の称える念仏のチリばかりもお助けの役に立つのではありません。徹底的に「弥陀に助けられる」ほかに我が身は助からないのです。私が念仏して、その称えた功徳が私の救いに間に合うのでは全くありません。私が救われるのは全面的に阿弥陀仏が「汝をタスケル」という大悲の決定によってであります。自力の念仏の人は、この点を見失っています。私が念仏称えることによって、救われる手がかりができるように思っています。  


六、無条件の救済  
 「我が名を称えよ、かならずタスケル」とのアミダの仰せは「称えたらタスケル、称えなかったらタスケナイ」という意味ではありません。「必ずタスケルことに条件のないこと」「無条件で救う」という絶対救済の大悲を表わさんがために「我が名を称えよ」と仰せられるのであります。「そのままなりのお助け」ということを「我が名を称えよ。必ず助ける」と表されるのです。  
 故木村無相先生は、このことを大変有り難く受け取られました。先生は晩年、信心の問題で、いま一つすっきりしないでおられました。そんなとき、香樹院師の次の物語に非常に感激されたのです。この話は「我が名を称えよ」という一語がいかに深く人間精神の底までを照らすものであるかを語っています。  
『江州長浜のサダ女、香樹院師にしたがい、聞いても聞いても疑いが晴れず、加賀までしたがい行きしが、香樹院師サダ女に曰く 「雪もふり寒くもなるゆえ、もう帰れ」。 サダ女曰く 「私はどうも信ぜられませぬ、疑いが晴れませぬ、聞こえませぬが、如何いたしましょう」。 師曰く「そのまま称えるばかりでお助け、その外に何もいらぬぞ」』
 木村先生はこの話に非常に感銘し、私にこの話の有り難いことを何度も手紙に書いてこられました。それ以後、先生の信心は非常に深まったのを私も感じました。それは先生が七十五才頃だったと思います。  
 信仰問題は最後どこにくるか。このサダ女の問題にまで来ると思います。私たちは、真宗思想や真宗教義や真宗心理学的な話を聴いて、頭で受け取っているだけで、そこに腰を下ろしている場合が多いと思います。しかし、正直に自分の心を見つめたとき、頭では分かったことにしていますが、仏のまことがちっとも自分に根づいていないことに大いに嘆かざるをえないのです。何年聴聞に励んでも「ちっとも聞いていない。聞こえていない私」にぶつかるのです。この「なんともない心」「まったく鉄のさびたような心」いわゆる「一闡提(せんだい)の心」にコロが落ち込むように、信仰問題はそこへ帰着するのです。このカベにぶつかったとき、サダ女の「信じられませぬ、疑いが晴れませぬ、聞こえませぬが、如何いたしましょう」の問いとなるのです。
   宗教の問題は人間のあらゆる問題の究極の問題でありますし、人間の心の最も深いところから起こってくる問題であります。宗教の問題は信仰問題ですが、この信仰問題の最後にぶつかる問題が疑惑のカベであります。人間の最も根元のこのカベを、すでに見通されておられるのがアミダ仏でありました。「そのまま称えるばかりでよい。その外になにもいらぬぞ」との仰せは、私の心の、私の計らいのチリばかりも関係のない絶対の救いがここに宣言されているのです。深海の底に届いている光のように、人間の心の闇の底にまで及んでいる大悲に驚かざるを得ないのです。「我が名を称えよ」とはなんたる大悲の深さよと驚嘆せずにはおれないのであります。                                                (了)  
 

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