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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7−20

判断のモノサシ

   講題「判断のモノサシ」  

 人が生きていくということは、毎日毎時、判断し、選択して行為していくことをまぬがれません。  
 朝起きて、顔を洗い、勤行をし、ご飯をいただき、出勤するというような繰り返しの生活でも、判断と選択その都度を自然にしています。朝少しでも寝坊したいと判断し、勤行も朝食も、時によると顔も洗わないで、出かけるギリギリまで布団に入っていることも出来ますし、また人によれば、朝早く起きて、ジョギングして、庭の花に水をやって、勤行・朝食をし、ゆとりをもって出勤する人もいます。あるいは退社後、帰宅途中必ず赤提灯で一杯やって帰宅する人もあれば、退社後、わき目もふらずに帰宅する人もいます。

 このように、どう判断し、どのように自分の行動を選んでいくかはその人自身がそのつど判断し、決めなければなりません。普通は、同じ様なことを繰り返していますから、あまり意識しないだけのことです。
 問題は、自分の行いを決める時、何に基づいて判断をしているかということです。
 多くの場合、快適か不快か、損か得か、世間からどうみられるか、ということで判断しているのではないでしょうか。  電車に乗って、坐るか立つかを判断するのは、坐る方が快適であると思えばこそ、座る方を選ぶのでしょう。物を売り買いするときは、損か得かが判断の大きな基準となっています。  さらには、世間から自分(たち)がどう見られるか、そして、できるだけ周りの人から非難されないように後ろ指さされないようにと、配慮し判断しています。

 私たちは煩悩具足の凡夫ですから、聖者や賢者のような生活は到底できません。けれどもただ快不快、損得、世間の目といったものをモノサシとしての生き方には私たちは心からの満足はないのではないでしょうか。  一方、真実まこととかまことの道理、あるいは正義というものが判断のモノサシとして生きるような生き方が身についていくということはとても難しいことですが、しかし、真実に生きたいという願いを持ち続けることはできると思います。
 それは真宗門徒の生活についていえば、物事の判断をするときは阿弥陀様のお心に照らし、阿弥陀様のお心にそって判断し決定するということであります。
 こういうことは宿業の凡夫にはなかなかできるものではありません。しかし、お念仏に生きる人は、阿弥陀様のおこころに少しなりともそって生きたいものだという願いは持ち続けたいものです。

  阿弥陀佛のお心に従っての判断と決定ということでは、源左同行の言行は、ことに教えられます。言行録には次のような話が伝えられています。  『一人の女が田の草を取っている。アゼで赤ん坊が声をあげて泣いている。
これを見た源左さん 「ヤヤも泣いとるに、早う乳のまして、いんでやったらええ』。
女『これだけは取っておかぬと、あした困るから、もう一寸、もう一寸と思ってやっとるだ』。
源左『よしよし、それじゃ、おらが代わりにその草を取るから、早う乳のまして、いんなはれ』。 そういって源左は草を取り始めた。
女『そうしてもらえば助かるがや。そんなら、おじいさん、あとたのむけんなあ』。 暗くなって心配して家の者が探しにくると、しきりに草を取っている。 『おじいさん、他人の田圃の草まで取らんでもええがなあ』。
源左『そんなに気の小さいことをいわんでもええ。仏さんのお心の中には、おらげの、他人げのって区別はないだけのう』。そういって取り終わってから家にもどった。」  

こういう話が残っています。このような源左さんの生き方は容易にマネのできるものではありません。
 しかし仏のお心に従って判断を選択をする、そういうところに人間生活のまことの輝きがあり、願われているものがあることを私たちはこころすべきであろうと思います。    

 こんな話もあります。 「またある時、源左、安岡安藏氏から帽子をもらった。しかし、いつか途中でなくしてしまった。
源左『ええ帽子だけえ、拾った者は喜ぶだけえなあ。まあよかったいなあ、ええ帽子だったで』と、こういって失ったことも悦んだ」。
  源左さんの思いでは、いったんもらえば我が物であるいう考えもあったと思います。けれども、仏のお照らしによって、本当は仏様のものという見方が源左さんの内心を動かし、それが自然にこうした言動に現れてきたのでしょう。

 私たちの判断や行為の選択に「仏様からのモノサシ」が少しでも入るなら、また仏のモノサシの影響が次第に強く自分の生活に現れてくるなら、それは何と有り難いものでありましょうか。  真宗門徒の生活は、いな人間生活は、毎日毎時の判断がどこからなされているか、いつも問われています。
  ところで、まことの道理にしたがって生きようとすると、つまずくのは世間の目を恐れる心です。それゆえ仏のモノサシ(まことの道理)よりも世間の評価に合わせてしまいます。その一例として、迷信の問題があります。
 私どもの地域でようやく、葬式に「清めの塩」をもらって身にふりかけないようにしようという気運が出てまいりました。近くの大きな葬儀社は「清めの塩」を喪主の挨拶状の中に入れないように近年しました。それは浄土真宗関係者が「清めの塩」は迷信だから仏教徒(門徒)はしないことを訴えていたからです。  周知のように「清めの塩」というのは、「死者に触れるような出来事にあうと身が穢(けが)れる。だから穢れた身を清めなければならない」という誤った観念から生まれたものです。仏教では一切いわないことです。  真宗教団の方の指導では「人が生まれて死ぬのは自然の道理であって、死んだ人に接すると穢(けが)れるなどはもってのほかである。今まで愛してやまない親が死んで、その親の葬式をし、死者に接するとすると穢れるというのは、死んだ親に対する冒涜(ぼうとく)とでもいうべきことではないか。だから清める必要もなく、またすべきことではない。」とかねてから申しております。
 この考えはまことに道理であるということで、最近は全国的に清め塩を廃する動きが出かかっています。
 このことはずっと以前からいわれておりましたが、なかなか浸透しないのは、実は私たちが世間の風当たりを恐れるからです。
 それは「清めの塩を用いる必要もなく、すべきことでもないことは、その通りだと思う。しかし、私一人はそれでよいが、もし塩を身にふりかけなかったら周りの人から何をいわれるかわからない。周りの人がいやがるから仕方がない」ということで、いつまでたってもなかなかこの習慣がなくならないのです。迷信とわかっていても止められないのは、その根にあるのは、「世間樣の目」なのであります。  

 こうした場合、周りの人たちの思惑から判断し、行動するか、それとも世間の人から「おかしな人」といわれても、清めの塩は道理に反するから止めようとするか。二者択一が迫られるのです。  
 ささやかな例をだしましたが、正か邪かで判断するのではなく、周囲の人々の思惑から判断するかという問題は、ことに日本人がぶつかりやすい問題です。
 日本の社会は、ヨコのつながりにおいて、自分の行動を決めようとする傾向が強いのです。そこにまた日本人の持っている問題があります。ヨコというのは「世間」であり、「世間がどう思うか」「世間からつまはじきになりたくない」ということから、自分の行動を決める在り方です。
 この世間とは何かと言えば、親戚、学校の友達、会社の同僚、近所の自治会、PTA、業者の組合など、さまざまです。世間への恐れによる迎合は、日本社会がいつまでも歪みを改めないことの大きな原因にもなっていると思います。戦前でも、政府のいう事に少しでも反対すると「非国民」と呼ばれるので、それを恐れて時流に流された結果が今度の悲惨な戦争の因ともなりました。

 かって法然聖人が京都の吉水で本願念佛の教えを弘めておられたとき、法然の説く念佛は邪偽であり国を乱し神々をないがしろにするものである≠ニ言って、時の権力が厳しい弾圧を法然聖人とその弟子たちに加えていた時、次のような逸話が伝えられています。  『ある日聖人が厳しい弾圧下にもかかわらず、お念仏のお話をされていました。それを知った西阿弥陀仏という聖人のお弟子が飛んできて「今は念佛を申したり法話をなさってはいけません。どんな危害がくわえられるかわかりません」 と、聖人の身を案じて申し上げたところ、聖人は 「お前は、経釈の文をみないのか」 と問われ、西阿は 「経釈の文はそのとおりですが、今は世間の義(考え)をそこないます」と申し上げたところ、「われたとえ死刑におこなわるとも、この事いわずばあるべからず」と厳しいお顔でいわれた。』 という話が残っています。西阿は聖人の身を案じていますがどこまでも世間の思惑を基にしての言動であり、聖人は、世間の思惑はどうであれ今の世に真実を語らずにはおれないという態度を「私は死刑になっても、このこと一つはいわずにはおれない」と示し、選ばれました。  

   世間からつまはじきにならないように、後ろ指さされないように、ということで自分の行動を決めていく生き方ではなく、仏のモノサシに従って少しでも生きようとすることは、たしかにしんどいことです。  お念仏の生活とは、我が身が淨土に生まれさせていただけることを喜ぶことにとどまりません。毎日の生活を、仏法のまことに添うように生きるか、それとも仏のお心に背くような生き方をするか、常に問われています。  そこにまことの生き甲斐もあり喜びもあり、慙愧もあり、痛みもあり、時には抵抗や批判もあるのであります。  それは同時に、世の中を少しでも良くしていく縁をつくることにもなるのでありましょう。             


「歎異鈔講座」

 いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。   (歎異鈔第二章)   (第九講)

  現代語訳 (いずれの修行にもたえられない愚悪の身には、しょせん、地獄こそ定まれる住み家であるといわねばなりますまい。しかし、このような愚悪の身を救おうとおぼしめして、念佛を往生の道と定めたもうた弥陀の本願がまことであらせられるならば、その本願を伝えるためにこの世に出現された釈尊の説教がいつわりであるはずがありません。釈尊の説教がまことであらせられるならば、その仏説に随順して本願念佛のこころをあらわされた善導大師の御釈にうそいつわりのあるはずがありません。善導大師の御釈がまことであるならば、ひとえに善導大師の教えに準拠して説き示された法然聖人の念佛往生のみ教えが、どうしてうそいつわりでありましょう。法然聖人の仰せがまことであるならば、その教えのままを信じているこの親鸞の申すことも、あながちにいたずらごとではありますまい。つづまるところ私の信心は、この通りです。このうえは、念佛の教えをうけいれて信じてゆかれるか、それともまた縁なき道としてお捨てになるかは、あなたがた一人一人のお心のままになさるがよろしい、と仰せられました。)


 弥陀の本願が信受される場は、いずれの行もおよびがたき身であり地獄一定(いちじょう)の身と我が身を感知している場ではないでしょうか。地獄一定の身というのは、このままではどこまでも悪と闇と苦の世界に住するよりほかない身といっていいのでしょう。いかにしても自分の努力では、利己心の悪と苦惱と空虚な闇から脱出することができないという、いわば自分で自分を救おうとする努力の一切が全く無効であり無力であると知らされる場、その場において弥陀の本願が信受されるのではないでしょうか。  阿弥陀仏が「そのままなりでタスケル」と喚びかけたもう本願が身にしみて有り難く感じられるのは、このままなりで助けてもらわねば今が真に生きられぬ身においてであります。阿弥陀仏の本願以外のどこかにまだ助かる光があると思っている間は、「まかせよ」の阿弥陀の一言を聞いてもそれほど有り難いと思えず、どのように佛におまかせするのか、に困ってしまうのです。  
「タスケル」の一言は、救い無き身のただ一つの救いであり、「我にまかせよ」の一言は、奈落へ沈まんとする身に思いがけなくも差し出された大悲の御手であります。  禿(とく)顕誠師の歌に 「落ちかかる 身をばそのまま 救うぞと ひまなくひびく 弥陀の喚び声」 であります。また昔、奈良のある師が 「助からぬ 身にしみわたる 御名の声」 と詠(よ)まれましたが、いかにもそのとおりであります。助からぬ身にしみわたった弥陀の本願なれば、「ああ、弥陀の本願はまことなり」と、理屈なしに実感されるのであります。 だからこそ、この歎異鈔でも
「ーーー地獄は一定すみかぞかし」の次に、すぐに「弥陀の本願まことにおわしまさば」とでてくるのであります。
 ここには、凡夫の側の弁証も理屈も何も入る余地はありません。本願に助けられるのは、不思議の事実であります。「これこれこういうわけだから弥陀の本願は私の救いなのだ」というような人間の側の論理や説明は、救われる一点においては全く必要ないのであります。救いは一言で決まるのです。まさに「本願の勅命」一つでラチがあくのです。  「私はいずれの行も及び難き身・地獄一定の身である」ということと「弥陀の本願まことなり」とは切り離せないのです。もし切り離して、「私は地獄一 定の身です」というだけなら、それは全くの闇黒であり絶望であります。もし阿弥陀仏の大悲の救いにあわずして「私は地獄行きの身です」というなら苦 悩のどん底にいるか、狂い死にするかどちらかではないでしょうか。それは厳寒の夜にまっ裸になるようなもので、凍死するほかありません。私たちが平生、厳寒の夜にでも裸になることができるのは温かい風呂(仏心大悲)があればこそ裸になれるのです。

 親鸞聖人がここで「地獄は一定すみかぞかし」といわれても、これは決して嘆きの声ではなく、弥陀の本願の御恩を讃仰される言葉に包括されているのです。
 弥陀の本願はどうしてまことといえるのかといえば、それは信心の経験から、まことといわざるを得ないのです。
 死人に等しいものが弥陀の本願によってよみがえるのです。曇鸞大師の「淨土論註」には 「鴆鳥(ちんちょう)の水に入れば魚・はまぐり、ことごとく死す。サイ(犀牛)、これに触れば死せる者、皆よみがえるがごとし。このごとき生ずべからざるして生ず。ゆえに奇とすべし。しかるに五不思議の中に仏法もっとも不可思議なり」。

 ここで曇鸞大師がいおうとされることは、 「毒蛇をたべ、その羽を酒にひたすと毒酒になるというちん鳥という毒鳥は、水に入れば水の中の魚やはまぐりが毒によってことごとく死んでしまう。ところがサイがその水に触れれば死んだ魚やはまぐりがみなよみがえる。これはまことに奇跡といわねばならない。そのように仏法(弥陀の本願)に触れると、無明煩惱の毒で死んだような凡夫を不思議にも新しい命に蘇らせてくださるのである。」 というのであります。こうした経験によって親鸞聖人は「弥陀の本願まこと」と実感されたのでありましょう。
 それでも、親鸞聖人がまことであると経験してもこれは個人的な経験であって、すべての人にとってまことであるかどうかは分からない、という批判があるかもしれません。    しかし、聖人の「弥陀の本願まことなり」を証明して下さるのが釈尊の説かれた経典であります。またこの経典あればこそ聖人の信仰経験が生まれたのです。信仰経験と経典は二つの鏡のように互いを証明しあっているのです。

  ところで正覚者である釈尊は弥陀の本願の真実を感得し、それをこの世の人々に最初にお説きになりました。それが淨土の三部経であります。しかもそれは仏陀釈尊だけがまことであるというているのではない、十方の諸仏がともにまこと(誠実)であると讃えられているのであります。「弥陀の本願はまことなり」と、数限りない仏様たちが証拠に立ってくださるのです。
 弥陀の本願は釈尊の説教によってのみ、私どもに伝承されるということと同時に、釈尊の説教も弥陀の本願海を源流として、そこから流れ出てきたものであることが、ここで明らかにされています。それが「弥陀の本願まことにおわしまさば釈尊の説教、虚言なるべからず」とのお言葉に表されています。

 その弥陀の本願は中国唐の時代におでましになった善導大師が淨土の三部経を体験的に読み抜かれ、「観経疏」や「往生礼讃」などの書物に、弥陀の本願は凡夫が救われる法であることをお示しになりました。善導大師は、佛教はいろいろの聖者や賢者によって説かれているけれども、釈尊の説法である経典こそが私どもの準拠すべきものであると強調され、沢山の経典があるなかで、淨土の三部経に説かれている念佛往生の道が、凡夫がまことの淨土に生まれられる道であることをあらわされました。それが「仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず」というお言葉にうかがえます。  

 法然聖人は、善導大師の著された「観無量寿経疏」や「往生礼讃」などを、自らの苦悩の身をもって何度もお読みになり、弥陀の本願を我が身にいただかれると共に、これこそ万人の救いであることを明示されたのであります。法然聖人はつねに「ひとえに善導一師による」と申されております。それがここで「善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや」のお心であります。
 ご師匠法然聖人の仰せによって、弥陀の本願を信受されてよみがえられた親鸞聖人は、弥陀の本願の真実なることを身をもっておわかりになり「弥陀の本願まことなり、仏説まことなり」と讃仰され、有縁の人々に説いていかれました。

 ところでここで「弥陀の本願まことにおわしませば」という仮定の言葉で語られているのは、もし「法然の仰せはまことなるがゆえに、親鸞が申すことも決してウソ・イツワリではない」ということになると、教法の権威をかりて、門徒に信を強制という高圧的な態度になり、「親鸞は弟子一人ももたず候」と言われた聖人の態度とは違ってまいります。「親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか」 と教法の前に謙虚に頭を下げ、教えを私することや人師の立場を自ら否定しておられます。本願の教法の前には師も弟子もなく、共にお聞かせにあずからせていただくばかりというお心がここににじみ出ています。
 この一節で特に注意したい点は、釈尊の説教は弥陀の本願の真実から、釈尊を通して流れ出て、淨土の経典となりました。ですから弥陀の本願を知ろうと思えば、淨土の経典、ことに仏説無量寿経を心して拝読しなくてはなりません。ここにこそ、本願の永遠なる真実、万人の救済が明らかにされています。この本願のみ言葉を仏語とし、仏の口より出た金言としてこれに徹底して信順されたのが善導大師でした。
「佛以外の聖者は、たとえどれほど勝れていても、その説法はなお不十分であって全面的には信頼できない。ただ全面的に信頼できるのは仏陀の説法以外にはない。仏説こそが自己のまったきよりどころである」 と。このように仏説、すなわち淨土の経に随って念佛往生、淨土往生をまっしぐらに進まれたのが善導大師でした。そして、その思し召しを観経疏に詳しくのべられました。

 その観経疏の中に、時代をへだたり、国をへだたった法然聖人が、己の最後の救いを見出されたのです。善導大師一人を我が真実の師として、大師の著書のご指南によって、阿弥陀佛の念佛往生の本願に帰せられました。その法然聖人の仰せに信順されたのが親鸞聖人でした。ですから釈尊・善導・法然・親鸞と一貫して、流れているのは仏語としての弥陀の本願のお言葉であります。  ひるがえって私たちはこの仏語を本当に嘘いつわりのない真のお言葉として重大に受け取っているでしょうか。私たちになかなか信心が起こらないのは、仏語を軽んじているからといっても過言ではありません。「仏の語は真実なり」と心の底から尊重の思いで聞いていくとき、道は現前に開けてくるのです。                                      
                   (了)
 

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