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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7−20

求法用心集

求法用心集 (源通寺老住手記)      
                         禿 義峯 編      

一 謙敬聞奉行    
 時勢は如何程変つても、後生の問題は決して動かぬ。世人は何と云ふとも、因果の理は微塵も狂ひはせぬ。假令(たとひ)、天地が?倒しても、佛の大悲は此堕つる悪機に纏うて暫くも離れ給はず、必ず御助け下さるゝ證據は、私が邪見な口から現れ給ふ南無阿弥陀佛。是即ち十方諸佛の御受合と承はれば、是程確な丈夫なことはこれなし。されば人間に生れし大事は、たゞ後生の一つなりと云ふことを、命あらん限りは油斷これなきやう。 殊に坊主は大罪人なり。已に無間の縛り縄の掛りし身なれば、昼夜泣き詰にしても飽き足らぬ、悲敷く恐ろしき境界に、罪が深ければこそ、阿弥陀如来は御助けあれの大悲に縋り、端身正行獨作諸善の金言を守り、他人は兎もあれ、我身一人は何卒正見を失はぬやう。一世の勤苦(ごんく)は須臾(しゅゆ)の間なり。最早今暫し。今日か明日か迫りし我身なれば、弥々冥(いよいよみょう)の御照覽を畏(かしこ)み、行住坐臥、念佛を怠らず、御化導に離れぬやう、大切に法義相續致し度し。かへすがへすも聞かせ屋にならぬやう、一生配膳方で果てぬやう、謙敬聞奉行の本膳に坐り、飽くまで六字の法味を餐受して、鎚の河流れ、生涯首を擧げず、聞くを樂しみと致したきこと。      

二 立てぬまゝ  
 名古屋より岩田れい女来訪す。逢はぬと云ふ。強いて苦衷を訴ふ。曰く。  「私は安心はしたくありませぬ。また安心がしたう御座ります。」  曰く。道は見えてある。躄が立たうとする、立てぬ。どうしても立てぬ。立たうと思ふのも間違ひ、立てると思ふのも間違ひ。  そのまゝである。      

三 我は買手  
 今日よりは聞かせ屋を断然止めて、聞き屋になりたく候。如來様が日夜暇なく御呼び詰めに御聞かせ下さるゝを思はず、勿体なくも聞かせ屋になつて居る此坊主。如来様が助ける助ける、今死ぬるぞ、今堕つるぞ、そのまゝ早く早く、急げ急げとお喚び詰め。それ聞かずに何云うてゐる、なに沙汰してゐるぞ。聞かせ屋で地獄に堕ちるか。今より聞き屋でお浄土参りがさせて頂きたう御座ります。ようもようも今迄命を賜はり、大きな誤りをお知らせ。人の顔見ると心の鬼が横領する故、人がコハイ、聞かせる気になるのが恐ろしい。如來様のお聞かせを外にして己が聞かせて居るほど恐ろしい事はないと、今日初めて気付かせてもらふ。  また人々も佛様のお聞かせを餘所に、我に聞かせてくれとは何事ぞ、以ての外の誤りと云ふも、それに過ぎたる事はない。  「三帖の『御和讃』も阿弥陀如来の御喚聲、八十通の『御文』も阿弥陀如来の御喚聲。」    
 おちかゝる 身をばそのまゝ 救ふぞと  ひまなくひゞく 弥陀のよびごゑ  
 幾重にも幾重にも我心よ聞かせ屋になつて地獄に堕つるより、聞き屋で御浄土へ参らせてもらひたし、同心してくれよ我心。今限り、只今限り、辨圓や佐衛門には迚も及ばぬが、せめて柿崎の扇屋を真似て熟柿(じゅくし)になつてくれよ。此澁柿坊主よ、熟柿熟柿、びちやつぶれて。    「澁柿や静かに秋をおくりけり。」      

四 自省    
「 衆鳥來りて木を枯らす」とは云うものゝ、なに此坊主がちやらくらしやべるからぢゃ。これ衆鳥の罪に非ず、我が衆鳥を呼び寄せるのなり。自省すべし。    
 数十年 あたら月日をいたづらに   わが身の後生 よそごとにして    
 外の魔は のこらず拂ひちらせども  こゝろの悪魔 やりどころなし      

五 緘口用心  
 今日より緘口用心々々。  人の集まるは口を慎まざる故なれば、ほんに人を恐るゝならば、飽くまで口元の用心。念佛の仰せを常恒に聴くべし。「呼び詰めのお聲を聞きづめにすべし。きつと聞き付けさして下さるゝこと。」恐ろし恐ろし。    
 百舌よもず 今日よりは口に錠おろせ  南無阿弥陀佛の 六字のほかは      

六 此後生どうしよう  
 真実後生大事になつた人は道具も理屈もない。たゞこの後生どうしようどうしようの外はない。真実大事のかゝらぬ我慢な人には打ちとけられぬ。理屈になつて相談がならぬ事。  無明の太夜、無明長夜の真只中で、すこし訳が解れば早や光明放つやうな気になり。空中を飛び人を下に見る神通力を得たやうになつてはならぬ。世間の事ならまだしも、無我の佛法中にてなにたる事ぞや。

七 居室大心海の額、狐の軸      
 狐狸も蛇蝎もすべて受けこむ大心海
 なでてさらへて受け取る大心海
 嗚呼大心海々々々     
 衣きた 狐とらではるばると  たづねくる人 みるぞうたてき     
 狸めは どの手にしても狸なり  狸はたぬき そのまゝにして      

八 聞名信喜    
 香樹院師曰く。「とかく法を聞くのが、聞くことゝ、如来の御助けと別に思はるゝ。それゆゑ、聞いては居るがそれほどに思はれぬといふ。真宗の法は直に御助けにあづかる。聞き開くといふは骨折つて聞くと、さてはさうかと思ひとらるるばかりで、疑ひはるゝと、我が力でないと知らるゝ。いつどう聴聞しているうちに疑ひはるゝも知れぬ。」 「一念の信心になると覚えたので事すます気になる。新に名號の謂を聞いて、疑ひはらすべし。」 と。これに就いて『秀存語録』の中に、 「安政四年十月廿九日、一蓮院時に七十歳、後生を大事とて明信寺の宅に至る。此時、同寺曰く。「今まで聞いたる事に聞き足すなり。それで決定の信はなきなり。今までは凡心なり。その外に御恩をいたゞいて、往生を決定するのぢや。」また、「佛の手許にさへ夜があけなば、我が心の虚実明闇はたゞすに及ばぬ。」  また曰く。「多くの人が、これまで聞きこんだことを信じて居る、まことに大事の處、聴聞といふは、今日ばかり今日ばかりと聞くのぢや。」 「秀存師の曰く。「昨日までの聴聞の併せるのでもなく、明日までながらへて居るではない。今こゝで死ぬる機になつて聞くのぢや。」 と。こゝは実に大事のところで、他力の至極はこうなければならない。『大量師随筆』の中に、「凡夫の機に継ぎたして助けたまふなら、他力とはのたまはぬ。この機がきばつて聞いて、少しでも間に合ふなら、機法一体に成就したまはぬ。」とあるも同じこゝろを示されたのであらう。      

九 骨ぬき佛法  
 とかく近頃は骨抜き佛法が多いこと、ぬらくら佛法、茶らくら佛法、なまけのまな聞き、偶々出来た安心は一夜造りの醴酒(あまざけ)みた様なもの。そうではあるまい。幾度も毀(こわ)され、打ち叩かれ、恥らしめられ、貶しめられ、擲けられ、風に遇ひ、雨にあひ、出来上つたものでなくては本物ではあるまい。何を云ふても一佛の成等正覚ぢやもの。     「もまれねばこの味はでぬ新茶かな」      

一〇 能く聞くこと    
 一日、京都に詣で、栗尾太助と語る。太助曰く。「後生となるとわからぬわからぬ。わからぬのが本真ぢや。なかなかわからぬと云ふこともわからぬ。」と。  我も若い時には湖南教校に教鞭もとり。歸坊後洗心社を結んで宗餘乗や漢藉の講釋をして、一時は人の世話もして來たが、後生となるとさつぱり解らぬ。なかなか鼻垂婆の後へもつき兼ると云ふ有様ぢや。  それであるから、よく聞かねばならぬ。      

一一 信心をみがけ  
 三十九部の御假名聖教の中に、信心をみがけ信心をみがけと云ふ仰せがあるが、浄土真宗には研くとはおかしく聞ゆる様でもあるが、これは一往聴聞ではならぬぞ、よくよく吟味し思案せよとの仰せぢや。蓮如上人も、 「心易いと思へば必ず仕損ずるぞ。」 とくれぐれの御化導ぢや。  香樹院師曰く。「必ず必ず早合點して濟まさぬやう。」  また曰く。「命限り根限りお調べを蒙らねばならぬ信心ぢや。」  また曰く。「多くはたゞ大様一往の聴聞、二つには邪見?慢の気ずまし安心、三つにはかゝるものを御たすけの押し付け安心であらう。」と、我胸にもうこれでよいと、自分に落ち着いて、紛れて居るほど悲しいことはない。      

一二 もつと泣け
  岩田れい女。「今の後生が知れませぬ」と。 曰く。「まだまだ生ましい。泣き様が足らぬ足らぬ。もつと泣け、もつと泣け。」 れい女曰く。「泣けと仰せられても、泣きやうも知りませぬ。」 「そうぢやそうぢや。その泣きやうも知らぬものを、今の仰せ一つで御助けぢや。」      

一三 油斷大敵     
 「とんとんととんととん拍子で飛び上り  すつとんころりと落ちて頓死す」    
 「起きふしに忘れてならぬ死の一字          油断大敵々々々々」      

一四 佛様と離れぬ生活  
 念佛をきばつて申すと、称名正因とけなす。如來様の御崇敬を大切にすると、あれは起行家ぢやと誹る。後生大事で骨折ると、心配家であると貶しめる。それは念佛起行に止まつて、聞くと云ふことを忽にするから、自然と其失を免れぬことになる。人は何と云ふとも、行住坐臥、南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛と口に念佛の絶えぬやう、そして如來様の御敬ひを力一ぱい勤めさしてもらひ、よくよく其謂れを聴聞するやうに心懸けて行きたい。      

一五 心得べき事  
 念佛の申されぬは、固より信のなきからなり。また法を聞きたがらぬも、必ず信のなき徴(しるし)なり。朝夕参詣し念佛申しながら、相談々合を嫌ふは自力。相談々合を好みて、参詣恭敬を缺くは邪見にては非ざるか。  香樹院曰く。「安心を本として起行をかまはぬは邪見に墮し、起行によつて安心を定むるは自力に墮す」と。      

一六 聞くとは  
 聞く聞くと云ふて称へることを忘るゝは大きなる誤りなり。聞くとは何を聞くぞ。念佛のいはれを聞くのなり。『後和讃』に、「真宗念佛きゝえつゝ」とあり。基本を忘れて末に走る風情。      

一七 三州の長松を偲びて  
 一、長松は「一生涯地獄の釜底で聴聞がしたい」と。我等は正定聚の床の間へ上ったつもり。  
 一、長松は「何時も聞きかぢりぢや、七十歳になつても聞き始めぢや」と。我等は何も歟も聞いて仕舞ふた様な気取り。  
 一、長松は「ちよつとも聞かぬ先の時の心がましらしい」と。我等は餘程後世者になり、善人気取り。  
 一、長松は「五十年の聴聞背中に負ふて地獄丸裸のなり御恩が喜ばれる、不思議なことぢや」と。我等は破れ三業を功に持ち、助かるつもりて御恩思はず。かの佛像なしに開眼を求むるが如し。  香樹院曰く、「聞くと云ふは坐を占めて聞くばかりに非ず。喚びづめの御聲を聞きづめにせよとなり。」また、「聞くとは寝ても覚めても御助けの仰せを思ふが聞くのぢや。」また、「名號の謂れ聞けよ聞けよと仰せらるゝが直に御回向の大信心ぢや。」「聞くのがもらふのぢや。」と。 (師)      

一八 大 關 節  
 一、真宗の大巻節の一つとして、『歎異鈔』の、「よき人の仰せをかうむりて信ずる外に別の仔細なきなり」の御一言は他流に異なる、他力より賜はる信心といふことを顯(あら)はし給ふ。我等は迷ひの境界ゆゑ、弥陀を拝むことも、直の御喚聲を聞くこともならぬ。それ故、第十七願を立てゝ、諸佛讃嘆を誓ひて給ひて聞かせるが佛智を授け給はんが為也。授け手は善知識なり、弥陀から直に授けるでない。法然上人によりて導かれ給ふた。され故淨土真宗にては、自力を捨てるも他力に歸するも、皆善知識の御勧めによる。  
 二、善知識の御手離れては、自力のすたりやうも他力のたのみやうもない。阿弥陀様と直應對、差し向ひなら第十七願はいらぬものになる。善知識を離れて弥陀をたのむのではないのに、とかく他宗のやうに、聴聞不足の者は往々善知識を離れて居る。善知識の教に随ふが弥陀の仰せに随ふのなり。然れば善知識を嫁入の仲人のやうに思ひ、教を月指す指の如くに思ふは誤りなり。夫故、釋迦は勧め役、弥陀は助け役と思ふは間違ひなり。今日祖師聖人の御教化が二尊一体の御相。善知識の御化導の御手離れて信の得らるべき様はないというが他力真宗の意なり。  
 三、『信巻』初に、「夫以獲得信楽發起自如来選択願心開闡真心顯彰從大聖矜哀善巧」とありて三心十念を御注文にとつて信じ称へにかゝるが他流「今は大聖善巧の御教化により、弥陀の心を聞くより起る信心なり。他流は第十八願差し向ひ、浄土真宗は成就の文を安心の至極と思召さるゝゆゑ、能く聞け能く聞けと仰せらるゝ。また善知識の御化導と云へば、つい常並の法談話とのみ軽々しく思へども、五劫の御思案より起った第十七願よりあらはるゝ。即ち「光を十方に放ちてぞ、常に妙法ときひろめ」と御光明から善知識とあらはれ法を説ききかしめ給ふのなり。      

一九 明恵上人を偲びて     
  かこひして道心めくは淺猿(ああま)しや  誘惑ものゝ すがたなりけり      

二〇 まるで善いのがまるで悪い  
 真宗の御教化は、こちらで探さねばならぬ塵まで、彼方から探して下さるゝのぢや。豊前の新藏が、 「微塵ほどよいことあれば迷ふのに、まるで悪うてわしが仕合せ。」 と云はれたが、大量師の「まるでよいのが、まるでわるい」と云はれたのと同じ心で、つきぬ味ひがある。『御一代記聞書』に或人が、私は善知識の御教化の通りに心得て居りますと申し上げた時、仰せに、「わるいともわるいともふつと悪い」との御示しも思ひ出されて善知識の御教化の通り聴聞致し、御給仕御掃除は勿論、表には王法仁義を守り、何一つ違はぬ様に致して居ても、心の奥に御廻向の信がなくば、全く悪いのぢや。  まるでよいのがまるでわるい。  まるでわるうてわしが仕合せ。      

二一 狸 坊 主  
 諸方より老父の在否を尋ね來る毎に、侍僧をして返事せしめて曰く、「來るも何の所詮なければ断然見合されたし」と。  而も來訪する人に對しては、自ら佛前に向ひ、或は屏障(かこい)の中に隠れて、静に聖教を拝読して止むのみ。其歸る際には、「行つては來たが、やはり狸坊主であつたと鑑定したら間違ひはなからう。」      

二二 二師の宝語  
 佛道之人身。称名之光陰也。  右は善導と元祖の宝語を併録するものなり。      

二三 御助けに助けらるゝ  
 越後某同行。「助けてやるで念佛申せと仰せらるゝことで御座りますか。」  助けてやるで念佛申せ…往生の世話してやるで念佛申せの仰せぢやぞ。御助けを助かるにするではない、御助けに助けらるゝのぢや。      

二四 名聞  
 昔、或山寺に聖が住んでゐた。佛堂を荘厳して只營んでゐたが、終に此世を去つた。其後弟子某へ夢の告に、 「吾在世の時、堂宇の荘厳を事としたが、心に名聞の念が強かつたから、今は魔道に墮ちて居る。世人が荘厳された殿堂の美々敷さを讃嘆するたびに、無限の苦患(くげん)を受けて居る」と。斯様(かやう)に行業堅固に行はれた聖さへ、心に名聞の念があつたから、苦患を受けると云ふ。然るに世上堂宇等の再建修繕を名として、徒らに他の浄財を貪り、寺檀の間に瞋火を燃やし、而も得々然たるやうなは、大に反省してよからう。      

二五 慢魔(図のため入力が不完全ーー入力者)      
 一、未入佛法時爲妨。    慢爲魔      
 二、入佛法已慢自所行不進修。      

二六 光明のお照し  
 妙観尼二三の同行と越後塔の濱の老婆を訪ふ、今の後生何とせう、一言聞かして下され。婆、「何にも知らぬねい。」とてたゞ念佛しながら干鰯(ほしか)を干す。同行跡を逐(お)ふて聞けど、何事も云はず。強いて一言をと乞へば、婆曰く。 「お前さん達、そうして後生が心にかゝる様になつたのは、もう業の病を少しづつ柔らげて貰ふた徴しぢや。今に熱が散つて、嬉しや嬉しやの身にしてくださるから、張り合ひやう、お念佛して、ようお謂れを聞かして貰ひなされ」と。獨り大悲を仰がれる様を見て、同行たんのうして歸れり。越後妙改尼の話。      

二七 お止め下され度く候  
 千田氏より度々物を贈らる、其禮状に、    
 ものくるゝ 人にひかるゝつかはるゝ  牛となる身のはてぞかなしき  
 もうもうお止め下されたく候       (大正四年四月四日)      

二八 その心が助けらるゝ  
 後生大事々々と口では云へど、何かむかうに飾つて置くやうな事になつて居らぬかと、自分の心を叱りつけて見ても、その下からまた種々のことに動かさるゝが凡夫の悲しさぢや。美濃の某が、洪水に流されて今溺れ死なんとした時に、一本の松の木にたよりついて、漸く命を取り留め、其上で一心に御念佛申して居た。其時思ふやうには、此度もし此命が助かつたら、これからは一心に法を求めたい、どこまでも御念仏が致したい」と思うて居たが、翌朝になつて、水が皆退いて見ると、まるで夢見たやうに、それ程心が思うてもくれず、却つて以前よりは邪見になつたと云ふて居た。そこが偽りのない處で、下心には誰でも墮ちてもだいじない、助けられいでもよいと云ふ奴が居るのぢや。そこを忘れぬ様にしたい。  しかし其心が今助けられるのぢや。      

二九 清貧    謹勿厭清貧。      

三〇 五十五翁のうそ懺悔      
 一  噫、我等此度、幸に萬劫にも受け難き根具の人身を受け、億劫にも値ひ難き無上の妙法に遇ひ奉り、甚難得の寿命を先づ今日迄は危く生き存へ、勿体なくも肉食婬犯の穢体に解脱幢相の靈服を纏ひ、耕織の勞を知らずして毫も凍餓の憂ひなく、無学不徳の身ながら飽くまで佛血を啜り粗肉を喰み、安然高潔の精舎に起臥して日夜五尊の御側近く弥陀の直説を聴聞しながら、佛恩も知らず師恩も思はず、好みて三種の大罪を造り重ね、勿体ないとも恐ろしいとも思はず、同行に向うては傲然として空談虚飾し聊か慚愧の心もなく、朝夕の勤行はたゞ役目気ずましにて少しも崇敬の情はなし。    
 名利我慢 役目の風袋ひきされば のこる正味の 御報謝はなし    

 二  嗚呼、傷しいかな。如何なる宿業の然らしむるところか。かく五十有五の老境に迫り、今日か明日かのあはれな身になりながら、眼前のきたなき五欲にのみ涎を流し、    
菜の花に たはむる蝶ぞあはれなれ  おのが身をやく たねとしらねば  
秋の鹿の笛により、夏の虫の火に入るも、知らぬ故業なら仕方もなけれども、今我等は常に聖教を眼に晒し、酸いも甘いも會得しながら、酒肉色財に耽着してして後生を忘れ我身を知らず    
 老いていよむ さぼるものは酒肴  銭と女と朝寝なりけり    
 髭白く 頭ははげて光れども   浮世心の はげぬかなしさ    

 三  小寒の氷大寒に融けるは春の近づくが故、老いて道心なきは地獄の近づく故なり。閻王張怒眼、獄鬼揮鐵鞭、其事とは夢にだにも思はず、唯知眼前貪酒肉、不覚地獄盡抄名。まことに家賊制し難しの金言。「心に若し形あらば捕縛して性根のつくまで叩かん」と、古人の歎かれしも理なり。合ひ住居の大敵が迷いの果報と證の重宝とをすりかへさすことにかゝりづめ、かへ玉もたせて嬉しがらせる。夫をすりかへさせまいとて、日夜に御骨折りが善知識の御化導とも知らず、老健をたのみ、眷属を力にし、身を削りさく刃に似たる妻とも覚へずして戀着し、財を分ち取る賊に等しき子なりとも知らずして寵愛し、口癖に「子は三界の首枷、妻は流轉の媒(なかだち)、孫は地獄の使ひなり」と吹聴するばかり。まだ死ぬまい死ぬまいの常見の狐に誑惑され、雪達磨に堂を建て、薄き氷の上に炬燵をあげるに機を揉み、恨みつ、嫉みつ、泣きつ、笑ひつ、明し暮して居るうちに、思ひがけなく、大命將終悔懼交至(だいみょうまさにをはらんとしてけくこもごもいたる)の際に臨まんこと必定なり。   
 四  咄。大膽不適の我心、よく聞いてくれ。生れ難き此人界を、久遠劫來迷ひ歩きし草鞋の脱ぎ捨て場とするか。またも盡未來際迷ひ歩く、足の踏み出し場とするか。深き因縁ありて住み馴れし此道場を、未來成佛の出世場とするか。又も生々世々迷ふ、苦しみ種の蒔きつけ場とするかの一つ二つ。『正法念經』に「心を繋縛解脱の本とする」と説き給ふは是の事か。只今の我心一つの振り向けやうにて未来大地微塵劫の苦樂昇沈にかゝる一大事也と思へば、実に身の毛堅つ程にも恐ろしくも又たのもしく思はるゝなり。目を覚ましてよくよく聞いてくれよ我心。   
 五  かゝる危ない處にて、堕ちかゝる体に抱きつき、よく聞けよく聞けの御化導は、一句半句が千人力とも、萬人力とも、何に喩ふる物もなく、百千萬兩にもかへられぬ、無量劫の命拾い、実に今日迄存へし命が法の実とは、今こそ聊か身に染みて少しはたのもしくも思ひ知らるゝ心地こそすれ。    
 
たつた今 おしかけて來る火の車    弥陀たのむより 逃げ道はなし(伏師明)   
恐ろしき 鬼のやうなるこゝろにて   佛の真似を するぞはづかし      

三一 梶よし女死亡後書状來る    
 郵便も届きかねたる冥土かな      

三二 短命の者を待つてる中に死んだら、何とせう
。 調べてる中に命終らば、何とせう。 只今の御助けでなくば、何とせう        今々 今々    
「世の中に 今より外はなかりけり 朝はすぎさ り夕は知られず」      

三三 同行寄留の自損々他
  一、私の出離の障りとなる事。
 一、佛法聴聞を疎略ならしむ過。
 一、家業を怠らしむる過。
 一、我慢?慢ならしむる過。
  一、僧分を軽蔑の過。
 一、一を惑はし御流れを汚すの過。 (でも同行の為)
 一、老体養生に害あること。      

三四 嬉しいやら恐ろしいやら  
 そのまゝの御助けが聞こえたら、「嬉しや嬉しや」ばかりになる思ふが、二種信心が相續ゆゑ、堕ちさうな心も、なんともない心も、皆そのまゝゆゑ、嬉しいやら恐ろしいやら、。それ故、その嬉しさが、たゞ浮いた喜びではない。身の毛いよだちての喜びゆゑ、大金貰ふたやうな喜びではない。ほんに悲喜興隆と云ふところぢや。     

三五 我慢  
 阿呆我慢、盲目我慢、坊主我慢、卑下慢、得ぬを得たやうな我慢。  それ故つきおとしての御助けぢや。      

三六 一念  
「この心が直にかはる故一念」 「命一刹那にる身ゆゑ一念」(香樹院手記)      

三七 何時も尊し      
 いつもくる いつもの人がいつもする  いつもおはなし いつも尊し      

三八 蓮如様からの御手紙  
 蓮如様から私の名指しての御手紙、一通ならず八十通、どうぢや後生はどうして置くぞ。今死ぬるぞよ、何處へ行くつもりぢや。とくと思案してみよと心配さして下さるゝ。地獄恐ろしやの目が明けてやりたい。未來恐ろしやいく先どうせうの目があかぬゆゑ、今日まで迷うて來たのぢや。今いさゝか目が明きかゝつた。其どうせうどうせうの處へ御聞かせが、御文の御化導ぢや。  八十通の御手紙、思案せよ思案せよ。  出る息入るを待たぬ。とくと思へ今の後生。ふと気づかせていたゞき。思へば思ふほど打ち驚く。 『御文』は御内佛の飾り物ではない。      

三九 常照我身  
 大正五年九月十一日より下痢症にて日に衰弱、安眠なりがたし。ある夜、行誡上人の名歌になぞらへて    
 よもすがら枕をてらすともしびは  佛のじひのひかりなりけり  
其後横矢醫師に受診服藥、病骨漸く回春。
 死にかけてまたかへり咲く秋の暮  菊咲いて菊に心をつくしけり      

四〇 日暮前の大仕事  
 四日市の文右衛門曰く、日暮前の大仕事を受けとつて忙がしい事ぢや、浮々しては居られぬ。また、「なんともなかつたら聞くのぢや。有り難かつたら聞くのぢや。有りがたくなかつたらなお聞くのぢや。」伊勢まつ女の話。      

四一 武士は日に死す    
芭蕉の辭世の句なし。一句々々が皆辭世なること。如何に況んや佛者に於てをや。時々剋々が臨終也。    
 「我命今が今がとおもふべし  明日とおもへば弥陀にうときぞ」     

 四二 歌二首      
 衣るものは熱鐵の板くふ物は  熱鐵丸となるぞかなしき    
 熱鐵の汁は甘露とかはるなり  佛力難思あゝ南無阿弥陀      

四三 好人そで女  
 一、池内そで女は厚信なりき。毎年七昼夜二十一日には、午前二時頃より同行数人と共に、徒歩にて参詣するを常とせり。我等は直に京に向ふなれど、そで女は何時徒歩にて叡山に詣して京へ降るなりき。詰所にて同宿せしが、いかに熟睡すると云へども、其鼾は念佛なりき。御廻向の信なる故、自然とあらはるゝものならん。
 二、明治二十二年五月、村の十祖の溝より三寸ばかりの木佛地藏尊の現れ給ひたる時、其足にて自ら京へ供奉(ぐぶ)し、佛師によりて御修繕申上げ、余が寺に安置を乞ふ。されど宗意上、其如何なるものなるやを語りたる時。 「それでも、今日迄の御養育を思ひますれば」と、此一語実に味ふべきことゝ思ひぬ。
 三、そで女或年、村の池内善吉等と同道、真宗善光寺に詣でぬ。馬車の牽馬疲れ居るを見て、已一人馬車に乗らざりき。かくて發車の間際再び馬頭に現れ來りたるが、饅頭を購ひて其馬に喰わせ、之を勞ひたるなりき。其日一人遅く宿に着きたり」と。ありたきことなり。
 四、また本堂の御燈明用の油など、少しも人に知られぬ間に、油置場に供へらるゝなど常なりき。また、外來の聞法車などあらば、親切に我宿へ招じては聞法するを樂しみとせり。     

四四 向他接人  
 気遣ひさせまい、銭つかはせまいと思ふ外なし。追從と物もらふがすきで嫌ひなこと。      

四五 気が高い  
 獲られさうなものが獲られず、信じぜられさうなもおが信ぜられぬのは、まだ気が高いからぢや。「?慢の頂きには法水は止らず」ぢや。気が高いとは、我は佛法者後世者気どりで、人よりはよけい心懸けてゐる、よけい参る、よけい念佛する、人のする事はせぬ、人のせぬ事はする、つまり我かしこしと思ふ気が高いにぢや。  一蓮院師が、「新治郎よ、私もお前も手があがらぬのう、手が上ると云ふは、気の低うなる事ぢや」と仰せられた事。  また、等覚寺さんの、御気の低く、何時も衣も召さず、数珠も持たれず、念佛の聲も人に聞こえなかつたこと。  また大和丘誓堅師が、自ら瑾をあらはして、態と人に嫌はれ、蔑められるやうにして寺を出で、坊主でゐては信が得られぬからとて、自ら八兵衛となつて法を求められしこと。また西大路光圓寺の娘某が、「気が高い」と香樹院師に云はれて、草津のある宿屋女中になつて法を求めた事など思ひあはさるゝ。  佛法で気の低いとは、殊勝振りせず、知つた顔せず、私ほどの阿呆はない、愚ものはないと、心底から思ひ知つて、些も誇る気のないが気が低いと云ふものぢや。      

四六  きょう慢  
 自性の淺間敷さを、あまりに沙汰して、我こそ自性を知りたるやうに思ひ驕り顔なるは、いよいよ淺間敷ことなり。心底より慚愧懺悔がありさうなことなり。心中のごもくを云ひ募り、それを手柄にするものあれど、それは機実の知り顔にて、やはり?慢なり。      

四七 一頂針  
 美濃安藤才一、來訪後一書を進められ、「これお直しあづかりたしと。  其返書に、「文言は実に結構、寸分の申分なし。されど是れ書かれた其方の心根は大?慢。丸々地獄行き」と。      

四八 回顧    惟へば四十年以來、足一歩も出ず、書いて書いて、寫して寫して、讀んで讀みぬいたが、今になつて見れば何にもならなんだ。丘師は「永い間越後で香樹院師について聞いたが、殘つたものは淋病ばかりぢや」と云はれたが、私は我慢きょう慢で人が集まつて気が高うなつたばかり、聞法の邪魔物ばかり。    
 うるさしと人のくるのをかこてども  名利むさぼるむくいなりけり  
今にして大活眼を開くべし。今日よりは、我身の後生より外のことは口に出すまじ。命の危さも罪の深きも知りながら、その心にならず、火の付くのをかまはず、なによそごとするぞ我心。  老僧あやまれあやまれ、あやまるに時がある。時失へばあやまつてももうあかぬ。      

四九 聞く一つ  
 たゞお助けぢやで聞く一つ。それが弥陀の直説、五劫兆載永劫の汗膏のかたまり。      

五〇 詩三編
 詠二河
貪浪瞋烟激撃天   
縦回一死遁無縁    
遣呼聲響二河岸   
唯恃自然之所牽       
   〇    
貪看人間大劇場   
不知秋色已昏黄
悲母金臺有召我
聲々相答向家郷
   〇    
生死海寛不見邊
幸遇佛願大悲船
胸間寧顧風波起 
念々称名送暮年

五一 念佛の外は魔事  
 先徳の仰に、除因果外皆魔事と。「念佛のみぞまことにおはします。」  念佛の外はみな魔事なりと心得たし。      

五二 今それすてゝ  
 一、今迄、生れられる様な心にならねば生れられぬと思ひし故、直に計らひまはる。この心、今それすてゝ、超世の大願こそは此私のために御成就ぞと聞きひらかるれば、佛智の御與へにて、かゝる胸へ六字賜はりて、往生一定の身となるなり。
 二、とかく、喜ばれぬの、疑ひはれかねるに貪着して、しみじみ御恩が喜ばれぬ。その心で百年聞いても疑ひのはるゝ道理はない。その計らひ、今それすてゝ超世の大願は如何なる機の衆生を助け給ふぞ、いか様に立て給ふ本願ぞと、その本をよく聞かねばならぬ。  
三、地獄覚悟で聞く気はなくとも、どうでもこうでも、我が浄土へ生れさせずばと思召す如来の大悲なれば、一日に八億四千も心がうつりかはり、悪のみ造る身なれども、弥陀の名號は利劍故きり給ふ。      

五三 石の落つるまでに  
 石の落つる迄に信を得よとの仰せである。  照攝曰く。「左様で御座りますか。石が今落ちますで、今助けてやらうとの仰せで御座りますか。有りがたう存じます。今助けてやらう助けてやらうと仰せられて下されます。辨圓が御顔を拝むなり信得られたのは、助けたいばつかりの御心が遷り現はれたので御座りませうか。      

五四 自然のあらはれ  
 等覚寺師に從いて永々聴聞した長崎のもん女、師から、「機はそのまゝで法をよく聞くのぢや」と承はつて居たが、とかくならうならうの念が絶えず、そのまゝがわからず、師の滅後、國に歸りしも相談相手もなく、人からはどうもおかしなものぢやと云はれたりしたが、三年の後老師の坊守への便りに、 「いよいよ逆謗の死骸のなりの御助け、これ自然のあらはれと存じます」と。これ正しく宿善の時機到つたと云ふものであらう。      

五五 信の一念      
 「そのまゝと聞くたびごとに涙かな」  そのまゝの一言に五劫兆載永劫の御苦勞も、千須弥山の骨身も皆おさまる。永い永い御思案で、短い短い一念を案じ出して下されたのなり。  さればこの一念は、五劫兆載永劫の涙のかたまりなり。 駒月の某曰く、「皆がそのまゝそのまゝと云へど、涙の出ぬそのまゝでは残り多い」      

五六 衣食住  
 「居は金殿にあらずとも漏れねばよし、服は錦にあらずとも暖かなれあよし、食は珍膳にあらずともひもじからねばよし。」凡そ衣食住とも心に叶はぬが却てよきことなり。心にかなひたらんには、我等が如き不覚人は必定執着するであらうから。  又曰、「後世者はいつも旅に出でたる思ひに住するなり。一夜の假の宿りと存ずれば障りなく念佛申さるゝなり。此身のあらん限りは衣食住なくて叶ふべからず。されども執ずると執ぜざると事の外にかはりたることなり。『一言芳談』 (編者曰く、亡父は餘儀なき外は生涯何につけても新し きものは勿体なしとて古きものゝみに満足し食事の前後 など佛物信施物冥加々々と暖かきうちには容易にいた ゞけぬ有様なりき。)      

五七 二つの聲    先年中症に罹りしより以來、右の耳はごとごとと、いかにも地獄の湯玉のやうに聞え、左の耳は、いゆんしゆんと、西岸上の御喚び聲のやうに思はるゝ。     
よぶ聲と湯玉のひゞきたえずきく  おそろしの身やたのもしの身や      

五八 如露如夢  
 皆がこれが苦ぢや、あれが苦ぢやと譯もないことに悶えて居るが、脇から見ると皆屁ぢや。くの字を横にすると、への字になる。伏明老師は入浴して肩先から水を掛け乍ら、世の中の事はこんなものぢやこんなものぢやと常に云つて居られた。同師の歌に、  
  世の中は唐臼拍子にさも似たり   うれしがつたりかなしがつたり
 富貴榮華も安んぜざることは同一ぢや。同じ船なら何處に居ても異りはない。御互に同じ焙烙の上の豆で、いつかは焦げる。何もさう人を羨むにも及ぶまい。     なんのその百萬石の笹の露  今日聞きつけずばの思ひで聞かねば、なにかのうちに日が暮るゝ。      

五九 大心海    尾張の某へ。
 あゝ大心海華々々々。あゝ御慈悲々々々。あゝ不思議々々々。狐そのまゝ。狸そのまゝ。      

六〇 心に問へ  
 我身は佛法になつて居るか居らぬか、後生になつて居るか居らぬかは、我身に顧みて明かに知られること。  為になる御異見うけて機に入らず、腹が立つ様なら、きつと佛法にも後生にもなつては居らぬ。御誡めを聞いて、却つて嬉しく喜ぶ心の起るが佛法なり。それを蓮如上人は、「信不信ともに人になほされたい心を持つて居れ」との仰せ。我慢情の證據には、直されまじと思ひ、他を見下げ、あなづるなり。「佛法にならぬ證據には、善知識の御化導を真実尊きことゝ思はぬ。」(師)     「しられてみたや御慈悲のそでしぐれ」      

六一 聲が白道  
 聲が道なり。聲のかゝらぬ處へは行けぬ。今度はお聲が白道となるなり。  また御念佛は飯なり、勅命なり。御和讃はお菜なり。いつも助くる助くる待つてゐる待つてゐるの御喚び聲なり。    
 「朝夕に口より出づる佛をば  しらですぎにしことのくやしさ」      

六二 人並佛法は受けがよい  
 此世も程よく人に褒められ、親切な人ぢや善い人ぢやと云はれ、そして未來も助かり度いと云ふが人並佛法ぢや、二心ものぢや。  うざうざと、人寄せ佛法、ぬらくら佛法であれば、人がみな喜ぶ。  我身一つの後生となつてみれば、恥も面目も損も徳も云ふては居られぬ。  人々はわしに徳させまい、損させてもかまはぬと云ふのぢやが、永々人の世話やかせて、もう死ぬ前になつても徳させまい損させうと云ふのは、あんまりむごいことぢや。    
「世の中は八重山吹の人心   実なきことのみもてはやしけり」『実集物』      

六三 僧  
 一代、佛法々々と云ふて、死に恥ぢかくものは僧なり。悲しい事には、物知つた者は骨折ることが出來かねる。      

六四 上迫に行く途次六部に逢ひて    
 念佛は申せど六部にさもにたり  いつもほとけにうしろあはせで      

六五 即得往生  
 某信者、住職の背をたゝき、「待つてゐて下さるねい。」また田の中に働いて居る時、其側の小路を通る住職に、「こゝからぢやねい。」と。  九月二日照攝に「今ぢやねい。」と云へば、「へい、これなりで御座ります。」と。(大正九年)。      

六六 蚊に攻められて  
 香樹院師、夏の頃、江州野洲の某に、「蚊は御念佛が嫌ひとみえて、ちよつとも來よらぬ」と仰せられた、と傳へられてある。  衲は御念佛が嫌ひゆゑか、格別に蚊が攻めに來てなりませぬ。   
  わが室は蟻と藪蚊がさしにくる  まだそのうへに人がせめくる      

六七 本願所被の機  
 弥陀の本願は無常迅速の機が御目当なれば、今死ぬるいま堕つる機でなければ御助けなさるゝことは出來ぬ。若し然らざる時は、本願所被の機にあらざるゆゑ、教にそむく機なるが故、百年存へて聞いても計らひの盡きる時なかるべし。今死ぬると云ふ事が思はれずとも、呼吸の間是來生ととは佛の金言なるが故に、たとひ気は百まで生きる気でも、金言に間違ひなしと、こちらの思ひに關はらず、腹は何と思ふとも、今死ぬる、今堕つる機を今の御助けと信じて、只今ばかり只今ばかりと大悲の御助けを仰ぐばかり。      

六八 堕ちてしまへば樂なり  
 地獄あけッぱなし。極楽つッぽぬけ。仰せだけで嬉しい。今黒玉が堕ちよるで二親が離れておくれぬ。  とかくみなは堕ちまいにかゝり、助かりにかゝる。  「佛力のみにまかせて、聊かも取り付く處のなきを他力と云ふなり。」(秀存師)      

六九 生盲だと本復  
 播州の老婆二人後生が苦になり、居ても居られずとて同心して御旧跡回りを思ひ立ち、先づ御本廟に詣し、京より來りぬ。四五日滞在聴聞して東に向ひぬ。七十日も過ぎて、或日の夕方、綿の様になりて我寺に着きぬ。さて曰く。「長い間御旧跡を巡拝し、廣く知識を尋ね歩いたが、なんでもなかつた。体はぐたぐたに疲勞てくる。持つてゐた財布は空になる。もうもうこの私はどうしてみても助からぬ、生れながらの盲人であつたと、今度は本復させてもらひました。」      

七〇 聞くのが御與へ  
 法を聞くのが、聞く事と如来の御助けと別に思はるゝゆゑ、聞いては居れどそれほどに思はれぬと云ふ。淨土真宗の法は直に御助けにあづかるのなり。聞き開くと云ふ。骨折つて聞くと、さてはさうかと思ひとらるゝばかりで、疑ひはるゝと我力でないと知られる。それ故、いつどう聴聞してゐる内に疑ひはるゝかも知れぬ。聞くが直に御助けに預るの故、仰せが私の領解なり。 「我等はたゞ耳に聞く事に思へども、耳に聞くのが直に御法の宝を我身に御與へなり。無耳人に聞く耳を御與へぢや。」(師)      

七一 聞くばかり  
 一日(あるひ)等覚寺を京都の寓に訪ふ。師曰く。 「聞くばかり。聞いて向うにあるものを取り込むやうに思ふは違ひなり。聞くばつかりと云ふことまことに尊い」 と歸路太助隠居の處に立ち寄り、此事を語りたれば、太助大いに驚き、 「えらいことを聞いてきなされたきなされた、私は今初めてゞある」とて、非常に喜ばる。衲惟うに、三十年來等覚寺に詣でゝ聴聞してゐる太助が、今初めてぢやと尊み喜ぶ相をみて、「信の上は何時もめづらしく初めたるやうにあるべきなり」とは、このことかと更に深く思ひつけり。      

七二 逆公事  
 障りにならぬとある御目当の罪悪を苦にし邪魔にいたし、いらぬいらぬと仰せらるゝ有りがたい心をものにし、佛のまいらせて、助かりにかゝらうとするは逆公事である。助かりたい心をおこす故、助かるのでない。助けたいが行届いて助かるのぢや。      

七三 往生の證據  
 今口に称ふる名號は我身の助かる御力ぞと、よくよく聞いてみれば、嬉しや嬉しや。よくよく聞けば、南無阿弥陀佛は人の物ではない。私が往生の證據に、この私に賜はつた名號。その名號を聞いて喜ぶ私の身の上。    「佛事願力度衆生。」      

七四 在家の宗教  
 先年名古屋の中野某が在家から出家して、初めて師匠の許を訪ふた時、「折角在家に生れながら坊主になつたのか」と云はれたさうぢやが、今皆が御内佛をすてゝ、こんな處に滞在そてゐるのがその通りぢや。折角在家の一宗と仰がれる祖師の御流れを汲ましてもらひ、正客に生れながら、地獄總やすみで、御法話讀んだり寫したり、人のする事はせぬ、人のせぬ事はする、三悪道の仕事休めて、一角佛法の水につかつてゐると考へてゐるらしいが、正客が御相伴になつてゐると云ふもので、それは全く横へそれてゐるのであるまいか。      

七五 ありたきこと    
一、三文でもいらぬ銭を人につかはさせぬやう。  
一、人になるべく罪つくらさせぬやう。  
一、他(ひと)の仕事の障りになる事はさせぬやう。  
一、通信はなるべく葉書でことすますやう。  また、必ず必ずため息つかぬやう、一つの口を二つにしてなりとも。      

七六 真実      
 世間わたらば十九を説きやれ 十八説いたら宿がない  真実云ふたら柱だけになる。加藤法城曰く、「わしもちつと本実の説教が出來る様になつたらしい、其證據には、何處へ行つても参詣が少くなつた。」  或時、越後妙改曰く。妾は高臺寺で貞信尼さんと居りましたが、其時貞信さんが、「お前さん、香樹院様につくと云ふが、なかなかつけないであらう、わしに覚へがある。」妙改、「つけても、つけいでもついてみせます」と。  衲思ふ。香樹院師につけぬと云ふは、第十八願につけぬと云ふことで、せめて念佛十遍称へたら助けてやらうともあるなら解りもせうが、絶對の他力と云ふことは、如何にしても難信である。よくよく聴聞せねばならぬ。      

七七 親様  
 御聲が親様である。活佛はこれぢや。      

七八 必墮無間の者を  
 南無と云ふて佛と云はんとする間に無間に堕ち込む無常迅速、油斷のならぬ危い恐ろしい此身の上なり。その今堕ちるものを助けるの本願。堕ちぬものを助るとのたまはぬ。それぢやに、存外いつの間にやら、堕ちぬやうな気になり、堕ちぬやうにならうとかゝる。きつときつと今おちる。きつときつと今御助け。たつた一句の南無阿弥陀佛。大丈夫々々々。十方諸佛の證人候。今宵の命に證人なし。薄い氷の上、日の坑の上で佛につかまへられた仕合せ、言語に絶す。      

七九 三つの誤り    
一、呼び詰めの親様を忘れて居るほどの誤りはない。  
一、死ぬることを忘れてゐるほどの無用心はない。  
一。念佛者が念佛申さぬほどの不似合はない。      

八〇 今  
 永々ちやらくらの付き合して、今往生か堕獄かの大事を忘れて調子合せ、沙汰ばかりしてきたことの口惜いやら殘念やら、然るに今の御助けにあひ奉ることまことに百千萬兩にも換られぬ。  明信さんが、いつもいつも、「今の出立ぢや、今の御喚聲が今どう聞える」とのこと。いかにもいかにも恐れ入るばかり。「しかし聞えたでもうよいと云うことではない」とのこと。今頓死、急死、寝入死せまいものでもない。それで只今の御助け、至極短命の機を本とし給ふ大悲の本願にあはず如何せん。「出づる息入るを待たぬ機を本とする」と仰せらるゝ思召に疑ひはれたら、立ち處に死んでも往生する。  今でなければ後生でも佛法でもない。また他力ということも立たぬことになる。後も先もない、今だけならば、もうどうのこうの已は立てられぬ筈ぢや。今助くる助くるの御喚聲、口元の御勅命、今ぢや今ぢや、その外はみな妄念なり。  皆が、もうちつと有り難うなられさうなものぢやという。よく思へ、そんなこと云うてゐる暇があるか。そんな暇はあるまい。そこが大悲本願の御目当ぢや。一念往生をもつて宗の淵源とし給ふ處である。  如來様が今助けてやると仰せらるゝ。今でなふてもよいというのか。まだ死ぬまいから、まあまあ、死ぬる時で宜敷いと云うのなら、もうもうきつと仕損ずること必定ぢや。あなたが今助けると仰せらるゝから、今助けてまらひませう。さあさあ、今晩、只今。  臨終は危ない、あてやつもりはあかぬ。今ぢや、今助ける、そのまゝぢや。   
 たつた今まつさかさまに堕つる身と  知らせてすくふ佛なりけり      

八一 御聲一つ  
 御聲一つ、天地法界に今の御聲ほど尊きはなし、助くる助くるの仰せに間違ひは御座りませぬ。   南無阿弥陀佛、今呼んで下さるゝ、   南無阿弥陀佛、また呼んで下さるゝ、  今御助け下さるゝ、今宵死んでも参らしてもらひます。今の口元の御勅命。今ぢや今ぢや。    
 今死ぬる身をばそのまゝ救ふぞと  ひまなくひゞく弥陀の喚び聲     
「ながき夜のやみ路をてらす光には  称ふる御名のほかにやはある」      

八二 とせ女の領解  
 京都とせ女は京都にて等覚寺につきて聴聞せし好人なりき。ある時、妙改尼に語りて曰く。「妾も永々聴聞して來ましたが、今になつて何一つ覚えたことは御座りませぬ。知つた事はなにもありませぬ。たゞ今日まで御言葉につぬやう御育て蒙つたのが、たゞならぬ仕合せと存じます。」  また、或る時妙改尼、同人に領解を聞かせられんことを乞ふ。とせ女。 「何にも御座りません御座りません」 「それでも永らく聴聞なさつたもの、何か一言」と。 「何も御座りません御座りません。しかしどうしても言はねばならぬとあるのなら、    南無阿弥陀佛。」      

八三 平生の用心  
 老山師の話に、木を切り倒すのに、西にこけるやう切目を入れるばかりにあらず(なかなか切目が入らぬによりて)せいぜい東の小枝に切り落さえばならぬ。兎角因縁うすき者は、好んで雑縁に近寄る。炎硝箱を負うて火事場へ行くごとし。銘々の胸のうちには炎硝が仕込みあるゆゑ、火の縁にあへばすぐ爆發するなり。それゆゑ所と友は選ばねばならぬ。      

八四 拙誠  
 巧僞不如拙誠(淮南子顔子家訓)  恩師曰く、此一句佛語に非ずと雖も、終身是れを誦して可なり。  (恩師とは本派勸学日野町瑕丘宗興師にして、亡父 十七歳より親しく師事し、宗餘乗を学ぶこと数年。)      

八五 歯      
 孫の歯のはえかはるころぢゞの歯は  落ちて身にしむ南無阿弥陀佛      

八六 堕ちる者を  
 地獄へ堕ちる者を御助けぢや。堕ちぬ者を御助けとは仰せられぬ。それを皆が堕ちぬ身になりたがる。  
一蓮院師、「誰が地獄へ堕ちまする、」  
香樹院師、「極樂行きが堕ちるのぢや。」  
一蓮院師、「それでは極樂へは、」  
香樹院師、「地獄行きが参るのぢや。」      

八七 雪と墨の違ひ  
 自らはいかにも信得たやうに思ひ、また口にも云ひ、他人からは、あの様な事ではと眺めらるゝ人。  また、私は信心不足、聴聞不足で御座ります、どうか御異見に預りたう存じます。御直しを蒙りたう御座ります、と云ふて居る。他人からはあの人こそ御浄土参りする人ぢやと羨ましがられる人。ほんに雪と墨ほどの違ひぢや。「尊き人より、尊がる人が尊い、」とのこと。人は何と云ふとも、佛様が御助けと仰せらるゝと云ふは、それきりのこと。     
「得た得たとおもへる人は得ざるなり   まことに得たれば得たと思はず」      

八八 鬼の親  
 無佛世界も、鬼界が島も、餘所にあるではない、この私が胸の中、ほんにほんに無宿善の大邪見者であると、誤り果てゝ、本願にすがるのを、待つてゐたまふのぢや。      鬼を生む親とて外になかりけり   よくよくみれば我心かな      

八九 賣法  
 大坂の多田きく女來り曰く。「貴僧は出離大事の心懸より人に逢はず、いつも御聖教に向はれ、改悔懺悔の涙にくれて、只管御念佛なされてると聞きまして、せめて後姿でも拝みたいと思うて参りました」と。  なかなか我は其様な者ではなくて、体こそ寺から一歩も出ないが、我身に聞くのを忘れて、やはり賣物にし聞かせ屋になつて來たことの恐ろしや。勿体なや、恥かしや、殘念や。等覚寺様のやうな、浄土かくれ参りの尊い御姿を、遅蒔きながらも、今日から習ひ度く候。惠心様の御異見(惠心僧戸、自ら鬼に捕へられんとする處を三尊により攝取される圖を畫き給ひしこと)、只今頭下足上の身、ようも今日まで、命を賜はつたればこそ、噴火山上にて、道草取りし身に、今の御聞かせとは。      

九〇 言の失が腹にまはる  
 私が斯様々々に聴聞しました。と云ふのと、斯様々々に御知らせ蒙りました、と云ふのと違ふ。『御聞書』の「御恩をと御恩がと云々」のこと。      

九一 僧分  
 兎角身を嗜む心にもなり、報謝をつとむる気にもなれども、佛願の生起本末になると、最早知つて居るとなる。  これが僧分の如何にしても改まらぬ執なり。      

九二 すきが敵      
 便りなき身にたよりができて できたたよりがたよりない      

九三 心の鬼  
 御聞かせが御與へぢや。往相廻向と云ふも御聞かせぢや。宮川の信女曰く、「恐ろしい心の見ゆるまで聞くのぢや」と。    
 坊主でも鬼には勝てぬ地獄かな  病にまけて寝てる醫者どの  
どうしてもこうしても、云ふことを聞いてくれぬ奴ぢやと云ふことの知れるまで、よく聞くのぢや。其心の鬼に勝ちたいと云ふ料簡なら、あやまりと云ふものぢや。      

九四 仰可頂載  
 大正八年一月二十五日  内事局より御染筆の御短冊を御下賜     勿体なや祖師は紙子の九十年  同三十日、当職御禮に参拝。是私が平素、大様油斷に暮し、勿体ないと云ふこと、冥加と云ふことも知らず祖師の御恩も忘れて居る故、其誤りを御知らせ。さきに、明治二十年一月には、『六要鈔會本』を賜はりてより、毎朝佛前に焚香して拝讀して居るが、重ねて願ひも望みも致さぬに、向ふ様からの御與へは、信行共に御回向なることを御知らせ。それを戴きかねて居る故、目に物みせて、斯の通り、たゞ頂くばかりと云ふことを、御知らせの程、身に沁みて、実にありがたし。      

九五 私一人を御目当て  
 こんないやらしい爺々が、可愛うて可愛うてならぬさうな。助け度うて助け度うてならぬさうな。今迄その御慈悲に背いて、逃げることにかゝり詰めの佛敵法敵なりしこと、あやまるばかり。      

九六 聞きわけた人と信を得る機と  
 聞きわけたいと思ふ人は、法義者になつて人に聞かせる。信を得たいと思う人は、弥陀の御心を知らせて貰ひたいと云ふの故、譯や道理がわかつて人に聞かせるのとは天と地ほどの違ひがある。信を得たいと云ふは、弥陀の御心をお知らせ蒙りたいというの故、たゞ道理を覚える事ではない。      

九七 話し過ぎて愧かしい  
 越前の信者宇兵衛來る。曰く、私先ごろ盲太平同行を訪ねまして、「今出て行く先は、どう致しませう」と、言ひ終りませぬうち、「そこそこ、此太平こそ、其處を忘れて浮々暮して居りますのを、ようも今日御知らせ下さいました」と、却つて打驚かれて、夕方まで相談さしてもらひましたが、語り過ぎた私が後からお愧かしう御座りました。」      

九八 数珠  
 福田静観氏より鬼菱の数珠を贈らる。    
 わが心これ鬼なるをよく知れと  さづけられたる鬼いしの珠数  
野田だづ女より骸骨の珠数おくられて、    
 入る息をまたぬ後の世忘るなと  おくられにける骸骨のじゅず  
右二つの珠数は危き命と恐ろしき心とを知らせ賜はるなり。    
 よるひるに百八の角ふりたつる  鬼の轉ずる弥陀の名號      

九九 光に背く  
 遊林曰く。「真宗別途の他力を疑ふことは、かつは無明に痴惑せられ、かつは明師に逢はざるが故なり。」『口伝鈔』とあるに付き、「無明に痴惑せられるとは、無明にあほうにせられて居るのぢや。また明師に逢はぬと云ふは、御化導を後にして已が分別を立てゝ居るのは、明師に逢はぬも同じことぢや」と。      

一〇〇 念佛者の癖  
 念佛を誹るものはあるまい。誹るのは何か念佛する人に癖があるからであらう。  念佛は癖づくまでが大事ぢや。しかし癖のあるやうな念佛は申すな。      

一〇一 空ら腹待ち聞き  
 聞く時だけで、腹はからぢや。それぢやで、助けてやらうの仰せ一つがまことに尊い。      

一〇二 信不具足、聞不具足  
 私は斯様々々に聞いた、と心得て居るのが聞不具足。  また、斯様々々に思ふて居ります、とすまして居る のが信不具足。  蓮如上人は、「信心不足信心不足」と仰せらるゝ。  なにが足らぬ。此方にいろいろと思ふのが不足ぢや。 聞きざして安堵のなるのが御回向の信心ぢや。      

一〇三 たゞと云うこと  
 弥陀は聞いて來れ。釋迦は聞いて行け。諸佛は聞くばかりで往生御受合ひ。  これは唯と云うこおt、丸々他力と云ふこと、一念往生と云ふことを御知らせ下さるゝのぢや。  太助曰く。「だんだんたゞと云うことを知らしていたゞきます。」      

一〇四 あての違うたこと  
 湖北下八木のとよ女、京都よりの歸途立ちよりて、私は淺井の詰所で八島の弥七さんに逢ひまして、一言聞かせて下されと申しましたら、弥七さんが、「私は大につもりがはづれてねい。大金持ちになり、樂隠居でもするやうに思うてゐたがだんだん聞かせてもらうと、今度は丸裸にして親様が何時も離れず引いて下さるゆゑもうぢつとしてゐられぬ事になつた。お前さんも御化導の御手離れせんやうに、他施設に御聞かせ蒙りなされや。」      

一〇五 聴聞、相談  
 我身の心得や聴聞は廣く人に付いて聞き、出離の相談は此方一人と見込んだ人に一すぢに調べて貰ふがよい

一〇六 仰せ一つ  
「坊主は大罪人なり」と刑場に据えられて、「其罪が深ければこそ、阿弥陀如来は御助けあれ」と、その罪助けてやれの勅命がかゝつて下された。もうもう仰せ一つ。地獄へ行かばゆけ、堕ちばおち次第。必ず必ず相手になるな。とかく教を軽しめ已を立てゝ、小言を云ふて居るとは、以ての外のあやまりなり。いよいよ仰せ一つを重んじて仰ぐ外はない。      

一〇七 虚假不実  
 こゝに六郡八ヶ國の物五十人七十人、毎日々々寄合ひても、実の法義相續にあるまいならば、それは花見遊山、芝居見物に人の集まつたのも同前と云ふものぢや。    
 定散の臭気にひかれもろ人の  蠅のごとくにつどひくるなり
 名高魔弥盛(なあらはれてまいよいよさかんなり) 人集道増退(ひとあつまりてみちますますしりぞく)。と云ふものか。      

一〇八 御化導を後にするとは    
 一、無常を忘れ。  
 一、造罪を忘れ。   
 一、後生を忘れ。  
 一、護育を忘れ。   
 一、念佛を忘れ。 
 一、御恩を忘れ。    
  
一〇九 明々白々  
 ぼんうは決定して沈むなり。佛は決定して助け給ふなり。盡未來際つきぬけ堕ちゆく身、久遠劫來つきぬけ助ける助けるの大願心。どちらも無限無際、恐ろしいとも頼母しいとも、願力回向、他力回向なればこそ、たゞ本願力を拝む外なし。     
 
一一〇 獲信の心持ち  
 朽木某。あなたはもう信を獲られましたか。  我は信を獲たるとも、未だ得ぬとも、そこらあたりのことではない。今にも数千丈の谷底へ、將に落ち込まんとする處を、大丈夫な親に抱きかゝへられた心持とも云ふべきか。      

一一一 幽事を本とせよ  
 佛者は幽事を本をすべきこと忘却ぬやう。      

一一二 僧宝  
 先年、正親老人と北國御旧跡巡拝の節、真宗のある土地にて、袈裟着用の真言宗の某僧、立ち止まつて恭しく我等を禮拝せらるゝに逢ひて、慚懼身のおき處もなかりき。凡そ途中にて袈裟着用の人に逢はゞ、せめて禮拝すべきやう、我身始め人々にも申し附けたきこと。     
 
一一三 頓教毀滅  
 御和讃に、「頓教毀滅のともがらは、生死の大海きはもなし」と。今の後生を忘れ、これ迄に聞いたことを信じてゐる様なるは、頓教毀滅ぢや。また油斷の二種。一つには、未だ真のことはないとは思へども、油斷するなり。(ドコソコデハキコエルト云ウ心)二つには、吾はよく聞き得たと思ふからの油斷も頓教毀滅になるほどに、「生死の大海きはもなし。」可愧可恐。     
 
一一四 ほゝゑむ心地  
 一日、講師石川了院師を京の寓居の訪ふ。談安心に及ぶ。師曰く。「真宗の安心は、おほゝと思はず微笑む心地か。年増の而も醜婦が、思ひもやらぬ良縁ありて、是非にと云はれた時、妾の様なものをと、覚えずにつこりしたやうなもおぢや。」     
 
一一五 法に遇ふが嬉しい  
 一日、当覚老師を其寓に訪ふ。師曰く。 「私は地獄へ堕つるかも知られませんが、今生き存へて弥陀の直説に遇ひ奉つたのが、実に実に嬉しい。遇はれぬ法に値ひ奉つたのが、何より有り難い。尊い」との事。  衲思ふ。「私は堕つるかも知れませんが」とは、何としたゆかしい御言葉、香樹院師の、「堕ちさうでならぬの、また間違ひさうでならぬ」とあると同じ意味かと思はる。そこは「心中一物なく、たゞ岸上の御聲ばかりぢや」と云う意であらう。    
 心にはなにもなくしていつまでも  法をきくべき身となりにけり    
 
 一一六 助け給へが身代ありきり  
 明信老人が「私は後生助け給へが身代ありきりだ」と云はるゝは、大量師の「助け給へが後念にも續く、初一念の相續ゆゑ、再びたのむではなけれども、縁に觸れ事に当り、またしても其味が浮ぶ」などゝ云はれるのと同意味かこれらは実際の事故、よくよく味はふべきことで、信は得て仕舞ふて、これから御報謝ぢやと云ふ様なことではあるまい。併しこゝの處はまことは大切なことで、香山院師の云はれる「その言葉を後念に用ふると、安心が紛れるゆゑ、そこへ用ふる言葉ではない」と。    
  
一一七 稼業は往生の資糧  
 長濱嘉一同行暇して歸らんとする時、  「渡世稼業は往生の資糧、きばれきばれ、但し今夜も知れぬはかない命ということを忘れまいぞ。」     

 一一八 攝取不捨  
 聞く気も願ふ心もなき、いやで嫌ひで逃げる者を、追ひまはし、撮みとつて救ひ給ふのゆゑ、何處までも逃げる心、地獄が好きで走り込む故、せう事なし、念力にいひ詰められ、餘儀なく、ぜひなくつかまるのなり。十九願の機、二十願の機とはあちらこちらなり。たゞ助けられるばつかり。それゆゑ、助かりたいがいらず、ならふがいらず、堕ちまいがいらず、仕上げる事がいらず、たゞ実言の仰せをあふぐばかりぢや。     
 
一一九 賢善の外相  
 傳へ云ふ。知道師曰く、「猫が袈裟衣着て、殊勝になりすまし、鼠に向ひて曰く。「今は斯様な姿になつたれば、こゝへ來るがよい」と。鼠曰く。「それでも眼と爪が元の通りでありますから、なかなか側へは寄られませぬ。」     

 一二〇 歌二首      
 寝ぬる間に死なば褥(しとね)もかはるらむ  熱鐵板か瑠璃の大地か  
 熱鐵の汁は甘露とかはるなり  佛力難思あゝ南無阿弥陀      

一二一 雑縁を離れたし  
 或る夜一縁者來る。当住と共に座敷にて酒宴を連なる。一夜不安。翌日惘然。其不快云ふべからず。且つ後生も茶袋も飛びけり。老人老後には異縁雑縁を遠離し、一切用心すべし。   「菩提心之魔障莫過悪友修行大賊母越雑縁不可不怖兮。」  即ち十月二日夜の事なり。後刻、婦圖法友某の引立てを受け、ほんに宝船に逢ひたる心地せり。(大正九年)   
 いづる息いるをまたぬときゝながら  うかれうかれてけふもくらしつ     
 
一二二 心こそ大敵  
 此機は何處までも聞いてはくれぬ、また聞いてくれたら大變ぢや。御化導が虚言になる。萬劫の仇ぢやもの、聞いてくれたなら、それにだまされて、恐敷しい事ぢや。定散心雑るが故に出離其期なしぢや。聞いてくれぬ故、いよいよ「たゞたのむべきは弥陀如來なり。」と云ふことを知らせてもらふ。  湖北稻葉の妙意が、「この心の金輪聞いてくれぬと云ふことの、はつきり知れるまで聞くのぢや」と云はれたのは妙言ぢや。いよいよ堕つるばかり、助けられるばつかり。聞いてくれぬゆゑ御助けに間違ひなしぢや。「有り難い心ほど恐ろしいものはない、」とは此事ぢや。いつまでもぐずぐず云ふてゐるのがほめたことではないけれど、だまされて喜んでゐる人より、心配して居る人が、如何ほど仕合せやらも知れぬ。     
 
一二三 不仕合  
 或る時、漢藉習得に通へる中野傳一郎青年に、「お前何ぞ心に叶はぬ事はないか。」 「はい、何も別にこれと云うものは御座りません。」 「そうか。お前は不仕合者ぢやなあ。」 「なぜで御座りますか。」 「それでも此世が何もかも思ふ様になつては、なかなか後生に心はよらんから」      

一二四 随分骨は折りながら  
 随分骨は折りながら、骨の折り場が違ふ。此心に聞かせることに骨折るのは、骨折り損なり。此心に聞かせにかゝるはつまらぬことなり。まだ無間の眼がさめぬ定散心なり。よくよく用心。今が火の上、薄い氷の上なら、我分別や計らひはあるまい。もうもう佛の御心ばかりゆゑ、屹度聞える。助けましませの思ひの外なし。嬉しや嬉しや。少しでも心が聞いてくれたら、それに心を休め、それに瞞まされて、してやられる。存外定散にしてやられること。よくよく用心すべし。  知道師の歌に    
 「あしきにはだまされねども定散の  少しよい機がだますぞや人」      

一二五 後世者は必ず念佛者なり  
 大濱の吉右衛門婆は、他行のとき、いつも足に云ひ聞かす、「念佛忘れたならあと戻りせねばならぬぞ」と。ときい半途より歸り來ることあり。舟に乗り行くとき、俄にあとへ漕ぎ戻させられた事もあつた。聞く一つに執心した人斯くお念佛に心懸けられた。聞くとは称ふる念佛の謂れを聞くのなり。  念佛者は必ずしも後世者ならず。後世者は必ず念佛者なり。     

 一二六 堕ちる機が有りがたい  
 第十九、第二十の願はたすけりにかゝるのぢや。第十八願は助かりたい機のない逃ぐる奴嫌う者を、手段にかけて、思ひがけなくせいめらるゝのゆゑ嬉しからう筈はなけれども、弥陀の手くだにかゝりてみれば、機法のありのまゝが見えるゆゑ、おのづから恐ろしいやら嬉しいやらなり。  先年、越前の某僧(四十位にて佛派)、來て曰く。(今まで有り難うなりて助かるやうに思ひ、臨終は有り難うなりて参るやうに思ひましたが、たゞ死にともないより外は更に御座りませぬ。この三罪かゝへて堕つる機がありがたい。死にともないなり無理引きに引き込まるゝので御座りませうか」とて、念佛絶間なかりき。     

一二七 子を負うて子を探す  
 子を負うて子を探すごとく、提灯つけてすり非を探すが如し。念佛称へながら信心を探し、機法一体成就の名號の由れを聞きながら領解を求める。      

一二八 盲目の子  
 因みに書す。雖盲目真我子勝他人愛事。  盲目の子は、親憐勝明眼子事。  盲目の子は附き傍ふ親を力にするより外之なき事。  子不見親常見子事。  盲目の子の飛びまはるを案ずるは、目の明かなる子の飛び廻るに同じからざる事。  盲目の子の親を呼ぶに、親直に傍に來る事。  盲目の子は親を真実と思ひながら疑ひふかき事。  盲目の子は親より賜はるものを見ること能はざる事。  盲目と雖も大王の子ならば百官萬臣みな敬重する事。  信を得た者も盲目、信を得ぬ者も盲目、盲目の子を親がながむる如くなること生盲なれば、目をあけたい思ひなし。 目の見えぬ子は、目の明かなひとの側を離れぬやうにする外は怪我せぬ道理なし。『香樹院随筆』     
 
一二九 堕つるも実際、助かるも実際  
 寒はさむいで寒い。土用は暑いで暑い。鷺は白いで白い。烏は黒いで黒い。堕ちるで堕ちる。助かるで助かる。右は堕身になりて堕る機に御助け引きつけて、助からぬものを御助けと心得て助かると云ふやうな拵へものにあらず。堕ちるも実際、助かるも実際なれば、堕身になりて大悲の仰がるゝが御回向の生きた信心なり。      

一三〇 立撮即行のこゝろを     
  よくきけば今やさかさにおつる身を  攝取不捨のひとつかみなり      

一三一 意業に受けて意業にはなる  
「衆生の心に關せず」の御言葉、まことに尊し。微塵も私の心に係らず、無理びきにひかれ、仰せだけと云ふことがいよいよ明かになり、嬉しい嬉しいと喜ばるゝのぢや。  もし凡夫の心に微塵ほどでも關するならば、若不生者の御誓ひも迚も立たせ給はぬ。諸佛も御受合をなされることは出来まい。いよいよ只今御助けのこと明かなり。     
死んでからおつる地獄と手のばすな  今のこゝろをいまのおたすけ      

一三二 今是れ時なり  
 法照禅師、文殊菩薩に逢うて、只今我身に相應の法は何ぞや。文数菩薩、「まさに念佛すべし。今此時なり」と。      

一三三 堕ちる心一筋  
 炎廳の呵責は此私なりと、まことに思ひ知られねば、佛法の味は知れぬこと。  ほんに、此老僧ばかりは、一言の申譯もない。處で僧分はまことに骨折つて聞き求めることがなりがたい。物知らぬ者に百倍まして骨折らねばならぬと云ふがこゝぢや。      

一三四 信豚魚に及ぶ  
 某漁人が何時も近くで遊んで居る鴨も、今日は捕へやうと思ふた日に限つて、もう側へ來なかつたと云ふことである。  今はたすかりにかゝり、信じにかゝるではない。弥陀の御真実がいたり届いてくださるゝのぢや。何時のことゝ思ふなよ、今日、かく願ふ心になり聞く機になつたのが、早や久遠劫の御真実が届いて下された印ぢや。愈々有り難く頼母しく、喜び喜び樂沁み樂しみ聞くべし。彼尊は早く早くと御待ちかね故、念佛しつゝ聞くならば、何時の間にやら、久遠劫來の無明疑惑の臍が落ちて、往生の大事に安堵が出來るなり。      

一三五 一念往生  
 地獄一定の丸裸にひきむいて、應法の妙服を着せてくださるゝ。今地獄へおつる處を、撮みとつて、今の御助けが、一念往生、便同弥勒。   
 「御佛に手をひかれてぞゆくときく  迷ひごゝろはさもあらばあれ」     
 
一三六 天上の月一輪  
 大海嘯(おおつなみ)に残るものは、天上の月一輪。仰せが佛法なり。聞いた心が佛法ではに。もうもうかけはなれたことなり。仰せだけが真実のこと。義なきを義とすること。計らひなきが上計らひ。分別なきが上分別。      

一三七 今日の嬉しさ     
  またもまけまたまたまけてまけどふし  まけてあやまるけふのうれしさ  
勝つに骨折るは外道、敗けるい骨折るが佛法。     
 
一三八 継ぎ足しではない  
 一、待つにも非ず、調べるにもあらず、今迄は凡心なること。今別に御恩を戴いて、往生を決定することなれば、あなたの御手許に夜が明けるばかり。此心は萬劫の仇也、無有出離之縁の機なり、と知らせてもらへば、待つたり、調べたりする手が盡きて、願力攝受の大悲を仰ぐばかりなり。待つたり、調べたりしてゐるのは、未だ機の真実が知られぬからなり。かの「何のやうもなく、機の深信を頂く」とは、この事なり。  
二、継ぎ足しでない、末を待つのでもないと云へば、なにか気に入らぬやうでもあるが、よく思ふてみれば、若し継ぎ足しもしたり、先待ちせねばならぬことならば、短命の機は如何せん。昨日今日聞き始めたものや、継ぎ臺を持たぬ者はなんとする。一念往生の本願は無常迅速の機にて、聊か継ぎ木臺も持たぬ者が御目当である。若し左様でなくば、洩れて堕ちゆく外はあるまい。  こゝが末世相應の要法と云はるゝ處であらう。      

一三九 櫻が池に詣でしときゝ      
 われに自力すてよと示すてだてにや  ひぢりのめぐみふかき池かな         
    〇     
 よくきけば二つのまことしられけり  おつるまことに助かるまこと      

一四〇 聞き屋で果てよ  
「罪無きに罪を見、之を誡むるが師ぢや」と『善見律』にあるが、先へ廻つて罪をみて誡むるが真の師であるとのこと。 「我に誤りない」と思ふが慢なれば、是れ即ち誤りなり。「私のが本真ぢや、是れが御正意ぢや」と思ふ誤りが知れかねる。ちと知れば、早人の世話にかゝる。越後の信者四郎兵衛は、人が側へ寄ると逃げられた。人の手元の善し悪し云ふ暇はあるまい。希有難遇の思ひ、恭敬尊重の思ひから、ひれふして、聞き屋で果てよ。  「一大事たつた一度の一大事    知る人あらばたづねたきもの」      

一四一 虚言     
 うそにうそ三業ともにすべてうそ  うそに目鼻のつきし身なれば    
 うそつきのうその中よりあらはるゝ 念佛のみぞまことなりけり      

一四二 終を完うずる  
 本気になると、きつと矛盾が出來、魔障が現れる。本気にならぬと、魔さへ妨げぬ、仲間にして喜んでゐる。さてと心に踏み出すと、いろいろの障りが起る。其處からが骨折ぢや。  また、真の信を得るまでは皆人並みぢや。  また、「終りを慎む」と云ふことが大事ぢや。一角若い時から出離に心掛けたものが、晩年に妙なものになるのが尠くない。人に用ひられ、尊まれ、賣り屋になり、聞かせ屋になりて、懈慢界に堕ちて仕舞ふ。そして御報謝々々々というてすまし込んでゐる。我機の真実がほんまに知られたら、どうして足許の用心せずに居られうぞ。  僧分でも布教に出ると、きつと心が變る。  香樹院師の歌に    
 われと云ふひるぬす人にゆきあひて    南無阿弥陀佛の宝とらるな      

一四三 閉口先生  
 昔、支那に閉戸先生と云ふのがあつた。我また閉口々々。ほんにへいこうなり。たゞ念佛致しく候。此度佛祖の大善巧より、危き命を引き留められ、誤りを御知らせ頂くことは唯事とは覚え侍らず、たゞたゞ感泣の外なく候。若し外來の人あらば、  聞きやうが足らぬ、信じやうが足らぬ、地獄の知りやう、御念力の聞きやう、御慈悲の聞きやうが足らぬ。聞不具足、信不具足、そればかりにてよし。必ず必ず餘言云ふまじ。     
朽ちあけばうそと自慢の外なし  かく云ふもまたうそと?慢      

一四四 必ず真似ぬやう  
 衲が如き偏奇なる振舞ひは必ず真似ぬやうにすべし。世に背いて蟄居などし、紆曲々々してすえ恨みたる様など、甚だ以て二諦相依の敬意にも背馳し、佛祖に對し参らせても、申しわけもなき次第なり。  但し豫が如き娑婆執着の手強き外道坊主は、斯く隠栖して居つてさへ、腹の中は名利愛欲我慢我情ばかり、若し世表に出でなば、丸々ひき込まれること火をみるより明らかなれば、よろしからずと知りながら、已むを得ざることなれば、必ず真似ぬやうにすべし。    
 根をしめて風にまかせる柳かな      

一四五 それが本道  
 某同行、此後生何と致しませう。  何、後生を何とせうと云ふのか、それは御本願を我からおしかへして居ると云ふものぢや。しかしそれが本道ぢや。      

一四六 躊躇する時ではない  
 伊勢妙念尼は若年より尼となり、自ら焼火箸もて顔を傷つけて聞法せし厚信者なりき。或る時曰く。私知道様に謁しました時、同師が、「若い時から尼になる様な人にろくな者はない」と、睨み付け給ひ、約一時間も経てから、「今死に行く未來となつたら、誰が世話して下さるぞ。諸佛の御手にも洩れ、菩薩の御慈悲にも洩れ、一切の諸佛も寄り付き給はず、誰一人手の掛け手のない身ぢや。どうするつもりぢや。生きて居る間こそ、いろいろ小言を云ふて居るが」との嚴誡に身も縮むばかりでありました。  また同師の仰せに、「千石の荷物をたゞ戴かせてやらうと云はれる程の慈悲の人から、此手紙一本持てと云はれて、それはいやとは云はれまい。今更こんな機ではなどゝは論の外である。」      

一四七 戻る所はない  
 或人、私はいたり、戻つたり致して居ります。  何處まで行つたと云ふのか、大体弥陀をたのむと云ふのは、地獄の釜底でたのむのぢや。もどると云ふ所はない筈ぢや。      

一四八 角と艶    
 瀬邊遊玄医博。これまで多くの知識を求めて聞法して來たが、角と艶とのとれた人は一向出逢へなかつた。たゞ一度、北國順拝の際、某老僧が、極めて無我に出離の相談してくれられたのは、何としても嬉しく尊くあつた。其時側に坐つて居た六七歳の新發意(しんぼち)に、「なあ、お前もよう聞かせてもろうておきなされや」と注意を與へられしなど、ゆかしく感じた。  どこそこの誰と云ふ信者が、大概は、定散の艶と、我慢我情の角でもたしてるのぢや。我もその一人か。      

一四九 はからひ  
「宿善の機は何とどう云ふても聞かせても、まことの信を得るまでは落ち着かぬ。これはありがたいことぢや。」とかく早く埒あけて仕舞ふから、其手造りの信心が邪魔をして、実の信を得させぬ。      

一五〇 阿呆が宝  
 伊勢國西日野の治郎造は純朴な人で、毎年、御本山御七昼夜に缺かさず参詣しては歸路立ち寄つた。或る時曰く。「わしは何も知らん阿呆ぢやで却つて幸福ぢや。これでも算筆が出來るものなら、土地相應に用ひられて、なかなか佛法聴聞に心をよせることもなるまいに。命は法の宝と聞いて居るが。わしは阿呆が法の宝ぢやわい。」  また、「もの云ふとまけがついてどうもならぬ。默してるがよい。」  また、「わしは心に棚かいてゐるやうぢや。」  一蓮院師の歌に、    
 あほになれあほにならずばこの度の 浄土参りはあやうかりけり      

一五一 煩ふ私へ  
 湖北南速水のいと女、滞在中の難波の林左衛門同行を訪ねて、「外の同行衆は皆ぐずぐず云ふて居れる様ぢやが、あれはどうであるのか。」林曰く。「お前さんもせめて半月居てみやれ、あゝなつて仕舞ふに」と。「それならお前さんの領解を聞かして下され。」林曰く。「私に何が有らう。何ぞあつたらどうしてこゝに居られうぞ。」いと女一喫驚す。其夜半、林の戸を敲く者あり。林曰く、「誰ぞ。」「はい私。」「おいとさんかい何事ぞ。」「どうしても寝られませぬ、あけてくだされ。」林曰く、「もう曉も近いではないか。」「でも仕方がないもの、どうせうどうせう」と案じ煩ふ。林曰く、 「それそれ、それぢやで、どうせう様はない。そのまゝ今堕ちゆくのぢや。それなり今助けよう助けようの御喚聲がかゝり詰めに響いて下さるゝのぢや。」  いと女喜び喜び歸る。     
 
一五二 機はそのまゝでよく聞け  
 大阪女同行曰く、私は聞いても聞いても法にあまへて居りますやうな心地で、どうも薄気味悪い處が御座りまして云々。  老人曰く、多くはその様な時に、凡夫の心は何時までも、それよりないから、それにかまはず、御慈悲の御手許へ立ち戻るのぢやと教ふるが、斯く思ふて仕舞ふは邪見と云ふものぢや。明信寺は、「おしおしするとうろうろする、それなりにすましておくは大様の第一なり。」また、「宿善の薄いものは気持わる気持わる日を送る、宿善深厚の機は命がけに骨折つて聞く。」と仰せられてある。斯様に、気にかまはず相手にならず、御慈悲に立ち戻ると云ふのと、機はそのまゝで法をよく聞けとすゝむるは、違ひがあるが、臭い物に蓋して置くやうなことではあるまい。「自性が知れぬと、あとに法が崩れる」と云ふことがある。よくよく思着すべし。      

一五三 雷  
 長濱の上野虎吉、越前の山田久子、名古屋の松江女の三名、大雷雨の翌朝  松江女、「昨夜は大雷雨にて、もうもう恐ろしくて恐ろしくて」と。  何、落つるか落ちぬか知れぬ雷を恐れて、落ちかゝつてゐる今の後生を怖れぬとは何んぢや。  山田久子、「私は雷が一寸も恐ろしくは御座りませんので。」  なにつ、雷が一寸も恐ろしくないと云ふのか、皆が恐ろしがるものを、恐ろしくないなどゝ虚言を云ふな。  上野はどうした。此時、上野虎吉、黙す。  何ぢや、うまい事云はうと思ふて考へてゐるな。      

一五四 あやまり  
一、地獄が知られずして極楽は知れぬ。  其地獄とは我拵へる地獄なり。それを知らぬ故、地獄が遠い未來にあるやうに思ふ。  
一、悪道へ落つる因縁が解らぬ故、極樂へ参る浄土の因果もわからぬ。  
一、我が虚假不実が知られぬ故、法蔵菩薩の御骨折が知られぬ。      

一五五 後生が案じられぬ  
 和泉國某同行、「どうも私は後生を案ずる心が起りませぬが。」  さうぢや。案じるも凡夫の心。案じる心の起らぬのも凡夫の心。そこらあたりのことではあるまい。  たゞ願力を仰ぐばかり。      

一五六 聴聞育ち、念佛育ち
   某が、「私は聴聞育ちは嫌ひぢや、念佛育ちでなけら」と云ふたのが、これまで如何はしく思ふたが、尤もな事で、とかく称へる方ぢやの、聞く側ぢやのと云ふのが誤りで、ろくに念佛も称へないで、私はかう聞いた、かう心得て居るとすまして居るから、聴聞育ちまどゝ云はれるのぢや。  行住坐臥、南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛と称へて、そしてよくよく其謂れを聞くのであらう。ほんに今口に称へるこの名號、我身の助かる名號と、よくよく聞いてみれば嬉しや、それをたゞ口に称ふる事ぢやと云ふ様なものは、まだ聞きわけられぬ身の上ぢや。      

一五七 屈執すると勢いがない  
 機に屈執するのと、後生どうせうとかゝるのとは大違ひである。機に屈執するものは勢ひかないが、此後生どうせうになれば勢ひが出て、聞けば聞くほど、愈々張合よく求める。      

一五八 仰が佛法なり  
 伊勢より來れるきみ女。「妾等は何と云はれましても、東が西としか思はれませぬ。あの東に見ゆる江勢境の高い山が、伊勢までは西に見慣れて居りますから、しかし翌日晨朝後、その山から太陽の出るのを見まして、やはり東であつたと解りました。それでもまた昼頃になると、西ではないかと疑はれます。」  信ずると仰信することぢや。聞いた心が佛法ではない。仰せが佛法とは此事ぢや。      

一五九 知らせて貰ふばかり  
 信知の知は智と異なれり。智は分別して、向ひのものを此方より照す智なり。知は佛の教によつて、我機の有様、法の道理を照されて、思ひ知らるゝ處なり。 「かゝる機なれども、不思議の本願に歸すれば、かならず安養の往生をとぐるものなりと、知らせ給へりとしるべし。」『御文』 「広劫多生の間にも、出離の強縁しらざりき。」『和讃』法然上人に今度知らせていたゞいたとの仰せぢや。今日の我等勿体なくも、しらせることにかゝり、知りもせずして、知らせ屋になつて居るは、実に恐るべきことなり。      

一六〇 傳言  
 或る時、播州うめ女への傳言に、 「お前も、俺も、とうどう聞かせやになつたから、鬼の餌は覚悟して居らねばならぬ。」  また、「行はたとひ名聞でもつぶしがきくが、拵へた信心は犬の糞にも劣る。」      

一六一 自警  
 求名領衆則身心疲  不如狐獨而無境界。 (空也上人之語略)

一六二 攝取信心  
 信心攝取の次第を知つて、攝取信心の次第を知らず。松明を持つて狐憑きを探がす。捕へた狐憑を護つて歸る。(土井注。狐憑が捕まったのが信心、それに先だって探すが摂取の光明) 「往生の心に疑ひなくなり候は、攝取せられまゐらせたるゆゑとみへて候。」『末灯鈔』  香樹院師曰く、「この弥陀が護つてゐるゆゑ、疑ふな云々。」  御與へが先で、御勸めが後、「弥陀の名號あたへてぞ」と。佛は一の手、私は二の手。この事忘るべからず。いつも下さる下さると心得べし。      

一六三 感恩     
  耕す分衛もなさでいたづらに   居ながら喰ふ弥陀のしゝむら   
  おそろしや勿体なやという外は  言の葉もなしあゝ南無阿弥陀     
 
一六四 居り場を知れ  
 善知識が戀しうない、御化導が尊く宝に思はれぬは何事ぞ。只今が真黒暗ということが知られぬからぢや。     「とりつめて胸のくらきに気がつかぬ」 と、ある處ぢや。今が真黒暗の獨り道中と知られてみれば、善知識がなつかしからぬ道理はなく、教の明りが尊くたのもしからぬ筈がない。      

一六五 名利    
 人くれば名利我慢がついてくる  くればくるほどなほついてくる      

一六六 法縁  
 山形縣格知学舎、本澤伍八氏等同人來院さる。?雅朴訥、其言動、見るもの感ぜぬなし。学者にして而も道念厚く、居常念佛を事とせり、明治四十三年より亡父死亡まで、十度來訪さる。西川氏の歌に、    
 きのふまでおもひをかけしあふみなる  かばたの里にけふぞいりぬる    
十一月二十三日夜初謁江州禿顯誠和聴法話歓喜餘裁拙詩呈閣下      
幾度相陪聴法場  
今宵邂逅豈尋常      
謝師感泣佛恩涙  
洗我平生邪見腸      
燈下團欒座夜深  
出離要法共相尋      
謝師破闇信心玉  
 照我平生?慢心   苧z曹洞沙門  西 川 ? 麟     再拝      

一六七 此場で御助け  
 五日、(大正十一年六月)照攝参らる。不圖、「今死ぬるを、今の御助けで御座ります、有り難ふ存じます」の一言、身に徹す。また翌日晨朝後廊下にて、「此場を離れず御助けで御座りますか、直に心が變りますから」と。珍らしく聞えて尊し。 「一念の時、おさめとりてすて給はず」との事、思ひ合さる。      

一六八 あんぽらかんとして  
 旧里野出では、余が長老(七十八歳)であるらしい、若い人が皆死んで行くのに不思議々々々。明かに冥祐冥加、只事ではない。是れ全く親様が火の藏へ抵当になつてゐて下さるゝ御庇である。或る人が、「親を火の藏へ質に入れて置いて、アンポラカンとして居られようか」と、時々胸を打ち敲かれた事を、忘失してはならぬ。現に今、日夜抱きかゝえての御養育。 (亡父顯誠は弘化三年二月二十二日隣村託仁寺藤川竟岸二男に生れ明治初年源通寺に入寺し同七年住職となる。)      

一六九 何なりとせよ  
 某同行、私は何時までも信が得られませぬ、此まゝ死んだら、殘念に存じます。何としたらよろしう御座りませう。  曰く。宿善開發は我力ではない、堕ちたら仕方がない、また素より堕ちる身ぢや。然るに、日々見佛聞法の御縁に値ひ奉るが如何程の仕合せとも知られぬ。外に地獄逃れる法があるなら何なりともなさるがよかろう。      

一七〇 慚愧  
 香樹院講師は山吹の花を愛で給ひしとのこと。自らの不実なる、実のなきを慚愧し給ひしなるべし。  又、某僧の需に應じて、「慚月樓」の三字を認めて贈られしとの事。    たまに出る汁は名利の涙かな  あゝはづかしやあゝいたましや     
 
一七一 必堕無間  
 たとひ日夜佛前を離れず、佛法三昧念佛三昧なりとも、そのまゝが必堕無間の大罪人なり、相は何してゐても、心の邪見が三悪道へ逃げかはりづめ故なり。心が迷ふて行くなり。身体はすてゝゆく。  (編者曰く。亡父は年中午前二時遅くも三時に起床、 持佛堂にて三經拝讀、内陣御掃除後晨朝、午後四時 頃重ねて御掃除、夏季は凡そ毎日自ら御花立て替え、 午後十時までは苟も身体を横へざりき。)      

一七二 門ちがひ  
 つらつら思ふに、明けても暮れても夜の夢にまで、鬼つくることにかゝりづめのこの心に、佛になる相談かけて居るとは、門ちがひも程がある。実につまらぬことぢや。仇敵を相手に我身のためになる計画をして居るとは、いかに?倒の凡夫とは云ひながら、門ちがひしてゐるも程がある。併しこれが無始以來の習慣。そこが、叱つても叱つてもついて來る乞食奴が、いつの間にやら行方知れずになりたが南無の二字の意。大事をかけ、大切に謙下して聞くばかり。      

一七三 人並と思ふな  
 かならず人なみと思はぬほうがよい。蛆蟲がいくらより合ふて人並みぢやと思ふても人間からみればやはり蛆蟲ぢや。人なみ人なみと思ふて居ても、佛から見給はゞみな蛆蟲ぢや。  伏明師曰く、「イミ、タミ、ノミ、シラミ、人間も裸蟲の随一なり云々。」      

一七四 そげそげのなり  
 阿弥陀様と仲直りしてからでない、そげそげのなりで。      

一七五 變りはてるぞ     
 たつた今かはりはてるぞこの食が  熱鐵丸が百味の食か   
 たつた今かはりはてるぞこの床が  熱鐵盤か瑠璃の大地か    
 七條をまとひし棺を堂にすゑ  くやまるゝ日の近くなりぬる   

一七六 親、 里、 因  
 阿弥陀様は、私を待つてゐてくださる親様。御念佛は、私が極樂へ参る因。  極樂浄土は、私の歸る親里。 と思へば自ら喜ばるゝ。      

一七七 ぼけても狂ふても  
 我は近頃、大分ぼけた様なり。法話拝讀しても、人と咄しても、恰も蓄音機の如し。恐ろしきことなり。勉めて佛前に出でゝ念佛せん。   
  宿業でたとひぼけても狂ふても たがへたまはぬ弥陀の約束

一七八 好人は好人のみ知る  
 近頃妙好人傳が数々編集さるゝやうぢや。元より結構な事なれど、深く用心してあまり奇異なことは濫吹せぬ方がよからう。妙好人でない者が妙好人の知れ様筈はない。大講師の法話道附等を熟讀すべし。拙老が筆頭に留むるものなど、死後必ず焼棄せよ。他見せしむれば、為に人を誤らしむることあらん。可恐々々。      

一七九 弥陀は招きづめ  
 体はふらふら、足はひよろひよろ、知つたことや、覚えたことは、皆忘れる。胸の中は真黒暗がり。永々道中記の名所旧跡の吹聴は、ゆめの如く烟の如く、跡かたもなく、根機はさつぱりつきて、讀經も出來ず、御掃除もならず、蟹の足?ぎ取られたように、ほんに浮草の如く、日々死に通し、堕ち詰め。久遠劫來の親様は日々おかゝりづめ、一刹那の間も忘れ給はず。抱きかゝへての御苦勞と御知らせ。死ぬると、堕つると、御助けとの三つは、天地がひつくりかへつても間違はうこと。思へば恐ろしや、頼母しや。喚びづめの御聲、私は堕ちづめ、弥陀は招きづめ、思ひづめ、待ちづめ。    我待衆生心無間。    (大正十二年六月八日)      

一八〇 此座から  
 晩までと延ばすな、此座から浄土参りの身となるべし。此場より信をとらせ給へ。  さあ、行かうぞや行かうぞや、ささと、あなたが先にたつて、我等が手を曳いて下さるゝ、『御和讃』、『御文』の御化導。      

一八一 御禮拝  
 病漸く重き時、一人の女同行、本堂に静かに念佛すること数時間、侍僧傳へ云ふ、「和上はもう御逢ひになりませぬ」と。女曰く。「御病気は承はつて居りますので、素より御目にかゝらうとは存じませねど、せめて此御寺の御本尊様に一度御禮が致したくて、彦根から参らしてもたひました」と。後刻、此事を侍僧より聞かれし病老は、 「あゝ、さうであつたか。此老僧は今日まで、永らく御養育を蒙りながら、一度も御禮をしてこなんだ、さあこれから御禮につれて参れよ」と。漸くのこと手を曳かれながら慇懃に拝禮を遂げられた。      

一八二 手ぶら八貫  
 吹聴道具みな棄てゝ、心を裸にしてみよ、何が残る。地獄の因ばかり。手ぶら八貫堕ちてゆくばつかり。そこへどう聞えるとの事。    
「自力我慢の城うちぬかれ 手ぶら八貫おちてゆくまゝ」      

一八三 たゞ南無阿弥陀佛  
『愍念衆生如一子。』 『甚於父母念子』 『佛心者大慈悲是也。縁苦衆生』  獨生獨死獨去獨來の私に、無始よりこのかた此世まで、多生広劫この世まで、久遠劫よりこの世まで、父の如く、母の如く、たゝの如く、あまの如く、付き添ひ給ひ、離れ給はず、今は早、もうもう、手も足も出だされず、やゝ子の母に抱かれて、おかあおかあと云ふごとく、    たゞ南無阿弥陀佛。      

一八四 佛力難思  
 四五十年來、机に倚り、夜も昼も命がけ、昼寝せず、讀み書き、寫したり、調べたり、相談したり、命がけで拵へた助かり道具、どつさり負いひなて、たつた今ずぶずぶと堕ち行く處を、それなり、ひつ捕まへられて助けられるばつかり。  あら恐ろしや、あら嬉しや、嗚呼より外の言の葉もなし。    南無阿弥陀、あゝ南無阿弥陀、南無阿弥陀。 「奇哉佛力難思 古今未有」『信巻』      

一八五 聞きざし  
 聞きざしとは、そのまゝと云ふこと、仕上げのいらぬこと、今をも知られぬ至極短命の機を、曳らさぬとの大悲ゆゑ、聞きざしと云ふこと実に尊し。     きゝざして今日はこの世をかしくかな      

一八六 遺偈    
一生造悪 如小水魚   
報甚將墜 願力攝受  
   〇    
七十年何所成    
都空事戲事耳    
唯有一句実在    
南無阿弥陀佛      

一八七 辭世    
  定散のかざりをすてゝまるはだか  たゞ願力にひかれてぞゆく  書簡
一  御大病御迷惑御察し申上候。百千萬巻の經論釋を腹にたゝんだ大学者でも、五十年間聞いた者でも、今出かける後生となつてみれば、真暗がりより外なし。現在只今が、私も貴方も、方角なしのくらやみゆゑ、手を引いて下さるゝ善知識の御化導、如來の御よび聲。  古徳の仰せに「盲人が親の迎ひを得て、この手にすがれと聞いたとき、嬉しくすがるべし。元の心は眼をあくに非ず。矢張元の暗いなり方角の解らぬなりで、我家に連れられて行く事が明らかなるばつかり。他力の聞きやうかくの如しと云々」  とかくはつきり成りたいとばかり思ふは生れ付きの盲人が、眼を明いて一人旅せんとするが如し。蓮如上人は、     
「知識より迷の闇に手をひかれ  今にかゞやく花にこそすめ」
と、大丈夫々々々。善知識の御手とは即御化導。即ち弥陀の御喚聲なり。口にあらはれ給ふ御念佛なり。念佛即ち南無阿弥陀佛なり。佛体なり私の往生の正因なり。確かな確かな往生の正因なり。たしかな證據なり。よつて蓮如上人は    
 「一人でもゆかねばならぬ旅を   弥陀にひかれてゆくぞ嬉しき」
 私の方はいつもいつもがたがたふらふらなれば、六字の仰せが大丈夫々々々、真実の親に如才なし。呼んで下さる下さると思ふて念佛し給ふべし。たつた今、親様が拝める拝めると心得て念佛すべし。面會しても此外に申すこと更になし。   豊原老院様        二    復啓暑気堪えがたく候。まづまづ御無事に御渡りめでたく候。此度の出來事、何かと御心痛のほど申居り候。何事も何事も宿業因縁、仙人殺害の報いと諦めよとの御示し、かの一茶が子を失ひ、 露の世はつゆの世ながらさりながら と、愚痴をこぼされ候風情にて、またしてもまたしても、つまらぬことが思はれ、しんきなやら悲しいやら、さあさあこゝぢや。「ちんば馬と後世者はまがりとで解る」と。師の歌に、    
  おもふことかなはねばこそ嬉しけれ  さらではいかで弥陀をたのまん
 古人は右の下の句を、獨り言云ふて居れと申された。なにもかも、とんとん拍子に運んだなら、娑婆執着の強き者が、いよいよ此世大事となつて、卑しい、きたない事にかへて、後生の大事をとり仕損ずることは、日月をみるより明かなり。宿業とは云へ、是れ全く佛祖の御計らひ、また、古の信者が難に逢ふ度に「これ佛恩なりこれ佛恩なり、」と喜ばるゝ。その故は、「あの時我既に死すべきを佛のがれしめ給ふ、これ佛恩なり」と。銭損しても、体に怪我しても、これ轉重軽受の御利益なりと喜ばれしこと。  釋尊さへも、御一代に九度までもの御難を吹きかけられ、大衆の中にて辱めをおうけなさしこと、これ神通自在の佛の御身にても、宿業の免れ給はぬ事を示して、如何なる災禍に逢ふても、佛道修行を退轉しるなよとの御誡めなれば、いよいよさしせまる後生の大事より、とりつめて聴聞ありたく候なり。   某殿          
三    一筆申進め候。極寒の折柄、大切に御養生専一候。最早一兩年の壽命と承はり候ても今晩も計られぬ命、油斷ならぬ御事に候へば、愈取りつめて御用心有り度く候。此度無始以來の生死を離れて、浄土へ往生するといふ大事を、不可思議の因縁にて、御開山聖人の御流れを汲み、かゝる悪女人が、易く助かる六字の謂を聞く身になりし事は、たゞ事ならぬ仕合せと深く喜び。私の方はあけても暮れても、我身で我身を地獄に引き込む事にかゝりづめ。口も身も心も罪ばかり、業ばかり。偶よき事有朋、皆毒まぢりにて間に合はず。此心は第一の敵なり。萬劫の仇なり。されば助かるとおもふ心が助かるにあらず。どうありても、微塵ばかりも助からぬ者が、本願力の不思議にて、助かる事なりと、よくよく聞き開かれてみれば、たゞ有り難や、勿体なや、南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛と申すより外はない。此世は好うても悪ふても一夜の夢。たとひ千萬兩の金積んでも、皆置いてゆかねばならぬ。閻魔の聴で、五十年の榮華の夢が醒める。今度よくよく聞いて、南無阿弥陀佛の信心得れば、極樂の蓮華の上で、無始以來の永の迷ひの夢が醒める事なれば、命限り御念仏懈怠せぬやうに致されたし。   野口ふみ殿          
四    この度御大病の由、唯々心配、御察し申候。せいぜい大事に御養生あり度く候。かく病気にかゝれり、つらく悲しく思はるゝも、後生忘るゝな、御念仏申せとの御催促と、御心得あるべく候。苦の娑婆なれば、尊きも卑しきも、やまに住む人も里に住む者も、品かへて苦のなき人は一人もなし。そのうち我身の後生を苦にして、弥陀の本願にすがり、念佛申すほどの仕合せは、世界第一の果報者に候。今日の我等は、三界に家なし。人界の報尋きれば、暗黒へたゝき出さるゝ身が、嬉しや、息切れ次第、永々流轉の他郷をすてゝ、親の本國へ歸るなり。  今度はきつと、地獄へおつる私が、きつと浄土へ往生させて戴くが、必得往生の南無阿弥陀佛なり。  御開山聖人の仰せに、 「たゞ不思議と信じつる上は、とかくの御はからいあるべからず候。往生の業には、わたくしの計らひあるべからず候也。あなかしこあなかしこ。たゞ如來にまかせまゐらせおはしますべく候。」  蓮如上人の御歌に、     
 ひとりでもゆかねばならぬ旅なるを  弥陀にひかれてゆくぞうれしき
 また先徳も、「五劫永劫の御苦勞も私一人の為なり。佛の可愛い可愛いとおもふて下さるゝも私一人の為なり。御浄土を建立して待ち給ふも私一人の為なり。私一人を一人子の如く思ふて下さるゝ大悲のおまことを、今日より死ぬるまで、喜び度きことなり。阿弥陀様も、此私を一人子の如く思召し下さる。さればあなたを、たゞ一人の親の如く思ふべし」と。云々          
五    古徳の仰せに、如來の御助けは喜びの厚きも薄きも御えらびなく、浄土往生を願ふ心のよわよわ敷も頓着なく、たゞたのむものを助け給ふ本願ぞと疑ひなく信ずるものを必ず助けんとある御誓ひにて候へば、このお誓ひを深く信じて、かく喜びの薄き私を御洩しなく御助けとは、如何なる深き御慈悲かなと、立ちかへり立ちかへり、御恩のほどを有り難く存じ、御称名を喜び申すばかりにて候。しかし喜び薄くとも大事なしとおちつくは悪く候。大事な後生御助けにあづかるほどのことなれば、いかほど喜んでも、あきたらぬ御恩。何卒あつく喜びたしと心がけ臨終まで我喜びの薄きを歎くこそ、廣大なる御恩と知りたる所詮にて候。往生の大事は如來の本願を疑はずして念佛するならば間違ひなく助くるぞとある御本願にうちまかせ奉り、この上は御助け下さるゝ御恩を、一生涯あつく喜ぶべし。どの手にしても、喜びならひ、称へならひ度きと心がけなさるべく候。                    かしく           
六    念法寺老院も五十八歳を一期として昨日死去、五日朝参り候處、最早臨終間際にて、耳へ口さしよせて、彼の易行院師が終焉に臨まれ、「今になりてはもふもふ学問も了解もいつたことではない。覚へたことも知つたことも何にもならぬ。たゞ彼處に御座る御親様の御念力一つで、これなり御引取り下さるゝ」と。仰せられたことを云ひたれば、奧の方にて、かすかな聲で、有り難うと唇を動かし念佛せられたり。あゝあはれ、一生過ぎ易し、ひぢをはり目を怒らすも名か利か、すむもすまぬもいつたことではない、命濁増の有様、急死頓死の夥しきこと、実に驚くべき事に候。然るに、今日までは甚難得の宝命を賜はり、耳順の老境に連て耳目明了、本年も徒歩にて御七昼夜参詣候次第、殊に毎日夜法要、同行推しかけるいも拘らず、御給仕等使用にあづかること、全く二尊の御念力に保たれ居ること身に覚え候。また此頃は得難き宝書を手に入れ、分陰を惜しみ惜しみ書寫致居候。其中にも「差当り法を嫌ひでなき身に生れたことを喜べ」とのこと、酒の嫌ひな人はさかしほさへ嫌がる、折角僧に生れても嫌ふ人はきらふ。性得は嫌へども、日々御法儀止められぬ身に育てられた事は如何ばかりの幸。よくよく思へば命は縮まる罪は重なる、夜昼泣くより外なき私、堕ちかゝつて居る身を、今抱きとめてよくきけよくきけの御和讃御文の御化導、何卒大切に心にかけられ、行住坐臥念佛を事として、これ一つは思ひより、よくよく聴聞あり度く候。   義峯 殿          
七    定めて無事着京と推し居り候。昨夜は特別暖気にて好都合に喜び居り候。毛布の失念あるに就いて、股引と共に後送致すべく候。併し一往尋ねたる上と母の申す事にて候。老婆深切、忘れ物すな忘れ物すなの聲の乾かぬうちに忘失。日夜の御化導にて、これ一つ忘れるなよ忘れるなよ、持て持ての御聲が止むなり、其下から忘れて暮す私の有様ぞと、実に実に慚懼の至りに候。死ぬまい死ぬまいと思ふてゐるうちに死に、堕つまい堕つまいと思ふてゐるうちにおつる。その身にひつ付いて離れてくださらぬ御慈悲、御化導の御念力に、抱きかゝへたれて送り届けて下さる仕合せを喜びたし。  融殿              
悼禿顯誠老師      
曽從請盆叩禪關  
景募多年幾往還    
忽接訃音腸欲斷  
愁雲漠々雨潜々    
泰獄壊崩梁木摧  
魂消腸斷不堪哀    
憾他身在天涯遠  
無為哲人執?來    
道貌依然入夢新  
望思戀々涙沾巾    
自今西路向誰問  
操覆復無如是人  
               松?本澤盛庸                                       昭和二十四年刊行

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