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真宗大谷派 念佛寺は西宮市にある東本願寺の末寺で

TEL. 0798-63-4488

〒663-8113 兵庫県西宮市甲子園口2丁目7−20

一蓮師談合録

序  

 慧空講師を初め、香月院、香樹院、香山院、一蓮院いずれもその御法話の有り難くないものはない。皆もって聖人一流の信念の模範である。が、一蓮院の語録の特色は他諸師の御法話の化他的で、しかもその御法話のどこまでもぬかりのない、申し分のない、非難の入れる余地のないのに比して、一蓮院師は終始求道的自利的にありて、時には奔馬空をかける底の、熱烈なる大確信大自信を表白されるかと思えば、時には処女のごとく弱々しき伏目がちな、まことにまずいことを言っておらるる。もう少し言いそうもありそうなと言うようなことを、言うておらるる。何にも知らぬ私でさえ歯がゆいように思う節がある点である。
 香樹院師との問答中にも「信には疑いなけれども、どこやら気持ちの悪いようなことがありますが、これはいかがしたものでござりますか」とか、同輩の雲渓師に尋ねらるるには、仏法信者の中に我心に尻目をつかうものとつかわぬものがあるが、私はつかう方であるがどうしたものだとか、香樹院師に対して「左様ならば不思議に助けられて念仏するでございますか」と尋ねて、「いや不思議というはこれまで生きながらえたが不思議じゃ」と頭をなぐらるるあたりは、まことにお粗末千万な申しようである。これを「一生涯が間聴聞はしてみたれども、どうなるでもこうなるでもなかった、もうお阿弥陀様が助けるというてくださるのであった。これはもう三国え響く大学者でも知ることはかなわぬ」といい、「信次郎。お阿弥陀様ばっかりばっかりということを忘れてくれるな。ここえ集まっておる同行は何国のだれだれとて、皆屈指の同行だが、このばっかりということを知っておるものはない」と仰せらるる人と殆ど別人の観がある。  
 私が一蓮院師を尊敬する点は、その信力の堅固なという点より、むしろそのまずいことを仰せらるる点にあるのである。なぜまずいことを仰せらるるかといえば、これが、後生大事の念が深いからで、この念が深いから、常に同行善知識に親近して、自分の心底を打ち出して尋ねらるるからである。もし香樹院師と位置を変え雲渓師と位置をかえたならば、一蓮院師は、香樹院師や雲渓師より以上うまいことをいうことは知りておいでになるのである。言うことや語ることは決して一蓮院師とて他諸講師に勝るとも劣らせらるるところはない。がいよいよ大事となると、言うたもののや思うたもので凌ぎをつけておかれないので、ここに先輩師友もしくは何にも知らぬ愚痴無知の老女にまで頭をさげてお尋ねになるのである。 香月院師、ある同行の「いよいよとなると、案じられてなりませぬ」との不審にたいして、「それがなくて何としょう。案じる心が信心の飯である」と仰せられた。この香月院師のご化導を実際に身に顕してくだされたが一蓮院師の求道的態度。ぬけめのある、まずは歯がゆいような言葉となりて顕れたのである。 言うたことや、思うたことや、考えたことで一大事の埒がいつもあくなら、ご当流の法義相続ということが、さほど深い意味もない。一度飯を食うて一生腹がふくれておるような信心には、示談談合はいらぬ。いつも初音のするは、歓喜鳥の声を深く愛するからばかりではない。姿も見えず声も唯ハッと思うた時だけで消えてしまうからである。
 一度歓喜鳥の声を聞くと、始終クッククックとかカッコとか耳になりづめなら、珍しいどころか迷惑千万である。思い出しても、聞いた時の一声の味がないものだから、いつも聞く度に初音に聞こゆるのである。  ただに聞いたものや考えたもので往生の凌ぎがつかないばかりでない。聞こえた心にさえ用事がのうなりて、聞けのお誓い一法のみが御用である。信じて信じたところに用がなくて,信ぜられての法を聞く一つがご用となるが、絶対他力の聞きよう、信じようというもので、ここに至りて初めて、一蓮院師の「お阿弥陀様ばっかり」、「ばっかり」ということが顕れてくるのである。すなわち師の求道的態度、化他的態度となるのである。  私は、慧空師を初め、香月院.香樹院.香山院、いずれも安心の標的を示さるものとしては敬慕にたえぬものであるが、もし求道者の模範としては、私は一蓮院師を第一に推すものである。実に師の生涯は求道者の最も好き模範である。聊か所感を記して、序にかゆる次第である。                  
 
明治辛亥歳一月中旬        三州鷲塚修道院に於いて                                         今 井 昇 道 謹 識

一蓮院談合録    目次  

一、如来様が助けるというておくれるのでありた。
二、お助け一つにつづまらせられたわえ。
三、弥陀をたのむというは。
四、地獄へ落ちたくば我機をながめるがよい。
五、小言をいうが思し召しに契うであろうか。
六、たのめというはお助けを届けたい為じゃ。
七、如来様の親心。
八、素人の何も知らぬままで助けてくださる。
九、案じる心え案じけのない御誓。
十、一番の恐ろしきもの。
十一、丸で他力。
十二、朝寝の息子。
十三、たのむものをお助けと助かるまじきもののお助けと。
十四、我こころと仲たがいして如来をたのめ。
十五、信じ下手と助け上手。
十六、たのめの真義。
十七、算用合わずの御助け。
十八、私は機をながめる方じゃ。
十九、そのままで助けるとありてはわるいか。
二0、信心を決定するとは御助けを決定することじゃ。
二一、六字まるまる私を助けてやろうとのこと。
二二、あともなしさきもなし。
二三、我は鬼、念仏は弥陀のあたえもの。
二四、有り難くないものはなお阿弥陀様でなくてはならぬわえ。
二五、たのめというは助かれ助けるということじゃ。
二六、香月院と某同行の問答。
二七、香樹院師と一蓮院師。
二八、一蓮院師の愚痴の相談。
二九、私は土蔵じゃ、鍵次第で何でも出てくる。
三0、一念と報謝について、天下の安心二派に分かる。
三一、道に金が落ちてあったら。
三二、助かりそうもないこの私を。
三三、聞きわけ知りわけて参ると思うは。
三四、唯この私を。 三五、助けるとあるお声のかかりきりで。
三六、声しあらば。
三七、疑うなとの思し召し。
三八、聴聞と心とを取りたあとに。
三九、勅命は唯一声と思いしに。
四0、御助けを一声聞くと。
四一、誓願の不思議。
四二、聞きぬいたものと初めてきいて助かったものと。
四三、小言がいえるなら。
四四、水入らずの御示談。
四五、一念と報謝。 
四六、名利心と喜び
四七、報謝はうかとしていてはならぬ。
四八、聾仲間の話。
四九、仏の守りではない、仏が守りしてくださるのじゃ。
五十、まるきりあさましいのじゃ。
五一、たのむと助けるの前後。
五二、助ける事は阿弥陀様のお受け持ち。
五三、まける事に骨を折れ。
五四、日々の日暮らしは念仏。
五五、今地獄へ落ちるものを如来様が。
五六、播州の女同行。 
五七、それでもそれでもと仰せらるる。
五八、如来様の仰せばかりはほんまだぞや。
五九、初事じゃ初事じゃ。
六十、師の仰せには背けぬ
六一、三毒と往生。
六二、大事の念。
六三、たのむがぬけてわるくば。
六四、凡夫を凡夫のままで。
六五、疑いながらのお助けとは。
六六、いつもそのまま。
六七、法の相談と雑讀。
六八、大事じゃと。
六九、一蓮院師順納寺殿えの返歌。
七十、命せが領解。
七一、称えるばかりというが気にかかる。
七二、法と信との相続。
七三、必の言を聞いたをあてにしたではないか。
七四、何事も夢の浮世。
七五、易行。
七六、南無きり安心、南無ぬけ安心という人がある。
七七、信次郎様、どうか内緒でお前様の腹をきかせてくださえ。
七八、疑いようなきお誓い一つをたのむなり。
七九、信心とは聞其名号信心歓喜の八字をはらわたにするばかりじゃ。
八十、小言上手の同行と信次郎士。
八一、通徳寺とおみつ同行。
八二、自力念仏の人えの同師の仰せ。
八三、その女の威信。
八四、その女の領解。
八五、あなたが有り難う御座りますと。
八六、一蓮院師、信次郎の祖父え賜れる消息。
八七、日本一の聴きよう。
八八、首尾よく浄土へ参りたいと思う心は邪魔にはなりませぬか。
八九、仰せだけで満足せよ。
九十、私が他力になったら。
九一、一蓮院師に信次郎の初めての謁見。
九二、それがほんまにならぬものだぞや。
九三、助けてやるのお声で十分じゃ。
九四、聞くが勅命。
九五、人の声が仏の声。
九六、お助けを見ることはいらぬ。
九七、仕事ちがいをするな。
九八、盲目同行と高田派法主。
九九、盲目同行と信次郎。
一00、心にあたりもせずに有り難いという。
一0一、水仙の花と茶の花。
一0二、口の動かぬがおしい。
一0三、地獄の釜のふたの上におる。
一0四、火の車の軸物。
一0五、信次郎士とおみつ同行。
一0六、おみつの平素と臨終の話。
一0七、信次郎士の自督。
一0八、握ると握られると。
一0九、握ると握られると。
一一0、聖教の拝読法。
一一一、それがなれたら自力だぞや。
一一二、他力の信心、他力が信心。
一一三、疑いは山ほどありても。
一一四、師を選ぶこと。
一一五、信次郎士と某同行。
一一六、信次郎士の平素。
一一七、信次郎士の念仏ぜめ。
一一八、信次郎士の示談の心得。
一一九、明寿院師と信次郎。
一二0、極楽の夢と地獄の夢。
一二一、嬉しさに睡れず。
一二二、私の心は聖教通りになれませぬように思われます。
一二三、たのむと助けるの前後。
一二四、焚垢の同行。
一二五、大事のことは荒涼に讃嘆はならぬ。
一二六、後生願いとさえ見らるればよい。
一二七、お助けは自分の方から出すものじゃない。
一二八、不思議というまでがいらぬ。
一二九、お阿弥陀様ばっかり。
一三0、五常の道。
一三一、己は瘤である。
一三二、信次郎士え御かたみに。                            以上                    一蓮院談合録           
                          今 井 昇 道 著

一、如来様が助けるというておくれるのでありた。
 信次郎えの仰せに、一生が間、骨を折りて聴聞はしてみたけれども、どうなるでもこうなるでもなかった。もう如来様が助けてやるというておくれるのであった。これは三国えひびくほどの大学者でも知ることは叶わぬ。(私いわく、これ実に師の実験上の至言にして、一生の間、なることにのみかかり果てて、如来様の御助けのお手伝いばかりしておりたが、今ようやく気がついてみれば、私は手伝いするではなかった。貴方がとうから、己が助けてやると云うてお出でくだされたのだと知れてみりゃ、何でまあ今までお手伝いをいたしておりましたやら、もったいないことでござりますより外はない。私は一生涯この一蓮院師のお喜びを続けておるのである。こういうことは、一生骨を折りて聞いた人でなければ何のうま味も知れるものではない。

二、お助け一つにつづまらせられたわえ。  
  つづまらせられたぞや、つづまらせられたぞや、お助け一つにつづまらせられたわえのう。これを聞いて聞いて、聞きぬいて、云うて云うて云いぬいて、しまいには仏にしてくださるのじゃ。 (私いわく、このお言葉などは、実に何ともかとも云いようのないほど有り難い。貴方がお助け一つにつづめあげて下されたのが、今また私に顕れて、お助け一つにつづまらせて下された。お助けお助け。このお助け一つより外に、一切の聖教もありはせぬ。七祖は勿論、祖師蓮師のお喜びも恐らくはこの外にはあるまじと推したてまつる。このお喜びは長松同行の語にもあるが、同時代の厚信者のことにて、共に香月院のお育ての下にありた人々ゆえ、同じお言葉があるのもあながちにあやしむべきことでもないと思う。)      

三、弥陀をたのむと云うは。  
 もうちとばかり気がかりと思うは、まだ弥陀をたのまぬところなり。落ちつかれぬ、落ちつかれぬというも元より弥陀をたのまぬところなり。落ちつかれぬによりて、落ちつこうと張り込むも弥陀をたのまぬところなり。落ちついたか落ちつかぬかとためしてみるも弥陀をたのまぬところなり。これは我が心を眺めて、たのむ方角違いのたのみなり。されば弥陀をたのむというは、我が心を眺めず、本願の月を真向きに見て、我が心を眺めぬところなり。      

四、地獄へ落ちたくば我機をながめるがよい。 
 諸国より寄り集まった同行が、互いに自分の胸の相談ばかりをしている。師これを悲しみ、誡めて仰せらるるには、 「地獄へ落ちたくば我が機をながめておるがよい。極楽へ参りたくば、如来様のお手元を見るがよい。如来様のお手元に目をつけると、如来様はいつも、己が助けてやると云うてござる。如来様は、お前の本性のままで助けてやろうと仰せらるる。そりゃどうも受け取れませぬ、承知のできぬことでござると思うであろうが、これが誓願の不思議と云うものじゃぞや。     

 五、小言を云うが思し召しに契うであろうか。
 如来様が、助けてやるきっと助けてやる、案じるな、心配するなと仰せらるるに、いろいろな小言ばかりを云うておる。そんなことが如来様の御機に契うであろうか。 (私曰く。今日よりはきっと私の小言をやめて、唯お助けを喜んで念仏いたします。) 

六、たのめと云うはお助けを届けたい為じゃ。
 たのめとあるも、雑行雑修自力をすてよとあるも、其のなりで助けると云うことを届けたいが為じゃ

七、如来様の親心。
 恩にも着るぞや、礼も云うぞや。どうか助かりてくれよと仰せられるる。それをよそごとに聞いておるで胸がさっぱりせぬのじゃ。      

八、素人の何にも知らぬままで助けてくださる。  
 雲渓師いわく。こんな悪人を何にもせず、どうもなられぬ生まれつきのままで、往生させてくださるるに間違いないで胆太く落ちつけ。玄人になって助かるではない、素人の何もしらぬままで助けてくださるに間違いないで喜ぶべし。

九、案じる心え案じげのないお誓い。  
 案じる心から案じ気のない弥陀をたのむなり。案じる後生があるゆえに、案じ気のなきお誓いをご成就なされて、吾をたのめとの仰せなり。

十、一番に恐ろしきもの。
ある人云く。有り難きとおもう意ほど恐ろしき心はなしと申されしと云々。   (私いわく。お慈悲の通りてくだされたやつほど恐ろしいものがない。このためによく怪我をする。)

十一、丸々他力。
  丸々他力と云うは如来様のお一人働きにて往生なさしめてくださるなり。   (私いわく。これが他力なら、私はいつも満足でござります。)      

十二、朝寝の息子。    
 朝寝の息子は親は朝な朝なこれを呼び起こす。呼んで起きざれば行いて肩をゆするなり。まだ起きざる時は衾を取り初めて起きる也。暫くありても出で来らざるが故に、再び行いてこれを見れば、また衾をかぶりてなお眠りつつあり。如来は種々の方便をもって我が無明の眠りをさまし給う。一旦さむるに似たれども、また更にいたりみれば、いつしかお慈悲を枕として眠りおることの浅ましさ。  (私いう。この息子は実に私なり。昼夜不断の御警覚を要するものは実に私である。)      

十三、たのむものをお助けと、助かるまじきもののお助けと。    
 明信寺云く。帰むという事は、これが胸につかえるうちはまだ聴聞不足なり。帰む事の胸につかえるにあらで、反って楽しみになるが真実信心の得られた験(しるし)なり。   帰むという事を嫌うは、まだ帰まねばならぬ難儀が我が心に起こらぬが故なり。存云く。帰むばかりのお助けを心得たりとも、助かるまじきものを助け給う本願の尊さの知れざる人はなはだ多し。世上の学者多く然り。我もまたその一人なりき。      

十四、我心と仲たがいして如来をたのめ。  
 当流は我心と仲たがいして仏の慈悲ばかりをたのむべきなり。世間にて兄弟たりとも或いは近隣の人なりとも、初めより仲はたがわねども、先方の人より不実のこと度かさなれば、余儀なく仲たがいして、唯実意の人と懇意にするなり。我心も始めよりは見捨てねども、思い定めても定まらず、喜びても喜びの心もつづかず、潔き心と喜びしあとよりも雲霧がかかりて、いかにもたのみがいなき我心なれば、もはやこれきり我が心に仲たがいして、唯如来の御真実のみをたのみまいらするようになるなり。      

十五、信じ上手と助け上手。  
 雲渓師いわく。私のたのみようや信じようは下手でも、助けてくださる方が上手なり。唯助かりさえすれば本望なり。今日より阿弥陀仏のまことをたのみたてまつりて弥陀に助けらるべしと気のつきたるも我が力かは。

十六、たのめの真義。  
 たのむものを助けんとあるは、たのめの言葉。たのめたのめと云うて我等に難儀させたまう言葉にあらず。唯助けてくださるのじゃけれども、たのむばかりの言葉がないと行者の方に落ちつかれぬなり。それはなぜ、助けてやるとばかりでは如来様の御心に何ぞお好みがあるかもしれぬと云う、この方にあやぶみがある。そこでたのむばかりで助けるとあれば、何も外にお好みがないということが知れる。強いて阿弥陀様のお好みいかんと尋ぬれば、外にはないが汝等の方から、後生の世話をやめてくれさえすればよい、それほどが弥陀の好みじゃほどに、少しも世話せでそのままながら助けてやるぞとある御ことをたのむばかりで、何にもいらぬ好みはない、かならず助けてやるぞとなり。

十七、算用あわずのお助け。  
 この度の往生は算用合わせて落ちつくではない。算用は親のあなたがあわせてくださるから、我等の手元は算用のあわぬなりでお助けを信ずるのじゃ。  

十八、私は機をながめる方じゃ。 
 お助けを聞きた上に、信じ心やたのみ心をながめるとながめざるものがあるべし。予は之をながめる方なれども往生の一段のさわりとなるや否やと、雲渓師に向かいたれば、師いわく,ながめる心をすててながめぬ心を買いとるは自力なり。そのままのお助けなればなりと。  

十九、そのままで助けるとありてはわるいか。  
 雲渓師いわく。私一人を助ける事にこまる親様ではないほどに、我が身は大悪人、地獄より外にゆき処のないものなれども、よくもなられぬ、持ち合わせの心のまま、今据(すわ)っているままで息がきれたら仏にするとあるが、このままで仏にするとあるがこのままで仏にするでは悪いかどうだ。      

二十、信心を決定するとはお助けを決定することじゃ。  
 信心を得ぬと地獄へ落ちるぞ。信心を決定すると云うはお助けを決定することじゃ。その上は念仏を申すことじゃ。      

二一、六字まるまる私を助けてやろうとのこと。  
 仰せに南無とはたのむこと、阿弥陀仏とは助けてくださること。南無阿弥陀仏まるきり私を助けてやろうとのこと。      

二二、あともなしさきもなし。  
 如来様の助けてくださるると云うことだけさえ聞こえれば、もうそれでよいのじゃあ。あともないし、さきもないし、それだけじゃ。      

二三、われは鬼、念仏は弥陀のあたえもの。  
 われは鬼 念仏は弥陀の あたえもの    ああと云うより ことの葉もなし      

二四、有り難くないものはなお阿弥陀様でのうてはならぬわえ。              ある人の問いに、私は信じたと云うものもなし、たのみたと云うものもございませんで御聞かせ下され。  師の仰せに、そのまんまで助けてやると仰せられるぞや。  又、有り難くと人様はお喜びなされますに、私は喜べないものでござります。お聞かせなされて下されませ。  師の仰せに、有り難や有り難やとお喜びのお方も阿弥陀様でなくてはいかんのに、ないものはなお阿弥陀様でなければならんわえ。      

二五、たのめと云うは助かれ助かると云うことじゃ  
 香樹院師お言葉に、たのめとあるは助かれ、また我が身を助ける助けるの勅命にしたがえと云うことじゃ。      

二六、香月院と某同行の問答。  
 香月院え、ある同行お尋ね申して云く。 弥陀をたのむと云うはどう云うことでござります。 答え、信心を得ることだぞよ。 信心を得るとはどうでござります。 答え、信心を得ると云うは南無阿弥陀仏の六字の謂れを聞き開く処じゃぞよ。 問う、南無阿弥陀仏の六字の謂れを聞き開くと云うはどうでござります。 答え、阿弥陀様がこの悪人女人を助けんとて五劫永劫かからせられ、ご本願ご成就あそばされ、極楽をかまえて十劫暁天から声をからしてよびずめでおいでる。そのお心の知られたことだぞよ。      

二七、香樹院師と一蓮院師。  
 香樹院師、ある時仰せらるるよう。出離のことを相談する相手は一蓮院の外なしと。  

二八、一蓮院師の愚痴の相談。  
 師ある時、香樹院師の前に出て申さるるよう。信には疑いはなけれども、それでも心持ちの悪い時がありますが、こういう時はどう心得てよろしうござるか、と。 香樹院師の仰せに、そんなことを、それほどまでに云わずと、念仏していらしゃえのう。 (私に云く。私は一蓮院師がなぜ有り難いかと云うと、そのご一生が聴く身でおいでなされたことである。自分の心中を打ち出しては師友のご化導を仰がれたことである。私は実に今懺悔するが、私がかって、師の雲渓師にたいして、私はどうも我腹をのぞく方じゃとか、またどこやら心持ちの悪い時があるとか云うようなことを承りた時、一蓮院師も案外意気地のない御心中じゃ、これは人智の本姓、疑いと云うことについて、深く推究せられたことがないからであると、何だか師を軽侮するような、どうも信心があぶないように思うたこともありた。少なくとも師は、なお幾多の練磨をせねば、仕上げという所えは行っておられぬではないかというように思うたが、何がさて、我心中を考えてみれば、道理はいくら明らかになりても、勘定通り実際行かぬ。私の心中は、いつもこのお尋ねがしたいばかりである。だから、名号六字のお謂れに、まるきりおれだけで助けてやるの、如来様の絶対他力が、いつもいつも初事に聴聞せられ、聞く度ごとに新しく、明らかに物珍しく聞こえさせて貰うので、今日の私は実に嗣講の栄職にあって、しかも明らかに凡夫直入の安心に住し給いつつ、しかも又いつも、愚痴の腹を打ち出して、ご相談を希わるる所が、実に有り難い。真宗一流の厚信者と崇敬するしだいである。      

二九、私は土蔵じゃ、鍵次第でなんでも出てくる。  
 師、ある時の御物語りに、私は大名たちの立てならべた土蔵のようなものじゃ。土蔵は鍵一つで金なり、穀物なり、衣類諸道具、武具刀槍、何でも出てくる。  私は聞き手の鍵次第で、どんなものでも出てくると。

三十、一念と報謝について、天下の安心二派に分かる。  
 ある人いわく、天下の安心別れて二派となる。一つは、一念が済んだで、これからはご報謝と云うものと、他はいつも一念の味をとりだしては御恩を喜び、一念の味を思うてはお慈悲を仰ぎて、ご報謝なぞ忘れておるものとである。天下の九分九厘までは皆初めの安心で後生は一念の場で片づけてしもうて、それからはご報謝ご報謝と云うておる。これは「とりのけ頼母子講」で百両なり二百両なり、頼母子講の金をとりてしもうたあとで懸け金をするようなもので、まことに懸けるたびごとの十両なり二十両なりは、盗賊にとられるか泥沼へ捨てるような気がする。私等はそうじゃない。いつも我が身を見れば信得たようなところもなければ、出かけると思えば、何やら案じられて、首尾よく行けば善いと云うような心中だて、そこに微塵も案じげのない、如来様のお助け。助ける人が助けてやろうと仰せらるる仰せをきけば、まことに胸に徹倒して、困るに困らさぬ。気遣うものに気遣はせぬ、不確かなものに確かな、こうも根気に相応した如来の御助け。名号の謂れをうけたまわれば、思わず歓喜(よろこ)ばにゃおられない。念仏を称えにゃおられない。歓ぶな、念仏すなと云われちゃ、迷惑千万な話しである。思わにゃならぬような御報謝じゃない。思われてくる御報謝である。      

三一、道に金が落ちてあったら。  
 一蓮院師の勤めは、朝夕の勤行の外、夜中に二三度は必ず仏前え参詣でありた。御真影様え参詣の道で、師の仰せに「信次郎、おぬしはもし道に金子が落ちてありたら、拾うかどうか」と。信次郎、黙りておられたら、師又「どうじゃ」とある故「ひろいます」と申し上げられたれば、「そうであろう。それより念仏を申さぬは惜しいことじゃぞや」      
三二、助かりそもないこの私。  
 私はうろうろしています。「そうか。そのうろうろものを御助け下さるのじゃ。助かりそもないこの私を御助け下さるほどに、喜びなさい。これを云い出したり、話したりするが、談合の所詮と云うものじゃ」      

三三、聞きわけ知りわけて参れると思うは。  
 今日は如来様の御機にかなわぬような事は云いはせなんだかと、我が身をかえりみて暮らせ。聞き分け知りわけて、極楽へ参れると思うは僻事じゃぞや。そんな事で行けるならば、たいていの坊主や、学者は皆参れる。そんな事はない。唯如来様が助けると云うてござる、如来様の仰せばかりはほんまだぞや。この仰せばかりで参れるのじゃぞや。      

三四、唯この私を。  
 師いわく。 「信次郎、今晩は、大講師の御法座ゆえ、総会所へ参りてこい。私は留守をするほどに、覚えて帰るではない。よく聞いてきて聞かせてくれ」 と。帰って来るのを待ちかねて 「信次郎どうであった」 と。信次郎は謹んで 「今日の御教化は唯この私を御助けくださるる事で御座りました」  師いわく 「それは有り難い事を聞いてきてくれたなあ」      

三五、助けるとあるお声のかかりきりで。  
 助けるとあるお声ばかりで、私は充分じゃ。有り難い事じゃ。 (私いわく。助けるとあるお声一つで往生の凌ぎのついた所が信じた所だ。さればとて、やれうれしや、これが信心だそうなと執するまでがいらぬ事じゃ。常に自然を沙汰せば義なきを義とすと云う事もなお義のあるになるとの祖語はどこえでも応用ができる。)      

三六、声しあらば。  
 声しあらば あやうからじな 火と水の  中のほそ道 見ゆも見えずも      

三七、疑うなとの思し召し。  
 如来様が、己が力一つで助けぞこないはないほどに疑うなと仰せられますことじゃ      

三八、聴聞と心とを取りたあとに。  
 聴聞と心とをあずかるほどに、何なりとも残りてあったら云うてみよ、何にもあるまい。それで残るものがあったら、御与えものと云うものじゃ。それは如来様の助けるとある御声一つじゃ。      

三九、勅命は唯一声と思いしに。  
 勅命は 唯一声と 思いしに  今日もくる日も 弥陀の呼声    
(私に云く、これが一心即相続心。一念の通る味である)      

四十、御助けを一声聞くと。  
 かるいのが等活地獄。私はそんなかるい所ではない無間地獄だ。六十小劫がこの地獄の一日一夜になる。何と恐ろしい身の上じゃないか。それがなあ、如来様が助けてくださるると云うこと一声聞くと、地獄が脱がれる所が安楽浄土え往生ができるぞや。      

四一、誓願の不思議。  
 仰せに、助けてやろうとの言葉だけでは、事たらぬように思うであろうが、これは誓願の不思議と云うものじゃ。外の人が尋ねたら、如来様が助けてやろうとあるので、助けて下されると戴きましたと申せ。      

四二、聞き抜いたものと初めて聞いて助かりたもの。  
 師云。聞いて聞いて聞きぬいたものと、初めて聞いて御助けを喜ぶものと、どちらが仕合わせじゃと云うと、初めて聞いて信じたものが、宿善が厚いのじゃ。      

四三、小言が云えるなら。  
 仰せに。何なりとも小言が云えるなら云うて見よ。有り難う御座りませんと云うと、有り難うのうても其のままで助けてやる、喜べませんと云うと、喜べぬなりで助けてやると云うとある。それが如来様の仰せじゃ。あまり理屈もないようだが、これが誓願の御不思議と云うものじゃ。      

四四、水入らずの御示談。  
 ある時、信次郎殿をおよびなされし故、何かお話があるかと思うて参られしに、御言葉なければ信次郎は念仏して居らるる。師はなお一生懸命夜中まで競争して称えて居らるる。暫くありて師いわく。 「今夜は水入らずで有り難かったな」      

四五、一念と報謝。  
 信次郎の仰せに、 「後生には一念と報謝とがあるぞや。一念はとどのつまりを其のままで助けてやるとあるが、報謝の一段は、なるだけ嗜み、励まねばなるぬぞ」      

四六、名利心と喜び。  
 信次郎、御講師えのお尋ねに。 「私は名聞利養があって、どうも念仏を称えるに、人前え出ると格段多くでるようにございます」  師いわく。 「それがなくてなろうかや。源信和尚は名利の二字を掛け物にして常々お喜びなされたと云う事じゃぞや」      

四七、報謝はうかとして居ってはならぬ。  
 一念と報謝と一緒にしてはならぬ。一念はすっかり戴きてしまえ。御報謝はうかとしてお任せもうして居てはならぬ。如来様は昼夜ふだんに我が念仏を称える者は無いかとお見通しじゃほどに。      

四八、聾仲間の話    
 機の相談ばかり云うて居ると、ツンボどうしで咄をするようなもので、御慈悲と云う事をすこしもよせぬ。仰せと云う事を聞かしゃれ。如来様はこのどうもならぬ機を助けると、私をお呼びづめにして居て下さるのじゃに。      

四九、仏の守りではない。仏が守りして下さるのじゃ。  
 師いわく。 「坊主は大罪人じゃ」  お弟子方はたいそうお困りなされた。、又 「大罪人なればこそ、阿弥陀様は助けましますぞ」 と仰せられた。又寺の内方が、 「私は仕合わせもので、仏のお守りをさして頂きます」 と云うと。師又、 「そうではない。あなたが私をおまもり下さるのじゃ」      

五十、まるきりあさましいのじゃ。  
 信の頂けぬものは名師にあわざるが故なり。小言の尽きぬのは聞きようが足らぬ故なり。これで浅ましいのあれで浅ましいのという様なものではない。丸きり浅ましいのじゃ。この丸きりあさましいままで助けてくださるとの仰せなら、不足も小言も云いようがないではないか。これがやがて信と云うものじゃ。      

五一、たのむと助けるの前後。  
 たのむものを助けるとあるは、助けるのが先なり。先と云うたとて、へだたった事ではない。同時前後と言うものじゃ。たのむがあとで助けてやろうが先なり。如来様の仰せに随い奉るがたのむ心なり。      

五二、助ける事は阿弥陀様の御受持。  
 落ちるにきまりのついた私に、本願を成就して、呼びどうしにしてござる。助ける事は阿弥陀様の御身に引受けてござる。      

五三、まける事に骨を折れ。  
 師いわく。 「信次郎、これからはまける事に骨を折るだぞや。骨折りてまける私ではない。如来様のおあたえの機じゃぞや」    (私にいわく。実に恐縮致します。我慢な虚飾なやつで困ります。今後は真似にもお仲間の端え加えて戴かねばと存じます)       

五四、日々の日暮らしは念仏。                             「日々の日暮らしは如何いたしまするでござりますか」 「五劫の間御思案下されて、忘れとうても忘れられぬ念仏をお与え下されて、これを称えて居よと仰せらるるわいのう」     (私にいわく。往相回向に大信と大行あるが浄土真宗。されば、五劫のご思案に御同心申し上げて、落ちるまませお助けに逢わせて戴いた身は、又五劫のご思案にて持ちやすく称えやすくお考え下された称無碍光如来の大行を行ぜねばならぬ事と、いよいよ励みとう存じます。この嗜む心やがて他力の信心のご催促とぞんじます)      

五五、今地獄へ落ちるものえ如来様が。    
 今地獄へ落ちるものえ何と言うて如来様がお向かい下さるるかという心になりて聞いてみよ。若不生者の誓いゆえ、汝一人を助けそこのうたら我に正覚とらじというてござる。      

五六、播州の女同行。  
 播州の女同行え 「そちの領解はどうじゃ」 との師のお尋ねに対し、 「如来様が助けにゃならんと仰せらるるそうにございます」 と。また他の同行が 「お前の喜びを聞かせて下され」 と云うと 「如来様が助けにゃならぬならぬと云うてききなさらぬ程に」 といつも答えられた。    (私にいわく。マア何たるアクの抜けた、簡単なお領解であろう。学問では到底この妙味は解せられぬが、不思議の仏智の、この無智の一女同行をして、行巻の「帰命者本願の勅命なり」を、活現体読して見せてくれた。親様のお助けの御勅命の外にどこに私の安心があろう。如来様の助けるのお声さえあったら、信ずるもたのむもいった事じゃない。若しこのお勅命の外に、法門上は別として、信ずる、たのむ、受けるがいれたかったなら、そはまだ仏智の知れぬ人だ。最要鈔の「この信心をまことのこころとよむうえは凡夫の迷心にあらず。またく仏心なり (乃至)此仏心を凡夫にさづけたもうとき信心とは云わるるなり」に賛成ができて、御文の「信心とはまことのこころとよめるなり。まことのこころと云うは行者のわろき自力のこころにてはたすからず如来の他力のよき御心にて助かるが故にまことのこころとはもうすなり」がわからぬ人だ。御文の他力のよき御心にてたすかると信ずるとか、うけるとか云う文字の書き加えのしたい人だ。しかしこの簡単は素朴的の簡単ではない、繁極まりて簡になったのだ。あまり安い買いにすると大事を過つに至るものである)      

五七、それでもそれでもと仰せらるる。  
 三河国土場の堪介。京都高倉の学寮へ趣き、一蓮院師にご示談を願われた。早速お目通りがかない、懇々ご化導下された。勘介天に躍り地に躍りて宿へ帰られた。ああ私はいつもこうである。お聞かせにあずかった時一言の小言もなく真にこれなりでよかったなあと歓喜踊躍ほんとに跳ねてもみたい位だが、さあそのあとが、又もとのぐずぐずになってしまう。これこそ聞かせて戴かねばならぬと翌朝未明から参りてお願いした。お許しが契うたから、すぐそのことをもうしあげた。 師は逐一聞いて、うっそりうっそり笑うてござる。勘介心の中に、私の申し上げようが悪かったと。恐れ入り念仏して居らるると暫くありて師の仰せに 「お前がこれではこれではと言って逃げても、仏様はそれでもそれでもと仰せられるわいのう」    (私に云。この御示談。師も師であるが、勘介士もまた勘介士である。御教化そのままの聴聞は造花であるから、いつも奇麗である。色もあせにゃ萎む事もないが、実際上の問題になると、いつも愚図愚図である。また愚図愚図と云うたとて一様ではない。ご縁次第で千差万別だ。そこで香月院師は一口に今のこころなりでと仰せられたものだ。今の心であるなら、いつでも安心なものだが、又そのあとがやっぱり愚図である。しかも又どんな心でも凡夫の心はお助けの勘定外だから、これが是だの、これが非だの、邪だの正だのというものはない。ただいかなる心にも是非善悪の見なく助けたまう如来のお心に計らわれて念仏するだけである。これが自然というものである。もし勘介士の、踊る程の喜びが是でありて、愚図愚図が非であると思ううちは他力の知れぬ間といわねばならぬ。随って小言の尽きる時節がない)      

五八、如来様の仰せばかりはほんまだぞや。  
 美濃の源右衛門という人は、後生に大事はかけながら、妹おせきの「如来様のお助け下さる事のうれしやうれしや」と喜ぶを、そんな軽忽な聴聞では地獄道へ舞い込むぞと云われる。すると流石の妹も心がうろうろする。そこで一蓮院様にその由をもうしあげると、師の仰せに 「人は万人何と云おうとも、如来様の命ばかりが本真だぞや」  すなわち一首を書き与えたもう。    
 にくまれて にくみかえすと 思うなよ にくみにくまれ  果てしなければ      

五九、初事じゃ。
  同源右衛門。たまたま大病にかかられ、妹がお話しても承知ができない。それなら御講師様に聞いてこようと兄の承諾を経て一蓮院師の御前え参りた。師いわく。「そのままで助けて下さるるぞや」 と。おせき帰りてから申し伝えたれば、己には初めて仰しやった。初事じゃ初事じゃと云うて喜ばれた。    (私にいわく。昇道、幼時より今日まで、「ただそのままで助けるぞや」の御勅命一つが受けられなんだために難儀をしたのである。今では御助けを受けるさえいらずに念仏のできるとは、何たる有り難い仕合わせであろうか。昇道の心にどことて変りた事はない。ただ変わらぬ事がいよいよ知れて、変わり目のいらぬ事がいよいよ明らかになりて、前に「御慈悲の思われ、胸のはればれして御助けの確かに思われた心に執着した心がおかしくもあれば、恥かしくもありて、ただ過去の誤りを追懐し、一生涯誤り誤りで遂に往生ができるのである。何と有り難いことではないか)       

六〇、師の仰せには背けぬ。  
 同源右衛門。国より迎えに来ても、京にありて帰るといわぬゆえ、止むを得ず、一蓮院様に申し上げた。講師の仰せに 「己が帰れと云うたと云え」 師の仰せには背けぬとて、足納して帰る気になった。                

 六一、三毒と往生。  
 その後、国より不審がたち、その尋ねに、 「後生ほどの大事を身にもちながら、貪欲瞋恚にほだされて愚痴な事ばかり思います。これは往生の障りにはなりませぬか」 師の仰せに 「それはやめようとてやみはせぬ。この身を土にしてしまわねばやまぬぞよ」      
六二、大事の念。  
 又の尋ねに、 「この大事をしそこのうては所詮がない。とりそこのうては大変じゃと思う心が常におこります。これは障りにはなりませんか」  師の仰せに、 「それは往生の障りにはならぬ。反って喜びをますたねになる」      

六三、たのむがぬけて居りますでわるくば。  
 播州の平兵衛どんは、こんなものを如来様がかならず御助け下さるると云うて、常々喜ばれた。ある同行が 「お前さん。御当流にはたのむものを助けるとあるに、たのむがぬけてあるではござんせんか」 平兵衛殿、 「たのむがぬけてわるければ、あなたがよきようにしてつれて行って下さるでござりましょう」 同行赤面して、深く我が身の誤りをひるがえして、無二の信者となられた。      

六四、凡夫を凡夫のままで。
 五劫の御思案も衆生のため、兆載永々劫のご修行も凡夫のためと、一筋にお勤め下されたは、凡夫を凡夫のままに助けようとの思し召し一つのためじゃ。深甚と云うも一心一向と云うも、この仏の「そのまま助ける」の思し召し。唯衆生を一筋に助けたいの思し召しを聞くよりほかはない。御当流は他力じゃからには、仏の御心の外に、凡夫に一心もなけりゃ、信心もないと云うものじゃ。      

六五、疑いながらの御助けとは。  
 師いわく。ある人が、 「疑いながらの御助けじゃぞやとの仰せでござりますか、私には疑いながらでは信ぜられませんぬ」 師いわく、 「疑いながらの御助けと御聞かせ下さるのは、クサビでクサビを抜くというものじゃ」      

六六、いつもそのまま。  
 美濃国、長浜在に定右衛門という人あり。往生の大問題に苦しみ、京都高倉の御学寮へ参り、一蓮院師に御示談を願われたれば、  師いわく、 「そのままだぞや」 彼更に自己の心中をくわしく述べて、 「これではいかがでござりますか」  師又いわく。 「そのままだぞや」 今度は思いきりて、日ごろの迷惑せるところをのこらず遠慮なしに申し上げた。師又平然として、 「そのままで御助けくださるぞや」 とて御引きになった。  定右衛門、初めて自力のまにあわぬ、他力の御慈悲の限りないことが知れて、大安心になりて、国へ帰り、生涯同師のご恩を喜ばれた。      

六七、法の相続と雑談。  
 仏法の相談をし、お念仏を称ふるは光明や玉をはくがごとし。雑談し人の悪口をいうは、機のくずをはくがごとし。      

六八、大事じゃと。  
 大事じゃと思う心はなけれども、懈怠不沙汰が今は苦になる。      

六九、一蓮院師、順納寺殿えの返歌。  
 美濃国順納寺殿より、師え差し出されし歌に、   
紫の 雲に心を かけながら  願うおもいの 色うすくして  
 師のこの御返歌に、   
紫も 白きもいはす  われはただ  むらくもなから  おくられめやも  かついわく。
 順納寺殿は、なにを云やる。私も御身も阿弥陀様に、送られて行く身じゃがえのう。    (私にいわく。これ香月院師の、今の機のなりでと仰せらるるにあたり、足利勧学の、今の心なりでとのお法話のこ心に応ず。これ又、身口意のみだれこころをつくろうて、めでとうしなして往生せんと思うを自力とは申すなりの先徳のお思召しにも符号せるものか)      

七〇、命せが領解。  
 江州柳ヶ瀬村源正寺殿の平生のご相談に、領解を云うてみさっしゃれとの仰せに、平素の聴聞を述べて、お阿弥陀様が助けて下さるという事の嬉しさを申す。「それは仰せだぞや。領解を云うてみよ。」 云えまい云えまいと、相続の度ごとにこればかりのお尋ねなり。 「それでは仰せと領解と違いますかな」 師笑うてござる。しばらくありて 「仰せが領解になるのじゃぞや」      

七一、称えるばかりと云うが気にくわぬ。  
 源正寺殿。ご大病にて何人にもお逢いなさらぬ。しかるに信次郎士にかぎりお逢いなされた。その時のお話に 「皆々が称えるばかり称えるばかりと云うておるが、己には気にくわぬ」 と。信次郎いわく。 「昔、一蓮院師の、美濃の嘉右衛門同行にたいして、大浜のお竹の領解を聞かせてくれよとありた時、同行いわく。『称えるばかりじゃ、称えるばかりじゃと喜ばれます』と申し上げた。その時一蓮院師の仰せに『如来様が助けてやるとおっしゃるで、称えるばかりと云うたであろう』」 と。源正寺殿、この物語に、病を忘れて喜ばれた。      

七二、法と信との相続。  
 法の相続と信の相続とがある。信の相続はできぬものじゃ。(お竹同行の談)      

七三、必ずの言を聞いたをあてにしたではないか。    
 源右衛門・おせき(美濃)の両名は、京都にてご講者方のお育てを蒙り、居られたが、香樹院師はお過ぎになり、一蓮院師はお病気にて国元へ御引きに相なり、有縁の名師を離れて、又、案じたし。信次郎士え手紙にて自分の胸中を書き送りたれば、一蓮院師は私が返事をやろうと仰せられた。後、おせき、信次郎士に逢われた時、お前のお陰で安心いたしましたと。  信次郎ある時、一蓮院師えその事を申し上げた時、仰せに 「書中、必ずの言を聞いたをあてにしたではあるまいな」 と。      

七四、何ごとも夢の浮世。  
 何事も 夢の浮世と 思いなば   弥陀をたのむぞ 賢こかりける   
 (私にいわく。一歩。一歩。また一歩。いかに進達の究極に至れりと思えども、畢竟ただ「自力をすてて疑いなく弥陀をたのむ」とのご一言よりは一歩も出ることができぬ。昇道第一の示談より、今日ただ今の間までには非常の進歩ありたように思うが、ただ弥陀をたのむ事の明らかに確かになっただけに過ぎぬ。聴聞も思案も工夫も学問も,皆無駄ごとになりてしまい、「一心一向に弥陀をたのみ奉る」より外には何も残らぬ事になりた。即ちただ「如来様のお力一つで助けていただく」身になっただけである。実に「たのむ」の御化導はききあきたりもなきお言 葉なるかな。      

七五、易行他力。  
 開悟院師仰せに、 「さあさあ同行衆うろたえていると阿弥陀様が浄土へ連れていっておしまいになるぞ、ぐずぐずしていると阿弥陀様に握らるるぞ。返事が遅いと仏になるぞ、先方がはやいぞ。手ばやいぞ。先手がかけてあるでまけるぞ。まけるぞ」

七六、南無きり安心、南無ぬけ安心という人がある。  
 信次郎えご遺言に、 「己が死んだ後になると、如来様が信次郎を助けてやろうとおおせられますというと、それでは南無がぬけてあるというて、悪口をいうでなあ。その時は、南無がぬけてあると助けておくれぬか、南無があると助けておくれるか、この信次郎は存じませぬ。阿弥陀様に問うてみて下されというて、その場をにげてしまえ」      

七七、信次郎がどうか内緒でお前様の腹を聞かせてくださえ。  
 信次郎、三河巡遊の時、一色の同行某女。士に随いて行く道すがら、人なき折りを見ていわく、 「信次郎様、お前様だけは、どうか腹がなっておらるるように思われるが、誰にもいわないから、私ひとりにお前様の腹を聞かせてくださえ」 と。 信次郎いわく。 「いくらお前様が尋ねてくれたとて、私の腹はどうにもなりてはおらない。聞くときだけであとは何もない。これだから弥陀如来様の助けてやるの仰せ一つが有り難うございます」      

七八、疑いようなきお誓い一つをたのむなり。  
 疑い晴るるばかりでお助けというにつき、私等は疑い晴れたでお助けと思うは、我疑わぬ心をたのむのじゃ。ご正意はそうでない。疑いなきお誓い一つをたのむのじゃ。      

七九、信心とは聞其 名号信心歓喜の八字を腸にするばかりじゃ。  
 香樹院師いわく。 「およそ人々は、我心中をこしらえる事にかかりはてておるから、その心中は我こしらえものじゃ。教える人も唯理屈のみを教えてこしらえることに骨を折る。信心とは聞其名号信心歓喜の八字を我が腸にするばかりじゃに、そう思う人はなはだ少なきは残念なことじゃ」  存いわく、 「唯仏の力一つにて助けたまうぞと信ずる外に聞其名号という事もなしと聴聞いたしました」  師いわく、 「それでよしそれでよし」 と。      

八十、小言上手の同行と信次郎士。  
 ある同行いわく、 「信次郎様、私は聞くときだけで、すぐ後がぐずぐずになりて、何のたもちもなくなりてしまいます」  信次郎いわく。 「それだから、阿弥陀様ばっかりのお助けがありがたいじゃありませんか」  同行いわく、 「私は困る時には困るだけで、阿弥陀様もばっかりも思い出す事ができず、唯当惑一杯でござります」  信次郎いわく、 「それだからいよいよお前様の思いようをまぜて下さらぬ阿弥陀様ばっかりのお助けが有り難いじゃありますまいか」   同行なおひるまず。 「それがどうも、その時になるとそう思えませんで迷惑でありますがな」  信次郎いわく、 「それじゃ、そう思える時もお助け、思えぬ時もお助けだから、阿弥陀様ばっかりと言うのじゃないか」  同行も、最早笑いながら、 「今はまことに不足はありませんが、それでも又思えぬ時ができてきます」 と。小言上手の同行まだ口を出す。信次郎士も笑いながら、 「どんな心が起こりた時でも、きっとお助けにまちがいはない」  同行いわく、 「それでも貴方にお別れ申すと、また困りてくるにちがいありません」  信次郎いわく。 「その時には、きっとお助けに間違いないとの如来様のお約束だと信次郎の言うたことをよくよく思いだしなさえ」      

八一、徳通寺とおみつ同行。  
 有名なる厚信者、美濃の徳通寺が、三州巡化の時、おみつ同行が足腰が立たぬため、子息二人にになわれて参られて、上がり端から、大声に通徳寺様と声をかけられた。  当時師は他の同行と相談中でありたが、その声を聞いて列座の同行に、 「あれが来ては何を言い出すか知れぬで、お前たちはあちらへゆけ」 と追い立てられた。おみつは更に、 「通徳寺様が、お出でだそうなで参りらにやなるまえと思うて、やっとの思いで、ただ今子供たちにになわれて参りました」 とようようお座敷へ通らせて貰うた。 「通徳寺様、わたしはなあ。いよいよ今が臨終と思うと、いいかしらん。いいかしらんと思われます」と。      

八二、自力念仏の人えの師の仰せ。  
 美濃の国に、常に念仏の懈怠にならぬようとて腹え荒縄をぐるぐるまいて念仏を励まるる同行がありた。命終前に、その娘が香月院師え、右の次第を申し上げて、父の往生は如何にやとお伺い申し上げたる時、己には縁のなかりた人ゆえ、一蓮院え行きて尋ねてみよとの事にて、娘がまた前の通りを師に申し上げられた時、仰せに、往生はまちがいないと申せとのことゆえ、娘は嬉しく立ち戻りて、右の趣を父に申し伝えたれば、父も喜びて、迷いさえ離るればどこえでもよいとて命終まで称名致された。一七日の後、この様子を一蓮院師え申し上げたれば、仰せに 「めでたく往生をとげさしたなぁ」    (私にいわく。信心獲得せぬものは、如何によく聴聞できても地獄はまぬがれぬように思うたが、香月院師や、また一蓮院師のご指南によると、一生懸命に念仏して往生を願うもの、また仏法聴聞に生命をなげうつものは、聞けぬとても果遂の誓約ありて地獄えは落ちぬということである。未だ安心できぬ人さえこうであるとすれば、念仏の信者はなおなお末たのもしいことである)      

八三、その女の威信。  
 田原のその女は、香月院面受の信者とて、僧俗間にもすこぶる威信ありて、同女が法話に招かれて、寺にいたるや本山使僧の着せるがごとく、鐘をついてその到着を報知したりしと。      

八四、その女の領解。  
 その女、赤羽御坊へ某講師の派出せられたる時、同行中、その女の領解は正意にあらずとて、ひそかに嗣講に告げたるものあり。嗣講も他の人ならば兎も角、人を化導しつつ歩く同行のことなれば、捨て置き難しとて、早速侍者をもって、その女を呼びよせられた。  嗣講師、先ず口を開いて、 「お前の領解は」 といわれたその女、 「私は今日御殿え参ろうとは夢にも存じませなんだが、貴方の仰せによりて、参りました次第でございます。これがその女の領解でござります」 と。嗣講。唯々としてその厚信に感じられたりと。      

八五、あなたが有り難うござりますと。
 赤羽御坊で、渡場の勘助士が、 「おそのさんは有り難い人じゃげな。そのおそのさんはこの人じゃ」 と言うと、言わるるには、 「あなたが有り難うござります」 と言われた。      

八六、信次郎の祖父え賜れる消息。  
 信次郎の兄が京都へ登りて、祖父が大病ゆえお聞かせを蒙りたき由、申し出でたれば、  「それ人間ははかなきものなれば、今にも無常の風来たりぬれば、死なねばならぬゆえ、はやく未来の用心をすべし。我等は罪深き者なれば、我が力にてはとても地獄はのがれがたけれども、阿弥陀仏の仰せには、我を一心にたのめ、願力によりて必ず地獄えは落とさぬまちがいなく我が浄土へむかえる、とのお慈悲なれば、その誓いをまことと思いて一心一向に阿弥陀様にすがる思いの起こるとき、はや往生は仏の方より定めたもう故に、露ちりばかりも我が心をたのみとはせず、南無阿弥陀仏の御力一つにて御助け下さるるぞと信じたてまつって、唯何の中よりも称名念仏して、はや一念のとき往生の定まりしことを喜ぶばかりなり」 と書いて下された。      

八七、日本一の聴きよう。  
 師、ご病気の時、ある同行、お見舞いに参られて、 「御死去の後は誰にお聞かせを願うやら」 と申し上げし時、師の仰せに 「本願のどだいめを聞けば、だれでもよいわいの」 同行 「そのどだいめをお聞かせくだされ」 「お助けくださるると聞いたことじゃわいの。お助けくださると聞いたが日本一の聴聞と言うものじゃ」      

八八、首尾よく浄土へまいりたいと思う心は邪魔になりませぬか。  
 「たのめとは、我がたすけてやる事が行者の方え通らぬ故に、それを通さんがため我をたのめと仰せらるるのじゃ」 信次郎ある時、 「首尾よく浄土へまいりたいものじゃと思う心がござりますが、これは往生の障りになりはせぬか」 とお尋ね申し上げたれば、仰せに、 「首尾よく浄土へ参りたいの心で後生大事に聴聞するがよい。後生一つはお誓いの不思議でお助けに預かるのじゃ。その証拠が南無阿弥陀仏じゃ」      

八九、仰せだけで満足せよ。  
 師仰せに、 「如来様の仰せだけで、安心するのじゃ。仰せを私の腰刀にして、お助けを我が身がにぎるではない。仰せ一つに腹ふくらかすが、まことの領解と言うものじゃ」    

九十、私が他力になったら。  
 ある同行いわく、私はどうしても自力無効の実験が足りぬとみえて、分かりた所や聞いた所で、落ちつくとみえて、直ぐにぐずぐずになりて困りますと。  私いわく。 「生涯凡夫でぐずぐずと自力をやり通して行くがよい。私が他力になったら如来様の他力はつぶれてしまう。如来様の仰せを私の腰刀にするではない」  同行莞爾とし、開解の色、眉宇に溢る。                       

九一、一蓮院師に信次郎の初めての謁見。  
 信次郎、師の高徳を聞き、京都へ上りて、拝謁を請いたる折り、はるかに席を隔てて恐る恐る、名号六字の謂れを聴聞いたしたき由、申し上げられた。師の仰せに、 「私のところへ来るほどのものが、六字の謂れを知らぬようなものはあるまい。お前の聴聞を聞かせてくれ」 と。信次郎、 「如来様がこの私を御助けくださるることと聴聞いたしました」 と申し上げたれば、師はこの一言に深くご満足ありて、近う近うと。ここにご同席して、打ち解けてご相談くだされた。  師はいよいよ深く信次郎を愛し、自身の寺者たるべきよう、また臨終には、その方の手から末期の水が貰いたいと仰せられたと。(服部伴蔵氏宅にて信次郎士の物語)

九二、それが本真にならぬものだぞや。  
 香樹院師、ご入浴の時、信次郎、浴衣を持ちながら、 「私もだんだん貴方のお育てに預かりましたが、外には何もござりません。ただお助けが本真になってきたばかりでござります」 と。  師は風呂に入らんとする足をひき、半裸体のままにて、 「それが本真にならぬものだぞや」 と、三度下をたたいて仰せられて、 「それが本真になれば何でも出来てくる」 と。      

九三、助けてやるのお声で充分じゃ。  
 私は,かつて如来様は何処にお出でになるか、またどんなお方だと、それを詮議せにゃ安心ならなんだが、今では、助けてやるとある善知識の言さえ聞けば、どんな姿も、どんな所にお出でるも詮議はいらぬ。私は善知識と言う、しかしそれは誰でもかまわぬ。助けてやるとあるお声さえ聞けば、私はそれで充分であり満足である。      

九四、聞くが勅命。  
 田原のその女いわく。 「聞くがお勅命とは、聞けぬことじゃ」 と。 「私が助けるの声を聞いたが、その聞いた外に勅命はない」 と。      

九五、人の声が仏の声。
 樋口重三氏いわく。西岸上に仏あってじゃない。人でよかったこころなり。      

九六、お助けを見ることはいらぬ。  
 ある人いわく。助けらるるものは、助ける人の姿を見ることも、助ける人がどうして助けて下さろうと、そんな詮議はいらぬ。またどれが助けられた姿じゃとお助けを見ることもいらぬ。私は唯、助けてやろうとの声を聞いて安心するだけのことじゃ。      

九七、仕事違いをするな。  
 ある人いわく。後生のことになったら、助かる一段になったら、私の権限じゃない。自力すてようも、弥陀をたのもうと思うも、どうかなりたい、どうかなれようと思うも、皆助かるものになりにかかり、後生を我が手でやろうという料簡じゃ。これは皆私の仕事違いと言うものじゃ。如来様は、後生は己が一人で心配してやると仰せらるる。お前たちに指一本もささせぬと仰せらるる。お前には念仏という役目を申し付けると仰せらるる。私は計らい止めて念仏するばかりじゃ。      

九八、盲目同行と高田派法主。  
 越前福井の盲目の老婆が、年に二度づつ高田派の本山に参らるる人でありたが、善知識様が仰せに、 「どう聞いたや」 「随うばかりでございます」 「其の裏かえせ」 「うれしいことでござります」 「もう一つかえせ」 「称えるばかりでござります」 「オーそうじゃそうじゃ」 とおほめであった。      

九九、盲目同行へ信次郎。  
 大垣へ信次郎がご示談にみえた時、この盲目同行もお出でになりて、前のご法主様との問答を述べて、ご同心出来ますかといわるると、  信次郎士は同心致しますといわれると、まことに喜ばれたが、他の人々に賛成できますかといわれしに、一人も返事なきゆえ、皆様は陶器の巾着じゃなと。         

一〇〇、心あたりもせずに有り難いという。  
 ある同行いわく。皆さんが心あたりもせずに、有り難いというてござることは、丁度、小犬に割り木をふりあげると、あたらぬのにキャンキャンないていると同じようなものじゃ。      

一〇一、水仙の花と茶の花。  
 ある人いわく。水仙の花と茶の花とよく似たものなれども、決して同一じゃない。私等が領解するとも、仏の仰せにかなうまいなら茶の花安心じゃ。      

一〇二、口の動かぬが惜しい。  
 ある同行にお前様の領解はと尋ねると、 「私はなぁ、人さんの口の動かぬを見ると、惜しいことじゃと思います」      

一〇三、地獄の釜ぶたの上にいる。  
 三州重原のおみつという同行はなかなかの厚信名人でありた。外の人達が、あなたはよく喜びになりますというと、手をふりて、いやいや私はそのようなものではない。地獄の釜ぶたの上にいると申された。      

一〇四、火の車の軸物。  
 おみつ同行は神谷彦十という絵師に、自分が火の車に乗りておるところを描いて貰うて、これを見ては始終喜んでおられた。      

一〇五、信次郎士とおみつ同行。  
 信次郎、おみつ同行の所へ立ち寄り、ご相談すみて、帰られんとする時、奥より這い出して、 「さっぱりあかぬ、さっぱりあかぬ、さっぱりうそじゃ、さっぱりうそじゃ。信次郎いわく、 「なぜに」 といわれたれば、 「仏様はちょっともおがんだことはない。念仏は大きらい。孫子が党は、死にさらせばよいという奴だで」 信次郎いわく、 「どんなやつでも如来様の仰せばかりはほんまだぞや」 「ほんまかいな。みつはようこい、ほんまじゃと仰せらるる」 というて喜ばれた。      

一〇六、おみつの平素と臨終の言葉。  
 おみつは、着物はよいものから売りては、ご本山に上げ、しまいには襦袢一枚になりて、寺参りには子どもの着物を借りて、孫子と共に参られた。臨終に船見という人から手紙を送られた其の中に、如来様は必ず助けるとあるお言葉を、子息の久兵衛が三度よみきかせられた時、ひょっとしたらのうとの返事でありた。これを聞いた人々皆不審に思うて、不定心のように悪さまにいうた人もありたが、これが吉郎右衛門の臨終の、地獄やら極楽やら分かりませんといわれたと、好一対の名言じゃ。      

一〇七、信次郎士の自督。  
 信次郎士,予を鷲塚の病床に訪わる。予は兼ねてより一蓮院師を敬慕し、随って又、信次郎士を信じ、病床に請して、親しく一蓮院師に逢いたてまつる思いをもって礼を正して、その自督を問う。  信次郎士また低頭平身して、 「私は如来様が助けてやると仰せらるるお声一つを楽しみに、日を暮らしております」 と。予もまた、 「私も唯如来様のお勅命一つを喜びて日を暮らしております」 と、共に涙にくれて念仏しあえり。                     

一〇八、握ると握られると。  
 ある同行が参詣の節、 「外の同行が、今朝のご教化でこそ握りた握りたといわるるが、私は何も握りたものは御座りませんが」 と、師の御袖にすがりてお尋ね申し上げければ、師の仰せに、 「外の同行は握りたであろうが、私やお前は仏様に握られておるのじゃ」      

一〇九、同じく握ると握られると。  
 私にいわく。私が御助けを握ると、如来様は私を握らせらるることができぬ。私がさっぱりと握りた手を放せば、如来様は直ぐに私を握りて下さる。こう聞いて握りた手をはなそうとするが、やっぱりお助けを握ることになる。なにもかも我思案や、聴聞やがやくにたたぬことになりたが、握ることをやめたのだ。握ることをやめたは、はや如来に握られたのじゃ。自力の人には何かこれという握りたものがあるで、人が何かいうと、そうでないと、りきむ。私の方が正意だと思う。他力の人は何も吾にこうというものがない。ただ如来の御助け。その御助けも、私が思う前、聞く前のまるきり私に関係させぬ如来の御助け一つが私の往生のしのぎなり喜びだから、私は何一つこれというものがないで、何といわれても争うことが出来ぬ。      

一一〇、聖教。  
 師、ある時仰せに、 「どんなお聖教を拝見するにも、他力の二字を加えて拝見さえすれば、間違いはない」      

一一一、それがなれたら自力だぞや。  
 米津渡場の堪助。上京のみぎり、大師堂へ詣せるおり、他の一人の同行は涙を流して、しみじみと御真影を礼拝せられたに、私は唯、あちらこちらと御再建の御普請の美事なことばかりに気をとられて、それほど有り難う御座りませんなんだが、師の前に懺悔せられたれば、仰せに 「それがなれたら自力だぞや。それがなれたら自力だぞや」      

一一二、他力の信心。他力が信心。  
 私にいわく。他力の信心、他力の信心と、信心に他力の二字を加えて戴けば間違いないと、上人の仰せごとなりしが、私は、他力の大信心とも喜べる。他力が私の信心とも戴ける。私にさっぱりかかわらぬ如来様の御助けが、私の信心でありますとは有り難い。いうにいわれませぬ。師の阿弥陀様ばっかりの前にも後にも言葉が残るようではならぬと仰せられたはここの事。まことに嬉しく貴く思われます。      

一一三、疑いは山ほどありても。  
 『アオナ』村の金右衛門。上京のおり、師、江州某寺に遊化したまうを聞き、忙ぎ参られたるに、夜分、同行うちよりて御堂での御相談に、露ちりばかりも疑いありては報土往生かなわぬ由、力をいれて話されあうを、傍にありて打ち聞き、露ちりばかりの疑いといえば、私では知れぬほどの疑いである。もしやそんな疑いでもあれば、報土往生はかなわぬとの事なれば、どうしたものにやあらんと、その夜はこの事のみ案じられて一睡の夢もむすばなんだ。夜明けにおよんで、ふと気のついたは、ああ、阿弥陀様の御慈悲は、露ちりばかりのうたがいだろうが、たとい山ほどの疑いでもゆるして助けてくださるものを、私は何とした阿呆かと、気がついたら、胸の中は、夜と共にがらりと明けわたりましたがと、翌朝早々師に申し上げられてれば、 師の仰せに、 「そうじゃ、私の安心もそうじゃ。それがご開山や蓮如様のご安心であるぞや」と深くお喜び下された。      

一一四、師を選ぶこと。  
 一色の按摩某は、深く信次郎士を随喜しておられた。一日、士に尋ぬるには、「私は今日、自分の近傍にお説教のあるにそれをやめて、わざわざ遠方の貴方のところへ参りましたが、こういうことをしては、仏祖の思し召しに背くというようなことは御座りませんか」 と。士いわく。 「私もかってこの不審がありてご講師様にお尋ね申し上げたるに、ご講師様は、それなら御門主様へ参りて伺うて参れとて少なからぬ金子を下された。そのお金を献上して謁見を願い出でたるに、幸いにもお目通りがかのうたゆえ、自分は恐る恐る、ご門主様に右のお尋ねを申し上げたれば、仰せに〈世間の立花・茶の湯の末芸さえ、心ある親は充分選ぶもの、まして永劫の一大事、万劫にもとりかえせぬことなれば、師を選ばいで何としょう。選んで選んで選びぬいて、いよいよ聞かねばならぬ〉と仰せられた」 と、荒子の等覚坊で語られたと。      

一一五、信次郎と某同行。  
 尾州小田井に才気溌剌たる某同行あり。その示談や巧妙にして、よく真を穿ち妙を極め、随喜するもの頗る多く、この同行の示談には頗る群集するに反し、信次郎士の示談は、極めて静かに、言葉少なに、唯如来様が助けてくださるる事の有り難やというては隙だにあれば念仏してやまず。人々のいわく、信次郎様のご相談は御采(おかず)がなくて食い手がないと。  私はこれを聞いて、特に信次郎士を随喜した。      

一一六、信次郎の平素。  
 某同行いわく。信次郎様はまことにご招待に気が楽だ。どんな粗食でも喜んで上がられ、どんな粗末な夜の物でも厭うことなく、隙さえあれば称名のたゆるということがなく、夜寝所に入らるる前、必ず仏前に詣した、称名礼拝丁重でありた。  ある時、 「信次郎様、貴方はどう思うて夜分如来様を拝ませらるるや」 と申したれば、 「今夜極楽へ参らせて下さるれば、これが今夜のお見納めと思うてご恩を貴む所存で御座ります」 と。      

一一七、信次郎の念仏攻め。  
 小田井の同行と、信次郎士と、偶然一室に相逢うことがありた。小田井の同行はいろいろ話されたが、信次郎士は黙して唯念仏するのみ、その後、その同行浩然大笑して、いや信次郎様の念仏攻めには一番閉口したと。      

一一八、信次郎示談の心得。  
 信次郎士は始終一蓮院師を自分の安心および行状の手本として、一にも一蓮院、二にもご講師様でありた。師が常の仰せに、今日は如来様の思し召しにかなわぬようなことを言いはせなんだかと顧みて暮らせ。仏祖の思し召しに背くようなことは言うまいと、始終ここに注意しておれと。信次郎はこの心をもって示談せられたためにまことに、言葉少なに唯如来のお助けのお声のみを相談された。      

一一九、開寿院師と信次郎士。  
 開寿院嗣講師の所から、江州信次郎士の所へ使いが参りしゆえ、何の御用やらと思いて行ってみれば、仰せには、 「早く死に別れ、どうしておるやと思うて呼びにやりたのじゃ。己もこの頃は病気になりて、もう如来様が助けてやるというていて下さるるのをば喜び申しているのじゃ」 とのお話でありた。      

一二〇、極楽の夢と地獄の夢。  
 一蓮院師の仰せに、 「一日お慈悲を喜ばせて貰いましたで、今から休んでお浄土の夢でも見ましょう」 と。  香樹院師これに和して、 「一日地獄の所作ばかり、今から地獄の夢なと見ましょう」 と。      

一二一、うれしさに眠れず。
  師一夜、仏恩の広大なることを思うて歓喜あまりて収むる能わざりし。その時思うよう。しかし、いかほど喜んでもお助けの足りになるではない。皆あだ喜びである。身を疲らすには及ばじと強いて、心を抑えたまいて、ようやくまどろみ給いたりと。      

一二二、私の心はお聖教通りになりませぬように思われます。  
 師、香樹院師にお尋ねなさるよう。お聖教の明文には明信仏智とあれば、心が明らかになるように伺われますが、私の腹は少しも明らかになりませぬ。  香樹院師お答えに、 「そうじゃで、そうじゃで、お前余所を聞き歩かず、だまって念仏しておらっしゃえ」      

一二三、たのむと助けるの前後。  
 たのむものを助けるとあるは、助けてやろうが先なり。先といえばとて、隔たったことではない。同時前後というものじゃ。たのむが先か助けてやろうが先かといえば、助けてやろうが先なり。如来の仰せに順いたてまつるが、たのむことなり。(信次郎)      

一二四、無垢の同行。  
 師、ある時仰せに、 「私が先年、江州巡化の時、三十歳ばかりの婦人が嬰児をつれて、一言お授けをといわるるゆえ、『如来様はお前がその子を思うようしばしも離れぬように私等を抱き思うて下さるぞや』。婦人は、『有り難うござります』と喜び勇んで帰られた。その後、十年ばかり立ちて偶然にその婦人に逢うた。その時、いわるるようは、『あの時のご恩は忘れません』と」  師は無垢の信者よと深く御嘆賞ありた。      

一二五、大事のことは荒涼に讃嘆はならぬ。  
 渡場の米津勘助士。初め三州高浜に隠遁せられたる香月院面受の弟子。吉郎右衛門長松両士の法友なる是一庵恵勇士が、あまりに法を秘密にして無宿善の人とみれば語られぬ。一大事の相談になると耳から耳というようなことゆえ、あるいは越前の秘事法門にあらずやと思い、一大事なればとて、上京して、一蓮院師にこの赴きを伺われたるに、師のお答えの委曲はききはづしたれども、要は、大事の相談はそうおっぴろげて荒涼に讃嘆すべきものでないと仰せられたりと。鈴木綱吉士(勘助士の法友)よりきき及びたり。      

一二六、後生願いとさえ見らるればよい。  
 渡場の勘助、重原におみつ同行を訪う。おみついわく。 「私は助けて貰うより、後生願いとさえ身らるればよい」 と。勘助同行等、脇下より冷や汗が出たと。      

一二七、お助けは自分の方から出すものじゃない。  
 又、おみつ、勘助にいうていわく。 「勘助様、お助けは自分の方から出すものじゃないそうな」 と。それかあらぬか、勘助同行は一言もお助けを自らいわず、自分の腹をうちあけては、一生聞く身でくらされたと。      

一二八、不思議というまでいらぬ。    
 一蓮院師、香樹院師の病床をたずねられたれば、仰せに、 「誰にも人に尋ねずに、唯だまって念仏を申しなされ」 一蓮院師いわく、 「左様ならば、唯御不思議におまかせ申して、念仏を称えるばかりで御座りますか」  香樹院師いわく。 「不思議といえば、今まで命ながらえたのが、はや不思議じゃほどに」      

一二九、お阿弥陀様ばっかり。  
 東京浅草別院へお差向けでお出になりた時、お説教もすみ、ご示談ありてお帰りの道すがら、信次郎今夜はどうでありた。信次郎 「有り難うござります」  師の仰せに、 「このご示談に寄りおうておる同行は国々での指折りじゃ。立派に領解は述べるが、若し、『お阿弥陀様ばっかり』という領解の、前にも、後にも何か残りておったなら、報土往生は叶わぬぞや」 と。いつもはお帰りの後でなければ、お諭しのないのに、翌朝は家を出かけると直ぐお話下された。 「信次郎や。如来様のお力ばかりという事をよく聞いておくがよい」 三月七日に御死去なされた。死ぬまで、 「信次郎、『ばかり』という事を忘れてはならぬぞよ、ならぬぞよ」     (私にいわく。このご示談を拝見するに、かくまで精練せられたにはなかなか逢いたてまつる事ができぬ。昇道二十余年の間、如来の光明のお育みによりて知らせて戴いた昇道というものは、どうしてもこの一蓮院師同様、まったく如来様ばかりでなければ助かる道のない奴である。昇道は明らかに自力無効を知りて、貴方に助けて戴いた今日でも、なお信心の顔を見んと、時々首をうしろにむける。否始終首をむける。本真に安心ができたら、いつも晴れ晴れしているであろうと。それこそキツネというか、話にならぬほど後ろが見たい。なられぬと知れたら、なられるように思うたが、なられぬと承知しながら、まだなられるように思う。これでこそいよいよなられぬという事が確かだ。まことに親様は昇道に向かいづめにして下さるに、昇道は唯逃げづめ、背きづめにして、貴方をすてては、ご信心の方へばっかり首をつきこむ徒者。往生にとりてかかりた所が何処にあろう。異安心といわれても、不信者といわれても外道めがといわれても、昇道の身上はこれより外はない。この地獄行きめといわれても大悪人といわれても、昇道の心はこれだけよりありません。これだもの貴方ばかり、如来様ばかりに助けて戴く外はどうして信一つも行一つも持てる道理がありましょう。嬉しうござります。この大悪人。大外道の昇道は、なられぬと知りつつ、信得たらなられるように思い、なられぬと知れたら、なられるように思うたに信不足か、徹底できぬためか、なられぬと知りつつ、なられるように思うから、これでいよいよ昇道にならぬやつで、陥るやつで、唯もうまるまる逃げづめ、背きづめのままで 、安心もなく、決定もなく、一心もなく、一向もなく、若存若亡のぐらぐらなりで、全然唯々貴方様に助けて戴くより道はありません。ただ一向に一心に貴方ばかりたのみたてまつるより外はありません。吾として信ずる事の出来ぬ。たのむ事の出来ぬ私は、唯阿弥陀仏様ばかりで往生の大事をすまして戴くよりありません。ここえ来ると、私はぐらぐらであるけれど往生の一段は、阿弥陀様のお仕事であるから、貴方が計らって下さるのだから、宇宙全体が反対しても、昇道の往生を動かすものはないと思えば、ぐらぐらの処代もちながらも、大威張りに威張られるというものだ。これも因位のご苦労、本願力のましませばこそと思われて、喜ぶなといわれても、喜ばぬわけにはいきませぬ。又蓮如様が、信心安心といえばかわりた事のように思うから、唯弥陀をたのめと教えよとあるところからみると、昇道というものを、まるきりすてて唯如来をのみたのむ昇道の安心は、開山や蓮師の御目からは、真実安心であるといわねばならぬ。外道めと誹る人々は、私からみれば全く所難の通りだから、そのままが私の友達である。若し又その人が実地に後生大事の道踏み出して行きつくところまで行きついて、唯如来のお助け一つに満腹せらるるようになると、その人から反って我友と私というようにならるると思う)      

一三〇、五常の道。  
 若い娘が御前へ出て、領解を長々と申し上げたれば、師はお喜びになり、 「それでは五常の道は守れるかや」 と仰せられたるに、 「五常という事をお聞かせ下され」 と。師一々御聞かせなされたれば、 「それはきっと守ります」 「それでは親が余宗へ嫁入りせよというた時行くかや」 との仰せに、 「参ります」 と申し上げたれば、深くお喜びでありた。      

一三一、己は瘤である。  
 一蓮院師は、毎朝毎夜、内仏に何か書いたものをとり出してはご懺悔ありた。ある時、信次郎殿にこれをお見せになった。それは『瘤』という字でありた。「信次郎や己は、瘤のようなもので、邪魔にこそなれ、何の役にも立たぬものじゃ」      (私にいわく。これ一蓮院師が、真に自己の価値を真実に自覚せられ、又表白されたお言葉である。この自覚がやがて他の一面には、「信次郎、阿弥陀様ばかり、ばっかりという事を忘るるなよ」の大教訓、大自覚と顕れたのである。私の心へ出たものは、「阿弥陀様ばかりと思う」心さえ瘤である。これに着するから直ぐこまりて来る。邪魔にこそなれ、役には立たぬ代物じゃ。まして他の凡夫心をやだ。凡夫の心は一切瘤で往生の要に立たぬとすれば、凡夫の思いの寸毫も雑じらぬ、凡夫の力の少しもいらぬ「貴方御一人の御力で助けて戴くより外、道がないじゃないか、貴方ばかりと思う心をたのむなら、貴方ばかりじゃない。唯一向に貴方ばかりが、一心に弥陀をたのめというものじゃ。たのむ心をたのむが私の大瘤だ。この大瘤が知れにゃ一心に弥陀をたのむ心は起こらぬ。余人は知らず、昇道はこの大瘤がいつもはなれぬ。それでいよいよお助けをたのまにゃおられぬ。いよいよ貴方が根機に相応して下された事がひしと身に感ぜらる。邪魔になる大瘤も、本願があればこそ、息のつき場がある。肩が広くなる時もあるというものじゃ)      

一三二、信次郎士へ御かたみに。  
 信次郎へ御かたみに、
今はとて  なにをかいはん 南無阿弥陀  仏ははちすを  さかせてぞまつ    
うちはへて  波こそさわげ  ひろさわの  池のこころに  月さやけしも  
 
五濁悪世のわれらこそ    
金剛の信心ばかりにて  
ながく生死をすてはてて    
自然の浄土に至るなれ    

あらおもしろや〜〜〜〜。 一心に弥陀を疑いなくたのむばかりにて、往生は仏の方より定めましますぞ、その証拠が南無阿弥陀仏なり。      

                      一 蓮 師 談 合 録 終

真宗大谷派 念佛寺

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