松並松五郎念仏語録

○御承知の如く、無学で文字もわかりませんので、間違いも多々ある事と存じます。また、すぎし日の事を思い、省り見て、綴しこと故、前後の間違いも多々ありましょうが、よしなに御願申し上げます。 南無阿弥陀仏

○万善万行のこもった南無阿弥陀仏なれば、その徳がほのかに映ず。然し自分の手柄で無い。

○水は流れる。そう念仏せずともよいと言うて、自分が聞けばよい。水は流れ出る。

○物は積むでこわれる。積まずに持って遊んで居ればよい。夢と心得て生活すればよい。その夢と心得られるは、念仏より出て来る。

○息子はテレビを買った。そえ物としてケース付きの「ニハトリ」で、雄は口を開いている。雌は口を閉じている。それに讃を書いた。 「この鳥は 口ありながら なぜ啼かぬ」  雄は念仏している。雌は余計なこと言うな、念仏聞け、と。どちらも私への御意見。どちらも念仏している、聞いている事です。

○東漸寺様の仰に。即ち、みやこいちの領主の念仏停止の命を聞かずうち首になりしとき、その首空に舞い上がって遠方まで飛んだそうな。その首を葬ったのが一志郡小山の青巌寺なり。和上発病前、藤田師と多数の同行が我も我もと参詣なされた。途中で和上様は藤田師に向い、「私はここで待っているから、あなた方参詣して来なさい」と命ぜられる。東漸寺様は、「和上自身が言い出して、自分が参詣はやめて、連れて行った方に参詣せよ、と申されたは、なぜか。和上の心が知れません」とのお話。  「さすが和上様だと頭が下がりました」と。東漸寺様は「何故か」との仰せに、「奇瑞にあこがれるのは真の信仰でない。その場合和上様もその首拝見に行かれたなれば、和上に教を受けた同行が、皆奇瑞にあこがれて御教化が破れる事になる。御恩に向えば念仏の外なきなり」

○世の中に、見ざる、言わざる、聞かざる、の三ざるはつつしむ事は出来るが、思わざる、これはつつしめぬと。  思わざるは真宗には無い、聖道門なり。真宗は「おごらざるです」。

○どうもすっぽりいかぬと言うお方に、すっぽりいかぬ人に聞いては、いつまでもすっぽりいかぬ。すっぽり念仏に入ったお方につかねば、すっぽりいかぬ。

○多くは片目でものを見ている。即ち自分本位で見ている。その処に争いや不満が出る。

○「大師上人、遠流に処せられたまわずば、我亦配所におもむかんや。我亦配所におもむかずんば、何に依ってか辺鄙の郡類を化せん、これまた師教の恩致なり」と、宗祖は越後御流罪を喜ばれしとか。宗祖も一度は、この罪なき自分を北国に流すとは何事ぞ、怒りが胸にグーと来たであろうが、その時一息入れて、まてまて、これも如来のお計であったと、気付かされなさったのであろう。法から頂けば、たしかに如来様の再現にてあらせられるでしょう。されどこの体借る間は、おなじ凡夫でなければ、我々はお供は出来ませぬ。有り難いこと。 南無阿弥陀仏

○東漸寺様の御縁日にお詣り致しました。「今晩お泊り下さいませ」と。「では、 仰せのままに泊めて頂きます」と。御縁は三時に終りました。食事を頂きました後、御院住様は、長さ四寸横三寸ほど、二分ほどの分の薄い本を持って来て、「これで三部経全部です」と。私、「へー」と驚き、「これで三部経全部ですか」。「文字が小さいのと紙が薄いのです。あなた三部経を拝読致しましたか」と。「御院住様。正信偈も拝読致しません者が三部経頂いたことは有りませぬ」と申し、十時頃までお相続共に致しまして、「お休み下さいませ」と休ませて頂きました。翌朝目が覚めて、御院住が「三部経拝読致しました」と申されましたが、何と御経様に教えて下さってあるのやなーと思って、床の中で念仏聞いていましたら、「あー判った」と起きて、朝食頂いて後、御院住様に「朝、寝床の中で三部経拝読致しました」。「えー寝床の中で三部経拝読致しました、と」「はい、拝読致しました」と。「それなら大経には何んと仰せられてありましたか」「はい、たった四文字ですがな」。「えー四文字とは」。「はい、タスケルと、四文字ですがなー」。御院住様は「うーん、そうです。それなら観経は」「はい、ワタシヲ。これも四文字ですがな」「うーん、その通りです。阿弥陀経は」。「はい、マチガイナイゾ。七字です」「うーん、その通りです」。 そこで「三部経」は「ワタシヲ タスケルニ マチガイナイゾ」。それが南無阿弥陀仏ですがなー。そこで、助かる者に「助ける」必要はない。「助からぬ」者ゆえに「助ける」が必要。そうすると「観経」は、「助ける」の大経の中に入っている。「助ける」南無阿弥陀仏の仰せを素直に頂けば、「マチガイナイゾ」の諸仏の「ヒキウケ人」の必要は、いらざることになります。さすれば、「大経」の「タスケル」だけとなります。それが南無阿弥陀仏。この声だけとなります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  されど久しく自力の執心の深いゆえに、「観経」も「阿弥陀経」も、しばらくは必要でしょうが、南無阿弥陀仏の御助の親心にうちくだかれた「南無阿弥陀仏」に遇い得れば、念仏よりほかに、この声を聞くよりほかに要はない。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

○岐阜へ詣らせて頂きました。御縁が終って或る師、「あなた、信心は如何ですか」と、「私、信心はありません。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。師は「あなたの信は盲信です」。「それではあなた様は解信ですか」 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○久志本様の病床を訪れました時、色々のことを思い、亦お慈悲の尊さをしきりに語られる、その帰途、浮んだことを認めて送りました。   先日は有難うございました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。日々夜々、念々の思い、今日今時の所作まで、算用が済んで成仏ましました姿こそ、今の南無阿弥陀仏なれば、思い思う心は、皆々おまけじやがな。これ以上だだをこねますと、南無阿弥陀仏様がいかにもお気の毒やで、今呼んでもらうだけでまけて上げては如何ですか。ちぎれちぎれの南無阿弥陀仏、いやいやのままの念仏、念い出させての南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と聞くだけで、まけてもらいましょうまいか、うまい事や、こんなことに、誰がした、南無阿弥陀仏。
弥陀が来て 弥陀が連れゆく 弥陀の国 弥陀の国なら おいらの国さ おいらの国なら弥陀の国
久志本様

○念仏者は、「わけ」が判らぬまま念仏して居ても終りには、辻褄が合う。法義者は道理が判っても終りには、辻褄が合わぬ、わからなくなる。

○東向きに(地獄行き)に歩いているまま、西に引きずられてゆく。東向きの私が西向きに変るのでなく、一代東向きのまま、前になり後になって、南無阿弥陀仏にひきずられる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○耳は聞こえず、目は見えず、いざりの私を、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、呼んでござる、呼んでくださる、今も今も南無阿弥陀仏。

○ある師の若様の結婚の宴に招かれました。お寺様十一人、世話方総代一人、私と十三人。その中の一布教師「私達の組仲間全部集る事は、年に一度あるかないか分りません。皆々布教に出ています。一口お聞かせ願います」と、私「それは反対ですがな、私自身お聞かせ蒙らねばなりません。それが当然の事ですがな」。師は「私共は一年中布教に出ています。名前は老僧からかねて聞いていますが、会うのは今が初め、一度でも、聞く座になって聞きたいのです」。「それは高すぎます。何にも分かりません。御ことわり申し上げます」。お寺様一同「そんなこと言わず一口一口」と、申されましたので致し方なく「それなら私、皆々様にお尋ね申し上げます。人間今日一日生活させて頂くのに、何が一番大切か、それが分かりませんので、御一人づつお聞かせ願い上げます」と申し上げました。一人ひとりが、「米が大事や」、「水が大切や」、「火が大事や」、「水が一番や」と、一巡り聞かせて頂きました。「然しあなたは何が大事と思います」かと、 『有り難う存じますが、米や水は三、四日食べなくて命は有ります。火が大事と言うてもそのまま食べられる食物は有ります。私の知り合いの女の方が、「ガン」と診察されて、いずれ助からぬ者なら、薬をのまず念仏して、念仏と共に世を去りますと、熊本の「アソ山」へ登り、食物はとらず腹がすくので木の葉、根を食べながら死を待つばかり、九十日後、元気になって、村へ帰ってきた。村人は驚いて「どうして」「何を食べていたのか」と。「木の根、若葉を食べてた」と。そうすると米も、水も、火も、用でない。この呼吸が一分間も止つは命がない。その大事な空気も、吸わねば死ぬ、死ぬと思って呼吸しているのではない。吸うばかりではならぬ。たまにははき出さねばならぬと、ソロバンはじいて、はき出しているのでない。自然に吸うて、自然にはき出して、生かされている。お念仏もその通り。六字のおいわれを聞いて、自然に称名となって、口から聞えて下さる。その一番大事な空気も、「ただ」であります。お念仏も「仏」の願心よりい出て、「私」を徹して、この口に現れて、クダサル苦労は親にさせ、成就して、仕上げの南無阿弥陀仏を頂くばかり。この南無阿弥陀仏も「ただ」であります。これはこれは何としたことか、と驚くばかり。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏     仏は、名なり、声なり、御体なり、御血潮なり。南無阿弥陀仏は、大悲招喚の呼声であります。南無阿弥陀仏の中に今、現にい抱かれて生かされています。私がいるので南無阿弥陀仏に成りきって下されました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   この活仏、声の仏ましましてこそ、かかる身が護られい抱かれて、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  いかされています。

○念仏堂建立。   ある夏の午後でした。みず知らぬ六十才頃のおばあさんが見えました。「松並さんのお宅はこちらですか」「はいそうです。仏様のお堂です南無阿弥陀仏」「私は高力様の手紙を持って参りました」「そうですか、お上がり下さいませ」と麦茶を出して、手紙を拝見致しました。 『この方は四国から京都へお越しになりましたが、現今お米の配給は頂けませんので、それまで大和で配給をもらって、お願い致します。そのうち京都で頂ける様になりましたら、手紙を出しますのでお願いします』 と書いてありましたので、そのお話をして、「しばらく大和で暮らしなさい、お世話(共に仏様の子供ですものと)致します」と、申しましたら、おばあさんは泣いて泣いて「お願致します」と。まず食事をすませました。それから身の上話しをなさいました。  「生まれは大阪で姉妹、私は中娘でした、縁あって滋賀県のお寺へ嫁ぎましたが、院住さんが亡くなられて、大阪の実家へ帰りましたが、父母が亡くなって、姉の息子が世取りで、姉が家の借家で一人住んでいました。そこで同居して費用は半分ずつ。戦争で焼けましたので、四国の妹の借家を借りて生活。姉は息子が金を送り、私は持金で、妹の家も焼け、隣の火事やらで三回も建てました。お金持ちでした。十年前に高力さんが妹宅へ見えました。(高力様の仰せに)〈私やあなたは一人身やから、京都の月の輪寺で念仏して世を去りなさい。十年たてば必ず来なさい〉と。〈かたくかたく約束致します。十年後には必ず参ります〉と、お別れ致しました。今年で十年、約束守って京都へ上がりましたのに、大和へ行きなさい、とのお言葉。知らぬ土地で暑い盛りに見知らぬお方にお世話になります。お願い致します。高力さんにだまされました」 と、泣きくずれなさった。私は「それでよかったと思います。今日は静かに休みなさい。さぞかしつかれたでしょう。あしたあなたの意見を聞かせて頂きます。今日は寝なさい」と申しました。翌朝「あなたは高力さんに捨てられたのです。十年前のあなたと、今のあなたの体力が変わっています。捨てられて、あなたが助けられたのです。泣く事はありません。捨てられなかったらあなたは三ヵ月で死にます」「なぜですか」「よく聞きなさいや。これからあなたの胸の中を申しますから、間違っていたら申しなさいや。あなた持金で生活して居たのでしょう。だんだん金がなくなる。姉には言われず、妹さんに頼めず、ご飯一ぜんおくれ、魚一切れおくれとも言えず。お互いに〈我〉がついて来て恥ずかしくて言えず、姉さんは息子さんからお金はもらう。妹さんは松山市きっての財産家。何ともしようがないと思った時、十年前のこと思い出し、四国では生きて行けず、山へ登って念仏申しながら、かつえ死しても人にも知られず、里では念仏も出来ないと、かつえ死する覚悟で、京都へ上がったのでしょう」「そうです。山へ登った心得があるなら教えて下さい」「ありますともありますとも、私も戦争に行き、ここで戦死と思った時〈ここでは死なさん帰れ、帰すから山で一週間念仏せよ〉と聞こえました。無事に帰って体も元気になり、選んだ山が月の輪寺でした。心得ています。あなたの決心は止めませんが、なかなかの努力が必要ですよ。里で念仏出来ない者が、出来ないから山でしょうとする。出来る様に思いますが、それが出来ないのです」「それはどうして出来ないのですか」「あなた、高力さんの世話で山へ登ったら、一週間に一回月に四回、月の輪寺から吉水まで七里、炭たき木杉の落葉をはこばねばならぬ。電車賃は出しなさらぬ。そうして月三回配給所へ三里あまり、山を登ったり降りたり、雨も降る、風雪の日もある。これは是非行かねばならぬ。自分の食物ですから、山へ登れば煩悩に負けます。山へ登ればたき木はないのです」「なぜですか」「雨が多くて三日や四日降りつづく、天気がよくても何時降るやら分からず拾っておかねばならぬ。第一里で出来ぬ者が山で出来ると思いなさるか、蓮如様は、名聞あればこそ蓮如として本願寺に座せられる、名聞がなかったらと申されたそうです。宗祖様は法然上人に会われて以来、山へ登らず、京都の里で念仏申しなさったでしょう。出家宗教ではありません。宗祖様の教えにそむきます。念仏は草や木が聞くべきものでなく、あたしやあなたが聞くべきもの、人間が聞くべきもの、然しあなたの決心はとめません。登るなと申しません。自分の心に勝って、念仏申しなさいや。あなたのお金は十七円でしょう。草や木の枝葉を食べても、三ヵ月で終わります。私の命は三ヵ月と心得て、念仏して果てなさいや」。「エー私の持ち金は十七円です。よく見えますねー。私とても出来ません。よく教えて頂きました。ほんとうに捨てられて助けられました」「それはまだ早い」と。「この村で三枚敷でもお世話してもらって、この村で住み、針の心得が有りますから生活して、ここへ詣らせて頂きとう存じます。お願い出来ませんか」「決心が出来たら借家は借りなさんな。近所の交際費は出ます。この家を月の輪寺と心得て念仏しなさい。一日座って念仏出来ませんで、たいくつしたら障子一枚ふけば気分が変わりますから、亦念仏申しなさいや。私は下で仕事しながら念仏、あなた二階で念仏申すが仕事、仕事ちがいのない様にしなさい。食事代は頂きません。入用な金は私がします。母二人出来たと思えばいいのや。お金は一銭も使いなさんな。十七円は私が預かっておきます。もし針を頼まれたら、お金は心次第にして袋の中へ入れて預かります。仕事に来たのでない。念仏申しに来たのですよ。忘れなさんなよ。守りますからねー」。おばあさんは泣いて泣いて、私ももらい泣き致しました。「高力さんに捨てられて、あなたにい抱かれて」と。またまた泣きました。私も亦泣きました。それより一年毎朝毎晩「あなたの仕事は念仏ですよ」と、二階で念仏の声が聞き取りにくい時は〈おばあさん、下でガラスをふいて下さい。私は仕事し乍ら念仏します〉と。一日に二三回は下で念仏申しました。私がお引立になりました。夕方から村人四五十人と十時頃まで。お話はほとんど致しませんでした。帰りがけに二十分ほど皆々の雑談を聞く。その中にも教えて頂く事はあります。十時半に村人は帰ります。昼は二人で時々お話致しました。南無阿弥陀仏、不思議はこんな口から、念仏の出るほどの不思議は無いのですが。  書いてよくない事乍ら妙な事が一つ(半年ほどすぎてのこと)十二時頃から毎晩二階に、誰も居りませんのにお念仏の声が聞こえて目が覚めて、たしかめんものと、二階へ上がろうとすると、足が動かず、二階へ上がれない。お引立に預かりました。家内やおばあさんにも申しましたが、聞こえないと言う。私だけかなーと思い乍ら、その声に育てられて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。私お詣りの為三日間家を留守にせねばならぬことになり、熱心な村のおじさんに頼んで、私宅に泊まって頂くことにしました。四日目の晩おじさんが来て〈兄ちゃんえらい事や、毎晩二階で南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、お念仏の声が聞こえますのや。私は気持ち悪く思っていましたが、二日目から調子を合わせて、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、実に結構でした〉と、それを聞いたおばあさんは、私は判らぬから聞こえないのやと、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。それから一ヵ月ほど後のことでした。また伊勢に参詣致しました。その時は留守居を頼みませんでした。二三日して帰ったら、おばあさんが泣きついて「兄さん聞こえました。それが私の声ですがなー」。「そうですがな。それやから聞こえませんかと言うたのです。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 おばあさん今まではあなたが念仏していたのです。称えていたのですが、あなたは念仏はしない、称えん。称えさせて下さってあったお念仏でした。下で寝入るあなたが二階で称えるはずはないでしょう。この声があなたを助けて下さる仏の声でした。呼び声でした。かならず往生へ手を出しなさるなよ。あなたを迎えに来て下さった仏の声です。往生へ手を出せば、仏のお仕事をぬすむことになる。手柄は仏様にゆずりて、この声を聞くのや。称えさせられている、この声が聞こえるだけや。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏    ある日のこと一婦人が見えました。その方はおばあさんの妹の、四国の鈴木さんでした。「姉様がながながお世話になりまして有り難うございます 私からも御礼申し上げます。つきましては姉さんより、再三再四お便りを頂き、一度大和の先生にお会い致す様、お便り頂きましたが、私ご縁ありまして細々ながら、お念仏に会わせて頂いておりましたが、一つのことが心にうなずけず、その為に私の身丈ほど金をかけて、お聞かせにあずかって居りますが、胸にこだわって、姉さんが度々便りを下さいましたが、口はばかる事ながら、日本中の名のあるお方にいくらお尋ね致しましても、このむら雲が晴れないものが、大和の草深い田舎に、そんなお方がござるものかと、実は便りを受け流しにしていましたが、息子が、大阪に住んでいます。用事あって参りました。その夜ふと姉さんの便りを思い出し、大阪まで来たのだから一寸お伺い致し、姉様にも会い度く、お礼かたがたお尋ね致しました。私方は七つの問屋で、第一の御得意先が、松山の連隊でお金の心配もなく、集金に行くだけの事。お金は面白いほど出来る。こんな結構な世の中一日でも長く生きなければとの念願からお尋ね致しましたら、仏法聞けと聞かされ、聞く身にさせて頂きましたが、縁あって、松田和上初め、高力さん等、いろいろのお方に、念仏者に会わせて頂いても、心におちつかず、とどかぬ。この方と思えば一ヵ月でも、家で泊まって頂いて、お聞かせ蒙りましたが、何とも致し方が有りません。と申しても捨てておく事も出来ず、ほんとうに用事かたわらで済みませんが、この世の事でも、ついででは事が成就致しませんのに、ましてこの度の一大事のこと、あやまります」「私にあやまる事はない。仏様に頭をさげなさいな」と。仏様に頭を下げひれ伏した。「それはどんな事ですか」「念仏申すと、心があれを思い、これを思い、散る、乱れる、何ともならぬ。法然様が『この心には力及ばず、そのまま念仏申すが手にて候』と申してござるから、動くままにしておいて念仏申せ、と教えて下さいますが、私はそれではうなずけません。どうしたものでしょうか」との事でした。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 そこで「千年も万年も光り一つさしこまぬ暗闇の家の雨戸を、一二寸開けると光がさしこんで、ごみとも、ちりとも、煙りとも分からぬものが、一筋にさし込んで見えるでしょう。それは光が入った姿でしょう。家で一番清浄な場所は仏様の御前でしょう。その御前で、あなたの暗闇の口から南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と活き仏が出て下さると、うじ虫がその光に照らし出されて、煩悩妄念が、居苦しくて、居苦しくて、今まで知らなかった悪業が見える見える、散り乱れる。かかる身をと、うちあおぐだけ、呼んでもらうだけ、聞こえるだけ、妄念煩悩を取ってしまえば、あなたがなくなります。煩悩妄念を捨てず、そのままにその呼び声を、あなたが申せば、この呼び声を聞くだけ」。鈴木さん曰く「念仏一つさえ申しているだけですか」「ちがいます。南無阿弥陀仏を持ちかえる必要はありません」。鈴木さんは私の顔を眺めながら「有り難うございます。はいはい南無阿弥陀仏」「はいはい有難うございますを、離れてみなさい」。鈴木さんは私の顔をボーと見つめて「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」「その中に有り難うございますは、入っています」。しばらく共に念仏。ややあって「お寺が戦争で焼けたを幸いに、念仏堂として建立します」と、帰宅なさいました。 南無阿弥陀仏     その後しばらくして、上の姉さん病気の為付き添いに帰ってくれとの、便りがありましたので、早速預かった十七円と針で頂いたお金袋のまま(いくらあったか知りません)、私の身代四千円持たせ、そのまま帰りなさい、荷物はすぐ後から送りますと。そのまま帰って頂きました。姉さんが亡くなってから一回四国へ、たずねに行きました。元気で念仏。少しお金をおいて。もう一晩泊まって下さいと泣いて申されましたが、ふり切って帰りました(お寺のはなれを借りて暮らしていなさった)。    一年すぎて鈴木さんがお越しになり「念仏堂建立致しました。入仏式に一週間の念仏お願い致します」と。私如き者ではと、他の御方にお願い申しましておことわり申し、帰って頂きました。一週間すぎて後、亦頼みに見えましたが、亦おことわり申しました。またお頼みに見えましたので、仕方なくそれでは私一週間お念仏お引立に預かりますで、御礼交通費は、かたくおことわり申して、十日後に参詣致しますと、約束致しました。おばあさんも喜んで参詣なさいました。帰りに鈴木さんが包紙を出して「約束は致しましたが、百円や二百円で来て頂ける処でなし、一週間もお引立蒙り、それではと皆々様が申されますので旅費のたしにお使い下さい」と申されましたが「約束は違います。一週間もお育蒙り、食べさせて頂きました。お心は頂きますがお返し申します」と申しました。御院住様は是非にと申され、頂いて帰りました。帰ってから見れば、五千円でした。これで念仏庵を建立と思い立ちまして、村人に相談致しましたら、これでは小さい、せまいと、今の庵になりました。地所は借り、五千円で「セメン」を買い、全部村人の奉仕で建ち上がってから思い出しました。十九の時、人生五十年と言うから五十才過ぎたら私の命でない。掘立小屋でも建てて念仏して世を去る決心致しましたが、戦争に行って三十六才で死にそこなって帰国致しました。その時戦死したものとして、五十才から三十六才引くと十四年、半分は仏様へ、半分は私が頂くと七年。五十才から七年引くと四十三才になる。七年早くなったなーと思いましたが、忘れていました。庵が建った時に気が付いて驚きました。四十二才で建てたのでなく建ちました。御陰様で今日に到りました。 南無阿弥陀仏    話は後と先になりますが、ニューギニアで「ここで戦死」と覚悟が出来た時、「ここで死なさん帰す。帰ったら山で一週間念仏せよ」と。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と三声聞こえた。帰国して体も丈夫になり、そこで月の輪寺を選び、聞こえたままに従い一週間念仏。色々な事がありましたが、ここでは申しませんが「お前は世の中へ出よ」と、ひびきました。それから多くの念仏者に会わせて頂きましょうと、尋ねて詣りました。それからお髪剃り法名を頂く事と気付き(法名もお髪剃りも何に入用はありませんが、ここらにゆるみを起こさぬ為に)宗祖聖人、栗田口の青蓮院で得度なさった由、私もと思ってあるお方に、お願い致しましたら、御門跡様は「信仰の動機を書け」との事。仰せのままあら筋を書きましたら「真宗にこんな人がござったのか、お髪剃りでは残念や得度せよ」とお便り頂き、承り、私尋常六年退学して働きましたゆえ仏学もなく、仏書拝見した事もなし、無学で何にも判りませんのでとおことわり申し上げましたら「信仰は学問ではない。どうしても得度」と申され、お便り頂きました。私はそんなお金もなしと、申しましたら「私が頼んだから、御礼はいらぬ是非に」とのお言葉ゆえそれではと。然し私は真宗ゆえ一切かかわりあいのない様に、ない事になし下さい、法名がわりの得度をとお願いしました。終わりまして後、御門跡様と十三人の僧侶と、共に立派な御殿で「こんな目度い、こんな嬉しい事はない」と御馳走に預かりました。南無阿弥陀仏。  念仏庵建立申請書も県知事に会って、在家に非ず、寺に非ず、倉所に非ず、「あらずあらずでは判らぬ」「はい村人が(こころある人)が集まって念仏喜ぶ場所です」と申したら県知事は「念仏堂にせよ」と、命名下さいました。村人や念仏のお友達で建てた(奉仕)、建った堂ゆえ、寄付は願って頂いていません、奉仕で建ったのですから。  「念仏堂建立懇志帳」と書こう思っても手がかたくなって書けない。しばらくお念仏……筆を持ったら手が動いた。「念仏堂建立有志氏名」となっていました。私一代働いたもの一切売り、家も売り、堂以外の物、地所も働いて買いました。堂内で寝たり起きたりしたことは未だありませぬ。番人として働いて、修繕にかかり果てて居ます。孫娘一人さずかりました。嫁入りしたら、養子をさずけて下さった。そしたら「私は三男ゆえ姓名変更してよし」と。そこは仏様におまかせです。  十九才の時餓死する覚悟で道一筋、餓死しましたら私の思い通りに成ったと満足であります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   その後鈴木さんが見えまして、三四ヵ月もお育蒙りました。まことにまことに有難う。

○煩悩は往生への道中の景色であります

○南無阿弥陀仏の橋の上から、煩悩の風が吹く景色を眺めると、風が吹くからススキがゆれる。波が立って、格別の趣味あり。風が吹くから、南無阿弥陀仏の帆が上る。

○露の世は 夢の世ながら さりながら   露の世と聞きながら、言いながらも、さりながらが出てきて、露の世と悟りきる事は出来ぬ。あれやこれやに動かされています。

○南無阿弥陀仏を、仏の呼び声と聞く身にさせて頂くと、思う存分に世を渡り乍ら、行くがまま道にかなう様になる。道ならぬと思った時はきっと仏が止められる。真宗は悪をあわれみて、善に入るとはここの事なり。心の欲するままに従いて則を越えず。

○「安心決定鈔」に「我が力もいらぬ他力に願行を久しく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、空しく流転の故郷に帰らんこと、かえすがえすもかなしかるべきことなり」とあり。他力の願行をひさしく身に、たもちながら迷うとはいかなることか、 一、聞き分けながら、聞かざる者(沙汰者の事)。 二、聞きながら、行ぜざる者。 三、聞いて、行じておりながら自らの行を行ずる者。   (実は如来の行を行ずるなり)

○凧を、富士山頂を越えさせようと思ってもそれは出来ぬことなり。しかし糸を切れば風にまかせて、風に乗って富士山を越す。ああ聞いた念仏しています、こう頂いた念仏しています、と云う。この糸を切れ。日々の所作が如来様の御計なれば、称えられる時も、その時の流れに、流れにまかせて、(称えられぬであかんと云わずに)気付かされてふき出る一声は千遍にまさる。お念仏は切れるで有り難い、お念仏続くで有り難い。切れてはつなぎ、つないでは切れて、この世一生はすぎる(つなぎずめのお方は上品のお方なり)。この念仏でなければ、病気で念仏の聞けぬ時は、こんな事ではと思わねばならぬ。「忘るるに亦よりかかるひびきこそ」仏様が私を念じずめに、めし下されてある仏様の念仏三昧の現れである。

○長時間念仏聞いていると、終わりにはいやになる時、こんな心に負けてたまるかと精出して念仏申した時もあったが、今はそのまま二三分座っていると、また心が開いて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞こえてくる。力まなくても 引っぱってこなくても、向こうから来て下さる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 それ南無阿弥陀仏

○先祖様の命日は三百六十五日が命日。先祖様を大切にうやまうことは、自分自身を大切にすることである。自分自身がこの法にあう事である。我々は子孫である。やがて先祖となる。南無阿弥陀仏に入れば子孫も亦入る。

○元祖上人は「この度生死をはなれんと思わば、先ず聖道門を捨てて、浄土門に入るべし。浄土門に入れば正雑二行のうち、雑行を捨てて、正行に入るべし。正行に入らば前三後一の助業をかたわらにして、正定の業を専らにすべし。正定の業を専らにすと云ふは、これ仏名を称うるなり。名を称うれば、定んで往生す。彼の仏の本願に順ずるが故に」と。  宗祖様は「称名に入らば称功にはなれて名功を仰ぐべし」と。だから宗祖様は〈南無阿弥陀仏の中に仕上げられた名徳を仰げ〉。名は体なり。かるが故に一声一声のお念仏は、如来の呼び声であると仰ぎ聞く一つである。日々の日暮しは、日暮しのすべては、お念仏の助行にそなわる。

○仏様のお仏飯は、仏様のご飯は、念仏三昧。私を念じずめにして下さる事が念仏三昧。それが仏様の御飯であります。南無阿弥陀仏と称えさすこと、聞かせて頂く事です。それが仏様のご飯であります。

○落ちると見込んで下されたのも仏様なら、その者を助けると成就して下さったのも仏様なり、南無阿弥陀仏なり。箸持つ世話もいらぬ。口にねじこんでもろうていながら、いるのに吐き出す。とにも角にも今の我が身の仕合せを仰ぐばかり。

○東漸寺様にお尋ね致しました。「御院住様、律宗という宗派がありますか」と。「あります」「何でそんな事を聞く」と。「二三日前に夢を見ました。女の方が夢に出て来て、亡くなった兄と私、しきりに念仏する姿を見て、兄に向かい〈あなたはどんな思いで念仏するか〉と。兄が〈弟が念仏せよと言うから念仏するのみ〉と。女曰く〈それやから真宗はいかん〉と。それを聞いて私はその女を思いきり殴り倒す。しばらくして女を抱き起こし〈あなたが私にまちがっていると言うのなら、私は頭を下げてお聞かせ下さいと頼みますが、真宗は間違っていると言われたから失礼致しました。真宗と申されたら宗祖様中祖様をも間違っていなさる事になる。どこが間違っているかをお知らせ願います〉と頼みましたから〈声に出すからいかぬ〉と。私〈それだけ聞かせて頂きましたら結構です。有り難うございます〉とお礼申しました。〈それではあなたは何宗ですか〉と聞けば〈律宗〉と申された」。  声に出さずとも呼べる、手招きでも相手を呼べる。念仏とは仏様が私を念じて下さっていることを念仏と言う。然し大勢なれば、手招きでは誰を呼んでいるやら判らない。その時はどうしても声に出さねばならぬ。仏様は十方衆生を呼んでござる。だから声に出すとは、即ち私の口を通して南無阿弥陀仏と呼んで頂く事は、「松五郎よ迎えに来たぞ」と名を出して呼んでもらっている事なり。手招きでは十方衆生の誰やら判らぬ。

○念仏申すもの、必ずしも信ありとは言えぬ。然し真実信心には必ず名号を具す。助けて下さる仏様が南無阿弥陀仏にて、私の往生間違いないと「信」じてござったら、私にあらためて、もう一つ信心は必要ないでしょう。「無上宝殊の名号と真実信心一つに」と仰せられてあります。

○昔の井戸水は汲まねばならぬ。ポンプが古くなると、ムカエ水をせねばならぬ。お助けを引っぱってくるとは、反対やがなー。引っぱらずとも、仏様があいに来て下さる南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。それそれここに、それそれここに、お越し下さいましたでしょう。

○走って一里の道を行くより、一歩一歩踏みしめて歩け。あたりの景色を眺めながら、一木一草教えでない物は一つも無い。

○雨だれ石をもうがつ。バケツの水をかけても、かけたとて、石をうがつ事は出来ぬ。

○念仏は三世の悪業を断ち切る剣とある。刀は一方しかきれぬ。剣は三方切れる。弥陀の名号は、剣であります。

○汽車は出ていく、煙はのこる。それがとどまっている姿。乗らずに、駅のプラットホームに、いつまでも立っている。  頂き聞けば、地獄、極楽、そんなこと捨てておけばよいのや。お念仏は、仏様にさせておけばよいのや。私は聞くだけや。念仏の中から出るお話は、南無阿弥陀仏のお話や。南無阿弥陀仏。

○仏の選び給うものを選び、仏の捨て給うものを捨てよ。之を仏教と名づけ、之を仏願に随順すると名づけ、之を真の仏弟子と名づく、と仰せられた。何を選び、何を捨てよ、と仰せあるか。浄土の行にあらざるを、ひとえに雑行と名づけたり。

○一杯二杯の酒は私がのむ。だんだんのめば酒が酒をのむ。それがまた深くのめば、酒が私の全体となる。お念仏も初めは私がする。それがだんだん進むと念仏が念仏を呼ぶ。それが深くなると、自分全体がお念仏に動かされる。からめ取られる。  然し世渡りの中にも、火もあれば川もある、山また谷もある。それにおぼれぬ様に付いて、付きずめになし下されるお姿が南無阿弥陀仏と、この口に現に聞こえて下さる仏様が、南無阿弥陀仏にてまします。

○中祖様は「へびやまむしにさされても、念仏聞く身には、人に後指をさされてくれるなよ」と仰せられた。この御縁に会えぬ人でさえ、守るべき道は守りなさる。まして況んやこの法に遇えし身においてをや。然れども、私は落第ではずかしい。

○後生大事と一歩ふみ出るお方もあるに、それさえ知らぬ私に、私を可愛と御慈悲の御手を、さしのべてくださった。自ら修業なさる御方もあるに、火宅に飛込み、抱きかかえられて連れられる仏に、今逢い得た。この身嘆ずるに余りあります。

○自転車に乗り、初めは怪我も小さいが、乗り上手になってからの怪我は大きい。

○「唯念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と。  この唯は、唯でも、唯ならぬ唯であります。私等の唯は軽い。唯で念仏さえ申しておればよい様に思うて居るが、そうではない。一声一声を聞け。唯これ一つ、助けられる道は唯これだけとのお心。二十年の修業も、地位も、学問も、知恵も、何にもかも総てを擲ったお心、お姿が唯というお心。罪も、悪業も何にもかも、許されたお言葉が、唯と申されたお心、お姿でしょう。唯とは、総てを説き表された一切経が、この唯の中に入っている、あります。如来様の全体が、入ってあること。如来様の御心を頂いて、頂きぬかねば、唯念仏してと言う言葉は出ぬ。唯と申されし御開山様がひざまずいてござる姿が目に見える様な気が致します。我々は御開山様の、御言葉をそのまま頂くべきである。こうだから有難いと言うは、まだ底がある。何が何だか判らねどたのもしいのです。

○まっ直に線路をすべる様に走っている汽車、電車には、ふりむく人もないが、脱線電車には、仕事を休んでも、人は集まる。東京へも大阪へも行かんのに、面白いものです。くさい物には、蚊やハエが集まる。

○これでよい、これで間違いないとは、仏様の仰せられること、阿弥陀様のお心である。

○ある夏の午後でした。見知らぬ老人が「松並さんのお宅ですか」「ハイそうです。どうぞお上がり下さいませ」「私は北海道旭川からまいりましたじじいでございます」「ええーそれはそれは遠方から有難うございます。終戦間もない折、大変でしたでしょうに」「実は一言お聞かせに預かりたくて詣りました」「いいえいいえ、私はその様な者ではありません」と申して念仏していましたが、腹の中では、尋ねて頂く私は何にもわからず〈おのおの十余ヵ国の境を越えて〉とありますが、この老人が、こんな時代に、ようこそようこそ、私でしたらそんな熱心はありません。尋ねて頂いた者より、はるばる北海道から尋ねて下さったお方こそ、尊くてよっぽど聞いたお方。よほど念仏申しなさった御方。そんな御方に、いたらぬ私が、こんな口で、何を語らん。術なく「有難うございます。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」老人も「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。夕食後また「北海道のじじいが来ました。どーぞご一言と」手をついて、「はいはい有難うございます。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と十時まで。翌朝食事後亦、両手をついて「北海道のじじいが来ました。御一言御願致します」と。「はいはい有難うございます」と念仏ばかり。昼ご飯後亦「ご一言を」と「はいはい南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。その間何にも申さず念仏、五日。一週間あたりからは、涙を流して両手をついて「どうぞご一言」「はいはい有難うございます。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と。十五日間、その夜涙を流して「明日帰ります。どーぞご一言を」「はいはい南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。十時です、おやすみ下さいませ」と。十五日間一言もなく、念仏ばかり。翌朝食後に「帰ります、どーぞご一言」と。「はい南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。合掌して私は台所で、おにぎりを作っていましたら、おじいさんは上がりかまちに腰かけ、地下足袋の小はぜをかけつつ独り言。「あーあ十五日間もお世話になりましたが、亦また手ぶらで帰るのかなー」と、つぶやいてござる声が、台所で弁当作っている私の耳に、つつぬけに聞こえて来る。そうしておじいさんの前に出て立ち、「おじいさんは耳が聞こえませんのですか」と「いいえ耳はよく聞こえます」「それなら十五日間も、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、私やおじいさんを呼んでござったのが聞こえませんでしたか。助けるぞよ南無阿弥陀仏、ここに居るぞや南無阿弥陀仏と呼んでござる声を聞こえませんでしたか」「ええっー」と私を見つめ、コンクリーの上に座って大きな涙をぽとぽとと、両手をついては頭を上げては合掌し、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。私知らず知らずに涙ぽたぽた南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。「おじいさん有難う南無阿弥陀仏」。おじいさんは何にも言わず顔を見つめては、南無阿弥陀仏。顔をさげては南無阿弥陀仏。手と手を握りしめて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。「帰ります」。涙と涙。その後一ヵ月余りすぎて手紙を頂きました。何にも書いてありませんでした。念仏ばかり、所々に巻紙に涙に涙のしみが点々と。

○無学で何にも判らないから、南無阿弥陀仏に総てを仕上げて下されたから、そのまま頂きます。出来上がったものを受けるだけ。

○聞くとは、今なり、正なり、真なり、用なり、受なり、従なり、随なり、順なり、実なり、行なり、ここをもって、仏願の生起本末を聞いて疑の心あるべからず、これを聞くとゆう。

○或る布教師「私は温かい念仏は出ぬ」と。  冬の寒い日に、ふるえて帰って来た。炬燵があるからここへ入れと言われて、炬燵に入る。ああ温かいと五六分後温かくなった。あたたかくさせた光を忘れて、即ち温かくなる力は炬燵にある事を忘れて、こちらが温かくなろうとする。南無阿弥陀仏の温かさを、自分から出そうとするから、間違いが起きる。皆は有難い念仏に、なろうとするが、そうでない。お念仏が温かいのです。炬燵にずーと入って居れば温かいのに、出ている方が多いので、何時までたっても温かくならぬ。いくら念仏が温かくても、入らねば温かくならぬ。念仏にはまれば、ほのぼのと温かくなる。私は寒い。

○世の人は、物事をひねって聞く。その時、人は言訳をする。そんな言訳はいらざること。言いさえせねばなんとも言わぬと、何時も自分をふり返る。ひねるから御法までひねって聞く。宗祖様の教、弥陀の本願即ち真宗の教えは、易中の易で、やすいのです。易いとは、向こうのままを聞く。聞くとは、太鼓の音を太鼓と聞くこと。それを遠い処から聞くと、太鼓の音かなーぐらいに聞いている。人が、太鼓とちがう、あれは他の何々の音やと言えば、そうかいなーとはっきりしない。我が目の前で太鼓がなれば、聞けば人が何と言うても狂わぬ。この南無阿弥陀仏は如何なる事かと、事の起こりを聞くと、(称えてござるお方に)仏願の生起本末を聞けば、もう狂わぬ。その後は念仏の道歩めばよいものを、道理理屈ばかり聞くから、本道へ出られ難い。

○或るお方が何十年かかって貯えた財産が、一夜の内になくなった。けれども生き残っただけが仕合せや、これからいよいよ働いて取りもどすと、生き残ったが死んでいるやら。爆弾で死んだ人でも、南無阿弥陀仏と一声なりとも称えた人は生きていて、生き残った人が死んでいるやら分からない。財産がなくなり、それによって無常を教えられ、本当にそうじゃと、法に入れば失った事それが生きてくる。然るに亦元通りにせねばならぬと、一生懸命になって居る事が、災いが亦災いを根強くする。迷う事になる。

○幸に悪道をのがれて  幸に人界にはぐくまれ

幸に日の本に生れて   幸に天父の護育にあえり

幸に五根を具足して   幸に衣食住を得たり

幸に真宗に流れをくみて  幸に真の知識にあえり

幸にこの妙法に逢いて   現に本誓の中に在り

波亦流されて聞く   南無阿弥陀仏

宗祖聖人様は  「専ら行に奉へ 唯この信を崇めよ」

○富山の○○氏来宅。「善導大師は〈若一日、若七日の念にすぎたるはなし〉と仰せられ、私も人に伝え乍ら、七十余才まで一週間の日がなかった。日暮に近ずいた。今それを務めたい」と、私方へお越し下さいました。それでは私も御縁に会わせて頂きます。今晩は休んで明日からお願致します。朝五時から夜十一時まで無言でお願致します。私こそ願上げますと、翌朝から十一時半頃まで、御縁に預かっていましたが「その念仏やめて平素通り、語り合いながら念仏せよ」と念仏の中からひびきました。「お昼からは平素通り話し合いながら、お相続致しましょう」と申しましたら「その心で来ましたものを」と。「その気持ちで十分ですがな」「さようですか」と語り合いながら、聞いては念仏、聞かせて頂いては念仏、七日間でした。それから、念仏聞きながら「なぜですか」と念仏の中から尋ねましたら「一週間無言で念仏申したら、この者鼻が高くなるだけ。それよりも人にも伝えながら、口にしながら、それさえ出来なかったと頭が下がる、それでよい」と。  「聞」とは「随う」ことです。「止めよ」と仰せられたら「止」めてから聞けばよい。判らなかったら、「止めよ」と仰せられたら「止」めてから聞けばよいのに、「止」めもせずに「なぜですか」と聞くは「随うた」「受けた」「聞いた」事にはならぬ。聞き流しになる。「用」いたことにならぬ。  「語り合いながらの七日間まことに有り難うございました、有り難うございます」とお礼申し上げて、共に南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で帰って頂きました。

○念仏を聞くとゆう言葉には「力み」が見えぬ

○業に泣くまま南無阿弥陀仏 あれあれ亦涙

○悪い私と思わしてもらう事が、ざんげだと思っているが、悪い私と思ったから悪い私であったのでも無い。思うも思はざるも、元々悪い私である。こんな者のざんげは何になる。人も私も、私も人も、念仏聞く以外に、ざんげ、歓喜もある様に思っている。ざんげした後から、下からまた怒って居る。

○得易くして得難きは、他力の大信。まもり難くして、まもり易きは、信の上の努めとある。努めとは、念仏の邪魔をせぬこと、日々の日暮しのこと。

○ああもせねばならぬ。こうもせねばならぬと、私がする様に思うからむつかしくなる。南無阿弥陀仏に動かされているのである。

○世の中に、きたない物、よごれた物はない。我が心ほどよごれた、いやしいものはない。そのよごれた心は、お念仏に照らしい出されて、初めて知らされる。宗祖様は「無漸無愧のこの身にて」と、仰せられたのは、我が機に徹し照らし出された姿であり「親鸞一人がためなりけり」と、仰せられた姿こそ共に念仏に照らし出されたお姿でありましょう。自分の見えぬ処まで見抜かれて、照らしい出された総締が「地獄は一定住家ぞかし」と「かなしきかなや、たのもしきかなや」と、すでに光が身に満ちてござる。かかる身をと、お阿弥陀様は、御苦労はのこらずなしとげて、あたえて、言わせて、信ぜさせて、助けると仰せられる。私の方から出すものは一つもない。ただ仕上の法を頂くばかり聞くばかり。阿弥陀仏のなし業一つ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○私の心は変わりずめである。変わったら変わったまま、善い心の出てくる筈がない。しかしそれで仏様の御見抜き通りやそうです。

○どんな尊い仏像でも、さ程に有難いとは思えない。お念仏に勝る仏様はござらぬ。この口に現れ給う南無阿弥陀仏こそ、活きたお呼声にてまします。南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏の仏の前に、常に立たされている私。丸はだかのまま南無阿弥陀仏。これこれ、これだけでよいのに、ああじゃ、こうじゃというて賢くなる。世の中に向かったときは全く阿保。私はどちらも落第です。

○中祖上人は「人に負けて信をとれ」と。負けるは仏智なり。念仏ならでは負けられぬ。

○念仏聞きながら、敵をもとめている。それでは念仏は流れぬ。仏様の邪魔をしている。  まだ見ぬ世界に『論』は必要ない。勝っても負けても夢のたわごと。仏様のお誓い、仰せが本当なら何の事でもない。 南無阿弥陀仏

○腫物は、膿ばかりふいても、よくならぬ。その本、その根を出さねば治らぬ 南無阿弥陀仏。仏は、罪より罪を作り出すその元の悪業を救うと仰せられる。

○宗祖様「さればそくばくの業をもちける身にてありけるを助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ」と仰せられた。悪を悪と知らされながら、それがやめられぬ。悪業を抱きかかえ、あわれみ給う御慈悲の現れが、名号不思議、誓願の不思議が、今この口にい出給う南無阿弥陀仏にてまします。 南無阿弥陀仏

○あの罪が、この心がと言うている内は、心の中で罪が下になり、お念仏がその上に乗っている。それが常にお念仏を聞かされていると、何時の間にやらお念仏が悪業の下になり、悪業がその上に乗る。そうなると煩悩妄念が如何に動くとも、下が南無阿弥陀仏の船中なるが故に、煩悩妄念の動きが面白い。蚊帳の中で外の蚊のなき声を聞いている様なもの。煩悩妄念が音楽の様で、念仏の助行となる。 南無阿弥陀仏

○「日々の所作は、すべて仏の所作なれば、あらたまって念仏するに及ばん」と言われるお方に会いましたが、念仏しましょうと思う心まで私の所作でない。念仏いやいやと思いながら、念仏の出て下さるのも、仏の所作であります。

○私の思うようにさせておいて、南無阿弥陀仏が後からついてござる。それが証拠に、南無は阿弥陀仏の上にある。私はあやつり人形である。歩き初めの子供の後から、親は後から支えて歩かせる。子供は自分が歩いたと思って喜ぶ。親も亦喜んでヨイヨイしたと手をたたいて喜ぶ。子供は自分一人で歩いたと思って亦手をたたいて喜ぶ。実は親の手が、うしろからかかえている。親は子供の手柄にして、親子が喜ぶ。

○この南無阿弥陀仏に助けられると、頂けたら、とどいたら、一声の称名も用でない。でないと今死ぬ病人は助からぬ。この南無阿弥陀仏が、口に現れ称名となって、一代の称名念仏とながれ出る。南無阿弥陀仏

○人は口に称名念仏して居る時だけを念仏と思っている。夜昼、私にふりかえる、ふりかけられる、大御心の現れが口にもれて、南無阿弥陀仏と飛んで出るお念仏と、よう頂かぬ。くいちぎる。如来様の御念力、呼び声、さけび声が、今私を貫き徹して、飛びい出給うひびきが、口耳に聞えて下さるお念仏を、なぜになぜにくいちぎる。

○念仏離れて、法話はない。実物見せても、念仏称えぬお方に、念仏聞かぬお方に、念仏はなれて、念仏とはこんなことやと、話しても何にもならぬ。道理がしれただけのこと。

○富山の或るお宅へはじめて参詣の時、息子さんに初対面(実は父親から息子はどうしても念仏申さないので頼まれていた)。「○○師も父も念仏せよせよと言うても念仏せんのはお前さんかなー」。その時息子さんが「どうも済みません」と頭を下げた。「私にあやまる事は無い。仏様に申しなされ」。この一言に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と遂に念仏に入る。父は念願とどいたと大喜び。

○出来る事は出来る。出来ない事は出来ぬ。出来ない事をああしたい、こうもなりたいと思うより、お前に出来ると、仕上げて下さった仰せを聞き、南無阿弥陀仏と頂くこと。

○白鷺を からすと言うても 無理ではないぞ こんな口から仏出る 南無阿弥陀仏

○正像末の三時と言う事は、聖道門の言う事。真宗は何時も正法である。何故なら、常に仏の説法南無阿弥陀仏を聞いているから。

○念仏聞きながら、観音様や地蔵さんと、色々の処へ参る人がある。参って悪いとは申されませんが、お念仏はそんな事せずともよい事になっている。念仏は一切経です。

○「廻心」とは自力の心をひるがえして、他力に帰すことを廻心とは言う。即ち南無阿弥陀仏に帰ること。仏のお心に帰ること。

○名号とは仏様の御手元にある時、名号が私に聞えて働いた時を念仏、その念仏が口に現れたのが称名。称名と念仏は離れていない。

○お他力には、印の無いのがしるし。一切の人々と少しも変わらない。ただ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、聞えて下さるだけ。

○念仏あって称名はいらぬと言うは、ふん詰まり。口とお尻があって初めて通じる。

○正宗の名刀は、抜き身で持ち歩くものでない。国、君の為に抜くべきもの。辻斬り強盗に使うべきものでない。抜くべき処あり。こんな悪人でも救われるのかと、我が機心に、不信をいだいてござる人には初めて「如何なる悪人も、諸人よ、共に南無阿弥陀仏に救われる」と、銘刀の切れ味を伝える。平時は鞘に収めて、世渡りの道。

○念仏せよ念仏せよとの給うは、御恩の深き時を、知らしめんが為なり。その念仏も称えさせられている。現れてくださる念仏。

○鼻は清浄を好む。口は色々の垢が飛び出す。それを見抜いて、念仏せよと仰せられる。

○念念にして、捨て給わざれば正定業と名付く。仏様が、私を念念に、念じずめにして下されてある。その現れが今聞く南無阿弥陀仏。

○市内へ用事に出た。看板書が上手に書きなさるで眺めていた。そこへ一老人が来て「お前さんは字が上手やなー。昔の事とて中学校でも卒業したのか」と問う。その人「大学を卒業して、都合あって看板書になって、世の中の姿を見ている」と答えた。その老人気持ちが悪かったのか、ほうほうの姿で何処へやら消えてしまった。  その時私は、何処に、どんなお方がご座るか分からん。信念は強く持ち、身は低く持たねばならぬ。心に錠をおろしてはならぬ。大木は常に根をはり。枝葉を茂らせている。私も常にお育て蒙る心がなくてはならぬ。お念仏に口をつつしむべきや。私は話している中にも、いつも教えられています。お詣りの方々様にも常に御意見頂いています。それがとく見える、よくわかる。 南無阿弥陀仏

○二十四輩の御旧跡や、肉付きの面等お巡りをするのも有難い事には違いないが、日々夜々阿弥陀仏の御旧跡を、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と巡ればよい。南無阿弥陀仏と念仏聞くままが、宗祖聖人の御旧跡をもふくまれています。

○念仏の道は細く、説教聞く事は広い。説教聞いているとだんだん道理、理屈が解って広くなってゆく。それを念仏一行のせまい道を行き、遂に念仏一行で満足の出来る事になる。念仏一行にはまれば亦、以前に味わう事の出来なかった広い心の世界に出る。説教詣りの広い処から念仏一行の細い道にちじめられる事はなかなか容易な事でない。何の苦労もなく念仏一行の道にお育て蒙ったお方は、前世にご縁の深かったお方でしょう。それが広い世界です。

○往生の大役は、南無阿弥陀仏の真実心の御手柄。後の一代の御育ては松の枝ぶり。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  私も大悲のみ親の前に向かえば、何にもかもかくす事はいらぬ。ありのままの姿でお任せすれば、仏はよりよく抱いて下さる。

○「生活離れて仏法はない」、と申されますが、仏法はなれて生活はない。仏法そのまま生活。然し雨も降れば、風も吹く。嵐もあれば、日和あり。あたたかい御手がある。それを抱きかかえられている御手がある。

○あるお方「私の助けられる『道』は念仏より外はない」と。  後を言わずに(即ちこの念仏は如来の呼び声と言う事を)念仏やと言うから、私が念仏する念仏になる、なってくる。南無阿弥陀仏が活仏と、呼び声と説いて聞かせるお方がないから、ないので皆が迷うている。仏のなさしめ給う念仏と聞いていながら、なほ且つ私が、自分がする念仏にしている。

○和上を生かすと言う事は、我々が救われること。これでよいと底を入れぬこと。念仏は流れ広まるもの。それが流れぬと言う事は、和上を殺すことになる。念仏聞くままが流れることになる。 南無阿弥陀仏

○偉くなるのでなく、仏様にだまされて念仏の阿保になるのです。南無阿弥陀仏

○玉も磨かざれば光なし。磨くとはこする事。念仏にすれ会うこと。御縁に会うこと。

○大工に大した変りはないが、土台がしっかりしておかねば、しっかりした家は建たぬ。弥陀の本願を宗祖から聞く。真宗の教えをしっかりすえよ。然し念仏を中心として。でなくては……。  本当に薬を呑んで御座るお方に、聞けばよい。効能書は、理屈が判っただけの事。聞くとは実行である。

○この世の習い事でも、何処でも、どんなお方でもよいと言う訳にはまいらぬ。まして私が、仏にさせて頂くほどの大事。心すべきことである。 南無阿弥陀仏

○難中之難との給うも、十人は十人ながら百人は百人ながらとの給うも本当。どちらも本当に頂けるまで、聞けばよい、念仏すればよい。聞けばよい。聞くとは呼声を聞く。南無阿弥陀仏

○迷子が親に遇えた瞬間は言葉にかからぬ。如来様の仰せをあおぐ瞬間には教義はない。その後は教義にしたがう。「信」の前には教義はない。南無阿弥陀仏

○一世の親でも、子供に苦労させまいと願う。ましてこんな私にくい付いて南無阿弥陀仏に成りました み親が……。

○奈良の良弁僧上様が、親に遇えたも、親が二十年も、我が子をさがし求めて苦労の結果、子は奈良に身は在りながら、親に遇えた。私をさがし求めて下されたればこそ、身はここに居ながら、ここまで来て下されたればこそ、今南無阿弥陀仏に遇わせて頂きました。

○石童丸は、子が親をさがし求めて、高野山へ登り、子が親やと名乗ったが、親は親やと名乗らなかった故、親に遇いながら、親に会えなかった。

○大垣で御縁の時、兵庫県の女のお同行と、お昼ご飯の時、施主のおばあさんが私に「お新子のまん中を食べなさいや」と(私の入歯を知ってござったから)申されましたので「ハイ」とまん中を頂きました。食後、兵庫県のお同行が「いくらまん中を食べよと言われても、念仏する身は根元から食べるべきに、あなたはまん中を食べた。それは間違っています。これからは気を付けなさいや」と御意見頂きました。母子の様にしていただいていましたので、一寸あまえたのでしょう。まん中を食べよと申されてまん中を頂いたのが悪いのかなーと思いましたが「私何にも分かりませんのでよく教えて下さいました。今後気を付けます有り難うございました」と御礼申しました。それから二十四・五年すぎた。ある朝そんな事は忘れて何にもありませんのに。歌となって出て来ました。
一、友の言葉をそのままに    受けたなりふりなぜ悪い
今々聞えた 知らされた      ひねる思いが仇心
二、だいてかかえてその果てに    親子の命この生命
今さらながら知らされた    すねる思いが 仇心
三、親の仰せに生きるのに    いつまでこの機にこだわるの
なんで素直に受けられぬ    それでも 抱いてる 抱きしめる
四、この機に泣かさぬ為にとて    かけて仕上げた たまものを
今々とどろきなりひびく    仰げ夜空に 冴え渡る
五、あしたはあるやら ないのやら  今をはなれて何がある
あたえられたる道一つ  聞けよ闇夜に月光る    聞けよ嵐に呼ぶ声を

○或るお方「仏様は助ける御方やと思っていたが、落す御方であった」と。  「落ちる私であった」とお念仏に照らしい出されて気付かされたら、そうとも言える。然し落ちると言う言葉の前に、先にそれをかかえこんだ御手がも早入っている。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口に現れてござる。口に現れてござる。  亦曰く「わざわざ念仏しなくてもよい。念仏の中に在る私なれば」と。  空気の中に在るから呼吸しなくてもよいと言うたら死んでしまう。空気の中に在るから空気に吸われて生かされています。南無阿弥陀仏。その空気を吸わねば死ぬ死ぬと思って吸うていますか。自然に呼吸して、自然にはき出しています。わざわざとはそんな処に使う言葉ではありません。わざわざ私の処へ来て下されたと言うた時は、すでにお念仏が出てござる。見えてござる。迎えに来てござる。空気を吸うて生きているのでなく、空気に吸われて生かされております。

○大抵のお方は、信心の枝葉を別々に動かしてござる。信心とお念仏とが別々になっている。「必ず助ける」のお誓いの根元をゆすれば、根元が動けば、信心の枝も、お念仏の葉も動く。根元は「助ける」それが念仏。念称は一つであります。

○水は方円の器にしたがう。水は器でない。「如来の本誓、機に応ず」

○念仏者は、世の中の姿に随う。即ち念仏のない処では、念仏をおさえる。それを、念仏申すと、人々は念仏を謗る事になる。然し謗ったのが縁となる。そこを離れたら飛んで出る。同じ事や。さりとてなるべく立寄らぬ事や。 南無阿弥陀仏

○東漸寺様の仰せに「念仏つとめる事と、世の中の姿に従う事と、その関係いかに」と。  「一人居る時、思いきり念仏申したらよろしいやないですか」 南無阿弥陀仏

○実話をなるほどそうかと聞くのは、頭で割っている姿や。頭で聞くのではない。理性が満足しなくとも、ハイと聞くのが、仰せを聞く姿である。判らぬ処は、お念仏を通せばよい。判らなかったら後から聞けばよい。

○お互いに判らぬ事ばかり。それで一代お育て蒙るのです。教えて頂けばよいのです。金沢のおじいさんは一切経十五年もかかって勉学なさったお方。そのお方が私方へ一年もござったお方でしたが、一年間何時でもハイとより言われなかった。恥ずかしいことでありました、あります。 南無阿弥陀仏

○或るお方「丸裸丸裸と言うても、なかなかなれぬ。何か着ている」と。横にござったおじいさん「丸裸は風呂に入る時だけや」と。「それでもパンツの一枚や二枚ははいている」と。 私、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 それでよろしいやないですか、亦はいて居たと」

○絶間なしに念仏申している事が、念仏三昧と思っているがそうでない。念仏そのものが、念仏三昧と仕上がっている。この念仏三昧の念仏を行じているままが念仏三昧であります。仏様は常に私を、念じつめに念じて下さってある声が、南無阿弥陀仏。念仏の中に包まれている私であります。私の行ずる行ではなく、仏の行を行じているのです。ですから、非行非善であります。

○仏法とは、どんなことかと思うたが、この口仏様に借してやるだけであった。言いかえたら、この口はお阿弥陀様の口なれば、身も心も、お阿弥陀様のもの。この口借して上げるのでない。その口借してくれよと頼んでござる。身口意の三業は皆仏様のものなれど、私等は自分のものと思っているから、借してくれよと頼んでござる。

○仏様の邪魔をせぬ事とは、仏様の頼みを聞いてあげること。口で念仏申すこと、聞くことである。 南無阿弥陀仏

○船に乗せられたまま、計ろうている。計ろうてもよい船に乗せられているから、乗せられたからにはゆく。それから先は手を出す、足を出す必要はない。連れられるまま西も東も指さす用はない。南無阿弥陀仏と呼んでもらうだけ、呼んでもらうだけなら聞くだけ。「そうならこのままでよいのですか」と言うのも、我が計なり。 南無阿弥陀仏

○東漸寺様の仰せに「寺務多忙で子供の病気やらに、まい暮れて、念仏おとしていたと気が付いて、本当に淋しい気がする」と。  淋しい思いは私には無い。多忙の時にはそんな事、思うている暇がない。一寸落ちついた時は南無阿弥陀仏と出てござる。  子供が夢中になって遊んでいる時は、親を忘れて心の中にはない。遊びにあくと母ちゃんとさけんで帰って来る。それは子供が親を忘れていても、親は子に常に憶念している現れである。煩悩の木の中(林)で遊んでいても、仏は常に、いつも憶念しずめです。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。それそれ三昧のしるしです。

○この声聞く以外は、皆々おまけですがなー。

○判ったお方に連れられたらそれでよいでしょう。

○田圃に雑草が大きくなり、米草が小さければ、お米は取れぬ。雑草抜いて、捨てずに、根本に突っ込んでおくと返って肥料となる。心の模様にかかわらず南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞けば、そのまま喜びの種となる。よい苗を作るには、よい苗場が必要。田が良くても管理が悪ければ、多くの米は取れぬ。私もお念仏に遇して頂いた。今後もいよいよ皆々様に、お育て蒙らねばならぬ。

○飛鳥川の橋の上から見下ろすと、小魚が水たまりで、嬉しそうに泳ぎ遊んでいる。今の間に「ヒボシ」になるとも知らず。念仏庵の軒下に、蜘蛛が巣を造って真中に座っている。何時風が吹いて、身も家も吹き散ってしまうとも知らず。私、蜘蛛の如く、私、小魚ではあるまいか。かかる身を本となし給いて、南無阿弥陀仏に成りまします尊さ、豈頼母しきにあらずや。

○ご飯はいやいやながら食べても、食べたのが本当なら、腹がふくれる。お念仏もその通り。  とかくむつかしき事を思わせざるは、次第相承の役目なり。されば助けて下されとたのむにあらず、助かってくれよとある仰せに随うばかりなり。

○自力の信は他力の疑となり。他力の信は聖道門の邪見となる。

○聖道門の教は、教信行証なり。この信は易い。何故なれば悪因悪果、善因善果なればなり。即ち「二二んが四、二三が六」であるから。然しその行が実に困難である。私は悪のかたまり、悪より外に何も無い自分である。その悪をやめて、善をせよと言う事になると、自分がなくなってしまうが、他力真宗は、教行信証である。この信は難かしい。罪業、悪業さえあれば助けられる、救われる(罪より絶対に出られぬと言うこと)。「二二んが五、二三が七」とはどうしても信ぜられない。だからその信まで行の中に仕上げられてある。この口に現れ給う南無阿弥陀仏の中にこもってある故に、仏智廻向の「信」となる。仕上げの南無阿弥陀仏を頂くだけ。「信は願より生ずれば念仏成仏自然なり」と仰せられてある。

○元祖上人の時代は、自力聖道の盛んな時代なれば、行々相対で「念仏せよ助けられる」と念仏易行を高調された。即ち、「火鉢を持って来い」と言えば火は付いている(行には信は付きもの)。然るに時がたつにつれ、元祖上人の御心をくみとれず、念仏申していたら極楽行きは当たりまえと、聞き間違いするから、したから、宗祖様は「信心」を強調された。「火を持って来い」と言えば、火鉢は付きものである(信には行は付きもの)。然し、それも後には「信」にこだわったから、中祖上人い出給い「弥陀をたのめ」と仰せられた。  「弥陀をたのめ」とは、「ヨリカカリヨリタノム」。たのむとは「お前の後生はこの弥陀がたのまれてやるであてたよりにせよや」とのお心であります。それが南無阿弥陀仏であります。 南無阿弥陀仏

○助かるつもりは邪見に流れやすい。  我々は何時でも地獄の釜の上で南無阿弥陀仏。

○老母と息子。息子は母を養うと言う心持である。然し口では母に「これをしておくれ」と言えば(座ってばかり居ると足腰体が弱るから)、母は「えらい、つらい」と言う。息子は「それなら仕事しなさんな」と言えば、母は「たいくつや日が長い」と愚痴をこぼす。なかなかむつかしい。「要」は息子の心の内を聞く、知るべきである。

○「念仏せよ」。数にはよらぬ信なれど、信には数の多き念仏。信が増長する。情が深くなる。念仏が流れる。人が聞いてまた念仏する様になる。念仏申すまま、聞くままが「必ず救う」という仏の呼び声を聞く事になる。聞くは、今なり正なり直なり受なり随なりや。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○「唯念仏して」と聞けば、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏それでよいのに、「ただ念仏するだけですか、それでは念仏しましょう」と持ちかえると、それは違うと言わねばならぬ。「唯念仏して」と聞けば南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。仰せをスーと受ける、随うだけ。だめ押しがいらぬ。思いをさしはさまぬことでしょう。

○火鉢に小さな炭火が一つ残っている。この火が消えるまで念仏致しましょうとするも、なかなか消えぬ。それを二つに割って立てると、火力が急に強くなる。一人でのお念仏はなかなか出来難いが、二三人連れがあると、実にお引立になる。ありがたい。

○領解文の末尾に「このうえは定めおかせられる御掟、一期をかぎりまもりもうすべく候ふ」とある。  「掟」を普通俗諦門と頂いてござる様に見えますが、自分としてはお念仏御相続と頂きます。真俗二諦を別々に思うから、俗諦にあやまちあれば、こんな事ではと思い。よく守れる時は凡情としてついに高上がりをする。弥陀の悲願は世間の道徳にかけ離れた、超絶せる絶対のものであり、御慈悲である。お念仏相続させられるままが、世間の道徳も自然に付いてくる。如来の「見・聞・知」である。そうすると総てが南無阿弥陀仏に、中に、仕上げてあるから、道が守れたとて我が力でない。手柄は総て仏体に帰る。歌に、
称ふる仏に 照らされて  身のほどほどに 世を渡る
橋もまどかに 南無阿弥陀仏
とある。南無阿弥陀仏

○宗祖聖人のあるお弟子様が、五日も六日も聖人にお目通りしない。聖人御心配の折り、ある日御伺なされた。聖人「あまり顔が見えないので心配して居たが、どうした事か」との御尋ねに「はい、松たけを頂いて腹をこわし御無沙汰致しました」と申し上げたら、聖人は「松たけとはおそろしいものやのう、これからは食べるなよ」との御一言に一代松たけを食べなかったと。この姿を聞くと言う。

○蓮師のお弟子道宗は、毎年友同行と上京。上人に拝謁す。ある年病気のため上京出来ず。其の由伝えてくれと頼む。友同行は上人に伝言せし時、上人様は「病気なれば来るに及ばん、家で念仏申せよ、と伝えよ」と申された。同行達は逢坂山で一服していたら、登ってくる人あり。よく見れば病気中の道宗なり。「どうして来たか」と尋ねしに、「余りの会いたさにおくれ乍ら出かけて来た」と。そこで上人のお言葉を伝えしに、そのまま同行と共に帰ったと。  其の姿を聞くと言う。聞くとは仰せ通りに、なる、行うことなり。我々なれば、「見てくれ病気をおいてここまで来た。お伺に行く」と自分の思いを出すでしょう。湖水を杓で汲みほせと仰せられたら、そんなこと出来ぬとは言わぬ。直ちに汲みにかかりますと。聞くとは用なり、随なり、受けることなり。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○あるお方「海と陸」との間に何がある」。「と」があるでないかと大笑い。「私と仏」の間に「と」がある。その「と」がはずれる。 南無阿弥陀仏

○元祖上人は、知恵第一の法然と言われなさったのは、一切経を五度も六度も拝読なされた事でない、なくて、学び覚えた総てを捨てて、十悪の法然、愚痴の法然と下りなされたところに、世を挙げて、知恵第一の法然とあがめ奉った。私はその捨てる学問さえないから、仰いで頂くばかり。 南無阿弥陀仏

○鈴は中に玉が入っているから、皆々様とお念仏させて頂いて、中には何にもないが、西風が吹いて、鈴と鈴がすれ合うてなるなり。

○隣から牡丹餅もらって、この小豆はどこで取れた、この砂糖はどこでと、いつまでもせんさくをしていると、頂いた餅が固くなってしまうから、牡丹餅たべながら、生産地を聞いても、おそくはないでしょう。念仏はなれて理に走れば、もの知りになるだけでしょう。称え乍ら御いわれを聞くのです。

○ある青年曰く「お念仏を相続していると、有難い時と、またいやな時もある。これはどうした事でしょう」と。  色々な事で寄付を頼みに見えた時、喜んで出す時もあれば、いやいやながら出す時もある。然し、受け取ったそのお金に変わりはない。喜び喜び出した千円のお金は千百円に通用するのでもなく、いやいや出した千円が九百円にしか通用出来なかったと言う事はない。心に変わりがあっても、お金の値には変わりない。喜び喜び称える念仏も、いやいや称える念仏も、お念仏には変わりない。かえって、いやいや称える念仏を仏様は、よりよく喜んで下さる。有難い心が有難いので無く、有難くない念仏が有り難いのです。

○妄念煩悩を取れば私がなくなってしまう。妄念と煩悩に目鼻を付けたら、人間ですがなー。そのただ中から南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞えて下さるだけ、呼んで頂くだけ。

○大垣へ参詣致しました時、国鉄近江長岡まで七里もある山奥から、おばあさんが参詣なさいました。朝三時に家を出て、川を渡り、石をふみしめて、ふみ越えてこの御縁に会いに来ました。皆々様は前生に縁がよくよく深かったと見えて、楽々とこのご縁に会える。私の前生がはずかしいと述懐なされて、おろそかに聞く私に御意見下さいました。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○毎年の事ながら、正月にお越し下さる或る師、雑煮をいただきながら「この御和讃を元として念仏弘めて来ます」との仰せに、私どうなったのか分かりませんが、きびしい口調で「あなたいかなるお方やなー、学問で弘める。そんな法でない。一尺のゴムひもを延ばせば一間にも延びるが、手をはなせば元の一尺や。南瓜や、朝顔のつるは自然にのびる。延ばしたのでなく、延びたのや。お念仏は弘めるものでなく、弘まるものや」

○呼んでいる 呼んでいる 呼んでいる 呼んでいる   今の私を呼んでいる   返事もないのに呼んでいる   それでも呼んでる聞えくる

○今の心のまま 今この声を聞くのや

○向こうに立派な山がある。あまり立派な山ゆえ登って見たら、山は無くなって、ぶこつな松、いろいろの草木ばかりであった。信心、安心と言ふことは、信心とも、安心とも言う必要の無くなって、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 信心の体は南無阿弥陀仏。

○九州有田焼の大家の老母「お念仏は皆同じなれどあなたの様に喜ばれんのは、どうした事でしょうか」と。  「あなたは大家なるが故に色々の趣味がある。今日は歌の会、あしたはお茶、三味線、お花と色々ある。お念仏はほんの一部であります。お念仏は付けたりのものではありませんか。私等如き身分の低い者には、南無阿弥陀仏と遊ぶほかに何にもありませんもの」。南無阿弥陀仏

○ある師「私は日本中を仏法一つにすると一生懸命になっている」と。  「そんなに力まなくても、我が家我が家でお念仏の柱を一本づつけずれば日本中に念仏堂が建つ」と。

○蟻は真直に歩いている様でも、障害物に当たれば方向を変え、亦方向を変えてぐるぐる廻っている。世間の法義者も、自分は真直に歩いていると思いながら、実は、こちらの布教師に会ってまわり、亦あちらの布教師にまわり、当りずめで、同じ道をまわりずめです。

○ある師、念仏庵落成式念仏御縁の前お越し下さいました時、阿弥陀如来の立像の軸を持参下さいまして、拝ませて頂きました。子供が下に座し、仰ぎ合掌し、如来様また子供に慈眼を垂れ玉い、お口元より一本の線が子供の口に注ぎ玉う。師「これこそ南無阿弥陀仏、これが本当の仏である」と。  この画像こそ仏であり、真の如来様であると言うては矢張り、私と離れている。「この画像に現れ玉う仏様の御心こそ、今この口にい出玉う南無阿弥陀仏にてまします」と申さねばならないではないでしょうか。南無阿弥陀仏

○あるお方の話。ーーー手に負えぬ道楽息子の嫁が、もう辛抱が出来なくなって「ヒマ」をくれと頼んだら、姑さんはヒマをやるから、その前に村田和上の御縁に会えと頼んだ。嫁は言葉に随い参詣した。その時和上はその嫁に、「御縁が終るまで後ろ向くな」と。嫁は仰せ通りに念仏申していた。主人は母よりその由聞いて、大いに怒り、法席に出て妻をさがすも見当らず、仕方なく念仏した。しばらくして妻が自分の前に座っている事に気付き不思議に思い、ありのまま和上に申し上げたら、和上は「皆が菩薩じゃから鬼のあなたには見えなかったのでしょう」と。そんな有難いお念仏とは、今まで気付かなかったと。  有難いお話には違いないが、私等には何の関係もない事。有難いとは、私を御救い下さる妙法なるが故に、有難いのです。教えにも色々あるが、宗祖様の教は「私が救われる教であり、南無阿弥陀仏は私をお助け下さる法」なればこそ、有り難いのではありませんか。 南無阿弥陀仏

○「今日の所作がすべて仏の所作なれば、あらためて念仏するに及ばん」と言われるが、然し、念仏しましょうと思う心まで私の所作でない。念仏いやいやと思いながらも念仏の出て下さるのも仏の所作であります。着物出すなら、着るなら、たんすを開ければ、助けられる処ばかり、私の長持ち開けたら、助からぬ物ばかり。 南無阿弥陀仏のたんすを開けたら、助けられるもの、ところばかり。  障子を柱の方へ開けようとすれば、家を壊さなければならぬ。柱を取らねばならぬ。柱を取れば、家は壊れる。

○一人娘と言うて、家に閉じこめていたら、世間がわからぬ。あちらこちらと知合いの家へ連れて行き、家にない善き処を見せて頂き、教えられ、日暮れになれば、我が家へ帰ればよい。  お念仏のお友達に会い、お育て蒙り、亦念仏に帰ればよい。中祖上人様はたずねても、たずねたきは、真の友同行なりと申された、仰せられた。

○夢の中で、けんかをして、勝っても夢、負けても夢、同じ事や。 南無阿弥陀仏

○水は器にしたがう 強いから  念仏は力なり。

○「阿弥陀如来のその昔、法蔵比丘たりし時、我等衆生の往生の業をさだめ給う時、布施、持戒、忍辱、精進等のもろもろのわずらわしき行をえらび捨てて、称名念仏の一行をもって本願とし給えり。念仏の行者往生せずは我も正覚取らじと誓い給いて、その願満足して、十劫この方なり。何んぞ衆生の往生疑わんや」と。  仏様が、南無阿弥陀仏にて私の往生に疑いないと信じてござったら、私があらためて信心つくる必要ありませんがな。仏様の信心一つでよろしいやないですか。そのまこと心が南無阿弥陀仏ですがなー。それでも信心ほしいですか、南無阿弥陀仏。

○宗祖様は「弟子一人持たず候。何を教えて弟子と言わん。如来の教法を我も信じ、人にもつたえるばかり」と。  宗祖様はお弟子の言行(言うていること行うている事も)の中にも何事かを教えられてござったのであります。  それに付いて愛知県の知り合いの念仏者が、元日早朝「寒い寒い」とお越し頂きました。その方「知恩院の除夜の鐘の音を聞いて、大和へ行こうと思って近鉄電車乗ったら、途中で電車はこれまでと、駅で一夜を明かし早朝来ました」と。「何が知恩院の鐘の音を聞くより温かい寝床の中で仏様の鐘の音を聞いておればよいのに」と。「早く風呂に入りなさい」と。風呂に入り、二人とも酒がすきで、正月の事でもあり、一杯頂きました。冷えた体に、風呂に入りお酒を頂きました加減で、お酒が身に付いて曰く「宗祖は〈弟子一人も持たず候〉と仰せられてあるのに、あなたは先生と言われて、はいはいと返事をしてござる」と。私は酒の上の事とて御意見ありがとうと御礼をのべて翌日帰宅なさいました。数ヵ月後、東漸寺へお詣りの節、その方が「一口御法話御願い致します」と申されましたので「その前に高座ながら私あなたに一言お尋ね致します。先日お正月に御越し頂きまして、御意見頂きましてまことに有り難うございました御礼申し上げます。宗祖様は弟子一人も持たず候と仰せられてあるのに、あなたは先生と言われて、はいはいと返事をしてござる、と御意見頂きましたが」。この方は顔を赤くして「私そんな事申しましたかなー」「はい頂きました。先生と言われて返事はしていますが、私は、何にも知らぬ分からぬ者に人を見上げた言葉を申しなさる尊いお方やなーと内心頭を下げています。先生と言えとも、言うなとも申す必要はない。言われるままに返事を申しています。そこで御尋致したいのは、宗祖様に、お弟子様が〈ここが判らんから教えてくれ、おい親鸞聞かせてやれ〉と同対で尋ねなさったのでしょうか。その時御開山様は〈おれは弟子一人も持たんのや。どこへでも行って聞いて来い〉とつきはなしなさったのか。そのあたりをあなたにお尋ね申し上げたいのです。私はおそらく、やっぱり聖人様は、ああそうか、そこはこうやぞや、こう言うお心やぞやと、お聞かせなされた事と思います。宗祖様は〈弟子一人も持たず候。如来の教法を我れも信じ人にも信ぜさせん〉が為、亦自分を下げなさった御言葉で、切り離されたお言葉でない。お弟子の言行の中にも教えて頂いてござった御方と頂いています。共に手を取りあいて、教えられたり、教えたりのお心では無かったのでしょうか。大人でも子供に教えるばかりでない。子供にも、大人が教えて頂く処は私にはたくさんあります。あなたの事は存じませんが、そのあたりをあなたにはっきり教えて頂いたのです。高座で実に済みませんが、お尋ね致します」と、畳に手をついて頭を下げました。その方「失礼致しました」と。「あやまって頂く心はありません。お互いに先生になるつもりが成っていますのや。仏法は敬いの心がなかったら、法は聞えませんなー。失礼は私の方です。有難うございます」

○福崎のお方ご病気と聞いて、東漸寺様とお見舞いに参りました。老人、東漸寺様にお尋ねに「私の命は、あと一年と申されました。それなのに欲の事になると一生懸命で寝床の中から一人前に成った息子に、それは損やこの様にせよとやら、寝床の中で、念仏せばよいのに、息子の世話はいらざる事と思いながらも出ます。私はどうした事でしょう」と東漸寺様にお尋ねになりましたら、「松並さんどうぞ」と申されましたので、「あなた様に尋ねられた事を、何を持って口を出しますの。貴方様はその道の御方ですに」と申し上げて念仏。東漸寺様亦「一口」と。「偉いお方やなー」思いましたが致し方なく、このおろか者が「あなた長命ですがなー。まだ一年ありますがな。私は今をも知れぬ身ながらにあなた以上の欲があります。南無阿弥陀仏」。その後はお念仏のみでした。 南無阿弥陀仏

○縁の下の力持ちと言う事がありますが、私はなかなか出来ません。南無阿弥陀仏。阿弥陀様は縁の下の力持ちばかりをなし下されました。長載永劫の修行をなし下され、南無阿弥陀仏に成りましまして、聞かせて与えて称えさせて、私が称えた事にして助けて下さるとは、何とまあー呼びずめにして、まあまあ申す言葉もない南無阿弥陀仏。

○親は苦労する子は楽をする 南無阿弥陀仏

○仰せが仏法 聞え心は仏法でない

○仏とはただこの南無阿弥陀仏 阿弥陀仏

○往生は、我が機に問うな 弥陀に聞け 仏はかぶり ふるかふらぬか

○「弥陀の回向のみ名なれば功徳は十方に満ち給う」とある御和讃。  弥陀のこの「の」が有難い。「弥陀が回向のみ名なれば」とあれば、弥陀と回向のものと二つになる。別々になるが、「弥陀の」とあるからは、弥陀と回向のものと一つになる、なって、回向なし下さるもの。南無阿弥陀仏の中に、弥陀のお心、弥陀全体が入っている。それを頂いた私は南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と称え聞くままが、お阿弥陀様が現れて下されて、下されてあるのです。阿弥陀様から阿弥陀様を頂いたのであります。  「私が本をあげます」「私の本をあげます」。「私が本をあげます」。これはあげる本と私と二つになる。「私の本をあげます」。この場合は本の中に私は入っている、一つである。仏様から仏様を頂きました 南無阿弥陀仏。

○善導大師は「自修去行以兼化他要術為」(自から去行を修するを以て、兼ねて化他の要術と為す)  法然上人は「源空が智学を以て人を教化せんに、なほ不足あるべし。専ら念仏勤行の人たらん」と仰せられた由。 南無阿弥陀仏。  宗祖様は「自信即教人信」と仰せられる。「専らこの行に奉へ、唯この信を崇めよ」と。

○念仏堂の前に元県会議員の宅あり。その外灯の光が吊鐘窓のガラスに映えて、庭の楓の枝葉を写してとても美しい。それを見て思うに、外灯は外を照らす為であるのに、念仏堂の中まで照らす。私の心を照らすお念仏がもれて、世渡りの道まで照らす事になる。俗諦と言うも結論は南無阿弥陀仏の中に仕上げられてあった。念仏は外に関係がないのに、外にもれる。私は私のまま世を渡らせて下さる道までも、然も、助けられたあとの煙が人にまで流れる。自利々他円満に仕上げられたる、仕上がっている念仏でありました。

○ある日県会議員の奥様が「兄ちゃん、私宅の犬がよくほえて子供が泣きなす」と申され、私何気なく「番犬ですもの、ほえて務めを果たしています。ほえなんだら何の役にも立ちませんがなー」と言うた時、胸をドキンと打たれた。番犬でもほえすぎるとこまる。お念仏はいくら称えても、称えすぎにはならんのに、犬ほどなけない。称えられない私を見せつけられて恥ずかしく、お犬様にお育て蒙りました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○念仏とは、「仏様が私を念じて下さってある心を念仏という」と聞きながら、聞きもせず、なお且つ、私が仏様と念ずる所作とするから、思うから念仏おとしている時、忘れている時、「こんな事では」と不安が出る。一声も自分が称えた念仏は、ただの一声も無いのに、自分の所作とする。念仏おとしていた、忘れていたと思う。思い出す思いまで仏様から「念」わされる「念」であるのに、私の思いにする。長くつづくと、いやな思いのするのは念仏に照らしい出された私の悪業。かかる身をとひざまずく時、本願にたち帰る。たち帰らされて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 御恩の重きこと深きこと、おして知るべし。

○不孝者ほどなお可愛いと思うは親心か。それなら、もっと不孝してやるよと言うのは、思うのはまだ親心が知れてない。知れたら、済まなんだ、これからは一寸でも苦をかけない様に思い起つのが、知れたこと、頂けたこと。その後一寸でも苦をかけない様に成ったとて子供の手柄でない。親心がとどいてそうさせたのである。それに、親は孝行してくれると子供の手柄にする。よし不孝しつづけたとて、親は子でないと言わぬ。なお抱きしめる。仏は頼みもせんのに苦労し成就して聞かせて、与えて、称えさせて、憑まさせて、まるまる一人働きなるに、手柄は子にゆずりて、ようもろうてくれた、よく聞いてくれた、称えてくれる妙好人じゃ、最勝人じゃとほめたたえて下さる。親心語る言葉もつき果てて、ただただ仰いで、合掌。

○世の中の宝は、与えたら減る。お念仏は一人聞いても百人称えても減らぬ。流れるほど増してゆく。仏様は十方衆生を念仏衆生にする。仏様のお手伝いした事になるから御礼報謝に受け取って下さる、そなわる。それも仏様が称えさせて下さるのに。

○電気のスイッチは、押すだけで明るくなる。用いればよい。電気を発見した苦労を自分がやってみる必要はない。宗祖様の教えを後からゆく事である。聞くとは随うことで直である、受ける事である。南無阿弥陀仏は「スイッチ」をひねることもいらぬ。呼びずめである。

○或るお方が「お寺さんは、『御文章』に〈寝てもさめても命のあらんかぎりは念仏申すべきものなり〉と書いてある。それを読んでいながら、念仏申さないが不思議や」と。  「そんな事不思議やない。それよりも、私や、貴方の口からお念仏が出て下される。それが不思議やがなー」  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○嫁に行った娘に、親がお祭りのご馳走を持って行った。田舎のことゆえ、これというご馳走はないので、親が持って来たご馳走を出して「おあがり」と言えば、親は「頂きます」と言うてよばれた。親から頂いた南無阿弥陀仏、頂くまま御礼報謝に受け取って下さる、そなわるとは。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○天皇陛下が日常御座る処を宮城。行幸のみぎり御泊りなされた処が安住所である。安住所は宮城でない。  南無阿弥陀仏がお出ましの御座る処は安住所であって宮城ではない。それかと言うて「穢土」ではない。現世は正定聚の身にさせて頂いています。それなればこそ南無阿弥陀仏と聞えます。次の部屋に在せられています。南無阿弥陀仏と聞えて下さる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○往生の大役は、如来に、願力にまかす。この世の善悪は、過去の業縁にまかす。

○私宅の御縁日に、員弁の師が親子連れで御来縁下さいました。後でぜんざいを召し上がって頂きました。後日お礼に「思い出しますせんざいの味」と書いてありました。返信、同時に頭にひらめき、そのままお便り出しました。「今に思い出しますぜんざいの味」と。  「今」にと言う場は、後日頂いたぜんざいの味が今でも生きている時になる。「弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまえり」、昔の御苦労が目の前に浮かんで来ることになります。 南無阿弥陀仏

○どなた様やとて、私一人に御思索なし下されたお方でない。私一人の為に御苦労なし下された御方様の仰せを聞けばよい、何と呼んでます。南無阿弥陀仏と呼んでます、聞えます。仏様の仰せ一つが私の生命、頂いた心の一杯が、仏様の生命。

○「信心をおこして往生を願求する時、名号も称えられ、光明もこれを摂取するなり。されば名号について信心をおこす行者なくば、弥陀如来の摂取不捨の願何によってか成せん。弥陀如来の摂取不捨の願なくば、我等衆生の往生の業何によってか成せん。されば本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願というこのいわれなり」  阿弥陀仏と私、私と阿弥陀仏、きるにきられぬ、はなすにはなされぬ、本願と私の絆こそ、今この口に聞える南無阿弥陀仏にてまします。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○直ちに受けた事が 重く受けた事になると

○浮いたか ひょうたん 軽そうに流れる  行く先知らねど 南無阿弥陀仏

○信と行とは 馬に乗った様なもの  人と馬が一つにならねば勝てぬ 南無阿弥陀仏

○順風に溺れず 嵐に呑まれず  暴風時には傘を忘れる事はない  晴天には傘を忘れる

○善導大師は、とことん機を見つめよ(観経)と申された。そうせんことには途中で折れるから。

○宗祖は大経より入りなされて、裏へ出なされた。我々はお助けの「法」を先に頂いて、だんだん我が機の浅間しさを、お念仏の中より知らされたから、喜びも小さい。宗祖様は二十年の修行が先に多いため、お念仏に遇い給うた時の喜びも大きい。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○堂の前の田圃で、子供がボール投げをして遊んでいる。一寸おいでと子供を呼んだ。鼻たれ小僧が鼻をこすりながら「ナンマンダ言うのか」と(実は南北にボール投をすると窓ガラスが割れる。一枚二枚のガラスは取り替えに来てくれないので西東にボール投せよ)と言わんが為に子供を呼んだのだが、恥ずかしくてなって「そーや」と言えば、「オーイ、ナンマンダ言うのや」と、汚れた足で子供と十人しばらくご縁に会わせて頂きました。子供に引立てられ有難いやら恥ずかしいやら。どこに、どなたがござるやら。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○何にもかも取られて仕方なく 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは」。  この「かは」と言ふお心は「いやいやそうではないぞ」。「有漏の穢身はかわらねど 心は浄土にあそぶなり」 南無阿弥陀仏

○心に疑わぬを疑い晴れたと思っているが、そうではない。お念仏が出て下される姿を、疑い晴れた事。念仏申さぬ、申されぬ事が、疑いという事、疑の真中に居る。念仏せよと。  ある仰せに、「せぬ事が聞いておらぬこと」。聞くとは「今である」「直である」「正である」

○ある人、毎朝お寺の鐘つきに行く。曰く「鐘の音を聞いて村人が炬燵の中で念仏する。それなのに寒い思いをして、鐘つくあなたが念仏出なんだら、大きな損ですやないか」

○或る人「欣求浄土の思いのなき者はこの法にあえぬ」と申されましたが、私は不具者で、欣求浄土の思いは少しもなかった。ただ親に孝行したければ念仏せよと聞いて、念仏に入らせて頂きました。念仏聞くまま、欣求浄土のはるかな道が見えて来る。私等の欣求浄土の思いは極々小さいもの。連れてゆきたいと願う、念う仏の心がはるかに大きい。

○世の中の五六十年 負けて無量の徳を頂く

○この唐辛子、喰ったら辛いぞと、思っても思わなくても、唐辛子は辛い。  南無阿弥陀仏は、有難いと思っても思わなくても、南無阿弥陀仏は有難い。よろこび心は念仏のおまけである。思い心は、ただである。  もともと南無阿弥陀仏は、「私」が救われる遇いき妙法なるが故に、遇い得がたいのです。南無阿弥陀仏は本願招喚の呼び声であります。この念仏、この称名が、一代の称名念仏となって流れ出る。 南無阿弥陀仏

○正宗の名刀で大根きるな。御利益の頂上は、今日まで生かされて、今、この法に遇わせて頂いた。他の御利益は有っても無くてもよいのやが、自然について来る南無阿弥陀仏。

○世の中の事は、人より一歩後から歩けばよい。仏法聞かせて頂く事は、一歩先に出る。

○南無阿弥陀仏は往生極楽の道と仰せられました

○東漸寺様「論註に〈称名憶念すれども、なお無明ありて所願を満てず〉とは」との仰せに、  「称えるままが聞いていること、呼び声と、頂けない称える念仏であって、聞く念仏南無阿弥陀仏、それそれ呼んでござる」

○「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」と。  一茶の句を拝見して「やせ蛙 負けても一茶 これにあり」と。  私は、何事にも失敗しずめ負けずめ、でもゆるして下さる、ゆるされる、泣いて下さる、知って居て下さる、だいて下さる、だかれている、あたたかい御手がある、この声があります。

○お説教では「はいと頂け」と、ご法話なさいますが、「その口まで開けて下されたもの、はいと頂けとは南無阿弥陀仏を頂くこと」

○「聞其名号」と言うは、教える側即ち諸仏のみが仰せられる事。私から申せば「聞是名号」と聞くべきなり。其の名号を聞け、よくよくとは私の口からお出ましの其の名号を聞けとの事。私に離れて御座らぬこの名号である。この南無阿弥陀仏の事である。

○世の中がだんだん小さくなって、まだ見ぬ世界がだんだん大きくなる。南無阿弥陀仏

○お念仏に難があるとゆう事は、こちらに難があるからの事。称にこだわっているから。

○称えられんにこだわらず、称えられるにこだわらず。しっかりなれました、なれません、この定散二心にうちはなれて、仰ぎ聞くこと。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○我が家の障子が破れていますから、隣の障子の破れが見える。心せねばならぬ。

○聞くとは 実行する事 受ける事 用いる事

○聞くとは、十聞いて十覚える事でなく、南無阿弥陀仏の親心に帰ることであります。

○どんな満点の料理でも、二日も三日も胃袋の中で持っていたら、血となり肉にもならぬ、害になる。どんな味ない料理でも、胃袋でこなせば血となり、肉となる。有難いお話は、おいしい味は、南無阿弥陀仏の中にある。おいしい御法話をお聞かせにあずかれば南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏とお念仏に帰れ。悲しい事も、苦しい事も、南無阿弥陀仏に、流されてゆく。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○称えられる口をあてにせず、現れ給うお念仏の徳を仰ぐ。徳とはこんな私が助けられる妙法なるが故に。ただ南無阿弥陀仏。

○長持ち開いても 着物は出ぬ 夜具が出る。

○「蓮台に手をかけるまでは、油断するな」との中祖様の御教化は、往生についての事でない。今日一日を油断するなとの御教化。

○念仏忘れていたと思う。そんな殊勝な思いの出る私でない。黒い物に黒い物が付いても分からぬ。それを知らされるのは、我々の思いでない、念わされる念いである。

○人々はまいらせて頂きます、やって頂きますと言いなさる。成程それに違いないが、自分の思いは何にもならぬ。「まいらす」との仏の仰せ、その呼び声が口に出る、聞える南無阿弥陀仏なれば、口にする必要はいらぬ。

○信心とは南無阿弥陀仏の親心を聞くだけ

○南無阿弥陀仏を頂けば、機法二種の深信が、鳥の二枚の羽根が一度にひらくが如く、一面には機を照し、一面には法を照らす。

○ある人曰く「家内が神経痛で手が動かず、帯を締めてやらねばならず往生します」と申された。  世間の人は往生々々と軽々しく申されますが、その言葉は安々使えませぬ。往生とは如来様が本懐遂げられたお言葉です。念々往生しつつある私でしょう。私が往生させて頂くことは、如来様が本懐遂げられた事です。この世のこまった事に使う言葉ではありませぬが。 南無阿弥陀仏

○不可思議を ただ不可思議と 聞くばかり   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○お盆が済んで、すぐお正月に晴着を着せたいとて、子供は頼みもせんのに「親の業」で夜業までして働く。その時の苦労は親は苦しみにならぬ。苦労と思わぬ。正月の晴着が、お陰で楽しみの因となり、喜びの元となって、夜業にはげむ。念願とどいて、出来上がった晴着を着せようとした時、子供が「いやー」と言えば、親が楽しんで造った晴着が、かえって苦しみの根となる。晴着を持って行く場所がない。  それに、子供は「うん」と喜ぶ。出来上がった晴着を親はうれしげに子供に着せる。子供は両手を左右にのばせて、つっ立っているだけで、親は着物を着せ、帯を結び足袋ゾーリを履かせば、子供は隣りのおばさんに見せる。その姿を親が見て、子供が喜ぶ喜びより、着てくれた、よく着てくれたと親が喜ぶ、喜びが大きい。着てもらっただけで親は満足する。  阿弥陀様も「お前は悪道から来て鼻歌歌って、また元の悪巣へ帰る」その姿をみそなわして「お前に頼まれもせんのに勝手にお前の助かる南無阿弥陀仏に成ったぞや。いやでもあろうがこの度手柄をたてさせてくれよ」と、両手仕えて頭を下げて憑んでござる御姿お声が、今現にこの口から聞こえてくださる南無阿弥陀仏であります。そのままが御礼報謝にそなわる、うけとってくださるとは、語る言葉もくち果てて南無阿弥陀仏。  称え聞くままが他に流れ出る。さすれば阿弥陀仏が十方衆生を救うと仰せられる御手伝いをしたことになる。いやいやの称名が御礼にそなわるとは。      合掌

○岐阜のおせき同行。  おせき同行は香樹院師の御育てを蒙ったお同行であります。  真夏の事とてはだかで「オコシ」一枚。門の左側に井戸がある。手桶に水をくんで、母屋へ行く途中。香樹院師突然おせき同行宅へ立ちよりなされた。師は「おせき後生は如何か」と後ろから声をかけられた。声を聞けば香樹院師と知った。おせき同行は向こうをむいたまま「はい、このままでございます南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。香樹院師は「おせき、よく聞いたなあ南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」。  我々でしたら香樹院師と知ったら失礼と思って、ふりかえって返事をするでしょう。向こうむいたまま(お尻をむけたまま)返事をなされたそうな。「法」と「法」の対話。ふり向いたら「このままにならぬ」。姿、形をそのままでなければ「このままにならぬ」。こんな処に妙好人とあがめられる尊さがにじみ出ているでないでしょうか。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○信心はとるべきものでなく捨てるもの

○信心とは「仏の心」南無阿弥陀仏の親心にびっくりするだけ

○蓮如上人様   弥陀をたのむとは   (オマエノ後生ハタノマレテヤルデワレヲアテタヨリニセヨトノコト)   よりかかり よりたのむこと   との御心であります。

○弥陀をたのむとは   南無阿弥陀仏のお助けの世話をせぬことであります。

○弥陀をたのむとは   南無阿弥陀仏のお助けの御手柄の邪魔をせぬことであります。

○弥陀をたのむとは   自分の計らいをさしはさまぬことです。

○弥陀をたのむとは    仏様の「念(オモイ)」を「仰せ」通りに御随い申し上げることであります。

○弥陀をたのむとは   仏様の仰せ通りにさせてあげることであります。

○法然上人様   称うるばかりで御助けと(火鉢から教えられた)
宗祖聖人様   信ぜさせられたそのままが(火から教えられた)
蓮如上人様   弥陀をたのめとなる(往生はたのまれてやるでたよりにせよ。よりかかり よりたのむ)

○身も 口も 意も 全部   南無阿弥陀仏に 借して上げては 如何ですか   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○「念仏せよ 助ける」でない  「助けるで念仏せよ」

○聞くとは 今也 正也 直也 用也 受也 従也 随也 順也 実也 行也

○これを以って「聞く」とは「仏願の生起本末を聞いて、疑の心あるべからず。これを聞くという」。

○極楽は 聞くの門より 入ると聞く    聞くをはなれて 聞くにはなれず

○仏様が、私やあなたを救わんが為にとて、法蔵菩薩となり下り、世自在王仏のみもとにましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪をみそなわして、末代の私やあなたは、諸仏の浄土へは生れ難しと、見て知って、無上殊勝の願を起し、希有の大弘誓をたて、五劫の間御思案をなし下されて、南無阿弥陀仏とゆう本願を建てましまして、私やあなたの悪業を、だいて、かかえて、長載永劫の修行の結果、南無阿弥陀仏に成りましまして、私やあなたの往生間違いないと「信」じて、願行具足して、十劫の昔に仕上げて、私やあなたを、血のたる「念」で待ちわび、あたえて救わんと誓い玉う。この御いわれを聞いて、この南無阿弥陀仏の中には、機法一体、名なり、声なり、お姿なり、お命なり、お体なり、御血潮なり、南無阿弥陀仏そのままが声の仏様であります。即ち仏様から、仏様を頂いたのであります。頂いたことに成ります。  四十八願成就して、私やあなたの往生間違いないと「信」じてござるのですが、私共は疑い深いから、「重誓偈」に(四十八願の次に)仏様が私共に重ねて、「念」を押してござるで、私共はあらためて「念」を押す必要はない。疑う余地はないのです。  「お経様」の「経」の字は「常」と読みます。「常」とは何千年すぎても「かわらぬ」ということであります。「その重誓偈」に「我超世の願を建つ 必ず無上道に至らん この願満足せずば 誓うて正覚を成ぜし」「われ無量劫に於いて 大施主となりて あまねく諸々の貧苦を救わずば 誓うて正覚を成ぜじ」「我仏道を成ずるに至りて 名声十方に超えん 究竟して聞ゆる処なくば 誓うて正覚を成ぜじ」と、誓い玉うた。その声が、今、現にこの口から聞えて下さってあるのではありませんか。  一声のお念仏は、ここに居るぞ、連れてゆくぞ、迎えに来たぞ、間違わさんぞの声なれば、心の模様は算用すんだ、何のさわりにもならぬ。動けば動けと捨ておいて(そのままに)、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、この声を聞くよりほかに何の要もない。仏様即ち南無阿弥陀仏だから、南無阿弥陀仏より、南無阿弥陀仏をたまわりて、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 お阿弥陀様直々のお呼声であり、南無阿弥陀仏は、かならず救うぞの、大悲招喚の呼び声であります。

○呼べば聞く 呼べどさえぎる 山彦の  聞き得る声は  呼ぶ人の声

○私がいたで あなたが産まれた  あなたが 南無阿弥陀仏に成り切って下されて   私が活かされた  私が活かされて あなたも活かされた   二人が一人で 南無阿弥陀仏  一人が二人で 南無阿弥陀仏

○あなたから   まるく出て下さるに  私から  四角出るのか 窓の月   南無阿弥陀仏

○阿弥陀如来のその昔、法蔵比丘たりし時、我等衆生の往生の業をさだめ玉う時、布施、持戒、忍辱、精進等のもろもろのわずらわしき行を選び捨てて、称名念仏の一行をもって本願とし玉えり。念仏の行者往生せずば「我も正覚取らじ」と誓い玉いて、その願満足して「十劫このかたなり、何ぞ衆生の往生疑わんや」と。  助けて下さる仏様が、お前の往生疑いないと、間違いないと「信」じてござったら、それでよいでしょう。それがこの口にい出ます、現れて下さる南無阿弥陀仏であります。 南無阿弥陀仏

○弥陀の誓願不思議をもって、たもち易く、称え易き名号を案じい出し玉いて、この名号を称えんものを迎え取らんと、誓わせ玉いたることなれば、まず弥陀の大悲大願の不思議に助けられまいらせて、往生を遂ぐるなりと「信」じ、念仏の申されるのも如来の御計なりとおもえば、すこしも「自」らの計まじわらざるが故に、真実報土に往生す。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○私やあなたのまことは「おちる」「助からぬ」がまこと。仏様の「信」は「おとさぬ」「助ける」が「信」。その「信」が南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞えて来るのや。  南無阿弥陀仏 それそれここに今、今ここに、それそれ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、聞えるでしょう。

○念仏は後生の用意に、称えるのでない。後生の用意の出来上がった、仕上げの姿、成就の声が、南無阿弥陀仏と「聞」いて、南無阿弥陀仏と念仏するのや。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、聞えて来るのや。それそれ南無阿弥陀仏。

○親鸞が発起して称うる念仏は一声も候らず。ただ如来の御もよおしにあずかるなり、と。

○念仏とは、仏様が「私」を「念」じて下さってあることを「念仏」という。それが口に現れて称名と出る。それをなお且「私が」念仏する所作とするから、念仏おとしている時、こんなことではと不安が出る。念仏おとしていた、忘れていたと思い出す思いまで、仏様から「念わされる念」であるのに私の思いにする。忘れるのは「念仏」に照らしい出される私の悪業。かかる身をと、本願にたち帰り、お慈悲にたち帰らされて、南無阿弥陀仏。御恩の深きこと、おして知るべし。一依に如来様のあやつりの糸であります。 南無阿弥陀仏

○この唐がらし喰ったら辛いぞと、思っても思わなくても喰ったら辛い。南無阿弥陀仏は有り難いと思っても思わなくても、南無阿弥陀仏は有り難い。喜び心は念仏のおまけ。思い心は「ただ」である。もともと南無阿弥陀仏は「私が」「救われる」「遇い難き妙法なるが故に」「ありがたい」のであります。この念仏、この称名が細々ながら一代の称名念仏となって流れ出る。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○仏法とはこの口仏様に借して上げることであります。今南無阿弥陀仏と聞えるからには、私の全体が仏様のものなれど、私等は自分の物と思うから、思っているから、「その口借してくれよ」と仰せられます。  この世の善悪は過去の業縁にまかせ、往生の大役は如来の願力にまかす。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○十二才の五月十四日。毎年当麻寺で中将姫の祭礼が勤まります 同級生五十三名相談の結果、昼から学校を休んで、当麻寺へ遊びに行く事になりました。二時からでした。お昼御飯がすんで、家でもぢもぢして居ました。母は「早く学校へ行かねばおくれるよ」と言われて、「同級生全部学校を休んで、当麻寺のお祭りに行く事になり休みます」と申しましたら母は「そうかそうか」と言うて奥へ行かれましたので、許された事と思っていましたら、母は「一寸座敷へ上がっておいで」と言われたまま、座敷へ行きましたら、仏壇の御とびらを開いて、「親に相談もなく、勝手に学校を休むような我が侭な子供に育てた母が悪いから、今仏様や、御先祖様にあやまっている。然し仏様や御先祖様は何とも申されぬ。だからお前さんが仏様や御先祖様の代りにお母さんの顔を打て」と言われました。その時私の体がヂーンとなり、血が熱くなってそこに居られず、飛んで立ち上がり学校へ走りました。途中で午後は習字の時間で筆を忘れました。家に帰れば、「また学校を休むのか」と言われると思って、「筆を忘れた忘れた」と言いながら家に入り筆を持って学校へ走って行きましたが、時間におくれましたが、先生様は「よく来た席に着きなさい」と申されました。男で私一人、女で二人でした。習字が終って先生は「教員室へおいで」と言われて行きましたら、先生は「今日は皆々休んだのによく来た。雑記帳五冊賞としてやる」と。その時先生に「同級生相談の上休む事になりました。約束を無にしただけでも、明日同級生にあやまらなければならないのに、雑記帳頂いてはなおさらの事、頂きません」と申しましたら、先生は「心配するなよ。先生は善き様にする、持って帰れよ」と申されましたので、頂きました。帰りの道すがら「親の仰せはきかねばならぬ」としみじみ思いました。だが、家に帰るのがいやでいやでなりませんでした。なぜかと言えば、母が「それ見よ、お母さんの言うこと聞いたから先生にほめられたでしょう」と言う、それがいやでした。帰って母の前に、おそるおそる出しました。母は昼のこと忘れたかの様に「お前さん、今日学校で偉かったんだねー。お母様も今晩はすきな物沢山作ってやる」と申されました。私は「昼休むと言うたこと忘れたのやなー」と。こんな事しか思わなかった。今思えば恥ずかしい極みであります。  仏様は「あたえて、言わせて、信ぜさせ」まるまる仏様一人働きなるに、「妙好人じゃ」「最勝人じゃ」と、私の手柄になし下さるとは。南無阿弥陀仏

○十三才の或る月のカレンダーに、「忠孝は 人のゆく道 守る道」と書いてありました。「ああ私も人の一人、〈天皇陛下は雲居の御方〉、まず手近は両親ゆえ致しましょう」と思い立ちました。覚悟が出来ました。南無阿弥陀仏

○その事は学校で先生に、教えて頂いていましたが、何の事なく聞きすごして居ましたが、カレンダーによって初めて身に、心に、ひらめきました。翌日から実行にかかりました。が、どうしたことをする事が、孝行になるのかならぬやら判りませんでした。然し判らぬまま二年すぎて暮れに、三千世界の人様が孝行出来ても「私」一人は孝行できませんと、結論が出ました。

○明けて元旦の朝。ああそうじゃ。私は孝行出来ないから、孝行することはまけて頂いて、そのかわりに親の仰せを素直に聞きましょうと、覚悟が定まりました。

○然し初めの間は、なかなか心の底からハイハイと聞けませんでした。それは、私の浅はかな思いが邪魔をして、一つの事でも、そうするより、こうしたらよいと心で思う。いやいやそうではない。孝行することをまけて頂いたのだからと、心に聞かせて、口には出さねど心に思う。親の仰せをそのまま聞けませんでした。受けられませんでした。実に恥ずかしい事でした。体だけ親の仰せを、仰せのまま動いていました。

○時は流れて二年後。ふと気が付けば何時の間にやら、全く自分の思いが、影消えて、親の言葉のまま、ハイハイと頂き、聞き得るように成らされていました。知らぬ間に、有り難く思いました。南無阿弥陀仏

○こんなこと書いては如何と存じますが、ある日の夕暮の事でした。母は「使いに行っておくれ」と。平地一里、山道半里。「ハイ」と家を出る時母は「山道やからゾーリを履いて行け」と。父は家の空地で麦をほしていた。私を見て「どこへ行く」と。「大平村まで行きます」と。父は「雨模様や下駄を履いて行け」と。「ハイ」と、下駄を履いて出たら、母は「ゾーリ」と言う。父は「下駄」と言う。そこで私は下駄片足、ゾーリ片足。すきを見て飛んで出た。道行く人は笑いました。私は何ともありませんでした。下駄の音聞けば父の心、ゾーリの音は母の愛。道行く人は事情を知らないから笑ってあたりまえの事。笑われて本当のこと。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○十七才の正月元旦大阪へ見習い奉公に行きました。母は「奉公に行ったら体全部主人の物よ。勝手に使うなよ。頭の毛から足まで自分の物ではない。よく働けや」との申渡しにより、朝五時起床、夜は十一時に寝る。

○十八才の正月仕事初めの日。御得意先の主人が見えて「お前さんはよく働くが何んで商売見習いに来たのか」と。「私、家が貧しいので商売見習ってお金を貯え親に孝行せんが為です」と申しましたら、御得意様が「本当に孝行がしたいのか」と。「ハイ、孝行のまね事は致しましたが、そのまね事さえ出来ませんでした」と申しましたら、御得意様は「孝行がしたいのならお寺へ詣りなさい」と申されました。そのまま御主人様にお願い致し、御主人様も御法義に厚い御方様故、その夜から詣らせて頂きました。今晩の事で、仕事はその分を日中に働かせて頂きました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   然しお説教聞いても、何の事やら解らず、解らぬまま、お寺詣りが親孝行と聞いたまま、お詣りを毎晩続けていました。その間御主人様の知り合いの方に会わせて頂きましたが、その時は本当と思いましたが、今思うに、それが本当とは思えません。何かの役に立っているかも知れませんが。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。 御主人様も御在世の時申されました。「あの教えに用はなかった」と。 南無阿弥陀仏

○十八才の五月十六日、大阪南別院へ参詣させて頂きました。滋賀県の師より「弥陀の本願と申すは名号を称えんものを迎え取らんと誓わせ給いたるを深く信じて称うるが目出度き事にて候なり」との仰せを聞いて、総てを捨てて念仏相続に入り、その後は朝四時に起床、夜十時半まで仕事しながら専念す。主人に仕えるというも、仕事するというも、唯念仏申さんとの、念仏の外はなかった。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と申しながら、仕事しながら、ふと浮かんだ。人間は働いてお金を持つ為に生かされているのではない。この法に会わさんが為に生れて来たと気付き、休日家に帰り、母に「私は商売見習って、お金を持つ為でなかった。この法に会わしめんが為であった。商売することはやめて、働いてお念仏で果てる覚悟致しました。おゆるし下さい」と頼みましたら、母は「やっぱりお前は私の子ではなかった。仏様の子であった。思う様にしなさい」とゆるして頂きました。それから母は一代私に、兄さん兄さんと呼んでくれました。今でも村人は全部、年寄から子供に到るまで兄ちゃん、兄ちゃんと呼んで頂いています。お陰様で 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○それから寝ながらも南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 仕事しながら南無阿弥陀仏に明けて、南無阿弥陀仏で暮れました。まことにまことにお育てありがとうございます。 南無阿弥陀仏

○ある日念仏の中から仕事中に、  「魚喰うもの往生せんに。鵜の鳥往生せんずる。魚喰わぬもの往生せんに猿ぞ往生せんずる。喰うにもよらず 喰わぬにもよらず、念仏する悪人、往生するぞと聞えたり」

○仏様がもし「魚喰え、助ける」と仰せられたら一代魚喰って他の物は食べず。もし「魚喰うな、助ける」と仰せられたら、魚喰わず他の物を食して一代果てる。然るに「喰うにもよらず、喰わぬにもよらず、念仏する悪人、往生するぞ」と聞くからは、一代念仏して果てるのではないでしょうか。

○亦浮ぶ。人間一代願う処は、末六十日安楽にこの世を果てんが為に、欲望で一代苦しんで、仏とも法とも知らずに散って行く。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  私は末六十日「カツエ死」する覚悟で生活すれば、一代念仏してこの世を去れる。よし々々念仏して「カツエ死」するか、安楽に末六十日暮して、亦、元の古巣へ帰るか、二つに一つ。私は世の人々の反対の道を歩みます、と南無阿弥陀仏。

○南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  この口は、私の物と思って居るから、いらざる事を言う。南無阿弥陀仏様がお出まし下さるからは、仏様の所有の物である。よし々々この口「仏様」さし上げましょうと思った。用事があれば「一寸お借り致します」。用事が済めば「おかえし致します」と。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○これは、十九才の時でした。南無阿弥陀仏 休日は昼まで仕事して、工場内にて念仏致しましょう、と思いましたが、済まぬと思いまして、町内に三ヵ寺ありました。毎月十日づつでした。本堂の片隅で小声で念仏。参詣の方々の邪魔になりますから 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 でも耳が聞えますから御法話はよく聞えます。御法話に「たのむ一念の〈信〉肝要なり。〈信〉を得よ得よ」との御法話でした。南無阿弥陀仏 御主人宅に帰って、念仏申しながら思う。私は「念仏せよ」と聞いたが、信心が必要とは聞かなんだ。それほど「信心」が必要なれば、「私にも回向れ」南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、念仏に入る。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 思ったら思ったまま南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  幾日か後の夢に、「お前には〈信心〉はやらぬ」と「何故ですか」「お前に信心やったらけがをする。信心のかわりに南無阿弥陀仏をあたえるで、これをたもてよや」と。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、夢さめました。  あああ、私は一方ならぬ不具者故に大事な「信心」まで、まけて頂いて「南無阿弥陀仏」を頂きました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、夢さめました。 南無阿弥陀仏

○その時思いました。高座のお寺様も助けて頂く御方、下でお聞かせ蒙る私も助けられる私。助けられる者が会い集まって相談しても、何にもならぬ。お助け下さる「仏様」の仰せに随えばよいと思いました。  然し御聞かせ下さるお方が無くては聞えぬ。

○「信心」とはまことの心とよむるなり。「まことの心」とよむうえは、凡夫の迷心にあらず。まったく「仏心」を、凡夫にさずけ給う時「信心」とはゆわるるなり。

○亦の休日に、本堂の片隅でお念仏。その御法話に、蓮如上人様に、或るお同行様のお尋ねに「私はお聞かせ頂いて居る時は、有り難いのですが、その場をされば何ともありません。これはどうした事でしょうか」とのお尋ねに、上人様は「それは篭の中へ水を入れるから水がこぼれる。水のなかへ篭を入れよ。いつまでも篭の中に水はある。今日もあしたも聴聞せよ。仏法は聴聞にかぎる」と仰せられたとの御説法でした。主人宅へ帰って念仏申しながら思うに、私は自分の体が自分の物ではない者が、今もあしたも聴聞出来ない。仕事が忙しくて、とても平素はお詣りは思いもよらぬ。さすれば人様は助けられるが「私」は助からぬ。それに「仏様」は十方衆生を「助ける」と仰せられる。されど私は助からぬ。「私一人助からなければ十方衆生にならぬ。どうして下さる、どうして下さる」と。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 その気持ちを持ったまま、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、お念仏。誰に聞くすべもなく念仏で貫き徹しました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 ある夜の夢に「聴聞に心を入れよ」との仰せを一般の方々は御説教詣りのみを聴聞と思っている。御説教詣りも聴聞じゃ、お経様を拝読するのも聴聞じゃが「弥陀直々の説法を聞けよ」「弥陀直々の説法を聞けよ」。「弥陀直々の説法とはどんな説法ですか」と問う。「弥陀直々の説法とは、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と念仏すること。凡夫の泥水がまじらぬ御念仏はキッスイの法水じゃ」「それなら南無阿弥陀仏とは如何なる説法ですか」「それはお前の今そのままを救うとゆう説法や」と、聞いて夢さめた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。お念仏様が弥陀直々の説法なれば、私如き者でももれません。仕事しながら、弥陀直々の御説法が聞える。両手に花と、一日で二日分の仕事が出来る。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 はいはい南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○お念仏の中には破暗満願の徳がそなわる。ますますお出まし下さる、聞えて下さる。

○夕食後、何やと一時間の休憩がある。若い者と無駄話で終るよりと思って、一人念仏申していましたら、頭が「カアンー」となった時、「時間をはなせ。時間を持つな」とひびいた。然し、一時間の休憩だから、一時間すめば仕事せねばならぬのに、「時間にはなれよ、持つな」とは、と思いましたが、仰せのまま翌晩から時間を持ちませんでした。お念仏が自然に止まったので、時間を見ましたら、一時間でした。それからは時間に離れ、時計に必要はなくなりました。  無量寿とは時間がない事だと思いました。休憩時間中は毎晩倉庫で念仏でした。幾晩かつづいたある晩の事、亦頭が光る様に感じた時、「念仏は溜めるべきものでない、流すべきものや、流せよや流せよや、腐るぞや腐るぞや、池の水は何年すぎても海水にはならぬ。腐る腐る腐るぞや。どんな細い流れでも、流れ流れて大海の潮となる。孝子は、孝を忘れて、念々これ孝なり。忠臣は、忠を忘れて、これ忠なり。溜めるにあらず、流せよや流せよや」と。それ以後は、自然に水の流れる如く、南無阿弥陀仏。

○休日お寺で念仏、その時の御法話に、蓮如上人は「我が心にまかせずして、心をせめよ。たしなむ心は他力なり」と仰せられた。お互いに、たしなめよ、慎めよとのお話でした。主家に帰って念仏申しながら思うには、〈ありべががりのまま救うぞ〉のみ教に、たしなめとは如何なる事かと。私は、念仏せよとは聞いたが「たしなめ」とは聞かなんだ。これはどうした事かと思ったまま念仏。  ある夜の夢に「蓮如上人の説法を、皆、聞き間違いをしている」と。私はアレと思った時、私の口を二本の指で口を。(手が延びて来て)私は息苦しくなって〈ウン〉と(今までの夢中の説法は全部お腹が言う)なった時「〈我心にまかせずして心をせめよ〉とある御教化を、皆の者は〈機〉の上の沙汰に聞いている。そうではない。たしなめとは、口をたしなめとの事。口を慎めとは〈念仏せよ〉との御心である」と夢さめた。  身の慎みは〈念仏の中から出る〉と知らされました。 南無阿弥陀仏 たとえ十分ノ一でも、私がせねばならぬなら、丸々御他力とは申せられますまい。

○十九才の時、掘っ立て小屋でも造って、一代念仏で終る心に成りました。人生五十年越せば私の命でない。仏様から賜り物と頂いて 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  然しお念仏は、水の流れる如く出てござるが、有り難い事もなく、歓喜ざんげの心もなく、ただ口が動くばかりで、何ともない。こんな事ではと二十八才の十二月の十日にご主人にお願いして、十日間休ませて下さいとお頼み致しましたら、一年中で一番忙しい時に、そんな事を言う。家で働いてもらえないと申されました。私は、それでも結構ですとおひまを頂きました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○其の晩夜行で、佐賀県西松浦郡、そこに万行寺様に十三年間お育て蒙られたお寺様と知りあい故、十日間無言で朝五時より夜十二時まで、念仏致しましょうと、ただただ御法話なしに 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  有難い思いもなく、ざんげも、感謝もありません。ただ足が痛かっただけでした。ただ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏それだけでした。み堂の仏様に、いよいよ念仏致しますと、大阪へ帰りましたら、御主人さまがよく帰ったと、仰せられて、勝手を致しましたとあやまり御礼申し上げました。 南無阿弥陀仏

○明けて二十九才、一月十五日本山へ参詣致しました。御七夜のこと故、日本中の信者様のお念仏の声が、ひびき渡っていると参詣致しましたが、何の何のこれではと、旅館の一室で徹夜念仏。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  翌日十六日、宗祖様は二十年の修業の結果、六角堂へ祈願なされたあかつき、法然上人様の御教化により、念仏門に入られた。その法然上人様は黒谷の経堂にて、善導大師様の「一心専念弥陀名号」の御文に依って念仏門に入らせられた。日本で念仏の根本は黒谷である。黒谷である。黒谷で念仏申したら、歓喜の心も湧き、また感謝ざんげの心も、亦静かに、心も静かにお念仏も出ると思い、黒谷の経堂にて一夜明さんものと参詣致しました。

○雪は一尺余り、参詣の人影もなく、駅員さんが、こんな雪ではとても黒谷までは行けませんから、雪が消えてからにしなさいと親切に言うて下さいましたが、死んでもよしと心に定めて、有り難うございますと下駄ばきで、道も分からず南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。足にまかせて歩き歩き南無阿弥陀仏、行く道すがらお寺も有りましたが足が止まりません。歩き歩きどこをどうして行ったやら、ただ歩きました。足の止まった処に、一寺あり、尋ねましたら、そこが黒谷でした。

○堂守様に御願いして、一夜のお念仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。午後三時頃でした。経堂に入り念仏致しました。夜十時頃までは、元気にお相続がつづきましたが、寒くなり、着物のすそ、足袋が雪にぬれて、足が冷えて、板の間で、線香一本寒いのではなく体が痛い。えらくて苦しい。いや気が出る。何ともたとえ様のない心になりました。十二時頃より体が「ノコギリ」でけずられる思い。あああ、ここで念仏申せば心静かに念仏出来る。喜び喜び御恩のほども少しは偲ばれ、ざんげの心も、感謝の思いも湧くと思って来ましたが、全くあてちがい。  歓喜どころか、ざんげどころか、妄念煩悩が出るわ出るわ、廻りどうろうの様に、私の身のまわりをぐるぐる廻り歩き、経堂全部が煩悩で、妄念で、だんだん出る。首から下は妄念・煩悩で、有るだけ出てしまって、頭も空っぽ、何にもない。妄念が出れば出るほど自然に、お念仏の声が高くなり、だんだん高くなる。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と出る出る。寒さも忘れて、出る出る。妄念煩悩も流れ出る。「横川法語」に、妄念の中より申しい出したる念仏は、にごりにしまぬ蓮の如くにて」と。妄念の中より、出る念仏なるに、にごりに染まぬ、清浄むく、それが見える見える。空っぽの中から出る妄念。空っぽの中から出る念仏。出る出る、流れる流れる。頭、胸、腹の中は何もない。亦寒さが身にしむ。いやでいやで、そこに座していられないほど、居苦しくて、それでも念仏はますます出る。ここで念仏申せば、心静かに喜び喜び出る、ざんげしながら出る、宗祖の御恩のほども偲ばれると思って来ましたが、うそうそざんげの「ざ」もない、歓喜の「か」もない、御恩の「ご」もない。全く無い。  宗祖様は「真月を観ずと思えども、妄雲なおおおう」とは細々ながら身に徹しました。南無阿弥陀仏うれしいありがたいは、あたたかい部屋に居る時の事。火のない部屋で身も冷え、心も冷えきった時は「この法に遇わねば、こんな事せずとも、温かい部屋で寝て居られるのになー」と、ほんとうに思いました。無慚無愧、逆謗の死がいとは私一人のことと心の底から身にしみ渡り、板の間で「くも」の如く、おのずから頭が下がり、我忘れて出る南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。その時いなずまの如くひらめいた。 「本願の念仏には一人立ちさせて助けさせぬなり」 とひびいた。はっと思った。その時は、念仏申して居るとも判らぬ。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏    世の方々は寒さにあえば「宗祖様の御流罪の御苦労を偲ぶ」と申されますが、極度の寒さに会うた時はとてもとてもそんな心は、私には出ませんでした。この遭い難き御法にあわせて頂いた事さえ、よろこばなんだ私でした。その時、 「歓喜も約束でないぞや、懺悔も約束でないぞや、たとえ一声も南無阿弥陀仏と称うる者かならず間違わさんは弥陀の誓いであるぞや」 との御知らせを受けました。私は喜び心がないので、ざんげ感謝の心がないので、経堂へ参詣致しました。それを聞かせて頂いて、寒さも苦しさも総てを忘れて南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○また苦しさが追って来た。その苦しさを乗り越えると、やや楽にお念仏が続いた。百雷が一度に聞えたかの様に感じたとき、 「それそれ声が弥陀じゃぞや、弥陀が声と成ってお前を迎えに来た。あいに来た。連れに来た。弥陀直々の迎えでも物足らぬかや」 そのひびきを聞いて、天に躍って喜ばん、地に伏して喜ばん、この度弥陀の御誓に遇えることを 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  ややすると亦 「かような事があったで往生ではないぞや、往生は誓願の不思議、願力の不思議、弥陀の計らいであるぞや」 と。最早言葉もなく、強盛に念仏聞きつつ朝八時頃下山致しました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○これまでの十余年の念仏は、自分自身、決して自分が称えているとは思って居なかった。今にして思えば称える念仏で、如来様から称えさされていたのであったのに気が付かなかった。自分が称える念仏であった。永年の間称える事にこだわっていた。称えねばならぬ、念仏せねばならぬと、常に重荷を心に、仏をおんぶして居た。今は呼んでくださる(回向)仏の声であった。その後の念仏は、呼んでくださる声を聞きながら、ひたむきに仕事に精が出ました。私により添い給うひびきでありました。今いま聞えて下さいます。 南無阿弥陀仏

○お話は前後致しますが、これより何十年前十九才の時、念仏専修の決心をして、もう念仏以外の事に口を開くまいと、食事の時、小僧に仕事のこと全部命じておき、一語も言わず、仕事に精を出しました。時には、こんなに念仏せずとも、もっと年取って金を儲け、生活にも楽になって、念仏すればよいではないかと、思った事もあった。かような思いが出ると、その心を押えて一層はげんで念仏申しました。ある時、自分より後輩の奉公人が独立して、大金を儲けた。私に向かって「あんたそんなつまらん奉公いつまでもせず、早く一人立ちしてお金を儲けたら」と、すすめてくれましたので、私もその気になった。  その時頭の中で「お前には世に起つ思いまで預かった。南無阿弥陀仏一つに丸めるぞや」と。

○それ以来、人の出世も何のその、こんな貧乏暮しをして居りましても、本当に幸福な生活です。金儲けが目的でなかったので職場も変えず、そのまま一代職人で終りました。  ありし昔を思い出して、ここに書きました。 これまでふりかえり 昔を偲ぶ ペンのあと

○南無阿弥陀仏 この声を聞いていると、 〈お前に相談なしに、お前の南無阿弥陀仏に成ったぞや。いやでもあろうが、この度はこの弥陀にめんじて、助けさせてくれよ〉 と、阿弥陀様が、両手を仕えて、頭を下げて頼んで御座る御姿、御声が、今この口に現れ給う南無阿弥陀仏であります。そうすれば念仏するとか、せねばならぬと言う事に離れて、唯、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞くばかり。南無阿弥陀仏

○夢に  それ白痴底下の凡夫は、無明煩悩しげくして塵沙の如く遍満す。これによりて苦より苦に入り、闇より闇に入りて、出離その期を知らず。ここに西方の阿弥陀如来、かかる衆生の為に大願を起し、正覚の嘉号を十方に広め、あまねく一切の群類を、助けたまうが故に、いかなる罪業深き輩も、一念南無阿弥陀仏と聞くところに、たちどころに往生の業成就す。まことにもって、不思議の本願なり。かかる本願にもう遇いぬれば、報謝相続の称名、おのずからいさみあるべし。もし不審の輩らあいあらば、同行よりすすめて、正意にもとづかしめ、共に菩提の妙果を期せらるべきものなり。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○凡夫と呼びかけられ候ほどの仕合せは、三千大千世界に、またとありませんのに、えらくなりたくて、なりません。もし末代の聖者達と呼びかけられたら、何とするすべもありませんものを。 南無阿弥陀仏

○また三十二・三才のある日、大阪の下宿で、一日の仕事を終え、二階でお相続していましたら、いまだかつて、感じた事のない、尊い気持ちになり、御浄土の蓮台に座した時はかくやと、思われる様な気分がした。その時途端に、頭が割れる様な、百雷が一度に落ちる様な、何ともいい様のない、声とも響きとも判らぬ様な声で、「余計なことを思うな、念仏せよ」との感得を受けて、以後は、もう嬉しいとも、安心とも思わず、ただ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、口の動くばかり。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○ある夜の夢に、  それ悪人は悪人ながら念仏し、善人は善人ながら、念仏申しあい候こと、これ弥陀の本願なり。さりながら、悪を慎みおおて念仏申しおおて候わんに、弥陀のお喜び、いかばかりかこれにしかんや、さりとて悪を慎み得ぬは、往生いかがと疑うべからず、もとより弥陀の本願は、我等如きの、いたずら者をこそ、本とし給うが故なり。悲しきかなや、劫々の深き絆を。頼もしきかなや、念仏の恩の深きことを。 あなかしこ あなかしこ   ゆめゆめこの趣意を、あやまたず、この道にまどわす、専念にして速やかに弥陀の本懐を遂げ給うべし、と。南無阿弥陀仏

○これより先、二十二・三才の頃でした。  滋賀県のある師の永代経兼報恩講に参詣せんものと、二ヵ月休まず働いて、四日参詣致しました。夜九時まで働いて、十一時五十分頃下車、駅に着きました。駅から二十町余り、下駄を腰にくくり付けて、足袋のまま走って、十二時頃お寺に着きました。今晩は門前で夜を明かそうと、コンクリートの上に座し、念仏申していました。十一月中旬の伊吹おろしが身をさす、雪にぬれた足袋がコンクリートに着いて、冷たい、身にしむ。一匹の犬がほえたら、あちらからこちらから、十二・三匹の犬が牙を出して、私の身辺をうなり廻る。ああ恐ろしいと思いながら、目をつむって念仏す。その中から「犬がほえるのは当然の事や、それが務めや。こんな悪人が真夜中に、こんなことして」と念仏聞いていましたが、あまり静かで、何ともない。目を開けば、犬は私を輪になって頭をうなだれて、お念仏を聞いている。その姿がありがたく南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。その内一匹去り二匹さり、全部帰って行きました。   いよいよ寒くなり、雪が足からしみこんで何ともならぬ。初めの内は御開山様の事も偲べば屋根があると思って念仏。然し、それも初めだけ、二時三時頃の寒さは受けられぬ。畳一枚の恩、障子一枚の恵、ほそぼそながら身に徹しました。 南無阿弥陀仏 その時自然に御和讃が口に出た。  「無慚無愧のこの身にて まことの心はなけれども 弥陀の回向のみ名なれば 功徳は十方にみちたもう」 と、二回くり返し出ました。まことまことと念仏申していましたら、ギギーと門が開いた。「誰れじゃなあー」師のお声です。「私です」「松ちゃんやないかなー」「はい」「お前さんが詣ってくると思って、小門を一寸おせばよかったに」「夜中すみませんと思いまして、ここで念仏申して居りました」「そんな事したら死んでしまう早く早く」と奥様を起して「早くお茶を、かまど、薪木で体を温めよ」と、お茶を頂いて、師は畳一枚へり下り「深夜わざわざの御入来まことにありがとうございます」と「和上様そんな事仰せられましたら、私の身の置き場所がなくなります」と申し上げましたら「それは違う。寝ていたら夜具を取られ〈門を開け門をあけよ〉と声が聞えた」、と。和上様は南無阿弥陀仏 私も南無阿弥陀仏

○あるお方「法然上人御在住の時、〈紫雲たなびき異香漂えり〉と伝えられてあるが、それは本当でしょうか」とのお尋ねに  「私、その時生れて居りませんのでそんな事存じませぬ。それがもし本当でも、紫雲や香に助けられたのでなし、仏様の呼び声を、今南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞えて下さるほど、確かな尊い事は有りませんやないですか」

○私等は寝ている時、夢を見ると思うが、寝ている時は寝ている時の夢であり、起きている時は起きている時、夢を見ている。

○人を殺す様な御方でも、決して悪人とは思えない。皆一緒である。私もそれを持っている。ただ縁にふれなかっただけのこと。

○念仏聞いているままが、踊躍歓喜の姿であると言う事が判らぬ。南無阿弥陀仏、念仏称えつつ聞きつつ、照らしい出された自分の浅間しい姿のまま、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  それを念仏聞きもせず、このままの御助けやとは、投げやりやがなー。 南無阿弥陀仏

○念仏する御方には、聞けよと言わねばならぬ。即ち聞くまま、南無阿弥陀仏は親の呼び声と知らされる。 南無阿弥陀仏  念仏せぬ御方には、念仏せよと言わねばならぬ。念仏は親の声なれば、念仏のない処には仏の声はない。 南無阿弥陀仏

○東漸寺様「本典に『聞思して遅慮することなかれ』と、これをどう頂きなさるか」と。 「私、そんなむつかしい事存じませぬ」と。   その間、「聞」とはきく、「思」は聞いて味わうて受け入れること、もらうこと。聞くまま、もらっている。だから、おもんばかりなく、二の足ふまずに、だいたんに、ゆうゆうと、こいよと言う事では無いですか。南無阿弥陀仏

○東漸寺様「『汝一心にして直ちに来れ我能く汝を護らん』とは」と尋ねられて、 「間違っていましたら教えて下さい」と。 「これお前、お前はお前のまま、姿のまま念仏しておれよ。あとはわしが引き受けた。わしがここにおるぞ、お前を連れてゆくぞとゆう仏の声が、南無阿弥陀仏。『我能く汝を護らん』とゆうは、仏様が出向いて下された姿ではないでしょうか」   一心とは変わらぬ今の心のなり。これを向こうへ向けようとする。そうすると二心になる。  一般の人は、一心正念と仰せられるから、こちらから阿弥陀様の方へ向って行く様に思うが、そうではない。阿弥陀様がこちらへ向うて来て下さる。こちらから一心になって、出かけるなれば「我能汝を護らん」は、いらぬ事になる。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

○伊勢の広永へお詣りの時、母屋からはなれ座敷へ行く途中(中庭が随分広い)夜分の事とて、あたりに誰も居ないのに、突然声あり、確かに聞えたり。 「口に現れ給うお念仏、それそれ其の南無阿弥陀仏に、助けられて往生ぞや」 と。南無阿弥陀仏 声が空に聞えたり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○伊勢冶田の出口様への手紙    我が機は悪しきいたずら者と、少しは照らしい出されたとて、如来様が見抜いて下されたほどにも、悪いとも知らねば、お念仏様が尊いと、少しは身に知らされたとて、諸仏菩薩方が讃嘆あそばすほどにも尊いとも知らず、ただただ、こんな私の為にとて、南無阿弥陀仏に成りましまして、南無阿弥陀仏と呼びかけて、南無阿弥陀仏と、こんな口から、現れて下さる。その御念力、不思議なお力を仰ぐほか、そのすべさえ知りません。と申しましても感謝もなければ、懺悔もなく、ただただ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口の動くばかりで、まことにお恥ずかしゅう存じます。私の様な片輪者は、とてもの事に有難い信者には、なり得ませんで、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 人様の様に喜び得ませんで南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口にまかせて、仰せのもとに南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、聞かされています。見る影もない、西も東も弁えぬ、すねて、あまえて、無理言うて南無阿弥陀仏と、唯ないています。いいえいいえ、そのなく事すらなきかねますので、なかされています。このおろか者が、その内お宅までなかされに詣ります。母上様によろしくお伝え下さいませ。  「かならずかしこい人のまねはなさらぬ様願上げます」                  松並松五郎      南無阿弥陀仏  出口様

○説教聞くべからず   仏願の生起本末を聞くべし   弥陀の誓約を聞くべし  南無阿弥陀仏

○我々は、うかうか聞いていますが、称えるまま、聞いていますが、この一声の中に、阿弥陀様の生命、かぎりなき御体、生血がこもってありますでなー。

○ある日東漸寺様の仰せに  「世間の人はたえ難き困難や、悲痛にあいて、後生の一大事に気付き、法を求められたが、私は子供の時代より、経済的にも健康にも恵まれ、何の困難にもあわず、肉親にも死別した悲哀にもあわなかった。もっとも父は私の二十一才の時五十一才で亡くなりましたが、生来の虚弱で、父往生の時、和上様は『あなたのお父上はお念仏がなかったら、とても今日まで生きられる体でなかった。全くお念仏のお陰であったから、悲しむ事はない』と告げられたので、私はあまり悲しまなかった。また弟が、長年の病気で三十三才で亡くなった。大学中でも常に吐血したから、死亡の時は肺の片方全部と、もう片方が三分の一もやられて、腎臓も片方が全く結核にやられて、ほんとうに手の施し様もなかったので、これは定命とあきらめていたので、母も一度もああしてやればよかったとの愚痴は、終生こぼさなかった。十分養生してやったから、いたし方がないと、諦めたかの様に。私は仕合せずくめで、今日まで生かされてきたから、世間並みの人々の如く、後生の一大事は、全く気にもかけなかった」。それで 「こんな事ではよいのか」と、尋ねられました。  そこで「御院住様そんな事どうでもよろしいやないですか。我々は、後生一大事と思ったとて、それは五十年、六十年のことですが、それも合間に思い出すことですがな。〈お阿弥陀様〉は、久遠劫の昔より、私の後生の一大事を、み心にかけさせられて、すでに〈南無阿弥陀仏〉に成り給うたではありませぬか。もう〈南無阿弥陀仏〉の中に、私の後生の一大事は、すでに成就し上げてありますがなー。今さら何を言いなさる。おそすぎますがなー。〈お阿弥陀様〉が私の後生一大事でありましたのやがなー。南無阿弥陀仏 それそれ呼んでござるがなー。聞えますがなー。南無阿弥陀仏」。  御院住様は永年の疑問がはれ、共に 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏 往生一定らしき影もささず、往生不定らしきものも見えず、ただ日々、新しき南無阿弥陀仏と聞え、今々念々新しく 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○東漸寺様の仰せに「あなた、御礼報謝のお念仏とゆう事を、如何に味わられる」かと  お正月の晴れ着を、子は親に頼みもせんのに、親は子供に着せてやりたい、着てもらいたいと、念願を建てて、まい晩「夜仕事をする」。其の時の苦労は苦にならぬ。楽しさで一ぱいである。着類全部出来上がった。お正月が来た。親は子供に「お正月が来たよ。早く赤いおべべを着てくれ」と頼む。子供は両手を左右に手をのばす。親は下着袖の長い着物、足袋を履かせ、晴着を着せる。子供はつ立っておればよい。前を合わせ、下帯を締めて帯を結ぶ。親は子供にお礼を言えとはいわぬ、思わぬ。着てもらっただけで満足する。それをこんな「べべはいらん」と、子供が着なかったら、楽しみにしていた事が水の「アワ」になる。悲しみとなる。子供は、その晴着を隣のおばさんに、両手を上げて、こんな「べべ」見てと、自慢らしく見せる、見せている。その後姿を母が見て、子供が喜んでいる喜びより、母の喜びはそれ以上のものである、喜びである。  阿弥陀仏様が、私一人の為に、成就して回向さった南無阿弥陀仏を、仰ぎ聞く。聞きつつ仰げば、御阿弥陀仏は、いと満足に御思召し給う。そのままが御礼報謝にそなわる。南無阿弥陀仏この念仏が、十方世界にひびき流れる、流れてゆく。乗せられて汽車は走っていく。煙りであります。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○親の写真を見る。それもよいでしょう。生きてござる親の声を聞く方が余計に親しい。

○親は子に代って 長劫の苦を忍受  六字の名声に成りて 満足す  あたえて摂取す 慈悲の親心  導き給う聖人のみ跡 慕いて往く  称え果てて聞く 波風の立つにつけても  我心狂えど   ゆるがぬは白道の信  誓約の船中に  乗身の安さ

○あるお方の仰せに  「この頃の様に、物価が高くなっては、やりきれん」と。  あなたは槍の使い方を、間違っていませんか。槍はきるものではなく、やり通すものです、ものではないでしょうか。  私等も、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、聞き徹すのでは、ありませんか。

○ある師の御縁に詣らせて頂きました。幾十年も、村田和上の御縁に、御育てを聞きながら、和上のみ心にふれ得ざる姿を見せて頂いて、聞き得る事の如何に難い、聞き得難き事を、つくづく味わさせて頂きました。風呂には入っても、寝ながらも、どうしてその様になるのだろうと、二日離れませんでした。ある夕方風呂の中で「アアーと自然に出て、南無阿弥陀仏。  「それに付けても、宗祖様は、本典総序の御文に、『噫弘誓の強縁は』の御文に、〈かたし〉と言う文字は、どんな文字が書いてありますか」と東漸寺様にお尋ね致しました。東漸寺様は「何でそんな事を聞くのですか」と仰せられましたので、前文の通りを、お話して(東漸寺様はその師を御存知でしたので)、続いてお尋ね致しました。「箱根の難所と言いました。箱根の山は越え難いが越そうと思えば越えられると言う字の意でしょう。大昔でも越えれたのですもの。しかし〈この道通る、入るべからず〉と、書いてあったら、絶対に通る事、入る事は出来ないでしょう。だから本典の「かたし」は「不可」を表す意であると思います。即ち、この念仏の御法は、今遇わずば、もう絶対に遇う事は出来ない。今をはずして絶対にあえない、入れないとのお心ではないでしょうか」と、お尋ね致しました。仰せに「そのカタシは、確かに難の字でない、『?』の字であると申されました」。その時はそのままで終わりました。     次の御縁に参詣致しました。東漸寺様は「先日は有難う」と、申されました。私は何の事やら判りませんでした。東漸寺様は 「私は先月まで、この二字の使い分は全く知らなかったのです。早速山辺習学、赤沼智善元大谷大学教授著の〈教行信証講義〉を開いて調べたが、同書には同じ意義に用いてあった。次に所蔵の〈真宗叢書〉をひもどき、所蔵の講義本、西本願寺派の各講義本を調べたら、別に問題としていない。「難」と「?」を同じ意義に解してあった。不審のまま十九日となる。夕方それが気にかかり、〈真宗大系〉東本願寺派の各講本を調べたところ、 香月院深励師とゆう大学者の講録を見て、初めて二字の意の相違を知った。即ち難は、難易に刻する字、?は不可をあらわす字。義意を知って私は驚喜した」。  その事を御話承り、共にお念仏にあえる仕合せを喜び、念仏相続致しました。「後日、〈真宗全書〉西派石泉僧叡師も、この二字の相違を述べる。親鸞聖人の、一語もゆるがせにし給わざる用字の周到なることには、感佩の外はなかった」と。 南無阿弥陀仏

○数人が闇夜を行くのに、各人が提灯を持つ必要はない。先頭に立った一人が、明るい提灯を持っていれば、後の人はそれについて行けばよい。私どもは、めいめいが、やれ信心や、やれ安心やと、各人が提灯持たずとも、先頭に立って下された宗祖聖人が、明るい提灯を持って、かざして下されるから、私どもは、聖人のみ跡に続けばよい。続くとは総てをさしおいて、ただ仰せのまま南無阿弥陀仏。深いか浅いか、聖人様は渡って見せて下された。  「かならず助ける」これが仏心。仏心はまこと心。まこと心が南無阿弥陀仏。  阿弥陀様が声の仏に成りきって下された。

○岐阜の永田様は、其師に導かれ、念仏のお方ですが、こんな心で、こんな念仏ではと、二十年余り苦しんでござる。見るに見かねて、大垣の後藤さんが、十四日、東漸寺様の御縁に参詣された。東漸寺様は専心に、その方一人の為に御法話なさるも受けず。(その時は、私は参詣致しませんでした。)やむなく二十二日の羽田さん宅の御縁に再会となりましたそうな。二十二日に、羽田様宅に永田様御来縁なされた。午前中、東漸寺様は、一向に御法話なさるも受けつけず。午前の御縁終る。午後からの御縁に、東漸寺様が私に「御願致します」と、申されましたが、貴方様でさえ受けつけぬお方に、私如き者がと申し上げましたが、聞き入れては下さらず、やむなくそれではと申しまして、別室で二人きりで、お相続致しました。三時の休憩時まで、三時の休憩時に、東漸寺様が別室にお越しになり、永田さんの姿を見て驚きなさった。永田様は「御院主様有難うございます。今日まではお詣りして家に帰りますと、夕食の用意が出来てない嫁に、何をして居たか不足ばかり言うて来ましたが、今日帰ったら、嫁に御礼申します。留守番してくれる御蔭で有難い御縁にあわせて頂いた」と。東漸寺様は「それでこそお念仏が、家の中までお念仏が流れます。有難うございます」と。永田様に御礼申されました。  永田さんが帰られてから、私に「何と申されましたか」と、尋ねられましたので、「二時半頃まで御相続致しまして、永田さんの、お念仏申してござる口を押えて『念仏して助かるのではない。その念仏は助けられた跡やがなー』と、これだけ。後半時間お念仏。『あなたの口から現れ給う南無阿弥陀仏こそ、あなたを助けて下さる〈活きた仏〉です』と。あとは南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、この声だけでした」と。   東漸寺様は「太陽はものを育てる光があるが、月は太陽の反映したもの。月では育てられない」と。南無阿弥陀仏

○進むも喜ばん   正行増進の故に  怠るも亦喜ばん  正因円満の故に

○ある人「そんなに念仏ばかり申さずにお経様でも読まれたらどうですか」  はいはい 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  一切経読みづめです 南無阿弥陀仏

○現世利益は、子供にオモチャを持たせた様なもの。魚を釣る餌の様なものである。宗祖様は、御利益目当ての念仏ではない。念仏聞くまま、現世の御利益は勝手に付いて来る。仏様の活きた声が聞える上は、そんな事はどうでもよいのやけれど 南無阿弥陀仏

○長所は短所。好きな物はつい食べすぎて胃腸をこわす。嫌いな物は食べすぎる事はない。お念仏は滅多に食べすぎはない。なぜなれば我々は、お念仏は嫌やから。然し食べすぎてもお腹をこわさない。妙薬なるが故に。だからしぶしぶ飲まされています。

○世間の人は、思う様にならぬならぬと、愚痴をこぼしている。こんな者に、思う様になれば五欲は深まるばかり。お阿弥陀様はそんな願いは聞いては下さらぬ。念仏にはまって生活すれば、させて頂くと、人生は思う様になる。思う様にならぬ事があっても、お慈悲に帰ると消えてしまう。親が子に、そんな映画見てはならぬと止めると、子供は不足に思うが、見せて悪いから。子が親の心に帰れば、子が思う様にならぬは、子供を思う親のお慈悲である。良薬は口ににがい。

○私は一代、思う様にならなかった事は一度も無い。皆々様もそうでしょう。思う様にならないまま、思う様になっていますのやがな。

○老人曰く「私は今度の一大事の後生は間違いない、お浄土まいりは」と。  それは、貴方が思うのなら何にもならぬ。阿弥陀様が〈この南無阿弥陀仏であなたの往生は間違いない〉と信じておられる。その影があなたの心にとどいて念仏となる。  「信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり」と。 南無阿弥陀仏

○まことの信者は   まことの凡夫であります

○お櫃のご飯は、だれだれのと言う区別はない。家内中のご飯である。私の茶わんに入ったご飯は、私のご飯である。私の口から現れて下されるお念仏は、私自身への名指しの呼び声であります。 南無阿弥陀仏

○深きは浅きなり。母が「一寸おいで」と命じた時、何で呼んだのかと、訳を考えてみる事は、結局深いのでなく浅いのである。「来い」と命ぜられたら「ハイ」と立ち上がるのが、浅きは深きなり。「念仏せよ」との仰せなれば、南無阿弥陀仏と実行するのが深きなり。   聞くとは 用なり 随うなり 南無阿弥陀仏

○「今の姿、今の心のまま、必ず間違わさぬ」と仰せられるので南無阿弥陀仏。しかし罪の持ち高を減らしては、南無阿弥陀仏にすまぬから、持ったら持ったまま、あればあるまま。

○「東京行き東京行き」と呼ぶ声に応じて、乗り込めば東京に着く。この電車はどうして東京へ着くのか、動くのかと、その講釈聞かねば、知れなければ、乗らぬと言うたら、私等は何時までかかっても、東京へは行けぬ。聞きたければ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、乗ってから聞くがよい。講釈聞き終わらぬ内に、東京に着く。わからなくても、東京に着けば聞いた事になる。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と乗ればよい。南無阿弥陀仏 知れなくても、東京に着けば知った事になる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏の理を尽くすは仏様の智で、五劫永劫の修行の結晶「命」「身」「あせ」「あぶら」のこもった南無阿弥陀仏。私等如き者の及びもつかぬ事。たとえひと度南無阿弥陀仏と頂き聞けば、その人は実によく聞いた人と仰せられてあります。知りたくば南無阿弥陀仏に聞けばよい。 南無阿弥陀仏

○富山の山本宅へ詣りました折り、山本さんが「佐渡から真言宗のお寺さんが、二ヵ月に一回、私宅でお泊りの節、何やと承り有難いお方で、回数を重ねまして、兄弟の様になり、親しくなりました。お話の折、京都の本山へ参詣致しますとの事でしたので、私〈京都まで行きなさるのなら、一寸足をのばして、大和に私の友達で松並さんが居られますで、一度立ち寄っては如何ですか〉と申しましたら、一度お世話になりますとの事でしたので、住所を知らせました。もし見えましたら、泊めてあげて下さい」との事でした。  いやとは言えず、ハイと大和へ帰りました。その後大阪で働いて居ましたら、佐渡からお人が見えましたと電話があり、その方と思って急いで帰りました。夫婦連れでしたが、一見して旅がらすでした。びっくり致しましたが、そんな顔もせず、お話を承っていました。夕食時、お酒がすきだなと思って、召し上がって頂きました。梅雨時の事とて、衣類を全部着替えて頂き、三日お泊りでした。その晩「あす朝食後、帰らせて頂きます」と申されましたので、その晩、あり金五百円用意しておきました。食後のお話に「今から佐渡へ帰るのに一ヵ月はかかります。三千円入用ゆえ、この村で働いて、スーっと佐渡まで帰りたいので、この村で働かせて頂く所はありませんか」との事でした。  「私は費用の助けにと、ある金五百円包んで用意してありますが、二千五百円友達から借りて来ますから、私の言う事聞いて下さいますか」「聞きます」「一寸お待ち下さい」と借りに行きましたら「兄ちゃん、またお金あげるの」「昔の借金渡すのや」と笑い乍ら、五百円の包みと二千五百円前において「長々有難うございますが、一寸お尋ね致します。あなたお隣へ、これ一つおあがり下さいと物を持って行った時、先方様が頂けませんと言われた時、あなた何としますか」「まずい物ですがめし上がって下さいと申します」「それでも頂けません申されたら」「仕方がありません、持って帰ります」「そうでしょう。三日もお話承りましたが一口も頂くわけには参りません。お持ち帰り下さい」「ええどうしてですか」「山本さんから結構なお方と承りましたが、あなた、一宿一飯の旅がらすや、やくざ者やと。でないと申されるなら、シッポを引き出しましょうか。弘法大師が二十年諸国を巡りなさった。私はあと十年と申されましたが、十年巡りなさっても何の役にも立ちません。もしあなたの目に有難いお方やと思ったら、あなたと同じ旅がらすや。低い処から高い処からは見えぬ。万人に一人でも、この方は何を言うてなさるやら分からんと、思うお方に出会ったら、あなたより上なお方や。顔の二つや三つなぐられても、そのお方にお育て蒙りなさいな。あなた真宗でしょう元は」「其の通り、病気なおしてもらって真言宗になった」「南無阿弥陀仏に、どこに不足あって、変わりなさった。寿命があったから治ったのでしょ。元祖上人ほど学問しなさったか。宗祖聖人ほど学問しなさったか。なぜ易行を捨てて、聖道の山坂を歩きなさる。あなたの心の中にえがいた弘法大師が、本当の弘法大師のお姿でありましたら、私から御ことわり申し上げます。真言宗をけなすのでない。真宗の僧侶なるが故に申すのです。〈死なぬ〉〈無量に生かされてゆく〉南無阿弥陀仏をなぜ捨てた。この奥様も、北海道へ渡り、帰りに青森のお寺(真宗)で宿をかりて、その娘さんをだまして佐渡へ連れ帰ったのでしょう」「その通りです」「三千円上げますので、無駄口言わず、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で佐渡まで帰りなさいや。宗祖様の御心に帰れば〈仏〉の御心に帰った事になる。座ってかく〈はぢ〉を、海山越えて大和まで来て〈はぢ〉をかく必要はない。佐渡でさらせばよい。念仏もろ共帰りますね」「はい帰ります」と。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  その後一ヵ月ほどすぎて、手紙を頂きました。文面には、 「帰りまして家内が『離縁』をと申します。『なぜか』と申しましたら、十年国々を廻って歩きましたが、大和のお方ほどの人に会えなんだ。骨身にしみました。国で念仏して果てる覚悟が出来ました。『ひまをくれ』と申します。私も家内に逃げられては世間にも顔出しも出来ず、『ひまはやらぬ』と申しても聞き入れない。『それでは荷物はやらぬ。ヂバンとオコシで帰れ』と申したら、『有難く頂きます』と、国へ帰りました。一人暮らしも出来ず、嫁を世話してほしい」と。 「それそれ〈シッポ〉が出たでしょう旅がらす。勝手にせよ」と返信。  それから一年後の梅雨に、私宅へ来なさった日、大和へ奥様がお越しになり、三日間お育て頂きました。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 その後毎年梅雨に、三日間見えまして、お育て蒙りました。五年つづきました。南無阿弥陀仏  私は「大和まで来る必要はない。青森でお念仏の柱一本立てなさい。私は大和で一本。お念仏の中で会うていますもの」「それなれば、お言葉を頂きまして、今年を以てお別れ致します。毎年梅雨になれば思い出して南無阿弥陀仏。あなた様もまた南無阿弥陀仏」と申されましたので、「奥様、思い出す様なら、ほれようがうすい。思い出さずに忘れずに、南無阿弥陀仏」    遠くはなれて 切れさえせねば   のびてたのしむ たこの糸 南無阿弥陀仏

○十方諸仏がお守り下さる事も有難いが、御縁のないお方に、お育て蒙る事は有難い。

○称える口をあてにせず、現れ給うお念仏の名徳を仰ぐ。徳とはこんな私が救われる妙法なるが故に、ただただ 南無阿弥陀仏。

○世の中は、人間一人前になったとは、金持ちに成った事と思っている。それもそうでしょうが、南無阿弥陀仏に遇わせて頂いた事が、何よりの喜びである。 南無阿弥陀仏

○「宇宙全体が南無阿弥陀仏なれば、そんなに念仏せずともよい。南無阿弥陀仏の中にいる」とある同行様が言いなさる。  空気の中に居るから呼吸せずともよいと言えば、死んでしまいます。空気に吸われて生かされています。それも、吸わねば死ぬと思うて、吸うているのではない。勝手に吸うて、勝手に出て、生かされています。それも、こんな大切な物がただですがな。  念仏申しましょうと、思う思いも、念わされる念い。耳から聞いて、勝手に出る。口から出て耳に聞く。いずれも自然ですがなー。  魚は水にのまれて生かされています、と。

○橋の上から、溺れている者に、橋の上から、助けてやるぞと呼んでくれても、溺れている者は助からない。子供の助かる道はただ一つ。溺れている水の中へ、親が飛び込んで、子供の体を、衿を掴んで、体をだきしめて助けるよりほかに、方法はない。そのつかまれた、だきしめられた姿が、今、南無阿弥陀仏と、聞えて来る。南無阿弥陀仏の、活きた仏の声が、南無阿弥陀仏であります。

○ある同行のお言葉に「五劫の御思案と言うは、病気の診断に、五劫もかかったなれば、今死ぬ病人に間に合わぬでないか」と云いなさるが、この世の医者は、病名が判らぬから長い間かかって診察する。仏の御思案は、私の病名が判らんからでない。判って居ながら御思案なし下された。即ち死んで居る私を、生きかえさんが為に、五劫の御思案となった。逆謗の死骸が、生き返った姿が、南無阿弥陀仏と、死体に阿弥陀様が、私の息、命に成り切って下されました。  念仏は、信心頂く為に、用意に称えるのでなく、仏様の真実が、南無阿弥陀仏と成り給うと聞いて、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。  「信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり」。南無阿弥陀仏と頂くばかり、聞くばかり。

○岐阜のお同行様が「お金を大切にする者は金にめぐまれ、家を大切にするお方は家にめぐまれる」と。 お聞かせ有難うございます。「南無阿弥陀仏を頂けば、南無阿弥陀仏に成る」と。    「そんな有難い南無阿弥陀仏、会社の女工さん方に、皆々称える様にさせ難い」と。  「まずあなたが頂かねば、念仏は流れませぬ。人はさておいて、あなたから」

○岐阜のお同行様は、永年念仏申しながら、こんな事ではと苦しんで、遂に御縁あって「念仏して助けられるのでない。助けられて念仏、南無阿弥陀仏と聞くばかり。親に抱かれた念仏、親の呼び声」と気付かされなされた。これまでは念仏にかじりついて居たが、今は南無阿弥陀仏が、あなたに抱きついて下されたのですがなー。

○五濁の中にあって、五濁のまま乗せられてゆく船であったら、ただ南無阿弥陀仏。

○元祖上人様「南無阿弥陀仏と申せば疑いなく往生するぞ」と仰せられる。  南無阿弥陀仏  宗祖聖人様「信心一つにかぎれり」と仰せられる。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  中祖上人様は「弥陀をタノメ」と仰せられる。「ヨリカカリ、ヨリタノム」「後生は弥陀がタノマレテヤルゾ」の御心。 南無阿弥陀仏   元祖上人 宗祖聖人 中祖上人の御三方。  「称うるばかりでお助け」と「信じさせられた心のありたけが」「後生助けたまえ」と頂く。  信心とは仏心、仏心これ南無阿弥陀仏。

○二人の息子が、一人は傘屋、一人は草履屋。母親は雨降れば泣き、お天気なれば泣く。これでは一代、泣き暮しをせねばならぬ。お天気になれば、草履屋の息子を喜び、雨降れば、傘屋の息子を喜ぶとなれば、何時でも喜べる。  子供は雨降れば雨と遊び、雪降れば雪を楽しむ。日々の風にゆられ、日々の波にまかせて、南無阿弥陀仏、これ好日。

○お念仏のお友達の家へ。  「神道の先生が、毎月三回ほど家に来て〈一度詣れ詣れ〉と三年以上みえます。若い者は何ともならず、お詣り致します。私はことわり通して来ましたが、ことわりの仕様がなくなりました。何としたらよいでしょうか」と。 「それも結構でしょうが、それなら私の言う通りに申しなさい。今度見えましたら〈私詣らせて頂きますで、まず私詣らせて頂いて、念仏庵へ一度お詣り下さい。そうして頂けましたら、私も詣らせて頂きます〉と」。  その翌日お友達が見えまして「その通りに申し上げましたら、先生が〈次の御縁日にお詣り致します〉と申されましたから〈二人で詣ります〉と、約束致しました」と。  次の御縁日に、先生と二人で九時頃お越し下さいました。ただ念仏、三時にお帰りになりました。次の御縁にお友達がお詣りでしたので「何か申されましたか」と尋ねましたら、道すがら先生は「大したお方ですねー。私等如き者、とてもとても及ばぬお方。これをもって、絶対お詣りせよと申しません。こんな草深い田舎で住むお方でない。あなたのお陰でよきお方に、お会い出来ました。厚く厚くお礼申し上げます。よろしくお伝え下さいませ」との事でした、と。  ただ念仏聞いていただけにと、皆々大笑い南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏 窓腰により添いながらこの声を聞いていたら「お前に相談もせず、お前の助かる南無阿弥陀仏に成ったぞや、いやでもあろうがこの度だけは、この弥陀にめんじて、助けさせてくれよ」と、阿弥陀様がこんな私に、両手をついて、頭を下げて頼んでござる御姿御声が、今この口に現れ給う南無阿弥陀仏であります。そうすると、念仏するとかせねばならぬと言う事に離れて、南無阿弥陀仏と聞くばかり。念仏するまま、させられているままが聞いている。 「註」真宗の教えである大経の念仏、即ち聞名の念仏である。

○ある念仏者、大和へお越し下さいまして「私の信心はこれでよろしいか」と。私にご苦労なし下さった事は、お聞かせ頂いていますが、私が永の修行した覚えはない。それでよいやら存じません。これでよいのかと念を押すのは、あなたが押すのでない。仏様が私に「念を押」してござる。それが証拠に重誓偈に「重ねて念を押してある」。阿弥陀様が「念を押して」ござったら、あなたがあらためて念を押す必要はないではありませんか。

○天皇陛下は、常に御座る処が宮城。行幸のみぎりの御宿は、お泊りなされた処が安在所。安在所は宮城ではない。  南無阿弥陀仏の声のする処には、仏様はござるが、浄土ではない、穢土でもない。南無阿弥陀仏の声の聞える身には来てござる。現生正定聚の身にさせて頂いています。次の部屋に在せられています。それなればこそ南無阿弥陀仏と聞えます。

○大垣にて立派な器を買いました。思うに、料理屋のご馳走も立派、器も立派。私は器は立派でも、中のご馳走は有り合わせのまずい物ばかり。立派な南無阿弥陀仏の中に、器に、まずい私が入れて頂いています。

○私宅のお念仏の日に、三重県員弁郡の「師」、御来縁下さいました。後で「ぜんさい」を馳走致しました。後日御礼状に「思い出しますぜんざいの味」とありました。それを拝見致すと同時に、頭に「ピーン」とひびきましたまま返信しました。    先日は御礼状いたみ入ります。文面に「思い出しますぜんざいの味」とありましたが、一言入れて「今に思い出しますぜんざいの味」と頂けば、数日前のぜんざいの味が今も生きている事になります、頂けます。  「弥陀成仏のこのかたは 今に十劫をへたまえり」とあるからは、十劫の昔の御苦労が、今現にふりかかっています。死んでいません。今現に活きていますと頂けます。  何にも知らぬ身が意見がましく、失礼致します。

○この御縁に遇うという事は、乞食が百億長者になったよりまだまだえらい事や。この仕合せを得させて頂いた事を、それほどにも喜べぬ。これはどうした事かと思いながら寝た。その夜の夢に「その日その日の風まかせ」と夢がさめた。こんな者が嬉しいと思ったとて、思わなくても、何にもならぬ。一切かかり合いのない事。仏に受け取られたもの。  南無阿弥陀仏は私一人のもの。私のものならいつでもどこでも 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。

○ 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
名から 声から 口元までも
私に目鼻を付けたような
所作までよく似て 瓜一つ
ほんにまあ ほんにまあ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
ほんにまあ ほんにまあ
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
聞くに 聞くほど 南無阿弥陀仏

○長命は法の宝と言うが、それは南無阿弥陀仏に遇わせて頂いた人のこと。御法にあわずして、長生きしたとて、それは国のごくつぶしにすぎない。

○二つのものが、一つになったものと、一つのものが、二つになったものとがある。

○五欲ーー財欲・色欲・食欲・名誉欲・睡眠欲ーーそのままが極楽の次の間である。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 声が聞えてくる。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、会いに来て下さる。

○判らぬ学問して、頭で裁くから、話に止まってしまう。頂き方が浅い。親の慈悲、親心は頭で裁くものでない。受け入れるもの、頂くべきもの、随うべきものであります。

○終戦後、十余年の事、大阪で働いていました時、頭がボーッとなって「愚禿」と心頭に浮かんだ。裁断機で仕事しながら、念仏聞きながら、「愚」はおろか、「禿」とはかむろ、それが判りませんので南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞きながら、仕事しながら、亦ひびいた。「毛髪の五六分のびた、いが栗頭やがな」と浮かんだ。またいが栗頭と「禿」とどういう関係があるのやなーと思いながら、念仏聞いていたら「ハハー昔、出家は丸坊主、武士も町人百姓までマゲを結うていたが、罪人はいが栗頭であった。そうすれば「愚」はおろか「禿」は罪人と、ひびいた。宗祖様は「愚かな罪人」と下って、下った御方であった。罪人なれば、人より偉いと、人様を見下げる事もなかったでしょうに、私は「めくら」の「いざり」。耳なしの私が偉がりたくて、上がりたくて、上がりたくて何ともならぬ。私のこんな口から聞えて下さる、この南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と、呼んで下さるとは南無阿弥陀仏。

○手にふれば すぐ角かくす かたつむり    ふれば角だす はずかしの我

○下々の下の 下々の下の下に 南無阿弥陀仏

○三重県丹生川のお方がお越し下さいまして、「自然」というお話から、戦争の話が出ました。その方も行かれたそうです。 「私に当たる弾は絶対に人に当たらぬ。亦人に当たる弾は絶対に私に当たらぬ。出征見送りの際、がんばれよと言うより自然にまかせよと言うのが本当やと思う。〈死んで帰る〉と言うも自分の思い、〈生きて帰る〉と言うのも自分の計らい、ただ隊長の命令のまま動いておればよい」と申しましたら、その方「あなたその様に申されますが、私は鉄かぶとをぬいだが為に弾があたらなかった事がありますがこれは如何ですが」と。 「それが自然ですがな、心が取りたいと思ったら取り、取りたくなかったら取らんのが自然でしょう。もしあなたが鉄かぶとを取ったが為に、弾が当たったらどう思いますか」 「取らなかったらよかったと思います」 「それが不自然ですがな、自然にまかすとは心が取りたいと思えば取り、取りたくなかったら取らず、これが自然ですがな。然し、自然とは、結果が善と出ても、悪と出ても、その結果にこだわらぬを自然と言う。心が鉄かぶとを取ろうと思って取ったら弾が当たった時、取らなかったらよかったと思う。それが不自然でしょう。御開山様は〈ただ念仏して〉と申されしは、地獄とも極楽とも結果を見てござらぬ。〈たとえ法然上人にだまされて、地獄へ落ちたりとも、さらに後悔すべからず候〉と仰せられ、師の仰せをそのままお受けなされた御姿です。それかとて、聖人様はあやふやかと言うに、そうではない。結果を見る必要のないほど確かなこと。〈弥陀の本願まことにおわしまさば〉と仰せられてある。  釈尊がこの世にお出世なくば、弥陀の御本願は聞けないものを、釈尊をあとにして阿弥陀様を先に言うてござる。お阿弥陀様が御座っての釈尊ですもの。釈尊です。それから七高僧を御出まし頂かれて……〈この上は、念仏を信じ奉らんとも、また捨てんとも、面々の御計なり〉とは、ふり捨てなされた御言葉ではない。これよりないぞこれよりないぞよとの心強い、やる瀬ない〈大丈夫、私の後から、大手をふってついて来てくれ〉との御心ではありませんでしょうか」南無阿弥陀仏。

○一本の柿の木に育っても、花のままで散るのもあれば、小さいまま落ちるのも、渋の残るのもある。うれて人の口に入った柿が、柿ではないでしょうか。 南無阿弥陀仏

○地獄と極楽の 道一つに寝たり 起きたり

○宗祖は、悪を廃してと申されず、悪を転じて徳となすと申されました。南無阿弥陀仏

○宗祖は、念仏して地獄へ落ちるとも、また極楽へまいるとも、さだむべからずと申された。

○「御慈悲を喜べ」というが、(普通で言う)仏の御慈悲では助からぬ。お慈悲で助かるのなら、諸仏に助けられている。それに迷うているのは(迷って来たのは)、親が子を可愛いと思うだけでは「子供の病気は治らない」。親の慈悲が働きとなる。「医者を呼び病名をしらべ、薬をのませて病気を治す」。その薬を今は慈悲という。阿弥陀様は、薬であり医者である。「助からぬ者」と診察して、南無阿弥陀仏(薬)に救われる。「医者であり薬である」名体不二の南無阿弥陀仏なれば、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏の薬に成り切り給うた。多くのお方は、阿弥陀様と南無阿弥陀仏と、二つにしている、別々にしている。すぐ薬をのめばよいのに、いやと言うてなかなか飲まぬ。それを親は、無理に口を開けて、薬を飲ませて病気を治す。その、薬を飲まされている姿が念仏称えさされている、聞いている、呼んでくだされている姿であります。それを歌に 「無理な願に頼まれて 計らいはなれて随うばかり 憑む心も南無阿弥陀仏」 とあります。  重ねて申しますが、この世の医者は、薬と医者と二つある。医者は病名を知るだけで、病気は薬が治す。二つある。南無阿弥陀仏は、阿弥陀様の医者と妙薬と、一つに成った。医者が南無阿弥陀仏とゆう妙薬に成った。一つであります。    「いつも六字と 二人が一人 南無阿弥陀仏」

○東漸寺様「略典の初めに〈万行円備の嘉号は障りを消し疑を除く〉とある。これをどう頂きなさるか」と。   人々は聞きながら、念仏もせずに、疑い晴れよう疑い晴れようとしても、疑の晴れる薬を飲まないから、何時までたっても「疑」晴れぬ。

○大抵のお方は、信心と念仏とが別々になっている。身も心もお阿弥陀様のもの。この口借してやるのでない。「その口借してくれよ」と頼んでござる。身口意の三業は皆々仏様の所有物なれど、私等は自分のものと思うているから「借してくれよ」と頼んでござるで、憑まれてやるだけ。

○仏様の邪魔をせぬ事とは、聞く事である。聞く事とは念仏申す事。仏様の御出入りのさまたげをせぬこと。 南無阿弥陀仏

○子供が夢中になって遊んで居る時は、親を忘れている。遊びあくと、お母ちゃんとさけんで帰ってくる。それは、子供が親を忘れていても、親は子に憶念している現れである。  煩悩の林の中で夢中に遊んでいる。でも仏様はいつも憶念しずめである。南無阿弥陀仏 それそれ三昧のしるしです。念仏三昧のしるしです。南無阿弥陀仏

○ある人、大阪の西も東も分からぬ者が、分かった人につれられて、無事に大和へ帰って来た、と。   南無阿弥陀仏

○この声聞く以外は、皆おまけですがなー。

○阿保ーにならされた人は結局かしこくならされた人。かしこくなった人は結局阿保ーになった人。

○こちらから阿弥陀様の方へ、向かって行く様に思っているが、そうでない。阿弥陀さんが私に向かって来て下された南無阿弥陀仏。

○悪いやつじゃと、思わしてもらう事がざんげと思っているが、念仏聞くままがざんげである。悪いやつと思ったから悪いやつであったのでもない。思うも思わざるも元々悪いやつである。こんな者のざんげは何になる。人々は念仏以外にざんげもあり、歓喜もある様に思っている。ざんげしたすぐ後からまた怒っている。

○得易くして得難きは他力の大信、まもり難くしてまもり易きは信の上の努めなり、とある。我々の努めはお念仏の邪魔をせぬこと。

○ああもせねばならぬ、こうもせねばならぬは、お念仏の中から出てくる。お念仏はなれて、ああもせねばならぬ、こうもせねばならぬと、私がする様に思うからむつかしくなる。念仏にさせられるのである。南無阿弥陀仏

○常に聞くとは 常に称うること

○世の中に、けがれた物は一つもない。私の心である、私の心ほどきたない物はない。そのよごれた心は、お念仏に照らしい出されて初めて知らされる。宗祖様は「無慚愧愧のこの身にて」と、仰せられたのは、この機に徹せられた姿であり、「親鸞一人が為なりけり」と、仰せられた姿こそ、共に念仏に照らしい出されたお姿でありましょう。 南無阿弥陀仏   見えぬ処まで見抜かれて、照らしい出され給いし姿こそ「地獄は一定住家ぞかし」と。然し其の時は、すでに光が入っている。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○何にも分からぬ二三才の子供のいたずらは、他人が見ても可愛らしい。十五六才にもなって、程度のすぎた悪い事は親でも腹が立つ。まして他人においてをや。

○つながっている一如の世界である。そのつながった世界に身はありながら〈俺が俺が〉ときりはなす。この心、親は子あってよし、子は親あってよし、孫ありてよし、親あって愛される夫妻が出来たのである。皆々がよりよく集まって、善き家となり、善き国となる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○元祖上人は「この度、迷いをはなれんと思わば聖道浄土の二門のうち、まず聖道門をすてて浄土門に入るべし。浄土門に入らば、正雑二行のうち、雑行を捨てて、正行に入るべし。正行に入らば、前三後一の助業をかたわらにして、正定の業を専らにすべし。正定の業を専らにすというは、これ仏名を称うるなり。名を称うれば定んで往生す。彼の仏の本願によるが故に」と。  宗祖様は「称名に入らば、称功にはなれて名功を仰ぐべし」と。だから宗祖様は「南無阿弥陀仏の中に仕上げられた名徳を仰げ」。  名は体なり。かるが故に、一声一声のお念仏は、如来のお呼声であると仰ぎ聞く一つである。日々の日暮しのすべてが、念仏の助行となる。

○走って一里の道を行くより、一歩一歩踏みしめて、あたりの景色を眺めながら歩け。〈念仏さえ称えておればよい〉と、ダブダブ念仏する。それも結構でしょうが、一声一声、私への名指しのお声と聞き称う。  南無阿弥陀仏

○昔の井戸水は汲まねばならぬ。ポンプがわるくなれば、迎え水をせねばならぬ。南無阿弥陀仏は、井戸水や古ポンプでない。お助けを引っ張ってくるとは反対やがな。引っ張ってこなくても、向こうからあいに来て下される。 南無阿弥陀 仏南無阿弥陀仏 それそれここに それそれここに 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○仏様の御飯は念仏三昧。念仏三昧とは、私が仏様に念仏三昧ではありません。仏様がいつでも「私に」念仏三昧であります。その「仏様の念仏三昧」の念仏を、行ぜさせられるばかりであります。 南無阿弥陀仏

○「唯念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と「よき人の仰せを蒙りて」。    この唯は唯でも、唯ならぬ唯である。私等の唯は軽い。唯念仏の数さえ積めばよい事の様に思うているが、そうでない。一声一声を聞け。唯はたったこれ一つと言う事。言いかえたら、総てを抛った言葉が、唯念仏して言う御心。二十年の修行も、知恵も、地位も、何もかも抛った姿でしょう。罪も悪業も、何もかも許された言葉である。唯とは、何もかも出来上がった一切経が、この唯の中に入ってある。如来様の御心を、頂いて頂きぬかねば、この「唯念仏して」と言う言葉は出ぬ。唯と申す言葉の中に、ひざまづいてござるお姿が見える。我々は宗祖のお言葉をそのまま頂くべきである。

○九州の念仏者を尋ねた時、福岡県の片田舎へ連れて頂きましたお方と、ある立派なお宅の前まで来ましたら、お念仏の声が聞えます。その念仏が私の胸にひびきます。五臓にしみ渡りました。大したお方様やと思いました。その方は心易い家と見えて、「おばあさん来ましたよ」と。おばあさんは「お上がり下さいませ」と、座敷へ通らせて頂きました。私は無言で頭を下げました。その声が十一・二才の子供の声です。そんな子供さんがこの念仏、しみ渡る様なお念仏。よほどのお方やなーと思いながら、早くお顔が見たいものと思えど、なかなか出てござらぬ。然し声はだんだん近く聞えて来ますが、五分すぎても十分すぎてもなかなか見えぬ。念仏申しながら待たせて頂きました。ややあって唐紙が開きましたのでお顔を見て驚きました。十一・二才のせむしのいざりでした。座布団を引きずりながら、大きな猫が寝ている様な姿です。十分もかかるのはあたりまえです。四人座って三四十分お育蒙りました。大きな家で誰も人なく、静かでお念仏が、身に心にくい入る御縁でした。おばあさんは「坊やくたびれたから、休みなさい」と言うて「次の間でお念仏申しなさい」と言うて、座布団の両端を持って連れて行きました。後で三人お茶を頂きながら、おばあさんのお話に、 「私は禅宗に生まれましたが、娘が当家真宗に嫁ぎました。息子、娘もかたづき、孫も大勢います。憎い孫は一人もありませんが、在所では私、何の用事もありませんので息子に〈どの孫も皆可愛いが、あの大きな家で両親は田圃。一人居るのが、一人居るかと思えば私はここに居る事が出来ぬ。用事も無いから実にすまないが、あの不具の孫が可愛い。孫の話相手になって、一代あの孫の世話をしてやりたいので頼む、私の勝手をゆるしてくれ〉と頼みましたら、おばあさんの思う通りにしなさいと申してくれましたので、やれ喜ばしやと今日まで世話をしていましたが、ある春桜咲くころでした。世の中へ出た事のない孫ゆえ、公園の桜が満開やと聞いて見せてやろうと思って、坊やに〈桜見物行くか〉と申したら、行くと言いましたので、やれ嬉しやと弁当持って出かけました。初めて見る野山、町、空気もよし、〈おばあさんいい景色やなー嬉しいなー〉と、それはそれは喜んでくれました。私も嬉しくて嬉しくて、よかったよかったとベンチに座らせて、美しいなー美しいなーと。私はよかったよかったと、こんな嬉しいこと初めてやと涙が出ました。おにぎり一口食べては、西に東に眺める姿に、嬉し泣きに泣きました。それも一寸の間。公園ゆえ子供が沢山遊んでいる。いつのまにやら十一二才の子供十人ほど、ベンチの廻りを輪になって走りながら〈いざりのせむし、いざりのせむし〉と走り廻る。はっと思って子供と争いました。子供は笑いながら散り去りました。その時の気持ち、何ともかとも言えません。情けないやら可愛いやら腹が立つやら、えらい事をした。私が言い出さねば、こんなつらい悲しい思いはせぬものをと、ふるい付けたいほどあわれ、悲しい、可愛いやら。私でもこんな思いやが、言われて居る坊やが、どんな気持ちやろうと思えば、我知らず涙、涙でした。さしうつむいて思いに沈んでいたら、また出てきて、〈せむしのいざり〉と、亦々涙して、そこにあった棒切れで大地をたたいて〈せむしのいざりでも半時間も世話になったか〉と、大人げもなくおいかけましたら、子供は〈ハハー〉と笑いながら行き去りました。悲しくて悲しくて、私がこんな思い、本人はどれだけどれほどかと思えば、胸ははりさけるばかりの思い。これはと思って坊やに〈帰るか〉と言えば〈帰る〉と言うた時の可愛さは、口にも言葉にもかかりませんでした。帰る道すがら、あれを思いこれを思い、足の重い事重い事えらい事をした。私が言い出したゆえ、坊も私もこんな思い、つらい事と、足が前やら後やら、涙ぼとぼと足はとぼとぼ、ほんとにほんとに南無阿弥陀仏。その時私の首筋えあつい物がぽとぽとと落ちる。ハーと思って〈無理はない無理はない、私でもこんなに思う。本人の身になれば当たり前の事〉と、無理でないと思えば、身も心も坊やの中へは入ってしまう様な思いがした。どちらも無言でした。しばらくして〈おばあさん泣いているなー〉と言うた。〈これが笑えるか、これが喜べるか〉と〈坊やも泣いているやろう〉と。〈おばあさんは悲しくて泣いているやろう。坊やは嬉しいから泣いているのや〉と。その時この時、涙が消えて、胸にどきんと五寸釘うたれ、腹が板の様になりました。〈おばあさんは子供に怒っていたが、あの子は本当の事を言うているのや。いざりのせむしやから、いざりのせむしと言うたら、ほんまの事や。半時も世話になった事があるのかと言うたが、だれが半時間世話したと言うたか。おばあさん、腹を立てたらあかん、悲しがったらあかん。せむしのいざりに産んで下さったから、なればこそ、南無阿弥陀仏に遇えたのや。せむしやいざりでなかったら、生まれなんだら、あの子と一寸も変らんのや。おとうさんにもおかあさんにも、田圃から帰ったらお礼を言います。おばあさんに悲しい思いをさせたが、坊は嬉しかった。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏〉。この念仏の声が骨身にこたえてこたえて。いろはのいの字も知らない坊やが、これ程の心を持つ南無阿弥陀仏に、如何なる理、如何なる知恵ありとは知りませぬが、七十に手のとどく姿が恥ずかしくて恥ずかしくて、孫の世話してると、今日まで思っていた私のあわれさ。今日まで孫に世話になっていました。この孫があったなればこそ、南無阿弥陀仏に、仏にあわせて頂きました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。 坊や、おばあさん南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。   その時唐紙をあけて、坊やが「兄ちゃんもう一ぺん来てねー」と手を握った。握られた私も、握った坊やも、手には熱いものが通いました。「また来ます」  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   後生となったら、お互いに不具者。それなのにああ聞いた、こう頂いたは何事ぞや。不具者が何で手を出す足を出す。仰せのまま南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。 「阿弥陀のかごに乗せられる不具者 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」    その晩佐賀県のお寺で泊めて頂きました。福岡県へ連れていって下さったお寺様です。翌朝ごはんの時、若いお方がござって「御院さん。私の母が八十過ぎて頭が悪く、一度もお話聞いた事もなく、念仏一声も称えた事もなく、先が近いと思いますので、一言お聞かせ願います」とのことでした。弁当持って一時間ほどしてから行くと申されました。「お願いします」と帰られた。「あなたどうなさる」「私も詣らせて頂きます」と。  その宅へ参りましたら、大きな立派なお宅でした。座敷へ通らして頂いて、お話し聴聞いたしました。御院様こと細かに本末を説いて、「南無阿弥陀仏でなければ助かる道は無い、これ一つをあたえて救うと仰せられるで頂け。頂くとは南無阿弥陀仏と称える事。先が短いので早く南無阿弥陀仏を頂け、称えなさい」と。おばあさんは首を横にふった。御院さんはまたもやこと細かに説いて、六字を頂けと、しきりに六字のおいわれを説きなされても、首を横にふる。はげ頭に汗が出て、亦六字の尊さを説きなされても横にふる。なぜいやかと問えば、初めて口を開き「六字六字と言うて、六時なら朝がねむたい。せめて七時ならねむたくない」と。六時と六字を間違っている。御院さんは「松並さん何とか言うて下さい」と。「御院さんでとどかぬことが私如きでは」と。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と。「ああ判った御院さん、一寸後へ」と申して、おばあさんの前に出て「おばあさん、六時で朝が早くて、ねむたいのならば、おばあさんには特別に〈七時の名号で助けてやる〉と言われたらどうする」「七時であればねむたくない」「それなら両手をあげなさい」と言えば、素直に両手を上げた。「ナムアミダブツ、それ七時の名号で助けると申されるで頂きなさい」と言えば、素直にナムアミダブツと念仏申した。ナムアミダブツ ナムアミダブツと横に居た孫が〈早く称えよ〉と言えば「六時では早いナムアミダブツ ナムアミダブツ」。  おばあさん曰く「昔の戦争は、一人一人刀を抜いて戦争した。今は鉄砲、キカン銃、大砲と言う物があって、一ぺん弾をうつと、二百も三百も一度に出るそうな。でも皆あたるとゆう事はない。大砲の弾は、一つドーン ナムアミダブツーとうてば、阿弥陀様にあたる」と言いました。  寺へ帰ってから、六時がねむたいやら、大砲の弾の話しやらで、ありがたいやらおかしいやらで大笑い致しました。その後息子さんより、二ヵ月後に手紙がとどき拝見致しましたら、朝七時に往生されたそうです。 南無阿弥陀仏

○私に出来ることは出来る。出来ない事は出来ぬ。分からぬ事は分からぬ。分からぬことを分かろうとするよりも、判った御方の仰せを聞けばよい。私に出来る事に成就なし下された道に進めばよい。阿弥陀様が判ってござるから、仰せのまま念仏申せばよい。結果は南無阿弥陀仏に仕上がってあるのや。聞けばよいのや。頂けばよいのや。頂くとは随うこと、受け入れることや。この声を聞くのや。南無阿弥陀仏   念仏は往生の用意に称えるのでない。往生の用意が出来上ったさけびが南無阿弥陀仏

○魚が「網にかかった」と思うているが、網をかけた人を知らぬ。我々も御縁に会った師のみを思って、知って会わせた如来の御念力を忘れている。如来様の御念力に帰らねばならぬ。いつ迄もあの師の御蔭と人に付いてはならぬ。然し師に会わねば遇えぬ。  南無阿弥陀仏と聞き称える中に入っている。しかし捨てよとの言葉ではない。師の教を徹して、仏様の御心に遇うことである。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○或る御縁日に、まだ見知らぬお方がみえた。お相続のただ中に「一寸お尋ね致します」と。  「今仏様の説法中や、すんでからの事にして下さい」と。そうしてお茶の時、下座になって「今からお聞かせに預かります」と。その方、何にも言わず「おそれ入りました」と。

○阿弥陀様より、私は兄さんや。救わねばならぬ私が居ましたから、南無阿弥陀仏に成って下された、生まれなされた。 南無阿弥陀仏

○或るお方「松並さんお宅はこちらですか」と。  「仏様の家で、私は家の番人です」と。

○京人形の白い顔が汚れたと、水でふけばふくほど、下地が見えて穢くなる。私も穢い心が照らし出されて、よごれた物ばかり見えてくる。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○手、足が気になるのは病気、悪いからである。

○宗祖様聖人様は「専ら行に奉へ、唯この信を崇めよ」と。

○私に出来ることは出来る、出来ぬことは出来ぬ。判らぬことは判らぬ。判らぬことを判ろうとするよりも、判ったお方の仰せを聞けばよい。阿弥陀仏の仰せのまま、念仏の道に進めばよい。私に出来ると声になり切った仏様である。道を踏まずに結果を得ようとする。道を歩めば自然に結果は出る。その結果が南無阿弥陀仏に仕上がってあるのや。そのおいわれを聞くのや。仕上げの法を聞くのや。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 それそれ呼んでござる。それ聞えるでしょう。

○学者は 学解をはなれて 剛信に入る  愚者は 昔のまま ありべががりにて往生す

○赤子が、産まれたいと思ふより、産みたいと願う親の願が大きい。お念仏が活仏の呼ぶ声と。

○国は一つの網の様なもので、個人ー家ー村ー郡ー県ー国となる。その一つ一つの網の目が完全でなければ、完全に出来てこそ、完全な国となる。網となる。一つ破れても完全とは言えぬ。南無阿弥陀仏 国民の一人が、私一人位と言うては、完全な国とならぬ。心せねばならぬ。南無阿弥陀仏 私は恥ずかし乍ら落第です。

○ある時、法が法を喜ぶ。お前は一代喜ばん、と知らされました。即ち喜ぶとは、私、仰せのまま、念仏聞くまま、称える姿を見て、仏様は「あああ、おれの思う通りになってくれたか」と喜ばれる。そのままが喜んでいる事になると。  「この南無阿弥陀仏にて助けられる」と安心してござる。「間違いない」と安心してござる。その仏の安心が、私の安心となるだけ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○活きたお念仏を 死にものにしている  活きた念仏でなくてはならぬ

○どんなに尊いお方様でも、私の後生を案じて下されたでなし、御修行なし下されたお方でもなし、御浄土建立なし下されたお方でもない。そんなお方のご法話を聞いて、迷うことはない。私の為にとて御苦労なし下された仏の仰せに随えばよいではありませんか。その御法話を尊いお方に聞けばよい。御法話の頂上はお念仏です。仏様の御説法ですもの。「救うぞや」、それが南無阿弥陀仏。仏様直々の呼び声であります。南無阿弥陀仏

○或る師、「喜びにたえず 我称え 我聞くなれど これはこれ 大悲招喚の声」と申されたが、東漸寺様「この詩につき〈喜びにたえず〉と申される所が、自分にはピーンときませんが如何ですか」と言われし時、「○○師の如き立派なお方は〈喜びにたえず〉と申されても過言ではありますまいが、自分の様なおろか者にはとても立派な事は言えませんので、「嘆ずるに余りあり」と頂いたら如何なものでしょうか。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○あるお方、「仏、ここを去ること遠からず」の御話なさいまして、非常に喜んでござったので、  「有難う。私は遠い近いもなくなって、仏様が私になり切って下されたと頂きました。有難うございます」 南無阿弥陀仏

○あるお方様の御法話を聞かさせて頂きました。「約束の念仏は称え申し候。やろうやらじは弥陀の計らい」と。  有難うございました、ございます。「約束の念仏は聞え候」 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○真宗は、妄念煩悩が木魚であり、仕事が木魚である。   多くのお方様はまだ見ぬ浄土なるに、やってもらいます、まいらせてもらいますとアッサリ申しなさるが、そんなこと思いもよらぬ、いらざるお世話です。

○お念仏は「油」、ご法話は「油かす」。油かすの法話を聞いて、油の念仏に帰ればよいですがな。

○元蔵相大臣池田氏「文芸春秋」に「私は人生観は持たぬ。忙しい生活をする。人生観を持つ人は暇なんだ。私はそんな事考える暇がない」と。  これを読んで念仏する身の仕合せを喜んだと、東漸寺様が仰せられた。そうして私に向い「池田さんは人生観は持たぬと言われましたが、貴方は如何ですか」と。  私「そんなむつかしいこと分かりません。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 生死の苦海は即ち菩薩の遊び場ですがなー。乗物に乗せて頂いて、窓から外の変る景色をながめている様なものですがなー」

○五欲の世界に身は在りながら、そのままが浄土の次の間においてもらっています。それがたしかな事には仏様の呼び声、南無阿弥陀仏が聞えて下さってあります。

○「難中之難」とは、結論は南無阿弥陀仏を頂いたか、頂いていないかにある。疑うている。

○大垣のお同行「弥陀の直説(お念仏)をあなたがお念仏に詣り歩く必要はない」と。  もうこれでよいとは お念仏に底を入れている事である。さればよりよく尊い念仏者にお会いして、お育て蒙らねばならぬ。

○雨垂れも小降りの時は、ぽとりぽとりと落るが、大降りになると、はげしく落ちる。私等も御慈悲の法雨は、たえ間なく受けている、居ながら、ぽとりぽとりで誠にすまぬ。

○大心海 ああ大心海 ああ大心海   これはこれはと 仰ぎ   これはこれはと 聞くばかり

○或る師の姉様  「弟は念仏せよ念仏せよと、やかましく言うが、信心もないのに念仏は申せません。説教詣りに行き、信心頂こうと、一生懸命になっているが、一向に信心戴いた様にも思えません」と。  「信心もらうことはやめなされ。信心は私が戴く事と思っていましたが、実は阿弥陀様が、お前の今の心今の姿のまま助けると呼んで下さる、そのまま助ける薬が出来上がったのが南無阿弥陀仏である。信心は私がするのかと思っていたが、そうでない。仏様があなたを助けるに間違いないと信じてござる、それが南無阿弥陀仏じゃで、信心もらうのはやめなされ」と。  「真実信心には喜びがあると申されますが、私には喜び心がない」と。  「私等は極楽へ行きたくないのや。地獄へいくと、心はいうている。そんな者が喜びますかいな。行きたくない者が喜べるはずがない。千円の金でも、もらった方がよほど有難い。行きたくないまま南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、念仏させてもらったら、仏様は〈ああわしの言う事聞いて念仏してくれる〉と、仏様が喜んでくださる。ああそんな南無阿弥陀仏であったかと、南無阿弥陀仏と喜ぶ事になる。それを信心歓喜と言う」。  これ聞いて姉さん  「これまでは聞き様が全く反対であった」 と、しきりに南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と。

〇鼻は香りのよい物を好む。口はきたない物、愚痴や、悪口を好む。こんな口から念仏が、仏様が出て下さるとは、南無阿弥陀仏。

〇富山で御縁の事でした。一婦人顔色は真っ黒で目が大きく、その上〈セムシ〉で胸の病気。御縁が終わってから、その婦人が、 「突然で誠にすみませんが 私大和でお世話になって、大和で往生したいのです。すみませんがお世話願います」 と。私その方の顔を見つめていましたが、ややあって「大和へおいでなさい」と申しましたら喜んで喜んで、「ありがとうございます」と、涙を流して、「私はあす帰ります。都合つきましたら、何時でもおいでなさい」と別れました。悟道さんでした。 「私はこんな不具者。その上病気を持っています故、兄弟も近よらず、他人様はなおさらの事。心はひねくれて自分でも分かります。次の世は、不具者でも後生だけはと思いまして、聞法一筋に暮らして来ましたが」  「どなた様のお育てにあいましたか」 と尋ねましたら、 「富山は仏法の盛んな処で、いろいろのお方に毎日の様にお聞かせに預かって来ましたが、ある女教師に御縁が厚く、お聞かせ蒙っていましたが、その方は〈後生に大事がかからねば、法にあえぬ、聞こえるものではない。機の悪さが知れねば聞こえぬ〉との仰せに、町の若いお方にお頼みして、毎晩、棺の中へ入り、火葬場で、棺の中で、後生大事になれと、二年程も火葬場で、棺の中で、後生大事と聞かせても聞かせても大事になれず、機の悪さが知れません。昼はお詣り、夜分はその通り。心はあせる。この世は不具者、胸の病気。この世から何としよう何としようと狂い廻っている折、山本さんが私宅へ、松並さんが見えるで詣ってはと聞かせて頂き、飛び立つ思いで御縁に会わせて頂き、亦大和までお世話になりまして何とも申し様も有りませんが、よろしく願います」 との事でした。四月の初めでした。 「これも御縁でしょう。お育て受けました女教師は、何県のお方で、住所も名前も判っています」 「ご存じですか」 「お会いした事はありませんが判っています。今日は休んであしたにしなさいや。その前に私の言うこと守りますか」 「どんなことでも守ります」 「今まで聞いたことは間違っていますから捨てなさいや」 「ハイ捨てます」 「それからあなたは身も心も荒れ果てています。ひねくれていますから、私の言うこと何でも素直に〈ハイ〉とより絶対言わぬ事分かりますねー」「ハイ」 「あなたの仕事は念仏ですよ、忘れないように」「ハイ」 「あなたは病気故、私は朝は早いから、あなたの体はあなたが一番よく知っています。体の悪い時は床の中で念仏して、起きなくてもよい、念仏聞いていなさいや」「ハイ」 「気をつかうと体に悪い。あなたも私も仏の子、皆同じや。気分の善い時は一日にガラスを二三枚ふきなさいや。あとはお念仏分かりましたね」「ハイ」 「私やあなたの後生を案じて、身をかけ、命をかけて南無阿弥陀仏という声の仏様に成り切って下さったのです。あなたの後生一大事は、仏様があなたの後生一大事であったのです。あなたや私に後生一大事はなかった。ない故に、頼まれもせんのに、私やあなたの南無阿弥陀仏に成って下さった。その南無阿弥陀仏のおいわれを聞くばかりです。頂くばかりです。いいえいいえもらってくれよと頼んでござる、その頼みを聞いてやる事です。聞いてやるとは、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と称えるとは、あなたを〈助けるぞ助けるぞ〉と呼んでござる、呼び声です。称えるままが聞いている事です。このよび声を命のかぎり聞きつつ、一代終わるのです。今まで聞いた事は、皆、捨てたでしょう」「ハイ」 「今聞いた事だけでしょう」「ハイ」 「今から南無阿弥陀仏と、この声を称えながら聞きながらお休み。聞くとは実行ですよ」「ハイ」 と、私自身がお聞かせ蒙りました。二ヵ月すぎて村人は〈悟道さんの顔色がよくなり、丸々太って、見違える様になりましたなー〉、にこにこ。悟道さんは、 「私今まで、笑った事は一度もなかった。うれしい南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」  その後十月の初めに、 「冬着を荷物にして家の整理に富山へ帰り、すぐ大和へ帰ります。四五日勝手致します。富山は寒いから今がよろしいから」「そうしなさい。これは汽車賃です。すこしですが」 と、持ち金全部あげました。「こんなに必要ありません」 「どんなことで入用になるか分かりませんから、持って帰りなさい」「ハイ、頂きます」 と帰られました。一週間すぎても半月すぎても帰りませんので心配で心配で、住所も分からずそのままにしていましたが、十六日目に姉から便りがありまして、拝見致しましたら、風邪を引いて十日で往生致しました。長々お世話になりまして有難うございます。近々の内、お礼かたがた参りますと、南無阿弥陀 仏。二三日後姉さんが見えまして、ほんとうにお世話になりました。私からもお礼申します。もともと胸が悪かったので、寒さで世を去りました。往生の一日前に、これを先生にと、手紙を頂きました。一泊して荷物を持って帰られました。お手紙に 「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 長らくお世話に成りました。南無阿弥陀仏 お世話になりました。私が、一足お先に御無礼致します。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」  大和でお世話になりますと、私もここでと申して、心にかけていましたが、ご縁なくば富山に帰って、世を去る。  南無阿弥陀仏

○それと反対に、夜一時頃「兄ちゃん今、旅役者が死にました。葬式頼みます」と、役者十人。私と頼みに見えたおじいさんとお通夜して(ご飯お酒を出して)十二人念仏して、翌昼前、念仏堂から葬儀致しました。縁とはこんなものでしょうか。一年すぎて両親が見えて、お骨持って帰られました。小さな堂がお骨安置の為建てたのです。新宮の方でした。

○ある方が真宗なのに、山で念仏申してござる。偉いお方ですが、宗祖様のみ教えは、そんなことして念仏申す必要はないでしょう。

○酒に三段階あり。初めは、私が酒を呑む。次に、酒が酒を呑む。遂に、酒が人を動かす。泣く人、口論する人、笑う人、けんかする人。  お念仏も、初めは私がする。だんだん、お念仏様がお念仏を呼ぶ。遂にお念仏様が全身を動かす。 南無阿弥陀仏

○倉が完成出来たら 足場をはずせ

○十個の豆を、大きい順に右から並べてゆく。思うに、この豆の取り扱いで大した事になると感じた。即ち大きい方から(右から)これが一番大きい、次にこれと、順番に取って行けば、終の豆は十個の中で一番小さいのに、次にこの豆が大きい豆となる。反対に(左から)取れば、この豆一番小さい。次にこの豆と取って行けば、一番終りの豆が一番大きいのに、次にこの豆が小さいと、小さい豆になる。  これもお陰様南無阿弥陀仏。あれも喜ばしい南無阿弥陀仏と頂けば、皆大きい豆となる。反対に、これも腹が立つ、あれも業がわくと、小さい豆から取って行けば、一番大きい豆まで罪となる。  何事も南無阿弥陀仏様に遇わせて、頂いた南無阿弥陀仏の目で物事を見よ。我が心の目で見たら、喜ぶべき事まで腹立ちの種となる。南無阿弥陀仏の目で見れば、悲しみも喜びの種となる 南無阿弥陀仏。

○念仏者は この世は お客に来たと思え

○法然上人のお弟子が上人に 「及ばずながら日課二万遍と決心致しました。上人様にはとても及びもつきませんが」 と申し上げたら、上人はだまってお誉めなさらぬ。宗祖は、 「それでは足らぬ」 と。お弟子は上人様に、 「それでは三万遍では如何でございましょう」 と。上人様は何にも申されずに座してござった。宗祖は、 「それでは足らぬ」  お弟子は思い切って、 「それでは出来かねますが四万遍では如何でしょうか」 上人は何にも仰せられない。宗祖は、 「四万遍では足らぬ」 と。そこでお弟子怒り、 「師の上人様さえ、日課を定めてござるに、日課も定めぬに足らぬ足らぬとは何事ぞや」 と。宗祖様は、 「念仏の数を足らぬと申していない聞き様が足らぬ」 と。

○「どうぞ助けさせてくれよ」と阿弥陀様が念じてござる。「どうぞ助けて下され」と願うのではない。

○板一枚の下は地獄と言わんすけれど、なんで船乗りやめられようか。  私等は、この日暮しがやめられぬ。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○岸うつ波は手で招く(世の中のもやもやがご縁となる)。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  沖でかもめの声がする(ひきずられてご縁に会う)。

○危ない身でありながら、大船に乗せて頂いた我々。黒は黒いまま生かされる「法」が、南無阿弥陀仏と聞かされた上は、南無阿弥陀仏。人間の智慧や、物差しで、計られる様な小さな「法」なれば、この私は助けられぬ。私を私のまま、こそっと救われるみ教えが、今聞こえる南無阿弥陀仏。

○称ふるままが「お誓い」「間違わさぬ」「正定の業」。他の人にまで流れ、御報謝にそなわり、自利自他円満の南無阿弥陀仏。

○「うそ」は我々の言うこと。阿弥陀様は「うそを言わぬ」「言われぬ御方」。私は久遠劫来の古ぎつね。阿弥陀仏は久遠劫来の阿弥陀仏にてまします。「これでよいか、あれでよいかと念われるのは」「阿弥陀仏の念われる事」

○〈たとえ一声も、南無阿弥陀仏と称ふる者、必ず間違わさぬ〉と仰せられたでは有りませぬか。頼みもせぬに、私を助ける南無阿弥陀仏に、成り切って下さったのでは有りませぬか。 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏のお誓いが、たしかなら、活仏の声なれば、唯これだけで十分。この世の事は良かろうが、悪かろうが、大した事ではないではありませんか、成る様になる。

○子供の時分、急病人があった時、戸板に寝かせて、医者に連れて行った。たしかに、歩けない病人が医者へ行けたのだから、他力には間違いないが、そんな人は死んでいる。用はなさぬ。真宗の他力とはそんな他力でない。動けぬ病人が医者の診察を受け、病名をたしかめ、薬をあたえられ、その薬をのませられ、元の元気な体になって、我家へ帰っていく姿を他力と言う。南無阿弥陀仏

○御法話の頂上は 「助けるぞや助けるぞや」 の弥陀直々の説法なり。それが南無阿弥陀仏。

○私に信心はいらぬ。阿弥陀様の信心一つ、南無阿弥陀仏にて、十方衆生が間違いなく助けると深く信じ給う。これだけでよいのや。阿弥陀様の信心を仰ぐばかり聞くばかり。

○他力には、しるしがない。つかないのがしるし。一切のお方と一寸も変わらない。唯南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞こえて下さるだけ。

○あーと聞こえた時、すでに南無阿弥陀仏は働いてござる。それが称名と出る。称名は働いた後なり。その念仏が亦他に働き掛ける活仏。報謝にそなわる。南無阿弥陀仏 或るお方、 「念仏すれども有りがたい思いもなく安心もない。今死んだら地獄行き。どうしたらよろしいか」と。  「唐紙を柱の方へ開けても開かぬ。あなたも、喜ばぬ心の方向へ開けようとするから。それを南無阿弥陀仏の方向へ開けて見なさい。助けられる処ばかり」 その方、 「喜ばぬ、浅ましい心を取ってくれ」と。 「柱を取れば家はこわれる。喜ばれぬ心を取れば、あなたがなくなる。喜ばぬ心をそのままにしておいて、南無阿弥陀仏の中を聞けば何と仰せられる。〈そのまま助ける〉と、仰せられる。それが南無阿弥陀仏ですがな。それで喜ばれますがなー」 「えー南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」 「それが喜んでいる姿ですがなー」 「ハイハイ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」 「はいはいも用はない」と。

○南無阿弥陀仏のおいわれは、私等で判りませんので、 「お前は助からんで、必ず助ける」 と、これが南無阿弥陀仏のおいわれ。

○銅貨も、ニッケルも百円の価値はある。同じ事なら南無阿弥陀仏を頂け。世界中にひびき渡る。 南無阿弥陀仏

○中将姫は菩薩様や。自分を殺しに来た家来が(姫の姿があまりに尊いので家来が)主人の命令と言いながら刀が抜けず、ざんげして〈罪をゆるして下され〉と願うた時、姫はおもむろに「許すと言う言葉は、罪なき身が、罪ある身にゆう言葉である。姫も罪ある身、そなたも罪ある身」と申されて「ゆるす」とゆう言葉を出されなかった、と。家来は主家へ帰らず、姿を消した、と。

○念仏者は〈偉い者になるな〉と言うことを、聞き間違いをしている、何もかもあほーになる。  御法を聞く時はあほーになり、世の中の事は賢くならねばならぬ。それを取り違いをしている。世の中の事はあほと言うて、「御法」の事になると、ああでもない、こうでもないと、賢くなる。「そのまま」と言う事は御慈悲の前に立った時、立たされた時。社会に向った時は気を付けて賢くならねばならぬのに。私は二つとも落第で、お恥ずかしい事であります。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○たしか良寛様の句と聞いていますが、  「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」  風にまかせている姿なり。スーと散っては何の風情がないが、ひらひらと風にまかせて、散って行く処に面白味がある。 我々も極楽の風の吹く時は南無阿弥陀仏、煩悩の風の吹く時は、裏になって散ってゆく。表を向いて散っても別に妨げにもならぬ。同じ一枚の葉である。私は裏の方が多い、だから南無阿弥陀仏。

○本願の念仏には独り立ちさせて助けささぬなり

○「念仏して」と仰せられるのは、地獄極楽の結果を見ずに行じてござる。親にまかせきられた姿なり。本当に親に抱かれているのなれば、そんな事にこだわる事はない。南無阿弥陀仏と一緒に地獄へ行けばよい。私等は現在行じもせず、結果ばかりを見ている。それかと申して、宗祖様は結果があやふやではない。結果を見ぬとは、結果を見る必要のないほどたしかなことである。「約束の念仏称え申し候 南無阿弥陀仏」それだけで、後も先もない。「やろうやらじは弥陀の計らい」とも言う必要はない。言わねばならぬほど弱い力ではない。親にだかれた赤子は、西も東も指差す必要はない。

○「生きた念仏を死にものにしているから」死んだ念仏になる。「生きた念仏でなければ、生きたものは救われぬ」 南無阿弥陀仏

○お念仏は、内を照らしだす光である。内に向っては助からざる自分を照らしだす。念仏聞くにしたがって、助からざる自分がみえてくる。それにくいついて下さるのが、阿弥陀様の慈悲である。外に向かっては、世渡りの道まで渡れぬ私であると照らしいだされ、ぶちつぶれたその下から、にじみ出る道が真宗の生活である。守れるで守る道でない。

○「本当に薬をのんでいる人」  「のまずに効能書を読んでいる人」   南無阿弥陀仏

○或る師、 「腹の底に、ありがたいと思うを念仏、口に出て称名」 と言われるが、わたしやあなたに、かたいもの、これでと言うものが出来たら「仏と」「生き別れや」。

○念仏を利用するでない。念仏は称えるだけのもの、聞くだけのもの南無阿弥陀仏。

○千年も闇室に居た人に、急に万燭の光を目の前に照らせば、目がくらんでしまう。  御法話も誰にでも判る様に話さねばならぬ。

○いよいよ念仏すれば聞けば、いよいよ聞かぬ昔の姿が見える。少しも変わった処がない。南無阿弥陀仏が聞こえて下さるだけが変わっただけ。

○ラジオ・テレビは電波で放送があっても、それを受ける受信機がなくては、聞こえぬ。電波は満ち満ちているが聞こえぬ。  仏の声は十方世界に満ち満ちているが、縁なくば聞けぬ。強縁あればこそ 南無阿弥陀仏。

○心は変わりづめである。変わったら変わったままでよいと仰せられます。良き心の出る筈がない。しかしそれで勘定が合っているそうな。

○念仏に すきがあるから 出る言葉も荒い

○口が動いているだけ 添え物は必要でない

○或る方「自分を落ち切れ」と言われるが、今落ちつつある身さえ知らぬこの身である。

○悪業のやまぬ、知りつつ知らぬながらにやまぬ私を救うて下さる御慈悲なれば、もっとせよと言うのでもない。何事も、宿業の現れ。

○世の中に、はなれたものは一つもない。皆つながっている。色々の物がより集まって家となる。鳥は空を飛んでいても、空気とつながっている。お互いに、皆々がつながった世界に、身をはぐくまれながら、俺が俺がと、切り離す。三悪の火坑は、足の下にあり。

○吉水の草庵で常木さんと、或る寒の日に、五條の或る家へ(道筋を聞いただけで家は判らぬ)車を引いて布団を借りに行った。あまりの寒さに手足が凍える。途中で焚火をしていなさった。常木さんはそこで、一休み暖を取りなさったが、自分は止まらずそのまま行き、その家にたどりついてから、火鉢に暖まった。初めて判らぬ家へ行く途中に暖かくなっても、また寒さに戻って迷わねばならぬ。目的の家に着いてから暖かくなるのと、途中の暖かいのはつづかぬ、また迷わねばならぬ。それを「息を入れるな」と言う。行く道も判らぬままどうして一服できますか。南無阿弥陀仏 常木様は途中で一服。

○地獄のかまの蓋の上で念仏するのと、一服して念仏するのとは、またちがいます。  念ぜされているのです。それを私が称えた事に受け取ってくださる。

○目の前の人は、目の中の人であります。  南無阿弥陀仏と、聞えて下さるからは、南無阿弥陀仏の中にある私でありますがな。 南無阿弥陀仏

○香樹院のお育てを受けし北陸の信者に、ある人、法を聞くが最後の一つが判らず、そを聞かんものと、夜信者を訪れしところ「聞きたくば海へ行け」とのみ返事して雨戸を開けず。やむなく海岸へ行く。然るに全くの闇で海も空も黒一色で何にも判らずにただ、どうどうと日本海の波の音ばかり。遂に要領を得ず帰宅す。判らぬまま年月流れて十五年。その人ある日〈海へ行け〉との意を会得す。  即ち我々の心は何時まで経っても真っ暗にて、信心があるやら、喜びがあるやら何にも判らぬ。その真っ暗の中に南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と声のみ聞えてくる。波の音する処即ち海である。念仏の声即ち本願召喚の呼び声である。南無阿弥陀仏

○常に仏は活きてござる。念仏者とは自分というものが、無くなった人の事やそうな。

○後生大事と芽生えたお方すらあるに、こんな者が可愛いと、御手を差し伸べられた此の身。

○奉公人は、主人の商売が、自分の商売にならねばならぬ。仏法も如来のご苦労が、自分一人のものにならねばならぬ。  南無阿弥陀仏

○御慈悲は仰ぐもの、頂くもの、受け入れるものなり。頭でさばくものではない。

○万善万行のこもった南無阿弥陀仏。頂けば徳もでる。慎みも出る。然し自分の手柄で無い。

○念仏せよ、と宗祖、先徳が申されるのは、如来の御心にふれさす為である。お念仏は如来の説法と聞き得る事は如来のみ心に遇えた事。

○自力の念仏はない。念仏申しましょうと思う思いまでも、仏様に念わされる念いでしょう。仏様に動かされている姿でしょうに。

○私等の日々の思い心はただである。よい事思えば仏様の得(善い事の出る私ではないが)。悪い事思えば仏様の損です。然し南無阿弥陀仏と聞こえる仏様の前で、出来ない、思えない。仏様の見ている、聞いている、知っている。これに恥じ入るばかり。さりとて因縁和合すれば何事になるやら分からぬ。

○聴聞育ちのお方は、有難いお話を頭に保ち腹に持って、念仏となって流れ出ない。胃袋の中で腐っている。  それだとて聞かねば分からない。聞くと言うは「仏願の初めとその結果」を聞く事。その結果が何と成りたもうたかを聞くのや。南無阿弥陀仏と声の仏に成りたもうた。宗祖様は学問して、しぬいて、その上念仏の体験を積まれたお方故、宗祖様のお言葉は今にいきいきと働いている。その宗祖の仰せをそのまま如来様の仰せとあおぐ。

○一声の念仏も、十声の念仏も功徳の上からは同じである。かかる広大な御慈悲なるが故に、一代の念仏と流れ出る。南無阿弥陀仏と、如来の御念力が念い出させる。呼び起こす。称えた念仏は一声も無い。持ってゆく念仏でない。御あたえの念仏である。かかる底なき御慈悲を仰ぎ、ひたすらに南無阿弥陀仏と聞くばかり。

○水に溺れている者を、救い上げられたら有難うございますとお礼を言う。後日出会うた時亦礼を言う。その時、助けたお方が「あなたに礼を頂こうと思って助けたのでないのだから、再三お礼には及ばぬ」と申されても、さ様ですかと聞き流しには出来ない。助けて下されたお方の誠が言わすのです。お念仏も仏の「信」が言わせる、念い出させる、称えさせる。仏様が南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と聞えて来る。それそれ 南無阿弥陀仏。

○或る見知らぬお方がお越しくださいまして、 「蓮如上人様の御文章に〈何の分別もなく口に、ただ称名ばかりを称えたれば往生すべき様に思えり。それはおききにおぼつかなき次第なり〉と、仰せられてありますが、如何なることでありますが」 とのお尋ねに、そのお尋ねに対し、 「私、あなたにお尋ね致します。あなた様お念仏が出て下さいますか」 「しません、でません」 「それなら私やあなた様にはこのご意見頂く資格さえ有りませぬ。お念仏を事実称えてござるお方に対しての上人様のおいましめであって、私の様な念仏一声も称えた事のない、私や、あなたにこのご意見を頂く資格さえありませぬ。御知らせ有難うお礼申し上げます。遠方の処有難う」 とお礼申し上げましたら、御帰りになりました。私は一言なにか申しなさると思って申し上げましたが、何の事なく御帰りになりました。そこでどうなったのか私に分かりませんでした。

○苦海じゃ苦海じゃと言うたとて、はなれられるものでない。そのまま南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、聞く身には、自然に苦は流されてゆく、乗せられてゆく 南無阿弥陀仏。

○御飯はいやいや食べても食べたのが本当なら、腹がふくれる。こんな心でよいのか、こんな念仏でもよいのかと、惑いながら念仏相続していても、いつのまにやら、お腹がふくれる。お念仏の中に破闇満願の徳がそなわってあります。南無阿弥陀仏

○伊勢のお同行が御縁のあとに、ある大徳が詩われたうたが、あまり有難いので持ってきましたと、拝見させて頂きました。 その詩に   ほれてただ 南無阿弥陀仏と 称えかし        こざかし顔は 弥陀にうときに  と。お同行様、この詩の主は大徳故に後生大事と一歩出ていき、仏にほれて、御念仏称えなさった。私は後生大事と、よう出ていきません。私には仏様がわざわざ来て下されました。貴方もほれて念仏申しなさるか。私は仏様がここまで会いに来て下さいました。   いだかれて 南無阿弥陀仏と 聞けよかし         こざかし顔は 弥陀にうときに

○仏様を一度も拝んだ事もなければお念仏一声も称えた事もない。皆、仏様のあやつりであった。一声の念仏は聞かせて下さる一声でありました。仏様が私に成り切って下されたお姿が、今この口に現れて下さる 南無阿弥陀仏にてまします。

○念仏称うるまま、聞くがまま呼び声なり、間違わさぬの仰せであり、そのままが御報謝にそなわり、人に流れてゆく。自利、利他、円満の南無阿弥陀仏なりと。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○念仏称えながら聞きながら、夫は車を引く。妻は聞きながら後押し。ここに人生の幸福がある。  たる事知らされたら長者。念仏聞く身にさせて頂くと、たる事知らぬ身ながら自然に、たる事を知らされて南無阿弥陀仏。

○真宗は因果を超えた法なり。されば因果が恐ろしいから身を慎むのでなく、如来の冥見にはぢるなり。仏の見・聞・知なり。身を慎むと言うのも南無阿弥陀仏の中に、「から」出てくる。仏の声を聞く身ですもの。

○あの機も、この機もない。念仏聞いていれば自然に見えて来る。それにくい入るお念仏。

○現れい出たもう念仏。されば忘れ居て、ふいと南無阿弥陀仏。ああやっぱり御座る御座る。南無阿弥陀仏それそれ南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。念わされる念い。憶念の「信」つねにしてとは、仏様は常に憶念しずめ、私は忘れずめ。

○聖道の教は、教信行証なり。この信は易い。何故なれば悪因悪果、善因善果なればなり。即ち二二んが四、二三が六であるから。然し其の「行」は困難である。自身は悪のかたまりである。悪以外に何もない。其の悪を止めて善をせよと、ゆう事になると自分という者が無くなってしまう。  他力真宗の教えは、教行信証である。この信は「難」である。罪さえあれば助かる(罪より絶対に出られぬと言う事)。即ち二二んが五、二三んが七、とはどうして信じられるか。どうしても信じられぬ。信じられぬからその「信」までも「行」の中に仕上げられている。これを聞くだけである(仏願の生起本末を聞いて疑心あるべからずこれを聞くとゆう)。  聞くとは頂くこと。頂くとは念仏申すこと南無阿弥陀仏。この口に現れたもう南無阿弥陀仏こそ、お助け下さる活仏の呼び声であります。南無阿弥陀仏 阿弥陀様が私に成り切って下されたお姿が今この口に現れたもう南無阿弥陀仏であります。

○念仏申さぬ聞かぬ姿が疑うている姿である

○口称の本願、宗祖のお言葉。   口から悪を造り出す、それを念仏に代えて下されたとは。

○魚釣りに行き、針を呑んだ魚は、にげようにげようと、もがくから浮が動いて、釣り上げられる。もがけ、すねよ、今の間に釣り上げられる。南無阿弥陀仏 親に抱かれた子供が、静かにしておれば、親は居眠りしてひざから落とすかも知れぬが、抱かれていてもがく子供には、居眠りしたら落ちると思って、決して落とさぬ。まどい疑う姿はすねている事。すねればすねるほど親は抱き締める、落とさない。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○魚は、針、竿、あみにかかったと思うているが、かけた人を知らぬ。誰がかけたか、お知識様の口を通して阿弥陀様が、かけた。その阿弥陀様が、南無阿弥陀仏であります。

○或るお方、 「私の助けられる道は、念仏より外にない」 と。あとを言わずに(即ちこの念仏は如来様の呼び声とゆう事を)念仏や念仏やと言うから、私が念仏する念仏するになってくる。  南無阿弥陀仏が活仏お呼び声と、説いて聞かすお方がないから皆迷うている。仏のなさしめたもう念仏を、私が念仏する念仏にしている。念仏とは仏様が私を、念じて下されてある事を念仏という。私が仏を念ずる事でない。

○教ー水 堤ー御育 南無阿弥陀仏

○東漸寺様の仰せに、 「阿弥陀様はお浄土にもござるし、私のところにもござる。阿弥陀様の御身は分の厚いお方やと思う」 と。私はそうは思わぬ。私を連れてゆくまでは阿弥陀様は私にござる、お浄土にはござらぬ。しかし現れたもうお念仏は活仏。私から出て浄土へ帰られ亦私にこられます。心は変わりずめ、一声の念仏は今の心のまま、亦一声の念仏は今の心のままとは、一声一声の念仏は活きていなさる。  南無阿弥陀仏

○富山へ参詣の時、氏「私宅へ来てはどうですか」と。お育てお願い致しますとお世話になりました。三里程電車を降りて、ここに法友がいますので一寸立ち寄りますと。法友は「後からすぐ行く」と。それから平地一里山道半里、景色のよい処で日本海を見下ろし、里は霞がかかって雲の上にいる様でした。間もなく友達が見えまして、もう五六町登った処に友達がいますので今晩はそこで泊めて頂きますと。三人で二時頃着きました。車座になって四人。私はお念仏、三人のお方は学問沙汰。三人の方一人一人「ここにこの様にありますがこれは如何ですか」。私は何にも存じませんので無言で頭を下げて南無阿弥陀仏。「ここに、あそこに、これは何と頂きなさる」と、三人の方が夕食まで。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏無言で頭の下げ通しでした。食後にまたまた一人一人お聖教御和讃、それはそれは大変な事。頭を下げて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。しばらくしてお話が止まりましたので「もうおしまいですか」と申しましたら、亦出るは出るは、私は頭の下げ通し南無阿弥陀仏。次から次からと三人様に承っていました南無阿弥陀仏。「それで終わりですか」と。「今晩はこれで終わります」と、十時半でした。翌朝食後、お経様お聖教御和讃等。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏「それで終わりですか」「ご飯に致します」と。食後出る出る二時頃まで。無言で頭を下げました南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。お話が止まりましたので「お説法は終わりましたかな」と申しましたが、お話は出ませんでしたので「土佐犬が道路を歩いていたらその辺の雑犬が一匹ほえ出したら、あちらからも、こちらからもほえ出しました。土佐犬が何しらぬ顔でゆうゆうと歩いていた。恐ろしいのでない。土佐犬から見れば問題にならぬ、してをらぬ。三匹の雑犬が二時すぎまでよくほえましたねー。有難うございました。お休み下さいませ。帰らして頂きます。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」。富山市内で一泊、翌朝大和へ帰りました。一週間後に葉書が到着、御和讃が書いてありました。返信に「先日は有難うございます。またまたお聞かせ、今後ともよろしく願上げます」と返信致しました。毎日一枚ずつ、返信は前文通り六十九枚。私も返信をと思いましたので「朝顔がとなりの垣根に手を出しました」と書いて、ポストに手を入れて今手を離さんとした時「その葉書入れてはならぬ」とピーンと頭にひびいた。驚いて家に帰り床の間に置いて念仏聞きながら「なぜに」と思って念仏。「あああやまてりあやまてり」とその葉書を捨てて「毎度ながらのお心有難く頂戴致します。私の後生を案じて下されたは弥陀一仏と思っていましたに、富山にも一仏御座った事を存じませんでした。今後ともよろしくお導きのほどお願申し上げます」と書いて返信致しました。翌日からは葉書頂きませんでした。一週間にその方大和へ見えましたので、度々のお便りのお礼申しました。その方「お礼は私の方です。最後のお便り身に撤しました。有難うございます。おくれながら只今より 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。私もお引き立て蒙り有難う存じます。お名号様を書いて下さい」。私でよろしければと。出来上がったら「今一度私宅へお越し下さいませ」「はいはいお導きに預かります。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」 (注)私に手をかけて下さって私が亦その方へ手を出したことになると。

○元祖上人は〈信をすすむれば邪見となる。行をすすむれば自力となる。術なく候〉と。  称えて下さる念仏なれば、自力はないはず。

〇安心決定鈔に 「我が力もいらぬ他力の願行を久しく身にたもちながら、由なき自力の執心にほだされて、空しく流転の故郷へ帰らんこと、かえすがえすもかなしかるべきことなり」 とあり。他力の願行をたもちながら迷うとはいかなることかと、 (一)聞きながら「聞かざる者」 (二)聞きながら「行ぜざる者」 (三)聞いて行じていながら「自らの行を行じている者」

〇愛知県三河のある同行宅へ詣らせて頂きました。「家」「納屋」の広いことに驚きました。座敷一間だけ畳を敷いて後は一枚も敷いてない。御縁がすんでから「どうして畳をしかないのですか」と、お尋ね致しましたら「家も納屋もモミを入れますので敷けないのです」。家も広いし納屋も広いのに、中の空き地も広いのに。「家と納屋の間が広いのはモミほすからです」「何町ほどありますの」「二十町以上作ってます」「それは大変ですなあ。私は田も畑も山もみな私の物ですが世話ができませんので人様に預けてありますがなあ」「預けてあるなら、なぜ配給のお金払いますの」「それは預かり賃ですがなあ」「エーエ、私は家の次男ですが、長男が子供を、おいて亡くなりました。母は兄嫁と夫婦になってくれと申しましたので、夫婦に成りました。私、子どもがありません。息子に嫁をもらって孫二人居ます」「息子さんに子供も出来て一人前になりなさったら、親にも兄にも顔を立てた。今から貴方の事をする事です。分け前をもらって貴方の事をしなさってはどうですか」「私今思いました。大きな物をあずかって苦労して自分の事を忘れていました。早速息子に話して、くれるだけもらって別居致します。もう私のなすべき事は皆致しました。私の子供が無いのがよかった。今日まではあれを思いこれを思って今日に到りました。よきお方に会わせて頂ました。 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」「初めて会っていらざる事を言うてすみません」「いらざる事ではありません。入り用な事です。目が覚めました。有難うございます」。その後直ちに庵室を借り日夜お念仏のみ 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

〇名高き妙好人三河の七三郎さん宅へ一人の信者一泊の宿をたのむ。それを心よく受けて仏間に休んで頂いた。その同行仏壇の方へ足を投げ出し、見苦しき姿を七三郎さんの友人が見て「あの姿は何事ぞ」。七三郎さんに言う。七三郎さんは「昔の私の姿を見せてもらった有難い」と。これを聞いた友同行が本山へ参詣して、香樹院様にお目通りして七三郎さんの話をした。香樹院師は「七三郎は有難い同行よと聞いていたが、まだそんな処にいるか」と。その言葉を聞いた友人、七三郎さんに話した。それを聞いて七三郎さん早速都へ上がり香樹院師にその訳をたずねた。香樹院師曰く「昔の姿がそうであったら今はさぞかし立派であろうなあ」と。七三郎おそれいる。我々は昔も今も一寸も変わらぬ、姿は同じ。今も、東へ東へと向いている。どれだけ念仏しても地獄行きは変わらない。ただ念仏聞いているか、いないかの違いあるのみ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

〇大阪難波別院内に、おはるさんという念仏者ござった。それが七十余年にして天理教に改宗された。こんな例もあることゆえ、我々の心の中に常に狐や狸が住んでいるからどんな心が出るやら判りませぬ。もうこれでよいと思う時がない。常に頭をうなだれて聞かねばならぬ。 南無阿弥陀仏

〇凧を富士山頂を越えさそうと思っても、それはとても出来ぬことなり。しかし糸を切れば、風にまかせ風に乗って富士山を越す。  ああ聞いた念仏しています、こう頂いて喜んでますという、この糸を切れ。日々の所作が如来様のお計らいなれば、称えられる時も、その時の流れ、流れにまかせて(称えられんであかんといわずに)気付かされて、ふき出る一声の念仏は千万遍にまさる。お念仏は続くで有難い、切れるで有難い。切れてはつなぎ、つないでは切れて一生は過ぎる(つなぎずめのお方は上品のお方なり)。この念仏でなければ病気で念仏の聞けぬ時は、こんなことではと思わねばならぬ。  忘るるに亦よりかかるひびきは、仏様が私を念じずめにして下されてある仏様の念仏三昧である。仏様が私に念仏三昧であります。 南無阿弥陀仏 それそれ

○黒野の小里さん宅に詣り、帰りに私と大和へお越し下さった。夏の盛りでした。車中で雨が降り出した。小里氏、こまったこまったと連発。それに対し、自然にまかせておけばよろしいやないか、家を出る時雨模様であるのに傘を持たなんだのならともかく、あのとき晴天でしょう。雨が降ったら濡れたらよいのや。それを濡れまいとするから苦になる。下車する頃には雨が上がって晴天です。濡れたとてあなたに着替えて頂く衣類はあります。こまったこまったと云う口で念仏聞きましょう、と。大和え着けば晴天。それそれ見なさいな、何にもならぬ計らいは心の苦です。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。帰られてから手紙頂きました。あんな無理なこと、もう絶交だと腹の中で思っていましたが、まことまこと有り難うございます、と。私もあやまりの便りを出しました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○姑が嫁に問う。「私を実の親と思うか」と。心にそう思わずとも嫁は「実の母の様に思います」と、答えるに違いない。処が実母が「私を親と思うか」と、若し問うた場合「そんなこと知らん」と答えても実の親子は何ともない。嫁と姑なら大変なことになる。思わねばならぬと思うだけが浅い。へだたりがある、垣根がある。 南無阿弥陀仏

○姑が外出した後で、嫁が寝ころんで休んでいた。急に戸口を開ける音がした。嫁はお母さんが帰って来たと、驚き起きて戸口に出た。姿を見て、お母さんと思ったら、「お母さんか、びっくりせんでもよかったに」と言うた。即ち初めのお母さんは姑さんで後のお母さんは実母である。 南無阿弥陀仏

○三百六十五枚敷きの部屋に住んでいて、障子一枚も入れてない部屋ですき間風が寒いと言えばおかしいこと。障子・ふすまが入れてあってこそ、すき間風です。念仏懈怠とは念仏称えてござるお方のこと。称えさされているだけのこと。

○私は念仏称えません、これだけでよい。称えささしめる、念わせる念い、それでよいのに、称えられんであきませんと言う。其のあきませんと言うただけが他人行儀である。だれがあかんと云うた。自分が言うのでしょう。十方衆生と呼んでござる。いいえ私一人を呼んでござる。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○聞くという言葉には、力みがない。そこに乃至のお心がある。亦おのずから増長する。

○南無阿弥陀仏は真理中の真理。五劫の御思案、永劫の修行のあかつきに、出来上がった、成就されたものです。智慧の頂上、御慈悲の頂上である。ただ、ひたすらに聞くべきもの、頂くもの、従うべきもの、受けるもの。聞くとは用いること、随うべきものなり。

○こんなことでは、これにてよし、とは定散自力の称名、定散二心に離れて南無阿弥陀仏と、称える、聞くのである。 南無阿弥陀仏

○日本の国に生まれて、この法に遇い得た、得させて頂いた。これ天皇陛下、かずかずの御恩の賜と、一度お念仏御礼申し上げたき思いより、三ヶ月休みなしに、六日間の日を前に座し、開け上京。二重橋お念仏御礼、明治神宮、靖国神社に、心行くまで念仏御礼。

○往生の道、と申されました。往生の訳なれば、私らはとてもとても 南無阿弥陀仏。

○聞かねば分からぬ。聞かずともよいとは言わぬが、念仏捨ててまで講釈聞く必要はない。念仏称えるままが、聞いている。

○火事と自ら気付いて逃げ出す人もあり。火事と知らされて、逃げ出す人もある。火事だと呼ばれても、火の付いた家に気付かず、寝ている赤子もいる。平気で寝ている赤子を、抱きかかえて逃げ出すよりほかには助かる道はない。吾々は何と云われても火の付いた世界、火宅無常の世界と聞かされても、それを本当に気付かない。平気で暮らしているこの私に、阿弥陀さんが私にとび込んで来て下され、私を抱きかかえて下さる、其の御姿が、今現にこの口に聞こえてくださる。 南無阿弥陀仏

○寝ずに念仏申したいと思い称えてみたが、一つも私の思いは間に合わなかった。実は一度も、仏様を拝まず、一声も念仏せずじまい(自分がしている様に思っていたが)。然しそれでよいのである。一声のお念仏は、仏様が称えて下されてあったのでありました。聞こえて下さるお念仏でありました。

○説教お聞かせに頂かれば、何とかなるであろうと、思うのは、機のかいかぶりである。何ともならぬ 南無阿弥陀仏。

○仏様が、私になりきって下されました。

○〈お念仏の御縁にあう〉と言う事は、乞食が億万長者になったより、まだまだえらい事や。この仕合わせを得させて頂いた事を、それ程にも喜ばん。これは如何なる事かと思いながら床に着いた。夢に「朝顔や その日その日の 風まかせ 南無阿弥陀仏」と出た。なるほど、こんな者が嬉しいと思っても、思わなくとて一緒や。私の心は阿弥陀様の方には、勘定の中に入っている。私は私のまま南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、それでよいのに、私が承知せぬだけのこと。何か変わり目が見たいのが、私等の心、それはいらざる事や。

○仕事に追われて念仏の出ぬ時も、一声南無阿弥陀仏と、出て下さると矢張り仏はここにござると気付くと、亦出なさる。天地の中に在りて、どこからも抜け出る事の出来ぬ如く、既に如来のふところの中にい抱かれて、逃げ出すことの身である。一代無理言うて、南無阿弥陀仏。

○私には私の仏様が付いてござる。息子には息子に、嫁には嫁に、何にも思うことはいらぬ。いつかは流れ出る南無阿弥陀仏。

○お念仏は出そうにない口から出て下さる。

○お念仏をいつも、軽く軽く聞いている。然るに南無阿弥陀仏は重いのである。重いのに亦、軽いのである。なぜなればこんな、口に、持てるから、たもてるから。

○南無阿弥陀仏に、人間の知恵を持ってゆく。其処え物指しを持って行く。人間で計られる様な法なれば、この私等は助からぬ。

○条件の付けない念仏  条件の付かぬ念仏

○阿弥陀さんから信心もらうのでなく、阿弥陀さんをもらう。阿弥陀さんから念仏もらうと、思っていたが、念仏が阿弥陀さんであった。 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

○冥見と言う事は、スダレの中から外は見えるが、外からは、中がみえない。おまえは判らぬが、阿弥陀さんは、何にもかも知っていると言うこと。

○私に相談なしに、頼みもせんのに私の南無阿弥陀仏に成りたまい、阿弥陀さんが、称えさせて、阿弥陀さんが念う処へ連れて往く。

○田舎へ嫁に行っている娘に、親がお祭りの御馳走を持って行った。親子話しで花が咲く。御飯の時娘は、親が持って来た御馳走を出して「お上がり」と、言うたら、親は「御馳走様」と頂いた。  親から貰ったもらい物で、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏するまま、御礼報謝に受け取って下さる。御礼報謝に具わる。

○或る師、私の助けられる道は念仏よりないと。後を言わずに(即ち大悲招喚の声)念仏念仏と言うから、私が念仏する、と言う念仏になる。

○南無阿弥陀仏が呼び声ならこれで充分です

○兵庫県のお寺様に、〈今年五月十一日より十三日まで、報恩講のご縁が有りますので、お詣り下さい〉と、正月にお越しの節ご案内を受けました。布教師ですがよくお念仏なさいます。普通のお寺様では有りません。「お詣り」の翌晩になって、二百五十円しか有りませんでした。汽車賃が五百円入り用です。いまさら詣れませんと、電報も出来ず何としようかと思いながら寝ました。夢に「五百円あたえるから詣れよ」と、目が覚めました。とび起きて早速出かけましたら、十二時半頃着きました。ご院主様に、十三日は村にご縁が有りますで十二日の夕方に帰らして頂きますと、前以て、申しておきました。「忙しい処実に済みません。汽車賃もせずにお願い致しまして済みません」「私お育て蒙りますのに汽車賃など思っていません」。ご院主様は「今回是非お頼みしたい事がありまして」「それはどんな事ですか」と。「子供が五人ありますが、長女は二十才で胸が悪く医者は一ヶ月の命しかないと申されます。実に恥ずかしい事ながら娘にお念仏の法話を語る力が有りません。この度は貴方と思いましてよろしくお願い致します」との事でした。「ご院様で出来ない事が私如き者では、無智な者がそんな事」と。「貴方なら御縁が有ると思いますので」との事でした。間もなくお詣りの方々が見えました。読経は十五分ばかり(お客僧はなく親子二人でした)、お念仏二時間。夜分も其の通りでした。お泊まりの同行は二十人。夜分はお念仏二時間。お同行が、まだ休ませて頂くのも早いので、ご院主様は「松並さんは歌が上手やと聞いています。歌一つ聞かせて下さい」と。お詣りして歌とはと申しましが、聞き入れなく、それでは一つと言うた時、頭えピーンと来た。〈一寸お待ち下さい〉と。娘さんに〈今から本堂で歌をうたいます。本堂え聞きに来ませんか〉と申したら〈行きます〉と、本堂え見えました。十までのかぞえ歌を、「四つとや、呼びづめ立ちづめ招きづめ 弥陀はこがれて あいに来た 其のお姿が南無阿弥陀仏」「松並さん一寸お待ちください。お念仏は阿弥陀様が、私を迎えに来て下さったお姿ですか」と。「そうですともそうですとも、あなたや、私の為に長の御苦労なし下され、南無阿弥陀仏と声の仏になり、お浄土にも居られず、今、あなたや私を連れに来てくださった、あいに来てくださった仏様が、あなたの口から出て下さる南無阿弥陀仏ですよ」。娘さんは大きな声で「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」「それそれ其の仏様に助けられますのですぞ」。一同涙を流して、娘さんのお念仏に、ひきずられて南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。娘さんは「これでこの世を立たせて頂きます。皆様有り難う」「娘さん、体にさわりますおやすみなさい」「はい南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。本堂で二十人泊めて頂きました。その前に娘さんが本堂え見えて「皆様、これで失礼させて頂ます。お元気で」と本堂え見えました。翌朝あるおばあさんが「松並さん私宅へお越し下さいませ」と。「私昼から帰ります。お寺さんでも、布教師さんでも有りません。ご縁が有りましたら亦お世話になります」と。「またとは捨て言葉、ご院主様に頼んで来ます」と。ご院主様は「御法礼出して来て頂いたのでもなし。私の勝手ではいかぬ。行くと言われたら、行ってもらいなされ」と申されましたので、「御願いいたします是非に」と申され、仕方なくお世話に成りました。電車で二駅、電車賃がない。散歩がてらに歩きますと申せばよいと思い「駅まで歩いて行きます」と申しましたら、「三十円ぐらいでそんな事せず私が買います」と。おばあさん宅へ参りましたら、村人五十人ほど詣っておられました。昼まで二時間念仏。「私何にも判りませんので」。お茶が出まして、亦「歌一つお願い致します」と。「また歌ですか」と。一つ歌ってお昼。午後は一時間半念仏。お茶、また一時間半念仏、風呂に入り食後、一時間半ずつ二回、また歌でした。夜分はおじいさん(主人)もお詣りでした。これも一時間半二回。「亦歌ですか」と申しましたら、主人が「私昼の御縁の時仕事の都合で聞かせて頂きませんでしたので、どうぞ」。同じ数え歌十まで、おじいさん大声あげて泣き出し、「おじいさん何をなさいましたのですか」「何もかも有りません。ちょっとお待ち下さい」と、奥え行かれて「これを」と見せて頂きましたら歌でした。  くゆるとも 今は及ばじ としの暮         称うる道に はげめ心よ とあり。おじいさんは「有り難うございます」。おじいさんは「聞いて下され。私宅は一蓮院様のご門徒で、毎月命日に来て頂きます。お経様が終わると帰りがけに、玄関の入り口に片足外に、片足ふりかえって〈お念仏申しなさいや〉と、他の事は一言もなく、唯それだけ。私その時十六才、あのお寺さん年中同じ事ばかり、あのお坊さんは、あれより他に何にも知らぬお方やと思っていました。其の後、後藤さんと申す方が寺の住職として見えました。その方もその通り、今日初めてあなたに会わせて頂き初めて知らされました。一蓮院様も後藤様も、もっと偉いのは貴方や」「私は何も判りません」「いいえ、呼びづめ 立ちづめ 招きづめ 弥陀はこがれて あいに来た 其のお姿が 南無阿弥陀仏 もう説教詣りは致しません。おくれ乍ら一代この声を聞きながら、この世のおさらばに致します」と申されました。お詣りのおばあさんが「明日私宅えお越し下さいませ」「いいえいいえ、今日帰らねばならんのに、連れられてお世話になりました。明日帰ります」「そんな事言わずにお願い致します」。当家のおじいさんも、おばあさんも〈行って行ってやって下され〉と申され「それでは一時間お世話になります。お茶だけで結構ですから」と、翌朝連れられて参りました。玄関へ入ると同時に頭から「つぼ」をかむった様になりました。「ハハーここのおばあさんは我が機に、悩んでござる」と判った。おばあさんとまではいかぬまだ若い。「あなたお詣りはじめて何年になりますか」「二十年余りです」「この辺は仏法盛んな地でどなた様にも会いなさったでしょうが、中でもどなた様に一番御縁が深かったのですか」「はい○○師です」「山口県のお方ですね」「ご存知のお方ですか」「いいえ存じませんが、お会いしたことも有りませんが、我が機をせめる、我が機を知れ知れとの御教化でしたな」「その通りです」  「善導大師は高僧なるが故に、罪悪の凡夫、火宅無常の世界を知って世をいといて仏道修行なさったお方です。吾々は知らされながら、聞きながら、なおこの世に漂う者であります。一つには機の深信(助からざる者と深く信ぜよ)、二つには法の深信(助ける)、この二つが、一つに出来上がったのが南無阿弥陀仏であります。南無(助からぬ機、たのむ機)まで成就なし下された(タノムとは、おまえの後生はタノマレテヤルデアテタヨリニセヨ)。助からぬ身を助けたもうが、法の深信(カナラズ助ケル)であります。聞き初めて二十年、いくら機の悪さが知れたとて二十年、それも自分自身が悪い奴じゃ言うていても人が悪い人やと言えば、聞けば、お前より善いと善人になる、腹を立てる。二十年悪い奴と知っても、吾々の知れたのは浅信と言うて、浅い信である。仏様は久遠劫来より三世に渡って、助からざる者と、見込んで助ける南無阿弥陀仏に成り給う。機と法とが一つの南無阿弥陀仏を頂けば、ある片面に我が機を照らし出され、ある片面にその者この機を助ける法を照らし出す。機(助からぬ)と法(助ける)、離すに離されぬ。南無阿弥陀仏を判り易く、二つに分けて御教化下されたのが、二種深信であります。私や、あなたが如何に知れたとて浅信、あさい信です。仏様は過去、現在、未来あい通じて、これから造る罪まで見抜いて、助からざる者と、仏様が、悪業のかたまりと見抜かれた事を深信と言うて、深い信である。其の者を救う、これが法の深信です。それが南無阿弥陀仏になりまします。南無阿弥陀仏を頂けば、頂くとは念仏申すこと、称えること、称えるままが悪い奴、助からぬ私やと言うている事でもあり(機の深信)、其の者を助けると言う呼び声でもあるのです(法の深信)。亦有り難うと歓喜でもあるのです。お礼にもなるのです。頼みもせぬに、私の知らない昔に、私の助けられる南無阿弥陀仏に成りまします、声の仏にてまします。生まれたままを助けるとある南無阿弥陀仏なるに。あなたに苦労させる、かける仏でない。苦労は親がして成就したもう南無阿弥陀仏を頂くだけ、称えるだけ、頂くだけ。呼び声なるが故に、口に現れ給う念仏を聞くだけ。  親は子に 身も代もかけし 賜を       嵐の夜半に 寝ながらにきく  あなたが助からねば、仏様も助からぬ、親子の生命は一つですよ 南無阿弥陀仏」  おばあさんは泣いて泣いて南無阿弥陀仏。「それなら、もうすでに私のこの口まで来てござったに」「はいはい南無阿弥陀仏」「もうお寺は詣りはやめて南無阿弥陀仏と遊びます。二十余年の荷物を肩から下ろした様な、有り難うございます」。これは汽車賃のたしにと、其の時帰る帰ると言うていましたが、汽車賃の無かったことに気が付きました。おばあさんの前で其の包み紙を開いて見ましたら、おばあさんは、びっくり顔でしたが、事の前後を話し、五百円以上なれば、お返しせねばと、目前で見ましたが仰せの通りでしたので、頂きます(それが頂き初めでしたので)。それからはお同行に頂くのでなく、仏様に、から頂いた物と身に受けましたので、其の様にしています。其の後お手紙頂きましたので、二回ほど詣りましたが、また大変な事になりました。

○縄梯子は、ぶらぶらしているが、元がしっかりしているからよい。 南無阿弥陀仏

○鳴ったものと、聞いたものは一つ。鳴ったものが、はっきりしないから、聞いたものが、はっきりしない。自分の目の前で鐘がなったら、鐘と聞こえるはず。鐘の音を鐘と聞く。

○足があったで足袋が出来た。助からぬ私がいる故に、助ける南無阿弥陀仏が成就された。さすれば観経の私は南無阿弥陀仏の中に在る、こもる。助ける阿弥陀仏が間違いなく助けると、信じてござったら、阿弥陀経の諸仏の保証は必要はなくなる南無阿弥陀仏。

○信を得れば東向きが、西向きに変わってしまう様に思う。吾々は何時までも東へ東へと向かっている、そのまま西へ西へと引きずられている、行かれる、それが、南無阿弥陀仏。

○念仏三昧の中に包まれている、私であったのです。

○船に乗せられて居るまま、計ろうている。計ろうてもよい。乗せられたからにはゆく。計いとは我が心の名であります。

○仏が私を念じて下されてあるひびきが、この口に、現れ給う。南無阿弥陀仏と聞こえる。

○炭俵もとをただせば、野山のすすき。 米のなる木も、時世と時節、苦労のたね(炭)を腹に抱き、此の身を犠牲に灰となる。さわさりながらその昔、月と遊んだ宵もある。昔はかような日暮しであったのに、今はこうだと愚痴こぼすより、今はこの様な日暮しでも昔はこんな日暮しであったと喜べる炭俵が南無阿弥陀仏。移り変わりは世の習い(宿業のなしわざ)、泣くより念仏せよ。昔の夢をおうよりも今この声を聞け 南無阿弥陀仏。

○弥陀の利剣で、自我が切りくだかれてゆく姿が口に、今も聞こえる 南無阿弥陀仏。

○これまでは 米喰う虫か これからも  お念仏に遇わせて頂いた今も、以前も以後も一寸も変わらぬ、違わぬ、落ちるままの我。今日まで生かされたのは、御利益の最上なり。この利益なかりせば、この法に遇う事は出来ぬ。他の御利益は願うまじ。

○仏法即生活。真宗は、聞く一つにおさまる。世の中も皆聞くにおさまる 南無阿弥陀仏。

○私の南無阿弥陀仏に成り給い。阿弥陀様が称えさせて、私が称えた事になし下された。

○教行信証。教ー旅行案内所、行ー汽車、信ー旅行する人乗る人、証ー目的地。  旅行する時案内所で、何日に出て、何日間どこえ行くと云えば、何時に乗って、何時に着いて、どことどこを見物して、宿はここ、あそこで何時、帰着駅は、何時と、旅行せぬ内から判る。当日汽車に乗る、乗り込めば、行く行くと思っても、思わなくても行く。いやいやと言うても乗ったのがほんとなら行く。早く行き度と車中で走っても、寝ていても同じこと。窓から映り変わる景色に、見晴らしのよい処もあれば、暗いトンネル、山、川、谷、村、町、海、と変わる景色を眺めながら、ここで降りるとて降りたら行けぬ。トンネルがいや、山中がいやじゃとて通らねば目的地に着かない。うつり変わる景色は五十年の生活の景色であり、浄土えの道中の景色でもある。山、川、谷と変わって行くで、人生五十年に「アキ」がこぬ。嬉しい景色の所もあれば、苦しい、悲しいトンネルも有る。腹立ち、業もわく。然し通り過ぎてこそ目的地に着く。喜ぶ、目を楽しませる、景色であります。然し連れられる身ゆえ客車にて眺め楽しんでおればよい。運転台に上がり「ハンドル」を握れば転覆する。要は連れて行く汽車とつれられる私である。動中静あり静中動あり、動いていながら静かなり、静かながら動いている。ある人 「それなら汽車に乗り込む足が、私が乗らねばならぬ。さ様ですか」。 「東京行きと聞いて乗ろうとした時、車輪が一つもない。車内はがたがた、石炭は無い。運転手はよぼよぼ。されば乗ろうと思っても乗れませんがな。だが、見れば堅固な汽車、運転手は丈夫、石炭もある故に乗ったのは、私の足ですか。乗せたのは、汽車・運転手・石炭の丈夫さでしょう。さすれば手柄は、汽車、運転手、石炭の大丈夫さが乗せたので、手柄は向こうにあるのではないでしょうか」南無阿弥陀仏

○五月頃でした。七十すぎた男の方が見えました。「兄ちゃんいますか」「はい」と玄関え出ました。「まあめずらしい事お上がり下さい」。其の方は村のお方で、今は八木近鉄駅前で暮らしていなさるお方で、奥様は今でもお引き立てに預かっていますが、其の方は一度もお詣りなさった事は有りませんでした。「お茶一つお召し下さい」と「どうして今日は見えました。一度もご縁がありませんでしたのに」「今日はご縁日でないから、村人が見えないでしょう。それで、私はお尋ねしたい事があって来ました。村人がござると恥ずかしいから」「あらたまって何の事ですか」「兄ちゃんも知ってござるが私の両親も亡くなった事を、また可愛い息子が戦死した事も知ってなさるでしょう」「それがどうしたのですか」「両親も、極楽があるから早くこいとも、地獄があるから気を付けないよと、一枚の葉書もよこした事もない。それどころか可愛いてならぬ息子でさえ、地獄も極楽もあると、手紙一回もくれた事もない。それで死んで、地獄も極楽もあるものか。人間死んだら、ローソクの火が消えた様に、なくなってしまうものやと思って、家内がお詣りしても私は、一ぺんもお詣りしたことがない。村人がござるとこんな事お尋ね出来ません。恥ずかしくてそれでご縁のない日に、来ましたが、兄ちゃんほんとうに、地獄も、極楽も有るのですか」と。「えらいお尋ねですなー。地獄も、極楽も有りますのや」「ええー有りますのか」「仏様があると仰せられてあります」「人間と、畜生とは一段の違いやと聞いた事がありましょう」「それは聞いています」「一段の違いでも、牛が今何を思ってないていることは、一段上の人間でも分からないでしょう」「分かりません」「同じ人間でも知恵に上下があれば分からない。小学の生徒が、中学の生徒の話は分からない。高等学校の生徒の話は中学生では分からない。大学生のことは高等学校の学生は分からない。同じ人間でも知恵に上下があれば分からない。まして五十二段かけ離れた仏様が〈あるぞ〉と仰せられたら〈ある〉と聞いてはいかがですか。私等はウソの言うもの、仏様はウソの言われぬ慈悲と智慧のかたまり。私や、あなたに分かるはずが無いでしょう。その〈ウソ〉の言われぬ仏様が仏説に説いてござったら、豆つぶの様な人間の知恵で計らわずに、〈ある〉と聞いては如何ですか。あなたや私は〈ウソ〉のかたまり。仏様は真実のかたまり。あなたの思う通りにローソクの火が消えた如くなくなってしまえばよいが、もし、あったら何としましょう。其の時〈シマッタ〉と、思っても間に合いません。話しはそれますが今日は何日ですか」「五月二十五日です」「あしたは何日ですか」「二十六日です」「二十六日はあると思いますか」「あると思います」「それならあした二十六日を見ましたか」「でも二十五日のあしたは二十六日です」「その二十六日を見なさったか」「見ませんが」「見た事のない二十六日が信ぜられるあなたが、仏様の仰せが信ぜられるんですか。五十二段かけ離れた、ウソの言われぬ、まことずくめの仏説をなぜ信ぜられないのです。なぜ素直に受けられぬ。夜の十二時まで二十五日ですから、時計の下に座って十二時の知らせがチンチンと鳴ったら、それあしたの二十六日を見たと申しなさいな。もう今日になっています。あしたは在っても三千世界の人があしたを見た人は一人もいない。ないがある。あるが無い。奥様が私に『おじいさんは私に〈幾日の日は戦死した息子の命日。早い目にお寺さんを頼んでおけ〉と。私は忘れや、可愛い可愛いと泣いた涙はうそです。おじいさんの方が上や』と、泣いて話しなさったこと度々でした。そのあなたは何事です。ローソクの火が消えるが如くなくなってしまうのなら今年から命日は取り消して、お経様を頂きなさんな。口で立派な事いうても、心の底に何ものかに動かされているのです。用意してあれば頂上ですがな」「ウーン用意します」「いよいよ用意しますか」「いよいよたしかに用意します」「用意すると覚悟が出来たら用意する必要はありません」「エー何と言いなさったか」「いよいよ用意すると覚悟が出来たら用意する必要はないと申しました」「なぜですか」「その用意の出来上がった姿が南無阿弥陀仏、声の仏様です。往生の大役はあなたやわたしの知らない時から、あなたやわたしの後生を案じて、わたしやあなたが助けられる、助けて下さる仏様に成って下さった活仏が、あなたの口を通じて出て下さる南無阿弥陀仏ですぞ。奥様は、おじいさんは〈おれは親に孝行した覚えはないのに息子や嫁が孝行してくれる。食べたい物は食べて、行きたい処え行って、朝夕の散歩が私の仕事〉と喜んでござると。だまって散歩するのも、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と散歩してもお金も必要ない。すべての方々に御礼申している事が南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏称えていることです。この声を聞き乍ら余生をすごしなさいや」と。七十余才に初めて南無阿弥陀仏に遇えたと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。六月第三日曜に奥様見えまして「おじいさんがお念仏申しているのに驚いて、話しを聞いても何も言わずにただ念仏していますので私も、お導きにあずかっています。後日尋ねましたら、念仏堂の兄ちゃんはえらい人や、あるとも無いともいわずにあると言うた」と。其の後三・四年すぎて病気と聞いてお見舞いに行きました。病室え行きましたら「起こしてくれ」と。「おじいさん寝てなされ」と申しましてもそんな事と、起きて二十分ほどお念仏して、帰りに奥様が玄関で「兄ちゃん病人はどうでしょうか」と。「あんた毎日横に居て分かりませんのか。もう仏様になってござる。半月は大丈夫故、親類の人に会わせてあげなさい」と、申して帰りました。其の後も心にかけていましたが、やっぱり十五日目に、往生なさいました。 南無阿弥陀仏

○宗祖は  是非しらず邪正もわかぬこの身なり。 往生ほどの一大事、凡夫のはからうべきことにあらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議を計らうべき人は候わず、まして況や凡夫の浅智においてをや、かえすがえすも如来の御誓いにまかせ奉るべきなり    南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

○南にごともただ南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
無理するなただ南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏   阿じわえやただこの南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏   弥のりとはただ南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏   陀のむとはただ南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏   仏とはただこの南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

○一人称えて一人で聞いた  母と二人の声がする  ほんに念えば有難や

○不思議に出てくる六字の主は  今のからだに仮り住居  ほんに念えば有難や

○見えぬみ親にあいたい時は  六字称えて声であう  ほんに念えば有難や

○よくよく心をしらべて見れば  鬼と仏の裏表  ほんに念えば有難や

○いつも我家は荒藁屋なれど  内で愉快の鼓打つ  ほんに念えば有難や

○無理をいわれて退くではないが  負けるたびたび勝ち戦  ほんに念えば有難や

○南無阿弥陀仏を称えていても  今の五尺の仮住居  ほんに念えば有難や

○闇に鉄砲の念仏なれど  母の御胸にみな当る  ほんに念えば有難や

○声はすれども姿は見えぬ  胸のどこかに時鳥   ほんに念えば有難や

○遠い浄土と思うていたが  今の我が家を知らなんだ  ほんに念えば有難や

○今は嬉しや三枚敷も  私のためには瑠璃御殿  ほんに念えば有難や

○逃げてまわりしこのやつを  今は摂取に抱きとられ   ほんに念えば有難や

○人と生れてたのもしや  一依に称名ほのぼのと  まだ見ぬ国に南無阿弥陀仏

○二尊様のお育てに  再度と遇れぬ本願に  あわせてもろうた南無阿弥陀仏

○み名聞きながら働いて  汗にたぎらす夕餉のまどい  二世の御利益南無阿弥陀仏

○よびづめ立ちづめ招きづめ   弥陀はこがれてあいに来た   そのお姿が南無阿弥陀仏

○いつも六字と二人が一人  この親様を知らなんだ  寝るも起きるも南無阿弥陀仏

○無限極りない六字  あたえて言わせて信じさせ  あなたばかりで南無阿弥陀仏

○何が何だか判らねど  六字の信にたのまれて  憑めば報謝で南無阿弥陀仏

○一度六字で親にあう   笑声する親と子の   口に聞こゆる南無阿弥陀仏

○三世の諸仏にはなされた   ままよみ返る姿こそ   口に聞こゆる南無阿弥陀仏

○夜昼ゆるがぬお育てに   常に護りてたえざるは  口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○いかに迷いは深くとも  この道照す光こそ  口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○昔を今に待ち兼ねて  より添うみ親の叫びこそ  口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○泣くに涙もかれはてて  頼る頼りも尽きた身に  口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○大和島根はまだおろか  この声のび行く流れ行く  口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○一依にお育てよろこべや  この度み法に遇いし身は  ほめよたたえよ南無阿弥陀仏

○深き障に御恩の重さ  仰せにかしずく身の軽さ  口にわくわく南無阿弥陀仏

○見目聞耳心まで  炎はき出すこの口に  だれが喚ぶのか南無阿弥陀仏

○よくよく仏は業な御方  むなしく昏れゆく私を  それほど可愛か南無阿弥陀仏

○弥陀の誓いないなれば  泣き々々悪道へ沈む身を  それ程可愛いか南無阿弥陀仏

○命に限りのある身にて   聞くに限りのない慈   うけて蒙る南無阿弥陀仏

○無理な願いに頼まれて  計いはなれて随うばかり  憑む心も南無阿弥陀仏

○何が何だかわからねど  六字の信に頼まれて  憑む心も南無阿弥陀仏

○やる瀬ないのは親心   にげてもにがさぬ強縁に  からめ取られて南無阿弥陀仏

○ここは迷いのうち止めや よくよく聞きやれこの六字  無理に連れゆく南無阿弥陀仏

○称うるお声が活仏  喚ばれて居るとは知らなんだ  不思議々々々の南無阿弥陀仏

○一声称える念仏は  より添うみ親の姿とは  よぶもゆかしや南無阿弥陀仏

○二つとてないただ一つ   親は六字の名となりて   今ふりかかる南無阿弥陀仏

○耳にみ親の声を聞き   からだにみ親の血が通う   口に親よぶ南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏を称うれば   南無阿弥陀仏に流れ行く   ほんにゆかしや南無阿弥陀仏

○病の根を断るお名号   あたえてくださる六字丸   のませて血となる南無阿弥陀仏

○この身は人よりおろか者   恵は人よりいや高く   受けて身にしむ南無阿弥陀仏

○称うる仏に照らされて   さわぐ波風そのままに   うれしはずかし南無阿弥陀仏

○いつも六字に導かれ   身のほどほどに世を渡る   橋もまどかに南無阿弥陀仏

○西も東もわきまえぬ   親にだかれた赤子なら   乳房ふくめて南無阿弥陀仏

○枯れたこの木(機)に春が来て   鳥も啼くなく花も咲く   仰ぐ青空南無阿弥陀仏

○苦しみ悩みの奥底に    縁なき魂に湧く水は   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○説くともつきじとのべたまう   極なき恵の信こそ   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○一心もちて一仏を   讃むれば無碍人を讃むるなり   讃むれば尊や南無阿弥陀仏

○十二の光明ことごとく   内外照すみ光に   口も心も南無阿弥陀仏

○三十六百千億の   光は十方に超え放ち   響き渡った南無阿弥陀仏

○至心信楽欲生と   三信まるまるあなたから   行者帰名の南無阿弥陀仏

○五種の正行ことごとく   礼拝讃嘆懇ろに   敬いく南無阿弥陀仏

○五種の正行ことごとく   前三後一は助行なり   敬いく南無阿弥陀仏

○六字の御手柄聞いてくれ   称うる一つで摂取して   抱いて連れ行く南無阿弥陀仏

○十七弥陀の店開き   諸仏は讃めて御請合い   異口同音の南無阿弥陀仏   ○十八弘誓の約束に  行と信とは離れぬぞ  計い離れて南無阿弥陀仏

○功徳は行者の身に満ちて   不可称、不可説、極もなく  溢れてこぼれる南無阿弥陀仏

○再度と迷わぬお証を  得させていただく御大恩  忘れさせぬぞ南無阿弥陀仏

○うきことも  悲しきことも右左  たもとに入れて南無阿弥陀仏

○極楽に 程遠からぬ 風情かな  伊勢の庵に 念仏の声

○無理な願いにたのまれて  思いはなれて添うばかり   たのむ心も南無阿弥陀仏

○喚ぶ声一つをたどりつつ   嵐の中よりもれい出る   光さやけき南無阿弥陀仏

○いつも流れる念仏は  ここにいるぞの声なれば   今招かれて南無阿弥陀仏

○昔の心そのままに   救う誓いのうれしさは   むかえ取られて南無阿弥陀仏

○泣いて迷うたきのう今日   今は恵の慈悲になく   親は子を喚ぶ南無阿弥陀仏

○病む子にそそぐ親の息   聞こえましますこの口に   呑めば甘露の南無阿弥陀仏

○この岸はなれて彼の岸に  渡すかけ橋六字船  ろかい取られて南無阿弥陀仏

○称えよろこぶそのままが  連れてゆくぞの便りとは  聞くもたのもし南無阿弥陀仏

○理屈ばなれの慈 けなら  理屈はなれてなくばかり  なかせて亦なく南無阿弥陀仏

○一度六字の親にあう   笑い声する親と子の   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○西に東にかぎりなく   北にみな身(南)に入り満ちて   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○見るに見かねてここえ来て   育てみちびく姿こそ   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○夜昼ゆるがぬみ心の   常に護ってたえざるは   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○夜昼へだてぬ業の綱   常に断ちきる剣こそ   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○昔を今に待ちかねて   血のたるみ親のさけびこそ 口に聞こえる南無阿弥陀仏

○山道谷底とげの道   強く生きぬく力こそ   口に聞こえる南無阿弥陀仏

○口もるる 法のしずくに 泣き濡れて       またよみ返る 念仏の道

○一声も もらしたまわじ 法の道    聞くもたのもし 声のたよりを

○雨は降る々々 日は暮れる  夜風身にしむ旅の空   生死の海の渡し場で  船賃忘れて南無阿弥陀仏

○人と生まれた嬉しさは 末代なれどみ仏の   教えを受けてこの度は 迷いをはなれる時は今   この度つとめずふる里に 帰らば実に受け難き  人と生まれし尊さも すべて空しくなりぬべし   無常の悲しみ目の前に 誰かのがれる術あらん  人皆心に心して 常に教えを求むべし  教えは広くかずありて いずれも釈迦の説なれば   仰せのごとくにしたがえば 共に生死をはなるべし   あわれなるかなお互いは 修行の足腰立たぬ身で   導きたもうはけ高くも 身には一つも添い難し   ここに念仏往生の 一門こそは我々を   易くうまれん因にとて 南無阿弥陀仏に成りたもう   この源は法蔵の やむにやまれぬ強縁に   我が魂 いだいて今ここに 南無阿弥陀仏と湧き上がる   声に姿も名もこめて 心を照らす慈悲の御手   恵みの親か喚ぶ声か 求められたる目無鳥   元の心をそのままに いらわず口に南無阿弥陀仏   けがれたこの口清めずに 声にい出して南無阿弥陀仏   体は渡世の道具箱 この口ひまだよ南無阿弥陀仏   雨降る朝や風の夜 降れや吹け々々南無阿弥陀仏   この声聞く身のたのもしさ 闇夜の燈火また月か   かわいたのどをうるおおす 甘露の水かはた糧か   命と命の道一つ 仏の心を心とし   共にたたえん法の友 共にあおがん南無阿弥陀仏

○光輝く西方の
安楽浄土の我が親は
自ら慈悲の使者となり
釈迦となりては八千返
宗祖となりて三国に
和国に親鸞また蓮如
波のよせかけ帰る如く
難作能作の御苦労も
私一人が御目当てと
知らぬ昔がはずかしや
不可称不可説不可思議の
仏の御智慧を頂けば
娑婆の苦悩はどこえやら
心はうきうき喜びが
小さな胸にあふれ出し
思わず口に称名が
称えて光る活仏
御恩の中から芽を出して
慚愧で送る仕合わせと
知らぬ昔がはずかしや
見ざる言わざる聞かざると
役ない事に立ち寄るな
善きも悪しきも縁次第
心の駒はどこえ行く
地獄か餓鬼か畜生か
自業自得で三毒の
苦海にあえぐ私を
しっかとい抱いてみ仏は
安楽浄土へ連れてゆく
知らぬ昔がはずかしや
夜昼み親にい抱かれて
ここは地上か天界か
松吹く風や波の音
空にさえずる鳥の声
峰よりおちる瀧の音
お寺の鐘は朝夕に
諸行無常となりひびく
総てを知らす私の
迷いを覚ます喚び声と
知らぬ昔がはずかしや
いかにこの世は開けても
仏の教えにあわぬ身は
暗い人生唯一人
何を目当ての人生ぞ
泣く々々行くか三悪道
火の中分けても法を聞け
五劫の思案は誰のため
命をかけた名号を
あたえて喜ぶ我が親と
知らぬ昔がはずかしや
無始よりこの方この世まで
迷うて来たれど今は早や
あやうげなしの道中を
口に称名たえまなく
観音勢至の案内で
日夜生死をふみ越えて
浄土へさして進みゆく
本願弘誓の船の中
不退の喜び我が身ぞと
知らぬ昔がはずかしや
泣いて別れた親や子に
再度の対面お浄土で
三明六通無碍自在
十方世界をながむれば
迷う衆生が可愛さに
亦も出て来る還相に
普賢の徳を行ずなり
行くもかえるもみ仏の
大願力のたまものと
知らぬ昔がはずかしや
山より高い父の恩
海より深い母の愛
鳩には三枝の礼儀あり
烏に半歩の孝の道
人と生まれて孝なきは
人間以下の者なるぞ
不幸の罪は人千人
殺すにまさると聞き得ては
身の毛もよ立つおそろしさ
知らぬ昔がはずかしや
この世はしばしかりの宿
家も田畠も妻も子も
たのみをかけし我が身まで
かりものなりしと聞き得ては
明け暮れ造る罪とがに
炎はもえる足の下
やがてご縁のつき次第
迎えに来るは火の車
死出の山路で鬼が待つ
知らぬ昔がはずかしや
等覚不退の弥勒さえ
一段上がるご修行に
五十六億七千万
まことの徳を得る人は
五十二段も飛びこえて
妙覚果満のみ仏と
思えばうれしやきのう今日
み名よぶ人々集まりて
心を合わす法の園
知らぬ昔がはずかしや

○泣いて涙のかわかぬ内に    またも泣かすか明けの鐘

○七色の 何れの道を 渡るとも    虹のかけ橋 夢の浮き橋

○寿を 声にゆずりて 春や春    松くれ竹に にほうあけぼの

○夜嵐に 雨戸をたたく 音さえも  み名称えかしと 我にささやく

○開かじな ことある毎に 口の戸を   南無阿弥陀仏と 称うほかには

○称えつゝ、よびつゝ よばれつゝ  雨も降りつゝ 風も吹きつゝ

○御名聞きながら働いて   夕にまどろう語り草   二世の御利益南無阿弥陀仏

○今々が 夢の浮き橋 渡る世に      まことの声を 聞くぞうれしき

○称えて下さる称えましょ   聞いて業のはてるまで   恵のみ名を親の名を   あゝ我が力     称えて下さる称えましょ   波間の底からほのぼのと   恵のみ名を親の名を   あゝ我が光     称えて下さる称えましょ   流れる雲にまかせつゝ   恵みのみ名を親の名を   あゝ我が生命

○火と水の その中道を 漕ぎ分けて      ほとばしり出る たゞの一声

○親は子に 身も世もかけし 賜を      あらしの夜半に ねながらに聞く

○水蓮の かげに居眠る 小蛙の      世は安らかに 青い雨降る

○高らかに なくや真昼に 時鳥     深山にあらで 木曽の川辺に

○美しき 心にまさる 花あらじ      蓮花より 桜花より

○新しき 孫の晴着に 色映て     無量寿仏の 春を讃えん

○生れなば 共に証らん 長き世の     旅の夜風 宿のかず々々

○やみの世に やみの道行く 露の身に     おくゆかしきや 今のこの声

○夜半に嵐の 吹くとも知らず     咲いて笑てる山桜 ナムアミダナムアミダ

○さわぐせせらぎ よどみの淵も     同じ流れの川の水 ナムアミダナムアミダ

○よほどアミダさんは 私にほれた     日毎夜毎に会いに来る ナムアミダナムアミダ

○一人称えて一人で聞いた     母と二人の声がする ナムアミダナムアミダ

○ないて見たとて 帰らぬ夢を     なぜに今夜はまたさわぐ ナムアミダナムアミダ

○不思議に出てくる 六字の主は     いまのからだに仮住居 ナムアミダナムアミダ

○流れ世に あの川 この山 たに渡る      身にも初音の 声ぞゆかしき

○ほれらえて 南無阿弥陀仏と 聞けよかし      こざかし顔は 弥陀にうときぞ

○聞きわけし 言の葉末を うちはなれ      南無阿弥陀仏と 称え皆人

○手を打てば すぐ角かくす かたつむり  打てば手を出す 恥かしの我

○とんで来て しばしみ名よぶ つかの間を   あら尊やと とんでゆくらん

○ふいと出る この一声の さけびにも  血潮はたぎる きもにくい入る

○いたずらに もてあそばじな 身をかけて  こがれより添う 君を偲べば

○会うてまた あすあふ人と 知りながら   大和にむすぶ 阿下喜の夢を

○善し悪しを うつす姿の 影法師  おのが心は 鏡なりけり

○つれてゆく 親にまかせて はつかりの  なくなく渡る 我が思いかな

○はからわず 南無阿弥陀仏と 称ふほか    言うも思うも 迷いなりけり

○そら出た また出た ささやいた  声になりきる 生き仏

○きいて連られ護られて    この風この波はし渡る

○きのうは東 今日は西    身はさすらいの旅枕   いその塩風身にうけて  あなたまかせのうきしずみ

○一度六字の親にあう  夢物語りも後や先    口に聞ゆる南無阿弥陀仏

○大心海々々々 あゝ大心海 狐も狸もおしなべて   誇りなき身を誇りとし 取柄なき身を取柄とし   たよりなき身をだきしめる あゝ大心海    これは々々々と仰ぎ これは々々々と南無阿弥陀仏   これは々々々と聞くばかり

○あこがれて 柴のいおりの さ夜中に       覚め淡月 声のすがしさ

○今々と 今という間も 今ぞなく  今と云う今 今とすぎゆく

○今日もまた 思い浮かべて 抱きしめて   より添う窓辺に 泣きぬれて   仰ぐ小月に村雲の かかる心をいかにせん   知るや知らずや伊勢の君

○今ここが それ引かれ行く 業の綱     それいまここに南無阿弥陀

○晴れてよし 曇りてもよし さすらいの     月に宿かる 浮草の身は

○訪れの 人影たへし 柴の戸に     聞く念仏の 声の静けさ

○この声を 聞くよりほかは 何事も     言うも思うも 迷いなりけり

○日がおちて 我が家に帰る 道共に     夜の目覚に 亦ひびく声

○夢の夜を 夢とも知らず 夢をみる     そのただ中に 今の声きく

○世の中の 幾多の人々 皆共に     この身聞法の 為なりしとは     南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○中なれば(お慈悲の中)       こだまはひびく          朝夕に

○ 菜虫は菜の葉に  わいた虫   ぼうふらは泥田に わいた虫   私は地獄に    わいた虫   阿弥陀さんは   私にわいた虫

○ 一劫二劫三劫と  五劫に咲いたるナムアミダ   声をかぎりに   呼んだとて   私に聞かねば   水のあわ

○ 軒にたたせた  乞食でも   長くまたせば  気の毒や   久遠劫来   待たせたる   親をあわれと  思わんか   親をあわれと  思うなら   ああじゃこうじゃをふり捨てて   南無阿弥陀仏と 泣きゃしゃんせ   親も助かる   子も楽や

○ 乱れ髪した   清九郎が   やぶれつづれを 身にまとい   人に乞食と  言われても   両手合わせば こ光がさす   サノヨイヨイ サノヨイヨイ

○夢の世に 夢に夢見る 夢さめて  覚めし現つも 迷いの中から 悟りの声  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  名から 声から 口元までも  私に 目鼻を 付けたよな  所作まで よく似て 瓜ひとつ  ほんに まあまあ 南無阿弥陀仏  聞くに 聞くほど 南無阿弥陀仏

○にげてまわりていまははや
おさめとられて なきわたる
はなれのねやで かあさんに
だかれてねんね あさがきた
みんなであそぶよ きょうもまた
ときおりきこえる 子もりうた

( 道 )
一、だれが  あたえた この道を
この道  ゆく道  かえる道   しっかり
大地を  ふみしめて
あゆめ  この道  一と筋に

二、だれが  教えた  この道を
この道  あしたに つづく道
けわしい 山の頂で
ながめる 下界の  風涼し

三、だれがあゆむか この道を
この道私のあゆむ道
あすも日和か 夕陽も赤い
ともすりゃ 風かや  亦さわぐ
ともすりゃ 雨かや  またぬれる

( 王将 )
一、ふけば とぶよな 六字の中に
こめる 生命を  笑わば笑え
生まれながらを  我救わんと
建し誓いの 心意気

二、あの手  この手と思案を胸に
だいてかかえて 五劫も暮れた
一つ一つと  仕上げる業も
あすの希望に  火ともえる

三、南無阿弥陀仏に  成りきるからは
何が何でも 与えにゃやまぬ
呼んで呼ばれて 足並そろえ
行くて はるかに 春の風

( 荒海の母 )
一、母は来ました 今日も来た
この荒海に 今日も来た
この幸ともに せんものと
いまかいまかに
いまかいまかに あこがれて

二、聞いておくれよ 拝みます
無上宝珠の 南無阿弥陀仏
十万億土と ゆうけれど
何で遠かろ  何で遠かろ
ここに居る

三、悲願いくとせ  身も代もかけて
信心とどいた うれしさは
苦労も業も  くち果てて
もゆるのぞみに もゆる希望に光満つ

( 旅鴉より )
一、百里千里を   たずねても
理屈話は   無駄なこと
せめて聞くなら その根を 深い教えを もてあそぶ
人と生まれた  どこに生まれた   かいがある

二、義理と人情は  くろがねの
受けた慈は   うすい紙
それが我が身と 知りながら
何を目当てに  どこへ行く
今日も足駄の  今日も足駄の 緒がぬれる

三、離ればなれに  散る胸に
聞いて答えが  何んと出た
一つしかない  命なら
一人しかない  この親が
こがれまた呼ぶ 仰ぎまた聞く   道をゆけ

( 日本海 )
一、見やれ越中  四方の里に
慈 雪降る  涙に積もる
道に心の   日は昇る

二、何んの荒かろ  日本海も
六字ろで漕ぐ  かけ声で越す
見よや立山   この意気を

三、おくれながらに 四方の鳥も
手と手つないで 親鳥子鳥
神の流れの   渡り鳥

( 慈 )
一、深きみ親の   慈より
涙に開けた   生きる道
この幸ともに  せんものと
み名にこもりて 垂れたもう

二、一度は一度の  のぞみにて
ついに願が   現れて
今々とどいた  この口に
不思議にはたらく南無阿弥陀仏

三、この声仏と   あおぎ聞く
手と手つないで 心と心
起きてもみたり ねてみたり
雨も降ります  風も吹く

○満州事変  三十三才七月三十一日召集。以後八月末日に満州ハイラルに到着。寒くて寒くて靴下を洗うのに一足一度に洗えないほど冷たかった。一年間は中隊の第二小隊に属し、作業に従事した。軍隊はきびしい処と聞いていたが、大阪の奉公の事を思えば、楽で楽でこんな軍隊生活が何で苦しいと人は言うかと思うほど楽でした。仏法そのまま、私事の一寸も入らぬ、命令に随うばかり。朝七時起床、夜は八時に寝る。満州の夏は三時は太陽が輝く。それに七時まで床の中、夜は十時まで明るく八時に寝る。其の間は一分間も自身の時間がない。二段兵舎で月一回寝床が変わる。上段で寝ると熱くて熱くて南京虫で寝られず、冬は零下五十度はたびたびの事で、夏と同じく上下入れ替わる。上段は熱くて南京虫、下段は寒くて体がもたぬ。夜八時から二人連れで二時間づつ不寝番に服す。雨の日は身の持ち方精神の置き所を、中隊長のお話しをきく。一年後に第二小隊より本部付きに編入、中隊の事務所である。中隊長初め上官ばかりで各部に二名の小使いが付く。それが我々である。ある日の雨の午後、中隊長のお話に「中隊長はハイラルの街に出て、ある書店で武将百話の書物を買った。戦国時代の武将物語である。その中の一つを話す」と、武田勝頼のお話しをされた。勝頼がある戦に家来の一人を総師として戦った。つたなくして負けた。其の時総師は自分のあやまちを悔いて切腹せんとした時家来の手を止めて「何を言う、勝も負けるも時のならわし。今戦にやぶれ多数の家来をうしない心細く思う折り、お前に先立たれたら何となる。ほんとうに我を思うなら、我の最後を見とどけて切腹してもおそくはない。思い止まってくれよ」と頼んだ。家来は我が身に帰り、まことまことと思い止まってこんな殿なら、身を砕いていとわぬと、我と我が身に誓った。其の後また戦が始まった。家来はこの時ぞと亦総師となって戦った結果勝利となった。お祝いの宴に総師は殿の前に進み出て、お祝いを言上これで我が君に対し万分の一なりとも御礼が出来ましたと、共に喜び合うたと。この主人あってこの家来、この家来あってこの主人。兵達も縁あって家来となり隊長となった。隊長の手となり足となって務めてくれよ」と、お話しが終わった。数日後に大東亜戦争となった。その二日目に隊長に用務の為め隊長室に行った。隊長は「おいナンマンダ仏、何か面白い話がないか」と申されましたので、数日前のお話しを思い出し「隊長にお尋ね致します」「何か言うて見よ」と。「この前のお話しにこれで万分の一なりとも君の御恩に報いた、とは誰が言うたのですか」と。「ナンマンダ仏お前はアホーか。勝頼は一国一城の主、なんで勝頼が、これで万分の一なりとも報謝が出来たと言うか。家来が言うたのや」と。「そんな兵が日本に一人でも居るならこの戦争は負けます」とでた。隊長は身長六尺私より三つ下、目玉の大きいこと。「何ー」と革のスリッパで右のほほ一つぶんなぐられた。私は倒れました。すぐ起きあがり不動の姿亦左のほほ一つまた倒れ亦不動の姿になり「一寸お待ち下さい。元よりあなたに捧げたこの命この体、何ともおもいませんが、ぶんなぐるのはまだ早い。何となされても手も足も言う事も出来ない兵、赤子の手を折る様なもの。親となり子となった以上は、其の理を聞いて、間違っていたら殺されたとて何の事はない。負けると言うた其の理を聞いてからでもおそくはない。隊長は何でも出来る。兵は言葉一言も出せない、命令一つを聞く身。ここは、軍隊離れて社会に帰り、話しを聞いて隊長の思う存分になさっては如何ですか。口答えは出来ぬ身です」「よし言うてみよ」「云わないで何とする、よく聞け。あなたは判らないでしょうか。君国の恩、仏の恩、親の恩、社会の恩、は報いても、務めても尽くせきれぬもの。いつも円満なもの、恩徳なるに、何ぞや自分の手柄を目の前にぶら下げて、これで万分の一なりとも御礼報謝が出来た、と自分のした事を目に見ている様な兵が一人でも居たら負けや。報いても務めても尽くせきれぬ恩徳を万分の一、〈カケ〉た事になる。いつでも円満なる恩徳なるに。申し開きはこれだけ。あとはあなたの心のままに願います」と。隊長は「ウーン」と二三回。「帰れ」「はい」と隊長室を出た。帰れとは負けたと言うことである。縁とゆうものは思いもよらぬ処から生まれるなー。南無阿弥陀仏 中隊長とは毎日事務室で顔を合わす。休日は街の本願寺別院に詣りました。ある日御院さんが本堂へ見えてお茶でもと申されて庫裏で頂きました。「さいさい兵隊さんがお詣りに見えますが、あなたはお念仏ばかり不思議に思ってお呼び致しました」「私はお経様は存じませんので南無阿弥陀仏」「お国はどちらですか」「大和です」「エー大和ですか、私も大和です。大和の鴨公村です」「私も鴨公村高殿です」「私は飛騨です」「同じ学校ですがな、お話し承りましたら」。私の二番目の妹と同級生で、御院さんの叔父さんと私の兄と同級生で心安くなり、休日に毎日お念仏に詣りました。其の後ハイラルを離れて、中国より朝鮮釜山より、宮崎県をすぎてトラック島、ラバウルを後にパラオ本島に一ヶ月余り、それよりニューギニヤに向かい、其の間船中で海が荒れて死ぬ思い。一週間後に、ニューギニヤ着、同時に空襲に会い、武装のまま海に飛び込んだ。空襲は一時間で基地に帰ります。其の間に兵器、食料品衣類をハシケで岸え。空襲は二日間続きました。

○ある日隊長に呼ばれて室へ参りましたら「現役と応召二回、帰国の命令が出たら、嫁をもらって安楽に暮らす」と。「隊長殿それはすでにおそい。一回目に解除になった時一年間応召がなかったでしょう。其の間結婚して、子供の一人でも、さずけて頂かなかったのですか。隊長はここで戦死なさいます。ここで戦死なさったら、ご両親様は、誰を、何を頼りに生活しなさる。一人子でしょう。孫があれば日々楽しくすごされる。家事は嫁がする。何の苦もなく老の身も、生かされる。隊長が大将になったとて親に孝行出来たとは、申せません。隊長はニューギニヤで戦死なさいます。結婚は思いもよらぬ。いつも隊長は〈男一匹、他力他力とは余りにも男らしくない、弱すぎる。僕は禅宗でもしらべる、研究する〉と申されますが、やめなされ。一歩間違えば千歩万歩となる。同じ人間でも学問の程度で分からぬ者が、五十二段かけ離れた、仏の教えを聞くのに、研究とやらしらべるとやら、下の下の人間が何事ぞや。信仰とは仏の〈信(まこと)〉を仰ぐことである。身に受け入れるものであります。〈男一匹が弱すぎる、他力とは余りにも力がない〉と申されますが、隊長は自分自身どれほどの事が出来る。他力ならでは一日の日も暮らせませぬ。身のほどを知らぬにも程がある。今ここであなたは戦死します。余裕はない。私は私なりの用事がある。帰る」と、ドアーを開けて出ようとした時「待て」。「待てとは何の用事ですか。無駄話ならおことわり申します」「何も事はない。今の話しや」「それなら待てとは何事ぞや。待ってくださいと申されてはいかがですか。隊長と思う頭を下げよ。取れよ」「頭を下げた」。私は下げさされました。涙がでました。隊長は「真宗は後生後生と聞くと、何だか向こうにある様に思えてならないが」と。「それはちがいます。今一時でしょう。十二時五十九分までは過去でしょう。一時は現在でしょう。一息向こうが未来でしょう。されば〈今〉の中に全部あるでしょう。隊長、今、何をしてなさる。何を思うていなさる。造るも造らざるも罪体なり。思うも思わざるも妄念なり。 罪悪は過去から生まれるもの、その元の悪業を〈救う〉と仰せられます。その仏が南無阿弥陀仏と名となり、声と成った仏です。この南無阿弥陀仏の中には万善万業の総体ありと、あらゆる功徳成就の南無阿弥陀仏であります。真宗は仕上がった南無阿弥陀仏を頂くまま、聞くままを〈信〉とも申します。南無阿弥陀仏は、活仏なり、声なり、御姿なり、御体なり、血潮なり、御肉なり。言葉にかからない、表せない、願行具足、機法一体、異口同音とも頂かれまして、我々ではとても知るべくもあらず、ただただ仰いでこの声を聞く一つ。あとはおまかせして南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と呼んで頂くだけ。この呼び声を聞くだけ、称えるだけ。現今の教えはこの世の利益が目当てでしょう。南無阿弥陀仏は三世を救われる法です。法なくて迷うて生きるか、この法に遇いて永遠に生かされるか、二つに一つどちらでも選びなさったらよろしい。然し隊長はかならず戦死します」。隊長の口から南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお出ましになりました。「それそれ其の仏に今ここから救われるのです南無阿弥陀仏」。隊長は「教えに宗派がいくつもあるはこれはどうした事か」と。「人間の気性も色々ある。皆仏説なれば自分の気性にふさわしい教えに会えばよい。分けて申せば聖道門(自力)浄土門(他力)の二門です。隊長は先祖より真宗なれば他の教えに要はない。大乗は念仏門、小乗は聖道門(自力)、人間の学問にも、小学校から大学校まであります。南無阿弥陀仏。大学校は最上である。小学校は大学校えの道筋であります。小学校もいつか大学え出る。子供もついに大人になる。隊長は、今ここでこの世を去る。元より真宗に流れを受けし身故、修行して道を得るより(それも得るやら得られんやら分からぬ)仕上げの南無阿弥陀仏を頂けばよいのです。今にも知れぬ命、お互いに余りある命でない。今、仏にあえばよいのです。其の仏が今現にその口から現れてござる、その南無阿弥陀仏ですぞ。よくよく聞け聞け。頼みもせぬにニューギニヤまで会いに見えた。会いに来なさった。仏の御心に帰れ。一度南無阿弥陀仏と入った、口に出て下されたからは逃げても逃がさぬ、離れようとしても離れぬ、業の深い仏様が南無阿弥陀仏、声の活仏じゃ。いやなら早く早くおことわり申せ、ことわりがおくれたら仏にしてしまいなさるぞ。それほど気の短い仏様や。どうじゃどうじゃ」と。私の顔は自分で見えぬが、隊長の顔はよく見える。それは実にすさまじい顔付きであった。突然南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、私も共なりき。その南無阿弥陀仏にい抱かれて、ニューギニヤの花と咲け、花と散れ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 涙亦涙、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ややありて隊長に「仏様は気の短い御方と申しましたが実は気の長い御方や。三回も出征させて、三十余年も待ちつづけて、ニューギニヤまで、付きずめにして終わりの果てに、親子名乗りの凱歌を南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と高らかに上げられた。   南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

○見るに見かねて ここえ来て   そだてみちびく姿こそ  口に聞こえる南無阿弥陀仏    ニューギニヤ戦線にて隊長の命によりマラリヤ患者の付き添いに病院へ行った。病院とは言葉だけで、ヤシの葉を屋根に竹の柱、床はヤシの葉のシンを並べて、ソロバンの様に痛い。衛生兵は五十人に一人、とても忙しいので中隊から付き添いを出す様になった。それも下士官以上の事。曹長が入院、付き添いにと命令。病院はマラリヤの製造場で、蚊にさされるとマラリヤになる。一ヶ月で退院された。隊長に報告に出た。「休めよ」と言われたとて私の仕事が一ヶ月分溜まっている。働く働く。亦軍曹が病気になり、命により付き添いに一ヶ月、治ったのでまた報告。「二度まで御苦労休めよ」。また仕事が溜まっている。三度目に新兵が入院、また付き添い。隊長は「三度までも済まぬが、一人助ける為に付き添いまで死なせてはと思って命令した。お前は死なぬと思ったから。こんどはお前が病に倒れる其の時は報告にくるに及ばぬ。そのまま入院してくれよ」と。「ハイ 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。この新兵は死ぬと感じた。新兵は「古年兵殿私はこんな処で死なぬ。死ねぬ。内地へ帰って坊やの顔見るまでは絶対死なぬ」と。親心である。然しその心が、死を招く。生は望む処、されど病人なるが故に病人に成りきればよいのに、成りきるとは病気に勝つことでなく負ける事である。心に無理がある。第一仏縁に遠い。気分のよい時は元気があってよい様に見えるが、一寸熱でも出ると自分で自分を倒す。思った通り一寸の熱で自分から「アカン」と言うて世を去った。南無阿弥陀仏 隊長に報告「再三ご苦労であった体をいとえよ」。「ハイ」。数日後に熱が出た。四十度の事、一週間熱が下がらねば入院となった。下がらない。報告に出た。「松並松五郎本日付きを以て入院致します。自分の不注意から病に倒れ申し様もありません。一日も早く全快して元気で中隊に帰ってきます。報告終わり」。隊長は南無阿弥陀仏と笑いながら「いらざることよ。まわれ右と言われたらまわれ右をすればよい」と、隊長一本参りました南無阿弥陀仏、とお互いに笑いながら、第百十一野戦病院え入院した。何隊の何兵、何病棟とすぐ分かる。善きことも悪いことも自分のこと、自分が行うて居る。三人の付き添いで衛生兵とよく顔見知りで、次から次ぎえよくして頂きました。体熱四十一度、気温は百度、三度の食事は、ドラム管でたくオカユ。はんごうの中皿に顔が写る。油くさくて三日たべずに居ましたが、空腹で四日目からすする様になりました。空襲日は日に二回で、壕に入らねば戦死にならぬ。蚊にくわれると熱が高まるので袖の長い下着上下、毛布、頭だけの蚊帳。水はなく、体熱四十度七十日続きました。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 体質により、三十八度一週間続くと口の中にウジが発生して頭の毛が一本もない兵も居ました。幸いに私、毛が一本もウジ虫もなく、口がかわくので、ヤシの実が落ちる、それを拾って呑む。日に三個以上呑めば、チブスになるので呑めないが、辛抱が出来ない。私は幸い便秘が遠かったので何とも有りませんでした。四個は呑みました。洗い物もいつに一度やら、壕に出たり入ったり体が苦しい。ある日大空襲あり、二里四方に百五十機、低空なれば話し声も爆音で聞こえない。壕の中で病兵五十人南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称える声に、三千世界にひびき渡った南無阿弥陀仏。別に死は恐ろしい感じもなかったが、豆粒ほどに聞こえてくる爆音が、妙に私にひびく、胸に鋭くこたえるので、ハハーこの飛行機にやられるなーと直感した。それまでは、死ぬとも、生きるとも思った事は一度もなかった。ただ命令のままに動いていた。軍隊は仏法そのままでしたので何事も念仏の助行でした。いよいよこれがこの世の最後と決めた時、瞬間全身ことに胸と腹が鏡の如くガラスの様にすき通って見える。死が恐ろしいとも、お慈悲が有り難いとも、故郷の親も、妻も、兄妹がなつかしいとも、何とも思わなかった。ただ今ここに三十円の金がある。この金一体どうすればよかろうと思った、妙なものですなー。別にお金に執着がある訳でもないのに、国家から預かったお金を葬ることが気がかりであった。かくして二三分の時刻がすぎた。その時声ありて「お前はここで死なさん。帰す。帰ったなら一週間山で念仏せよ」と、この声を聞いて、無事帰国することを知った。それまでは、死ぬとも、帰るとも思ったことは一度もなかった。仰せのまま動いていた。その爆音がだんだん大きくなり、敵機はいよいよ迫って来た。爆風に備えて両目と両耳、手で押さえ口を開いてナアーナアー念仏聞いていたら、体が急にボーとなってエレベーターの上がる様な気持ちがした。其の時、空に南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と三声聞こえ、その念仏と私の口からい出ます念仏と一つに相通じている。称える念仏でなく回向から通じる念仏である。其の時私は吹き飛ばされていたのである。そしてドーンと地上に落ちたらしい。初めて〈やられた〉と気がついた。しかし妙なことに、直立の形で落ちたらしい。其の途端に壕の砂がくずれて、首から下は全部砂にうずもれた。少しでも傾いて落ちたら、全く命がなかったはずである。一時間の空襲である。その時の痛さは言葉にかからぬ。血を吐いた。敵機が帰った後病棟の衛生兵が、タンカを持って来た。ああナンマンダ仏やられたか、よしよし一番に掘り出してやると運んでくれた。病院は陰も見えず、雨は降る降る火の手は上がる。口にかからぬ。私は早かったので一張りのテントの中に入れられたが後より送られる負傷兵はテントもなく露天に雨にさらされてウンウンうなってころがっている。テント内は二十人ほど。何百の負傷兵は雨ざらしの惨状はとても表現出来ない、身ぶるいするほど。それを実地に体験した兵隊の思いは、いかばかりか。戦争は悲惨の極みであり呪わしい。病院と言うても手当もなく、いたみ止めの薬一包、その日の手当はそれで終わり。食事にありつけぬ。ショックで気が狂い大声でわめく兵、浪曲をうなる兵、両眼がどろんと飛び出している者、手足のちぎれた兵士、地獄もかくやと思う光景、水をくれと叫ぶ者、痛い痛いと泣く者、お母あお母あと呼ぶ者、子供の名前を呼び、雨にたたかれながら走り廻る者、雨で炎は消え煙りは大地をはう。私も体の痛み一方ならず、ハエ一匹止まっても毛穴が立つ。歯をくいしばって、小声で念仏聞いていた。そこえ衛生兵が来て「ナンマンダ仏どこや」。私は返事も出来ずナマンナマンと。「そこか、えらい目に会うた、手を出せ」と言われるまま手を出す。アーイタと思ったら注射一本、〈熱も大分下がっている〉と帰った。一時間、痛みが止まる。亦泣きさけぶ者、だまれだまれと叱る者、叱った者がまた痛い痛いと泣く。そこえ「ナンマンダ仏どこじゃ」と、「うーん、そこか脈を見てやる」。アーイタ、また注射、苦しみが消える。燈火がないから他の兵に判らない。其の空襲で目をやられて、右眼今でも視力がほとんどない。ふと横を見ると将校の口からウーンウーンともれていた。不思議に思って顔をのぞくと、その将校もまた私の顔をのぞく。私たまりかねて「あなた念仏しなさるなー」。将校も「お前も念仏するなー」と、その一言で意気投合して、もう何にも遠慮はいらぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と。それはそれは有り難かった。するとまん中にいた兵士が悲しい声で「もう念仏は止めてくれ、止めてくれ、念仏の声を聞くと心細くて死ぬかと思う」と、哀願する。それを聞いた私は身の痛さも忘れて座し、その兵に向かって「お前は何を言うか。国出る時、七度生まれかわって国に報いん、と教えられたでないか。そんなことで生まれかわることが出来るか。念仏は死ぬ声ではなく生まれる声であるぞ」と。その声聞くや兵は驚いて「どんな悪人でも生まれるか」と。「必ず助かる」と。兵はそれを聞いて苦しき中より自分のこれまで歩んだ悪の生活を全部告白した。そして亦問う「こんな悪人でも助かるか」と。「おれの様な悪人でも助かる。お前が助からいでか」と、兵はそれでもまだ不安であったか「きっと助かるか」と。念を押す。その時「そんなこと、おれは知らん」と突き放す。と、また「キット助かるか」とつき返した瞬間「仏説なるが故に」とゆう言葉がとんで出た。その声を聞いて、重傷の兵士、驚喜してその場に端座して合掌、南無阿弥陀仏、と一声称え、そうしてまた、南無阿弥陀仏、と念仏称え、今度は直立不動の姿勢になり、合掌、南無阿弥陀仏、と一声大きく念仏してそのまま、バッタリと地上に倒れ、そのまま息絶えたり。そしてその夜は、隣りの将校と共に念仏称えながら、足をなぜ、肩をなぜながら念仏。〈ああ、この足で幾千里苦しかったなー。この肩で、重い背嚢、かつぎ苦しかったなー〉と涙を流して、共にさすりながら通夜した。涙、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 よかったなー、涙、涙、涙。夜明け前に、我にかえり、静かになったなーと、あたりを、ながめたら、三分の二は重なり合うて死んでいる。南無阿弥陀仏 あくる日、手術にかかった。板を一枚置いて傷兵を列べ、お前は右足か、お前は左足か、お前は手か、お前は目かと大根を切る様にあとは、アカチンとホータイだけ。涙が出たのは、垂れ下がった目を、ハサミで切りおとす、なんとまー。南無阿弥陀仏 食事は出ない。全部焼けてない。焼け残りの倒れかかった病棟で横になっているだけ。私は幸いに衛生兵にいただいたミルクで満腹しました。将校は別室に変わった。別れる時に今生では会えぬ、また会うと手と手を握り合い南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。二日間倒れかかった病棟で、私の隣りの戦友が一回も小便しないのに気付き「お前小便したくないのか」と尋ねたら「体がえらいので寝たまましている」。「エーそれはあかん」。衛生兵を呼んで来て、着類を切って見たら、ウジが一ぱい、洗い取ったら何もない。夕方死んだ。 南無阿弥陀仏 其の後病院が移転して、二里四方(山中)を病院とした。真ん中ほどに食事所がある。かわるがわる二名づつ糧食をもらいに行く。熱病兵、一テントに二十名。大地に毛布一枚敷くだけ。糧食をもらいに行った兵が、帰りがおそいと途中で戦死している。一食たべる物がない。一週間すぎて護送があった。私は二回目であった。同じニューギニヤでウエハークの病院、そこに二十五日入院して二十三日、毎朝八時に空襲に合う。壕の入り口で念仏していたら、目の見えぬ兵がヌカルミで歩けない。弾はとんでくる。私は手引きにと思って壕を出て兵の手を持った時、壕に爆弾が落ちて、陰も形もない。手引きに出たお陰で助けられました。南無阿弥陀仏 その病院でチブスになり、一日に便所二十回ぐらい。食事はオモユ。空腹、熱四十度、百熱の中で、今口に何か食べなかったら死す。動くことも出来ず、寝たまま念仏を聞く。無意識のまま歩く。足の止まったそこに果物がある、喰う。やや力が付く。また空腹、もう体がもたぬ。今死すとなる。ウーンウーンとうなり乍ら亦、無意識に歩く。また食物にありつく。そうした事三回。いよいよパラオへ護送となる。一週間後に白衣に着替えて、船中の人となる。初めて弾はとんでこぬ。船中で聞けば、マニラへ護送。また弾の中かなーと。途中で命令が変更になり、高雄へ行くと聞いて嬉しかった。台北に兄妹がいる。顔でも見えると思った。高雄へ着けば、寒くて寒くてたまらない。早速兄に手紙を出して着類を頼んだ。共に喜んだ。十日後に台北へ送られた。  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏   《余録》 一九七九年一月一一日。読売新聞に松並氏の事が記事となって掲載された。その一部に、 *『氏が八人のやくざ者を更正されたこと。また、仲の悪い嫁と姑が訪れ、白扇を出して、「何か歌を」と所望した。氏はすかさず筆を取って、 「 竹と紙仲良くなるも糊(法)のため あおぎあおがん骨になるまで」 と。また「念仏やると、宗祖様の教行信証もスッと入れますんや」』以上                               (編者・記)   《以下は録音したカセットテープより記録》
*博多の万行寺さんが「男猫が子を産んだんで、いそがしうていそがしうて」といわれたまま、奥へ行かれて、出てこられなんだという話。その心はと松並師問われて、「男猫が子を産んだぐらいではありませんがな。足があるから足に合わせて足袋ができた、あんたや私がいるからあんたや私のための南無阿弥陀仏ができた。だったらあんたやわたしが南無阿弥陀仏を生んだんや」
*富山の方たちと一・二時間念仏する。ある人が私に(松並さん)に 「教人信はどうなりますか」。と尋ねた。 「私は自信だけで教人信はありません」。
*行けども谷底、崖ばっかりで、その中でこの声聞くだけ、何もおまへんは こんなことや 人間の一代は
*私の業道を歩むままが、仏様の大願業力の中にある。一つや。
*あわずとも またうつさずとても あいにくる    日々夜々に ねやの中まで
*その心はそのままにて、それを見込んで、お前にせよといわれたらできんで、入り用のものはみんなととのえて、南無阿弥陀仏の中に封じ込めて、聞即信南無阿弥陀仏のいわれを聞かせてもろうた端的に、それがみなもらえるんじゃ、もらいもんだけでいい。
*後生まで救う仏さんが、娑婆五十年ぐらいのこと、朝飯前や。
*娑婆のことは宿業のあらわれやから仕方がないが、道にかなうと、取られていくというか、刈り取られていくというか、だんだん減る。
*仏の力で、仏の慈悲でやっと今のわれわれやろ。なまじ人間の薄っぺらい感情やなさけで届くものでない。
*南無阿弥陀仏は妙薬だから、のんだら妙薬やから、のめばのむほど効き目があらわれる。飲み過ぎるということはない。のむということは念仏すること。
*阿弥陀さんのいのちに帰るとは名に帰ること。

(松並松五郎氏略歴)  氏は明治四十二年三月二十四日、奈良県に誕生。小学校中退後、村の工場で働くが、後、氏の姉の工場の職人として働く。十八才の時、「弥陀の本願と申すは、名号をとなえんものをば極楽へ迎えんと誓わせたまいたるを、ふかく信じてとなうるがめでたきことにて候なり」の聖語を聞いて念仏相続一筋の道に入る。一筋に念仏を聞きつつ、生涯仕事に励む。二十九才の冬、比叡山黒谷青龍寺報恩蔵にて、「念仏は弥陀の勅命」なるを感得する。以後、有縁の人々に真宗念仏の真髄を伝え、平成九年十二月二十六日八十八才にて往生。この書は松並氏自身が、その都度ノートに書きとめられたものを、パソコンに入力したものである。原文は旧仮名が多く使われているため、編者の判断で今日の文体に変えた部分がある。なお文中、今日では差別語とされる言葉が使われているが、原文のまま入力した。また題の「松並松五郎念仏語録」は編者がつけたものである。

タイトルとURLをコピーしました