アミダの本質は光寿無量
アミダ仏(浄土)の本質は、アミダ仏の四十八願に誓われている光明無量の願(第十二願)・寿命無量の願(第十三願)の成就としての光明無量・寿命無量の働きであることを『真仏土巻』に示されている。サンスクリット語では光明無量はアミターアーバであり寿命無量はアミターアーユスであるから、どちらも人が発語する時には語尾の音が落ちて「アミター」と発音され、それが中国語に音写されて「阿弥陀」となったといわれている。さらに覚りの功徳を表す「仏」をつけて、中国では阿弥陀仏と翻訳されたのであろう。
宗祖親鸞聖人が大事にされたアミダ仏の無碍光とか不可思議光などの德用は光明無量の功徳におさまる。そこで真宗の教義は、一切衆生の救いとして働きかけたもう光明無量の働きを中心に教義が立てられている。アミダ仏の慈悲はアミダ仏の智慧におさまり、光明は智慧の「かたち」であるから慈悲と智慧の働きは光明におさまる。
ところでアミダ仏には無量の光明の功徳がましますが、その本体である寿命無量については、宗祖の教義表現の中で語られることは極めて少ないように思われる。真宗ではアミダ仏の救済活動はもっぱら光明の働きで説かれてきた。親鸞聖人を「光の思想家」といわれるのはその故であろうか。
存在の根拠を問う清沢満之
ところが近代に入り、人が迷っているにしても悟っているにしても、信じるにしても疑うにしても、そもそもそういうことを問題にしている当体である「自己とは何か」とか、「自己の存在根拠は何なのか」などという実存の問題、いわば存在論にかかわる問題が宗教に於ても問われるようになった。
西田幾多郎は論文「場所的論理と宗教的世界観」の中で
「宗教的問題とは如何なるものなるかを論じた。それは対象認識の知識的問題でないことは云ふまでもなく、我々の意志的自己の当為の道徳的問題でもない。我々の自己とは何であるか、それは何処にあるのであるか、自己そのものの本体の問題、その在処の問題である」(西田幾多郎全集十一。四一二頁。岩波書店)
と言っている。
近代に於て、そういう問いを自覚して追求した真宗人の代表的な人が清沢満之である。清沢は「自己とは何ぞや」と問い、悪戦苦闘の末に、
「自己とは他なし、絶対無限の妙用に乗託して、任運に法爾に此の(現前の)境遇に落在せるもの、即ち是なり」(「清沢文集」一八五頁。岩波文庫)
と応えたのである。 ここで清沢はアミダ仏のことを〈絶対無限〉と表現し、さらに最晩年の『我信念』には
「如来は私に対する無限の能力である。斯くして私の信念は、無限の慈悲と、無限の智慧と、無限の能力の実在を信ずるのである」(「清沢文集」一〇〇頁)とも云った。
清沢がアミダ仏を「無限の能力」と表現したことは、現代の真宗教義にとって大きな意義をもっていると思う。これはアミダ仏の光明の德用にはおさまりきらない言葉である。
清沢は無限の能力について『我信念』の中で、
「私の自力は何等の能力のないもの、自ら独立する能力のないもの、其無能の私をして私たらしむる能力の根本本体が、即ち如来である」(「清沢文集」九十九頁) とか
「此私をして虚心平気に、此世界に生死することを得しむる能力の根本本体が、即ち私の信ずる如来である」(「清沢文集」一〇〇頁)
と云っている。このようにアミダ仏の働きを「私をして私たらしめる能力」であり「能力の根本本体」であると云う。
「自己とは何ぞや」という問いは何時の時代にも何処に於ても問われるべき人間の根本的普遍的な問いであるが、それは宗教の根本問題でもあると清沢は認識したのである。
「信仰は吾人の自覚なり。吾人が吾人の根本的成立を自覚するもの、之を是れ宗教の信仰と云ふ」(「清沢文集」七二頁)
と清沢がいうように真実の信仰(信心)には「自己とは何か」「自己は何に依って成立しているか」という問いに応えるという意味があると云う。 ということは真宗の信心は〈後生〉という死後の問題や生きる上での行為の善悪や安心というような価値的な問題だけではなく、全人生・全存在がそれにおいて成り立つ「存在の根本的な成立根拠」の問題に直接関わる事柄であるという清沢の理解があった。
これは非常に大事な点で、真宗(仏教)という宗教が人間の全文化の基本に関わる普遍的な意味をもつものであることを云おうとされるのである。
存在根拠と寿命無量
清沢は、人間(あるいは万物)存在の成立根拠あるいは成立せしめる力を〈絶対無限の妙用〉とか〈能力の根本本体〉とか〈無限の能力〉とかいうのであるが、この場合、無限の慈悲と無限の智慧は、アミダ仏の光明無量の働きに収まろうが、〈無限の能力〉は従来の真宗教義の中では何に当たるのであろうか。 それはアミダ仏の「寿命無量」の義に当るといえよう。
これについては法然が〈如来の寿命〉について『西方指南鈔』に
「能化の仏は命ながく、所化の衆生は命みじかきあり」(「浄土聖典全書三」八八八頁。本願寺出版社)
「娑婆世界の人も命をもて第一のたからとす、七珍万宝をくらの内にみてたれども、綾羅錦?をはこ(箱)のそこにたくわえたる、命のいきたるほどぞわが宝にてもある、まなこ閉ぬるのちはみな人のものなり」(浄土聖典全書三。八九一頁)
といっているが、衆生の命は短いという言葉からも知れるように、命を私たちが考えている「いのち」と同じ了解をしている。そして「能化の仏は命ながく」と云われているように仏の寿命もいわゆる私たちが了解している「いのち」観とさほど変わりはない。
そして法然は、アミダ仏の寿命は無量といわれるからアミダ仏のいのちは量りないのである。だからアミダ仏の救済の働きも時間的に限りなく、一切衆生の済度利生は久しいといい、もしアミダの寿命が短くて百歳千歳で限りがあるならば衆生は救いから漏れてしまう、ともいっている。
アミダ仏の寿命は無量であるといわれるが、それは時間的空間的に無量であるといえよう。そして衆生の寿命は時間的空間的に有量である。有量は無量におさまる。もし有量が無量の外にあるなら、その無量は無量の意味をなさない。有量は無量の中のものである。だから衆生の有量のいのちはアミダ仏の無量のいのちを離れてはなくアミダ仏のいのちの中にあるといえる。
寿命無量と西山派
このようなアミダ仏の本質である寿命無量の義は法然の弟子、とくに西山派に受け継がれていったと考えられる。西山派のことはごくわずかな文献しか読んでいないが、浄土宗西山派深草流の大成者・顕意道教(一二三九~一三〇四)の著『竹林鈔』には
「一切衆生曠劫流転の生死無常の命は、本より是れ諸仏の果徳涅槃常住の無量寿也。しかるを仏は衆生の命は即ち無量寿なりと覚って、帰する者あれは摂取してすてたまわざれば親く近く礙り無き智願力を成就し給えり、衆生は自ら迷倒して願力の無礙道を知らず、無量寿の外に我等か命ありと思て、いたずらに生じいたずらに死して、曠劫に流転して苦海に沈む。今釈尊の遺教に値ひ、弥陀の願意を聞く時、日来の迷を捨て仏智の覚に帰れば命を無量寿に帰すとも云う也」
という。迷える衆生は、自分のいのちは本来無量寿のいのちであることを知らない。しかるにアミダ仏の本願に帰すればもとの無量寿に帰ることができると説いている。このようにアミダ仏と衆生に於ける関係を寿命の関係で説いている。
このことはまた西山派の流れから出た一遍上人の『一遍上人語録』(七二頁。岩波文庫)にも、
「名號は寿の號なり。故に阿弥陀の三字を無量寿といふなり。此寿は無量常住にして不生不滅なり。すなはち一切衆生の寿命なり」
「無量寿とは、一切衆生の寿、不生不滅にして、常住なるを無量寿といふなり」
とあって、無量寿命のアミダは一切衆生のいのちでもあるといっている。
寿命無量と存覚
真宗に於ては、覚如・存覚ともに若い頃西山派深草義の学者といわれている阿日房彰空について浄土教を学んだ経験があり、こうしたことは覚如・存覚の教学には西山派の影響があると伺われる。
例えば、存覚の『顕名鈔』には『涅槃経』(寿命品)から「阿耨達池、四大河を出す。如来またしかなり、一切の寿を出す。一切人天の寿命の大河、如来の寿命の大海に流入す」の文を引用し、
「諸仏のなかに、ひとり無量寿仏と號す。寿命は一切根元なれば、諸仏も弥陀の知恵より流出し、衆生もまたかの寿命よりいでて、かへりてみな如来の寿命に流入すべきなり。いま涅槃経に如来の寿命といへる、すなはち弥陀の寿命なるべし、寿命のなかに無量寿なるがゆえなり。されば眞言教には、無量寿仏をもて大日法身の常住の寿命と談ず。法身の寿命ならば、一切の寿命これよりいづること、うたがふべからず」(「浄土聖典全書四」六五三頁)
といい、衆生の寿命はアミダの無量の寿命から出ているので、みな無量寿に帰入すべきであると説いている。 これによると衆生のいのちも元々無量寿のいのちのほかにはないという。しかるにそこから迷い出て流転を重ねてきた衆生が、弥陀の仏智に帰して、
「一切衆生ことごとくこの名号によりて、かの浄土をねがひ、みな無量寿の寿命に帰入して、ひとしく極楽無為の法楽をうくべきゆへなり」(「浄土聖典全書四」六五五頁)
といい、アミダの名号に救われてもとの無量寿に帰るべきであると存覚はいう。
アミダ仏の名号は、無量寿に於いて在りながらそれを見失っている流転の衆生を救って、元の無量寿に帰せしめる救済の働きであるといわれるのであろう。 存覚のこういう教義表現は西山派からの影響ともいえるが、その後の真宗では表だって取り上げられなかった。
寿命無量と安心決定鈔
また真宗でお聖教として親しまれている『安心決定抄』にはわかりやすく、 「しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、〈わがいのち〉とおもいたらんおり、善知識の〈もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ〉とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、〈わがいのちすなわち無量寿なり〉と信ずるなり」(聖典九五九頁) と説かれていて、ここでも私たちが普通自分のいのちと思っているいのちは元は無量寿のアミダのいのちであって、そうとも知らず私たちは「自分のいのち、我がもの」と掴んでいる、と云っている。
『安心決定抄』は今日では西山派の書であるとされるが、著者は分からない。このように『安心決定抄』においてはアミダ仏と衆生の関係が寿命の関係で説かれている。
しかし蓮如上人は『安心決定抄』を「金をほり出だすようなる聖教なり」(聖典。ー九〇二)と讃仰しながら、このことを自身の教義表現には用いられなかった。
それはこの内容には間違いはないが、ただ不用意にこれを受け取ると「我は本来仏なり」と振り回す危険があるからであろう。『安心決定抄』の「わがいのちすなわち無量寿なり」はそう受け取られかねないからである。
煩悩具足であり罪深い身であって、助からぬ身であると知らされるところに、弥陀大悲の救済にあうことができるのである。しかるに「我は本来アミダなり」と不用意に受け取ると、弥陀の救済は隠れてしまうばかりか、邪見を募り、罪悪の身でありながら懺悔もなく、煩悩の身をこのままで肯定しかねないからである。 それゆえ蓮如上人に於てはこの見解は意識的に外して教化され、その影響は今日まで続いていると考えられる。
寿命無量の重要性
ただ近代に入って、〈人間の存在とは何か〉とか〈自己とは何か〉とか〈自己存在の根拠は何か〉というような自己存在の真相を問う課題が宗教にも突きつけられてきたので、これまでのようなアミダ仏と衆生の関係を〈仏心と凡心〉とか、〈助ける法と信じる機〉というような教義表現で語られる教説だけでは十分対応できなくなったのである。
こういう問題にぶつかって全生命をかけて思惟したのが清沢であり、清沢の如来観は西洋のゴッドであるという批判もあったが、人間存在の成立根拠を「無限の能力なるアミダ」と捉える彼の視点は、現代人がアミダ仏を了解する上で重要な意味をもち、近代の大谷派はその流れに沿ってきたともいえる。
こうした如来観あるいは人間観はややもすると「我は如来なり」に安易に安住し、自己の罪悪性を忘れて弥陀の大悲の救済を無視してしまうことになりかねないが、しかしこの点を十分に注意するなら、アミダ仏と人の関係を存在の事実において了解する視座は現代には大きな意義をもっているであろう。
清沢門下の曽我量深は「暴風駛雨」(「曽我量深選集四」三五一頁。弥生書房)に
「真宗教義は高くして卑く、遠くして近い。余はこれを左の三大綱目に依りて指示し得ると信ずる。 一。我は我也、 二。如来は我なり、 三。(されど)我は如来に非ず」
といった。ここで「如来は我なり」という見解は大事である。ただ、この如来と人の関係を寿命の関係の中でより明解にすることが課題となろう。
諸苦は有身見から起こる
さて、自我とは、認識する意識の主体(主観)であり、「我あり」と意識している当体である。人生生活において、判断し選択している意識的自我、そういう自我を唯一の我として生きているのが現代人の大方の人間観である。判断主体の自我を「我」とし、肉体としてのいのちを「我が物」と思っているのである。今ここの個物的存在に対して「我なり」「我がものなり」と意識し執着している、こういう見解を仏教では〈有身見〉という。
この有身見が肯定されて、この見方で人生を送るなら、そこには安らぎはないであろう。チャンドラキールティ(六世紀から七世紀。インドの中觀派の大成者)は『入中論』において、 〈諸々の煩悩と禍は残らず有身見から起こる〉 有身見とは、〈私〉や〈私のもの〉と思うそのような形式で働く煩悩意識。それより起こるから「有身見から起こる」のである。それらは何かと言えば、「諸々の煩悩と禍」である。そのうち諸煩悩とは貪欲など。諸禍とは生・老・病・死と愁いなどである。(瓜生津隆真訳「入中論」二一五頁。起心書房) と自らの文言を自らが解説している。これは人間の苦しみの本に何があるかをはっきり明示していると思う。
であれば、人が苦しみを脱却したいのなら、この有身見が破られなければならない。この道が仏道であるといっても過言ではない。仏教における無我説あるいは非我説も「五蘊を我と執する見解」(有身見)を根本から否定する教説であり、これは仏教教義の基本である。
西山派の帰命釈
では有身見はどのように破られるのであろうか。これについては仏教各派でそれぞれの見解と行法が立てられているが、本願浄土教ではどうであろうか。
これに関して西山派ではそれは、『竹林鈔』や『安心決定抄』に出ているように、今ここに生きている存在を〈わがいのちとおもいた〉る有身見を転じて「善知識がもとの阿弥陀のいのちへ帰せよとおしうるをききて、乃至〈わがいのちすなわち無量寿なり〉と信ずる」道であるという、これはよく理解できる論理である。
「汝のいのちは汝のものではない、アミダ仏のいのちのほかに汝のいのちはない」と信知することである。西山派では帰命の意味を、私たちが〈自分のいのち〉をアミダのいのち(命)に帰することを帰命とする釈を用いる。 無量寿のアミダのいのちのほかに真の自己なしと知る、あるいは信知する。ここに有身見が破れ、「私は死なない」(不死)ということが知らされる。そこに老病死の不安から解放されていき、貪欲や瞋恚の煩悩も浄化されてくるのである。
しかしながら「わがいのちとおもいたらんおり、善知識の〈もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ〉」といわれる場合、いかにすれば〈わがいのち〉をもとのアミダのいのちに帰することができるのかという問題が出てくるのである。
宗教の根本的実践的な課題は要するに、人と神・人と仏、いわば有限者と無限者のであいを実現することであるから、この問題は本願浄土教の問題だけではなく、世界の宗教に共通する問題である。
自我で仏はつかめない
こうしてアミダ仏のいのちに帰するという課題が人にとって根本的な実践課題になる。これは、人の側から如何にして、量りなきいのちのアミダ仏に帰するか、アミダ仏を自覚するか、あるいはアミダ仏を信じるかという問題となる。
ところがこの問題に対して、私たちの自我の側からアミダ仏に帰することは不可能であるという壁にぶつからざるを得なくなるのである。自我の計らいでもって真実のアミダのいのちに目覚めようとすることは、アミダ仏を対象化して関わろうとすることであって、それは不可能である。
凡夫の私たちの現実はどこまでも自我心が主体であって、どうしても自我心(分別的知性)で量りなきいのちであるアミダをとらえようとするのである。
もし自我がアミダを捉えることができたと錯覚すると、自我は肥大化し自我が主体のままで「我は仏なり」とでも云いかねないことになろう。それは自我がますます増長するだけであって、真理に大いに反することになってしまうのである。
こうして有限者から無限者にかける橋はないという限界にぶつかるのである。有限から無限へは大いなる断絶がある。この限界線にぶつかる時、アミダ仏の前において自身は「出離の縁あることなき身」であり「救いなき身」であることが反照されてくる。宗祖のいわれる「いずれの行もおよびがたき身」と知らされるのである。 真宗の帰命釈 そこに浮かび上がってくるのが宗祖の帰命釈である。 西山派の帰命釈は先ほど述べたように、「アミダ仏のいのち(命)に帰する」という帰命釈を取るが、帰命の命をいのちと取らずに命令の命すなわち「仰せ」と受け取り、帰命はアミダ仏の「仰せ」に帰順するというのが宗祖の帰命釈である。
帰命は、アミダ仏の方からいえば「帰せよの命(仰せ)」であり、衆生の方からいえばその「命(仰せ)に帰する」、「アミダの仰せに順う」ことであるといわれる。
凡夫の自我からはアミダのいのちに帰することは不可能であるが、宗祖は『仏説無量寿経』の教説によって、実はアミダ仏の方から凡夫(自我)に働きかけ「帰命せよ」と喚びかけておられる、そのアミダ仏の「帰せよの命」に帰順することによってアミダに帰せしめられると説かれたのである。こうして命(仰せ)に帰するのが帰命であるという帰命釈を取られたのである。
例えば『正信偈』に於て、その第一句は「帰命無量寿如来」であるが、ここではアミダ仏を無量寿如来といい、寿命無量の徳でもって阿弥陀仏を表されている。そして帰命は〈命(おおせ)に帰する〉という意味であるから、帰命無量寿如来とはアミダ仏の側から言うと「帰せよと仰せ下さる無量寿如来」であり、人の側から言うと「無量寿如来に帰命する」すなわち無量寿如来の仰せ(命)に帰順するという意味となる。
さらに宗祖はこの「帰せよ」の「帰」について「よりたのむなり」「よりかかるなり」と左訓されている。そこで帰命とはアミダ仏の側からいうと「帰せよ」の命だから、「よりたのめ」の仰せ、「よりかかれ」とのアミダ仏の仰せということになる。帰命とは、「たのめ、まかせ、よりかかれ」のアミダの仰せである。 ではなぜこのようにアミダ仏は私たちに「まかせよ」とまで仰せ下さるのかといえば、人間の側から無限者であるアミダ仏を認識すること、目覚めること、信じようとすることは不可能であることをアミダ仏は知りたもうているからである。人間は煩悩具足の凡夫であって人間には真実の心がないこと、我執我愛の自我心が根になっていて、自我の分別心では真実を認識し得ない、と仏は知りぬいて、そういう私どもにアミダ仏の方から働きかけ私どもを助けよう、摂取しようと喚びかけ働きかけてくださる、それが帰命無量寿如来すなわち南無阿弥陀仏であると宗祖は教示されたと伺うのである。
帰命釈の典拠
ではこの「タノメ」「マカセヨ」のアミダ仏の仰せは何を根拠として説かれるのであろうか。
それは仏陀釈尊が説かれた『仏説無量寿経』にアミダ仏の第十八願の思し召しに依るからである。無量寿経は真理を悟り生死を解脱した仏陀釈尊のみ言葉、いわゆる仏語であるから信頼に値するのである。そこに説かれているアミダ仏の第十八願は 「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん、もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」 と説かれているが、その中身は「至心信楽して我が国に生まれんとおもうて、乃至十念せん、若し生まれずば正覚を取らじ」のアミダ仏の仰せである。
この第十八願の「至心信楽して我が国に生まれんと欲うて」は「真実の誓い(至心)を信じて(信楽)、我が浄土に生まれるとおもえ(欲生我国)」ということであって、それは「誓いを信ぜよ」におさまる。信ぜよは「信頼せよ」「信憑せよ」「信任せよ」であるから、いわゆる「まかせよ」「たのめ」のアミダ仏の思し召しである。アミダ仏の救いは「乃至十念せん、若し生まれずば正覚を取らじ」は「称えるばかりで浄土に生まれしめん」との念仏往生の誓いであるから、第十八願は「信ぜよ、我が名を称えるばかりで助ける」の仰せとなる。
「我が名を称えるばかりで助ける」は「そのままなりで丸々助ける」の思し召しであり、「助ける」は「汝の罪と死を引き受けて浄土に生まれしむる」の大悲である。
そこで十八願は「我をたのめ、そのままなりで助ける」の仰せとなるのである。このお心をよく表された言葉が「帰命尽十方無碍光如来」であって、それは「汝の罪はいかほどあろうともさわりなく(無碍)助けるで我にまかせてくれよ」の如来大悲のお心である。尽十方無碍光如来は無量寿如来でもあるから、正信偈の「帰命無量寿如来」は「量りなきいのちのアミダが助けるでまかせよ」の如来の仰せである。それに順う人の側から言うと、「量りなきいのちのアミダの仰せにおまかせする」ことである。
この帰命無量寿如来について、真宗の名師であった足利義山師(明治四十三年没)は
「はかりなき
いのちのほとけましまして
われをたのめと
よびたまふなり」(『義山法語』四十六頁。百華苑)
と分かりやすい歌に詠まれた。
アミダ仏と人の原関係
ところで、無量寿如来は「はかりなきいのち」であるが、それは無量の寿命であるから、私たちのいのちも無量寿如来の中にしか存在し得ないので、アミダ仏は私たちの存在を一瞬も離れず私と共にましまし、私という存在そのものを抱いているといえる。私たちはアミダ仏のいのちの働きから一歩も出ることはできないのであり、私たちは存在の初めからあたたかいアミダのいのちにつかまえられているのである。いわばアミダ仏と私たちはいのちに於て不可分である。
しかし私の行為は、判断し選ぶ主体としての自我の私の行為としてなされるのであるから、私の行為はアミダの行為であるとはいえない。だからアミダと私は同一ではない。
しかしながら、今ここの私たちはアミダに於てあるという根源的事実を見失って、自らの妄念によってアミダ仏から自らを閉ざし救いなき状態に落ちている。そういう私たちをアミダ仏は摂取したもうお方であり、私たちはアミダ仏に助けられるべき存在である。だから、アミダ仏と人とは助ける側と助けられる側であって逆にはならない。どこまでも人は救われ手であり、アミダ仏は救い主である。
極重悪人唯称仏の仰せ
こうした関係がありながら、人はこの原関係に気づかず、自我としての私しか知らない。自我しか知らないということは自我が私の主体とされ、自我のよりどころとしてこの身を「我がもの」としている。つまり〈我あり、我が身あり、このほかに自己なし〉との見解(有身見)に生きている、いわゆる煩悩的自我として生きているのである。
人の現実は、この有身見によって煩悩熾盛となり、生にまどい死を怖れて、そこから出ることができない状態である。いわば煩悩具足の救われがたき身、助からぬ機である。しかも救われがたき身であることさえ知らぬ。それゆえに救われようとも願わないのである。
そのような私たちに、救われがたき身であることを知らせようとして、第十八願に「唯除五逆 誹謗正法(唯五逆と正法を誹謗せんをば除く)」と表してくださった。この本願の思し召しによって私たちに「五逆誹謗正法」の助からぬ者であること、極重悪人の者であることと知らせてくださるのである。
その極重悪人に「唯称仏」と仰せになり、「ただ称えるばかりで助ける」と仰せくださる。これが第十八願の「乃至十念 若不生者 不取正覚」の思し召しである。
「そのまま称えるばかりで助ける」の念仏往生の誓いを、称えるお念仏に於て聞く。それが本願成就文の「聞其名号」(その名号を聞く)の姿である。称える一声に於て「まるまる助ける」の仰せを聞く。これが「聞其名号」の実際である。
これについて、江戸の末期、泊まりがけで聴聞に来ていた同行たちが朝、お別れの挨拶のために香樹院徳龍師に会いに行かれた時の話が『香樹院語録』(五四頁。平楽寺書店)に載せられている。
又翌朝、御暇乞いの御礼に参りければ、仰せに。
念仏するばかりで、極楽へ生まれさせて下さるるのじゃほどに。それを念仏する計りと云えば、また称えるに力をいれる。そこで法然様の仰せに、差別が出来たのじゃ。ただ称うるばかりで助かることを、聞くのじゃほどに。他の同行えもよう云うてくれ。
この「称えるばかりで助ける」の仰せを称えるお念仏の声に於いて「ああありがたい」と聞くその時、摂取して捨てないアミダ仏の大悲にあわせていただくのである。そこに不思議にもアミダ仏は私と離れていないことを知られるのである。「ああアミダ仏は常に私と共にいたもう」という事を知らせてくださる。これが摂取不捨の利益である。
こうして自我の私に南無阿弥陀仏を聞く時、アミダ仏に摂取され、アミダ仏が自我の私において真実の主体(真実に自己)であること、すなわちアミダ仏の外に自己無しとほのかながらも知らされる。この智見において有身見が破られていくのである。
万物の根拠としてのアミダ
さて、寿命無量とはどういう働きかについて少し考えてみたい。アミダなる量りなきいのちは、人間の存在を成り立たしめている実在といい得る。 人だけではなく、万物は量りなきこの実在の働きに於て存在することができる。万物の中で人には自覚的な意識があり自由がある。自覚的意識があるゆえに人間はアミダ仏に「対して」生きているといえる。石とか水などの物質のように単なるアミダの働きの一部分ということに終わらず、意識ある〈人〉はアミダ仏に「対して」生きているのである。
こうして人は意識があるゆえにアミダ仏にであい、アミダ仏の恵みをこの世の生活の上に映し出し、アミダ仏の願いにしたがって自覚的に生きることができるのである。
しかしながら、それゆえにまたアミダ仏の中にありながらアミダ仏を無視したり、アミダ仏のお心に反逆して生きることにもなるのである。
量りなきいのちは私たちのいのちの根元であり、人は自覚的意識的存在であるから、この根元のいのちを知ることができる。しかし、実際にはアミダを自覚する人は少なく、無自覚のままで迷いを重ねている。人ははかりなきいのちであるアミダに無自覚に生きていて、個物としての心身を「我なり」と執する有身見に住してさまざまな苦しみを重ねているのである。
このような迷妄に苦しんでいる衆生をアミダのいのちに帰らしめようとアミダ仏ご自身が衆生に働きかけている。そういうアミダ仏の不可思議な有り難いはたらきがましまして万人に働きかけていることを覚ったお方が仏陀釈尊である。釈尊は、限りなき功徳がましますアミダ仏が衆生を救おうと働いていることを覚り、その救いの働きを光明無量と表し、その本を寿命無量と表現したのである。
こうして有り難い働きがましまして衆生に働きづめであることを私たちに説いてくださったのが『仏説無量寿経』である。アミダ仏の光明無量の功徳である智慧と慈悲から、一切衆生に本願の名号を与えて衆生を救おうとするアミダ仏のましますことを説かれたのである。 聞名にてアミダに帰る 本願の名号である南無阿弥陀仏を称え、本願のお心を聞くとき、衆生は自らが煩悩具足の救われがたき凡夫であると知り、それにもかかわらずアミダ仏がいつでもどこでも共にましまして悪業煩悩の自分を摂取して捨てず、浄土へと至らしてくださることを南無阿弥陀仏の仰せにおいて聞かせていただくのである。
こうして、南無阿弥陀仏を聞く一念に衆生はアミダ仏のいのちに帰ることが成就するのである。それを『仏説無量寿経』の本願成就文では
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜し、乃至一念せん、至心廻向したまえり。かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得、不退転に住す」
と説かれている。本願の名号を聞く一念に如来の大悲が信心としてその人に回向され不退転に住するのである。
この南無阿弥陀仏の名号を聞く時、アミダ仏とであい、アミダ仏が私たちのいのちの主体であることをほのかながらも知らされるのである。いわばアミダ仏のいのちのほかに自己は無かったことをほのかに知らされるのである。
しかしながら自我である私はどこまでも煩悩的自我であることをまぬがれないから、私はアミダ仏ではない。私は私であり、アミダ仏はアミダ仏であって、私の行為はアミダ仏の行為ではない。アミダ仏と私は同一ではなく不可同である。しかしまた、アミダ仏と私はいのちの事実として根源的に分かちがたく一つである。
このアミダ仏に触れるとき、他の衆生もアミダ仏の中にいることもほのかに知れる。それこそ「一つのいのちをみんなで生きている」ことをかすかながらも知る。
アミダの働きの二面性
なお寿命無量の働きは精神面と物質面という相反する二面に表現されている。量りなきいのちは精神面だけでなく物質面に表現される。物質面の領域を人間の認識形式(因果の形式)でもって対象的に捉え、そこに法則性を見いだして、これを利用しようするところに自然科学の領域がある。
ただ、アミダの〈ナマのいのちそのもの〉は人間の側から対象的にとらえることはできない。むしろ対象的に捉えんとする側にこそ生きたアミダが働いている。
自然科学的物質面的な領域は人の側からいうと対象的論理的に捉えたアミダの働きである。アミダのいのちの側からいうと、人間の対象論理的認識の枠組みの中に、量りなきいのちそのものが自らをそのように表現しているともいえよう。
全否定して救うアミダ
生けるアミダ仏そのものを私たちは対象的に掴むことはできないが、私たちの背後から名号(音声法)となって喚びかけることによってアミダ仏ご自身を私たちに知らしめたもうのである。
南無阿弥陀仏を聞くとは「そのままなりでタスケル」を聞くのであるが、それによって「このままなりで助けていただかねば救われない存在」であることをおのずと知らされるのである。私たちが自分ではどうしてみようもない「助からぬ」身であるからこそ、阿弥陀仏は「丸々ヒキウケル」と喚びかけたもうのである。それゆえ、又、それを聞く私たちは自らの能力や計らいでは「助からぬ身」であることを知らされるのである。
にもかかわらず私たちは「助からぬ身」であるとなかなか知れないので、自らの計らいを差し挟んで自分を助けようとし、アミダ仏を捉えようとする計らいが止まぬのである。
自我の計らいは、我執我愛の功利心が根になっており、どこまでも楽になろうとして功徳(安心やら信心やら)を得ようとはからうのである。『唯信鈔文意』に
もとめざるに、一切の功徳善根を、仏のちかいを信ずる人にえしむるがゆえに、しからしむという。はじめて功徳をえんとはからわざれば、自然というなり。(「真宗法要」所収本)
このように人が功徳を得ようとする我執我愛の計らいがありつつも、お念仏を称え、南無阿弥陀仏を聞いていく。そこに称え聞かされる南無阿弥陀仏には、助からぬ者を助けるところの大慈大悲の願心がこもっているゆえに、時至って「助かろう」「功徳をえんとはから」う計らいが全否定され、そこにすでにその者をおさめとりたもうアミダ仏のましますことを、名号は知らせてくださる。
アミダ仏は私たちの計らいを全否定するとともに、私たちを全受容してくださる。このように、アミダ仏の本願は私たちの上に自我否定的に働き、仏心を私たちに至り届けてくださることによって信心を成就したもうのである。そこで、アミダ仏と私は不可分であり、アミダ仏が私の真の主体であることをほのかながら知らされるのである。
ひとたびアミダ仏にであうと、人には自由(自覚的意識)があるゆえ、それによってアミダ仏に背いてきた罪を知り、生涯煩悩的生活をまぬがれないことを慚愧せずにはおれないとともに、南無阿弥陀仏を讃嘆しアミダ仏のお心にそって生きようという願いが起こる。これは届いた本願のおんもよおしという外はない。 (了) (二〇二〇年六月)