L「新聞などで閣僚の靖国神社参拝がしばしば問題になりますが、なぜでしょうか」
D「積極的に靖国神社に参拝する政治家たちが〈お国のために戦争で亡くなられた軍人戦死者のおかげで、今日の日本の繁栄がある。お国のために戦って亡くなられた方々に感謝のまことを捧げるため、靖国神社に参拝するのは当然であり、靖国神社も国家が護持すべきである〉と発言しています」
L「こういう言葉を聞くともっともだという気もしないではないのですが」
D「心情的にはそういう感じもします。ことにご遺族の中には、〈国家のために亡くなったのだから国家が祀ってほしい〉と思う方々がおられることは理解できます。ただそこにはいくつかの問題があることを冷静に認識しておかなければなりません」
L「どういう問題があるのでしょうか」
D「たとえば、かっての蒙古来襲は、蒙古が日本に攻めてきたので、日本の国を護るために日本の多くの武士が戦って亡くなりました。これはたとえ鎌倉幕府の権力維持のためという意味はあっても、全体的には日本のために戦い、そして亡くなられたといえましょう。
しかし今度の戦争は、アジア各地に出兵し、それによって多くの現地人が殺されました。こうした日本軍の出兵について、一部の人は西欧列強の侵略を防ぐため必要だったといいますが、出兵によって大変苦しめられたのは西欧列強よりも東アジアの多くの現地人でした。ですから、今度の戦争は侵略的性格をもったていたことは否定できません。戦争の理念は〈アジアの解放〉といっても、実際にしたことはアジア各地での日本の植民地支配だったというのが今や常識です。その証拠に、アジア諸国での日本軍の行為に感謝しているアジアの国は一つもないことです。
日本人の心情としては今度の戦争を、〈日本を守るため〉と思いたいのはやまやまですが、歴史上の事実はそうではなかったのです」
L「じゃあ今度の戦争での日本軍の出兵は犯罪なのですか」
D「戦争犯罪といえば、出征兵士だけでは無論なく、戦地へ軍隊を送り込んだ人たち、いわば軍部や政治家の戦争責任は重大ですし、産業界、またそれに賛同したや宗教界も当然罪を負っています。さらには戦勝国の西欧列強も今度の戦争をひき起こした要因をいくつも持っていますから、戦争犯罪はまぬがれないですね」
L「そうすると戦争犯罪に関わりながら生き残った人たちが多いことを考えると、戦没者たちは戦争の犠牲者であるといえますね」
D「ええ、生き延びた多くの人たちがいるにもかかわらず、悲惨な場所で亡くなられたのですからね」
L「軍人の戦死者を戦争の犠牲者というと、どこからか〈英霊を馬鹿にするのか〉という声が聞こえそうですが」
D「こうした戦死者を大事に思うことは、今度の戦争を肯定したり美化して、戦死者を日本の英雄や神のように祭り上げることなのでしょうか。なるほど、自己の利害を離れて一心に我が身を捧げたという点は大変尊いことです。
それは私たちも受け継がねばなりません。ただ〈いのちを何に捧げた〉かは、不問にしてはならないと思います。そこに目をつぶることの出来ない問題があります」
L「そうすると、一番の戦争犯罪は戦争に駆り立てた指導者たちにあるのですね」
D「そう思います。今度の戦争では、日本は他国の民衆への加害者であり、同時に軍人戦没者は戦争の犠牲者であったと思います。だから戦死者を祀るということは、戦争を美化し、英雄扱いすることではありません。戦死した人たちの魂の叫びに静かに耳を傾けることが大事だと思います。
そうすると、戦死した人たちの願いは、〈今度の戦争を美化したり肯定したりしてはいけない、このような戦争は二度としてはいけない、どうか私たちの死を無駄にしないで日本の平和・世界の平和にために努力してください〉という声を感じます。そういう戦死者の衷心の訴えを尋ねて、その願いに応えていこうとすること、これが本当の〈とむらい〉であり、〈戦没者の供養〉でありましょう。
それに、〈お国のために戦って亡くなられた〉といいますが、今日の調査では、軍人・軍属の死者230万の中の6割にあたる約140万人は餓死または病死であると報告されていて、日本政府が兵卒の生命をいかに粗末に扱ったかが問われています」 L「戦没者を慰霊するとは、戦争行為を肯定することではなく、戦争の悲惨さを私たちが心に刻みつけ、今度の戦争の罪深さを私たちが真剣に反省懺悔することなのですね、それが本当の〈戦死者への供養〉ではないかということですね。
北条時宗は戦争犠牲者の供養を行いましたが、日本人だけでなく敵の蒙古軍の死者も共に供養したと伝えられていますね」
L「インドのアショカ王も戦争を悲しみ、敵の死者も悼んでいます」
D「それに比べて靖国神社には、戦死した日本軍の兵士しか祀っていません。」
L「どうしてなのですか」
D「靖国神社はもとあった東京招魂社を明治12年に改称したものです。東京招魂社は戊辰戦争や西南戦争で戦死した官軍の兵士を祀るために造られました。官軍(朝廷・天皇)のために亡くなった戦死者だけをまつるという極めて特殊な神社でした。西南戦争で官軍と戦った西郷隆盛などは祀られていません」
L「朝廷・天皇のために戦死した兵士のみを祀るための東京招魂社が靖国神社の元になっていて、その理念は靖国神社に継承されているのですね」
D「靖国神社はそういう意味で天皇と戦争とに密接に繋がっていて、日本全体のために戦死したのではなく天皇のために亡くなった兵士を祀るという、そういう理念を引き継いでいます。ですから空襲や原爆また沖縄戦で犠牲になった多くの日本人戦死者は祀られていません。そういう意味で靖国神社には偏狭な思想が根底にあります」
L「戦争中、戦死しても靖国神社に祀ってもらえると思って死んだ人がいますが」
D「ええ、そういう教育を時の政府がしたのですね。〈敵と戦って死んでも靖国神社で神と祀る〉という思想は、戦争を遂行し、勇敢に兵士を戦闘に臨ませるために、極めて有効な思想教育だったと思います。だから靖国神社は戦争遂行のために大きな負の役割を果たしたのですが、いまだこうした思想教育への反省がなされないままです」
L「本願寺でも安土桃山時代に大阪本願寺が信長の激しい攻撃を受けたとき、信長軍と戦う真宗門徒に対して、寺側の指導者が〈進めば極楽、退けば地獄〉といって戦わせたという話がありますね」
D「ええ、そういうスローガンを作り出して、死をも恐れず勇敢に戦わせたのでしたが、それは真宗の教えに背き、寺側の権力に都合のいいスローガンでした。こうした言葉は仏の言葉ではなく、凡夫の都合によって考え出した言葉です。〈戦場で死ねば靖国で神として祀る〉という考えは決して神様の言葉ではなく、時の政府が戦争勝利のためにひねり出したスローガンだと思います」
L「誤った教育は人も世も誤らしめるのですね」
D「靖国神社は、村の氏神や伊勢神宮や出雲大社などの神社とは違って、近代日本の戦争と密接に連動してきた神社であり、〈国家即天皇のために死んだ兵士の霊魂を英霊(すぐれた霊いわば神〉としてに祀るという靖国思想を、現在も色濃く持っている非常に特異な宗教施設です」
L「だから、靖国思想と異なるキリスト教や純粋仏教の人たちにとっては、受け入れがたい思想であり、靖国神社を国家で護持することには反対なのですね」
D「ええ、ですから、〈国のために亡くなった戦死者を大切に慰霊する〉という単純なものではありません。今度の戦争をどう見るか。靖国神社とは何か。また戦死者を本当に〈慰霊する〉とはどうすることか、などなど多くの問題を含んでいます」
L「靖国神社国家護持法案は何度も国会に出されましたが廃案になっていますね」
D「国家が〈霊魂〉とか〈神〉とか、あるいは〈鎮魂〉とか〈慰霊〉などに関わるのは危険性があります」
L「なぜですか」
D「神とか霊魂とか、あるいは鎮魂とか慰霊とかいうものは、それが一体どういうものかは客観的に検証したり確かめたりはできません。ということは、神とは何か、霊魂とは何か、慰霊とは何かなどを明確に示すことも、又お互いが共に確認しあうことも出来ません」
L「客観的に確かめられないから、共通の理解も出来ませんね」
D「そうです。たとえば純粋仏教では霊魂の存在すら、有るとも無いとも説きません。いわば〈霊魂は説かない〉のが仏教ですし、そういう純粋性をまもっている浄土真宗では〈慰霊〉ということすら言わないのです。英霊とは何か。誰も本当は分からないし、確かめようもない。
分からないものを政治の場に持ち込むと、あとは勝手に〈神のお告げ〉とか、〈霊のたたり〉とか、〈英霊を侮辱するな〉とかいう、そうした非合理的なものが大手を振って歩いたり、神がかり的な発言が出てきて、ついには権力を持った人たちが〈神性なものをけがすもの〉〈英霊を冒涜するもの〉という名目の元に、自分たちに反対する人たちを弾圧しかねません。そういうことは世界の歴史の上で数えられないほどありました。
道理に背くことでも、神の名や霊の名で、時には天皇の名で無理を通していく、戦前の軍部がそうでしたね。最近のアラブの湾岸戦争では、イラクのフセインは〈この戦争は聖戦〉だといって自国民を鼓舞しました。いわば神の意志で行われている聖なる戦争だといったのです。本当に神の意志かどうか、だれが確かめられるのでしょうか」
L「政治の世界はお互いが確認できる道理に基づいて行われるべきですね。おっしゃるように、神や仏や霊などに対する考えは人それぞれで違いますし、また何とでも解釈できるものですから、解釈の仕方では非常に怖いものにもなりかねませんね。ところで軍人戦死者の人々をどう私たちは弔ったらいいのでしょうか。」
D「私たち日本人はこのたびの戦争で外地に行って大変苦しい目をして亡くなられた戦死者の方々を正しく追弔することが大事です。真宗大谷派でも本願寺派でも毎年、軍人だけでなく戦争で亡くなられたすべての死者を弔う法要をしています。
もし国家が戦死した兵隊さんを弔うなら、靖国神社ではなくて、どんな宗教の人でも、あるいは宗教のない人でもお参りできるメモリアルのような施設を造ったらいいと思います。アメリカでは真珠湾攻撃で亡くなった多くの兵士のために立派なメモリアルが造られています」
L「神社ではだめなのですね」
D「私たちは平生、意識していませんが、神社には固有の神道思想および宗教儀礼をもっています。ですから、神道の思想や儀礼と違った宗教や思想をもっている人たちにとっては神社への参拝は違和感を感じると思います。ことに靖国神社のような特異な神社に対しては、真宗の熱心な門徒やキリスト教徒などにとっては抵抗あるいは苦痛を感じる場所ですね。
それに、遺族の中には〈戦死した息子は靖国神社になんか帰っていない、私たちの先祖や親のところに帰っている〉という人たちが沢山いることも忘れてはなりません」
(了)