「阿弥陀のいのちに帰する」とは 

「帰命」の意味については古来「命(いのち)を帰する」「命(いのち)に帰する」「命(教命・仰せ)に帰する」との三義があると言われている。
この中、真宗では「命(仰せ)に帰する」を用いる。ところが近年、大谷派では「命(いのち)に帰する」をあたかも本義のように用いられている。
もちろんこの義も淨土教では成り立ちえるのであって、西山 派ではこの義を主に用いているようである。

しかし、なぜ親鸞聖人は「命(仰せ)も彼自身の内部に巨人的な形をとって充 実している矛盾や撞着や分裂は、ラスコーリニコフの悔悟と甦生によって一応の解決を見たとはいえ、おのれの創造した主人公と同様強烈な自意識の権化であったドストエフスキイはラスコーリニコフの徹底個人主義と権力意思が論理的には一応完璧であるのに反して、神と良心の擁護に理論的武装がほとんど皆無なのに、内心ひそかなる焦燥を感じ不満を懐かずにいられなかった」と述べている。的確な書評であり、私も同感である。 に帰する」を用いられたのか。

「いのちに帰する」すなわち「阿弥陀仏のいのちに帰る」は思想としては「仰せに帰する」よりもよく分かる。けれどもこれを我が身の実感として身につけようとすると、「阿弥陀のいのちとは何か」「いのちに帰するとはどういうことか」「どうしたら阿弥陀のいのちに帰しえるのか」という問題にぶつかってしまう。
これを直観的に「さとる」ことはありえようが、大抵は「わからない」「できない」という壁にぶつかる。そうしてついには「すすむことも、引き返すことも、とどまることもできない」という三定死の場に立たされてしまう。善導も法然も聖人もこのような場に立たされたと思う。その時、はからずも「弥陀の仰せ」が聞こえたのである。「汝一心正念にして直ちに来たれ」という仰せを聞かれたのである。この仰せにしたがった時、初めて弥陀とのであいを実現されたのだと伺う。

それゆえ聖人は「帰命ともうすは、如来の勅命にしたがうこころなり」(尊号真像銘文)と釈されたのである。
「阿弥陀のいのちに帰する」は浄土思想としては正しいとしても、これを思想的に了解して能事おわれりと済ませてしまう段には問題が起こらないが、実感として分かろうとする段になると我が身の無知無能の前に立たされる。こうした我が身の知性の破綻を通してむしろ「命(仰せ)に帰する」が信仰的実際となる。
今日、真宗への導入として帰命を「阿弥陀のいのちに帰する」と表現することはかまわないとしても、「勅命にしたがう」という義にとってかわって本義としてしまうことは真宗がいたずらに思想化してしまい、宗教的救済の実際を見失うことになりはしないかと懸念するのである。

(了)

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