バッハに魅せられて

バッハ・ファンの私は毎朝、教会カンタータを聴きながら起きるのが日課のようになっている。「ああ美しい」と毎回感嘆しながら着替える。これはお金のかからない最高のゼイタクだと思っている。

*  もともとクラシック音楽を好きになり出したのは、中学3年の3学期になって音楽の時間にレコード鑑賞が多くなり、その影響であろうか、クラシックに興味をもつようになった。 ーーー私が受けてきた学校の音楽教育は、教科書に載っている曲を音符にそって歌わされることが中心だった。歌わされた歌はやさしく親しみのある曲、悪く言えばあたりさわりのない世俗曲ばかり、これを何度も練習させられたのである。
こうした曲は今でも〈ママさんコーラス〉の定番であるが、学校を出てからは日常ほとんど歌われないものである。それはともかく歌うことよりも先ずは名曲中の名曲を何度も何度も聴くことが音楽の魅力と価値を実感する一番の近道ではないかと、ズブの素人ながら感じるのである。音楽の一番の魅力は音符を見て歌えるかどうかよりも「美しさへの感動」にある思うーーー

*  高校に入学した頃、クラシックは〈なんと言ってもベートーベン〉という〈世の先入観〉から、まずは『運命』ということで、レコードを買って聴いた。ところが名曲といわれる良さがさっぱり分からない。
小遣いをはたいて買ったのにという悔しい思いをしつつ、十数回たて続けに聴いている内に「なるほどすばらしい」と感嘆したのを覚えている。
それ以後、〈聴く耳〉ができたのか、毎日ラジオのクラシック番組を聴くのが何よりも楽しみになった。(真宗の信心というのも法を聴く耳ができることともいえる)。
そうこうして半年ぐらいたったある日何気なしにラジオのスイッチをひねった時、流れてきた楽音のすごさに息をのんで、呆然と聴き入った。「コレはいったい誰の曲!」と驚嘆したのである。それがバッハの〈半音階的幻想曲とフーガ〉だった。それまでバッハといえば学校の音楽室の壁にひどく難しそうで頑固な顔の額がかかっていて、「音楽の父といわれているおじさん」というイメージしかなく、初めから敬遠というか無関心だった。 ところがその時「バッハという人はこんな曲を作るのか!」と強烈な印象を与えられてから、彼の曲にはなはだ注目して聴きだしたのである。
そしてますますその美しさに圧倒されて、一挙にバッハファンになってしまった。もうそれからは他の作曲家の曲を聴きたいと思わなくなり、そこそこ持っていたレコードはバッハ以外全て、近くの川に投げ捨ててしまった。(今では違法投棄)

*  バッハにであって一変に彼の魅力の虜になる人はけっこういるらしく、バッハとのであいの強烈さからいわゆる「バッハへの回心」をする人が時々いるようだが、どうも私もその一人だったらしい。しかも、バッハファンはともするとバッハ以外を好んで聴こうとしないらしいことも共通している。
そんなわけで、バッハの作品の中でも〈マタイ受難曲〉(リヒター盤)と〈無伴奏チェロ組曲〉(カザルス盤)が西欧音楽の最高峰と思い、貧乏高校生としては大枚を出して買い求めたものである。

*  ところが高校2年になってから、宗教ことに仏教にひかれると共に宗教的な問題を解決したいという願望かつ苦悶が強まってきて、もはや落ち着いてバッハを聴く心のゆとりがなくなってしまった。一日中、なんとか救われたいという欲求で頭がいっぱいになり、心を向けて音楽を聴くことができなくなった。
要するに宗教的関心が美的関心より強くなったのである。それはまた社会的関心よりも強く、清沢満之師が「人心の至奧より出づる至盛の要求」と言われるとおりであった。近年、社会問題への関わりの有無がその宗教の意味と価値を計る尺度になっているきらいがあるが、「いかに生きるか」とか「いかにして平和で差別のない社会にするか」よりも「なんのために生きねばならないか」という宗教に固有とされる問題の方が、どちらが大事かはともかく、より根の深い問いのように思われる。

* そういう悶々たる状態が20年以上も続き、38歳の夏ようやく宗教の問題に決着をみたのである。
それからは精神的に安定を得たのであるが、もうその頃にはバッハ鑑賞の習慣はなくなりバッハのすばらしさも忘れかけていた。ところが43歳の頃、友人からたまたま「ヨハネ受難曲はいい」と聞き、さっそくそのCDを買い求めて聴いたところ、若い頃のあの感動がまたよみがえり、とうとうバッハの全曲をそろえたのである。そして数年後、ヨーロッパに一度は行ってみたいという思いもあり「バッハの墓参り」を一人旅で敢行した。最初にイタリアを旅し、ドイツに入って目的のバッハの関係地を生誕地のアイゼナッハから訪ねはじめた。
ルターが聖書をドイツ語訳したヴァルトブルグ城、その麓で1685年ルター派信仰の家庭にゼバスチャン・バッハは誕生した。今は生家あたりにバッハハウスがある。そこでは案内の方自らが当時のチェンバロで生演奏してくれた。バッハをしのびながら透明で繊細な美しい音の流れに浸っていると涙があふれて止まらなかった。
翌日からワイマール、そしてケーテンと彼の居た場所を訪ね、最後に彼が後半生を送ったライプチッヒに行った。駅から歩いて15分ほどのところに、彼が奉職していた聖トマス教会があり、ここにバッハの墓がある。お墓のレリーフのある処は残念ながら工事中で近寄れず、遠くから拝ましてもらった。この教会の中でもオルガンの生演奏が行われ、それを聴き終えてから、庭にある有名な彼の銅像に花束を捧げて、あれほど美しい曲を沢山残してくれたバッハに感謝の気持ちを表した。

*  バッハの音楽の美しさや深さを言葉で表わすことは真宗信心を言葉で表現することに似て非常に難しい、いな不可能にさえ思われる。
けれどもあえて「美しさの質的差違」を仮に表現してみると、たとえばヴァイオリン曲でいうと、もっともポピュラーな〈タイスの瞑想曲〉とか〈チゴイネルワイゼン〉とか天満敦子が弾いて一躍有名になった〈望郷のバラード〉などはだれもが美しいと感じるような曲である。ところがこういう曲はけっこう飽きやすいのである。
しかし、四大ヴァイオリン協奏曲といわれるベートーベンとかブラームスの曲になると「非常に味のある美しさ」でいわゆる聴き惚れるし、これはなかなか飽きない。ところがバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータは深遠な美しさにあふれ、毎日聴いても飽きがこない。ことに〈シャコンヌ〉などは「完全なる充実」で、もうこれ以上のヴァイオリン曲が地上に現れるとは思えない。よくもこれほど密度の高い曲ができたものだと今更ながら驚く。

*  しかし音曲とそれを聴く心とは因縁関係にあることは言うまでもないので、これは単に音曲上の質的差違ではなく、曲を聴いて〈美しい〉と感じる私たちの心に階層的領域のあることすら思わせられる。もし美を感じる心に階層をあえて仮設すると、バッハの音楽がどこに感受されてくるのであろうか。これについて心理学者の河合隼雄が「バッハの音楽は、私の自己流解釈によると、〈たましい〉に直結しているところに特徴がある。〈こころ〉をとびこえて〈たましい〉に達する」と言っているが、私もバッハの美しさは「心のレベル」ではなく「たましいのレベル」に深く食い込んでくる美しさだと思う。そういう点、バッハびいきの偏見から言うと、一般的なポピュラーな曲やロマン派の曲は、〈たましい〉よりも先ずは〈こころ〉に感受される美しさだと。

*  しかしこの〈たましい〉のレベルの曲は聴く人によっては無味乾燥な曲にも受け取られる可能性がある。クラシックをそこそこ楽しんでいる人がバッハのヴァイオリン曲について「ヴァイオリンという楽器を機械的に摩擦している無味乾燥な摩擦音の連続としか聴こえない」と評しているのを読んで驚いたが、しかしよく考えてみればこころの表層の部分でバッハの曲を聴くとそうとも言えそうである。
そのせいか私も本などを読みながらバッハの曲を流していると「うるさいばかり」とさえ時には感じられる。だからバッハを聴くときはまっすぐに曲に向き合わないと〈たましい〉にまで落ちてこない。手軽に他のことを〈しながら聴く〉ことを許さないのがバッハである。

*  なお、バッハの曲でも〈管弦楽組曲〉とか〈ブランデンブルグ協奏曲〉は私はあまり聴かない。〈平均率〉とか〈イギリス組曲〉とか無伴奏のチェロやヴァイオリン曲などは大変好んで聴く。しかしバッハの中で一番素晴らしいのはなんと言っても受難曲を含む教会カンタータ群である。それらは大蔵経にも似て、人類の美の宝庫である。この宝庫から汲めども尽きぬ「深遠な美しさ」をバッハは永遠に与え続けてくれている。

(了)

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