スリランカの仏教にふれて

●盛んな日曜学校
2009年10月3日より1週間、スリランカの仏教にふれる旅に四人で出かけた。3日の深夜、コロンボに到着。ガイドの米山裕美子さんが空港に迎えに来てくれた。
彼女はスリランカ人と結婚し、現地で旅行社を立ち上げた人で、今回の旅行は彼女がアレンジし、充実した内容になった

10月4日、ミヒンターレ郊外の村の寺を訪れた。日曜学校の生徒100人ほどから歓迎を受けた。独特な民族衣装を付け、化粧をした16人ばかりの小学生の男女が歓迎の踊りを、寺の前の広場で舞ってくれた。
日曜学校は、寺で僧侶の指導の下、子弟の仏教教育として盛んに行われている。  今日、スリランカの仏教が隆盛な理由の一つは日曜学校の組織的な教育によるともいわれている。さらに小中などの学校教育においても毎週仏教の授業があり、試験も行われている。学校では朝の礼拝から授業が始まる。
だから小学生でも、簡単な勤行が出来るようになるという。仏教徒の家庭ではかならず仏陀の祭壇があり、朝夕、お勤めがなされ、親が用事でお勤めできないときは子供が代わってできるという。これが仏教徒の一般家庭の状況である。

●仏教が盛んになった理由
スリランカは多民族国家であるが、主な種族はシンハリ族であり、そのほとんどは仏教徒である。  国民のほぼ7割が仏教徒で、他にヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒がいて、その間には宗教間の緊張がある。政府の支配層を担っているのがシンハリ族であるから、仏教の勢力を維持することはシンハリ人の団結と、それによる国家統合の力になるので、政府は仏教を準国教のように優遇している。
ラジオからは早朝、僧侶の読経と法話がしばしば流れ、車で走る道路の辻のあちこちに禅定の白い仏陀像が置かれている。
私がこの寺の主僧に「どうしてこの国は仏教が盛んなのですか」と尋ねると、「仏教は代々の王朝が善政(時には悪王もいたが)を敷いたなかで、仏教を厚く保護したから。また仏教の教えはシンプルだから」という答えが返ってきた。

私は「仏教の教えは合理的ですしね」というと、〈その通りだ〉と同意された。なおこの寺でいただいたマンゴーとパパイヤ、それに本場の紅茶はすこぶる美味しかった。

スリランカはかつてポルトガル・オランダさらには1796年からイギリスに統治され、仏教は大変衰えたが、19世紀末になって、シンハラ人の中から仏教復興運動が起こり、ダルマパーラなどの仏教知識人のめざましい活動によって、仏教が復興してきた。
そして、キリスト教と仏教と、どちらが勝れているかという論争が巻き起こり、宣教師と仏僧との対論が行われて、仏教側が勝利し、それによって仏教の教えの素晴らしさが証明されたという事件(1873年)があった。これも仏教が盛んになる要因となったといわれている。その仏キ両教の対論で、仏教が優位に立てた理由が仏教の合理性にあると云われている。

●各地の仏教聖地を礼拝
4日の午後はミヒンターレのアンバスターレ大塔に行く。この地は仏教が初めて(紀元前247年)スリランカに伝えられた処で、ここのお寺にある菩提樹はインドのブッダガヤの菩提樹から分かれた株で現在も代々生息し、厚く民衆に崇拝されている。スリランカの仏教寺院の特徴の一つは寺院境内に菩提樹が必ずといっていいほどあり、仏陀のシンボルとして信仰の対象となっている。
この寺の主僧に同行のF氏が「大乗仏教に対してはあなたはどう思うか」と質問したのに対し、「龍樹などが経典に自分の考えを入れた」という返答であった。

次ぎに訪れたアヌラーダプラはこの国で最も大きな美しい仏舎利塔の寺(ルワンヴェリ・サーヤ・紀元前二世紀造)である。その一部に礼拝堂があり、ちょうど供養の品々をうやうやしく頭上に乗せて一列に運ぶ人たちに出遇い、その人たちの後からお堂に入って仏陀を礼拝し勤行に参列した。中国の法顕三蔵(337~422)はこの寺に2ヶ年滞在したと伝えられているが、それにしても5世紀の初め中国からここまで仏法を求めに来た法顕の強靱な意志には感嘆せざるをえない。

次ぎに一面の景観が素晴らしいシギリア・ロックに登る。かなりハードな階段で、途中にある壁画は一見の価値がある。岩山の頂上に王宮跡がある。後代この岩山の下は修行僧が居住し修行する場になった。真面目な修行僧たちは人里離れた岩山の空間や森林に居住して生涯修行に専念したのである。そういう跡を訪ねると、仏道修行の厳しさとともにこういう場所では心の平和は確かに保ちやすかっただろうと思われる。そしてこうした修行僧たちを支えてきた民衆の村が近くには必ず存在する。
そこから更にボロンナルワに行く。大きな岩石の山をくりぬいた洞窟寺院があり、その中には仏陀の像の他に大きな美しい観音菩薩像や文殊菩薩像が安置されていた。かつては大乗仏教も栄えていたのである。

ところが、1153年に当時の王が大乗仏教を排除してからは上座部仏教のみとなった。戒律を厳格に守る清潔な上座部の修行僧の方が尊く見られたのではなかろうか。いつの時代も理論よりも僧侶が清潔な(清潔そうな)生活をしているかどうかが、民衆の尊敬を得るかどうかのものさしになりやすいものである。

●在家者の施戒生天の信仰
在俗の人たちは修行僧に供養をする。出家者に食を施し、衣や日用品などの施しをすることは在家者にとって大きな功徳となり、その功徳によって来世には天上界に生まれるという信仰がある。これは釈尊の時代から連綿として続いてきた在家仏教徒のあり方で〈施戒生天〉といわれている。五戒を持ち功徳を積むことによって、死後にさらに善き世界(天上界)に生まれるという来世信仰は仏教に熱心なタイやミャンマーなどの上座部仏教の定着している地域ではほぼ共通である。
仏教だけでなく、熱心なキリスト教徒やイスラム教徒たちはなべて来世に「天国へ生まれる信仰」が強い。思うに、現世での生き方だけを語り、人間的知性にそった合理的信仰を語るだけでは停滞を余儀なくされるのが世界の現状ではなかろうか。

●キャンディーの仏歯寺
次ぎにキャンディーに行く。この地はスリランカに於ける京都のような処で、昔の王朝の都であると共にスリランカ仏教の中心地でもある。  最初に観光客目当ての大きな物産屋に入った。入った部屋の正面に凛とした比丘の座像がおかれていたので「誰か」と尋ねると「ブッダゴーサだ」と店員が言う。ブッダゴーサは5世紀に活躍した上座部仏教の偉大な学者で、大乗で言う龍樹や天親のような人だが、そういう尊者が店屋の中にデンと置かれているのもスリランカならではであろう。
さて、キャンディーの仏歯寺はスリランカ仏教の核になる寺であり、そこにある釈尊の歯(仏歯)は聖物として全仏教徒の崇拝の的であるとともに、シンハリ人による国家形成の歴史における統一のシンボルでもある。夕刻お参りに行ったが参拝者で溢れていた。特別にお願いして仏歯の安置してある小さな部屋に入らせていただく。聖骨は宝石をちりばめたまばゆいばかりのカスケードに入れられていた。

●民衆と寺との濃い関わり
帰国する日の早朝、郊外の瞑想センターを訪ねる。静かな山の中腹にあり、何人かの在俗の人たちが瞑想の生活をしていた。欧米からの若者が目立つ。指導者からビーパッサナの指導を受け、しばらく実体験をさせていただいた。ここでは仏教の瞑想修行であるビーッパサナを在家の人たちも実習できるようにしている。
近代のスリランカにおける仏教の改革は在家仏教徒たちが担ったといわれているが、その一端をここに見た。  また昼前に訪れたお寺では、ちょうど法事のために在家信者十数人が寺の本堂に集まり、僧侶と共に勤行、それから食堂に入り、数人の修行僧の前に坐る。主僧から30分ほどの説教を聞いてから、もって来た食物や衣・日用品を修行僧たちに供養していた。毎日の修行僧たちの食事は、お寺を維持する在家信者たちが何組かに分けて交替で用意する。この寺には中国からの青年比丘もいた。最近まで日本人僧もここで修行していたとのことである。寺の周りは木が生い茂り沢山の猿が群れていた。僧房の廊下の突き当たりに大きな白骨の絵図がかけられていた。歩行しながら瞑想して無常観を修するためである。
なお、仏教がシンハラ人の生活に深く関わっていることは旅の中で肌で感じたが、米山さんから聞いた話では、民衆はボヤデーといって月に四回、寺にお参りし、説教を聞く。また僧侶は出産・病気・結婚・葬儀などに関わり、そのつど説教を行う。葬儀儀礼は初7日の後は、初7日の儀礼と同じことが命日から1ヵ月後、3ヵ月後、1年後と行われ、その後は祥月命日のたびに毎年、法要が繰り返されているとのことである。法話を聞く機会も多くその時間も長いので、在家の人が仏教に浴する密度は日本よりもずっと濃いと言える。それだけにまた民衆の経済的な負担も大きいようである。
なお、僧侶の読経は在家者には現世利益をもたらし、厄を払うという意味が付与されているようで、これは他の東アジアの国々の仏教でも同じである。現世の安楽が仏教儀礼によってもたらされるという信仰はどこでも根強い。現世利益的、厄払い的なものを求める民衆の願いは人間の心にしみ込んでいて、これを否定するとなかなか民衆はついてこないという現実があるようだ。
ただそれに甘んぜず、仏教が本来目指している涅槃を求めたいのなら、出家して専門的に仏道修行すればいいという二段構えの構造である。  それとスリランカの仏教はナショナリズムと結びついている面があるので、政府は仏教を厚く保護しているが、これは仏教徒以外の人たちへの圧力になる面があり、この問題は最近やっとおさまってきた国内紛争の一因にもなってきたといえる。

●劣悪で低賃金の紅茶工場
帰国の日の午後は、紅茶の工場を見学した。狭い工場の中で、茶の葉を熱で乾燥させるために工場内ははなはだ高温で、しかも空気はかなりほこりっぽかった。こうした悪条件の中で極めて安い賃金で働いている人たちを見た。しかも紅茶の原料の葉を一日採取して工場に運んでも数百円だという。私たちが飲んでる紅茶はこうした人たちの低賃金の苦しい労働による。このような社会の問題に仏教はどう応えていくのかが気になりながら、その夜、美しい緑の国スリランカを後にした。

《付記》
スリランカ仏教の懸念は出家して比丘になっても還俗する者も少なくないので、今日、男性比丘の数は減りこそすれ増えない。世俗の価値観や文化が旺盛な現代という時代の中で、禁欲的な戒律に従う一生を貫こうとする者が増えないのは仕方のないことであろう。ただ1996年、ほぼ800年ぶりに比丘尼が誕生した。それ以後比丘尼は増えて現在約600人といわれ、これからも増え続けるであろう。女性はいったん出家すると容易に還俗しないばかりか、真面目に修行生活を送るので今後はこの国の仏教の発展に大いに寄与するのではなかろうか。なぜなら、現代、台湾や韓国の尼僧さんの数は多く、中国でも増えてきており、しかもその活動はその国の仏教の大きな力となりつつあるからである。
(了)

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