我が安心

一蓮院師の仰せに、一生が間聴聞はして見たれど、どうなるでもこうなるでもなかった、もう唯阿弥陀様が助けてやると云うて下さるのであった、と。 信次郎士、予を病床に訪れて云う、私は如来様の助けるとある仰せ一つを喜んで、日を暮らして居ります。 了信士、香樹院師の御病気御見舞として参候せられし折り、私はこれまで持ちならべて居りました信心も、安心も、今は何処へか失せてしまいまして唯助けるの御呼声一つが杖とも力ともなって下さるる事で御座りますと云われた三士、同一に唯如来の御助けばかりと云わるるものが、同時に昇道の安心であります。 疑い深き昇道、惑い易き昇道、無信不法の昇道も、此の御勅命に向かいまつりては、疑い通す事も、惑い通す事も、出来ない次第であります。 昇道は幸に如来の矜哀と智識教示の下に、唯此の御助けを仰ぎ此の御助けを称揚し、之を以って畢世の勤めと致さん事を庶幾する次第であります。南無阿弥陀仏。
明治已酉歳三月二十七日
昇道謹誌

一 老女加藤玄に送るの書
御安心の道理を分別し、ひょんげな心を去り、暗い心をとり、たてから見ても横から見ても道理の動かぬと云うところを突き止めて安心しようとするを聖道門と云う。 これ暦劫虚無の行にして、 同時に如来永劫の難行を水の泡にし、 如来の本願を打ち破るものなり。 法蔵因位の所観を嘲弄するものなり。 人間精神の規約を破壊するものなり。 宇宙自然の大道に違反するものなり。 暗いまま、 明らかでないまま、 理屈のつじつまの合わぬまま、 ひょんげな心のまま、 計らいのまま、 疑いのまま、 惑えるまま、 ようも無く助かるを浄土門と云う。 浄土門とは如来の御誓いの事なり。 これ道理以上故、別意の弘願とも、横超の直道とも云う。 助かるとは十劫暁天より宇宙に遍満する如来の御助けに助けらるる事なり。 いつも疑い、いつも計らい、いつも惑い、いつも唯如来の海の如き大矜哀大寛容に救わるるを浄土門絶対他力。究竟他力の大安心と云う。 これ祖師、信の巻三一問答の大教訓なり。これ昇道の安心なり歓喜なり覚悟なり。あなかしこあなかしこ。

二 楠本熊吉氏に送るの書(其一)
〈明治三十六年四月十三、四日〉  左の一篇を初め、今後六回に渡る書信は、大阪府下婢島の人、楠本熊吉氏に送りたるものなり。氏は資性活憺、些事に拘々たらざる人なるに、然も年齢尚三十を超ゆる多からざるに、後生の問題に対しては非常の神経家にて、一昨年三十六年の春頃より、非常に煩悶懊悩して、其の苦しき心中を赤裸々に記し、挙身投地して切に其の安慰を求めらる。予又深く氏の勇猛専精なるに感動せられ、当時東北北陸飢饉救助に悩殺せられつつある際、少時の暇を盗んで、其の解答を送り、切に氏が大安立に至られん事を祈れり。而も無明は深く吾等の心魂に触入し、自力計度の悪執は、一朝一夕の去るべくもあらず。氏は光に接せんとする機会に進みては俄然又退転し、将に安立の機点に臨みつつ、忽ちにして退却す。予の解答に接しては、又姿を変えたる自力疑心に苦しめられ、苦しめられては又直ちに書を予に送る事前後五回。 叩きて門の開かれざるなく、求めて光の与えられざる事なし。氏は実に予が(其三)として送れる書信によりて、完く自力無功他力往生の真趣を解し、不退金剛の安立を得たりとて、深き感謝の至情を寄せられたり。
予の感謝歓喜、又決して君に譲るものに非りき。予は実に如来大能の御力に対して、幾度合掌落涙したりしか、君の歓喜踊躍するを想見しては、幾度随喜満足の情に纏われたりしか、此の年第五回内国勧業博覧会は大阪に開かれたり。世の博覧会を大阪に見まいたる他に私用なきに非りしも、一は此の新しき兄弟を見んと望みたりしなり。予は其の望みの如く君と共に深く語るの機会を得、君によりて厚き接待を蒙りたるは、予の尚感謝と愉快とに当時を想起する所以なり。
(其四)は其の後暫く同氏の音信に接せず君が如何に相続しつつありや、修養しつつあるやを案じ、忘れも得せぬ、同年十二月二十八日の夕方、実に予の宿が一片の煙と化し去るより僅か六時間前、ポストに投じたるものなり。爾来又沓として君の音信なく、予も又病魔の為に君を顧るに遑あらざりき。今此の書信を公にするに当りて、感慨禁ずる能わざるなり。 願わくば大慈大悲の如来、汝が常に世を照らし、予を守り、予を哀れみ、予を奮励し給う如く、我此の親愛なる兄弟の上にも、其の光と、奮励と、哀愍とを降し給わん事を。南無阿弥陀仏。
小生は去る五日より、東北飢饉視察の命を受けて、青森県下を巡視し、唯今帰学致したが、諸方よりの書信が非常に多いが、貴殿の手紙が一番有難い、いや近頃にないうまい所迄聴聞出来た手紙だ。外の有難がっている人は宿善がないので、苦しむ貴方が宿因深厚の人なのだ。私も貴方と同じ処で何年苦しんだか知れない。御開山も蓮如様も皆同じ事だ。ここまで来ねば本真の親心が分らない。自力の計らいも九分九厘迄廃り仏も九分九厘迄たのんで居るが、モー一厘の疑いと、自力に縛られて真に深く十分にたのんで居らない。其の一厘の自力と、疑いとたのみ様が浅いと云うのは、貴方の心の底に、大丈夫の決定心が欲しい。唯今臨終と思うても、往生一定やれ嬉やとなりたい。何時思い出しても、極楽参りを手に取る様に思いたい。疑いは起こしたくない。計らいはしたくない。はてなと思う心は起こらねばよい。たのみ心は変わらせたくないと云う情けない心がある。それじゃそれじゃ一厘の自力、疑いと云い、又たのみ様が浅いと云うのは、其の事だ。
熊吉様、御信心を得て、大丈夫になって、自力捨てて疑い晴て何になさる。助かる為にか。そりゃ、無駄事だ。それが自力だ疑いだ。たのまぬと云うものだ、落ちると思うのじゃない、助かると思うのじゃない、真に落ち、真に助かるのだ。即ち真に仏をたのむのだ。貴方の心では仏様の御助けは此方の心の出来不出来によりて、或は不定とも一定ともなると思うて居る。そんな水臭い御慈悲が何でたのまれる。そんな仏が何で親様だ。そんな仏と思うて居り、御慈悲と思うて居るから、一時は往生一定と思われても直にかわる。だから又、御慈悲を引っ張り寄せて無理でも何でも、胸を押さえつけにゃならぬ。苦しい事だ。
だから蓮如様は、そう其の自力を捨てて疑いなく一心に弥陀を、たのめと仰るのだ。自力とは領解や信心で助かると思う心だ。疑いと云うのは此方の心次第で、御助けがかわると思う心だ。それを捨てよと仰るのだ。換言すれば信心もなく安心もなく、決定もなく落着きもなく、そう其の地獄一定のままで、唯助かるのだ。貴方の様に自分の思い様で助かると云うは、自分をたのんで居るのだ。蓮師の仰せは、弥陀をたのめとあるのだ。弥陀をたのむなら、一心に仏だけをたのむなら、此の丸裸の落ちるままで助かるのだ。そうですが、そんなら此のままかと、気張るのじゃないぞ。真実真実此のまま助かるのだ。助かると思うのじゃない。唯まことに助かるのだ。親の御慈悲は唯助けるのだ。理屈なしだ。即ち自力を加えず、落ち行く心のままで助かるのが、一心に弥陀をたのんだのだ。たのんで助かるのじゃない、御慈悲で助かるのだ。御慈悲で助かるのが、自力を捨てて、弥陀をたのんだ第十八の信心だ。領解で助かるのでなく、信心で助かるのでなく、御慈悲一つで助かるのだと、真に親心が知れ、蓮師の思召しが知れて見れば、此の方に御信心の詮議もいらない、疑いの起る必要もない。起ろうが起るまいが、御慈悲一つで助かる身、他力一つをたのむ身は、往生一つは金輪動かぬ。たのむ心は永劫変わらぬ。疑いなどは起る必要もない。是が他力の大信心。少しでも疑念あらば、それは貴方が自分の心や領解で助かりて、弥陀をたのむ事を知らぬのだ。唯助かる身になり、一心に弥陀をたのむ身になりたなら、大丈夫大丈夫。 五人の同行にも此の味わいを話しなさい、此の私の書いた文を命懸けになりて、考えて味わうて見なさい。初めて夢が覚めますぞ、夜が明けますぞ。

三 楠本熊吉氏に送るの書(其二)
〈明治三十二年四月二十五日、五月五日〉  貴方の御領解は他力に入らんとして、まだ充分這入(はい)り切れないという風が見えます。まだ何処やら、御信心が欲しい、決定心が欲しい、何時も往生一定と思いたいという様な気持ちがあるのです。丁度一月の渡邊千吉様の初度の手紙の様です。返す返す申す通り真に何もない、落ちるままで、生きた如来の力一つで助かるのですよ。唯今も秋田県の加賀谷松助老人から立派な領解が参りました。是非此の老人の示談と一月の渡邊様への示談とを、繰り返し繰り返し読みて見てみなさい。貴方は、それで充分です。

四 楠本熊吉氏に送るの書(其三)
御申越の趣、逐一拝読致しました。私の示談をきき過ぎる程ききぬいて居るが、しかもなおきこゆる縁がないか知らんとは、何とした事ですか。又私の示談を見てわかりながら、親様に向かうと、とぼとぼするとは、どういう事ですか。思う思わぬに貪着(とんちやく)せぬと云いながら、真の思いと、自力の思いとの、水際分けようとは、いかなる意味ですか。 私の示談は御出言の通り、たのむもいらず、信ずるもいらず、唯如来の御慈悲一つで助け給うと云う。然らば聞こえるも聞こえぬもありません。唯往生一つは如来の他力にて、参らせて戴くと喜ぶ外はありません。信心はないか、安心はないか知らないが、落ちる此の身が此のままで助かるなら、こんな仕合せな結構な事が、何処にあろう。聞こえる宿善がないかしらんとは、何と云う事。又何を聞くのです。又私の申す示談の、根本はただやる瀬ない親の唯可愛いの思召し、唯助けるの御まことを、四方八方より述べたのであります。今迄はたのめの思召しの知れぬ為に、たのまにゃ助けぬ親と思うて、諸仏同等の御慈悲と思うて居た。今迄は、自力捨てよの御心を知らないで、捨てにゃ助けぬ親様として、真の大悲の親様を知らなんだ。然るによくよく聞いて見れば、たのまにゃ助けぬ親じゃない。唯助けるの親であった。此のまま救う如来であった。罪も障りも疑いも、かまわず救う如来であった。たのまにゃ居られぬ親であった。たすからにゃ居られぬ親であった。捨てにゃ助けぬ親じゃない、自力の有無に、かかわらず、落つる一つで助くると云う、真実唯の、御慈悲だから、いらぬ計らい投げ捨てて、唯一筋に吾をたのめの真実真実の思召しであったと、生きた大悲心を、皆様の困りた、御教化の言葉に依りて顕わしたのだ。然らば私の示談は大悲の真実、御慈悲の親様を、示したのであれば、私の示談に向かうたら、親の大悲が受けにゃ居られぬ。兎角決定心が欲しい、勿論、自分は知らず知らずだが、其の為理屈の方に目がつくのだ。道理上キチンと決定する方へ、力が入りて居るのだ。何で決定に力を入れる。唯助ける親であり、唯助かる身であるに。然らば真実の味はどうのこうの、左様な事は親様に御尋ねなさい。此の大悲が知られぬの、何のと云う事は、つまり自分が知らず知らず此のままで助からずに、自分が助けて貰わずに、御受けしようの心と道理の上に助けて貰おうとして居るのだ。善く他力の正因を聞けば、ほんに此のままであったナァー、何を今迄思うて居たろう、より外はありません。

五 楠本熊吉氏に送るの書(其四)
〈明治三十六年五月十三日〉 「心源若し徹しなば、菩提の覚道何事が成ぜざらん、いかに不審なりとも、聴聞を心に入れて申せば、御慈悲にて候間信を得べきなり」(※御一代聞記)。楠本氏の種々迷惑せられたるは、畢竟我方に信心が欲しく、御受けが欲しく、一念が欲しく、又信心がなければ御受けがなければ、一念開発せねば、往生は出来ぬと云う、自力根性の結果なりしなり。然るに如来光明の照耀、智識親授の智慧により全く自分に信心起こらず、御受け出来ず、一念開発せざる事明らかに知れ、自分は永劫に地獄を免るべからざる身分なる事知れ、此の価値は無始以来今日まで、今日より臨終まで、信前信後貫きて動かぬ事が知れ同時に、如来因位の正目的は、此のものなる事が知れ、十劫正覚は此のものの為なる事が知るる時、地獄一定の、絶対的絶望の、無有出離縁の嗟嘆的覚悟と共に、手もなく、足もなく、骨も折らず工夫もせず、俄然忽如、往生一定、光明摂取、決定極楽の、踊躍的覚悟となる事を得、即ち凡夫を凡夫の位置に置き、仏を仏の位置に安んじ、思案中の仏まで引きくるめて、思案以外、思案以上の仏の御助けに、吸入せらるる事を得る。換言すれば地獄一定の覚悟、無有出離之縁の決心となりた時、既に、思いもよらぬ如来の救済中に自分を発見するに至る。これ先徳先輩の実験にして、又何人も通過せざるべからざる経験なり。
楠本氏は、又此の第三の示談によりて、先哲後輩の実験し、又実験すべき実験を不可思議にも実験せられたりと。楠本氏よ、此の実験は実に絶対的に神聖尊厳にして、一念後念、信前信後など云う凡夫の言語や、又思想に縛せらるべきものに非ず、此の実験そのままにして絶対なり。実験それ自身にして神聖なり。昨日の吾も地獄一定して如来に助けられ。今日の吾も無有出離之縁にして、摂取光中に其の身を発見す。一念にも決定地獄にして、如来永劫の結果を悉く授与せられ、後念にも自力無効にして、十劫正覚の唯一目的物となる。世人の、信前だけ自力無功にして、信後には自力有功となり、信前には地獄一定にして信後には往生一定となると云うが如きものにもあらねば、一念には、罪も、障りも、疑いも許しながら信後には少しの曖昧なく、明了確実ならざるべからず、反言すれば少しでも曖昧な心あらば信心に非ずと云うが如きさる条件的のものに非ず。自力無功はいつでも自力無功。故に常に偏に仏力に帰するなり。地獄一定は常に地獄一定なり。故に常に他力摂生の本願をたのむなり。此の心即ち相続心にして、臨終まで等流する心なり。かかる信心、即ち地獄一定の自身を、地獄一定と是認し、この為の弥陀を此の為と承認せる信心は、地獄一定の自身の価値と、其のもの助くる如来の本願との、確実不変なると同様不変なり。之を金剛の信心と云い、之を横超の一心と云う。 楠本氏および読者諸氏よ、後生は永劫の大事なり。仏法にはあらめなるがわろし。又まきたてと云う事わろし。幾度か反省し、幾度か御査(しらべ)を受け、易往無人の往生に対し、極難信の信心に対し、常に上人のあらこころえやすの安心や、又あら行きやすの浄土やを、喜ばれん事を希望して止まざるなり。

六。楠本熊吉氏に送るの書(其五)
(明治三十六年五月十三日)    先達の御返事を、直にせねばならぬ筈でありましたが、何分色々の事で遅くなって、親様にも貴方にも、すまぬ事でありました。誠に御熱心なる御志、真に嬉しくてなりません。決して否など決して思う所じゃない。実に私の方がすまないのでありますから決して御遠慮はいりません。  此度の御手紙では私の力によりて、知らず知らずたのむ心や信じ心に力がはいりて居た事が知れたとの事でありますが、決してまだ知れたは居りません。若し真にたのみ心や信じこころに力を入れて居る事がまちがいと知れ、助けて戴けると、思われようが、思われまいが、差し支えないと領解出来たなら、何故唯助けてやろうの親様のふりむいて、安心させて戴くのですかとか、又はこんな心は捨て置くので御座いますかとか尋ねるのです。それが皆御信心が欲しい、御助けが貰いたいと云う、貴方の心中を白状して居るのであります。 何と思うても貴方は、此の機が間に合うように思うて居るが、どう云うものです。それではどこが間に合うように思うて居るかと云うに、貴方の手紙の中に即ち『此の心は捨てて置くとして此の思いに頓着せずに、唯助けてやろうの親様にふりむいて、安心さして戴くので御座いますか』と云う。それそこです。此の機を捨てて置くの、親様にふり向くのと云う、それが皆此の機が間に合うて、此の機で往生出来る様に思うて居るのです。それを自力の執情と仰せられるのです。其の心を捨てよと云う事を自力捨てよと仰せられるのです。自力捨てよと仰せられるのは此の機は真に、たのんでも信じても落ち着いても、丸きり役に立たないのです。たとい、唯助けてやろうの親様にふり向いて安心したとてだめ。微塵程でも助かる価値は、ありません。こう云うと、それでも、他力の御信心が得られると、此の心に金輪動かぬ、大決定心が起ると、仰せらるるじゃないかと云うに、それは云うまでもない。他力の御信心なら、勿論大丈夫動かぬ決心、一心に如来をたのむ身になれます。しかしそれは他力によるです。如来の力によるのです。そんな事は今の貴方にゃ分りません。何と思うたとて、何を考えたとて、微塵程助かる所はありません。たとい、何程聞いたとて、何程喜んだとて、堕ちる事は鳥渡(ちよつと)も変わりません。たとい御信心を得たとても、此の心はいつも地獄行きです。鳥渡も価値は変わりません。それをどうも、貴方は御助けに預かるには幾分か、変わる様に思うて居る。幾分かかわらにゃ助かられぬように思うて居る。其の位なら、何で地獄一定と思いとれの、自力の計らい捨てるのじゃぞと仰せらるるのですか。どうしたとて地獄一定。思うのじゃない。思わないでも地獄一定。此の機は寸毫も間に合いませぬ。さぁ今迄は少しはどうかなると思うて居りたが、どうもならない。どうかなりたら助かると思うて居ったが、どうなりても助からない。地獄行きと思うても助からにゃ、地獄一定と気張るも無駄事。此の機は総て間に合わぬから捨てて置くのじゃと、捨てた所でやっぱり、間に合わにゃ、無理に捨てようと気張るも無駄事。唯の唯の御助けに、ふりむいて安心したとて、それも丸きり間に合にゃ、親様にふり向く事も無駄事。金輪動かぬ決定になりたとて、それで助かる価値が付くのではないから無理に此の決心を求めるにも及ばぬ。さぁこうなったら何とする、助かる所が何処にある。落ちぬ工夫が何処にある。何と云うても。地獄一定。何と思うても、必堕無間サア何とする、何とする。

七 楠本熊吉氏に送るの書(其六)
〈明治三十六年十二月二十八日〉  楠本様夏中は色々御世話になりました。二十七歳の小僧を六十ばかりの老僧と考えられたと云う事は大学内の、一つの話になって居ます。 どうです落ちると決まったものに、妄念の詮議のいらぬ味はどうです。幾分か間に合うように思えばこそ、胸の詮議も、機の扱いもいりますけれど、土台からあかぬ。丸きりが落ちるなら、確かなものじゃありませんか。丸きり落ちるなら、唯本願力を信ずるより外ありません。弥陀の約束をたのむより外、仕方がないのだもの。吾としては、親様を感服させて、助けて貰う事も出来なけりゃ、困ると云うて、先手かけて親様を招きよせる事も出来ないのだもの。自力が間に合わぬと云うたら、どんづまりまで間に合わぬのだから、何れにしても地獄一定だ。だから、骨折り損の、くたびれ儲けの、機の扱いはせぬのだ。これだけなら困るけれど、此のために親がかかりて居て下さるのだから、私は唯親を信ずるだけさ。本願の力をたのむだけさ。親が約束違えたり、本願が力なくなりて、地獄へ落ちたとて、それまでの事さ。それでもやっぱり元々ではないか。私はいつも地獄の直ぐ上に何の支えもなく立って居る。手も足も出さずに立っている。安気に念仏して居る。これだけが身の、大歓喜です。今日は師走の二十八日、忙しく目もまわる様でしょうが、世間の無駄事にさえこうでありながら、ただ一つの実のある、念仏の仕事が留守とは、返す返すも、恥ずかしい事です。御村の井上様によろしく云うて下さい。私は落ちる事を喜んで居ると伝えて下さい。一念で暇あけて、私等御報謝などと思うのは、大病人ですぞ。仏法には、これ迄と云う事はありません。

八 福田利華緒女に送るの書〈明治三十六年七月二十五日〉
此の書は、同女が後世の大事に苦しみ、他力安心示談第一篇を、反復熟読しても、尚安心の光を得ず、心狂い気乱れ、自ら発狂するに至らんかと迄に思い煩い、其の極苦悶の心中を二本の手紙とし、続いて送られたる熱心に感じて、直ちに書き送りたるに年来の苦悶全く去り、永劫の大事を、完了せられたりと申し越されたるものなり。 度々の御手紙御熱心の程有難く候、御苦心のほど、さこそと御察し申し上げ候。かねがね御聴聞の通り、御当流の安心と云うは、凡夫自力の計らいやめて、落ちるままにて弥陀を一心にたのみ奉るより外これなく候。然るに世人は、御教化の言葉に封ぜられ自力捨てよう落ちると思おう、弥陀を一心にたのもうと、知らず知らず自力をはたらき、助かる工夫をして我が機をたのみ、何時か此の機が間に合うように思い、確かになる様に思い、又臨終と思うても、往生一定と、思われる様になる様に思い、又そうならねば、助かられぬ様に思うて、眞に自力の価値即ち自力無功、落ちる一つと云う事と如来の御慈悲は、此の者を此のままにて救い給うと云う事を、疑い候ことこそ返す返す残念に存じ候。少しでも、助かる価値ありて助かり、助かる理由(たとえば落ちる一つと思うて、御助けと御受けするとか、後生助け給えと思うとか)が出来てから助かるならば、此の価値や理由の有無得失によりて、往生の心配も起れども唯一心に、我が方には何もなしに助けて戴くのだから、何時まで立っても、往生如何の心配なく、何時思うても往生一定と浄土を手にとる様に喜ばれる様に相成り申すのに候。これ他力のしからしむる所に候。 くれぐれも申し候通り、凡夫の心は、法蔵因位の昔より尽未来際の末かけて間に合わぬ事は、御文にも、「阿弥陀如来の因位に於いて我等凡夫の、往生の行を、さだめたまうとき、凡夫のなす所に廻向(御受けしたい、たのみたい、落ち着きたい、それによりて助けて頂きたい、御受けや、たのみ心や、信じ心を如来に上げる心がある、これ廻向なり)は自力なるが故に成就しがたきによりて、阿弥陀如来の凡夫のために御辛労ありて、此の廻向(他力のたのみ心、信じ心、受け心、己忘れて後生助け給えの一念のたのみ心)を我等に与えんが為に、廻向成就し給いて、一念南無と帰命するところにて、此の廻向を吾等凡夫に与えましますなり」とありて凡夫の廻向は到底間に合わぬ。さらば我が機は厭でも、無有出離之縁、これ本来の我が価値なり。然るに御教化を聞きそこない、知らず知らずたのめばよい、信ずればよい、自力捨てれば善いと、落ちる価値を忘れて居たが、彌々御受けも、たのみも、すがるも、任せるも、凡夫自力の悪き心故、間に合わぬとなりて見れば、私の方には何もない、唯無始以来の罪業のみ。此れなり御助けと、気張りてもあかねば、五劫永劫、御苦労と思うても、そのまま間に合わねば、何ともかんとも方角が立たない。さぁこうなりたら何処に助かる道がある、救われる道がある、万行諸善の小路は閉じられたり、自力の廻向は間に合わぬと、捨てられたり。如何なる仏にて候わば、助けられ候べきか、吾等は如何にして助けられ候べきか。 南無阿弥陀仏 御文の一念南無と帰命する所とあるから、又凡夫からたのみ心を出す様に思うでしょうが、人間の智恵即ち計らいで考えるから、そう思うので、一念南無と帰命すると云う事が、此の廻向を貰う事です。他力の目の開けぬ間は此の甘味が分りません。ここが念仏の謂れ、六字の謂れです。だから凡夫の方は何もあかぬと知りて、是は唯仏をたのむより外なし。仏をたのむとは唯助かる事なり、唯助かるとは、助かると思う事にあらず、助かる事なり。

九 臨末の宮崎せい子女子に送るの書
〈明治三十八年八月二十日〉  女史は予が恩師阿部慧行師の姪なり。幼より往生の大事に心掛け、五十余年尚一日の如し。而も無始劫来の自力疑心の悪習は、一朝一夕の去るべくもあらず。永劫の大事の完了は、仕事片手の容易にかたづくべくもあらず、君は逢う人毎に常に自己疑心の深きを訴え、決定の覚悟になれざるをかこちたり。君の予に対する尚慈母の赤子に於けるが如くなれば予も亦常に君の一日も早く安心の日に至られん事を祈れり。予は夏季の帰省に必ず君を訪い、君の一家は又常に予の法莚を追うて集まれり、予が今春死を決して故郷に帰るや、君は長子を看護せる疲労と令息を失える悲嘆の身とを以って予を病床に訪い、予を慰め、而もまた予の為に幾度か深憂し、悲泣せり。何ぞ計らん、予を悲しみ、予を憂いつつありし君は、反って予の病の回復と逆行して、重病に陥れり。八月十六日嘗て見舞われし人は、反って見舞いし人を、善光寺の、鐘声殷々として伝うる後町の病床に訪えり。予は君の精神の確かなるを喜び、君の為に下の物語を為しぬ。曰く「東京の増田某の妻肺を患いて危篤となれり。平素の信仰は今崩れたり。出離生死の要求は焦眉の急となれり。即ち平素親善の知識遍照某師を招きて、出離の要道を求む。師曰く「其のままで行くのじゃぞよ」と、又他を語らず。女安んずる能わず、翌日又其の来臨を仰ぐ。師又唯「其のままで行くのじゃぞよ」と。かくて女は三度其の来臨を仰ぎて、常に唯「其のままで行くのじゃぞよ」を反復教示せらる。而も女は三度此の教示を聞いて宿善茲に開け、全く自己本来の価値を知り、其の位置に安住して、莞爾(かんじ)として往生の素懐をとぐ」と。されば唯念仏して如来の計らいをたのみ、要なく、功なき胸の詮議に煩わされざれど。予は君の遂に立つ能わざるを知り、越えて二十日、一書を裁して君の床前に送れるもの、実に此の一篇なり。其の後君は生前なお一度予に接見を望む由申し来たりしも、遺憾、予は当時胃腸悪く、一日一日と日を延ばす中、突然九月八日夜君の訃を聞けり。予の失望と悲哀と落胆とは、予が従来毫も経験せざりしところのものなりき。 されど君は幸にも、予が君を訪(と)えりしより以来、往生にとりて、完(まつた)く要なき屈託を捨て、一意如来の御計らいを仰ぎ、浄土往生の刻々近づくを楽しみ、唯一筋に称名念仏しつつありと。これ悲しみの中の喜びなり不幸の中の幸福なり。君が予に生前もう一度の希望は、此の喜びと幸福とを予に分かたんが為なりしなりと。 宮崎家は従来坦々たる道を踏み、洋々たる春風に纏われ、永えに秋風の落莫、寒林の影あるべしと思わざりし。而も長男一郎君は、去秋十月を以って此の世を辞し、今又一家の中心たる君は果敢(はか)なき露と砕けて、平和洋々の夢茲に破れたり。噫家庭の円満も須臾にして欠け、人の命も亦朝露と共に消ゆ。まことに臨終断末魔となりては、父母何かある。兄弟何かある。眷属何かある。名誉、権威、位置、財産、才識、容貌、全く平素の価値を失うて空虚の堆積のみ。零の集合のみ。家を再興したりとの功勲も、茲には無要のみ。子女を養育せりとの労役も、茲には徒労のみ。国政の料理も、戦闘の殊功も、育英の事業も、国利の増進も、茲に至りては何等の実在の価値をも有せず。此の時に於ける彼の実在と価値とは、唯彼が真理に随えるものなるや否やにあり。真理によりて生涯を行動せるや否やにあり。彼の尊厳と光明とは、彼が如来に救われたりや否やにあり。如来の心を以って其の生涯を導きたるや否やにあり。南無阿弥陀仏の大行を行じたるや否やにあり。南無阿弥陀仏を渾身に実現したるや否やにあり。真理に随い、真理を実現するは、人間の実在と価値とに於ける必然性なり。家政の整成、国家の調理、教育実業、農事貿易の如きは、唯其れが偶然性のみ。彼は真理の形式にして、これは其の材料のみ。彼は目的にして、此は其の手段のみ。手段なしに目的は実現すべからず。材料なしに形式は活現すべからざるも、而も実在と価値とは常に目的と形式とに存ず。日常応分の生活行動は、畢竟此の真理此の目的を実現する一模様一材料に過ぎざると共に、此の真理此の目的とに対して初めて其の実在と価値とを有するに過ぎず。若しそれ此の大真理を忘れ、此の大道を離れ、単に世智功慧とを以って彼の生涯を終わるものあらば、彼は其の大臣たると大将たるとに拘わらず、其の貴賎なると富豪なるとに関わらず、彼の事業は赫々として功を奏し、爛々として人目を眩(げん)するに足るも、真実の意義に於いて、彼は全く空虚なり、影法師にして、寸毫の実在も価値をも有せざるなり。 吾等は常に死の神の眠りをさまさじと、足音盗みて、其の傍を歩みつつあるものなり。彼は何時其の眠りを覚まして、吾等を永劫の黒幕内に拉(ら)し去るやも知れず、而も死の神の前に立ちて、実在と価値とを有するものは唯彼は真理に随えりや、真理に随うて行動せりや否にありて、他一切は全く糟粕砂礫、何等の本質を有せざるものなれば、いやしくも人たるもの、誰か糟粕砂礫の為に、実在と生命とを有する麦種を殺すべけんや。 法然聖人のたまわく、「妻をとりて申されずば、聖にて申すべし。聖にて申されずば妻をとりて申すべし」と。妻の有無は偶然性のみ、吾等が生涯の撰ぶべき道は、此の事念仏の妨げとなるや否やにあり。蓮如上人のたまわく、総別、世間機悪し、仏法の上より、何事も相はたらくべき事なりと。又のたまわく、仏法には世間の暇をかきて聞くべし。世間の暇をあけて法を聞くべき様に思う事、浅ましき事なりと。又のたまわく、仏法を主とし。世間を客人とせよと云えり。仏法の上より世間の事、時に随いて相はたらくべき事なりと。又のたまわく、世間へつかう事は仏物を徒にする事よと恐ろしく思うべし。さりながら、仏法の方へは、如何程物を入れてもあかぬ道理なり。又報謝にもなるべしと。また曰く信決定の人は仏法の方へ身を軽くもつべし。仏の御恩は重く敬うべしと。世間日常の生活は偶然性のみ。吾等が主としてとるべき道は此の真理に合するや否やにあり。 吾君の死によりて、特に此の感を深くす。有縁の行者願わくば吾と心を一にし唯常に実質と真理とに趣かれん事を。   御病気変調の趣、御難儀の程御察し申し上げ候。云う迄もなく御覚悟肝要と存じ候。先般も申し候通り、吾としては、往生の大問題も、我が心の善悪も、疑うも、信ずるも、計らうも計らわぬも、喜ぶも喜ばぬも、左右する事能わず、よし左右し得るとも、凡夫の心は妄念を離れて一物もなし。思案空虚と云う凡心を離れて一物もなし。往生の大事、出離の大問題に向かうては、常に、絶対的絶望のみ。無有出離之縁のみ。泣くも愚か、悲しむも愚か、悶えるも愚か、嘆くも愚かなる事、尚定まれる我運命をかこち、父母妻子を思い煩うて少しの甲斐もなきが如し。 運命は断然宿世の業報に任すべきに非ずや。往生は断然我より、放棄せざるべからざるに非ずや。放棄せずとも我手で行く後生に非ず。覚悟して地獄に堕ち行かるべし。唯念仏して潔く地獄に沈まるべし。其のまま。平心に任せて行かるべし。 必定地獄なる身の分限を忘るべからず。弥陀永劫の御目当の吾を忘るべからず。何となれば如来は、彼の為に、既に正覚を成じ、往生を成就し、信心を完成し廻向を成就し給いたればなり。 喜ばしき哉や昇道、如何なる幸福なれば、絶対的絶望の、地獄必定の、自力無功の、無有出離之縁の、思案空虚の、尤も悲しむべき、嘆くべき不幸不運の身にして、一躍絶対的有望、光明界裡の人とならんとは。 唯是親鸞一人の為なる、弥陀永劫の難行の賜なり。歓喜胸に満ち、渇仰肝に銘ず。報じても報ずべからず、謝しても謝すべからず、唯一心に仏語を信じて決定して御名を称え、仏の捨てしめ給う所は即ち捨て、仏の行ぜしめ給う所は即ち行じ、仏の去かしめ給う所には即ち去かん。南無阿弥陀仏

十  宮崎もと子女に送るの書(其一)
〈明治三十六年九月二十日〉  同女は、其の初め仏教の根本義を是非し、大乗の仏説非仏説を疑い、法蔵菩薩を釈尊の理想にあらずやなどと云い居りしも、家庭の感化と、宿因の厚き為にや、無我に宗祖の人格を仰ぎ、他力絶対の安立に住せんと願い、しばしば書を以って不審を尋ねらるるに対し、其の都度送りたる書の是は其一なり。願わくは同女は勿論此を見、聞かん程の人、等しく南無阿弥陀仏と称えて、此の念仏の妙味を識り給わん事を。   何時も何時もの御手紙に、修養が足らぬ、歓喜が足らぬと、云うてよこされると、自分の歓喜の薄い事が、何としたらよいかと、穴にでも入りたく思います、まことに天に踊り、地に踊りて喜んでもよいのに、身を砕いても、あきたりのない、御慈悲であるのに、それが有難くないと云うのは、どうしたものでしょう。しかし他力の御慈悲は、此の身の寸分をとりて、弥陀にさし付けて、往生するのではなく、まるまる貴方の御慈悲一つで助かるのであるから、疑うべき余地は、微塵もありません。信ずると云う事は信ぜざるをえずして信ずる、当然の事を当然に認むるだけで、何も不思議はありません。勿論これが、当然になるには仏の五劫永劫の御苦労に依るのだから、当然であって、しかも有難くてならぬのです。それなら当然と云うは何であるか、又信ずると云うは、何を信ずるのであるか、云う迄もない、人間と、仏との価値を、考え知るのです。人間の価値とは、到底仏になる力は、微塵もないと云う事です、考えても、工夫しても、思い煩うても、たのむも信ずるも、凡夫の心中に顕れた、一切の思慮分別は、全く間に合わぬと云う事です。人間は何としても、仏へは手が届かないのです。丁度月を水中に写そうと思うて、手をあげて引き下げようと思うても、依然として月は天上にあるじゃないですか。思い心は、一切間に合わぬ事は、丁度此の様です。又水を天井へ、運んで、写して来ようと思うても、水は上へあげられぬ事は、月を下げようと思うて、出来ぬと同じ事でしょう。凡夫の心が少しでも間に合う位なら、凡夫じゃありません。有限と、無限とは分量上の相違だけではなくて、性質の相違があるのです、有限が何で、無限の御役をつとむる事が出来ましょう、考えても分るじゃないですか。それなら、人間の奮発心も力にならにゃ、工夫分別も力にならにゃ、何としても間にあう事はない。此が私の価値ですよ。信ぜざるべからざるも、糸瓜(へちま)もあったものじゃない、実際凡夫は、あかぬじゃないですか。その為に五劫永劫御苦労ありて、南無阿弥陀仏と云う本願が出来たのじゃないですか、他力無縁の如来が、正覚を取らせられたのじゃないか、あかぬ凡夫を助ける仏が、顕れて下されたのじゃないですか。それなら、此の仏をたのむ外、信ずる外、まかする外、何がある。此の仏にして若し約束違わば、往生の望み、空しかるべし。この本願若し違わば、極楽参りも仕方ないが、此の本願にして、真実ならば、吾々はいやでも、助からにゃならぬじゃないですか。吾はあかぬ。此れで助かると知るだけが、全然親を知り、信じ、たのみまかせたのじゃないですか。此の信心は仏の信心で、我が心じゃない。我が心でありつつ我心を、離れて居る。何が分らぬ、何が不審です。 貴方が、同じ所を、往きつ戻りつするは、仏を、自分の思想中に、認めて居るからです。仏は凡夫の思想中にない、思想以上即ち、不可思議光、難思光じゃないですか。  今、如来の光明によりて、此の思想全体が、あかぬと知られたならば、唯中心の仏、思想以上の仏に、救わるる外はないでしょう。よくよく自分の価値を考えれば自然に御助けに逢わるるのです。幾度も此を、反復熟読なさへ。 御覧になりたいと云う「トルストイ」氏の人生観もやはり御釈迦様の説が、究意(つまり)になります。兎に角念仏は助からぬものの、唯助かる証拠です、是非称えねばなりません、しかし求むる心ありて称えるではありません。

十一 宮崎もと子女に送るの書(其二)
〈明治三十七年五月四日〉  貴方は、機の深信をして何にするか。機の深信をしたとて、それが果たして何になるでしょう。私は唯親様の御計らいを、待つばかりであります。親様が昇道の様な、利己主義のものは、助けないと仰ったら、仕方なく仕方なく地獄へ参りましょう。助けると云う思召しなら、自然に、浄土へ参りましょう。昇道は助けると云う如来をたのみ、間違わさぬの本願信じて平安を得ているのであります。凡夫が、なんぼ何と思うたとて、凡夫のものが果たして何になるでしょう。補処の弥勒様の御智慧あらせられて、御慈悲あらせられ、御力あらせらるる御方でさへ、私の力では、弥陀の浄土へ、影だにもささぬとあるに、凡夫の思いが果たして何になるでしょう。情けなきは凡夫の迷心かな。他力と云うたら、飽くまで他力です、凡夫の思うから助かるのでなくて、どうしても落ちる私の為に、五劫永劫難儀して、助ける力を、成就して下された親様があると云うから、力なき身は唯これをたのむばかり。之を信じ奉るばかり。其の御計らいを待つばかり。宮崎様自覚して何になるか。玉日の君の、御遺言状にも、衆生の往生の為に、御自分の正覚を、賭け物にして正覚ならせ給うた事だから、如来の正覚が即ち、我が往生の証拠と思うて、御恩を喜ぶばかり、親鸞の仰せも、この外は候わずと、仰せられてあるではありませんか。私はどうしても落ちる、私の自覚も無功である。其の為に、自分の正覚を投げ出して、衆生往生せずば我正覚ならじと、誓わせ給うた事を聞かば、如何にたのもしき事ではないか。溺れる者は、藁だにつかむ。まして救いの船のあるをや。玉日の君が御開山御一代の御教化千種万様の御法語を聞かせられて、複雑多様のその中より、唯如来の正覚が、我が往生の証拠と思うて、御恩を喜ぶ外は、親鸞の仰せも更にないと、明快に仰せらるる事の、如何にこころよきか。かくてこそ。女人往生の先達とも、いわるべき。聖人の御身にも、如何に嬉しく思召さん。宮崎様、自力かなわぬ身は、如何に他力の御救いの、有難きかよ。唯御恩の、酬い難きをうらむのみ。 私は、私の往生は、総て私の心の模様、私の力の多少強弱を離れた、全く勘定以外の御助け、まるまる他力の唯、仏の御心一つの御助けであるから、自分は仏より、善人と云わるとも悪人と云わるとも、又善人と云わるべきものでも、悪人と云わるべきものでも、それによりて寸毫も仏の御助けを疑う事が出来ない。まして無条件に愛すると云う如来の誓約、どうしてたのまずに、居られましょう。信ずるとは、一片の感情ではありません。真に自分の、無価値を知りて、如来の満腹の慈悲を知るのです。

十二 宮崎もと子女に送るの書(其三)
〈明治三十七年六月二日〉  貴方は何故、此の他力救済が、承知できないのですか。他力と云うたら吾々の心も考えの、少しも交わらぬ、唯如来の力だけです。如来の力だけで、助かるのです、愚かですなァ、自力無効と云うたら、自覚その事までが無功じゃないか、自覚が、間に合うなら、真の、究極の、絶対の、自力無功でもなけりゃ、他力救済でもないじゃないですか。信仰は、感情でもなく、智慧でもなく、意思でもなく、否人間の心の一切を捨てて唯親様に、助けらるるばかりです。物は総て極端まで行かにゃならぬ。自力無功なら、飽くまで自力無功。それを何故、究極まで瞑想せぬのですか。何と云うても中間にとどまりて居るから、困ります。私の方は自力無功だから、思案空虚だから、心力無益だから、吾々は未来となったら泣くより外ないじゃないか。阿弥陀様が、因位の時、御泣きになったのは、此の為で、而も此の為十劫暁天に、他力の本願が、出来たのだ。 宮崎様、凡夫は飽くまで自力無功、聞き様も、考え様もありゃしない、一切あげて自力無功。 これを助けるには、誰が考えたとて、唯助けるより、仕方があるまい。即ち他力より仕方がないじゃないか。弥陀はかく考えて、永劫に修行して、他力の本願を、成就せられたじゃないか、手なくして仏に縋り、我が心ならずして、如来をたのむよりないじゃないか、もうこの外に私は話さない、自心で一人考えて下さい。此の文を何べんとなく、読んで下さい。

十三 佐藤栄子に送るの書
〈明治三十八年十二月八日〉  私はお受けも出来ねば、たのむ事も出来ぬ、疑いも晴れられねば、自力を捨てる事もならぬ。どうしても自力無功、どうしても助かる望みがない。地獄一定無有出離之縁。 こが私の価値。 永劫以来の価値。 尽未来際不変の価値。 十方衆生共通の価値。 これ 法蔵菩薩因位所観の価値。 これ 法蔵菩薩の泣かせられた価値。 これ 法蔵菩薩の正目的とし給える機。 これ 法蔵菩薩の第十八願正定聚の機と召しなし給える機。 これ 兆載永劫正機として修行難苦し給える機。 これ 法蔵菩薩一行一願毎に、廻向を主として大悲心を成就し給える機。 これ 法蔵菩薩十劫暁天に、令諸衆生功徳成就と正覚成就を宣言し給える唯一の対機なり。 南無阿弥陀仏 御文に曰く、 南無と帰命する一念のところに、発願廻向の心あるべし、これ即ち弥陀如来の凡夫に廻向しまします心なり。これを大経には、令諸衆生功徳成就と説けり。 子の為にとて、つくりた衣類なら、出来る度毎に子のものとなり、悉く皆出来上がりた時が、悉く皆与え了りた時なり。

十四 桑原新七氏に送るの書
〈明治三十六年十一月十一日〉  桑原様、ほんとに地獄がこわくなりましか。未来が恐ろしくなりましたか。いくら怖くても恐ろしくても、未来は地獄を遁れる事は出来ません。たのむも、信ずるも、すがるも、まかすも、凡夫の心へ起りたるものは、丸きりあかぬから、何と思うても、何と考えても、御助けを引き寄せても、助け給えと持ち出しても、如何しても地獄より行き場はありません。これが私の当然の価値です。 この価値が法蔵菩薩の、五劫永劫の御苦労の御目当です。 此の者の為に、十劫暁天に往生成就して下されたのです。 此の本願を引っぱるじゃない。此の成就を引きつけるじゃない。 引きつけても、どうしても凡夫の自力があかぬから。 あかぬとなったら落ちるだけ。 落ちるとなったら助かるだけです。 助かるとは往生の心配せぬ事です。 安心して念仏する事です。 これが往生をまかせたのです。 これが本願をたのんだのです。 これが弥陀をたのんだのです。  一口にいへば、おちるより仕方がないと知りて、しかも、この為に本願成就ありしことを知りて、落ちる身になりて念仏することです。 必ず必ず仕事ちがいをするでない。 私は落ちるものと知り、自力無効と知りて、念仏するだけです。 往生は私が心配せねば、阿弥陀様が心配して下さるのです。 之が当流の安心と申すものです。

十五 三州信徒に送るの書
〈明治三十七年六月三日〉  私は理屈はきらい、理屈云う人はきらい。法門を彼これ云う人はきらい。利口な人はきらい。唯無我に念仏して御助けをよろこぶ人と、自分の後生に当惑して泣く人丈がうれしいのです。理屈や法門は皆空虚です。真実のもの、うそでない、実のあるものは、如来の御助けと、念仏丈です。理屈はいかにたくみでも、法門はいかによく知りても、阿弥陀様に助けられぬもの、本願力をたのまぬもの、念仏往生の教えに随わぬものは、宝の山の乞食、野たれ死人であります。一切の法門は何を所詮とする、唯昇道は助かるぞ喜べとあるより外はない。自分の助かるを外にして六字の詮議は無駄事です。 善いですか、すべての事は皆空虚だが、落ちる身ながら助かると云う事は真実であります。私の助かると云う事は真実であります。如何に法門や理窟を知りたとて、阿弥陀様が、私は助けるのがいやだと思召したら仕方はない。往生の一段は唯親の計らいを待つだけ、仏の本願をたのみ、信じ奉るだけです。 川島様、梅吉様お信様お琴様お覚様、私は何も知りません。私の知りて居る事、いや知りて居るじゃない信じて居る事は弥陀をたのめば仏になると云う事だけです。自力を捨てて弥陀をたのめ、自然に往生すると云う事だけです。 皆様が、私の様な不徳無信の悪人を、斯く迄慕い斯く迄懇志を運んで下さるかと思うと、私は本願の真実をいよいよ信じなくては居られません。私はこれまで一日断食した事もない、一夜八戒を持ちもせぬ。飯も食えば酒も飲む。愛欲も起れば愚癡も起る。学問もなければ、徳もない。返って世間の人より悪い、浅ましい人間であります。それが唯如来様の思召しに随って、助けて戴いたそれだけの為に皆様からのあつきあつき御懇情、親様の御力を除いたら私に何がありましょう。 其のくせ御恩というは少しも知らない勿体無い事であります。逢うて下されたら私が全く如来様の御力だけで、昇道と云う男は三文も値打のない我儘な、我慢な、小僧と云う事が分ります。私の徳のない事が皆様に知れるだけ本願の御手柄が知れるで御座りましょう。

十六 杉浦覚女に送るの書
〈明治三十七年六月三日〉  お覚さん、あなたは中々偉い人です。御開山より、蓮如様より、又は竜樹天親の菩薩方よりも。竜樹も天親も、自分の力では、地獄を免れる事が出来ぬから、一心に弥陀をたのみ、本願を信じ、御開山は唯誓願不思議に助けられ参らせて、往生遂げ。蓮如様は、自力を捨てて唯一筋に如来にたのみ給うたに貴方は自分の心の中に、役に立つものがあると思うて居る。如来様から、何か貰うて、此の貰うた心が役に立つと思うて居る。いや今なくても、後には出来ると思うて居る。如来様から、何か貰うて、此の貰うた心が役に立つと思うて居る。成程、凡夫の心が、御助けにちょっとも関係せぬならば、聴聞も何にも要らない、十方衆生皆同時に助からねばならぬ、いや十劫の暁天に、皆助かって居る筈だ。然るに、今助かって居る者と、迷うて居る者とがあれば、是非、凡夫の心が、どうかならにゃならぬ、たのむ一念がなけりゃならぬ。いや現に立派な信者の人達は、私の様に困りて、苦しんだ挙句、安心せられ、確かになり喜んで居らるるから、是非是非、何と仰っても、此の心はどうかなる、いやならにゃならぬと、しっかり、決定したいと、何と云うても、御開山や、蓮如様の上こして、凡夫の心に、役に立つものが在る様に思うて居る、即ち自力を捨てないで居る。そりゃ喜ばれるに違いない、往生治定の思いにならるるに違いないが、自力を捨てて弥陀をたのんで見ればどうも仕方がない。それじゃ、私も自力を捨て弥陀がたのみたいと?お覚様、実際自力を捨て弥陀がたのみたいのか、それじゃ、自分の力と云うものは、芥子程も、役に立てるじゃありませんか。いやお覚様、凡夫の心は元より芥子程も、役に立たないです、お覚さま、往生とはどういう事です。凡夫が一足飛びに仏になると云う大事です。補処の弥勒を初めとして往生を計らわせ給う事が叶わぬ大事です。この大事に、凡夫の心位が、何になる。夢をさましなさい。信ずる一つで行ける、たのむ一つで参れると教えて下さるのだから、凡夫の心の模様、凡夫の心の変化に依りて、仏になれる、往生出来ると、凡夫心に、途方もない価値を付け、途方もなく買い被りたが、お覚様大変な間違いだ。それが自力の迷執だ。機の分限を忘れ、知らぬのだ。凡夫の心は何時まで立っても凡夫の心だ。どんな事を思うたとて、凡夫の心だ。たのんでも、信じても、落ち着いても、喜んでも疑っても、惑うても、あわてても、苦しんでも、凡夫の心はどちらもあかぬ。 全体信じて行こう、たのんで行こうなんと思うて居るのが、元来本願を信ぜず、弥陀をたのまぬのだ。喜六太夫じゃないが、落ちると云うたら、信前も、信後も、自力心も、他力心も、何もかも皆落ちるのだ。其れこそ凡夫の心と云うものに、一つとして助かる所はないのだ。喜んだまま、確かになったまま、安心したままが、地獄一定必堕無間の姿だ。困るな、親様助けてーと云うたとて、親様の方へ、声も心も届かない。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と命懸けに称えたとて、往生にとりては何の役にも立たない。それこそ凡夫の方は絶体絶命。何とも、かとも、仕方がないのだ。竜樹天親も皆此の有様、祖師蓮師も皆此の自覚。 お覚様、こう何もかもひっくるめた侭が、地獄一定、自力無功でも、まだ、凡夫の心を、どうかしたいのか。信前信後、自力他力、通じて、凡夫の心は間に合わぬ、地獄一定と云う事は、掛値はないのですぞ、地獄一定は信前で、往生一定は信後だと思うのは、まだ本真の味を知らぬのだ。凡夫の心は、いつでも間に合わない。凡夫というものは何時でも地獄一定だ。ハッキリせぬと云うのは、自分の心で参る様に、知らず知らず思うて居るからだ、凡夫の方は、一切間に合わぬと来て見りゃ、唯泣くより仕方はないが、泣いたとて仕方がない。悲しんだとて仕方がない。御前様は、今漸く目がさめて泣くのだが、阿弥陀様は、五劫思惟の時、之を見て泣かせられたのだ。此の者を助くるにはどうして助くる。云わずと決まって居る、唯親様御自分の力で助けるより仕方がない。即ち他力で助けるより仕方がないとて、ここに永劫の修行が始まったのだ。十劫正覚があったのだ。他力の本願が出来たのだ。 お覚様、凡夫の方はどうしても落ちる、どうしても間に合わぬ、泣くより仕方がない、お覚様、親様は五劫思惟の時之を見極めて泣かせられ、十劫暁天に、他力の本願を成就あらせられた。お覚様、そんなら私は落ちるが親様の御蔭で、このまま御助けと思うたとて、それもやはり間に合わぬのです。それじゃやっぱり地獄一定、其の為に親が泣かせられたのです。それじゃお覚様どうしますか。すまないが、親様の御慈悲一つだ、他力で助かるのだ。誓願不思議で助かるのだ。此のままで助かるのだ。他力で往生するのだ。親様の御計らいに任せるだけだ。本願の約束を信ずるだけだ。如来の御まことをたのむだけだ。大丈夫じゃないか。落ちたらどうする。落ちるが当然だ。損得なしだ。今迄は落ちぬ道があると思うて居たから、聞き様が悪くて、落ちはせんかと思うたが、今は自力のあかぬ事を知りたからには、落ちはせんかの心配はない。其の為の親様を、手なくて縋り、心なくてたのんだからには、私の落ちる落ちぬの心配や、責任は阿弥陀様にあるのだ。総ての思いは皆妄念だ。唯真実は親の本願だ。実のあるものは御助けだ。その御助けをたのむのだ。 お覚様、実のない往生の世話やめて、御助けをたのみなさい。此れで他力だ。はっきりした。

十七 市石梅吉氏の臨終に送るの書
〈明治三十九年六月十三日〉  氏は予の大恩人なり、明治三十九年六月十五日、午後八時、歓喜踊躍して浄土に往生す。十三日病革まるや、君は杉浦覚女を使いとして、今生の暇乞いをせらる。予即ち「勝手に死んで行け、未来が苦になったら、思い切りて苦にせよ、念仏も申されにゃ申すな、それで私の役目がすむ有難いじゃないか」と。されど伝言にては尚心許なく、更に筆をとりて書き送りたるものは実に左の一片なり。氏はこの書を得るや、未曾有の大歓喜に住し、十五日夜、同信者服部半蔵氏の訪うや「同行はたのもしいものじゃな」と、相抱きて瞑目し、見聞の諸人随喜せざるなく、羨望せざるなく、吾も吾もと左の一篇を写し、如来大悲の極まりなきを信仰するに至れりと。まことに氏は生きて予の為に一身を犠牲にし、其の死するや美しき臨終を示して、予の信念と往生の間違いなきを保証す。真に予の大恩人なり、予は氏によりていよいよ予の往生の明確なる保証を得たるを喜ぶと共に、予がこの領解を当然の事として、平然と云い得るまでに、深く如来をたのみ奉るに至りし身の宿善を感謝せざる能わず。これ実に三一問答の大教訓に基づけるものにして、昇道は実に開山大師によりて、又此の大保証を有するものなれば、昇道の往生も領解も、真に不動の根底を有する事を喜ばざるを得ざるなり。   勝手に苦しんで死ぬなら死なるべし。未来が案じられたら曠劫来の案じ終わりに思い切り安じらるべし。念仏も苦しくば乃至一念の誓いあり。其の他何でも心のまま案じて苦しんでそれで私の役がすむ。うれしいな他力じゃな。南無阿弥陀仏。

十八 植村久栄女に送るの書
〈明治三十八年十二月七日〉  君は青年求道者中、稀に見る心掛けよき人なり。君の聴聞は常に要領を得て、角目を失わず。君の聴聞は常に成功して、予の有難しと思う事を有難く聞き、予が力を入れたる事は必ず之を感知す。予が常に悲嘆する如く、現に予の示談を随喜し、予の法話を熟読しつつある、立派な、一門の人にして、おおむね予の真意を解せず得手に聞くもの多き世の中に。且つ又予等が唯一の報酬として感謝しつつあるは、読者が能く予等が真意を了し如来をたのみ奉つらるる外なければ、君の如く常に予の正意を領解し呉(く)れらるる人に対しては、予は常に何等の贈物より深く感謝の情を捧げざるを得ず。君は又心中を常に予に披露せらるる最も頻繁なる人なり。信仰は生涯の大事業なり。決して一朝一夕の果遂成就せらるるものにあらず。而もたまたま内心さぞと領得するや、及公(だいこう)一切を領解せり、又聞くを要せんやと直ぐに東向きになるもの多き世に、君の如く医師を離れで、一々其の指揮を仰ぐものは、又まことに感ぜざるべからず。且つ又君の質疑は純朴にして心中の有りのままなり。即ち多くの求道者、特に男の求道者は、概して医師の前に、私は昨日頭痛がした、前夜腹がひょんでありたる、治りた後でなければ病気を云わぬ者が多く、とりわけ御信者の、看板かけた者は、虚飾名聞、冷たい腹を抱えて、猫魚食わぬ顔色のもの多きに、君は一度胸中苦しきを覚えるや、赤裸々に、少しの包むなく直ちに之を発露して、切に安慰を求めらる。この一篇も又実に君の苦しき質疑に対して送りたる書信の其一なり。 君は確かに、自力無功他力摂生の本願を領得せる人なり。而も尚時々迷惑して、吾往生の大事を如何にせんと、煩悶狼狽す。他人に於いて知らず、昇道も又其一人なり。予は如来他力の慈悲を受得せる後、尚幾度周章懊悩したるやを知らず。予は今日までに限らず、今後尚多くかかる事あるやも知らず。これ実に無始以来薫習せられたる自力疑心の宿習なると共に、又幼時より聴聞したる御教化の足代、尚未だ全く除き去られざるが故なり。御教化はなからざるべかざるものにして、而も全く除き去られるべからざるもの。最も緊要のものにして、最も障害となるものなり。勿論体達し了れば、水禽(みずどり)の水に入りつつ水に濡れざるが如しと雖も、未達の人に於いては、常に之に縛せらるるを免れず。予の周章も、君の狼狽も、畢竟、唯、信前信後、一念後念など、凡夫思想の範疇たる、時間空間、因果の観念に縛せられて、全く此等を超絶せる、難思無碍の大信海に惑いたるに外ならず。 善人尚もて往生とぐ、況や悪人をやとは、我開山聖人が実に感謝止む能わざりしところ。惑わざるもの尚往生す、況や惑うものをや。疑いなきもの尚往生す、況や疑うものをや。仏に随うもの尚往生す、況や仏に背くものをやとは予が絶対安慰の光として、衷心より渇仰措(お)く能わざるもの。予は嘗って、仏に背く心を仏に廻らさんとせり。惑う心を、仏意に立ち戻らしめんとせり。今は及ち然らず。予は佛に背くを予が本性とせり。廻向し立ち戻らしめんとするは我本分我本職に非ずと悟れり。これ仏の為し給うべき事にして吾のこれを為すはこれ仏を疑うものなりと悟れり。吾は常に吾にして充分なり。悪性は悪性にして充分なり。予は予の本位を保たんがために疑いを歓迎し、惑いを歓迎し仏に背くを歓迎す。惑う心よ惑え。疑う心よ疑え。背く心よ背け。噫予はこれありたればこそ、絶対他力の御救いを要せしなり。随って絶対他力の救済成ぜられたり。かくてこそ、予は常に悪人なり、寸毫の善なし。かくてこそ自力無功なり予に一毫の力なし。かくてこそ絶対他力なり。予の助かる唯全く如来真実の御一存にのみ依るなり。予は実に徹頭徹尾凡夫なり。人間なり。悪人なり。仏くさく仏らしき所は微塵程もなし、若し予に善きもの、仏に以たるもの、不変のもの、真実のものありとせば、其は唯如来大悲の予に働き給えるに過ぎず。如来大力の予に顕れ給えるに過ぎず。吾ならぬもの、如来の御力に過ぎざるものを、如何で吾我ものと云うを得ん。 思えば昇道は如何なる幸福の身ぞや。如何に如来の御涙を蒙るの厚きものぞや。自力疑心、無明、蒙昧、難化難度の身にして、かかる明確清浄一点の曖昧なき絶対他力の大光中に自身を発見するに至らんとは。これ実に尽十方無碍光の恩寵なり。祖師蓮師の冥祐なり。歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。報じても報ずべからず、謝しても謝すべからず、唯畢命を期として、称名信念の相続修養に勤めんのみ。 植村久栄嬢足下、絶対他力の大道、真に明確ならずや。真に自在無碍広濶円満のものならずや。予が君に送れる書信、予が今此に記せる感謝は、実に予や君の如く苦しめるものには実に云うべからざる妙味あるに非ずや。此の道は苦しまざるもの求めざるもの進まざるものには決して、何等の反応と感謝を与えざるものなればなり。 願わくは大慈大悲無碍円満の如来、願わくは法界群生の眠れるものを醒まし、半途にあるものを督励し、五百由旬の化城を打破し、絶対他力の大道無碍自在の救済に等しく進め入れしめ給え。   御手紙披見。御不審の趣、御尤も存じ候。さりながらかく信心も乱失つかまつり候時には地獄一定の価値本性に、変動を起し候や。自力無功の天性必然性に、移動を来たし候や。何等変動を来たさず候とか、さらば此の機こそ、第十八願正定聚の機には候わざるか。如来因位の正目的にして、十劫正覚の宣言は、此の機一つの為には候わざるか。 植村様、貴方の御不審は此の点にはあるまじく候わん?而も其の実此の一点に御座候。即ち植村様は未だ信前信後、一念後念の言葉に、縛せられ居らるる事に候。一念の場には極めて寛大なれども、後念相続には極めて窮屈な如来の御助けと思召され、信の一念には地獄一定のままの御助けなれども、信後には定めて決定して動かざるものをのみ、救い給う事ならんとの、御心栄えと存じ候が否か?さ候わんには、植村様の仏は、まことに窮屈極まる方にて在すと共に、植村様の御信心は、一念と後念と違い、一心と相続心と相違するものにて候こそ可笑しく候え。 聖人は信巻に、「一心相続心」と示し。上人は「一念の信を得ての後の相続というは、別したる事と思うべからず、初めて発起する所の信心に催されてとうとくなるを憶念の信常にとも仏恩報ずるとも云う」とありて、一念を離れたる相続心もなく一念の復習反復ならざる、一念の練磨鍛錬ならざる、相続心は之有るまじくと承知罷り在り候。それを、一念は兎も角、本真に一念のありたものは、かかる心あるまじきに、さる心のあるは、一念が真実ならざるが故ならんと、一念には一念なしの御助けなれども、後念には一念ある者を救い給う様に思召し候事自力の余習、信心に縛せらるるものとや申すべき。如来の御助けには、一念もなく、後念もなく、信前もなく、信後もなく、即ちかかる時間や空間や又因果の関係を超絶して、いつも無碍に私に接し給うが、私の如来に御座候。 江州の老女の「此の婆は一生の間、信心が得たい得たいと願い望みました。この婆に信心を与えると、怪我をすると、思召し、とうとう与えて下さらぬ。思うた槌は外れてしまい、丸きり助けられねば、行かれぬ婆であったと、御助けに逢わせて貰いました」と云う言葉が、昇道の、一念後念、信前信後を通しての喜びに御座候。即ち昇道は、毎日毎日信心を得ては怪我をし、煩悶し、丸きり助けられねば行かれぬと云う所へ参りては、安心を見出すものにて。信前信後一念後念の分別する心は、皆丸きり助けられねば行かれぬ事の実験の不足故と存じ候。阿弥陀様は、いつも助けると仰せられ候。何にもなしで何時も何時も此の仏に赴(おもむ)くものに御座候。何もなしに参るものはいつも自由、いつも広濶碍る所なきに候わずや。老女の金言よくよく御案じあそばされたく候。

十九 伊藤いき子に送るの書
〈明治三十四年五月、同三十六年五月〉  早速御返事を致すべき筈なりしも、気分すすまぬ故ついつい延び延びに相成り、申訳なく候。仏法に御心掛け深き事、世に有難く覚え候、御不審の趣。 妄念は起らば起れと差し置きて、其のまま御慈悲に、すがれとの御すすめなれど、其の縋る心が貰えぬから、疑いが止まぬとの事。なれど、御前様は妄念は起らば起これと、差し置きて縋ると云う、御慈悲は、如何なる御慈悲と思うか。起らば起れと差し置きて縋られるのは何故にすがられるのか。起る妄念其のまま置きて縋りたら、助けると云う御慈悲、云い換えれば縋らなければ助けては下さらぬ様な御慈悲か、若し縋れば助ける縋らなければ助けぬと云う様な理窟ありて助けると云う様な御慈悲ならば、到底縋る事は出来るものじゃない。妄念は起らば起れと、何故に其のまま差し置かれるか。若し理窟ありて助けると云う御慈悲ならば、妄念をそのまま置く訳には行かぬじゃないか、其のまま置かれるのは、妄念は少しも苦にせず、唯助けると云う御慈悲だからじゃないか。即ち理窟なしの御慈悲だからじゃないか。仏の御慈悲は理窟なしじゃ。縋ったから助けるじゃない、たのんだから助けるじゃない、妄念は其のまま置くから助けるじゃない。頼まないでも、信ぜないでも、縋らないでも、唯助けると云う御慈悲じゃから、たのまねばならぬじゃないか。たのむとはそれじゃ。此のまま助けて下さるるかなあ、と知る事じゃ、妄念を其のまま置くから助けるじゃない。唯可愛いと云う御慈悲だから、少しも苦にせずに助けると云う御慈悲だから、妄念は起らば起れど、自分も苦にして見様がなくて、縋られるのである。縋る心を貰うて何にする。唯助ける御慈悲じゃないか。此の手紙を十遍読め。百遍読め。千遍読め。そうすればきっとわかる時がある。

二十 伊藤いき子に送るの書(其二)
〈明治三十六年五月〉  他力のたのむ味わいは、本月の楠本熊吉氏に対する示談で充分ではありませぬか。貴方も幾分か自分の心が、間に合う様な気持ちがあるから、不足がたえないのです。何としても此の機はまるきり間に合わぬ、地獄一定であるならば、唯仏の御力をたのむより何があろう。唯助かるより外何があろう。一念とは此の味の知れた他力の時節を云う。一念のたのみは他力なり、自力のたのみは常だのみなり。故に一念にたのめとは、真に自分の間に合わぬ事を知りて、唯助かれと云う身になれと云う事なり。

二十一 黒澤大助翁に送るの書
〈明治三十八年十一月二十八日〉  先般御老人の心中の疑問を、領解欄に披見し、同情に耐えず早速其の眞を明了に申し上げんと、思い乍ら、病気の為遅引(ちいん)致したる次第に御座候。 御老人が一大事と思えば、尚衷心に多少心配になる処の之有り候は尚一念後念信前信後と云う言葉に封執せられ居る故に御座候。私の信心は、いつも唯自力を捨てて弥陀をたのむ、唯如来の他力に助けられ参らする外之無く候。即ち言を換えて申せば、江州の老婆の「此の婆は一生の間信心が得たい得たいと願い望みましたが、此の婆に信心を与えると怪我をすると思召し、とうとう与えて下さらぬ。思うた槌は外れてしまい、丸きり助けられねば行かれぬ婆でありたと、御助けに逢わせて貰いました」とより外之無く候。それを兎角、信前信後の言葉に封ぜられて、一念の場には自力を捨てて弥陀をたのむ、丸きり助けられねば行かれぬものと、御助けに逢わせて貰うのであろうが、後念相続の時には、いつも明らかに往生一定と思われ、唯御助け下さる事の有難やと喜ぶだけのものである、なければならぬ。若しそうでなければ、信じたのであるまい、然るに私は今でも人様の疑い惑うて居る御話を聞くと、自分にもそんな心がある様に思われ。時には、力を入れにゃ往生一定と思われぬ様な気持ちがし、随って力を入れて見たいような思いがし、随って力もいれずに唯自然と御助けの思われた時の心栄えがうらやましくて、ならぬ様な気持ちがすると、まだ私の心得が足らぬのか、私は本当に安心が出来ていぬのかしらんと云う様に思われて、唯何がなしに気持ちが悪い。これが信前信後一念後念の言葉に尚縛らるる気持ちである。が此の苦心は恐れながら上曇鸞善導を初め我開山聖人の御上にも信巻三心釈の下等に御苦心の後、歴々として見えて居る。 全体信後相続と云うは何であるか、後念の喜びと云うは何であるか。大師聖人信巻末巻に「然者願成就の一念は即ち是専心なり。専心即ち是深心なり。深心即ち是深信なり。深信即ち是堅固深心なり。堅固深心即ち是決定心なり。決定心即ち是無上上心なり。無上上心即ち是真心なり。真心即ち是相続心なり。相続心即ち是淳心なり。淳心即ち是憶念なり。憶念即ち是真実の一心なり。真実の一心即ち是金剛心なり。金剛心即ち是願作仏心なり」とありて、後念等流の相続心と云うは、真実他力の一念決得の金剛心にして、此の一念の信を除いて、此の一念決得の心地を除いて、他心相続するものに非ず。故に又中興上人は御一代聞書に「一念の信心の後御相続と云うは、さらに別の事に非ず。初め発起するところの安心に相続せられて、貴くなる。一念の心の通るを、憶念の心常にとも、仏恩報謝とも云うなり」即ち後念とは一念の心の等流なり。一念の信と同じ形のものが相続するなり。一念の復習を反復するものなり。一念の信とは何ぞ自力を捨てて、如来をたのむ。丸きり助けられねば行かれぬ身と御助けに逢わせて貰うのでありた。此の信心は相続心であるから、いつも相続し得べき性質のものである。即ち落ちる一つで唯如来に助けられ、あかぬままで兆載永劫の御難行を我身一人のものとし、かなわぬ身にて如来を一筋にたのみ奉る事は、何時でも滞る処もなく又相続せぬ時もない。それを信後と云えば、別の心の様に思い、一念はたのむだが、後念はたのみだとか、一念には疑いも許して下さるが、後念には許して下されぬとか、一念は御助け候へとたのむだが、後念は御助けありつる事の有難やだとか、何でも信前信後一念後念と、凡夫の心をはっきり分けて、一念には凡心に何等の功を見なんだ身も、後念には知らず知らず功を見ると云う気持ちが、貴老迷惑煩悶の根元に御座候。 私の価値は、信前も信後もなく、常に自力無功地獄一定である。如来の御助けはいつも唯助ける、他力で助ける、助けると思わせもせず助ける御力である、一念もなく後念もなく、時節もなく、処もなき、絶対無条件の御助けである。信心や一念を媒介にして、信心や一念に制限せられて、信心や一念に邪魔せられて、信心や一念に碍(さまた)げられて、まごまごするような、窮屈な御助けではない。随時に、随処に、直に救い給う無碍の光明であるから、此の光明に向かうて、此の御助けに向かうて、一念の有無の詮議も要らぬ。信前信後の撰びもいらぬ。いつも唯如来をたのみ、いつも唯如来に助けて貰うより外はない。即ち江州の御婆様の此の婆は一生の間…………丸きり助けられねば行かれぬ婆でありたと御助けに逢わせて貰いましたが、一念後念信前信後を通じての、私共の領解なると共に、一念後念信前信後時節方処を超絶したる円満無碍の大信心に之有り候、よくよく御熟読下されたく候怱々(そうそう)。

二十二 服部ふさ子に送るの書
〈明治三十九年一月〉  源六大人の話によれば何か有難い事をとの御注文なるが、昇道の有難いと存じ候事は唯親様が助けて下さるとの御親切なる御勅命の外はこれなく候。 誰が何と云うたとて、誰が何と思うたとて親が助けると仰せられにゃ仕方のない事。往生の大事は唯親の一言で決まる事。 其の親がいつも昇道助けるぞ間違わさぬぞと十劫正覚の昔より変わらせられぬ事なれば昇道の往生は間違いようなきなり。 唯この御勅命が何より有難い昇道の歓喜に御座候。

二十三 平岩なほ子女に送るの書
〈明治三十八年十一月十七日〉  御申越しの趣、逐一拝見致し候。御苦心の程さこそと御痛ましく存じ候。 昇道も今に御信心が欲しく、有難い心が欲しく候えども、いつも江州の御婆様の「此の婆に信心を与えると怪我をすると思召し、とうとう与えて下さらぬ、思うた槌は外れてしまい、丸きり助けられねば行かれぬ婆であったと、御助けに逢わせて貰いました」と云う御味を幾度となく反復させて戴いて、他力の御助けをいよいよ深く仰ぎて居るばかりに御座候。 貴方の御困りになる所は、昇道の困る所と同じく、お受けだけはなけりゃなるまい、また出来るだろうと、一念が欲しくて欲しくてしようなき事なれども、果たして此の御受けは凡心離れて出来申すべきや、凡心離れず候わば、凡心は絶対的にあかず候まま、凡心を離れざる御受けも又あかぬ事と承り及び候。 貴方の考えでは、信前の御受けはあくまいが、信後の心は間に合う。自力の心は間に合うまいが、他力の心は間に合うと云う様な御考えに候らんも、私の心得より申せば信前も信後も自力も他力も、お受けも一念も、いやしくも凡夫の心へ顕れ候ものは、一つとして空虚ならざるもの無し、随って昇道は――いつも間に合わぬ凡心以外に、一足も出られぬ。昇道は、小気味のよい程明了確実に、地獄の真上に之有り候。永劫真実のお受けも出来にゃ、一念も起らぬ、昇道は、真実確然と地獄を真下に眺めつつあるものに之有り候。随ってかかる昇道が、助かるには、万一助かる事が候わば、一切を許して唯助けると云う仏を待つより仕方なく候。 吾等が親様は、実に此の一切を許して助け給う仏に御座候。貴方も私も迷惑致し居り候処は、お受けの一点に候。此の為に親様の御助けをはねつけ居る事に候に。私は到底お受け出来ぬ、信心も起こせぬが、一念も発起する事が出来ぬとの事に候えば、いつも如来は何等のお受けを要せず、唯如来の御力のみにて救い給うとの御事に候えば、一念もたのむも要ったものに非ず。十劫正覚の暁よりは、何時でも助かるべき事に候わずや。一念なしにお受けなしに、たのむも要せず、助け給う如来の御助けに対し奉りては、一念もいらず、たのむもいらずいつも丸々他力にて助けらるる事に御座候。 疑い深き昇道は、今日でも尚時々信心の顔を見、一念の詮議も致し、初め候え共、有難き哉、一度丸きり助けられねばゆかれぬ婆でありたと、御助けに逢わせて貰うた身は、此の覚悟がいつも働いて下されて、又も一念の復習をさせて戴いて、 学んで時に之を習う又楽しからずや。 いよいよ信心なしの、如来の他力のよき御心にて、助かる、他力摂生の信心の御味を楽しみ、よろこび、仰がせて頂き、念仏申す次第に御座候。私の信心は、花火や電光の、一念にぱっと燃ゆる様なものではなく、まことの智慧、まことの分別、何時思うても、何処から考えても、明了確実、動かす事も、破る事も出来ぬ、平凡至当の分別智慧に御座候。一念もなく、後念もなく、何時も何時も、丸々助けられねば行かれぬ坊主でありたと、唯他力の御助けを仰ぐばかりに御座候。よくよく御案じ之有るべく候あなかしこ。

二十四 鈴木こと女に送るの書
〈明治三十九年九月一日〉  杉浦覚、市石しん、鈴木こと子等は西尾町に於ける尤も熱心なる信者にして、又予に尤も力を尽くし呉れられつつある人々なり。予を三河に尤も強く牽きつけたるは特に杉浦覚の求道の切実なる精神にして前に掲げたる書信実に其の先駆けなりしなり。而も此等の人々及び加藤玄、平岩なほ子等を動かしたる者は服部半蔵氏が竹内専介氏より送られたる他力安心示談を見て、之を読み聞かせ又直ちに法蔵をとりて之を読み聞かせられたるに基因す。 予の示談を四六時中其の傍らより離さざるものありとせば鈴木こと子は実に其一人なり。今夏、服部勘六氏が予を見舞われし時、偶々病にかからる。予之を痛み左の一篇を座右に送りて之を慰めたるなり。これ又深信廻向発願心の釈の御心なると共に、又三一問答二番の問答の教訓中の思召しなり読者幸いに熟読せよ。 疑って。 計らって。 惑うて。 永劫其一つも離るる能わざるが凡夫の本性なり。 如来は此の凡夫を助くる方と知るべし。 助かりたとて凡夫は仏に非ず。 いつも凡夫でいつも仏に助けて貰う事なり。 これ真の他力なり。 これ開山聖人信の巻の肝腑たる三一問答の大教訓なり。 これ昇道の安心なり歓喜なり。あなかしこあなかしこ

二十五 行村了性氏に送るの書
〈明治三十七年〉  一、行村様誰だって絶体絶命。何時だって未来となれば絶体絶命。自力の間に合うものは一人もありません。喜ぶも間に合わず、信じたも間に合わず、これでこそ地獄一定です。若し助かるとすれば唯如来の御慈悲です。行村様どうしたとてあかぬのに何故心配するのです?親様は何の為にあるのです。 二、仰せの通り私の手は切れております、此の上は如来の御計らいを待つより仕方はない。其の如来様はどういう人です。この初めより手の出ない―。今初めて手の切れたのにあらず法蔵因位の時より手が切れている―。自力無功の私の為に本願成就した親様ではないでしょうか。私が充分信じて安心すべき親様ではないでしょうか。私のたのむには不足な親様でしょうか。又引き寄せるじゃない。引寄せる事の出来ない其の為の親様ですよ。 三、往生に手離しが出来にゃいつまでも握りて御出でなさい、思案は空虚だ、親(思案以上以外以前の)が助ける念仏申せ。南無阿弥陀仏

二十六 中根佐吉老人の病床に送るの書(其二)
〈明治四十年三月二十五日〉  市石梅吉氏と共に西尾町の仏教を擁護せるものは、実に此の老人なり。氏は胃癌にかかり、到底全快せざる由を聞き、予も一面の識あれば、且つ予は兼ねてより氏の信念に就いて危惧しつつありし事とて即ち筆をとりて氏を安んぜんとしたるものは三月二十五日夜の一篇なり。されど元来氏は越前本願寺派の僧、甘蔗(あまわら)普薫老師に深く帰依せられつつありて、予の言辞に耳慣れざるものか、予の苦心は氏の胸中に深き反応を与うる能わざりき。されど又これ氏の胸中既に或る一物を握りつつありて他を容るる余地なきにも基因せずんばあらず、胸中一物を有するものは特に老人の一物を有するものは之を破壊する決して容易の業ならず。予は聴聞で堅めあげた老人は、殆ど一闡提の輩に比せんとするものなり。御教化通り、御正意通りを、頭脳に分別して、其れが固定化石したるものは、是非辛辣なる非常手段に訴えざるべからず。 氏は此の書信に就いて、深く警(いまし)められ病にも障(さわ)らんやと即真に地獄を免がるる道なき所以を、更に氏に説示したるものは二十九日での其三の書信なりき。氏は此の二通の書信に就いては深く驚かれ、加藤玄を遣(つか)わすや、直に病床に率(ひ)いて、彼の諸説を聞き、やや悟らるる所ありたりと。予は即ち更に一歩を進めて無一物にして往生は実に唯如来永劫の難行にのみよる、他力絶対の法味を示したるものは四月七日発其四の書信なり。且つ予は此の信念を確かめんと欲し、傍(かたわ)ら氏の領解せし所を示すべく求めたり、氏は令息に命じて、私の領解は地獄必定の菩薩、即ち機より云えば地獄必定、御廻向ものより云えば菩薩と申すより外なく候云々、予は尚懸念に絶えず玄女を使いとして其の云える事、果たして自己心中に識得せられたるものなりやを確かめさせんとして、玄女に伝えて曰く「御領解の趣、まことに有難く拝見致しました、私が述べても、自力叶わぬ泥凡夫なれば、地獄必定に決まって居るが、此が法蔵菩薩第一の機、正所被の機、御目当ての機として、其の願成就し給うたからは、此の地獄必定のままで往生一定の正定不退の菩薩様があるから。しかし実際の味になると、御廻向物からと云うさえも要らぬ、堕ちるものは、堕ちるままで用済みであるが、此の味が合点されたかと。然るに、老女玄は我が意を解せず、其の伝言自己の臆想(かんがえ)なりし事を知り、更に筆をとりて書き送りたるものは四月十日発其五の書信なり此の書信は実に予が最後通牒として、止むなく自己の実験を示して、氏の猛省警覚を促したるもの。これ氏を最後の試金石に掛けたるなり、普通の人々は唯廻向とか、成就とか、本願とか、摂取とか、単に名称を知りて、之を羅列し、之を扱うを知るのみ、物其の物は、永遠に、彼等の領解区域に入らず。輪郭を知りて内部の真相を知らず。又法門を知り、疑問を弁(わきま)え、縄墨(てほん)を知りて、之を実験体得証悟する事を知らず。予は此等の輩を、声聞と称せざるべからず。これ仏の声を言語とを聞いて、其の真実を知らざればなり。予が此の老人に最後通牒を発したるは、独り此の老人の為のみならず、実は大法に心掛けつつある一切の人の為たり、予は常に疑うと云い、計らうと云い、惑うと云う。然らば予はつねに然るかとあらず、予は一切を許し此を正所被の機として助け給う他力絶対の救済によるが故、予の信は他力真実の本願より生ずるが故に、思案を離れ、工夫を離れ、一切の聴聞を取り去る時、茲に金剛不動の大安住生じ給う、而も又此の実験は、今日も翌日も、人智が仏智を払わんとする毎に、仏智は忽ち其の敵し難き威厳と、光栄とを示し、常に最後の勝利を得て、噫こんな奴を、こんな奴をと、慶喜せざるを得ず。此の意味に於いて、予に一点の疑いなし、本願をたのみ信ずる事に於いて毛髪の疑倶なし。自然の御助け、無理なき往生に於いて尚猶予狐疑、金剛の決定なきならば、決して真実の信者に非ざるなり。中根佐吉氏は五月十六日遂に逝かれたり、是非の論は逝けるものの為に非ず、実に残れる中根氏一家、及び天下百万の同行者の為なり、敢えて読者の三読をすすむ。   拝啓御重症の趣承り、御病苦御察し申し上げ候、申すまでもなく病は死のたよりと承り候えば、御覚悟いよいよ大切と存じ候。 凡夫と云うものは、疑いと惑いとを以って、無始劫より未来際を尽くして、其の自体とする由、開山の三一問答に示したまえり。されば私共の心中にあるものは、信心と云い、疑いと云い聴聞と云い安心と云い、仏を引きつける心地も自心を仏に運ぶ心地も一切あげて疑いの変形に外ならず候。 随って此の疑いの変形なる私の心や思案は間に合わざること勿論に候、貴老かく貴老の心中一切間に合わぬ事となれば、未来の大問題は如何にせられ候べき。げに無有出離之縁とは此の事に候わずや。ここに貴老の沈思一番せらるべきところ。       *   *   *    *    * 阿弥陀活かすかころすか一つここは思案のきめどころ。 このままと聞けどわからぬこのままが変わらぬなりのほんのこのまま       *   *   *    *    * 思案もつかねば、工夫もつかぬ、何にもなしで助かるが、絶対他力の大安心と申すものに候。これ又三一問答の大教訓に御座候怱々(そうそう)。

二十七 故中根佐吉老人の病床に送るの書(其二)
〈三月二十八日〉  今日は色々有難う。唯貴老は弥陀と共など申さるるが、到底助かる能わず、必ず必ず地獄に落ちらるべく候 。

二十八 故中根佐吉老人の病床に送るの書(其三)
〈三月二十九日〉  六十八年の聴聞皆無駄事なり。六十八年の思案皆水の泡なり。「今は疑いなし、臨終は免(と)まれ」と云うは大なる疑いなり。貴老の胸の中にあるもの出でるもの、皆疑いの変形なり。泣いても吠えても貴老は地獄を免がるる道なし。予の此の言葉は如来聖人の直説なりと心得べし、   阿部慧行師、嘗て東京浅草別院に於いて夏六十日間説教し、又示談せられた。事すみて、師の所属寺として、郷里として、得度せられ、居住せられた、信濃吉田善敬寺に帰られた。予が常に敬愛しつつある同村の長田某女、師の前に出でられて申さるる様、「六十日間の御化導によりて如何に多く東都の人々は信決定せられた事で御座りましょう」と。師悵然(ちようぜん)として貌(かたち)を改め、ややありて云わるるよう、「悲しい事にはあれ程雲の様に参る中で、本真の道のついた人はタッタ二人。其の中で手の離せるは一人しかない、而も其の二人は女でありた」と。此を聞ける同女は慄然(りつぜん)として肌(はだえ)に粟を生じ、一層自ら敬覚せられたりと。又師の前へ出でて同行某が自己の領解を巧みに述べらるると、ややありて師曰く「俺は玄人だぞ」と。某忽ち色青ざめ恐縮して去れりと。予は此の試金石を施したき人、法蔵読者中頗る多し。されど今は点呼せず。各人自己の胸中に問わるべし。されど点呼に値する人は尚上等の部なり。我が身の後生と云う事さへ知らざる人々なり。悲しい哉悲しい哉。

二十九 故中根佐吉老人の病床に送るの書(其四)
佐吉様腹の中に何か助かられそうな一物がありたら、地獄一定じゃない。落ちるものは、丸きり落ちるままで、それで往生の用のすむが他力と云うものなり。(貴老の領解を聞かせて貰いたし)

三十 故中根佐吉老人の病床に送るの書(其五)
〈四月十日〉  昨日は老女参り、御病体を煩わし御迷惑の御事と存じ候。小生の老女に伝え候事は、貴老の御領解「地獄必定の菩薩即ち凡夫より云えば地獄、御廻向より云えば菩薩とある」事は小生が述べたとて、これより申し述べようは之無く候えども、実際の心栄えになると、御廻向から云えばと云うさえもいらぬ。落ちるものは落ちるままで用が済むと申したる次第に御座候。但し廻向という事の味わいは奈何(いかん)。唯ボンヤリお与えなど常人の想像する様なものに非ず。又一辺だけ貰うと云う様なものにも非ず、廻向も成就も即是其行も、お与えものと云うも、つまり如来様に助けらるる事に外ならず。且つ又其の助けらるる味は法門上では兎も角、実験の上では一念発起の時だけに非ず、小衲共は、毎日毎日手確かに、ハッキリと、寸毫の曇り気なく、一毛の疑惧遠慮なく、聴聞を離れ、思案を離れ、道具立てなしに、今日も来る日も弥陀の呼声と、自然と味わわしめ給う事、否如来様が、しっかり其の摂取光中に、光の中に、智慧の中に、置かしめ給う事を、明らかに明らかに知らしめ給う事に候。小衲は、自己の領解を今ここに述べ置き候。一味ならば同一の兄弟たるべし。然らずば、永き世の御暇乞いなり。予は最早一言も以って貴老の御心を煩わしめざるべし、此の筆も又御暇乞いの筆に候。病中乱筆許し給え敬具。 追啓。甘蔗(あまわら)普薫老師は、学徳兼備の名師の由、当地同行より承り及び候。其の老師に永く随従せられ候事とて、彼是申すはおこがましく候えども、よし名師に逢うも、聴聞の分域にある人少なからず候まま念の為再三老人を驚かしたる次第。聴聞の人は御教化によりて喜び信者は一切の道具立てを捨てたる時朗々の光明を拝するものに候。何卒悪しからず御賢察下されたく候。敬白 昨日おげん坊が小生の言葉を誤りて申し上げ候由承り入り候まま、わざわざ筆をとりたる次第に候。

三十一 高橋丑蔵氏へ送るの書(其一)
〈明治三十六年六月九日〉  度々の御手紙近来稀なる御質疑、真に嬉しく存じ候。早速御返事致したくも、何分寸暇なく延引、八月の示談には必ず御諭(さとし)仕るべく。然し高橋様、凡夫の力は丸切りあかぬ事を何故承知せぬのです。丸きりあかにゃ唯助かるより道がありますか。信ずるとは白を白いと見る事です。尚御一考下されたく。

三十二 高橋丑蔵氏に送るの書(其二)
度々の御手紙有難う。小生の病気は軽少、既に全快決して御心配なく、度々申し候通り、当流安心の正義は唯自分の眞の価値を知りて、仏を引きつけず仏に参らせず、此の助かる理由なき身を唯助け給う不思議の仏智を仰ぐばかりに候。花は花、柳は柳一点の闇黒(くらやみ)なし。理窟は一切計らいなり。不思議と信じて念仏の外他事無きなり。

三十三 高橋丑蔵氏に送るの書(其三)
高橋様明けまして御めでとう、いよいよ大丈夫になりましたか。今月の雑誌にもかいた通り、後生は生涯の仕事ですよ。実は旧臘二十八日ふと思い出で貴方の近頃の心中如何と御伺い状を書いたのですが、其の晩放火(かじ)にして小生の寓居は丸焼けに逢い、端書も一所に焼けてうせたのです。が然し小生の被害は少なかったのです。これに付けても自力無功がいよいよ明らかです。貴方の御心中は如何ですか御知らせ下さい。

三十四 高橋丑蔵氏に送るの書(其四)
御書面の趣、逐一拝見仕り候。御心配の条々一々御尤もにて一言述ぶべき余地これなく候。されど他の同行の「自力に生き別れと死に別れ」とか云う言葉は嫌うべきにあらねど、又一々御尤もと存じ候。唯貴方の御言葉は説明風に見、一方は勧化風になるが故に候、意を得れば両方共一致致し居り候。此の事は貴方もいつか尤もと思わるる時あらんかと存じ候。 南無阿弥陀仏と云うより外は津の国の、浪速のふしも、あしかりぬべし。よくよく御案候。意に充たねば又々お訪ね下されたく怱々(そうそう)。

三十五 高橋丑蔵氏に送るの書(其五)
度々の御手紙早速御返事致したく思えども、病気等の為に思うに任せず、尤も詳細は九月の示談に之有り候。然し高橋様当流は人よりは我身、理窟よりは実際、信前信後の事よりは一念。一念にては如来の御助け。しかし如来の御助けを仰ぐには一念に持ち運ぶにも及ばず、処に随い機に随い何処にても如来の御助けを仰ぐべきには候わずや怱々。

三十六 植村久栄女に送るの書
〈明治四十年五月〉  人間の智慧は、米を蒔いた後に、米と云うものが獲れ、黒雲の出た後に夕立が来たと云う。事実の上では、米を蒔いて、次に米が獲れ、雲の次に雨が来たと云う。第一の事柄と、第二の事柄、即ち前起と後起との事柄には過ぎないが、吾々は目で之を見て居る中はそれでも善いが、人間の智慧で之を見ると、米を蒔いたを原因とし、米のとれたを結果と云い。黒雲の出たが因で雨の来たを結果とせにゃならぬ。 此の考えが聖道門の根本真理とする所である。即ち善悪の原因に依りて幸不幸の結果を招くと云う、総て人間に意思の自由と云うて、善い事をしようとおもえば善い事が出来、悪い事を止めようと思えば悪い事が止められると云う事を又其の根本予想とせねばならぬ。一口に云えば人間は思うた通りどうでもなられると云うが聖道門の根本予想である。が此の考えは名こそ聖道と云うものの実は人間が自己の智慧と力とに対する自負と無理とに根拠を以って居る。此の智慧と力とに対する無智無明が凡夫の本性で、一朝一夕に其の迷妄が破れぬから釈尊が此の迷妄を破り人間の智慧と力との皆無なる事を知らせん為の即ち因果を超絶し、意志の自由を否定し、自力無功、他力摂生の大真理に入れん為に設けられた権化方便の教えが聖道門である。故に聖道門は我聖人の御本意より直言すれば、決してあり得べからざるものである。其の実、仮設方便のものと云わねばならぬ。聖道権化の方便に等と仰せられ万行諸善これ仮門と示させられ。釈迦は要門ひらきつつと釈させられたも此の思召しである。即ち人間の本性に応じてこれを誘導し給うたものに過ぎぬ。 此の聖道門の考えが即ち人間の智慧が、仏智不思議の他力の大法に向かうと、自力となり。疑惑となり。どうかなられると云う心となり。どうかならにゃいくまいと云う心になる。其のままで助けるぞとやるせなく御呼び下されても、信心を得ねば、弥陀がたのまれねばと云う、信心の因に依りて御助けの果を得ると云うように思うて、大悲の御真実をはねつけて居る。我聖人は疑惑和讃二十三首中六返まで繰り返し繰り返し、罪福信ずる行者は仏智の不思議を疑いてと即ち善悪因果を信ずるが疑惑の根源である事を誡め給うてある。又疑惑讚の前に、聖道門の人はみな自力の心(因果を信じどうかなられると云う心)をむねとして、他力不思議にいりぬれば義なきを義とすと信知せりと喝破し給うたも、畢竟罪福因果を信ずるが仏智不思議を疑う所以である事を示させられたものである。 浄土門の第一真理は仏智不思議である。どうもなられぬと云うのである。どうもなられぬものを救うと云うのである。意志に自由のないと云う事である。若しそうなら自ら自力を捨てるの、疑いを晴れる、助かるのという事の成就せらるべき理由はない。凡夫は常に疑いより一歩も出られぬ。如来は其の為に三信を成就して凡夫のままで助けて下さる。江州の老女の実験も、一蓮院の経験も、香月院師の経験も、三一問答の教訓も、唯此の大真理を詮験するものに過ぎぬ。有縁の道俗、願わくは、信疑に対して明白なる解答を得、此の一大事の問題を過(あやま)つなからん事を。   人智は因果の範疇に依らずば働く能わず、即ち米を蒔けば米が獲れ麦を蒔けば麦が獲れると云う様に、原因結果の法則、即ち因果と云う鋳型をはなれては、吾等の智慧は動く能わず。この因果と云う考えが、即ち仏智に対する時疑いとなる、されば人間にして智慧なくばやまん、いやしくも智慧ある以上は疑いは離るる事能わず、即ち如来をたのむ能わず、さればこそ一切を許して助け給う如来の本願を発起成就なし給えり。されば我等は疑う事によりていよいよ往生は我が物となり、計らう事によりていよいよ御助けは自身のものとなるに非ずや。疑いの凡夫の本性なる事を知らざる故、疑いが晴れらると思い信心が得らるると思うなり。これによりて丸切り如来の他力のよき御心にて助かるが故に信の心とは申すなりの他力の信がわからぬなり。 江州の老女の「此の婆は一生の間、信心が得たい得たいと願い望みましたが、此の婆に信心を与えると、怪我をすると思召し、とうとう与えて下さらぬ。思うた槌は外れてしまい、丸切り助けられねば、行かれぬ婆であったと、御助けに逢わせて貰いました」の領解。 一蓮院師の信次郎同行への御話に、「一生骨を折って聞いたれど、どうなるのでもこうなるのでもなかった、モー如来様が、助けてやると、云うて下さるのであった」の御領解。 香月院師の御示談中に「仏様と凡夫の身上ありきりを聞かせて下さい」其の御答えに「仏様の身上は助けてやる助けてやるがありきり、私の身上は助かられぬ助かられぬがありきり」更に言葉を強めて、「仏様の身上ありきりは助けてやるだが、私の身上ありきりは疑いばかりじゃ」の御金言開山聖人三一問答の大教訓、皆これに外ならず候、よくよく御案あそばさるべく候、あなかしこあなかしこ

三十七 植村久栄女に送るの書(其二)
初めの書信は作三十九年二月の示談に引き続いて、送りたるものにして、真実不変のものであるから、此の真実に目の覚めたるものは、いつも本願に立ち返り得る事を述べたるもの、即ち一念の信の対象は、一切を許して助けて下されたる仏なれば、此の如来は又私を臨終まで安心させ、救うて下さる仏で在すと云う事を述べたるもの。 次は予が中根老人へ送りたる書信に就いて、又例の自力心が出て、我御信心はと驚いて、御信心のいらぬ御助けに、又御信心の顔を見る事の浅ましさを嘆き、且つこれ故いよいよ他力ばかりの御助けのたのもしさを喜び送られたるに対して、介抱人玄の喜びたる由を筆にしたるものなり。彼は目に一丁字なし、而も其の云う所は実に如来の御腸なり。常人は動く心を動かさじとす、若存若亡を飽くまで金剛不壊たらしめんとす。これ無理なり。本願に非ず。彼は動いた時は動いたまま動かぬ時は動かぬまま寸毫も私の力を雑えず、而も反って動く心、乱るる心を其のまま如来正目的の機なりと信ずるが故に、彼は云う、「これだで先生いよいよ御助けは確かで御座ります、何が有難いと云うたとて、何時も何時もの有り合わせのままで、死んで行って差支えのないと云う、こんな有難い事はもう二つとは、御座りません」多感的の彼は既に感涙滂沱たり。先生もうこれきり、何と仰っても貴方の仰せには背きません……其の下からやっぱり背けてくる……   此の程は金弐圓見舞いとして賜わり御厚情謝し奉り候、いよいよ修道の御工夫に余念在さぬ事、有難く存じ候。 当流の至極は、唯如来をたのみ奉る外何事も之無し。希有最勝の大信は、畢竟唯如来に助けられ参らする心光摂護の一心の外なく候。何時も何時も吾にたのむべき何物もなき事に候。 幾度迷うても真実は不変に候えば、自然に本願に復帰せらるべく候。これ一念の信の対象たり得るものは、又臨終まで安立の対象たり得べき筈なればに候。 迷う程いよいよ如来と凡夫の価値明白に、会得せらるべく候。これ真実の故に候。草々

三十八 植村久栄女に送るの書(其二)
〈明治四十年八月某日〉  介抱人げん 君の御手紙を承りて、手を打ちて云わく 私も其の通りだ 口で云えばうまく云い、心もその通りに思わないではないが、其の時には心が丸切り変わりたように思うが、その後からやっぱり久栄様と同じ心になりて鳥渡も変わりた所はない。これが動いたら凡夫の座が動いたのだが これが動かぬで、いよいよ御助けは確かだ有難い有難い 先生が、常に疑いが往生の保証だとは此の事でございますかなぁと。

三十九 宮崎もと子女に送るの書
〈明治三十八年十二月某日〉  同女は予が同郷の友にして、母せい子は故阿部慧行師の姪なり。予は又同師と同じ寺より出でし故を以って、駑馬(どば)も亦此の千里の馬に比せられたり。随って母せい子の、予に対する、尚故阿部師に対するの感を以って殆ど同血族の如く予を遇し、且つ信じたり。随ってもと子とは兄妹の如く又師弟の如く親密なりしなり。然るに女は、三十七年には長男たる其の弟を失い、翌年又母を哭し、其の翌年又自ら痛く病に悩まされたり。坦々たる過去の平安は突然此の恐ろしき凄惨を、其の笑顔の下より彼女の前に投げ出だしたり。現在におののける彼は、将来に向かうて、又大恐怖心を起せり。又彼には如来と云うものは如何なるものなるやを尋ね来たりしに対し、病中端書を以って其の問いに答え又女を慰めたるが実に左の一篇なり。 人若し事を決するに当り、かくせば自己に利なりや否やを以ってせば、惑う所少なからざるべし。若し此の事仏意にかなうや否やを以って標規とせば、決して惑う所あらざるべし。吾等は常に将来の運命を憂うる事をなさず、唯現在に仏意に順応する行為を為す事をつとめ、且つ之を喜ぶべし。  最後に予は衷心より同女が彼の母の如く生涯グズグズで終わらず。グズグズで助かる、助かられる道理のないままで助かられると云う、日月よりも明らかなる如来の御助けに悟入せん事を、祈願にたえざるなり。 如来願わくは彼女の上に冥加を垂れさせ給い、彼に真実なる求道心を惹(ひ)き起せしめ此の一大事の問題の帰結を見るに至らしめ給わん事を。   度々の御書面有難く存じ候。如来は唯千種万様の言語と方法とにより、日々に、 昇道助けるぞ 昇道は助かるぞ と仰せられ候。 此の仏の仰せのままに助かるより外 六字の謂れもなく又吾等の拝み得る仏も之無く候  今冬は御兄妹打ち連れ、御入湯の由、面白き事も候わば御通知下されたく。何時も何時も亡き母君の御述懐同情に耐えず候。しかし世界は如来の本願の誓約所にして、人は皆仏と存じ候えば、将来も現在も、恐るる所少しも之無く候わんか。

四十 東京赤十字病院内に於ける小林こと子及びすい子嬢に送るの書
〈明治四十一年二月〉 信州赤沼は予が無我に弥陀の本願を信じて安心せんとし、否幾度となく安心したる所にして、当時人皆赤沼の昇道様と云えるを以ってもその一班を知るべし。而も小林家は当村唯一の豪家なりしを以って、予は又尤も多く同家の厄介を蒙りたり。疲れたる時病める時、赤沼へ行った時、赤沼を立ち去る時必ず此の家に一宿するを規とす。されどすい子は常に長野市の親戚にありて女学校に通えり、病になりて初めて女と相語る。これ三十年の夏季帰省の時なりと覚ゆ。法徳より云えば、臨終刹那に一言の御示しで往生する人があるか知らぬが、吾々はそんな事には実際上遭遇した事がない、吾々では十九二十の二願を過ぎて第十八願に入らんとする機が他力に入るを直入と云うと思う。 予、君の容態如何にと思い煩いつつありしところへ翌三十一年東京赤十字社病院内小林こととして其の入院を報告し来たれり、驚いて書き送りたるが其一にして、到底不治と決定し覚悟し、更に一片の法話を求め来たりたるもの実に其二なり、思うに此の書を送りたるは明治三十一年即ち予が二十二歳の時にして今は明治四十一年即ち三十二歳の時なり、此の二編も予が、いやな心のままで念仏すると云う後藤師の教訓を反映せるものなり。女が、臨終の美事は、当時の赤十字社社報にも出でたり。   梅花も笑い初め候えども、御病人の御心根、並びに其が母上としての御心情を御察し申し上げ候えば秋の夕べの物思い、感慨胸に溢れ、悲痛の情腸を喰い回り候え共、又我身を照らし、護り給う御光の、我前の世の否唯一人の親様の子として見ればきるにきられぬと我が母、姉の上にも常に在して、護り照らし慰め諭(さと)し給うを疑わず候。 吾等の御親は、唯我が名を呼び、吾を慕い、吾をたのみ、吾を力とすべしと、常に我身にささやき給うなり。罪悪如何に大なりとも、妄念如何に深くとも吾必ず救うべし、必ず助け得さすれば、安心して吾をたのめと仰せられ候。予も長々己が機情を以って心配仕り候え共、唯其のままに念仏せよ、我をたのめの、親の誠を承(たまわ)りて、今は唯、親様恋しく念仏つかまつり居り候。たのむなと云われても、未来となりて見れば、如来をたのむ外に仕方なし。たのむ一つにて助かると云うが、八十余通の御文の御化導、易行他力此の上や候うべき。思案もいらず、工夫もいらず、唯一筋に念仏し給うべし。思案の頂上は五劫の御思案、其の御思案にて、称え易き念仏を作りあげて、此の念仏を称えるものを助けるとあること故、思案もいらず、工夫もいらず、唯本願の約束、悲智絶対の親様の、御言を、たのみ力として、念仏せられ候うべし。此の本願を当てにして念仏するばかりにて仏になれるは順彼仏願故とて、仏の御約束に順うから、一言に云えば、御約束通りじゃからと善導様は教え下され候。参られるか参られぬかの心配は少しもせずとも、往生疑いなき故に、宗祖は、念仏成仏自然なりと、仰せられ候。自然とは、春になれば自然と花開き鳥歌う如く、本願のままに念仏すれば、臨終の刹那往生の端的に、自然と仏になれる故に、斯様に御示し下さるる事と承知致し居り候。時々あらぬ思い、いやな心も起こり、時々不確かな様な思いも起り候えども、絶えず念仏つかまつり候えば、信心いよいよ増長して、今ではいよいよ親様が親しく懐かしく、悲しき時は目前に在して我を慰め、妄念の起こる時にも我が後ろに立ちて止め給い、夜昼守りづめに、慰め給わり候。胸に余る悲しみにも、親様は心配を分けて下され、身にあまる苦痛も、親様に訴えれば薄らぎつつ、直に喜びと転じ為して下され申し候、我等は既に御本願の約束を聞き、念仏せんと思う時、早昇道としての命は切れて、其の後は浄土に生まるる道行、光明場裡の身と承り、目にこそ見えぬ如来に万事万端、吾と苦楽を分ち給う由に候えば死後(世間で云う所の)には、実の親様の御姿を見奉ることの出来る事、実に喜びの至りに候。晩かれ早かれ迷いの娑婆を捨つる身、一蓮托生こそ望ましく候へ。若し念仏して地獄に堕ち候わば、親鸞は無間にて待ち受け申すべくとも承り候えば、只聖人の在す所へ参らんと御覚悟なさるべく候、されば、念仏より外、仔細少しも之無し。只昼夜朝暮、本願たのみて念仏怠らず称え給うべく候。親様は嬰児の物云うを母の待つ如く、念仏称えるを待ち居ると承り及び候。御礼も、懺悔も、讃嘆も、信心も、親をたのみて念仏するより外無く候。ただ何の中よりも、出来るだけ精を出して、念仏なされ候へ。一辺一辺が、黄金仏となりて浄土に帰り給うと、七里様より、承り及び候。称うる程恩も知れ、称うる程親なつかしく、称うる程信念増長つかまつり候、只無敵に念仏なされ候へ。極楽参りの心配丸々無用、弥陀の御仕事、御計らい、唯妄念の其のなりで、念仏一つを励み給へ。先ずは御養生専一に、御不審にあらば何時でも御申し送り下されたく候。南無阿弥陀仏。 有縁のご同行に宜しく念仏の味を御伝え下されたく候、念仏のくせをつける様に、朝の物言い始め夕べの物言い終わり、手より数珠を放さず、一向に念仏せらるべく候。若しならば数珠くりて称えるも励みの為にはよく候。此の大恩を思いなば、此の味を知らん事ならば。 すい子様の御安心よくよく御調べ下さい、不審もあらば至急御申送り下されたく候。

四一 臨終の小林すい子嬢に送るの書
〈明治四十一年三月〉  此の篇及び前篇に於いて、予が妄念と云うは、決して、普通の妄念妄執の意味に非ず、いよいよ今が出立ちとなると、何となく気味が悪い、うかっとした心、間違わぬにゃよいがと云う心、ひょんげな心、くらい心、確かに如来の御助けを聞きながら、而も何となう不安心な心を云うたものである。 予に此の妄念まで親が許して下されねば予の出離を如何にせん、とは予が衷心より幾度か叫び、且つ泣きたる大問題なり。条件ある如来は、到底予の安立する能わざる如来なりとは、予が寸時も脳裡を離れざりし問題なり。此の為に先ず仮名聖教に依りて第一は歎異抄末灯鈔口伝抄執持抄本願抄最要抄等は勿論、ことに其の聖教中にある御一代聞書の指南に依りて漸く御文の六字の謂れ即ち「帰(たの)むとは助かる事なり」と開悟して初めて妄念のまま、生れ付きの此の侭で、助け給う如来の御慈悲なりと安立せり。 出離の問題は予にとりては一つの病気なり。考えんと欲して考えるに非ず、教えんとして、求むるに非ず。考えざるを得ず、求めざるを得ずして、考え且つ求めたるなり。有難いかな。我考え、我実験し又我確信したる事は、端なくもまた真宗の根本聖教たる教行信証六巻の中、更にその根本、祖師開山の肝腑たる信巻三一問答第二番の問答に見出したり。予が確信は滔乎(とうこ)としてのぼれり。予が此の喜びは何物にも換(か)ゆべきもの非ず。次ぎて一蓮院師の御決着。香月院師の御示談を拝見し感謝の念止む能わざるところ。今春又偶然にも藤岡了空師より送られたる『精神界』新年号に恵空講師の語録を道兄暁烏師の手に依りて拝見せり。これ又全く信念をいよいよ確かめられらるものなり、其の中「計らうも計らいなり、計らわぬも計らいなり」と云いまた「信も心なり、疑いも心なり往生は我が心にて叶うべからずと云い、又自力の信は他力の疑いなり」と云う等は予をして思わず一切の計らいを捨てて南無阿弥陀仏と、称えざるを得ざらしめたり。予の眼中には道俗貴賎なし。されど先には慧空講師あり、後には学徳第一の香月院師等の明確なる信念を拝し奉れば、予が妄念問題は、遂に、其の必要さえ失せて、唯「帰(たの)まぬ前の如来の御助け」「はいの御受けのいらなんだ如来の御助け」に助けられ参らせて、念仏申させて戴ける事の有難しとも、忝しとも、申すべき言葉はない。誠に命は法の宝なるかな南無阿弥陀仏   兼ねてより御全快覚束なきとは承り候いしも、なお月日のある事ならん。再会の上御相談も出来る事と、存じ居り候所、此の度母君よりの御通信によれば、或は最早今生にては、再会讃嘆致し難き様に覚え、残念至極に存じ候。さぞかし御さびしく名残惜しく、あじけなく、思召され候わんも、御目にこそ見えね、現に貴嬢(あなた)の目前に在して、無限の大悲をたたえ給う御まなじり、柔和忍辱の御相好を以って、御手を指し寄せ給う、吾等が無量永劫の親様に、唯一筋に縋りまいらする一つに候。御難儀なれば称えずとも苦しからず候え共、称えられる事ならば限りなき御恩報謝の為、出来るだけ御称えなさるべく候。「南無阿弥陀仏を称うれば、十方無量の諸仏は、百重千重圍繞して、喜び護り給うなり。煩悩にまなこさえられて、摂取の光明見ざれども、大悲ものうきことなくて、常に我身を照らすなり」。吾等が臥す枕辺にも、吾等が立つ後ろにも、限りなき仏、限りなき菩薩、喜び喜び御護りあそばさるる由に候。他宗には、臨終に始めて御来迎あるに、我等は平生の間より、常住不断に諸仏菩薩の御護りにあずかる事、誠に有難く、嬉しき事に御座候。此は何故かと申せば、我等は姿こそ三毒五欲の凡夫なれ、心は西方極楽の主人の愛子、一人子となりたる故に候。唯親様とたのむ一つで、かかるご利益とは、実に、身にあまりたる喜びには候わずや。妄念起らば其の侭念仏なさるべく、妄念は親が承知に候。やがて御縁も尽き候わば、初めて拝む大悲の尊容、弥陀諸仏子に告げたまわく、浄土は三界と何れが優る、新たに参れる菩薩、口云わんと欲して云う能わず、唯感極まりて大悲に咽(むせ)ぶの状態、目に見る様に覚え候。愚僧も親様よりの御命令を果たし候えば御後を追い申すべく候えば、半座を御分かち下さるべく候。暫しの苦しみと忍び給い、永遠の楽しみを御楽しみなされつつ親様諸仏の御護りを御喜びなされたく候。 御母上もいよいよ親様の常に御身を照らし、護り、御身の喜ばぬ時も、忘るる時も、夢の間、現の間も、喜び喜び護り給う御事、姿は凡夫にして、地上の菩薩に等しき、正定聚不退の位を御喜びなされ候へ。親様の暫し生死の田舎にあづけられたる寵児と思うて御喜びなさるべく候へ。御念仏は夜昼能うだけ、是非是非御称え下されたく、称うるほど味の出て来るものに候、何れ拝顔の節万々(ばんばん)申し述べたく候。

四十二 父母及び伯父伯母に送るの書
〈明治三十一年一月八日〉  左の一篇は、予が真宗大学二年の時、同人湯口温雅君と共に、播州西勝寺住職後藤祐護師を尋ねて、一七日間、其の懇切なる御化導を蒙り、崇厳なる色身説法を受け、歓喜身に余り志気凛(りん)然たりし時、予が実の父母及び伯父伯母に送りたるの書なり、予が父は此の書を以って全く往生の指針とし、金科玉条とし、後藤老師を以って殆ど日本唯一の名師として渇仰止まざるなり。されど予は予め読者に一片の注意をなし且つ懺悔せざるべからざる事あり。それは此の文は後藤老師の御教化の昇道の心に写して書きたるものなる事を。昇道は当時尚宗教無要と無功との間に彷徨して如何にするも物足らぬ心を去る能わず。物足らぬままにて助けて戴きたいは腹一杯なれども、物足らぬままで助けて戴く事は御教化に背く様に思い、いやな心のあるままで信者の仲間に入れて貰いたいが、而もそれでは当流の掟に背く様に思い。よし許して戴いても、本文にある通り、ピカピカした金の獅子、心に少しの暗闇もない、立派な心になりたく。其のピカピカした金の獅子にならねば本真の信者ではあるまいと思い。老師の「土が人形となり、牛馬の形となるは、全く人形師の力にして、土の力味、気張りた為に非ず。土が何程気張りても、人形師が承知せねば、何にもなる事が出来ない」と云う御教化、自力無功、他力往生の真味を解する事能わず、唯一向に念仏せば遂には立派な金の獅子となるに至らんと云う、自力運心の習気止まずして書きたるものなり。随って見ようによりては口称募りの異安心に陥りたる様なれども、よく味わうて見れば、これ又他力易行の至極なり。 思うに予が幼時道を求めて向上の一路を辿る時、幾度難山険悪の所に天を仰ぎて浩嘆せしか、幾度泥濘(でいねい)深沢(しんたく)の中に生命を没せんとはせしか、無人空?の沢は伽藍教化の中にも通じ、不見三宝の厄は如来聖人の影前にも免れず。何時の時此の胸晴れ、如何なる世、金剛の安立に至らるべきかとは、予が常に発する衷心の嘆声なりき。予は実に宿徳高くして信念深厚なる老師一七日の御教化にすら尚且つ自ずから欺きて一時の満足を糊塗(こと)し、専心念仏して衷心の苦悶を忘れんとせしのみなりし。 光に背きてうつぶける芥子(けし)の蕾(つぼみ)も、如何で光は其のままにて許すべき。見よ彼は何時の間にか頭をもたげたり、日に向かえる刹那蕾は破れたり、彼は思うままに其の花弁を開いて、飽くまで其の甘き光を吸い、温かき慰めに酔えり。噫昇道は実に此の芥子なりき。自力無功を知れる今日、胸中一点の雲影なく、他力往生を明らめたる今日心海一念の疑怯(きよう)退心なし。叩けよ門は汝の為に開かれん、求めよ光は汝の為に与えられん。昇道は求めて、求めて、求めたるものをついに与えられたり。叩きて叩きて叩きた極遂に開かれたり。噫何等の宿善ぞや、何等の幸福ぞや。出家の目的此処に果たされ人生の標的茲に酬いらる。予は既に死すとも怨みなく人生の福運尽くるも悲しむに足らざるなり。報じても報ずべきは如来の大恩、謝しても謝すべきは師教の恩致なり。而も予の懶惰(らいだ)放逸なる、常に此の大恩を忘れ徒らに名利の巷(ちまた)に迷う。今日の行為を以って此の文に対すれば慚愧胸に満ち冷汗背を潤すを覚ゆ。願わくば如来吾を照鑑(かん)し、吾に加被し、汝の命じ給う大道の上に、弱き昇道を助けて進ましめたまえ。最後に予は謹んで後藤老師の懇切なる御教化に対して茲に満腔の感謝を捧ぐ。   本家の御一統様始め、並びに有縁の御同行衆様方、御両親様如何御相続遊ばされ候哉、愚僧去る三日、播州後藤老師の所に参り候所、老師はじめ、御家内御一統様方、非常の御喜びにて丁重なる御扱いを以って御饗応下され候。朝は四時頃起きて、御堂の御掃除済みて勤行一時間以上、それより高声に念仏する事凡そ一時間それより、御内仏の勤行、老奥様若奥様子供衆諸共に、読経終わりて食事。終日伴僧三人下女三人迄、念仏の声絶ゆる事なく、まるで浄土に生れたる様に御座候。其の間段々御教化を願い候所、老師の教えは、弥陀の本願は、念仏往生と誓い給う事なれば、唯此の本願に任せて念仏するばかりに候。いやな心や物足らぬ心のするは妄念にて。此の心を止めて、称うる念仏に非ず。故に蓮如様は、妄念妄執の心起るを止めよと云うにもあらずと教えたまえり。御本願は念仏往生。機は極重の悪機、機法既に具して何の不足がある。不足は唯我等が念仏報謝と、行状の浅ましさなれば念仏絶え間なく称うべし。唯本願をたのみ、往生は仏に任すべし。土が人形ともなり、牛馬の形となるには、土が何程力んでもあかぬ事、皆人形師の力なり、唯任せて念仏すべし。言葉を変えて云えば、任す任さぬもいらぬ事、信ずる信ぜぬの話やめて、一向に念仏すべし、唯称うる一つにて参らるるは、本願に随うが故に本願にかなうが故なり。計らわず唯念仏するを、弥陀をたのむとも、信ずるとも云うなり。故に法然上人は唯往生極楽の為には、南無阿弥陀仏と申して、往生するぞと思いとりて申す外に、別の仔細候わず、但(ただ)し三心四修と申す事の候は云々と示したまいて、念仏の外に別の道之無く候。蓮如様のたのめたのめと命(おお)せられたるは、浄土宗の余流に対して、念仏称うるばかりでは、往生出来ぬと、仰せられたるものなり。されど念仏往生が蓮師の腸なるが故に、常々宿善無宿善の機を分別して、勧化せよと仰せられたり。此程楽な教えなるを何年聞きても安心出来ぬのは、蓮如様や御開山の御心を知らず唯表面ばかりを、学問の上から、沙汰する人が多いからで実に残念千万の事なり、君等真宗大学の厚信の人々いよいよ学問にも力を入れて一人なりとも、信決定の人を作りくれられよ。今幸いに新法主台下の聖賢にて侍従も皆念仏行者、口に念仏の絶えざる人のみ、此の念仏行者、今日の蓮如様たる新法主様を大将として、君等真宗大学の人々此に従い、身を捨てて大音声に念仏諸共進みなば、今日の外道輩を打ち破り、一切衆生諸共に、浄土に参らるる事、必定なりと御懇ろに御話相成り候。信得てみれば祖師の仰せも有難く、蓮師の仰せも有難く、たのむも有難く称えよも有難く、御教化の胸につかえるところ、なきなり。愚僧如何なれば、今幸いに明師の指南によりて曠劫以来の迷いを破り、無上浄信の暁に至れる事、報じても報ぜられず、謝しても謝せられず、日に八万の称名は称えずとも、口に朝起きる物の言い始めより、寝る物の云い終わりまで、念仏口に離さざらんと期し申し候。今日では、書物見ても、手紙書くにも念仏、もの食べるにも、しばらくも口よりたゆる事なき様に相成り候。善き事ならば何なりとも致す心に御座候。法の為には、我身はなきものと覚悟仕り候。寝るも起きるも恩徳界、立つも歩むも摂取の光明中。善きに就けても念仏、悲しきに就けても念仏、離れ給わぬ身となれると歓喜に耐えず候。妄念あらばそのまま念仏、悪機起こらばそのまま念仏、念仏口に耐えざれば、悪機も自ずから薄らぎ行く様に覚え候。ものは凡てくせのものなれば、口にくせをつけること、有難き事なり、喜ぶも妄念、喜ばぬも妄念、悲しむも妄念楽しむも妄念、唯ムキズなるは念仏ばかりに候。今は早、妄念も善心も、皆弥陀に遣(つか)はるる身となりし事。何等の多幸ぞや。手に数珠離さず口に称名やめず、心に大悲の誠あり、念仏に丸めあげられたる妄念、蓮如様の取るも御恩捨つるも御恩と仰せられたる、又安心決定鈔に、身も南無阿弥陀仏、心も南無阿弥陀仏と教えられたる事、今更有難く覚え候。改悔文の安心は、信得て上の言。始めより助けて下されの思いとか、助け給えと、たのむとかと、自己の心につかまったとて、埒あかぬ事なり。唯此の機のままで念仏する一つなり、それが弥陀をたのむなり。信ずるなり。一念もあり。後念もあり。始めより一念の詮議無駄事なり、一向に本願の約束に任せて念仏すべし。参る参らぬの世話やめよ、我機ながめて世話焼くな。たのまれたかたのまれぬかの詮議止めて、本願に任せて念仏せよ。物足らぬ様な心がしたら、一層念仏励むべし。念仏称え称える中に、段々信者らしき心になるなり。御西様の第一人の信者、外国のヤソ宣教師も日本第一の僧侶なりとてほめたる七里恒順(筑前博多の万行寺)師も、此の他を教えられず。機の不足より物足らぬ心のするならば、唯念仏励むべし、金獅子も、作り立ては不細工なり。されど金獅子に相違なし。絶えず手入れをすれば、善くなるなり。我等も其の如く、本願の約束に任せて念仏する始めは、機の不足よりものならぬ心もし、悪心も起れども、嘆くべきに非ず、往生には間違いなきなり。往生の心配はいらぬなり。業ならば何程さわぎても仕方なきなり。規則犯せば罰うくるなり。五戒たもてば何程人間に生まるるがいやと思うても人間に生まるるなり。念仏は正定聚なり。念仏の業にまかせて心配する勿れ。心配したとて業なれば仕方なし、いやでも浄土に参るなり。美濃の通徳寺は、後藤様の父親に、育てられたるなり。阿倍様の教えも、七里様の教えも、信者の言(ことば)は皆楽に御座候。此れでなくて、何で根機相応の本願ならんや。今日の人の如く此の信心を難しく、教える人を、仏の弟子にあらで外道なりと仏蔵経に説き給う。阿弥陀様は親じゃもの、何で無慈悲な事あらん。いよいよ此の道理をのみ込めたら、仏智疑う罪深し此の心思い知るならば、悔ゆる心を旨として、仏智の不思議をたのみて念仏すべし。此れより外に奥深い事は、宗祖聖人の知り給わざる所、有縁の行者に、よく御勧め下されたく。十方の人々は我が前生の父母なり、飛んでゆくにも学問の身、御一同様方によくよく此の事を私に代わりて御話し下さるべし。母上様御得心参り候哉、唯念仏するばかりに候。もの足らぬ様に思わば、いよいよ本願をたのみて念仏励みたまえ。上新御門跡、下我々一身を捨てて大法を広め申すべく候。世の人誹(そし)るも怒るも、殺すも我には、弥陀の光明あり、死なば浄土に参るべし、生きなば新門跡の旗下に働くべし。南無阿弥陀仏。

四十三 父母兄弟等に送るの書
〈明治三十二年一月八日〉  左の一篇は明治三十二年正月、後藤祐護老師の身口意三輪の御化導を蒙り。又藤岡了空師の提撕を得。特に我新法主台下、始め御連枝の方々の聖なる御決断及び其の御断行に感じ我大学内に一種清新なる霊気旋風の如く起こり、霊的活動始まりし当時その霊気の予に顕れ、活動の予に働き給える其の一端を、又故郷の父母親属兄弟に分たんとせるものなり。勿論今日より見れば、自力の習気尚甚だしく又稚気おかしき点もあれど、其の真摯にして聖霊に満ち、一向一心、他を観ずして自ら行じ、又人を勧めんとせる点に於いては、予は当時の、遥かに今日に優るものあるを見て、慚愧に耐えざるなり。思うに称名は我開山の一流の信仰に於いては、実に最初の行にして又最終の信なり。何人か後生に大事をかけ安立を得んとするに当りて先ず称我名字口称本願の化導に随喜せざるものかある。而もあらゆる自力をふるいあらゆる煩悶を重ねて後、全く往生の大問題に対して、絶対的絶望に沈める時、忽如思案以上の如来に接しまつれる時、他力往生の真趣を受得したる時、誰か又本願名号正定業と、浄土往生唯一の行として、成就廻向し給える、称名念仏に対し奉りて、衷心(ちゆうしん)より随喜渇仰せざるもあらんや。 思うに南無阿弥陀仏は、無限絶対の大悲界より此の穢れたる人間世界に顕れ給える唯一のものなり。浄海より顕れて、而も下界思慮分別、感情、意志等の卑しき、?倒せる、妄情に汚され給わざるものは、唯此の一南無阿弥陀仏申しますのみ。絶対的絶望の極に達せる時、忽如として現じ、一躍絶対的平安のものとなさしめ、凡心を摂して凡心を離れ、逆謗を救うて逆謗を止めず、外界にありて而も常に浄界の威厳と清浄とを失い給わざるものは、実に此の南無阿弥陀仏の活けるもののみに在す。名号を離れたる我等は生命なきものなり。南無阿弥陀仏を離れたる宇宙は、光なきものなり。宇宙は実に此の御名の為に存じ、吾等は実に此の六字の為に活く、道兄多田鼎師の消息に曰く、此の道は名号為本なり。聞名、執持、称名、これぞ我道の全体なる。我道は名によりて立ち、名によりて動く。仏名は我杖なり。命なり。道なり。斯くまで明白にして簡潔、大胆にして剛壮なる宗旨は外にあるまじく存ぜられ候。南無阿弥陀仏。唯此の御名を合唱せばや。御名の合唱は人生の本務なり。人生は此の合唱室なり。音楽堂なり。と、実に人生は念仏の合唱室なり、宇宙は名号の活動場なり。何人も信じ何人も称えざるべからざるもの、而も藤岡了空師より賜れる「わやくちや帖」に、口かるな人と云われて南無阿弥陀、称えられぬは何としたこと。と此れ実に昇道に対する唯一の高訓なり。昇道由来口軽き方に非ずと雖も、念仏の口は更に更に重し。慚愧にたえざるなり。茲に謹んで多田藤岡後藤三師の高教を謝し、併せて法界に御名の広宣流布せられん事を祈る。   漸く御正月にも相成り、御本家御親類御一統、御心静かに多念仏御相続なされ候段欣喜此の事に候。降(くだ)って愚僧も日々、御念仏諸共勉学罷(まか)り在(あ)り候間、他事乍ら御安心下されたく候。愚僧等は、先日申し上げ候通り、後藤様の御教化により、往生の世話打ち捨てて、唯本願の御約束を一筋にたのみ奉りて、御光明の中に、日送りさせて頂く事、実に身にあまりて嬉しく存じ候。御西様の大信者、七里恒順様の御教化にも、植木は地を離す事ならぬぞ、今念仏の行者も、称名の土を離す事ならぬぞ、若し称名の土を離れず、示談相続の肥料等を用うる時は、必ず何十丈もある喜びの、大木となる事が出来るぞよと云い。又一返一返の御称名が、黄金の仏となりて、御浄土に御帰り遊ばすと仰せられ候故、愚僧は、此の尊き御念仏、口より離す事が惜しくてたまらず。書物見るにも話をするにも、絶えず御念仏仕り候所、近来大いに喜びも多く、御恩も有難く、心も和らぐように覚え候。毎朝同志の人と、御本山へ参り、御礼を遂げ。帰りて学校の勤行をなし。授業終われば講堂(学校の御堂)の御掃除をなし。時々雑巾をかけ、又七日に一返大掃除をなし。其の夜は仲間の人集まりて御示談を仕り喜び居り候。其の外所々に説教所を造り、若い者、子供、老人達にも教化を致し。又諸方の子供老人や、或は貧乏人には物を送り、御経を読み説教つかまつり候所、近来大いに都合よく相成り候。愚僧等の居る中に、京都至る所に念仏の声絶えざるように致すつもりに候。実に京都位不法義の所はこれなく候。如来様の御力を加えて下さるる事故、思う通りに出来る事と存じ候。御念仏の称えられぬ様では本真物に此れ無く候。信にかたよりて邪見になるより、行にかたより自力になる方が、尚徳に候。自力念仏は、十八願の他力念仏に入れども、邪見になりたるものは仕方なき由釈迦如来は御説きなされ候。往生の世話しては、何時迄立ちても安心は出来ず。たのむ、信ずる、喜ぶ、落ちつく、晴れたい、にかかったとて、何時迄立っても、若存若亡に御座候。皆たのんだ力で参る、信じた力で行こうとするから、骨が折れ候。只往生の世話止めて、本願の約束に任せて、一筋に念仏することにて此の念仏には願行具足、たのむ思いも、助くる法も、具するぞと、善導大師は御示しなされ候。本願のままに念仏すると覚悟して唯弥陀の勅命、釈迦の発遣の仰せをたのみて、外を眺めず念仏するばかりに候。たのむ味わいも信ずる味わいも知れて来るなり。信心歓喜と云う事を、梵語即ち天竺の言で云えば「プラーサード」と云うて、「前に座る」と云う事、親の前に座ると云う事に御座候由南條先生の御話に此れ有り候。何もかも打ち忘れて、唯念仏する事が弥陀をたのむと云うものに候。故に御開山は、往生ほどの一大事、凡夫の計らうべきにあらず、只一向に称うるものを助くるとある、本願信じて念仏せよ、若し落つれば、親鸞は地獄で待つぞよと、仰せらるれば、これ程確かな事はなき事なり。これでこそ、丸々他力なり。唯々念仏するばかりに候。口に絶えず念仏すれば、有難くもなり、悪事も謹まれ候。蓮如様は寝てもさめてもと仰せられ候えば、念仏は忘れぬ様に癖をつけること肝要に候。朝夕の勤行には家内一同決してもるる事なきよう、又念仏は、御両親様は勿論五左衛門、清一郎等に至る迄、朝起きた初めに、南無阿弥陀仏寝る時には必ず南無阿弥陀仏と称える様、食物は皆如来様からの賜(たまもの)なれば、膳に向かうて念仏し、いただきて食べるよう、能く能く御たのみ下されたく、空手、たたきて念仏する味わい、能く能く人に御すすめ下されたく候。茲に蓮如様、御正月の御手始めに「道徳いくつになるや念仏申さるべし」との御言葉を皆様に差上げ申し候。唯々念仏を忘れぬ様くせつけるように御願い申し上げ候。
(完)        入力(2004年9月。念佛寺)

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