安心小話

『安心小話』

禿義峯編

一 惠然講師いわく。邪見邪解の博識にならんよりは、田夫野隻になれ。法を守りて死すとも、法を売りて活命することなかれ。

二  香樹院講師いわく。これ一つ聞きつけずば置くまいの心がゆるんだら、仏になる種を失うたと思え。

三  一蓮院いわく。もうちっと気掛かりなと思うは、まだ弥陀をたのまぬなり。落ち着かれぬ落ち着かれぬと言うは、もとより弥陀をたのまぬなり。落ち着いたと喜ぶも、弥陀をたのまぬなり。落ち着かれぬによりて落ち着こうとはりこむも、弥陀をたのまぬなり。落ち着いたか落ち着かれぬかと試して見るも、弥陀をたのまぬなり。なぜならば、これは我心をながめてたのまんとしておるなり。方角を取りちがえておるなり。されば、自力はすたりそうで、すたらぬものなり。かえすがえす我心をながめず、弥陀をたのむべし。弥陀をたのむと言うは、本願の月に真向きになりて我心をながめぬことなり。

四  又いわく。仰けで安心せよ。仰せを聞いて、それを我が機へもどして安心しようというのは、深く弥陀をたのんだのでない。仰せだけで安心して仕舞うのが、ふかく弥陀をたのんだのじゃ。

五  明信寺の仰せに。多くの人が、これまで聞きこんだことを信じておる。ここがまことに大事の所で、聴聞というは今日ばかり今日ばかりと聞くのじゃ。余事外事を信ずるのではない。ただ御助け下さるることを信ずるのじゃ。勅命の聞き付けられた相は、あいと振り向く斗りじゃ。例えば、落とし話の落ちた如くじゃ。落とし口のわからぬ者はおかしくない。この落とし口のわかるとわからぬとは宿善に限る。

六  或人幾度もかれこれのべて、まだ肯えんという。明信寺微笑しながら涙ぐみて曰く。その様なことではない。ただおれをあてにして来いかならず当て違いはさせぬと仰せらるることじゃほどに、眼を醒ましてきかれよ。

七  江州栗田郡下笠村に、ゆたといえる香樹院講師帰依の同行ありき。師一日、御通行のとき、侍者をしておゆたはどう日送りをしているぞと尋ねさせられしかば、おゆた涙を流し、有り難う御座ります。この婆は如来さまの御慈悲に日々涎をながして日暮し致しておりますと御伝えくだされと答う。講師いわく。甘いことをいうているなあ。それは必ず云わせ手があろう。

八  一蓮院講師、不倒翁(おきあがりこぼし)を買わせられて仰せに。幾度投げても投げても起きあがるは、中に仕掛けがあるからなり。後生のことには、すりこみすりこみする奴が、かかるものをと起き上がるは、仕掛けがあることじゃ。

九  皆往院講師いわく。
ながかりし小豆角の花は短くて   みじかき栗の花のながさよ。
小豆角は長きものなれども花は短く、栗はみじかきものなれども、花はいたりて長し。長くあるべき坊主の信心の花は短くして在家の信心の花がかえって長い。これが此の世の嘆かしき有様なり。ここの処で慚愧なくしては、いま死ぬるなり、ただちに地獄なり。

一0  香樹院講師の仰せに。真宗の僧分は、心中を律僧のごとく慎むべし。又いわく。僧分の身は、仏法三昧法義三昧の身なりと心得べし。

一一  明信寺いわく。僧分は小さい穢いことで、大きな後生を取り仕損ずるぞ。

一二  香樹院講師いわく。在家は愚痴なれども、聞法に因縁厚し。僧分は御慈悲は厚くこうむれども、法を聞く因縁は薄し。又いわく。浮世の栄華を自身の福分とおもい、仮の名聞をわが身の手柄とこころえ、日々無間の業因を造るを何とも思わぬが僧なり。又いわく。此世は仏祖の御前へ出て、仏祖も欺き同行も欺くが、臨終の時欺かれぬは火車の迎いなり。悲しきかな。袈裟を着用する身とまではなりたれもど未来の墮獄は近きにあり。

一三  同師の歌に。
あざみ草わが身の針をしらずして 花とおもいしきのうきょうまで

一四  理綱院講師いわく。仏者のなかに世間に貪着して出離得脱の道に心なきは、命のおわる大事、瞬息の間に来ることを知らざるが故なり。香樹院講師いわく。『涅槃経』の盲亀浮木の御喩と、『遺教』の無常の火の付きたる身の御喩のこゝろを忘れて暮らすものは釋氏に非ず。

一五  三州おそのの口すさみに、
法水で自力の化粧おとされて  もとのすがおでまいる極楽。
あなたよりきせてもらふた丸合羽  手さへ出さねばぬれるけもなし。
機をみればどこをとらへて正定衆   法にむかへばうれしはづかし。

一六  江戸に皮籠張を職とせる一蓮院講師の同行ありき。一日播州より尋ね来たりし人に言傳して曰く。お前さん帰国されて、若し一蓮院様に逢われたら、某は相かわらず、毎日皮籠張を働いておると申し伝えてください。日々仏法三昧で暮らしておると聞こしめさば、きっと御案じ下さるるから。

一七  和泉の吉兵衛は蔵の三つもある富豪なりしが、後生が苦になり田を売りて金になし、それを腰につけては法を聞き歩き、蔵も売り道具も売り、後には家を売り、数十年間一日の如く訪ねまわりて聴聞せり。人々いわく、金の草鞋はいて求めるとは吉兵衛のことなりと。吉兵衛いわく、今日喰うものさえあれば十分と。

一八  吉兵衛七十余歳となり魚屋の売り子となり、毎日、當百の四五枚を貰いて帰る。隣家の子供二三本の花を折り来たりて吉兵衛に参らす。吉兵衛はこれを受け、有難や、またこの重い尻を動かして下さるると喜びながら、件の花を仏前にささげ、子供へは礼のため當百の二枚も与えたり。これを見る妻は、ただあきるるばかりという。

一九  大和に狩野法眼の筆すて岩というものあり。頗る面白き石という。吉兵衛見ていわく。これは法眼が筆を捨てたるにはあらず。岩が筆を捨てさせたるなり。仰せが仏法なり聞いた心が仏法にてはなきなり。

二0  江州吉右衛門の婆の許へ近村の某女尋ね行きたりしが、婆いわく御前樣は何処の人なりや。女いわく、某村のものなりと。婆いわく、御前樣も御淨土へ参らしてもらう人じゃねい。女いわく、そこが聞こえぬので今日は参りました。婆いわく、それでも御念仏を申さんすもの。

二一  ある人明信老人に、雑行すてて一心に弥陀をたのむ斗りにて候か。師いわく。いやそうでない。雑行すてて弥陀をたのむのじゃ。

二二  讃岐の庄松の口ずさみに。  庄松そのままありのまゝ、国は讃岐で弥陀はみぬきで。又いわく。ほんまが出来たらそらうそじゃそこないないそこない。

二三  伊勢畳屋籐七いわく。凡夫心の兎の毛の先でついたほども間にあわぬことを、はっきり知らせていただくことは甚だ難いことじゃ。

二四  大和に厚信の同行ありき。香樹院講師に隨いて年久しく聴聞せし人なり。一人の僧尋ねていわく、汝は信心決定して出立の路銀の用意あるべし、何卒聞かせられよ。同行いわく、私は無一物で御座ります。僧いわく、それはいかに。同行いわく、親に連れられて行く子の手許に路銀の支度は必要なきことと心得ます。

二五 源正寺いわく。其方思案するかや。我は一夜に三度づつ旨に手を置いて思案するぞ、と。又いわく。この次は極楽で逢おうという人があるが、それはちっと行き過ぎと思う。

二六  ある人知道師へ心得顔に領解を述べたれば、師大喝して曰く。その方は、五劫の御思案の相談にのったか。永劫の御修行の御手伝した覚えがあるか。

二七  等覚老師いわく。百両の品に百両出して買いにかかるが聖道門(三大僧祇)。五両か七両出してかかるが自余の淨土宗(二万三万念仏)。淨土真宗の者が聞いて領解してとかかるは、百両の物に一厘や二厘出して買いとる心得なれば、やはり売買の商法になるなり。今は然らず。『謹淨土真宗案二種廻向有一者往相二者還相』等と丸々の御廻向なれば、百万両の身代を子が親より譲り受ける如く、聞くばかり貰うばかり、御聞かせが御廻向なり、聞くのが賜るなり。

二八  一蓮院講師の御尋ねに、聞く気のなき者を聞く場に引き出すが教え手の役で御座りますか。  香樹院講師の仰せに。そうじゃそうじゃ。それからさきは凡夫の力ではゆかぬ。  又仰せに。我は宿善を引き出すように云うておる。

二九  香樹院師いわく。信を得るには宿善に限る。我等もいよいよ大事にならば暇つぶして聴聞もしよう骨もおろうが、若し宿善開発の機でなかったらなんとしようと案ずる外はない。(香山院講師いわく。これは此場にいたらぬ人はしらぬことなり。)  我心でわが心がしられぬ者が凡夫じゃ。まことに宿善がなかったらなんとしようと思うものじゃが、朝夕仏前に跪き、念仏称える身にまでしてくだされたもの、宿善なきことがあろうか、どうぞここで一つ大悲の御胸をやすめたいと、真に思いたちて聴聞を心にいれ候わばいかに不信なりとも御慈悲にて候うあいだ信は得らるる。此の御言がめあてじゃ。無宿善といわれて、あい私が無宿善で御座りまするとすてるのが無宿善。無宿善ならばなんとしようと驚く心が、はや宿善の印じゃと、どこまでも聴聞をいやがるこの心をすかしてなりとも、たのんでなりとも、理屈づめにしてなりとも、聞き付けさせずは置くまいと張込む心があるならば受け合いじゃ。いかなる不信のものなりとも、得らるるぞと仰せらるる。

三0  明信老人いわく。大坂に一俳優ありき。泣く事を稽古してもしても真の情うつらず。江戸へ行き当時の千両役者につきて親しく習いしが、まだそれでもそれでもとて許されず。最後にはあまりのことにて本真に泣き出したり。其のとき師匠初めてそれでよしそれでよしと許したりと。

三一  江州長浜のさだ女、香樹院講師に随い、聞いても聞いても疑い晴れず、加賀まで随い行きしが、師いわく。雪も降り寒くもなるゆえもう帰れ。さだ女いわく。私はどうも信ぜられませぬ、疑が晴れませぬ、聞こえませぬがいかが致しましょう。師いわく。そのまま称えるばかりで御助け。其の外になにもいらぬぞ。

三二  梅逸は有名なる画工なりしが、深く本願を信じて念仏せし人なり。明信老人について聴聞せりと云う。この人梅をえがくに殊に妙を得たれば、或人、先生の梅は格別気韻たかしと賞讃せしとき、梅逸いわく。私が梅をえがくのではない。梅が梅をえがくのじゃ。

三三  明信寺の手帳の中に。  祖師聖人の御歌なりとして。
なにごともしらぬこの身をそのままに  みちびくたねは弥陀にこそあれ。
あたたかにかさぬる冬のあつぶすま  臥す間も法のめぐみわするな。

三四  香樹院講師いわく。真宗の僧侶は聖道門のむつかしい修行をするかわりぞやと思うて精出して学問せよ。

三五  同師、かって丘誓堅を誡めての仰せに。学問は外道もする。提婆は学問して六万藏に通じ、五神通まで得たと云うが、生きながら無間に墮したり。何程学者になりても、我身の出離生死の大事に心掛けずば、袈裟かけたる外道なれば、無間地獄は覚悟しておれ。

三六  香山院講師、或年加賀山中に一週間ばかり入湯せられしが、入浴の前後常に書見に余念なかりしかば、宿の主人尋ねて曰く。御講師様は大学者にてあらせらるるに、そういつまでも御勉強遊ばさるるは如何なることにて御座りまするか。師いわく。おまえは此辺の財産家じゃが、もう金を溜ることは止めたらどうじゃ。定めてやめられはしまい。おれもそれとおなじことじゃ。この書見は、死ぬるまで止めることは出来ぬわい。しかし金も学問も往生の為には決して間に合わぬ。往生極楽にはただ他力の信心ばかりであるぞ。

三七  仰誓師の箸紙の表に。
かかもってさかなくわしゃる坊主たち  非俗のわけもちとはしらしゃれ。
朝夕の恭敬のこころは欠くとても  御夫持はかけず今朝も夕も。

三八  ある人明信老師に尋ねて曰く。未安心にして説法するは真の不淨説法なれば止むべきや。師曰く。当流は罪の沙汰無用なり。一として罪ならざる所作はなきゆえなり。然るに仏は平等の大悲ゆえ何を縁としてなりとも得信せしめん思召なれば力を尽くして説き聞かすべし。その慚愧の心より説くうちには、世間にて云かぶりと云うごとく、他人に聞かせようと思うて説く声が我耳に入りて、かえりておきかせにあうことあり。

三九  加藤法城いわく。おれもちっとほんまの説教が出来る様になったようじゃ。その証拠には何処へ行っても参詣人がすくのうなつた。又、福順寺後住を誡めて曰く。人が説教が有難うなったと云うならばよいが、上手になつたと云わば説教は止めにせよ。

四0  等覚老師いわく。人に用いらるるが法義には第一の魔障なり。人の来るのは恐ろしいことなり。  又曰く。予は説教の出来ざるが仏陀の大善功方便なり。世間には随分後生に望みある者が、大半聞かせ気になって我身の出離を失う。恐るべきことなり。

四一  大量師いわく。後生を心にかけ、念仏申すと人が出て来る。物など持って来れば早や我身に徳のあるように自惚れ、他人にいうて聞かせるを我領解の如く思い、法義は手に入りたる如く心得、後生を誤ること明かなり。それゆえ、時々我頭を打ってくれる人に逢い、世間では山子坊主、狸道心、犬坊主と辱められ、貶められる位でないと、末通ったまことの後世者にはなりがたいものじゃ。又いわく。多くの人は聞くに心をつくさで、心に心をつくしているものばかりじゃ。

四二  稻葉の妙慰いわく。この心はどうしても、ちよっとも、きいてくれぬと云うことの知れるまで聞くのじゃ。また或人いわく。ちよっとでも仏法の水につかっていると思うたら間違いじゃ。

四三  長松いわく。地獄へ堕つることを何とも思わぬ凡夫心じゃ。地獄のことが出ると笑い出す。  山中霊城いわく。地獄と聞いても何ともなし、極楽と聞いても何ともない、この何ともない心を助けるぞと仰せられる。

四四  明信老人いわく。この心は飼いばなしで法を聞くばかりじゃ。

四五  宮川の妙仲、他人来りて、胸の晴れぬを語るとき曰く。如来樣は御急ぎじゃぞや。彼尊は真に御いらだちじゃぞ。このまま南無阿弥陀仏といただくのじゃ。

四六  江州山田の長安寺、世間の用事を兼ね明信老師を訪ね、一言の御示を願いたり。老師は破れたる法衣を纏い奧の間より出て来り、両手に仕事はできぬと、一言いわれたるまま奧へ這入て再び出でられざりしと云う。其後、長安寺は自身の求道心の薄かりしことに心付き、専心に聴聞せられしと。

四七  香樹院講師に問うて曰く。往生ほどの大事を持ちながら貪欲瞋恚にほだされ、愚痴なことを思うて居りますが、是は往生の障にはなりませぬか。師の仰せに。是はやめとうてもやみはせぬ。この身を土にして仕舞わねば已まぬ。是れ凡夫の癖なり。

四八  明信寺のいわく。我機の方はさっぱり忘れて彼方の五劫の御念力が我心になってみれば心底から楽しまれるばかり。是れを深くたのむと云う。

四九  同師の仰せに。善知識の御化導を御註文の如く思い、教の如くならんとしても、それはなれぬ。喩えば鶴や船で形を折って小供に与える時は、暫く眺めておって直ぐ解く。やがて元の如く折らんとするも出来ぬゆえ泣き出す。今もその如く仰せの如くならんとするも金輪なれぬ。ただ仰せのままを聞くばかり。

五0  或人、私は助け給えとたのめと仰せらるる御言が何となく気につかえて頂けかねます。明信寺これに答えて。それは我身の居り場を忘れて聞くゆえなり。もし深山に踏み迷うて日は暮れかかる、今夜は狼の餌食となるより致方はないと心苦しく思うとき、一人の人が来て、自分がつれて行こうと云わば、その人を底気味悪く思いながらも、なにとぞ誘れ出して下されと縋るであらう。これ現今死地へ陥りたる身なりと思うがゆえなり。いわんや大悲の親樣の仰せを知らせていただき、たのめよ、すがれよと勧めたまう御言においてをや。又曰く。後生たすけたまえの御言にこまる位の聞き心では、たとい千年聞いても本願に帰する時はなかるべし。

五一  又或人の尋ね。『後生たすけたまえと思うこゝろひとつにて、やすく仏になるべきなり』とのたまうが、せめて念仏百返せよとでもあらば、さてもと受けられるべきに、あまりに篇もなきように思われて受けられませぬ。明信老人の答え。多くの兒童に玩具を示して欲しいものに与えんとするとき、その中の一童があれは虚偽ならんと分別して〈私欲しい〉と云い出さぬとせよ。さればこの子は貰うことはならぬなり。これ望みの薄きがゆえなり。くれ手ではわけへだてなく回向る品なれば、欲しいと云うものへは皆与えらるるなり。  よくよく我分を考うべきことなり。

五二  香樹院師、越後吉田の同行に対せられ。その方はまだ無明の病が分からぬゆえ、聴聞で御助け引きつけて喜んで居るが、後生大事の思いで精出して聞き聞き念仏申すと無明の病が出てくる。その疑破って下さるるが御化導の御力じゃ。

五三  明信老人いわく。そう何時までも聞いているのが善いことではあるまいけれど、長う聞かぬとろくな聞きようも出来ぬ。

五四  伊勢藤村藤七いわく。一日も御化導は離れられぬ。或人いわく。それでは何時までも決定の時はないか。藤七曰く。早く領解して気儘に暮らしたいと云う、その心根がにくたらしい。

五五  香樹院講師いわく。耳に聞く時ばかりが聴聞ではない。寝ても醒めても彼尊の仰せを思うが聴聞なり。よこしま心を止めて教を思うなり。彼方の助けてやると仰せらるることばかりを思うなり。

五六  竹内こう女いわく。聞けば聞くほど、聞きたらぬばかりで、心は安穏じゃと常々申されたり。  或人いわく。この一言の中に聞えここちと、聞きごこちの二あり。

五七  或人いわく。聴聞で聴聞がすたる。聴聞してみると聴聞の功ではいかぬと云うことが知られるなり。起きてみねばもはや腰の抜けてあると云うことも知れぬなり。

五八  明信寺いわく。聞こえたで、もうよいと云うことではない。私の方は忘れてもあなたの御心が我心になってみたなら忘れられまい。今手を組んで真逆に堕ちるこの私を、聞きうる一つで助けて下さることが本真に御受けが出来たら、どう忘れられよう。ここ一つを能く能く聞くのじゃ。善知識の御慈悲のままが我が領解になるのじゃ。

五九  悦淨師いわく。淨が世に生れしは何の為ぞ。寺相続の為ならず、御堂再建の為ならず、同行教化の為ならず。是等は皆序なり。唯仏にならんが為なり。序の事に身を入れてその事忘るる身こそおかしけれ。

六0  小川謙敬、香樹院講師へ申しあげて曰く。私は慚愧して念仏申すばかりで御座ります。師曰く。腹からの慚愧かしらん。口先ばかりの慚愧ではなきか。心底から、やれ愧かしやとなったは如来様の御廻向なり、と。

六一  又師、岡崎御坊にて御法話の後、尼講の面々がお礼に罷り出で〈有難う御座ります有難う御座ります〉と、申しあげたれば仰せに。無明の大病をうめて置いてありがたいありがたいと云うているのか。

六二  讃岐庄松いわく。御慈悲御慈悲とおっしやるけれど、聞いた御慈悲でおちこむぞ。

六三  楽信院大量師の入信心得に曰く。
一。人多く仏智を向こうに置いて信じにかゝるゆえむつかしく、退いて自省すれば願生の心即欲生の喚び声の届きたる他力の恵なり。
一。人多く弥陀は只後生のみを助ける仏と思うゆえ大悲が信じがたきなり。
一。人多く弥陀の法界心を知らぬゆえ危く思う。これ論主の十字号を示し給うこころをうるにあり。
一。人みな説教を聞きに参るのみ。助け給う仏祖の御召出しに預るを喜ぶ人なし。故に法義者のみにて信仏者なし。

六四  大量師は一蓮院秀存師と道交浅からざる間なりき。大量師、かって京都岡崎に住し給いしとき、出離に望み厚き同行ひきもきらず尋ね集り、一時は頗る盛んなりしと云う。秀存師このことを聞き給い、大量師が自身の出離を忘れて聞かせ屋となれるを誡めんとて、一日大量師を岡崎の居に訪ね給いしが、やがて秀存師自ら気付かせられ、聞かせ屋とはわがことなりとて一言も言葉をかけられずして、そのまま帰り給い、それより後は一入御自身の出離に心掛け給いしと云う。

六五  大量師より一蓮院師へ。
むらさきの雲におひをかけながら  ねがふこゝろのいとうすくして
大量師への返歌に。
むらさきもしろきもいはずわれはただ  むらくもながらおくらるめやも。

六六  徳母院良雄擬講師信後の心得一概すべからざるに就き、十二條を挙げて曰く。
一。信を得たりと思う機に信を獲得したる人もあるべし、又未安心の人もあるべし。
一。信ずる一念がたのむ一念、たのむ一念が信ずる一念なりと心得たるに正義有り、不正義あり。
一。疑いなきは信なりと心得る機に正義あり、不正義あり、
一。後生たすけ給えとたのむが信心なりと合点したる機に自力あり、他力あり。
一。後生こそ一大事なりと思う心、信前にもあり、信後にもあり。
一。かかる浅ましき機を御助けと信ぜられたる人にも歎く機あり、喜ぶ機あり。          一。懈怠いかがと嘆く機に未安心あり、自力あり、他力あり。
一。一念も歎く心なくよろこぶ機に邪見あり、自力あり、他力あり。
一。かかる浅ましき機をたのむ一念に御助けと信ずる機に正義あり、不正義あり。
一。信後の思いに住しながら慚愧懺悔する機に自力あり、他力あり。
一。念仏は申さねばならぬと励む機に自力あり、他力あり。
一。報謝の経営励み勤むれば快く、怠れば心地悪と云う機に自力あり、他力あり。

六七  伏明師の随筆に曰く。
たのむ一つで参らるる「--大経--善もほしからず。」
罪は如何ほどふかくとも「--観経--悪もおそれなし」
それに違いないとの証「--小経--右の請合なり。」

六八  又同師の歌の中に。
うれしうもまたかなしうも思はする  欲のきつねが人をばかして。
世の中は唐臼拍子にさも似たり  うれしがつたりかなしがつたり。

六九  香月院講師いわく。そなたの安心は、間違うていると、たとい三歳の子供が云うても、どこが間違うてると争うはよろしからず。いつも、ただ間違いどうしの私をと信じたがよい。

七0  同師へ或人の尋ねに、私は聴聞のたびごとに決定するように存じます。  仰せに。それが有難いことじゃ。変わるのなれば悪いが決定するのなれば、ありがたいことじゃ。又申しあげて曰く。私を御助けに違いないと決定いたしてございます。聴聞するほど御助け下さるることが聞きとうござります。仰せに。何返寺へ参りて御助けと云うことを聞いても御助けにちがいないと決定したのがたのんだのじゃ。

七一  悦成師いわく。御助けは助け手の御手柄にあり。行者はられるなり。そのられての機は十悪五逆と女人、さて助け手は五劫永劫の御手数なり。られては楽なものなり。助け手の難儀思うべし。られては唯仰せの勅命をはいはいと聞きうるばかりなり。られてどうなるなれば往生を遂ぐるなり。我が思いや我が称えぶりで往生遂ぐると思うに非ず。助けられて往生を遂ぐると信ずべし。

七二  教信同行へ或人尋ねて曰く。このままでござりますか。教信いわく。このままの御助けと聞いて覚えたばかりでは淨土参りはならぬ。とてもたすかられぬとよくよく思い知れたが凡夫の木地のみえた所で、それをそれなりで助けてやらうとある御慈悲じゃ。我が身を顧ればこのままより外はない。香樹院講師いわく。如来の御思案はこの私が助かられぬ後生と云うことをききつけさして下さるなり。

七三  如説院惠劔講師が記録に載せられたる自督帖。
一。ここに愚老、当年満七十歳の懺悔あり。当年までも自分の信心の真偽は己を顧るほかなしと、謹みて相心得ておるおると思い暮せしが、近頃無始己来の初事に真の善知識の御実意がこの心中に徹入なし下されたるにや、創めて自ら己が不埒の心中が思いしらるる。 二。幼年の昔、弥陀の本願は我をたのむものを必ず助けんとある御誓なりとききて、我が心に徹到して有難く、かかる浅ましきこの身が如来の御助けによりて極楽に往生するとは、さてさて有難や南無阿弥陀仏と喜び称えたるばかりなり。
三。然るに大祖聖人板敷山の件、幼稚の時はこのこと聞くにつけても憎さも憎しと腹立て、或いは落涙に堪えかね、妄想ながらも我が一年分の報恩のために報償せんと思いしに、一年は一年その妄想も薄くなり、幼稚のすがたにもならばやと次第に昔恋しく思いしが、四十は四十、五十は五十、七十は七十、と年とるに随いて訳は委しくなれども内心の実情はうせはてたる有様、まことに浅ましくなり下りたると云うより外なし。
四。獲信の一念より報謝相続して臨終一念の夕にはかならず往生せしめ下されなば不可思議に有難たかるべしと領解して喜びくらすゆえ身一杯心一杯と思えども、その身一杯心一杯が煩悩具足の凡夫ゆえ、まことに喜びもせねば称えもせぬといわれても、一言の申し訳もなき恥かしさは我が身なりと、七十歳の今日まで相続し来たれり。
五。しかれどもこの心相続の相は千変万化、ある時は仏恩の忝なきことを存じ、師恩の深きことを思いては歡喜の涙に咽び、雨涙千行万行することもあり。ある時は口に称名すれどもとどまらず、妄念頻りに動きて仏恩も師恩も夢だにもしらざるもののごとくなる時もあり。またある時はかく前後転変する心何ぞ淳一相続の心ならんや、これぞ若存若亡の心なるべしと歎かるる時もあり。またある時は、かく前後転変すと云えども如来廻向の一心はこの中に歴然たりと聊か動することなく称名することもあり。種々無量にしてツイに七十歳を送れり。
六。就中、踊躍歓喜の心相の起ることは甚だもって希に、後世者にはあらざるやと怪しまるるの心はつねに多し。ことに年老の長ずるに隨いては、ますます疎略の相となりはてたるに似たり。浅ましと云うもおろそかなり。
七。かく心相は種々に転変すと云えども口称の念仏は転変するものにあらざれば、他力の往生は違うべきことなしと喜び存じて一生これまで送り来たれり、然れば有難いかなや他力の信と行とは幼年の昔よりすでに獲しめ給えり。この身なれば今にも臨終せば決定往生すべきこと何の疑いあらんや。その他力廻向の信行は如何にして得たるや。これひとえに真の善知識に逢い奉りし恩徳のあらわれなれば、その恩徳の深きことは、まことに弥陀の悲願にひとしきものかと常に厚く頂戴して、粉骨砕身すともなお足らぬと、尊慮に違わぬ様つつしみつつしみ年月を送れども、報謝の勤め勇ましきすがたもなく不冥加の心中と謝りはてて日を送り来たれり。

七四  皆往院講師曰く。総じて真宗の同行は念仏の称えようが足らぬ。称えねば極楽へ参られぬと云う自余の淨土宗の自力の人さえ、数珠爪繰りて百万返称える。今家の安心は一念の処にて往生定まる嬉しさに称うる念仏なれば、自余の淨土宗よりももうちっといかいこと称えねばならぬのに、坊主を初め報謝の称名を万人講の帳につくように思うて居る。三文でも善し十文でも善しと云うごとく、一念帰命で往生はしてやりたが報謝の称名は志次第じゃと思うておる。申そうと思うてさえ称えられぬのに申そうと思わずに念仏が称えられようか。名聞にも称えられようぞ。念仏は人前ばかりではない。夜の寝覚にも朝起きる時にも、一念帰命の信心一つで助けて下さるると思うたら、その嬉しさに念仏は称えられねばならぬ筈じゃ。

七五  寶景師、大井川、川止めの節、遠州の同行へ遣われし文。なんにもいらぬ、念仏するばかりで御助けり。念仏するばかりではあまり易いと疑うものがあるが、易くしてくれたのじゃ。念仏するばかりで助かるが願力の不思議と云うものじゃ。まだ疑うもの故『弥陀経』に諸仏が証拠に立ったのじゃ。念仏するばかりで御助けぞと知りたが、それが信じたのむのだや。それを『御文』に、ふかくたのめと仰せられたのじゃ。信ずると云うも、たのむと云うも、念仏するばかりで願力の不思議で御助けぞと知ることじゃ。根機のよいものはたんと称える。根機の薄いものはちっと称える。我根機次第に称えよ。御助けに間違いない。在家にはむつかしきことは云うな。念仏すべし。

七六  香山院講師いわく。うたがい、はからいなく願力を深く信ぜよとすすめ給うが祖師・覚師の御すすめ。蓮師の御代に至りては、もろもろの雜行雑修をなげすてて一心一向に後生たすけ給えと弥陀をたのめと、すすめ給う。その御言葉のふり一転したるようにこころえられて、心底よりこころよく領解受得して、げに祖師以来の正意をかかげて愚夫愚婦のためにくわしく示したまいたと心得るものはまれにして、ややもすればひそかに口称をつのり、或はたのむとのたまう言葉において種々取捨会通を設け、或はひたすら蓮師の御言葉において確執し、つのりを生じて、祖師・覚師の御すすめに不足未尽の心を生ず。みな過不及の誤なり。

七七  或人香樹院講師へ申し上げて曰く。こんなこころではと云うこころが、はなれられませぬと。  仰せに。その心だからよく聞くと、その心目当てに起こして下された御本願じゃ。

七八  長松いわく。五十年の聴聞脊中に負ひねて、地獄丸裸のなりで、御大恩が喜ばれます。不思議な事でござります。

七九  香樹院講師いわく。『御文』の我身はわろき徒者なりと思いつめてとある、思いつめると云うことは如何に思いつめるのか。これはもう少しも相手にならぬこと。よくても悪くても目をかけず、とんと相手にならぬ事を云うのじゃ。

八0  伏明師いわく。法然聖人は世間の人にまぎれて念仏して淨土にむまるると。蓮如上人は信心の人にまぎれて地獄におつるが悲しいと。

八一  或人、一蓮院講師に私は年をとりまして三毒はいよいよ手強くなりました、これはどうしたことで御座りましょうと御尋ねしたれば、仰せに。若し三毒がなかったなら極楽へ参っても、三光かけた片輪な仏になるであろう。

八二  参州のおその曰く。何もかも向うからじゃ向うからじゃというておるのは違いますげな。いうておらぬでも何もかも向うさまからじゃげな。

八三  或る人、香月院講師に向かい、恐れながら私の領解を御聞き下され、此間さる同行が私の信心が違うていると申されまして、それを聞きましてから、心の置き所が御座りませぬ、と申し上げたれば、仰せに。それを何の案じることがある。本願が違うたというではあるまい。聞きようが違うたというのであろう。違いどうしの私をと信じたがよい。

八四  稻葉の妙意いわく。私が忘れるで彼方が忘れておくれぬ。私がはなれるで彼方がはなれておくれぬ。私が思わぬで彼方が思いずめにしてくださる。

八五  慧空講師いわく。歓喜の心すくなきを歎くは信心の色なり、法の命なり。喜びても喜び足らぬと思えばこそ信心は相続するなり。このこころのなからんは多くは安堵懈慢の人なり。安きにいて危きを忘るるなかれ。

八六  香月院講師いわく。わが機で落ち付かるることではない。我方で安堵することではない。善知識の御化導の確かなことを聞いて。それで落ち付くことじゃ。よく聞いて安堵することを、御開山は、帰命とは本願招喚の勅命なりと宣う。とかく聞いて起る信心とあれば、よくよく念には念を入れて精出して聞け。  また同師の仰せよう。ぬけ出た有難いものにならないでも阿弥陀様はよう御助け下さるる。

八七  一蓮院講師いわく。どうもなられもせぬが、微塵ほどでもどうかなられたということあらば他力は立たぬ。そのまま助けられて、永劫の手柄を弥陀にさせてくれよと仰せられるわい。

八八  栗尾太助いわく。いかほど上手に聴聞しても、領解の仕上げはどれだけ立派に出来ても、此機は落ちねばならぬ。この落つる機に御助けの法は離れてくださらぬゆえ、いやでも御助けは免れられぬそうな。

八九  江州新井の妙慰、香樹院講師へ、どうも私は信ぜられませぬ、と申し上げたれば、師の仰せに、今だけなりとも信ぜよ。後の事は構うことはない。

九0  伊勢の信道いわく。間に合いそうな心が起こったら、直ぐに捨ててしまえ。

九一  一蓮院講師いわく。勝つに骨折るが憍慢、負けるに骨折るが仏法なり。

九二  皆華院講師いわく。どこまでいっても、弥陀にたすけられて往生するぞと信じて念仏する外なし。蓮師におうても、祖師におうても、法然上人におうても、釈尊におうて聞いても、それより外のことはない。若し釈尊の御言葉に嘘があったら、どうするぞ。そうじゃ、三千年も続いたうそなら、嘘でも尊い。いわんや如来如実の金言をや。

九三  香月院講師、水井吉良右衛門等に対しての仰せに。そちたちのように参るものは、とにかく善い者になりたがってどうもならぬ。善い者にならぬようにしたがよい。永井氏いわく。善い者とは思いませぬ、よくよく悪い者と思います。師の曰く。善い者にならぬので仕合せじゃ。内に遊んでいて参らぬ者を見ての心得を、いうて聞かせるのである。参らぬ者は、そちたちよりは百倍善い者じゃ。如来様の御本願はそのような御手の廻らぬ御本願ではない。悪人正機と云うは、正機というは、いっちの正客ということじゃ。参らぬ者は善い者じゃから、後え御廻しなされて、そち達のように百倍悪い者を捨ておいては、我淨土へ引きつけられぬと思召して、御念力で、いっち先え御引きつけなされて下されたのじゃほどに。さよう心得たら、我身の悪さを知りて、御恩を尊ぶように心掛けねばならぬぞよ。

九四  或人香月院講師に向い、お助けに間違いないと決定いたしましたが、どうもありがとうござりませぬと申しあげたれば、師の仰せに。仏はありがたい心がほしくば、どれほどでもやらうと仰せられる。しかしながら貰うて何にすると仰せられたらいかがするぞ。

九五  長松いわく。信を得たらありがたい者にならうと思うたら、我身の悪さがありだけ知れました。

九六  皆乗院観月嗣講いわく。皆人の知り顔にして知らざるは死ぬる事、知らぬふりして能く知るは色の道なり。三界火宅の中に喜戲して驚かず怖れず。今日すでに過ぎぬれば命隨うて減ず。歩々念々死地に近づく事、屠所の羊、少水の魚の如し。ここに何の楽かある。一息かえらざれば、最愛の子もおそれを生じて床に近よらず、重恩の眷属も臭気を厭うて野辺の送りを急ぐ外なし。

九七  惠琳講師ある病僧に遣わさるる消息。 弥陀の本願ともうすは名号をとなえんものをば 極楽へむかえんと、ちかわせたまいたるを、ふか く信じてとなうるがめでたきことにて候なり。一 向名号をとなうとも、信心あさくば往生しがたく 候。されば念仏往生とふかく信じて、しかも名号 をとなえんずるは、うたがいなき報土の往生にて あるべく候なり。  右、祖師聖人、有阿弥陀仏へ賜わる文の御言なり。三部妙典の肝要、三朝列祖のすすめ、この数語につきずと云う事なし。余深くこの語を事とす。故にこれを書して送るのみ。命かぎりあれば、やがて証得しつる往生のことわりあらわれて、勝縁勝境悉現前を楽みて、かの覚信坊の様にはんべれば目出度事なるべし。あなかしこ。半座をとどめて、この芳契を忘るる事なかれ。

九八  明信寺いわく。法はもと凡夫を活仏にする活法なり。信心は嬉しや有難やと渇して甘露を仰ぐごとく、よりかかりよりすがる活きた心なり。

九九  伏明師いわく。世間において頼むと云うに二つあり。一つは己が望むことを適えてかかること、二つは己が望むことを適えてもらうこと。この二つを平語に云わば、どうか御頼み申しますると、さようならば御頼み申すとの二つなり。この二つの中、初めは難也、後は易也。

一00  同師瓢の絵に題して。
はかなきは人間一生酒一升 あるかとすればやがてなきかな。
またの歌に。
柿を見て家事の苦労もいとはじよ しぶさまさればあまさまされり。

一0一  或人、一蓮院講師に問うて曰く、恐れながら、あなたの御安心は如何でござりますかと。  師の仰せに。おれの安心は七五三の楷のようじゃ。あちらえふらふらこちらえふらふら。しかし元締めが丈夫なで、落してはくださるまい。

一0二  江州の与市いわく。賭博打と後生願いとは、凝れば凝るほど裸になる。

一0三  ある信者いわく。仏法と相撲とは、上手と組み合わねば所詮がないぞ。

一0四  惠空講師曰く。諸仏には種々の簡びあり。故にこの方より付きまわって勤める。誠にさこそありぬべき。我等は仏の方よりつき添わせられ、上根も下根も共に追いまわして助け給う。

一0五  江州のおかる、老後耳が遠くなり、説教の座に出てても、聞こえかぬる樣子ゆえ、ある人気の毒に思い、おかるさん、聞こえたかいといえば。はい、御法話は半分ばかりより聞こえなんだが、如来樣の御喚び声は、よう聞こえた。内に居ても聞こえどおしで嬉しうござる。

一0六  或同行、香月院講師に申し上げるよう。私はもう、天が地となり地が天となる例はあるとも、御助けは一定と確かに信じて居ります。師の仰せに。そんなに確りならずとも、阿弥陀様はよう御助けくださるぞ。この御諭を越後の貞信尼、参州の同行より聞きて、一蓮院師に申し上げたれば、もう一度聞かせてくれ聞かせてくれと、三度まで仰せられ、兩手拍ちて喜び給いしと。

一0七  或人香樹院講師へ御尋ねして曰く。これ仕損じては、もう取返しはないと云う心が常に起りますが、これは、往生の障りになりませぬか。  師いわく。それは往生の障にはならぬ。よくよく心得ればかえって喜びを増す種になるぞ。

一0八  或人、江州大浜の吉右衛門の婆さんに遇い、胸のもやくやを話せば、私もそうじゃ、澤山あるが、そのまま積んで置く、天にもとどくだらうと思う。それをどうするかと尋ねたれば。何をいうぞい、今死んでゆくものが、そんなものに相手になっておらりょうかい。

一0九 香樹院講師いわく。助かるか助からぬかの案じげなしに、我をたのめの仰せじゃぞ。

一一0  伏明師いわく。妄念は客の如し、念仏は主人に似たり。家の内に主人だにいなば、たとい悪しき客なりとも、みだりに不法の事はなすまじき也。強いて妄念をとどめんとするは、悪しき客と争うが如し。いとわずらわし。争わざるに如かず。世の諺にも、さわらぬ神にたたりなしとや云うめる。されば兎角かまわぬが手にて侍るなり。此の意を行仙上人の歌に、
あともなき雲に争う心こそ なかなか月の障りなりけり。
と詠ぜり。これ相伝の口訣なり。

一一一  また同師の曰く。なに事も報謝と存ずべき也。婦の夫に仕うるも、子の親に事うるも、親や夫の恩を報ずるのなりと思えば、夫や親が喜ばずとも腹はたたぬ也。阿弥陀樣に向うて、なにの暇ありてか外のことを思うぞ。ただ御恩報謝と存ずべきなり。  師の歌に。
親のもの子のものなりときくからに  弥陀の功徳はわが功徳なり。

一一二  知道師いわく。自性が分らぬ。自性の分るまで骨折つて聞け。自性が分からぬゆえ、聞こえたようでも、又法が崩れる。  同師の歌。
よしあしのきのかいかぶりやめにして つぶしみこんだ弥陀にうりこめ。

一一三  香山院講師の手記に載せられたる香樹院講師の話にいわく。よくよく我胸抑えて見れば、我胸がどうやら薄暗いやうで、手強き人の傍へ寄りてみれば、いよいよ参らるる身とも思われず。それならば地獄へ落つる気かといえば、敢て落つるでもなし。ほんに中ぶらりとして居る心中。只まだ死ぬまい死ぬまい、此分ではすまぬ事じゃが、そのうちには有難うなられよう杯と思うて死ぬる死に際にはと思うておるは甚だ危ないと。香樹院講師御言を添えて曰く。道は少々まわりても、欄干附の橋を渡るべき事なりと。

一一四  同手記に曰く。各や我々は欲を起す時も心の底から起す。腹立つ時も心の底から立つ。ただ仏法聴聞のことになると、ほんのうわべで聴聞しておる。煩悩を起すほど心に染みたら、いつの昔に信者になりているであろう。その心に染まぬが業障のなしわざなり。

一一五  永元寺教道師の『百條法話』に曰く。以前は煩悩にさえられて御恩を忘れたり。今は煩悩に助けられて御恩を喜ぶなり。

一一六  松林了英子、伏明老師の門を辞して帰国せらるるとき、
師のよまれし歌。
阿弥陀仏のちかいしなくばいかばかり  今日のわかれはかなしかるらむ。
又万里咫尺の意をよみて、
信ずればいのち一つをへだてにて 淨土にちかきこの世にぞすむ。

一一七  長松いわく。私は一生地獄の釜底で聴聞がしてゆきたい。

一一八  江州半六の母、常に何故だらう何故だらうと云う。何がと尋ねれば、こんなものに、こんなことが聞こえたのは何故だらう。

一一九  ある同行、三河のその女に、おまえの御信心を聞かせて下されと頼みしとき、その女いわく。  私は愚かな身の上、御信心の御安心のというて、確な領解が胸にあるような私ではないけれど、如来様が、おその、愚かで信心も得られぬか、その信心が得られねば淨土参りはならぬ、地獄へ落るより仕方がない、その仕方のないものを、おその、そのまま願力の不思議で助けてやる、と仰せ下さることが嬉しうござりまする。

一二0  尾張の幾助、京都へ参詣の途中、江州彦根にて磯の与市の野菜を商えるに逢う。与市いわく、嗚呼うらやましや、わたしはかような淺ましい日暮しでまことにお恥かしうござります。さきの同行自分の胸を指していわく。ここさえ明るければよいではないか。与市いわく。私はなあ、そこは明るうても暗うてもかまわぬ。

一二一 海東講師いわく。たのませて助けんと計わせ給いたる摂取の先手より、御助け一定の後手があらわるる。弥陀は先手、行者は二の手。このことわりを忘るべからず。 一蓮院講師いわく。強き碁うちは二十手も三十手もさきが見える。弱き碁うちはさきが見えぬ。われらは弱き碁うち也。阿弥陀様は強き碁うち也。

一二二  威力院講師の遺訓。 『和讚』に、子の母を憶うが如くにて、衆生仏を憶すれば、現前当来とおからず、如来を拝見うたがわず、とは、弥陀をたのむ行者、稚な子の母を念ずるに喩えたり。これに十喩をもつて、その趣きを示すべし。
一。稚な子は無分別なるを、他力の行者の自力の思慮をはなれたるに喩う。
二。不淨を知らざるを、煩悩悪業に目をつけざるに喩う。
三。清淨を知らざるなり。信者よき心起ればとて、これこそと高ぶる心なし。
四。母に物を参らせて気に入らんとおもねるこころなし。他力の行者は、まいらせごゝろなし。
五。余人を慕うこゝろなし。一向専修の行者は、余仏余菩薩へ追從のこころなし。
六。母を慕う如く、弥陀一仏のほか余念なし。
七。母を思い出す如く、弥陀一仏を憶念するなり。
八。母を慕うて泣くごとく、称名の声を出すなり。
九。母より外にたしかなる人なしと思い、ただ一人によりかかり、うちもたれているごとく、地震雷等  の急難にあうとも、弥陀一仏にもたれて余念なき也。
十。もしや捨てられんものと疑うこころなし。弥陀一仏に不捨誓約あり。一度光明に摂取せられし身は、永くすてらるる憂いなし。

一二三  一蓮院講師いわく。改悔出言するに五由あり。
一。爲敬白信受奉行故。
二。爲欲蒙知識批判故。
三。悦豫心中溢言語故。
四。爲激発同座聴衆故。
五。爲慚愧不敢遺失故。

一二四  ある人、香樹院講師へ申し上ぐるよう。信心を得るまでに行ずる行が御座りますか。仰せに。そうじゃ、ある。行とは南無阿弥陀仏じゃ。楽信院いわく。この一言念仏法門をあらわす実教也。『御文』に、「念仏法門」又は「念仏の信心」、又は「念仏修行の人数ばかり」と簡び給うこころこれなり。法門知らずに信心沙汰するは、仏像なしに開眼を求むるがごとし。

一二五  美濃のいや女を京都よりわざわざ尋ね来りし源七なる年若き同行、いろいろ相談して帰るとき、いや女その人を呼びとめて。あにいさん、これから後に、お前さんの胸にこれと云う魂ができたら、御開山の御罰を蒙ったのじゃと思いなされや。

一二六  江州大浜の吉右衛門の老婆いわく。この婆々は一生涯信心がえたいえたいと願いましたけれど、信心与えると、この婆々は怪我すると思召し、とうどう今日まで信心与えて下さらなんだ。まるきり助けられねば参られぬ婆々であったと、御助けに逢わせてもらいました。

一二七  或人、江州木ノ浜の茂平に、私は後生が大事にならぬので困っておりますが、如何すればよろしいか。茂平曰く。大事にならないで仕合せ。後生が真実大事になったら、家も蔵も妻子も棄てて此邊にはおれまい。茂平、後年老耄して友同行の宅へ行き、酒があらば一杯施したまえという。家人なしと答う。茂平自ら井戸より水を汲み来りて飲みながら、是は甘い酒じゃという。家人云く、おまえさんも大分に老呆られたな。茂平忽ち色を正しくして云く。此方はいかほど老呆ても、如来樣は確かで確かでちっともおぼけなされぬで、御助に間違いはない。

一二八  或年幼き僧開悟院講師に詩文の事を語りたれば、師曰く。それも結構じゃが、淨土真宗の僧侶は、詩よりも、文よりも、また歌よりも、南無阿弥陀仏の学問が肝心じゃ。貴公はまだ南無阿弥陀仏の学問が足らぬ。もうちっと南無阿弥陀仏の学問を致されよ。上は三経から下は御文まで皆名号讃嘆の外はない。宗部を学ぶと云うことが即ち南無阿弥陀仏の学問をすると云うことじゃ。

一二九  宣明師いわく。たのむこころが御助けのこころなり。

一三0  鳳嶺師いわく。耳に聴くのも名号、心に受けるのも名号、口にあらわるるも名号なり。  是れ廃立の上の知恩報徳のこころなり。

一三一  長生院智現師心得條々。
一。吾身は悪しき者と思えば、自力は離るるなり。
一。助け給うは弥陀一仏と思えば、雑行はすたるなり。
一。五劫思惟は我ゆえと思えば、凡夫の思案はいらぬなり。
一。永劫の修行は吾ものと思えば、勤むべき行もなきなり。
一。広大のご恩と思わば、喜びは身にも余るなり。
一。今宵も知れぬ吾が身と思えば、後生は一大事なり。
一。棄て行く娑婆と思えば、深き望みもなきなり。
一。やがて淨土の楽と思えば、憂きことも堪えらるるなり。
一。極楽は吾が居る処と思えば、死ぬるもさのみつらからず。                   一。死にたくもないと思えども、命終ればお淨土なり。

後の世を 弥陀にまかせて あらうれし  あしきこころは さもあらばあれ。

一三二  ある同行香月院講師へお尋ねして云わく。他の者が私を、お助けに腰を掛けていると云いますが。師の仰せに、なんとよい処へ腰かけたのう。

一三三  円満寺講師消息。  何れも言申候には、阿弥陀如来に向い奉り、後生助け給えとたのみ奉るばかりなり。こればかりにて極楽へ参るなり。にくい、つらい、ねたましいは、凡夫の習いにて候。心静にならねば往生なるまじきと思うは、ひがごとなり。たとい、思うままに心も靜かになり、夜の明けしように喜び候とても、それは極楽参りの因にはならぬなり。たのむ我心のよしあしによって往生するにあらず、阿弥陀如来の御力にて往生するなり。たのみ奉るは信なり行なり。この上に往生の爲にとて一つも勤べき行なし。この一念のとき極楽参りの因は、みなことごとく出来揃い申候。その上に、仏光明の中に摂めとり給うゆえに、極楽の約束、二度あとへもどることなきなり。此方には念仏申す事もあり、また忘れて申さぬときもあり。然れども、弥陀如来は一度たのまれては、水の火になるとても疑いなき阿弥陀如来なるゆえに、その恩徳を思い出して、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とばかり称うべきなり。これを御恩報謝の念仏とは申すなり。この外法義に就て、これこれの品ありと云う人ありとも、夫は御開山樣の御一流にては御座なく候。よくよく御心得あるべく候。御助け候えとたのみ奉るばかりなり。これ位のかろきことにては往生いかがと疑うは、仏祖をあなづると申すものにて候。ご領解の上には、ただ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と御となえ候事、ありがたきことにて候。

一三四  越前米脇のしほ女、香月院講師へ、まことの信を得たものは、国に一人郡に一人と聞くにつきましても、私は除かれますように存じますが、と尋ねたれば。仰せに。地獄より外に行き方のないものを助けてやらうとある仰せの下に、誰は助からずとも私一人は御助けに預ると決定した思いは、国に一人でもあろう。

一三五  知道師いわく。六字のお喚声、諸仏を証に立てての御請合。つい知れた様なれども、一往二往ではなかなか心ずみもせぬ故に、平生『御文』『御和讚』の御教化大切に頂き、正しき御法義喜ぶ人にもあい、御化導の御手離れぬ様に心掛けられよ。又曰く。死ぬる気になれぬぐるみ、死なねばならぬ身じゃと云うことを忘るなよとの、善知識の御教化じゃ。

一三六  香月院講師いわく。世間には、大方は定散でしまうのに、我等はよくよく宿因深厚にて、本願を信ずるようになりたい。又香山院講師いわく。仏法の玄人が存外定散でしてやられるぞ。

一三七  越前金津、永宮寺の坊守、香月院講師へ。私は本願を信ぜさせて下された身の上を喜んでおりまするに就て、時折あさましい心が起こっても、いよいよこのままながらの御助けと落付いておりまするが、これは我得手に思うて居るのではありますまいか、邪見にはなりますまいか。師曰く。なるほど心中の所は聞こえたが、このままながらの御助けと云うことを、今迄は此方からなりにかかっていたが、今はなりにかかることではない。いよいよ助かられぬものじゃと知らされて来たこのままならば、案じることはない。

一三八  一蓮院講師いわく。なんとどう云うて聞かせても、わからぬ、聞えぬと、実の信心得るまでは機に落ち着かぬものがある。それはまことにありがたき事じゃ。

一三九  或人、一蓮院講師へ聞くほど楽なことで御座る、と申し上げたれば。仰せに。さうじゃ。如来様が助けて下さるで楽な事じゃけれども、ご報謝まで楽になってはならぬ。ご報謝は誓を立ててきばるのじゃ程に。なんでも、己れやれと、きばるのじゃ。

一四0  伊賀の三左衛門いわく。領解すまして気ままにするならば、聞かぬ昔がましじゃもの。

一四一  陳善院いわく。今ごろ法義者と号する人々、高声に念仏に節を附け、或は訛りを入れ、人の心を動かすように唱え、猥りに落涙などし、人目に見えて後世者仏法者と見ゆるようなるは、『御文』の深く表にあらわさざるを誡め給えるにそむけり。瓜を作るにも心を止めることあり。蔓延と枝葉ばかり茂りては、果実に精菜充たずして宣しからざるなり。念仏もまたかくのごとし。外現とて外にあらわれし芽を止めざれば、内心は浮き浮きなり。よくよく心得べきことなりと。

一四二  宣明師いわく。たのむ一念に往生は定まる。聞其名号信心歡喜。六字の名号が拠となる。南無はたのむこころ、阿弥陀仏は助けたまう由なり。その六字何処にある。向いにあるならば疑いになれども、この我等が邪見な口より南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と称うるが証拠なり。たのむ一念の時は知られぬ。現に兜率にある弥勒は、人壽百歳の時、貝多利耶如来になる。弥勒も知らぬ。世界中に知るものは唯弥陀一仏。我心には知られぬ。仏ばかりなり。口に称うるは往生の定まる驗しなり。

一四三  越後の国、三條御坊にて法事の際、福順寺円輪師、参詣の帰途にて逢いし青草屋のよし女に、その方は今日参詣したか。女曰く、はい参りました。師曰く、郡集で聴聞も出来なかったであろう。女曰く、ようよう縁の端まで上がりました。師曰く、それは詮ないことであつた。女曰く、いやいや聴聞させてもらいました。大勢の御僧様が不取正覚不取正覚と呼んで下さるのが確かに聞えましてうれしうてうれしうて、いよいよお御助け下さるると知らして戴きました。師歎美して曰く、予は御経を読誦ながら御経を聞かずにいたに、そなたは御経を聞いたなあ。

一四四  香山院講師いわく。思い切りて、仏はよもや地獄に落し給うまじという憍慢をやめて、聞其名号の教えを受け、信をとらんと思うべし。

一四五  一蓮院講師いわく。たのむのがこうじゃ、信ずるのがこうじゃと、あまり云うは却って理窟におちる。如来さまが助けて下さると喜ぶのが、いちばんありがたい。

一四六  先達て其御地水難の由承り及び候。誠に前代未聞驚き入り候。家蔵を損じ、田地を失いしことは如何御引受なされ候哉。かかる時は後生どころでなしと捨つるも、これこそ後生処なりと取るも、面々の心中にあるべき事にて候。無始以来眠りの目のさめざるを、仏菩薩の善功の方便にていぶりおこして給わる此度の洪水ぞと知るは、実に尊きことにて候。いつも常住と油断せし半日を待たずして、不定転変の相をみせしめ給うは、ここぞ後生処なり。世間の気の毒は仏法の薬なり。比叡山火災の節、山王権現これを悲しみ給うべきに、火災に付き菩提心を起せしもの一人有之候とて、権現大いに喜び給いしと聞く。然れば今度も水難によりて仏法に取り付き、後生こそ一大事なりと知りつつ、ふかく本願を信ずるもの一人なりとも出来せば、如来聖人は御滿足に思し召さるべく候。夫をかかる時は後生処でなしと捨てんは悲しきことなり。家を損じ、宝を失い、是ではならぬならぬと苦しみ苦しみ、命つきて地獄に墮せんは苦より苦に入るなり。後生処と取る時は、此世の事は皆宿世の約束と知るゆえさほど苦しきことなし。三途の大河を此世でみせしめ給うことの難有や。今にも死ねば是にまさりし恐ろしき事にあうべきを、仏の御慈悲に助けられて極楽に往生せんは尊きことなりとせば、楽より楽にうつるなり。悲しきに付ても叶わぬに付いても、何事に付いても喜び多きは仏恩なり。いよいよ報謝の称名油断あるまじく候。    戌七月 光明寺   草津御同行中

一四七  三河の長松、香月院講師に、信心決定の人に紛れて往生を仕損ずるとある御教化は、いかが聴聞致す事で御座りますかと尋ねたれば。師いわく、信心の人に紛れると云うは、我等のことであらうぞいのう。長松いわく、さてさてありがたい、彼方様がかく仰せられて下さらずば、此の長松は我が計いで紛れぬようにして参らうという奴じゃに、紛れたる此私を御助けぞと信ずると云うことは、ありがたいことで御座ります。

一四八  能登霊城師いわく。愚痴な爺婆がこんな浅ましい私を御助けで御座りますると喜んでおると云うは、即ち『御本書』六巻の總結、三経七祖漢和の聖教三十九部の仮名聖教、正信偈、和讚、御文の至極する所は爺婆の安心に摂まる。こんなものがと云うが観経の機の真実。御助け下さるると云うが大経の法の真実なり。間違いないと云うが弥陀経の証誠護念なり。

一四九  明信寺いわく。五十年の間に聞きとどけたならば大仕事ゆえ、遂には聞き取らせ下されんと思うておる故聞こえぬなり。しかし聞く気のない者や、法を軽んずるものよりみればよし。まづ一念と云うは仏短命の衆生をあわれみて誓い給えり。故にとりつめて聞くべし。

一五0  香月院師へ長松のお尋ねに。御助け下さるに間違いないと決定いたしましたが、御礼の喜び様が不足に存じます。仰せに。名号えのぞみてみれば、なにの不足ありてかじゃ。それを私の方で不足のない様に喜ばれはせぬわいのう。

一五一  或人香月院講師へ申し上るには、私は聴聞いたしますほど、一念のところが聞きとう御座ります。仰せに。兎角飽いてはならぬわいのう。一生が間、聞きどうしで参らせてもらうのじゃ。

一五二  一蓮院講師いわく。引き立てても引きたたねば仏前へ出づべし。明信老人いわく。少しにても御慈悲ぞと知れかかりたが聞こえぞめ。

一五三  伏明師の随筆に。
一日たった二日たった三日たった
たったたったとたったいましぬ
たった今おしかけてくる火の車
弥陀たのむより逃げ道はなし

一五四  伏明師その姉政子の嫁せし時書き遣されしもの。
一。生涯いづれ心にかなうこと稀にして、楽はならざるものなり。 但し道にかなうを楽しみとして、いかなることもたえこらえて常に顔色をよろこばしめ給うべきこと。
一。夫にはつつしみうやまうて、しかもうちとけ給うよし。必ずこころやす立し給うまじきなり。年五十に至る迄は、兎角夫の疑念かからざるようつつしみ給うべき事。
一。舅姑は内宮外宮の神ととうとみ、かりにも仰せにそむき給うべからず。また下女杯の舅姑の悪事をつぐるを、喜び聞き給うべからざる事。
一。下はしたはおろかなる者としりて、しかも侮り給うべからず。あわれむ心ふかく、みだりにいかり給うべからず。
一。いかなるはずかしめをも、うけ入れていいわけし給うべからざる事。
一。人のあしきは我が行きとどかぬ故とこころえ給いて人をとがめず、ただ我身をせめ給うべき事。
一。後生は内心にふかくたくわえ給ふべき事。
右の條々心形を改むるかがみなり。朝な朝なこれをかがみ給うべきこと肝要なり。

天保午之睦月     花押

一五五  或人香月院講師へ申し上げて曰く。今日までは同行寄り合いましても、信ずるはこう、たのむはかよう、夫では法体になるの、自力になるのと、沙汰ばかりしておりました。さてさて危い命をかかえながら、そこどころではないとただ誤りはてて、本願が信ぜられます心中で御座ります。師曰く。松蔭の顕性坊の申された如く、渡りに船を得たる時、彼や是やと云う暇はない。まづまづ掴みついてなりとも乗るより外はない。弥陀の弘誓の御船危い命かかえながら爭う所ではない。ただ縋るより外はない。

一五六  同師の仰せに。我が機で落ちつかるることではない。我方で安堵することではない。善知識の御化導のたしかなことを聞きて、それで落ちつくことじゃ。よく聞きて安堵するを御開山は帰命とは本願招喚の勅命也とのたまう。とかく聞きて起る信心とあれば、よくよく念に念を入れて精出して聞くべし。

一五七  長松、水吉へ尋ねて云く。私はどうも一念の下が闇いように存じます。水吉、御まえ樣や、私は明るうなって往こうと云うのじゃわいのう。闇いなりで助けて下される御慈悲があるわいのう。

一五八  或人亀洲師へ。私はとかくに名聞の離れぬ心中で御座ります。師曰く。名聞とは名を知りて体を知らぬこと。喩えば金のないものが金持ちの顔すること。肝心の信心なしにいて、得た顔しておるが名聞なり。しかし世間の病人が薬を呑むときは外へは出ずに内にいる。病気が全快すると外へ出かける。後生の大事はそれとはふりかわり、疑い案じごとの病いのある間は内におるのではない、外へ出で聞かねばならぬ。聞くのが薬ゆえ、病気も治するなり。

一五九  香月院講師病中の仰せに。世間を見るに尼女房たちは皆大いに喜ばれる樣子じゃが、心底より喜ぶのか知らぬ。御伽やく、せん女の御尋に。心底よりとはいかがのことで御座りますか。仰せに。心底よりとは心のそこからと云うことじゃ。

一六0  明信老人いわく。本願を讃めて喜んでいる人は謗るからみればよけれども、信ずるからみれば天地の違いなり。信ずる人は正因となりて往生す。讃めて喜ぶ人は他人に敬われて地獄に堕ちる。喩えば表に火の手がみゆれば鐘太鼓の騒ぎあり。藏の中の蒸し燒きは人の知らぬ難儀なり。誹ったり疑うたりするものは、人がそのままおかぬゆえ、心を翻す時もあるべし。喜んで讃めて、人目にはよく信ずるように見えても、内心自力に止らば人には一生羨まれながら終には堕つる蔵の中の蒸し燒きなり。よくよく心得べきことなり。

一六一  楽心院大量師いわく。娑婆腹では信は得られぬ。娑婆腹とはこの世の好きな事のみ求め、悲しき事、淋しきこと、つらき事の起るを歎く心が娑婆腹なり。後生さえ助からばと思うが後生腹なり。その心となればつらいこと起れば、それを喜ぶ心あり。その故はもしこの世が十分ならば長き後生を忘れて失わんに、かくつらき世界と知らせ下さればこそ淨土の無爲の楽を願う心起りたれと、心づらきことに逢うほど、恥をかくほど人に貶めらるるほど、いよいよ嬉しくなりたるが後生腹なり。娑婆の不仕合せを歎き、仕合せを喜ぶ心にては、日々助けるぞの大悲の仰せを聞きづめにしても信喜の心は起らず。喩えば繋舟を漕ぐが如し。徒の求法なり省覚して聞くべし。

一六二  清九郎いわく。私に金のないのも御慈悲じゃ。如来樣が金もたしてよければ持たして下される。未来永劫の難儀を御助け下さるる如来樣ゆえ、この世の難儀ぐらいはどうでもなされる。私には金もたせるとわるい訳があると見えます。何事も如来樣の御計いなり。

一六三  伏明師の隨筆に曰く。京大融寺円智坊は、初め浪華の人にして紀の国屋亦右衞門という、本家何某につかえて正直なりし人なり。主人それに百両の資本を与う。百両を三千両に、三千両を万両に、万両を十万両にして、それを元の主人にゆづり与えて大融寺に出家して辞世に左の歌をよまれける。
おちてゆく奈落のそこをのぞきみん  いかほど慾のふかき穴ぞと

一六四  江州の武左衞門いわく。既に本願他力の趣き聴聞仕候上は自身の聴聞に引きあてて聞く心持に候、如何。伏明師いわく。それは高慢にまぎれて悪し。ただ我身はなにも知らぬものなりと思いて御聞かせありがたしと心得て聞くべし。今其許の申さるるは我すでに心得顔の分際なり。道宗は「いつも聴聞申すがはじめたるようにありがたい」と申されたり。我よく是迄に聴聞しておるの慢心をさし置き、ただ御聞かせありがたやと云う心になりて聴聞すべし。蓮如上人の「御助けありつることのうれしさよと喜べば、自力にまぎれてわろし。御助けあらうずることのありがたさよと喜べよ」と仰せらるるが如し。一念の時御助けは明かなれども喜ぶものの心得は御助けあらうずることの嬉しさよと喜ぶなり。今迄に安心の趣き聴聞したれども、その上に聞くは我はなにも知らぬ身の上、ただ御聞せ下さるるありがたさと云う心得にて聴聞すべし。

一六五  悦成師いわく。たとい名聞にも参詣すべし。耳に止るなり。左の耳より右の耳へぬけても法味は自然に止るべきなり。されば利養にも聴聞すべきとなり。又曰く。妄念は信後喜びの種なり。

一六六  江州宮川の信女いわく。私はこうしているのが地獄の釜の上に吉野紙引っ張って坐っているのじゃ。これなりで南無阿弥陀仏といただくばかりじゃ。又曰く。私はいつもあなたにうしろむけては口説いているのに、あなたはいつも私の前へまわりては、そのまま助けるぞ助けるぞと呼びずめにして下さるる。

一六七  惠勇師香月院講師へ御尋ねして曰く。私は真実に領解しておるかおらぬかと案じることは信の上にもあることで御座りまするか。師曰く。それがのうてならうかや。この心があればこそ、一生相続出来るのじゃ。

一六八  或人同師へ『御文』の中に「八万の法藏を知ると云うとも後世をしらざる人を愚者とす」と、仰せられたるはいかがで御座りますか。と尋ね上げたれば、仰せに。あれは仏とも法ともしらぬもののことじゃ。左樣なら御寺参りも致さぬ者のことで御座りまするか。仰せに。そうでない。あれは我々のことじゃ。

一六九  玄風師いわく。出要鍋の足三本あり。
一。大事の天上。
一。大力の天上。
一。大劣の天上。
一。後生というは三界を離れて淨土に生まるる
ことなれば以っての外大事なり。
一。弥陀の名号はよくその後生を助くるの妙法なれば以っての外の大力なり。
一。後生を願う衆生は元より造悪不善にして以っての外役にたたぬものなり。
後生を大事と知り、弥陀仏を大力なりと知り、我が身を大の役たたぬとしれば、鍋の三足長短なきがごとし。こゝで安心決定の尻が据るなり。

一七0  江州の九平は、知道師に従いて所々へ参詣をなし、なかなかの厚信者なりしが、ある年の暮、知道師は彦根の法用を済まして帰国さるることとなれり。九平降りしきる雪も厭わず、御一言の御示を蒙りたさに遂に美濃の牧田まで隨従し、もうこれにて御暇申し上げますと、申し上げたれば、師の仰せに。あてのちごうたことを聞くと思え。

一七一  大量師の歌に。
あいがたき法とはしれどこの法を  極難信としるはまれなり
おもふても見る人もなし御仏の  御舌の証はなにゆえぞとも

一七二  長生院智現師いわく。
一。法義をすきこのみて、家職を投げやりに致し、身の上を知らざるものあり。
一。家職が大事なりとて、唯今生を重として、仏法を投げやりにする者あり。
一。法義はよく定まれども王法仁義を欠くものあり。
一。王法仁義はよく守れども法義に疎きものあり。
一。仏法は能く聴聞すれども、報謝の勤を投げやりにするものあり。
一。参詣も能くいたし、念仏も暇なく申し、報謝の営みはあるようなれども、安心の筋不分にて、或は異安心に陥るものもあり。
一。安心筋報謝は欠目なくいながら、御本山や師匠寺へ随分相応の懇志も運ばざる人あり。
一。懇志取持ちはよくいたせども、御法義筋を投げやりにするものあり。
一。法義を沙汰し、懇志取持ちは致せども、名聞利養の心ゆえ、他の同行の失を申し立て、法義取持ちの人を嫉み、又法義に事寄せ、他の金銭を取りたりするものあり。
一。往生大事の心掛け深くして、家職の働き油断なく、身分に過ぎたる奢を爲さず、参詣供敬怠らず、王法仁義の道を嗜み、家内和合し、近処隣りの人にも嫉まれず、地頭領主たる所の役人等の云い付けもかしこまり、他宗の人にも謗られず、内外睦じく法義相続して喜ぶ人これ尊し。

一七三  私は聞いた時は貰えたようでも、また失いますに困りますが、如何したらばよろしきか。  明信老人いわく。喩えば京へ参りたきも、我身が愚かにて貧しきゆえ、如何せんと困りおる時、慈悲深き金持ちの主人気の毒に思いて、京へ参りたくば我がつれて行かんと云われたるときは、如何なるものもやれ嬉しやと、何の分別もなく左樣なれば御連れ下されと頼む心は志願滿足の思いなり。ただ連れて行こうとは、我が愚かなるゆえ、貧なるゆえ、平生願いおるゆえなり。受けられたか、受けられぬか。一旦戴いたがまた失うて困ると云うようなことのあるべき筈なし。さて出立の上は他人は目に付かぬ。只その人の相ばかりに気を付けるなり。これ我に路銀なく我道を知らざればなり。一度仰せに順い奉つりし上は、仏とは離れぬ身となるなり。仏の我等に離れ給わぬは、過去久遠よりこのかたなり。我等が仏に離れられぬ身となりしは、今が初めなり。之を仏智不思議につけしめてとのたまう。これ摂取せられたる印なり。

一七四  水井吉郎衛門、ある時人に尋ねて。臨終になりて聞いたことは忘れ、念仏は申されず、御慈悲は喜ばれず、ありがとうもなし、早く極楽へ参りたいと云う心もなし。空々寂々で命が終る。そのとき信心を得たしるしは何であらうと。時に誰も答うることなく、どうか聞せて下されと云えば、水吉いわく。助けられるばかりじゃと。その後水吉、惠勇師に逢いて、このことを申し出でたれば、師曰く。助けらるるばかりかと云えばそうじゃけれど、もちっと足らぬ。平生御教化下さるのもそれを御教化下さるるのじゃ。それを聞くのじゃ。それを思うて念仏申すのじゃ。

一七五  江州高野の信次郎ながらく一蓮院講師に随いて聴聞せしが、余りに胸が美しすぎると云う人ありしかば、香山院講師に御尋ねしたるに、同師曰く。言の如きの領解ならばよしと。されど何となく気がかりなれば。再び蓮井雲溪師に御尋ねしたるに。一つづつ塵みえかかる夜明けかな。 この上が大事なりと仰せられしと。

一七六  明信寺いわく。心を一つにしてと云うは彼方の御心一つで助かるのじゃ。こちらの心はいくつあってもかまうことはない。又いわく。まことに逢いがたき法に今あい奉り、聞かせていただくことのありがたや尊とやと、気の付いたが初めて阿弥陀様におうたのじゃ。

一七七  ある女、水井吉郎右衛門に逢いて、御前さまは処々方々へ聴聞して歩きなさるが、私はいつも内にいて娑婆の仕事ばかりにかかりておる。行状のところをみれば大違いじゃが、これで一つ淨土へ参らせて下さるかい。水井吉郎右衛門いわく、せわしく暮している浅ましい者を参らせて下さるるのじゃ。その御慈悲をおれも聞いて歩くのじゃ。

一七八  一蓮院講師いわく。夫人間ははかなきものなれば今には無常の風来たりぬれば死なねばならぬゆえに、はやく未来の用心をなすべし。我等は罪深きものなれば、我力にてとても地獄は免がれがたけども、阿弥陀如来の仰せには、我を一心にたのめ、願力によりて必ず地獄へは墮さぬ、間違いなくわが淨土へ迎えんとの御慈悲なれば、その誓いを実と思いて、一心一向に阿弥陀如来に縋る思いのおこるとき、はや往生は仏の方より定め給うゆえに、つゆちりばかりも我心をたのみとはせず、南無阿弥陀仏一つで御助け下さるぞと信じたてまつりて、ただ何のなかよりも称名念仏申せば、早一念のとき往生の定まることを喜ぶばかりなり。

一七九  同師の歌に。
人の身はさもあらばあれとおもはねど  わが身ひとつをすすめましかば
武藏鐙こころにかけて法の師は   駒ゆくひまの間もつとめなん。

一八0  等覚老師いわく。みなはとかく真宗の体が壊れてある。あの相撲を見るに倒れた方へ行司が扇を揚げると、見物の人々は行司を非難する。これ素人眼には勝った樣に見ゆるからなり。されど相撲の体が崩れてあるゆえ、勝った樣に見えても実は敗なり。真の勝敗は行司でなければ分からぬなり。真宗の念仏行者が多く聖道門の機談になり、相は殊勝にみゆれども、何となく気が高く見識を立てておるから真宗の体が崩れてある。

一八一  一蓮院講師いわく。一念憍慢の念を起せば、世界中の悪魔を一時に招待するなり。

一八二  江州の了真、明信寺へ参り、私は淨土へ参られるとも参られぬとも心配なく、又淨土をさのみ楽む思いもなし。ただこの浅ましい胸のうちから絶えず称名のとなえらるるがうれしう御座ります。  仰せに。弥陀をたのむと云うは、そういうことではない。たのみになり楽しみになることじゃ。喩えば貧しい女が善光寺へは参りたけれど、金がないとて悶いておるとき、慈悲な人より金をもらい、嬉しがっておるが如きは、法は他力なれども機は自力なり。然るに、其方は老人のことゆえ、金も持たすことは出来ぬ。おれが連れて参らうの一言を信じ左樣なら連れて行って下されと、身も心もうちもたれたが、弥陀をたのんだのなり。もはや知らぬ旅へ踏み出し銭はなし、行く先は知られず、その人見失うたら行かれぬ如く阿弥陀樣に心の離れられぬが楽みになったが、ねてもさめても憶念の信つねにして忘れざるを決定信じゃ、と仰せらるる。この方に支度はいらぬ。連れられて参る淨土なれば何の造作もない。ただ彼方が恋しく懐かしく、杖力になりて忘れられぬが仰せに従われたのじゃ。これが善知識の言の下に帰命したのじゃ。

一八三  高野信次郎いわく。一蓮院講師ある時人々に向い、面々の領解を言少なに申し陳べよと仰せありしかば、多くは覚えた分斉や御教化の口真似で師意にかなわず、最後に一人進み出で、仰せがわたしの御領解といただきます、と申し上げたれば、師微笑し給い、ことの外御滿悦なりしと。

一八四  香月院講師への御尋ねに。私は淺ましい心がみゆれば信は得られぬかと存じます。師の仰に。信を得るほど悪るさがしれるばかりじゃ。罪はいかほどふかくとも、と仰せらる、その中に何もかもこもりておるわいのう。又申し上げて曰く。聴聞の手前ではもし違いはないかと案じます。仰せに。罪はいかほど深くとも、我を一心にたのまん衆生をば、必ず助くると仰せらるる。それでももし違いはないかと思うは、仰せに背くと云うものじゃ。どっさりと大山に腰うちかけた気になつて信じたほうがよい。

一八五  伊勢さと女いわく。小屋の冬瓜は是非落ちねばならぬ筈のものが落ちずにあるは、十文字に絡げた縄の力じゃ。必定して堕ちねばならぬ私なれど、摂取不捨と十文字に御慈悲の大縄に絡げられて、堕ちとうても堕としてはくださらぬ。うれしいことで御座ります。

一八六  出羽の弥左衛門は、聞いても聞いても聞こえず、京都へのぼりて華藏庵惠然講師に謁し、懇なる教化を受け一旦領解したるも、帰国の後疑惑起りたれば、再び上り三度下り、二百里余りの処、三ヶ年間に八度まで往返しけり。最後に惠然師は、越後の歓喜庵秀啓師を尋ねしめられたり。弥左衛門、秀啓師より懇々の教示を受け、それより疑いの闇晴れて堅固の信者となれり。

一八七  香樹院講師、新井の妙慰に対し、おれの力で信が得させられることなら、胸かきわりてでも、おしこめてやりたいけれど、仕方はないと、涙ながらに仰せありたり。

一八八  大和の妙宣は、若年より尼となり、香樹院講師に常隨して法を聞きし人なり。ある時師の仰せに。妙宣、お前は世をすてて尼となりおるが、御開山の思召しには叶うまいぞや。又ある人、妙宣尼へ心中のほどを聞かしてくだされと云いければ、尼の曰く。私の心中申さば巡査が縛りに来ますと。また領解を尋ねたれば曰く。私はなにも信じて居らぬようなもので御座りますと。

一八九  香樹院講師いわく。他力と云うは信心ばかりのように思えども、左にあらず。このたびの後生一つは仕遂げたいとおもう心とても、凡夫の心よりはいささかも起らず。それについて法にあいたいと思うとも自力修行は叶わず、又善知識なくては聞くことならず、それに不相應の凡夫が仏になる望みのいささかでも起こるは広大無辺の善功方便なり。少しなりとも聞く気になりたは、みな仏智のご念力なり。

一九0  同師いわく。虚僞で事の成ずると云うことはない。まことに求めさえすれば得らるる。郭巨が釜を得たもまことじゃ。真実に仏法にその志は淺くしてと仰せらるがそこじゃ。本気になり、まこと後生が大事になり、その心になりて聞くに骨折るが、取りもなおさず宿善の萌じゃ程に、我等が虚仮不実の心へ宿善到来して、ほんに後生が大事になりて、ほんまの心になると、人並みも名聞もはなれて、どこまでもとおすが実と云うもの、宿善の開否はここでしれる。業障と宿善と首っ引きで、業が勝つとそのまことが通らずに仕舞う。宿善よくよく手厚ければ、おのづから未だほんまに行届かぬところに気が付いて、進みゆくほどに、ここが骨折りどころじゃ。 (香山院講師御言葉を加えて曰く。鳥さしの狂言御覽のこと、また煩悩おこすはまことに起すこと。)

一九一  また曰く。このたび間違いのない往生の遂げらるる伝授がある。何もむつかしいことではない。ほんまに往生したいの気があるかないか。その望みがほんまか嘘か。次ぎ前のまことと云うが茲じゃ。その実にも器次第で強き弱きはありそうなことじゃが、我心一杯欺かぬところをまことと云う。すれば出来ることを、できませぬ叶いませぬと云うは、尫弱を欺きだますと云うもの。心一杯の実意をまことと云う。心の甲斐性のない弱者は、よわいなりで形作る。然れば各ほんにこの実があるか。此処や彼処で聞き回りて、閻魔王に申し分けに念仏申そうの、地獄が恐ろしさに聴聞すると云う位の心中ではまことではない。  ※尫弱(おうじゃく:かよわいもの)

一九二  又曰く。極難信じゃで骨折れ。『大経』に「つとめて自ら之を求めよ」と仰せらるる。その骨折り所が知られぬ。骨の折れるところまで聴聞するが大抵ではない。折る骨がない。また振り向き違いて骨折っておれば無駄事じゃ。称名憶念すれども無明なお在ってと云うて、如来の御慈悲の忝さも思えば涙もこぼれ、念仏も称えらるとも、なにがどうかは心の底がいつもいつも同じようにすっきりとせぬ。茲に於いて落ちついておるものは世間になに程もある。この心に手を附けると、何処迄も明るい心になられぬゆえこの心に当惑するのではない。かかるものをと立ちかえるのじゃなどと、よい加減に気ずまして落ちついておるのじゃない。それらはみな邪見と云うものじゃ。

一九三  同師いわく。色もなければ形もなし。選択本願の無量寿仏、活き仏はこれじゃ。知りておるか。口に出入りの南無阿弥陀仏。夫婦も娑婆限り、親子も娑婆一世、五尺の体も娑婆の置き土産。尽未来際紫金蓮台に乗りて、六十万億那由他恒河沙由旬の仏になる品物は口に出入の南無阿弥陀仏。この南無阿弥陀仏に助られての往生じゃと頂いて下向せよ。

一九四  香月院講師いわく。娑婆逗留は御淨土の舞台へ出でて生れもつかぬ果報の手柄をする楽屋なり。それ故に、この世は淨土参りの稽古場と心得て、幾度も聞きなおしては聞くべし。香樹院講師いわく。聴聞は娑婆逗留の手提灯と。

一九五  宏遠老師いわく。予八十に垂として七十余年の非を知る。某禅師は大悟十八小悟数を知らずと云いしが、予数十年来これこそ信心発得と思いしに、いつも自力の迷情にて思い堅めたる一念を信決定と認めしゆえ、随って成ずれば随って壊る。かくのごとくなる七・八回なるのみならず。只これ疑惑の暫時頭を出さざるのみ。幸いに長寿を保ち、わずかに仏願の生起本末を聞きて疑心あることなきに至る。然らずんは、宝の山に入りながら空手にして帰りなん。危いかな。香樹院講師、八十三歳の比、桑名別院にての仰せに、おれも大方こぎつけたり、と。

一九六  明信老師は示談の時、何時も今旅立ちの席に臨みたるが如く、さあどうじゃ、今の喚声が何と聞えるぞと云う勢いなりき。ある人同師へ、今後どう日暮致しましょう。 師曰く。汝はこれから日暮しするつもりか。そんな心得でおるから聞えぬのじゃ。

一九七  悦成師いわく。臨終の夕に鬼が火車をもちて来たらば乗るや乗らざるや。真実信心の行者は必ず乗るべし。若し乗らば鬼は転ずべきなり。それは何故なれば、この人の心はもはやなければなり。  「超世の悲願ききしより われらは生死の凡夫かは 有漏の穢身はかわらねど こころは淨土にすみあそぶ」とのたまえり。

一九八  人々の辞世の中に。
◯深励   思はずも迷いのはてはつきにけり  証のきしは今日や明日やと。
◯秀存   今はとてなにをかいはん南無阿弥陀  仏ははちすひらかせてまつ。
◯鳳嶺   かねてよりこころにかけし彼国の  宝の植樹眼のまへに見ゆ
◯義導   おそくともあとよりまいれもろ人よ  弥陀の淨土はわが本家なり。
◯悦成   しにとうはなけれどけふのうれしさは  なににたとへんああ南無阿弥陀。
◯徳成   徳成が辞世いかにと人問はば  南無阿弥陀仏ととなへといへ
◯教山   いふもうそおもうもうそでまるめたる  うそつき坊が弥陀のまことで

◯制心
六十九年一夢中
夢中悲喜忽然空
方知此界因縁盡
速到西王七寶宮

◯正遵
病重今日去此世
七十余年迷霧晴
垂死心中無一物
唯聞岸上呼喚声


玄風
廓然大悟  事在平生
身命茲盡  從明入明

一九九  香樹院講師の手記録に曰く。
一。六字の謂をきくとは、御助けの法のままを聞くこと。その御助けをきくままをたのむとは云う。きくままを聞くに非ず。ままの沙汰までもいらぬことをきくなり。おきかせの聴聞の法によくきく能帰の機までも成就してあるゆえに、聞くままを信心とは云うなり。 二。後生助けたまえとたのむ能帰の体は聞いて覚えたでなし。聞いた功でなし。助け給えとたのむ能帰の体は摂取なり。御助けの法のままが、私の御領解とはこの事。実言の外に信心なし。
三。生れられぬまま、生れさそうの仰せが聞こえたれば、なろうのつもりはいらぬこと、助けたまえとは、たすけられることをきくことなり。聞くとはきき心を離れて、お聞かせの法味を甘んずるばかりなり。
四。摂取してすてぬとある大悲のまことがきこえてみれば、助かりたいがいらず。おちまいがいらず。なろうがいらず。仕上げることがいらず。只実言のはたらきを仰ぐばかりなり。
五。如来永劫の修行を全体施名として名に体の徳を全うして施す法なれば、六字の謂をききひらくなり。六字の謂とは助け上手をきくのなり。
六。しかしきくと雖も、声と言は心の使いゆえに、声にはなれ言につかず、聴聞にわかれ弥陀のこころを知る一つ。知る一つを知るにあらず、知れた心に目をかけず、信心の功をみず、所信の法功を知る一つ。

二00  知道師の臨終に際し、御弟子の一人御尋ねして曰く。恐れながら、未来の御覚悟は如何。  師曰く。おれに何の覚悟はない。何故ならば今度は親様につれていただくのじゃから、おれに覚悟はない。

二0一  江州鎌掛村おせき、臨末に曰く。この私は一生涯御教化の裏道ばかり歩いていましたが、今度は仰せばかりで往生さしていただきます。

二0二  ある厚信の小女の臨終に際し、枕頭の人、うれしいかと尋ねたるに。いいえ、喜ぶどころか苦しいばかりで行先はまっくらがりと、応えたれば。それでは危なかろうといえば。否々と云う。それは何爲かと問いしに。それでも親樣がきっとつれて行ってくださるもの。

二0三  大通院義順師いわく。たのめたすけようとは、今地獄へ堕ちゆく後生を、我をたのみに思い力に思うて、後生の世話をそっくり己にふりむけて、やかせくれよとのおこころなり。実に弥陀の先手に引き起こされてあなたをたのむなり。

二0四  実言院いわく。仰せを聞いたばかりではものたらず、聞いてたのむ心を起さねばならぬと心得るゆえ、他力回向の法門が崩れて仕舞うなり。よくよく心得べきことなり。

二0五  如説院いわく。大願強力を目当てに往生を決定するが、一念發起なり。

二0六  後生が心にかかり広く厚信者を尋ねて法を求めんため北国より関東に向いたる同行、相模まで来たりたるに一信者に逢いたれば、心中の趣き申し出たるに信者のいわく。汝は領解の石垣積みにあらずや。折角精出して石垣を積み構え、安心して寝ていても、一夜大津波が起こらば石垣も城も一時に流失せん。その時に残るものは天上の月一輪なり。領解の石垣安心の城は、如何に堅固なりとも、臨終の大津波には忽ちに碎かるなり。その時になりても少しも変らず動かぬは、御慈悲の月一輪のみ。ただ仰せ一つが真実なりと。

二0七  大和文七いわく。昔清九郎は芋を商えり。路傍の小童等これを見て、清九郎の脊を叩き、これ爺後生忘れてはおらぬかという。これを聞く清九郎は、いつも芋の荷を捨て置き泣き倒れしと。

二0八  知道師へある人領解を述べたれば、師曰く。なんとよく覚えたものじゃのう。一体それは教える坊主がわるいのじゃ。

二0九  等覚老師いわく。かかるものを御助けと、法を機に引き付けてくると、一種深信になり、機法合体になる。堕ちぬ機になりにかかるじゃない。もと弥陀の本願は堕ちぬものを助けようではない、堕つるものを助けようの本願なり。カラスは黒いで黒い、鷺は白いで白い。堕ちるで堕ちる、助かるで助かる。機と法とのありのままが顕わるるなり。大抵は御助けを機につけておくから機法合体なり、又一種深信なり。又曰く。堕ちるままが御助け、御助けのままが堕ちる機と。

二一0  明信師は法類の偏執者より種々の誤解を受けて、度々御調べに逢われたり。師はその度毎に、御直しに預りたい、改めとう御座りますと喜ばれしと云う。

二一一  香樹院講師の仰せに。我身の誤りはみな弥陀の知りぬき給うことを知らずして、悪いこと隱して淨土往生する機ゆえ、実の喜びに縋られぬなり。それ故善導は無有出離之縁とのたまう。自分から助かる道理拵える樣に思うたゆえ、晴れなんだ疑いなり。  又曰く。今迄はどうたのんだら助かろう、如何したら参られようぞと、己が方に淨土参りする心拵らえて生るることと思うたに、心止めて聴聞してみれば、残らず彼方の方に御成就なされた六字の名号、何のようもなく何の造作もなく、淨土参りすることかと思えば、人頼むようなたのみではない。

二一二 播州の老婆後生が苦になり、いてもおられず、同心の友を得て二人して御旧跡を巡り、広く知識を求めんと企て、六・七十日も訪ね走き、綿の様になって帰り、さて曰く。長い間詣ね歩いたがなんでもなかった。体はぐだぐだに疲勞てくる。持っていた財布は空になる。もうこの私はどうして見ても助からぬ生れながらの盲人であったと、今度は本復させてもらいましたと。

安心小話 終

※旧字を現代常用漢字に改めている部分もあります。

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