大谷派の近代教学は清沢満之師によって開かれたといわれる。しかしながら清沢師の教学が宗祖の〈教行信証の体系〉の中にいまだ十分に統合されていないと思う。大谷派の同朋会運動が停滞を余儀なくされた一因に、この問題があると思われる。
○清沢満之の新しさ
では、清沢師が真宗教義の歴史の上で新しい意義を展開したのは特にどの点であるかというと、それは人(自己)の存在根拠として、阿弥陀仏を経験的に見出し、それを表明したという点であろう。 清沢師は仏教(真宗)の歴史の中で「自己とは何か」と初めて主体的に問うたのである。この問いは時代や地域を超えた、人としての普遍的な問いであった。この問いの結果、清沢師は、
「自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に、此の現前の境遇に落在せるもの、即ち是なり。」 (「絶対他力の大道」)
と自覚的に応答したのである。すなわち絶対無限の妙なるはたらきによって、今ここに直接的にあらしめられている存在が〈真の自己〉であるという。すなわち自己存在の直下に、今ここの自己(身心)をあらしめている絶対無限の妙用を感得したのである。そしてこの無限の妙用は『我が信念』において
「私の自力は、何等の能力もないもの、自ら独立する能力のないもの、其無能の私をして私たらしむる能力の根本本体が、即ち如来である。」
と表明するに至ったのである。すなわち今ここに自己をあらしめている絶対無限の妙用を「私をして私たらしむる能力の根本本体」として表したのである。そしてこの〈能力の根本本体〉を同じ『我が信念』には
「如来は私に対する無限の慈悲であり、無限の智慧であり、無限の能力である。」
といって、「無限の能力である」という。この様に清沢師の革新的な新しさは、従来の如来(阿弥陀仏)を、自己存在を今ここにあらしめている根源的なはたらきとして表出した点である。
○満之の如来は壽命無量
さて、清沢師が見出した〈無限の能力としての如来〉は従来の真宗教義のどこに位置づけられるのであろうか。それは一言でいえば〈寿命無量〉に該当すると言えるであろう。 『浄土文類聚鈔』に宗祖は、阿弥陀仏の本質について 「寿命延長、よく量ることなし。慈悲深遠にして虚空のごとし、智慧円満にして巨海のごとし。」 といい、寿命と慈悲と智慧の無量なるはたらきと述べておられる。
これを清沢師の先ほどの文に当てはめれば、阿弥陀仏の慈悲と智慧は、清沢師の 「如来は私に対する無限の慈悲であり、無限の智慧である」 に当たり、寿命は「無限の能力」に相当するといえよう。そうすれば、私をして私たらしむる能力、もう一つ普遍化すれば、衆生の存在をして存在たらしめている無限のはたらきを〈寿命無量〉と〈読む〉ことができよう。
○寿命における能持と所持 では、果たして阿弥陀仏の寿命無量を私たちのいのちを成立せしめているはたらきとして了解することが可能であろうか。
それに関して、善導大師が『観経疏』(定善義)に
「七宝の池林等はこれ能依、瑠璃の宝地はこれ所依なり。地はこれ能持、池・台・樹等はこれ所持なり。」
といい、能持は大地の如く、池や樹木などを土台のようにたもつはたらきをいい、池や樹木は能持なる大地によってたもたれているのでこれを所持といっている。この能持・所持の概念を受けて、法然聖人は『西方指南鈔』に
「仏の功徳を論ずるに、能持・所持の二の義あり。寿命をもて能持といひ、自余のもろもろの功徳おばことごとく所持といふなり。寿命はよくもろもろの功徳をたもつ、一切の万徳みな ことごとく寿命にたもたるるがゆえなり。」
といい、寿命とは〈能持〉のはたらきであると言っている。そして寿命によってたもたれているものを〈所持〉という。〈能持〉なる大地は、(所持)なる池や樹木を根柢で支えるように、阿弥陀仏の寿命は仏のもろもろの功徳を能くたもつのであるという。そして法然聖人はさらに続けて、
「済度利生の方便は、寿命の長遠なるにすぎたるはなく、大慈大悲の誓願も、寿命の無量なるにあらわるるものなり。娑婆世界の人も命をもて第一のたからとす、七珍万宝をくらの内にみてたれども、綾羅錦繍を、はこのそこにたくはえたるも、命のいきたるほどぞわが宝にてもある、まなこ閉じぬるのちはみな人のものなり。」
と言われて、仏の寿命も人の寿命も、寿命の長さに長短はあるが同じ寿命であると見ておられる。そうであれば仏の寿命は無量無辺であるといわれているから、有限な人(個物)の寿命は無限な寿命が限定されたものと了解できる。
そこで、無量なる仏の寿命と有限なる人の寿命(身心)の関係を、能持と所持の関係で表せば、如来の寿命無量を能持とし、衆生の個々の身心を所持と了解することができよう。如来の寿命は大地の如く、人の存在は大地に生えている樹木の如しと了解することができるからである。
この了解から、清沢師の「私をして私たらしむる能力の根本本体」の文言を読めば、私たらしめている根本本体が能持であり、〈私〉が所持である。所持である私をして私たらしめている根本本体が能持としての寿命であるといえる。
こうして清沢師の、根本本体である無限の能力は、私をして私たらしめている寿命無量のはたらきであるから、寿命無量は人(衆生・個物)をして人たらしめているはたらきといえる。
こうした阿弥陀仏の寿命観は法然浄土教の流れから著された『安心決定抄』にも表れている。そこには
「しらざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときはしらず、すこしこざかしく自力になりて、わがいのちとおもいたらんおり、善知識〈もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ〉とおしうるをききて、帰命無量寿覚しつれば、〈わがいのちすなわち無量寿なり〉と信ずるなり。」
と表現されている。
○生滅の場としての無量壽
ただここで注意すべき点は、寿命無量のはたらきである能持(能く持つ)という意味は根源的な意味であって、人やさまざまな物の「形体をいつまでもたもち、維持する」ことを意味するのではなくて、衆生・万物の存在が「そこにおいて成立する場」のはたらきとしての無量の意味である。
たとえば寿命無量は、桜の花をいつまでも能く保ち維持して枯らさないというのではなくて、桜の花が咲くのも散るのも、葉が出て枯れるのも、それらを成立せしめている根源的な「いのちのはたらき」そのものが無量であるようなはたらきが寿命無量である。
寿命無量は、諸物の生滅変化がそれにおいて可能な能力(能持)であり、言ってみれば万物が成立する場所である。そういう意味での〈能持〉としての寿命無量であるといえよう。
ごく卑近に喩えれば、北海では沢山の氷山が次々と生まれては消えていくが、氷山が衆生や諸物であり、大海が寿命無量である。あるいは鳴門海峡では次々と渦ができるが、渦が衆生であり、大海が寿命無量であると、イメージすることができよう。
渦とか氷山のような諸物をして成立せしめている根源的な場、これが寿命無量である。(ただし、有情の固有な種々の形態を形成する作用因は宿業因縁であるといわれている)
清沢師の場合も、今ここの自己存在の成立の根源的な場所において寿命無量としての如来を見出し、それを表明したと言えよう。
そのように寿命無量は今ここの私(たち)の存在成立の根源的な場所であるが、この〈場所〉について西田幾多郎博士は
「我々の自己は、そこから生れ、そこから働き、そこに死んで行くと云ふことができる。我々の自己の奥底には、何処までも我々の意識的自己を越えたものがあるのである。而もそれは我々の自己に外的なるのではなく、意識的自己と云ふのは、そこから成立するのである。そこから考へられるのである。」(「場所的論理と宗教的世界観」)
と語る。意識的自己(自我)を越えている〈そこ〉は、清沢師が自己存在の落在地(場所)として、如来(寿命無量)を見出した〈そこ〉である。
○如来は自我ではつかめない
しかしここからが問題なのである。如来が現在化しているこの〈場所〉を私たち(自我)は対象的に直接認識したり、確認したり、内観的につかんだりすることはできないという点である。 大谷派ではよく 「阿弥陀のいのちに帰れ」「阿弥陀仏に生かされていることに気づけ」 「思いではなく他力の事実に帰れ」 「身の事実を引き受けて生きよ」 などと説かれてきた。
こうした法話が指示し帰入せしめんとするところは、私たちが今ここに存在している原事実であり、阿弥陀如来の寿命無量のはたらきが現成している場所であるが、しかし私たち(自我)がそれに気づくなり、あるいは帰るなり、あるいはそれを自覚的に受容することができるのかというと、そこに大きな問題がある。
自我(私)からは、そういう場所なり事実なり寿命無量(如来・浄土)なりを把握することができないという壁が立ちふさがっているのである。自我から如来にかかる橋はないのである。自我が如来をつかまえようとすれば「向かわんと擬すればすなわち背く」で、つかもうと計らってもそこに如来はいない。
昔の厚信の同行が「如来様は袖ひきにかかると逃げなさる」といったのはこのことである。しかも私たちの自我のいとなみは如来を得よう、つかもうと計らってやまない。 多くの求道者がこの壁にぶつかって「自力かなわで流転」したのである。
如来(浄土)は自我からの行為(はからい)によってつかまれないが、もしも仮に自我でつかまえたとすると、必ず自我の功利心によって利用し、一層自我を固めてしまうであろう。 ○名号で喚びかける如来 では私たち(意識的自己)が如来にふれることは永久に不可能なのかというと、如来の方から道をつけて下さった。それが真実方便としての本願の名号である。
その本願の名号の内実は、釈尊によって『仏説無量寿経』に、本願念仏の〈謂われ〉として、法蔵菩薩が一切衆生を救いたいと発願し、思惟し、それを成就せんが為に修行して本願を成就し、本願名号として衆生に救いを告げつつあることが説かれている。
釈迦・諸仏は本願の名号を讃嘆し、私たちにこれを聞けよとお勧め下さる。私たちはそのお勧めに従ってお念仏を申すようになり、名号を聞くようになる。
そして称える一声一声において聞かされる名号は、弥陀大悲の誓いである。弥陀大悲の誓いは端的に「助からぬ者を助ける」の仰せとして私たちに聞かされるのである。この弥陀の名号を聞くところに、助からぬ身を知らされ、助けたもう大悲を知るのである。
○逆対応の場からの喚び声
この名号は、私たちに内在的に超越している寿命無量(如来浄土)からのはたらきであり喚び声であり仰せである。「助からぬ汝を引き受ける」という仰せによって、自我は自らの計らいの限界を知り、「引き受ける」と仰せ下さる弥陀の誓いに身をゆだねることが発起するのである。ここにおいて如来にあうのである。
弥陀の喚び声である本願念仏がなければ、自我はいつまでも自我の計らいを離れることができず流転をまぬがれないのである。
このように如来浄土は、分別的知性の自我からは確認することはできないが、弥陀の名号によって私たちは如来浄土(場所)にであうのである。
このことについて、西田博士が務台理作氏への手紙の中で
「ミダの呼声というものの出で来ない浄土宗的世界観は浄土宗的世界観にはならないと思います。あの人は場所ということを今でも観ずることと思っていると見ゆ。場所とは対象的に観ずるものでなく自己のいる場所ではないですか。場所の自己限定は我々の個に対し偉大なる仏の表現、切なる救いの呼声です。
場所論理にては内在的即超越的なものからその自己表現として仏の御名というものが出てくるのです。故に我々は仏を信じ、その御名を唱うることによって救われるのです。仏を観ずるなどというのではありませぬ。観ずることのできないものだから唯の名号を唱えるのです。」(「西田幾多郎随筆集」岩波文庫)
と言っている。内在的超越としての今ここの場所を、対象的に内観したり、考えてつかもうとしたり、納得しようとする、そういう私(自我)の計らいでもって場所(如来浄土)を把握しようとしても、それはできない。今ここの自己存在の事実としての場所は対象化できないのである。
むしろ場所は、西田博士の言うように「場所とは対象的に観じるものでなく自己のいる場所」である。見ようとし、つかまえようとする対象に〈場所〉があるのではなくて、むしろつかまえようとする側にこそ場所がある。
場所はいつも手前にある。如来浄土をつかまえようと計らうと十万億土の彼方に去るのである。〈場所〉は、自我に対して対象的に対応しているのではなくて、〈逆対応〉している。
自我に逆対応している如来浄土としての場所は、自我に対して、如来自身を私たちに知らせようとして名号として表現してくるのである。西田博士はそこを
「絶対者と人間との何処までも逆対応的なる関係は、唯、名号的表現によるの外にない。」 (「場所の論理と宗教的世界観」)
といっている。
○本願念仏の救い
私たちの自我に逆対応している阿弥陀仏は、諸仏善知識の名号讃嘆を通して、私たちに名号を聞かしめ、名号で喚びかけ、念仏往生の誓いを聞かせて下さる。念仏往生の誓いとは端的にいえば「我が名を称えよ」の仰せである。
この仰せを聞くとき、無知無能・疑惑無信の私の姿を知らされ、「我が名を称えるばかりで」とまで仰せ下さる驚くべき大慈大悲の願心を知る。
本願の名号の大悲心によって、〈出離の縁有ること無き身〉と知らされ、自我のはからいが絶対的に否定されるところにおいて、そういう者をこそ助けんとする無碍の大悲心は、煩悩具足の凡心に届いて信心となり、真実主体となりたもうのである。
これを〈摂取不捨の利益〉という。摂取不捨の基本的な事態は、阿弥陀仏は、阿弥陀仏ではないもろもろの存在(私)と一瞬たりとも離れない不可分不可同な原関係である。これは万人(万物)に共通な真実である。
阿弥陀仏は、今ここの場所となって私たち全てを根底的に置いており、私たちと不可分の関係となっている。そういう尊く有難い原関係に気がつく時、阿弥陀仏の功徳が私たちに活性化し、私たちの無上の利益となる。
ただこの事に気がつき、ほのかながらも実感されるのは、どこでかというと、阿弥陀仏御自身を知らせて下さる名号を聞く端的においてである。
耳に聞こえるお念仏の声は私に「ここにいる」「助ける」と仰せ下さっている如来である。仰せを聞く一念においてそのつど如来にあうのである。仰せ下さる当体はつかめないが、この如来は、〈私〉を超えて〈私〉の根柢に常にはたらいている事態として、御名において感知せしめられるのである。
○結び
それゆえ「思いは自力、身の事実は他力、身の事実に帰れ」と云うばかりでは、自我が、今ここに現成している如来浄土に帰することは極めて困難である。
帰すべき如来浄土が本願名号として私たちの上に南無阿弥陀仏となって喚びかけ、広大な大悲のお心をあらわし、聞かしめたもう大悲の方便によって、私たちは阿弥陀のいのちに帰り得るであろう。
それゆえ称名念仏を軽視し、本願念仏(念仏往生の願)を聞くことを無視しては、自我の計らいから出ることは非常に難しいと言わねばならない。
大谷派の現代教学は、阿弥陀仏を自己の実存において了解し、我が身がおかれている今ここの事実としての如来浄土に帰ることにおいて、現代の閉塞した根本情況を打破する道を提示したまでは良かったが、いかにしてこの事実に帰入するのかという実際上の問題において、宗祖の本願念仏(念仏往生の願)を明確に積極的に提示できなかったことが、同朋会運動が混迷してきた要因ではないかと思う。
それは大谷派教団から念仏が消えていったことと平行している。要は清沢師が、人の存在根拠として如来を見出したその如来が、従来の真宗教学における〈寿命無量〉に統合され、しかもその無量寿如来に帰命するのは、本願念仏を〈聞其名号〉することなくしては凡夫の上に成就しないことを明確に提示していくことが必要であろう。