『歎異抄』の第四章は、 「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々」 である。
●〈おもうがごとく〉とは
この章で一番問題になるところは「おもうがごとくたすけとぐる」ということが何を意味するかという点だと思われる。ここの解釈によって読みやすくなったり分かりづらくなったりするのではなかろうか。
さて、「おもうがごとく」とはどういうことであろうか。一般には「思い通りに」「自由自在に」という意味に解釈されているが、しかしそう読むとこの章はいささか受け取りにくいのである。 「おもうがごとくたすけとぐる」の「おもうがごとく」を「思い通りに」「自由自在に」の意味に読むと、たとえその「おたすけ」がどういうお助けであれ、自由自在にすべての人を「たすける」ことは不可能であろう。いわんや思い通りに「たすけとぐる」すなわち救いが十全に成就することは不可能であろう。
たとえそれが仏・菩薩によるお助けであっても、思いのままに、自由自在に衆生を救うというのは、実際には無理ではなかろうか。 そこでこの「おもうがごとく」の「おもい」とは何かをあらためて考えてみたい。
結論を先取りしていうと、「たすけとげたい」という「おもい」とは、生死出離せしめたいという「おもい」、浄土に生まれて仏になさしめたいという「おもい」ではなかろうか。 仏・菩薩はいうまでもなく宗祖も、あえていえば私たちも、人を「たすけとげたい」という「おもい」は、行きつくところ要するに「生死出離せしめたい」という「おもい」であり、願いであろう。 そしてそれは阿弥陀仏の本意であり本願である。 阿弥陀仏において、衆生に対する「おもい」とは第十八願に示されている「欲生我国」のお心である。「我が国に生まれんと欲(おも)え」との願いである。 「我が国に生まれんとおもえ」という阿弥陀仏の仰せは「衆生を生死出離せしめたい」という阿弥陀仏の「おもい」(願心)の現れである。
それゆえ、衆生を助けたいという「おもい」が「遂げられる」こととは、衆生の生死出離が成就することである。 そうすると、今、宗祖が「おもうがごとくたすけとげたい」と願わずにはおれないその「おもい」とは「生死出離せしめたい」「浄土に生まれしめたい」という「おもい」である、と伺うのである。 そこで、この第四章では「聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」とあるが、聖道の慈悲行では人が人を生死出離せしめることは「きわめてありがたし」であってほとんど不可能であると仰せになるのであろう。
●第四章の課題
そのことを念頭において、この第四章で宗祖は何を問題にしておられるのであろうか。 実はこの章の問題は、現代でも私たちが日々、突きつけられている課題であるといっても過言ではなかろう。 というのは、目の前に、いや国内外に困窮している人々がいて、そういう人たちは「どうしたら救われるのか」という課題である。その現実的な困窮とは「貧困・病気・争い」などである。
それは現代も宗祖の生きられた時代(十二世紀~十三世紀)も同じである。貴族の政治から武家政治への転換期で、多くの武力衝突があり、また天災飢饉や疫病は歴史に残るほどの悲惨なものであった。それゆえ餓死や戦いで亡くなる人は数しれずという状態、その中で宗祖はそれらの悲惨な状態に無関心であられたはずはない。
むしろいつも「どうしたら苦しんでいる人たちは本当に救われるのか」という問題を痛感しておられたに違いない。それでなければどうして第四章のようなお言葉が生まれようか。
●聖道の慈悲
ところで、そのような時代状況のなかで、直接的にそういう悲惨な人たちを救おうとして活動していたグループがいたのである。それがこの第四章に出てくる「聖道の慈悲」、それを行う人たちではなかったか。
その代表者が叡尊(1201年~1290年)とか忍性(1217年~1303年)であった。彼らは聖道門仏教(真言律)の僧侶であり、宗祖の晩年に、主に奈良や関東で、日本の歴史上特筆すべき慈善活動、福祉活動を行ったのである。
その噂は当然宗祖(1173年~1262年)の耳に入っていたであろう。叡尊は多くの人に五戒をさずけて殺生をいましめ、貧窮者たちに食事を与えた。叡尊の弟子の忍性はさらにめざましい慈善活動を展開している。若い頃は、ハンセン氏病の療養所を奈良の北山に作ったり、多くの乞食に食を施し、あるいは獄舎につながれている人たちを沐浴せしめている。
宗祖八〇歳の頃には、忍性は関東に下り、飢えている多くの貧民への食事の施しはもとより、記録によると鎌倉在住の二〇年間に、療病院を設けて四六八〇〇人を療養せしめている。また伽藍の建立八十三、橋を架けること一八九、道を造ること七一、井戸を掘ること三十三カ所などを行ったといわれている。
まことにめざましい慈悲行をしていた人たちが宗祖の晩年にいたのである。時代の天災地変やいくさなどで困窮している人たちが大勢いたとともに、こうした慈悲行を行う聖道門の人たちのグループがいて、「もの(衆生)をあわれみ、かなしみ、はぐくむ」という慈悲行を実践的に行っていたことが、『歎異抄』第四章の背景にあったと思われる。
宗祖はそういうグループの慈悲行のことを聞いておられたであろうし、もちろんそういう活動を批判されてはいない。困窮している人たちが身近におられたらご自分でできる範囲の援助はされたのであろう。
ただ問題は、こうした福祉的な慈悲の活動によって、たとえ一人でも「たすけとげる」ことすなわち「人を本質的に救うこと」、それができるであろうかと、他者の活動を批判するのではなく、人が人になす慈悲の行い、そのものを問われたのだと思う。 そして人が人を「たすけとぐることきわめてありがたし」と痛感されたのではなかろうか。
聖道の慈悲行は、人にたいする援助活動とか支援とかサポートであるが、それはどこまでも人に対しての外からの援助であり、人を外的に救うていく、いわゆる食糧などの物質的な援助や、病気の治療、労働の提供、心理的なケアーなどである。こうした外からのサポートは大変意義のあることには違いないが、人の自我的主体を真実主体(絶対無限)へと転換せしめるものではない。
●生死の問題
一般に自我(当面の私)は、身体をよりどころにしている。だから身体の安定が維持されていることが自我の安心にとって重要なことがらだと感じられてくる。逆に身体の安定がたもてなくなってくると不安や苦悩が起こるのである。身体の安定が脅かされるのは、病気や飢餓や寒さなどによってである。そしてそれは死への不安である。そういう意味では、食糧や財物の援助、それに医療や住居の提供は困窮している人たちにとって助けとなり、それゆえに不安が解消されてくる。こういう意味から、外的な援助は人の「たすけ」になるのはいうまでもない。
しかしながら、身体をいつまでも保全しておくことは無理であり、老病は避けられずついには死に至る。それゆえ身体への依存は、変動し毀れていく不安(根本不安)、いわば「死に至る病い」を持ち続けざるを得ない。
いま「生死を出離する」とは、死への生である不安な生を超えていくことである。それは「生まれて死ぬ生」に即して働いている「量り無きいのち」である無量寿(如来)にであい、無量寿のいのちをこそ「真実主体」(真実の自己)と知り、自我のよりどころを有限なる物(身体とその維持に役立つ財物や健康など)をよりどころとする立場から真実主体である如来をよりどころとすることへの転換、それによって生死を出離せしめられるのである。
いわば「長生不死」(『信巻』)の身たらしめられる、これが「たすけとげられる」という意味であろう。 そしてこの生死の問題は「人は生きたいが死なねばならない」「人は何であり、何のために生きているのか」「私はいったいどこへ結局行こうとしているのか」というような生の根本問題でもある。この問題は全ての人の存在に負わされているのである。
「たすけとげる」とは、このような生死の問題が解決しなければ、いかに外からの物質的な支援や人的援助が行き届いても、その救いは完遂しないのである。その解決があってこそ「たすけとげる」ことが真に実現する。
実際、阪神や東北の震災では、多くの援助や支援が行われ、被災者には衣食や医療や住居の提供などがおこなわれてきた。こういう支援活動はとても大事なことである。そのために多額の寄付をしたり、現地で汗を流した方も多い。そういう活動がずいぶん被災者の方の助けになったのはいうまでもない。
ただ、仮設住宅などで暮らしている多くの人たち、ことにご老人たちの姿を時々TVで見るが、なおそこに「本当の幸せ」「たすけとげられる」ということが必ずしも成就しているとはいえない現実を強く感じるのである。 しかも「たすけとげる」という生死の問題は、単に困窮している人とか被災している人だけの問題ではなくて、人であるかぎり誰でもの問題なのである。一般に平穏に暮らしている人たちの足下に現在化している問題でもある。
●人は人を救えない
しかもその上で、人を「たすけとげる」「生死出離」せしめることを人が人に対してなし得るか、ということが問題になるが、それはこの第四章にいわれるように「きわめてありがたし」で、ほとんど不可能なことなのだと、宗祖は仰せられるのである。 そしてこの問題の解決は、阿弥陀仏の本願他力によって、生死出離せしめられるという、いわば阿弥陀仏の慈悲力によってこそ救われる。それがここでいう浄土の慈悲である。
目の前の困窮している人たちに対して、外からのなにがしかの支援や援助はできようし、そういう援助は自分の力の範囲でなすべきことであり、それは「なし得る」ことである。ただ人を「本当にたすけとげる」ということは人には到底できない。他者どころか自分の子供にでも、いな自分自身においてでさえ自分の力では、それはできない。
●淨土の慈悲
一方、「浄土の慈悲」いわば阿弥陀仏(お念仏)の救いは人を真に救い得る。 いわゆる本願を信じ念仏申す、そこに阿弥陀仏に摂取されるという利益をいただくのであるが、それは人の自我的主体が真実主体へ転換されることである。それによって自利利他円満な仏になるべき身と定まるのである。 だからもし、私たちが「他者を本当に助け遂げる働きに参与する」ことができるとするならば、それは私たちがお念仏に救われて、浄土に往生してすみやかに仏に成らしていただき、還相の菩薩として本願力に乗じて有縁の人たちを救うていくことによってである。
この道は、本願念仏をいただいて我が身が助けられて他を救わせていただく道であり、それは私にも開かれている利他の大慈大悲の働きである。それが「浄土の慈悲」であり、この慈悲行こそが人を真に助け遂げることの可能な道なのだと、宗祖はここで仰せられるのであろう。
●第四章の意訳 そこでこのような了解で第四章を現代語に意訳してみると、 「慈悲について、聖道門と淨土門とでは違いがあります。 聖道門の慈悲とは、人をあわれみ、いとおしみ、はぐくむことであり、それは尊いことです。しかしこうした人が人に対して行う、外からの援助や支援の慈悲行為では、人をまことの幸せである生死出離せしめたいという思い(願い)の通りに救い遂げることは、きわめて難しいことです。
一方、浄土門の慈悲とは、念仏をいただいて速やかに仏となり、苦しみの世界に還って大いなる本願の慈悲力によって、衆生を生死出離せしめたいという思いの通りに衆生を救うことができることをいうのです。
この世では、どれほどかわいそうだ、気の毒だと思っても、人を生死出離せしめたいという思いの通りに人が人を救うことはできません。ですから、ただ本願を信じ念仏していく道が、淨土に生まれて還相し、苦界の衆生を救うていくという道であり、それのみ本当に徹底した大いなる慈悲を行うことになっていくのです。このように聖人は仰せになりました」
●称名は大悲の行
しかも、この世においてお念仏をいただいて称える人は、おのずから弥陀の本願のお力によって、周りの人々にもお念仏を自然に与えていっていることになり、それによって他者がお念仏に救われていくことにもなっていく。 だから、「念仏もうすのみぞすえとおりたる大慈悲心にてそうろう」というお言葉の中には、お念仏をいただいて称えることは、阿弥陀の大悲の救いを人々にお伝えしているという大悲の行におのずから参与していることにもなっている、そういう意味も含まれているように思われる。
念仏を信じて称える人は、第十七の願に「十方無量の諸仏にほめられとなえられん」(『ご消息』)と誓われた、その「諸仏にひとしい」とまで、宗祖は讃嘆されている。第十七願は往相回向の願であって、諸仏の名号讃嘆によって、一切衆生に阿弥陀仏の功徳を回向しようとされる願である。この願のお心において、宗祖は『尊号真像銘文』に、 「南無阿弥陀仏ととなうるはすなわち安楽浄土に往生せんとおもうになるなり。また一切衆生にこの功徳をあたうるになるとなり」 と仰せられ、念仏することは他の衆生に念仏の功徳を与える(回向)ことに自然になっていっているのだといわれている。
であるから「弥陀の本願はまことにありがたし、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と本願を信じ念仏申す信心の行者は、諸仏にひとしく名号を讃嘆していることになるから、そのことは、おのずと歴史の上に念仏の救いを証しすることであり、それによって他の衆生に名号が回向されていっているのだと、宗祖は第十七願において、信心の念仏者のはたらきを見ておられるのであろう。
そうすると、お念仏を信じて称えることは、当来に還相して大悲のはたらきをさせていただいて他の衆生を助け遂げていくことになるのはもとより、また現世においても人々に如来の大慈大悲のお徳(念仏)を回向していることに、法の徳のゆえに自然にそうなっていっているのであるから、それを含めて、「念仏もうすのみぞすえとおりたる大慈悲心にてそうろう」といわれるのではなかろうか。
●浄土の慈悲は聖道の慈悲へ
如来浄土の慈悲を信じ念仏申すものは、現在ただ今にゆるぎない幸せを恵まれた者であるから、自らの幸せを外に求める必要がなくなる。
それゆえ他者の不幸を見て「ものをあわれみ、かなしみ、はぐく」もうとする心が強弱はあっても自然に起こってくるはずである。いわゆる同悲同苦の心が生まれてくるであろう。
それが実際どういう具体的な行動に現れるかは、さまざまである。人それぞれの気質や才能や経済的な力のほかに外的な諸条件(環境的、社会的)によって違ってくる。皆が皆、忍性やマザーテレサのような行動をなすことはもちろんない。ただいえることは、いただいた「浄土の慈悲」は大なり小なり、さまざまに「聖道の慈悲」を生み出していく力となるであろう。 (了)