以下の文章は『思想のひろば』32号(「『なぜ親鸞なのか』を読んで」、滝沢克己協会発行、二〇二四年)に発表したものである)
滝沢克己編『なぜ親鸞なのか』(1)という本があることは以前から知っていたが、今年(二〇二四)初めて手にとって読んだ。笠原の名は私が三十二歳(一九七七年)の頃、真宗大谷派関係者から「大谷派にすごい人が入ってきた。名前を笠原といい〈今親鸞〉と噂されている」と聞き、「へえー」と思って耳を傾けていると、「彼は九州大学出だ」というのを聞いて、「もしかしたら滝沢先生に縁があるのではないか。それなら一度会ってみたいものだ」と思っていたところ、やがて「彼が自死(一九八〇年)した」と聞いて二度驚いたのである。それ以後、年月が経ち今日に至って初めて彼の文章に接したのである。
この書の初めに彼の得度の写真が掲載されている。真宗僧侶というよりは日蓮宗の行者を感じさせる姿である。この書には滝沢先生の「序にかえて」と「あとがき」があり、その「あとがき」に「元気だったころの彼の面影が髣髴として眼に浮び、悲しみはその果てを知らない」とあった。笠原は滝沢先生の思いが深くかけられ愛されていた人だと知った。
『なぜ親鸞なのか』には笠原の七編の文章が集められており、滝沢先生が「あとがき」を一九八四年五月一六日に書いていて、その一ヶ月余り後に先生は急逝されたのである。
笠原の文章で「部落問題とともに」という一編に、彼の苦闘と問題提起がリアルに述べられている。以下それについて簡単に述べてみたい。
彼と私は同い年であるが、彼が九州大学に入学した頃から、学生の政治活動が盛んになり、同時にベトナム戦争反対運動もあって、一九六七年頃からは学園闘争が頗る活発になっていった。彼は全共闘運動の先頭に立って行動し、警察に拘束され拘留されたこともある。その後、教育問題から部落問題へと果敢に身を挺していったのである。その間、滝沢先生の講義を熱心に聞いていったようである。
ところが部落問題に関わる中で、深刻な問題にぶつかり、非常に苦しい状態に追い込まれたのである。それは被差別者が差別者の差別心や行為を批判し糾弾する中で、批判する側の仲間の内で、「お前の言葉にも差別がある」とか「やる気があるのかないのか」などとお互いが責め合うことにもなっていった。いわば差別者を糾弾する側の中で、他の仲間を弾劾するという、そのように同じ仲間の間で対立し、同志の間で暴力沙汰にもなりかねないようになっていった。それはあの赤軍派が、同志の間で「総括」の名の下に過剰に仲間を批判し、それによってお互いの中で不信感とリンチへの恐れが起こり、遂には殺し合うということが起こったのだが、そうなりかねないようにもなったのである。
異なる者への排除の歴史
これに類することは、決して稀なことではない。世界の歴史上何度も繰り返されてきた。近代の政治史上でも、ソビエト共産党史の中で、革命家同志の間で、対立し分裂し殺し合うという暗黒の裏面史がある。また中国の文化大革命で、同志の間で反革命の要素が見えるとそれを弾劾し拘束するというようなことが頻繁に起こった。宗教の歴史の中でも、同じ宗教の中で異端者を排斥し迫害するなどが行われてきた。
こうした自分(自分たち)に異なる者、反する者たちに対して、これを嫌い、排除し、迫害するという差別的な出来事は、当然仲間の間だけではなく、近世においてもさまざまな場面で残酷な事件を引き起こしてきた。ナチスドイツがアーリア民族の優越性を強調してユダヤ人やロマ人を迫害したとか、カンボジアで多くの知識人が虐殺の被害に遭ったりした。政治上の意見や主義や信条、あるいは人種や民族性の違い、そうした違いが過剰に重大に見えて、それによって相手を抑圧し、抗争し、暴力で排除するということが今日でも頻繁に起こっている。怒り、憎しみ、妬み、怖れなどの感情が激化し、殺戮にまで至るのである。現代のウクライナやイスラエルでの戦闘も、領土の確保のためだけでなく、この事に深く関わっている。この問題は歴史の永遠の課題でもある。
彼は部落問題の運動でのこうした対立に苦悩し、身が痩せ細るほどにもなった。そして、同じ共同体の中でも差別や対立が起こることを通して、「どこに本当の平等があり、どこで差別から解放されるのか」が分からなくなってしまったのである。そしてその答えを求めて、親鸞やカール・バルトの本に尋ね、滝沢先生の指導を仰いでいったのである。こうして彼は人間解放における「平等」の根拠を親鸞に求め、一九七六年浄土真宗で得度をして真宗大谷派の僧侶となり、真宗大谷派同和推進本部に勤務したのである。
バルトと滝沢
彼の『なぜ親鸞なのか』に引用されているバルトの言葉に、
「われわれの連帯性が相互に基礎づけられるのは、なにか人間的に積極的なものにおいてではありえない。なぜならすべての人間的に積極的なもののうちには(「宗教的素質」、「人倫的意識」、「人間性」)つねに確実に社会的崩壊の芽がひそんでいる。このような積極的なもののうちに含まれた、積極的なもの、それはなにか差別するもの、差別を基礎づけるものである。人間同士の真の交わりは、消極的なもののうちに、すなわちかれらに欠けているものの内に生ずる。われわれはたがいに罪人であると認めあうことによって、たがいに兄弟であると認める」(K・バルト『ローマ書講解』第三章三の二二~二四)
というのがあるが、バルトは、人間における積極的な価値、いわば人間の宗教性や倫理性や人間性などという人間の精神的なもちものに基礎づけられた連帯には常に崩壊の要素を含んでいるというのであろう。いわゆる「志の高さ」とか「正義感」とか「純粋さ」とか「忍耐強さ」などの人間性の高みに基づいての連帯は、そこから脱落する者やついていけない者、反する者がでてくる。そうするとかれらを責め・嫌い・排除したりするようになる。なぜなら人間は、お互いのいのちへの平等性を無視し、その上「自らを善しとし他を非」としやすいからである。
こうした「積極性」ではなくむしろそういう価値の欠如しているもの、たとえばお互いに罪人であること、このことを認め合い、それにおいて互いに兄弟であるというところに真の交わりの基盤があるとバルトはいうのであろう。
ただ滝沢先生は、お互いが罪人であるとか煩悩具足の凡夫であるという更にその手前にある事実、善とか悪とか罪とかいうものがそこでは問題にならない場所でありまたそこから是非善悪が問われてくる場所がある。人間は、いつでも今ここに於てそういう場に置かれている一つの物にすぎないという決定的に限界づけられている存在であるということ、そこで平等を語る。この厳しい限界が同時に全人生の基盤であり支えであり、ここに真の平等があり、自由があり、この世の悪と戦う場でもあるというのである。この限界点は善悪や浄穢が一切消滅しているいのちの場であり、真実不動の支えである。この限界点は万人平等に与えられている恵みであり、人間は一つの物にすぎないという存在の低みこそ、共に平等にして自由な交わりを可能にする場所であるという。笠原が「本当の平等はどこにあるのか」という大事な問題はここに応えられていると思われる。
親鸞の生きた地平
ところで、こういう自覚は親鸞にもあった。親鸞の『唯信抄文意』には、
「屠は、よろずのいきたるものを、ころし、ほふるものなり。これは、りょうしというものなり。沽は、よろずのものを、うりかうものなり。これは、あき人なり。これらを下類というなり」
という。猟師や漁師は殺生を職業としている者であり、また商人は利益を追求するところより言葉を弄する者と見られ、当時、この人たちは「下類」とされ、さげすまれていたのであるが、親鸞は続けて、
「れうし・あき人、さまざまのものは、みないし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」
といって、すべてみな瓦ケや小石の如き存在であって、それを「われらなり」と、親鸞自身も同じ場に身を置いている。『歎異抄』にも親鸞は、
「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきないをもし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」
といって、人の生き様はさまざまでも、人間は本質的に「おなじことなり」といい、自身を含めて石ころに等しき物と見ている。もちろんこれは農民や漁師や商人だけではない、武士や貴族を含めてすべてみな本質的に一つの小さな物であって、お互いは「一切群生海」(2)(雑草のように群れて生きているもの)の一人ひとりである。
こういう存在の一番の低みこそ平等であり、そういう低みの処で民衆と共に親鸞は生きたのである。こうした生き様は、親鸞の生前の姿を描いた『安城の御影』(国宝)にも伺われる。この絵は親鸞が八十三歳頃の絵で、この絵の自分を見て「かがみで見るよりよく描けている」と言ったと伝えられている。この絵を見ると、おそらく猟師から献上されたと思われる狸の皮の上に坐り、猫の皮を張った雪駄を履き、猫の皮を巻いた杖を持ち、また与えられたであろう赤い下着を着けている。そういう姿がリアルに描かれている。これは驚きで、僧侶が動物の皮を剥いだ敷物の上に坐るとか、あるいは動物の皮を張った履き物を履くとか、赤い下着を着て、それがチラチラ見えるなどということは、今でも僧侶はこういう姿で見られることを恥じて必ず避けるし、また見る人もそういう僧侶は堕落僧としか見ないのである。現代の中国僧や韓国僧は皮のカバンは持たないし皮靴は現在でも履かない。動物の皮を身に付けることは殺生に連なる者であると見られるので嫌うのであろう。親鸞は社会の底辺で生きていた人たち、殺生を生業としてしか生きられない人たちが献上したこうしたものを恥じることなく身に付けているのである。それは彼らと共におなじ地平で生きていた徴なのである。
笠原は部落問題を通して「本当の平等はどこにあるのか」を自身の避くべからざる問題として尋ねていった。そして親鸞に行き着いたのであるが、滝沢先生によれば、あと一歩というところで自らの命を断った。彼がもう少し辛抱して真実で平等ないのちの事実に経験的にふれるなら、そこから差別の問題に対処していったであろうし、真宗教団にも貴重なインパクトを与えていったに違いない。
滝沢の平等観
滝沢先生がこの本の「序にかえて」のなかで、
「一切の資格を問わずすべての人にすでに届いている『弥陀の本願』(歎異抄第一条)において、この人の世のすべての差別はただ単純に消されている。しかもこの『本願』は、人の世の差別を蔽い隠して人を虚偽の安心に誘ったりはしない。それどころか、あるべからぬ差別を差別としてはっきりと見、真実人としてこれと闘い、これを克服することを、仮借なく私たち各自に要求する---このような〈何か〉が、たしかに在ること、そこに基づかなければ差別に対する生命がけの闘いもけっしてその終りを全うしえず、ついにはそれだけ甚しい差別と、脱け道のない絶望に導くこと、---かれ自身の苦しい経験を通して痛いほどに鋭く、かれはこのことを感じていた。その意味においてかれは、深く本願の弥陀を信じていた。ただそれが、かれのそれを信じると否とにかかわらず、それじたいで在りかつ活きている真理だということ、それこそ人生・社会のほんとうの始めにして終りだということが、はっきりとかれの心眼に見えてくるには、まだ若干の距離があった」
と、この本の提示している問題に対する応答の核心を述べている。「人の世のすべての差別はただ単純に消されている」場所こそ、人間が、人類が目覚めなくてはならない点であり、これを無視するところに、歴史の中で絶えず差別と対立、そしてそれによる殺戮が起こるのであろう。
「いのちの平等性」について、滝沢先生は『人間は何を支えにして生きるか』(3)という講話の中で、
「平等ということもそうですね。平等ということも事実です。これは、これから実現しようというようなことではないです。これは人間の間だけではなしに、先程も言いましたように、石ころとも同等です。もともといのちのないものがいのちを恵まれてきているという働きなくして存在するということは、石ころが決心して石ころになったわけではないように、野の花が決心して野の花となったのではないように、人間もそうなのです。だから絶対的に決定されてその都度、その存在の事実においても、そのものとしての本性においても、その都度決定されているというその点では少しも人間の方が上ということはないのです。その意味では〈絶対平等〉です。だから人間の間だけで平等を実現しようなんて思っていると、それはできないことです。やはりほかのあらゆるものと同等な、有限のもので元々生きたものでないと、主体なんかではないということがはっきりして、人間の主体性ということが初めて健康に活動する。それを抜かしてしまいますと、主体であると思うことは、権利てなことを言うことは、そのこと自体がもう空虚なことなのです。だから満たされないものが初めからあるのです。どんなに何か得たり出来たりしても、満たされることのない不安と焦燥が奧底にはあるということに必ずなるのです。だから平等というのは事実だということをまず知っていないといけないのです」
と平明に話している。
人間の側から、ただ人間の運動によって差別を無くし平等の関係を作り出そうとすると、かならずそれに抵抗する者、反対する者が現れてくる。そうすると更に自分たちの力で自分たちの主張する平等を実現しようとして過熱し、そのあげく熱心さは反対者への憎悪となる。こういう過熱が起こるのは、自分自身が本当の平等がどこにあるのか分からず、実感できていないという空虚感をなんとか解消しようという焦りと不安に深く関係している。こうして反対する者、抵抗する者を排除し、責め立て、潰そうとする傾きになっていく。そこには平等という理想に反してもっと大きな差別が起こるし、人を愛するどころか憎悪するようになる。
神の愛の中に在る人間
その愛について、滝沢先生は前の個所に続いて、
「博愛ということ、博く愛すると言っても、これも、これはひろい愛の中に、悪しき者にも善き者にも、正しき者にも正しからぬ者にもと言われているように、一切の資格を問わない、絶対無条件の愛の中に人間は置かれているということです。本当の意味でひろい愛の中に置かれているということが人間の存在なのです。ですからそれがないと、そのことが身にしみていないと、そのことを心にとめていないと、人間の愛というものは、何かを愛するということは、そもそも一種の支えを求めて愛するわけですから、最初の本当の支えを無視しておいて、そして何かを愛するということになりますと、それが人であれ物であれ、自分の才能であれ国家であれ何かの宗教であれ、それは必ず愛し過ぎるということになりますね。執着するようになるわけです。だから愛すれば愛するほど奧底は不安で、そのものにしがみつかないといられない。だからほかのものに対してひろやかさというものがなくなってくるですね」
という。人間成立の根拠である平等ないのちの場は神の博い愛の中なる場であるというのである。
人間はいつでも、今ここに置かれている決定された一つの物にすぎないが、この自己成立の基盤は平等なかぎりなきいのちのはたらきである。平等に尊いいのちは環境的自然となってはたらいているだけではなく人の真実の主体となってはたらいている。このいのちにであった者はそこに光を感じ愛を感じざるを得ない。平等のいのちを自己の根柢に見出した人は、西田幾多郎が『善の研究』で、
「われわれはこの自然の根柢に於て、又自己の根柢に於て直に神を見ればこそ神に於て無限の暖かさを感じ、我は神に於て生くといふ宗教の真髄に達することもできるのである」というごとく、自己成立の根源的ないのちにふれるものは、そこに無限の愛を感じるであろう。そして「神は愛である」とか「仏心は大慈悲である」と言い表さずにはおれない。それが聖書にもなり仏典にもなっていったのではなかろうか。
そうでなければ、万物をして万物たらしめている無限のいのちというだけでは、物質的なはたらきだけで捉えてしまいかねない。平等のいのちといっても自然科学者が、万物はすべて原子・分子の集合体であるというような平等性でしかなく、それは自然の物や人を対象的に観察し分析して言葉で捉えた大自然の物質的な側面に過ぎない。それゆえそれにふれていのちそのものが尊いとか、それにふれて安らぐということはない。
神と阿弥陀仏
ところで、すべての人の存在は本質的に平等であるという根拠は、すべての人の存在が神の無限のいのちに基づいているからだという。ではキリスト教でいわれる神とは何かという場合、少なくとも滝沢先生は、万物の創造主としての限りなきいのちであり、限りなき愛であり、限りなき智慧であり、審きの神といわれている。そして神と人は不可分不可同不可逆的な関係であると押さえる。
では真宗でいう阿弥陀仏の本質は何かというと、中国語の「阿弥陀仏」の原語はインドのサンスクリット語のAmitāyus(アミターユス:量りなき寿命)でありAmitābha(アミターバ:量りなき光明)(4)である。この「光明」とは何かについて、これも、古代にインドにおいて、熱心に真理を求めた者が量りなきはたらき(超越)にふれて、それを「無量の光あるもの」と言い表した。なぜ「光」と表現したかというと、それまで閉塞された真っ暗な心が無量なるはたらきにふれて心が世界に開かれ、存在の根本的な真相が明らかになって、真実を見る智慧が生まれたからである。そういう「光明体験」の歴史が綿々と続いて行くなかで、釈尊が現れて説いたのが仏教経典の始まりであろう。このような覚り体験の伝統が続いて、無量なるはたらきを「寿命無量・光明無量」と説かれてきたのであろう。この体験によって生の実相が明らかに認識されるところから、「この如来は、光明なり、光明は智慧なり」と親鸞もいったのであろう。光明は智慧であるというこの智慧の内実は、『仏説無量寿経』でいえば、「もろもろの衆生を、視そなわすこと自己のごとし」と説かれ、一切衆生を自己の如くに視る智慧であり、同時にそれは『法華経』の「この三界は、皆、これ、わが有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」という「慈悲」と説かれている。このように覚りの智慧は、一切衆生さらに言えば全世界と自己は一体であると見る智慧であり、その中の生きとし生けるものを我が子の如く見る慈悲と説かれてきた。こうして無量の光明とは、無量の智慧と慈悲のはたらきである。それゆえ阿弥陀如来とは「無量のいのちであり智慧であり慈悲である」と古来からいわれている。そしてこの寿命を真宗の思想家清沢満之は「無限の能力」、すなわち「力」であると表した。
そして神は「審きの神である」とは、日本の神の神罰というようなことではなく、真理(神)に背いて真理でないものを支えにするという倒錯は、おのずとその人に苦悪の結果が惹起してくるのであり、そのことを人格的に表象したのが審く神であり怒りの神であるといわれるのではなかろうか。
滝沢先生は神と人の原関係を不可分不可同不可逆と表したが、阿弥陀如来と人は不可分であって離れがたく一つであり、同時に不可同であって同じではない。そして不可同と表すだけでは不十分であって不可逆なのである。阿弥陀仏は人の真実無限の主体であり、人は有限な一個の物として真実主体にそのつど応答すべき客体的主体であって、この関係は不可逆である。この不可逆の原関係は、救う阿弥陀仏と救われねばならない衆生の関係としておのずと反映されてくる。人は無明によって真実主体に背く煩悩具足の凡夫であって、仏ではない。阿弥陀仏は救い主であり、迷いの衆生は救われなくてはならない罪悪の存在であるゆえ、阿弥陀仏と衆生は不可逆の関係である。
阿弥陀仏と人は一体不可分
ところで真宗では阿弥陀仏と衆生は不可同であり不可逆であることは到る処で表されているが、阿弥陀仏と人は一体であるという「不可分の関係」はどこに示されているのであろうか。それを滝沢先生は『歎異抄と現代』の中で、
「〈無量寿・無量光仏即罪悪深重・煩悩具足の凡夫〉(「南無阿弥陀仏」)という浄土宗に独特な・なかにも真宗において鮮明な・言葉の指し示す〈対象〉そのものは、決してたんに浄土真宗だけの所見ではない、いなむしろそれは浄土真宗とか禅宗とか、仏教かキリスト教とかいう、宗教的形態の差別さえも、そこに於てはただ単純に消滅している・唯一普遍絶対平等な・生命の基盤、そこを離れてはいかなる人も事実存在できない全人類の故郷です。いえ、それどころか、そこでは人間の〈主体性〉とか〈自由〉とかいうものは完全に奪われている、人間もまた一個有限の客体にすぎませんから、〈弥陀の本願はひとへに親鸞一人がためだ〉と言い切った親鸞にとっては、その一切の資格を問わず、すべての人、一々の人が、いわば弥陀の子として同朋であったばかりでなく、他の諸生物、いな無生物もまた必然的に、人である自分自身とまったく平等なもの、けっしてこれを私することを許されない尊いものたらざるをえませんでした。〈一切衆生悉有仏性〉という仏教本来の考えは、時にかれみずからそう言い表わしているとおり、事実親鸞自身の基本的な考えでした。そうでなければまた、どうして、〈仏性すなわち如来なり。この如来微塵界にみちみちたまへり〉というような言葉が、かれの口から突いてでるはずがありましょう(『唯信鈔文意』)」(5)
といっている。ここで滝沢先生は、無量寿・無量光の阿弥陀如来を「唯一普遍絶対平等な・生命の基盤、そこを離れてはいかなる人も事実存在できない全人類の故郷」と見ている。そして「この如来、微塵世界にみちみちたまえり」で、寿命無量・光明無量の阿弥陀如来は「微塵世界(全世界)にみちみち」ているのである。こうして、無量寿如来は一切衆生のいのちを成り立たしめている如来である。衆生の〈ある部分〉にましますのではなく、一切衆生の全存在にみちみちている。無量寿如来は一切の生命の基盤であり、一切衆生はそこを離れては存在しえないのである。
そして「一切衆生悉有仏性」という仏教思想の根幹を示すこの言葉の意味も、滝沢先生は親鸞の「仏性すなわち如来なり。この如来微塵界にみちみちたまへり」の文言と同意趣であると見ている。そうすると、この見解から「一切衆生悉有仏性」の句を「一切衆生、悉く仏性に有り」、すなわち「一切衆生は悉く仏性において有り」と読む。そして「仏性すなわち如来なり」であるから、一切衆生は悉く如来において有る、すなわち一切衆生は如来である寿命無量においてある存在、衆生は寿命無量の如来によって成立していると了解できる。そこで一々の衆生は〈弥陀の子〉、つまり阿弥陀如来と人は一体不可分なのである。先生はこのように見たのではなかろうか。これは決して先生の勝手な独断ではない。この見解は「仏性」の原語であるサンスクリット語の「タターガタガルバ」(如来藏)の意味に正応している(6)。
これはいろいろに解釈されている〈一切衆生悉有仏性〉に対する明確な了解だと思う。滝沢先生はこういう内容を「唯信抄文意」のこの文言に読み取っている。この「唯信抄文意」の文言は滝沢先生の「浄土真宗とキリスト教」(7)の論考にも引用され、重要な文言として注目している。
こうして神と人の不可分・不可同・不可逆の原関係は浄土真宗における阿弥陀仏と衆生の原関係にも同じようにいえる。これは現代の真宗学にとって非常に重要な見解である。 (了)
(注)
(1)滝沢克己編『笠原初二遺稿集・なぜ親鸞なのか』、法蔵館、一九八四年。
(2)「信巻」〈『親鸞教行信証』、岩波書店、一九九〇年〉八五頁。
(3)『人間は何を支えにして生きるか』、滝沢美佐保私家版、二〇〇五年、一八~一九頁。この講話は一九八四年四月十九日に行われたものである。
(4)「阿弥陀仏」の原語はAmitāyus(アミターユス)とAmitābha(アミターバ)であるが、amita(アミタ)は無量・無限、āyus(アーユス)は寿命、ābha(アーバ)は光明の意味である。そこで阿弥陀仏とは寿命無量と光明無量を本質とするはたらきである。なお仏教学者の藤田宏達博士から、語尾のアーユスとアーバの発音は口の中に籠もるので、「アミタ│」が実際に聞こえる音声であって、その音を翻訳者が「阿弥陀」と中国語に当てたのである、と聞いた。最後の「仏」は中国語への翻訳時に加えられたのであろう。
(5)滝沢克己『歎異鈔と現代』、三一書房、一九七四年、三〇~三一頁。
(6)漢訳の「仏性」のサンスクリットの原語はtathāgata-garbha(タターガタガルバ)(如来藏)であることが多いというのが最近の仏教学の見解である。tathāgata(タターガタ)は如来、garbha(ガルバ)は「子宮」「胎児」「内部」の意で、タターガタガルバは「如来の胎児」の意。だから衆生は母なる寿命無量の如来から生まれた胎児であり、如来に包まれている胎児である。それゆえ一切衆生は悉く無量寿なる量りなきいのちのはたらきから生まれ、無量寿に包まれている存在である。胎児はやがて人(仏)になるべく存在しているが、ただ胎児自身は無明ゆえ如来の児であることを知らない。無知ゆえ妄念(惑)にもとづく業苦の境界を生み出している。
(7)石田充之・滝沢克己編『浄土真宗とキリスト教』、法蔵館、一九七四年、三七七頁。